第五章 甘い日々と消えぬ疑念

  あれから、また数日が過ぎた。

  ティオの朝はいつものように、おねしょを濡らして当主の部屋を訪ねる。

  おむつ一丁で、アルヴェインの前に立つと、ビリビリと紙おむつが破られる。ぷるんと可愛らしいおちんちんが、あらわになった。

  「しーしー、はどうだ? 出そうな感じはあるか?」

  「うー……。ちょっと、分からないかも……」

  「分かった。こっちにおいで」

  ベッドの上に防水帆を敷いて、その上にパイル地の拭き布を敷く。そこにティオが座った。

  「精神疲弊、あるいは精神外傷の再発と見たほうが良いな」

  額に手を当てて、熱を見られる。アルヴェインの手はひんやりとして気持ちが良かったが、下半身素っ裸なので、ちょっと顔が熱い。

  「俺の、昔話ってこと?」

  「ああ、このまえ、聞かせてもらったときか、あるいは……」

  フラスコの件でもめた数日後、ティオはアルヴェインに、自分の半生を語った。

  寒村で生まれ、食い扶持減らしで追い出されたこと。

  長らく屋敷の下働きで過ごしたこと。

  奴隷として鉱山に連れられ、寝小便を理由に解雇されたこと。

  娼館で、女性客相手におねしょをして……土下座した頭を蹴られ、とんでもない言葉を吐かれたこと。

  「う……うえっ……」

  思い出しただけで、気分が悪くなってきた。

  胃が、キリキリと痛む。

  体が震え、ほんの少しだけ、お漏らしがじわりと広がって、ポタポタと落ちた。昼間は治ってたのに……

  「吐き気はどれくらい強い?」

  蜂蜜色の指先が、温かく背中をさすってくれた。

  それから肩を抱いてくれるだけで、だいぶ気分が良くなる。

  「大丈夫……ちょっと、思い出しただけ」

  「精神外傷。新しい医学で心も傷を負う仮説だ。あまり思い出さないほうが良い、君の心が流れ出てしまう」

  一度思い出すと、またも色々な記憶がフラッシュバックして、頭の中を走り抜ける。

  「うう……うぇ……」

  当主が、もう一度、肩を抱いてくれる。

  柔らかな毛の色と同じくらい、優しい温度が、背中越しに伝わってくる。

  「落ち着いた?」

  一瞬考えて、少しだけ甘えた声を出す。

  「うーん……もうちょっと欲しい」

  本当のことを言うと、吐き気はさっきので収まっていた。試しに甘えてみたかっただけだ

  「勿論。君が落ち着くまで、ここにいるよ」

  もう一度肩を抱いてもらって、温かさに身をゆだねる。

  「たっち。おしっこを拭くから」

  「はあい」

  ベッドから立ち上がると、いつものように柔らかい拭き布で、おへそから、鼠径部、おちんちんの皮の内側まで、綺麗に拭きとられる。

  「実年齢は25~27歳あたりといったところか。思ったより年かさだったな……君は、」

  可愛らしい包茎おちんちんにタオルを這わせながら、アルヴェインが言う。

  「ど、どこ見て言ってんの。そ、そこのサイズは、歳とはあんまり……関係ないでしょ」

  下半身素っ裸で立つティオは、顔を赤くして頬を膨らませた。

  「失敬。もっと若いものだと……」

  「子供扱いされてるとは思ってたけど、どれくらい若いと思ってたの?」

  当主は濡れた拭き布片手に、ポリポリと頬をかく。

  それから布を持った手で、おちんちんを下からふにふにと掴まれた。

  「風呂で、下の毛が無かったからな。夜尿症が治らないと言っていたし、飾り毛も生えない子供かと……」

  「ええー……。これは娼館に居た時、衛生管理で剃られて、そこから生えてこなくて……」

  「薬効。自然に生えてくるとは思うが、体質かもしれないな」

  喋りながら、背中、お尻と拭き取られ、体がひくんと反応した。

  「様子見。おむつの衛生面からも、生えてないほうが助かるのだが」

  「子供っぽくて嫌なんだけどなー。でも、当主様がそう言うなら」

  「制定。可愛らしいし、僕もそっちのほうが好きだ」

  陰毛が生えていないのは、いいとして竿のサイズについては言及が無かった。

  何の違和感も無かったってことは、毛も生えない歳で、納得してたくらいのサイズってこと?

