前編

  『この国の片田舎』なんて表現をした場合、思い浮かべるのは個人商店が潰れ、建売の新築ばかりがぽつぽつと増殖していく様を差すだろうか?

  郊外にやたらめったら巨大な複合施設が出来て、車社会特有の煩雑な渋滞が慢性化している様を差すだろうか?

  それは田舎でも幾分もマシな部類だろう。

  何故ならここは、そんな場所とは似ても似つかない程に長閑でなにもない。

  その村、蟲産女村(むしうぶめむら)はお察しの通り、マシじゃない方になる。

  少なくとも、そう思ってやまない少女が一人居た。

  「あー……あつい」

  白いセーラー服に青いリボン、画像検索すればすぐに出てくるような制服に身を包んだ少女は、今日何度目とも知れぬため息を吐いた。

  彼女の名前は、胡桃沢真琴(くるみさわ まこと)という。

  生まれも育ちもこの村で、両親は村役場で働いている。

  だからと言って、この村の事が好きかどうかと言えば、そういう訳ではない。

  真琴にとってここはただの通過点であり、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

  バスは一日午前と午後の二本しか通っておらず、当然の如く往来は極端に少ない。

  そもそも、他所から観光に来る人間もめったにいなければ、公共交通機関を使って外出するのは老人か免許のない子供くらい。

  それもそのはず、この村には娯楽施設はおろかスーパーすら存在しない。

  あるのは小さな郵便局とコンビニ未満の個人商店だけ。

  娯楽はないので子供の数はそこそこ多いが、焼け石に水程度だろう。

  結果、せっかく出生率は国内でもマシな方なのに若者は職と娯楽を求めて都会へ出て行ってしまう始末だ。

  だから、この村に一生いるなんて人間は余程の変わり者かよっぽどの馬鹿だけだと真琴は思っている。

  そんな村にわざわざ移住してくる人間なんて、本当に稀だった。

  真琴は住民が勝手に作った、ひさし付きのバス停のベンチに座っていた。

  バスは勿論来ない。

  この、湿度をはらんだ強烈な日差しを避けるのと、待ち合わせの時間まで暇つぶしをしているだけだった。

  「ふぁ……」

  欠伸が出る。まだ午前中だというのに、既に気温は高く汗ばんでいる。

  ニオイは大丈夫だろうか?制汗スプレーをしてるとはいえ、気になってくる。

  (早く来ないかな……)

  ぼんやりとした頭で彼女は考える。

  別に待ち合わせている相手というのは同性の友達ではない。

  ただ単に、同じクラスにいる男子生徒である。

  それだけの事なのだが、どうしてこうもそわそわしてしまっているのか真琴には分からなかった。

  手持ち無沙汰だったので小説を取り出してパラパラと読み始めたその時、その答えはすぐに出た。

  遠くから足音が聞こえる。

  「おはよう」

  少年は片手を挙げて挨拶をする。

  彼は名を、上野和馬と言った。

  「ん」

  真琴は小さく返事をしただけで立ち上がる素振りを見せない。

  その事に違和感を覚えたのか、和馬が首を傾げる。

  「あれ?なんか怒ってる?」

  「別に。暑いだけ」

  ぶっきらぼうな口調だが、これがいつもの真琴だと知っているので和馬は特に気にはならない。

  むしろ、少し微笑ましくさえあった。

  「じゃあ行こうか」

  そう言って歩き出す二人の目的地は学校の図書室だ。

  図書館なんてない、お金も足もない子供達がある程度集まれて冷房が効いている場所に行くために汗をかく。

  なんとも本末転倒な話ではあるが、彼女らにとっては日常茶飯事なので今更誰も気にはしない。

  上野和馬は、この村で言う稀な人間であった。

  この村の、唯一とも言える産業である漢方の材料の研究でやってきた製薬会社勤めの両親と一緒に中学の時に引っ越してきた、正真正銘の他所の人間。

  しかも、村の子供達とは違い勉強熱心で成績も優秀、運動神経も良くて性格も良い、絵に描いたような優等生である。

  初めは、監視と案内役も兼ねて真琴が一緒に行動していた。

  それが今ではどうだ、真琴の方が彼に世話になっている始末だ。

  「そういえばさ、最近ずっと本を読んでるよね」

  ふと、思い出したかのように和馬が尋ねる。

  「うん、まあね」

  真琴は少し照れ臭そうに答える。

  「何読んでるの?」

  「小説。……恋愛もの」

  「へー、意外だね」

  真琴はけして恋愛小説を読