  カサカサ……

  ベッドの防水帆の上に、紙おむつが広げられる。

  「今日からは日中もつけてもらう」

  「え、ぇ……」

  「予防線。お漏らしも再発してきたからな。改善が見られれば、またトレーニングパンツに戻す」

  「子供じゃないのに……」

  「方針。それは分かったが、お漏らしが治るまでは、当面の間、扱いは変えんぞ」

  「うう……」

  それに、この家には、本家の使用人たちも出入りしているのだ。

  昨日の今日までおねしょのお子様扱いだったティオが、急に成人として扱われるのも不自然という話だ。

  「さ、ごろんして」

  「……うん」

  大股を開いてベッドの上に仰向けで倒れた。

  おなかとおちんちんが無防備に広がって、やっぱり恥ずかしい。

  ぺりぺりと粘着紙が引っ張られ、股間がふっくらとした大きなおむつに包まれる。

  クシュ……クシュ……

  分厚い吸水紙におちんちんが押し付けられ、ちょっとだけ押し付けられうる感触が伝わる。

  「完了、動きにくいところはないか?」

  「うう……無いよ」

  上体を起こしながら、唇を尖らせる。

  「お漏らしが治るまで、当面の間だ、不機嫌にならないでくれ」

  「うう、ズボンは?」

  「大きな下着だし、漏れたらすぐに替えたいから……その……」

  「ええっ……」

  日中もずっと、おむつ丸出しで過ごせという話だ。

  考えただけでも、顔が熱くなる。

  「埋め合わせではないが、今日から別の服を着てもらうぞ」

  「え?」

  「手を上げて」

  するすると寝巻の上着が取り払われ、おむつ一丁にされる。

  「ほら、こっちだ」

  シャツと、その上から裾の広がった、厚手の上着が通される。

  首と手元がゴムで絞られた幼児向けの作業着、スモックを着せてもらった。

  「……んん!」

  もちろん、下半身はおむつ一丁のまま。

  こっちもこっちで、見るからに幼児服だから、恥ずかしさは何も変わらない。

  「それから……。一つ、大事なお願いがある」

  アルヴェインが、ブリキのじょうろを手渡してくれた。

  ガラスで付いた手の傷は、今ではすっかり癒えている。

  「これっ!」

  「それから、温室の鍵だ。無くさないように、首から下げなさい」

  革ひもで括られた真鍮の鍵を、ネックレスのように首からかけてくれた。

  「今日から、仕事を頼めるかな」

  「もちろんっ」

  主人に手を引かれて、ベッドから立ち上がる。

  淡い青色のスモック、おむつ一丁のお尻は丸見えで、首から大きなカギをぶら下げ、ブリキのじょうろを大事そうに抱えている。

  幼児のお手伝いのような恰好だが、ティオにとっては大きな前進だった。

  「さあ、まずは朝食だな」

  生き生きとしていた顔が、一瞬で真っ赤になる。

  「こ、この恰好で……?」

  「当然」

  二人で朝食を済ませると、ぽつぽつと屋敷の中に人の出入りが増える。

  女中さんたちが、クスクスと笑いながら遠巻きに眺めてくる。馬鹿にされている感じはしないが、子供扱いがさらに加速したみたいで、また顔が熱くなる。

  「じゃあ、俺、温室に居るね」

  食堂から廊下を歩いて、書斎でアルヴェインと別れる。

  「ああ。何かあったら、すぐ呼ぶように」

  「うん」

  「それと、大事な仕事だ。君にお願いするよ、ティオ」

  「もちろんっ」

  ティオはじょうろを軽く持ち上げて答えると、てくてくと廊下を歩いて、書斎の前を後にした。

  温室は屋敷の裏手にあって、日当たりのいい庭に面しているので、廊下も暖かいし風通しも良い。

  今日は天気も良くて風も気持ちが良いが、同時に丸出しの下着がすーすーして、ちょっと落ち着かない。

  温室に向かう途中、出入りしている使用人の中に見知った御者を見つけた。

  「お、おっちゃん」

  おむつ丸出しの恰好が恥ずかしかったが、初日から世話になった御者のおっちゃんには、きちんと、お礼が言いたかった。

  「おや、坊ちゃん……また、お漏らしですかな?」

  「これは……その、あんまり見ないで」

  「これは失敬。使用人が屋敷の者をじろじろと見るなどと、礼儀正しいとは言えますまいな」

  おっちゃんは優雅に笑うが、ティオは顔を真っ赤にして、頬を膨らませる。

  何も言ってこないってことは、ティオの実年齢まで知っているのは、さすがにアルヴェインだけのようだ。

  「あの、この前はありがと」

  「はて? なんのことですかな? そういえば今朝、近所の娘に焼き菓子をもらいましてな」

  ごそごそと、小さな包み菓子をくれた。

  「この前、アルヴェインも、同じお菓子持ってた」

  「不思議なことが、あるものですな」

  ティオは、もらった菓子をスモックの胸ポケットに入れた。

  「そんでさ、おっちゃんのおかげで、ほら」

  自慢げに、ブリキのじょうろを掲げて見せる。

  「なんのことやら? 手伝いでしたら、お怪我だけは、お気をつけて。特に、ガラス細工ですな」

  「ほ、ほんとに、ごめんなさい」

  「あのフラスコは、兄上からの贈り物で、名ばかり研究者に無用の長物でしたからな。無くしたところで、困りませんでしたでしょうな」

  「えっ!?」

  御者のおっちゃんは、慌てた顔を一瞬だけ見せて、いつもの飄々とした態度に戻った。

  「口が滑りましたな。さて、私共には仕事がございますからな。また後程」

  「あ……うん、ありがと。ほんとに、えっと……助けてくれて、ありがとう」

  「屋敷に口を出さないことは、使用人の美徳と申しますがな。それ以上に、屋敷を円滑に管理することこそ、使用人の本懐でありますからな」

  おっちゃんは背筋をピンと立たせて、スタスタと廊下を歩き去って行った。

  「うーん……恰好良い」

  アルヴェインも恰好良いけど、それとは違う魅力が、その背中にはあった。

  他人に惚れるなんて感情も、この屋敷に来てから初めて知る感覚だった。

  「おっと、仕事」

  じょうろを両手で抱えて、ティオは温室に向かった。

  おむつ丸出しのせいで、道行く人から遠巻きにクスクスと笑われ、また唇を噛んだ。

  知られていない実年齢はさておき、昨日までトレーニングパンツだったのに、今日からおむつに格下げされているのは事実な訳だからな……

  クシュ……クシュ……

  日中もおむつ着用に落とされたお坊ちゃんは、顔を赤くしながら、いそいそと温室へと駆け込んだ。

  カチャリ……

  首から下げた真鍮の鍵を回し、ガラスドームの大きな部屋に入る。

  午前中に温室へ入るのは初めてのことだった。天井のガラスから見える空模様は快晴で、まだ涼しい朝の空気が、少しずつ熱を帯び始めるころだった。

  「よしっ」

  胸いっぱいに空気を吸い込んで、意気揚々と仕事に取り掛かる。

  まずは、井戸から水を汲んで、水桶に水を足す。いくつかの植物は一年中水の上で育つと言うから驚きだ。

  それからじょうろに水を入れて、一つ一つの鉢を丁寧に見て回る。元気そうな鉢は特に触らず、いつも通りに水をやっていく。あまり元気がなさそうな区画は、水のやりかたを変える。どう変えたかは記録して、後でアルヴェインに渡す決まりだ。

  「宵待散草から……えっと、なんだっけ。高原の赤爪草……までの間、水の頻度を下げる。土が乾くまで待つ。日付……5の月って、どうやって書くんだっけ?」

  悪戦苦闘しながらも、すべての鉢の様子だけは事細かに見て覚えておく。

  「そろそろ、お昼時でございますな」

  温室に御者のおっちゃんの声がかかる。

  「あれっ? おっちゃん?」

  いつの間にか日が昇って、昼食が用意される時刻になっても、半分くらいも済んでいなかった。

  まだまだ、仕事には慣れない。

  食堂には先にアルヴェインが居た。それから、普段は使用人とは別に二人で食事をするのだけど、この日は珍しく御者のおっちゃんが招かれてた。

  ティオはアルヴェインの隣に呼ばれ、おっちゃんは向かいに座る。奴隷の分際で偉い人が座る席に座らされ、なんだか居心地が悪い。

  おっちゃんは食卓を囲みながら、普段の落ち着いた態度を崩さない。

  「仲良くないのかな?」とティオが口に出すと、「まさか」と、アルヴェインが否定する。

  おっちゃんは、「主人と使用人と言うものは、そういうものですな」と、軽くいなす。

  後から教えられたのだが、特定の使用人と仲良くし過ぎると、他の使用人たちとの仲にも関わる。とのことだ

  うーん。貴族も大変なんだな……。

  料理が運ばれ、温野菜のスープと、魚介の練り物、バゲットが少々。

  「焼き菓子の礼だ。それと日頃、感謝している」

  アルヴェインが暗褐色の瓶を空け、中身を対面のグラスに注ぐ。

  「おやおや、身に余る光栄ですな」

  「何それ?」

  ティオがいつもの好奇心で、主人に聞く。

  「果実酒だ。エルメリアのノーザンコートから届いた品だ。少しくらいなら、君も飲むか?」

  「え? ええっ!?」

  思わぬ提案にティオが面食らう。主人と、ついでにおっちゃんの顔をちらりと見る。

  「褒められたものではありますまいが、私も坊ちゃんくらいの年頃には、少しくらい飲んでみたものですな」

  ティオのグラスにも、お酒が注がれた。

  芳香を漂わせる液体を、生まれて初めて口にする。

  「飲みすぎるなよ」

  アルヴェインがさらりと言ったあと、慌てて「いや、供されたぶんは飲みたまえ。酒の飲み過ぎは具合が悪くなる」と、言葉を繋げる。

  「坊ちゃんは、一杯だけにしたほうが、よろしいでしょうな」

  御者も同意した。

  クピッ

  グラスの中の液体が、鼻の奥を熱く突き抜ける。

  飲み込んだ途端、口から喉へ、そして腹の底から、熱い感覚がじんわりと広がった。

  初めての感覚に、一瞬だけ頭がクラクラと揺れる。

  「お、お酒……これが……うえっ……」

  嫌な思い出が脳裏をかすめて、一瞬えずく。娼館で嗅いだ匂いだ。あれが、お酒だったのか……。

  隣で屋敷の主人が丸い目を見開いていた。

  「心配。体調が悪くなったら、僕に言え」

  「だ、大丈夫だけど、俺、あんまり好きじゃないかも……」

  おっちゃんは快活に笑い、「坊ちゃんには、まだ早かったですかな」と言った。

  「下げてもらうか?」

  心配そうな顔で覗き込んで来るので、ティオは慌ててグラスをあおった。

  グビグビッ

  「大丈夫。飲めるから、飲めるけど……二杯目は……」

  「無理をするな。とにかく、水も飲みなさい」

  お酒くらい平気なところを見せたかったのに、当主の顔が余計に心配そうに染まる。

  「若い経験ですな。私の頃などは、もっぱら酒精の強い荒れた酒で、使用人仲間が目を回していたものでしたな」

  お酒のせいか、おっちゃんの表情が、いくらか上機嫌に変わっていた。

  「ティオ、もう酒はやめておきなさい」

  「うえー、そうする」

  お酒を飲んでみたところで、ちょっと背伸びした子供みたいだ。

  一皿目が終わり、ティオが、ちょっと食べたりないなー。と思っていると、ふんわりと焼けた魚のステーキが出てきた。

  「なんで?」

  「午餐会だからだ。言ってなかったか?」

  「何それ?」

  コース料理と言うらしい。色々な食べ物が、それぞれ食べ頃になったタイミングで出される。

  「坊ちゃん、かく言う私も初めてでしてな。驚きのあまり、椅子から転げそうですな」

  おっちゃんは軽々と言うが、多分初めてじゃない。

  ふたりはお酒のグラスを傾けながら、美味しそうに魚料理を食べる。

  少し羨ましく思ったが、今のティオには、お酒を飲めるようになるイメージがまるで湧いてこなかった。

  「坊ちゃん、魚の骨に気をつけなさいな」

  「あ、はい」

  おっちゃんに注意されて、少し気まずい気分になる。慣れてきたとは言え、奴隷が使用人に心配されるなんて、おかしい。

  「そういえば、今朝ほど、じょうろを持ったお手伝いの子供を見かけましたな」

  「仕事。ティオには、朝の水やりを頼んでいる。」

  「良いものですな。仕事は辛いものですが、悪いことばかりでは、ありますまい」

  「教訓」

  「大切なヒトに、必要とされないのは、誰しも辛いですからな」

  おっちゃんがグラスを揺らしながら、にっこりと笑顔を見せる。ティオも満面の笑みで返した。

  魚料理が終わると、さらにしっとりと赤身が焼かれた獣肉のステーキが出てくる。

  「まだ出るの?」

  最初の皿でバゲットを多めに平らげたこともあって、ティオの腹がちょっと張っていた。

  「これがメインだが、食べられるか?」

  「食べる!」

  赤身の大きなステーキが、食欲をそそる。

  ぱくっと一口。噛んだ瞬間に脂がじゅわっと広がって、香草と香辛料の風味が口いっぱいに広がる。

  「うまっ!!」

  思わず声が漏れる。口の中で溶けるような柔らかさで、鼻をくすぐる香草の香りがさらに食欲をそそる。

  「こんなの初めて食べた!」

  「私もそうですな。坊ちゃん」

  美味しそうに食器を動かす二人を見て、アルヴェインが微笑む。

  「そうか、レアの香草焼きは初めてか」

  ティオは夢中になってステーキを平らげていく。

  ちょっと、お腹が苦しい?

  皿が片付いた後に、デザートが出てきた。季節果実のが美しく並ぶ。

  「何個出てくるの!」

  「これで、最後だが、本当に大丈夫か?」

  「食べるっ」

  ティオにとっては生まれて初めてのお菓子だった。

  糖蜜で艶めく蜂蜜色のゼリーと果物は、ふんわりと甘い香りと、瑞々しい酸味が交互にやってくる。

  美味い。

  色んな美味しいものが出てきて、目を回しそう。

  いや、目が、回る……

  「ティオ。大丈夫か?」

  「なにこれ、苦しい。目が回る……」

  隣でおっちゃんが大笑いした。

  「食べすぎに、飲み過ぎですな。焼き菓子のジュレは蜂蜜酒でありましょうから」

  食べすぎって何?

  飲み過ぎって……?

  頭がゆらゆらする。気持ちいいけど、お腹が苦しくて、体が浮かんでるような……

  「ティオ、本当に大丈夫か?」

  「大丈夫ー、大丈夫ー」

  ヘラヘラと笑って、視界がゆらゆら揺れる。

  向かいの席でおっちゃんは大笑いだ。

  「アルヴェイン様は、心配しすぎですな。この程度なら、ただの酔っ払いでありましょう」

  「うへへー」

  苦しいけど、楽しいー。

  気持ちいいー。

  頭がフワフワしてるー。

  「心配……」

  「アルヴェイン様は、昔から神経質でしたからな。いい薬になりましょう」

  ティオが、フラフラになったので、間もなく午餐会もお開きになった。

  「うへー、苦しいー」

  ティオはアルヴェインによりかかり、ほとんど抱きついた格好で廊下を歩く。支える当主は気もそぞろに、抱き寄せてくる。

  「大丈夫か? ティオ、吐き気は?」

  隣を歩くおっちゃんの顔も、いつもより赤い。

  「まったく……気を回しすぎですな。もしや温室の草木も、水をやりすぎて腐らせておりますまいか?」

  「うぐ……図星。あれは、そのせいだったのか……」

  「何でも世話を焼くだけでは、育つものも育ちませんからな」

  「良薬。学ぶとしよう」

  酔っ払って、ティオは当主の首元に強く抱きつく。「うへへ……」と嬉しそうな笑みを浮かべた。

  「すっかり好かれておりますな。あのアルヴェイン様が、素敵な弟君を持てましたな」

  「そうだな。私の身に余る光栄だ」

  「本家には、このような、ごきょうだいは、おりますまい」

  二人とも少し赤い顔で、どうやら本家の話をしているらしい。

  「休憩。午後の予定は、すまないが……」

  「うけたまわりましたな。坊ちゃんも、寝かせてあげたほうが、良かろうですな」

  ポンポンと頭を撫でられ、ティオは顔を上げる。

  「あー、おっちゃん」

  「坊ちゃんも、アルヴェイン様と、良い家族になれそうですな」

  ニコニコと気さくな笑顔を見せる。ティオもヘラヘラと笑うが、飛び出した言葉は本音だった。

  「家族なんて、無理だよー。でも、アルヴェインは大好きー。大好きなご主人様ー」

  抱きついた腕をギュッと締めると、白いシャツ越しに、温かい体温が伝わる。

  「手強いですな。ですが、奴隷の話はご内密にするべきでは、ありますまいか」

  「へーい」

  おっちゃんは上機嫌で立ち去り、主人の代わりに、あれこれと小さな指示を女中たちに飛ばしていった。

  頼もしい背中を見送って、アルヴェインが、一人呟いた。

  「家族なんて無理……か」

  「うえっ? なんか言ったの?」

  アルヴェインは、ティオを抱きかかえながら、彼の寝室に移った。

  扉をあけると、清潔に整えられた室内が迎え入れてくれる。女中たちが手を回して、先にベッドメイクを整えてくれたらしい。

  いや、今日の午餐会は事前に予定されていたものだ。ティオが酔いつぶれたときを見越して、手配した使用人が居たに違いない。

  手際の良さと女中に支持できる立場からも、当然のように察しがつく。午餐のゲストには、まだまだ頭が上がりそうにない。

  酔いつぶれた奴隷を抱きかかえて、布団まで連れて行く。痩せ気味だが、筋肉はがっしりしているので、なるべくなら自分で歩いてもらいたい。

  「ティオ、ベッドだ。寝なくてもいいから、座っておいたほうが、体も休まる」

  「うへへ……うっぷ」

  「吐き気は? 今、水を持ってきてもらう」

  廊下にでて、女中の一人に、水と吸い飲みを頼んだ。

  「意識ははっきりしているか? 何か要るものはあるか」

  「うへへへ……あるー。こっちきて」

  「何だ? すぐに行く」

  ベッドの縁に座ると、ティオが首元に抱きついてくる。

  「アルヴェイン、ここに居てー」

  前のめりに肩を掴んで、突き出したお尻には、大きなおむつが見える。

  「どうした? 何か要るんじゃないのか?」

  「んー、アルヴェインが要る。居てくれないと、気持ち悪くて吐いちゃうかも」

  酔った勢いもあるだろうが、最近、ティオは甘えるために嘘を言ってるんじゃないか気になってくる。

  勿論承諾するが、嘘などつかずに、甘えてくれればいいのに。

  「承知した。気分が優れなかったら、すぐに言ってくれ」

  突き出したティオのおむつのお尻をポンポンと叩いて、ベッドの上にあぐらをかかせる。自然と股が開くので、お漏らししても気づきやすい。

  背中手を回して肩を抱くと、頭を胸元に寄せて抱きついてきた。

  「仕事、ごめんなさい」

  「聞くが、何の話だ?」

  「えっと、温室。水やり、お昼まで終わらなかった」

  「何だ。初日に全部の仕事を終わらせてどうする。少しずつ片付けるものだ」

  「えー?」

  「残務。毎日、温室に行くのだろう。時間をかけて取り組むと良い」

  「うん……」

  ティオが甘えた顔で、胸に顔をうずめてくる。アルヴェインは優しく受け止め、背中を撫でてあげた。

  控えめなノックとともに、銀色のトレイに、陶器のピッチャーと吸い飲みが用意される。先端が細く、ストローのように中身を吸い上げることができるコップだ。

  ピッチャーの水を細くて小さな器に移して、飲み口をティオのに近づける。

  「水。飲んでおいたほうがいい」

  「うん。コップ……どれ?」

  「吸い飲み。見たことないのか。ここに口をつけなさい」

  「んっ」

  唇をすぼませて、吸い飲みに口をつける。

  容器を傾けてやると、ティオがチュウチュウと中身を吸って、水が彼の喉を通っていく。

  肩を抱かれて飲み口に吸い付く姿は、子供を通り越して、布に吸わせた乳を飲まされる赤ん坊のようだ。

  「気分は?」

  「うん。大丈夫ー。もう苦しくない。ふわふわしてるだけー」

  神経質な屋敷の主人は、やっと胸を撫で下ろす。

  「もう一口。水は多めに飲むほうが良いと、女中から聞いた」

  ピッチャーから再度水を移して、口に近づける。

  「んっ」

  乳房に吸い付く赤ん坊のように、吸い飲みに口をつける。水を飲む間、アルヴェインは肩を抱き寄せ、背中を優しく撫で続けた。

  胸元のティオは満面の笑みで、主人の首元に抱きついてくる。

  温室での一件からか、時折、かなり大胆に甘えてくるようになった。普段は節度を保っているものの、本心は、もっと甘えたくて、酔った拍子に表に出たのだろう。

  酔った拍子。

  多分本心だったからこそ、あの言葉が、アルヴェインの胸に刺さる。

  家族なんて無理。

  分かっている。兄姉に変わる家族を欲したのは、僕のエゴイズムだ。

  兄上から送られたフラスコを代償に、ティオがどうなりたいかは、先日聞けたじゃないか。

  じゃあ……

  僕は、どうなりたいのだろう?

  チュッ

  吸い飲みの水が無くなり、ティオが口を離す。

  「まだ飲むか?」

  「んんー。これ以上は、苦しくなりそう」

  濡れた唇で、胸に顔を埋めてくる。酔ったティオが、ここまで甘えん坊だとは思わなかった。

  アルヴェインは少し戸惑いつつ、肩を抱いてやる。

  「ティオ、眠くはないか?」

  「んーん、全然。むしろ元気だよー」

  まるで離れたくないといったように、強く抱き着いてくる。アルヴェインは微笑みながら黒豹奴隷の頭を撫で、子供をあやすように背中をトントンと叩いてやる。

  胸に顔を埋め、ゆっくりと息をするその呼吸が、彼の安らぎを物語っている。

  シャツに埋めた顔の、酔った瞳は潤んでいて、無垢な子供のようだ。

  「アルヴェイン、起きてる?」

  「ああ、起きている」

  「んふふ」

  嬉しそうに笑うと、胸元に頬を擦りつけた。

  「俺、怖い」

  「何故?」

  酔いのせいで口が軽くなっているのかもしれない。

  「どうしてだろ? いつか、全部なくなっちゃう気がするんだよ」

  「何故? どうして、そう思う?」

  突然の告白に驚きつつも、怖がらせないように尋ねる。

  「んー、分かんない」

  名残を惜しむように、もう一度顔を擦りつけて、大きく息をしている。

  肩を抱いてやると、ぷるぷると小刻みに震えていた。

  「ティオは、水は、もういいな」

  「……ん。いな……ない」

  気づけば、口調も少し震えている。

  「お、おしっこは?」

  「んんー。分かんない?」

  言いながら、胸元にうずくまるように、肩をぴたりと寄せていた。

  おむつ丸出しの下半身は、もじもじと落ち着きがない。

  「おまる。あ、僕の部屋だな。歩けるか?」

  「んー」

  ティオは抱きついたまま動きそうもない。

  せっかく、好きなだけ甘えているのだから、無理やり連れ出すよりは、このまま漏らしてしまっても、いいか。

  「ティオ、あんよ広げて」

  「んっ」

  足を開いて、腰を突き出し、素直におむつの股間を見せてくれる。

  アルヴェインは指を太ももの隙間に入れて、ギャザー立ててやる。それから前部の吸水部を掴んで、おちんちんをしっかり包んでいることを確かめた。

  クシュクシュと柔らかい布地の向こう側に、張りのあるティオの雄があることを確かめる。

  「間に合わないなら、このまま、しーしーしなさい」

  「あぅ……ん……」

  胸元で甘えてくるティオの後頭部を、優しく撫でてやる。

  「しーしー、出ないかな?」

  「んっ……あっ……」

  優しく頭を撫でながら、おむつの上から彼のおちんちんポンポンと叩く。何度も繰り返しているうちに、徐々に震えが強まってきた。

  「しーしー、しーしー」

  「んっ」

  ショロッ……

  おむつの向こうから、おちんちんがプルプルと震えて、じわじわと、おしっこが流れ始めた。

  「しーしー出てきたね。漏れちゃうから、じっとしてて」

  「んっ……ふー……」

  涙目になりながら、力尽きたように、だらりと寄り掛かってくる。

  ショロロロロ……

  おむつを掴んだ手には、布地の中に水が跳ねる感触が伝わる。

  「素晴らしい。素直に教えてくれて、ティオは良い子だ」

  アルヴェインは、怖がらせないよう、できるだけ褒めるように優しく頭を撫でる。

  「あう……」

  ぼんやりとしながらも、恥ずかしがっているのか、ティオの顔は真っ赤に、染まっていた。

  ショロ……ショロ……

  おむつの中に、じわじわと熱い液体が溜まっていく感触がある。

  「漏れてない。大丈夫。このまま出して良いぞ」

  「ん……」

  おむつ全体が温かくなり、手の中でずっしりと沈み始める。

  グシュグシュ……

  ギャザーは、ちゃんと機能していたらしく、揉みしだいてもおしっこが漏れる気配はない。

  「全部出たかな?」

  「ん」

  ポンポンとおむつの上から、おちんちんを軽く叩く。

  もう一度、チョロッとくぐもった水音が返った。

  「今日は、僕の失態だ。果実酒の一杯くらいと、低く見積もってしまった。今日の午後は休暇と、家人にも命じた」

  「休暇……かあ」

  すとん、とベッドに腰を落ち着ける。

  「ああ、臨時休暇だ。どんな仕事場にも休暇くらいはあるだろう。ティオも休みなさい」

  「はあい」

  酔っているのか、聞き分けが良いのか、また瞳をとろんとさせて、アルヴェインに寄りかかってきた。

  「さ、ごろんして」

  「ん」

  ベッドの上に仰向けにさせ、両足を開くよう指示する。

  ベリベリ……

  粘着紙を外し、おむつのサイドステッチを破った。

  グシュ……

  おしっこで濡れてまだ暖かいおむつを開く。しっかりとした筋肉質なティオの体から、可愛らしいサイズのおちんちんが、ぷるぷると揺れている。

  「拭くから、じっとしてなさい」

  「……ん」

  おへそから鼠径部へと手を滑らせ、くにくにと弾力がある股間を、躊躇なく摘まむ。

  指先でコロコロと鈴口を転がし、皮を剥いてい内側も拭き取る。ティオの股間は、ふっくらとしてそれなりに重みを持ちながらも、ひくひくと揺れるだけで勃起する様子も無く、ぺたりと指先の間に収まっていてくれた。

  「良い子、良い子」

  寝転んでいる黒豹の顔を撫でてから、代わりのおむつを広げる。

  「お尻」

  「んっ」

  すっかり素直に、おむつ替えに応じてくれるようになった。新しいおむつで、ティオの股間を包み込む。

  可愛い包茎が、ベッドに沈み込むように、おむつの給水部に包まれていった。

  「おやすみ、ティオ」

  「うう……」

  まだぐるぐると目を回したティオが、危なっかしい動きでベッドへ横たわる。

  上着はまだスモックを付けていたことを、ここで思い出した。

  「上だけ、脱がせるよ。手を伸ばして」

  「はあい」

  スモックを脱がせ、おむつ一丁のすっぽんぽんにする。黒いがっしりとした体に、子供らしいおむつが、いかにもアンバランスだ。

  服を脱がせてベッドに寝かせると、裸のまま寝息を立て始めたので、そのままゆっくり、毛布を掛けてやる。

  「おやすみ、ティオ」

  寝顔に言い残して、主人は部屋を後にした。

  その日の深夜、すっぽんぽんでおむつ一丁の恰好で、ティオは目が覚めた。

  辺りはしんと静まり返り、使用人たちが全員帰った後の時間だと分かる。

  「ずいぶん寝ちゃってた……」

  お酒の力もあって、中途半端な時間に寝付いてしまったため、目が冴えてしまう。

  クシュ……

  アルヴェインに脱がされたのだろうか。おむつ以外、なにも身に着けていない状態だった。

  まだ起きてたら、上着くらい着せてもらう。

  そう思って、ティオは寝室を出た。もちろん、鍵はかかっていなかった。

  トフトフ……

  毛の長いカーペットの上を、はだしで歩く。

  大きな紙おむつのせいで、脚はがに股歩きにされ、お尻が大きく揺れる。誰も居ないとは言え、さすがに恥ずかしい。

  コンコン……コン

  主人の部屋をできるだけ静かにノックしてみるが、返事は無い。

  もう寝たなら、起こすのは悪いな。

  部屋に戻ろうと廊下に戻ったところ、二人の寝室がある二階廊下の窓から見て、一階のほうから光が漏れていることに気づいた。

  だれかがランプを持って、この屋敷をうろついているようだ。

  身構えながら、光の先を追っていくと、暗いシャツを着たアルヴェインの姿が見える。

  何かを、運んでいる。

  大きさは人間大。むしろ、人間そのものを担いでいるように見える。

  アルヴェインらしき人影は、そそくさと屋敷の奥へと消えた。慌てて、ティオも背中を追う。

  温室に向かう通路の隣、小さな扉が開いていることに気づいた。

  いつもは温室ばかりに気を取られていたが、ティオはこんなところに扉があることすら知らなかった。中を覗き込むと、奥へ続く階段になっている。

  月の光も通さず、ひときわ薄暗い階段が、闇へ向かってぽっかりと空いていた。

  「あ……アルヴェイン?」

  恐る恐る声をかけてみるが、返事は無い。

  向かい側から風が通り抜けるので、反対側に抜け道があるらしい。

  「んっ」

  意を決して、階段を下へ、下へと進んでいく。

  月光が届く距離を超え、視界が真っ暗になったあたりで、何か道具を持ってきたほうが良かったと後悔し始めた。今のティオはおむつ一丁の他、何も身に着けていない。

  それでも手の感触を頼りに下っていくと、反対側にランプの光が見えた。

  通路の先には、奥まった部屋があるらしい。

  恐る恐る、ティオは中を覗き込む。

  空から垂れ落ちるような、重たい闇の中に、ぽっかりと置き忘れた魔法式のランプが落ちている。

  その淡い光が、異様な部屋を映し出した。

  おびただしい量の、死体。

  見たことのない生き物たちの、腕や頭が積み上げられていた。

  海の向こうの生物だろうか。

  一本角がついた草食獣の頭蓋骨、片側だけ肥大した大きな牙をもつ怪物、腕が三つある樹上生物の剥製。

  どれもが異様で、現実味の無い姿をしていた。

  入口のすぐ手前、比較的埃の少ない場所に、人間大の人影が見えた。

  「あ、アルヴェイン……」

  かすれた喉を鳴らすような、ほとんど聞き取れない声を絞り出す。

  直立したまま固まったそれは、確かにヒトの姿をしていた。

  ピクリとも動かないヒトの剥製であった。

  反射的に、喉がひゅっと鳴った。

  しかし、その剥製の頭頂部にはヒトならざる、まっすぐな角を持つ。

  こんな種族、見たことない。

  パッと見たところは普通の生き物のように見えるが、自然界に居るとは、にわかに信じがたい異形だらけだ。

  暗闇に目を凝らし、もう一度空間の全体像をとらえる。

  すると、部屋に散乱する、骨格標本、剥製、体の一部、ありとあらゆる死体が、一つの共通点で結ばれてくる。

  ここは、異形の死体置き場だった。

  「あ……」

  ティオがずっと抱き続けていた疑問が、また、もうもうと体の中で再燃し始める。

  御者のおっちゃんは、名ばかり研究者などと言っていた。じゃあ、なんでそんな研究者を、本家は軟禁しているんだ?

  異形の死体、買われた安い奴隷、夜中には誰も居ない屋敷、アルヴェインが抱えていた、人間大の影……あるいは、死体。

  背筋がぞわぞわと泡立っていく。

  人体……実験……?

  「あ、あ……」

  カタンッ

  部屋の奥から、誰かが動く音がした。

  床にへたり込みながら、反射的後ずさりした。ずりすりと部屋の入口にたどり着く。

  風はびゅうびゅうと部屋の奥から入り込んできている。こっちが風下なら、多少の音なら、あっち側には聞こえてないはず。

  探りで廊下を探り、そのまま一直線に駆け上がった。

  真っ暗闇を壁にぶつかりながら駆け抜け、息が切れ始めたころ、青い月光の下に転がり出た。

  奥歯をガタガタ言わせて、おむつ一丁のまま、小走りに自分の寝室へと駆け抜けた。

  扉を閉め、へたり込むと、おむつの下から、ショロロ……と小さく漏れる音と、温かい感触が伝わる。

  何だったんだよ……あれ?

  怖くて腰が抜けてしまい、立ち上がれなくなってしまった。

  扉の向こうには、誰かが歩く音が、近づいてくる。

  アルヴェインが、帰ってきた。

  扉にもたれかかり、必死に息を殺す。奥歯がガタガタ鳴って、呼吸に嗚咽が混ざる。

  足音は、少しずつ近づき、ついにティオが居る扉の前まで来た。

  コツン……コツン……コツン……

  そのまま足音は過ぎ去り、隣の部屋のドアが開く音がした。すなわち、アルヴェインの部屋だ。

  扉が閉まり、二人きりの屋敷に、また静寂が戻る。

  隣の部屋。

  やっぱり、あの人物は、アルヴェインだったに違いない。

  じゃあ、なんで、あんなにたくさんの死体……それも、異形の死体を?

  ティオは、そのまま一睡もできないまま、床にへたり込んで朝を迎えた。

  夜が明けて、普段と何も変わらない様子で、主人は彼を迎えてくれた。嫌な一つ顔せず、お漏らししたおむつを替えてくれる。

  温室脇の扉は石壁に戻り、どこが階段だったのかも分からなくなっていた。

  おそらく、隠し扉だ。

  アルヴェインは、何も言わない。

  いつも通り、優しく丁寧に、子供扱いして、ティオに接してくれる。

  そしていつも、自分の話は、何も言わなかった。

  いまさらになって、やっと思い出した。

  自分が、何も知らないことを。

  アルヴェインが、どうしてここに住んでいるのか?

  アルヴェインが、ここで何をしたいのか?

  そして、アルヴェインが、なぜ、俺を買ったのか?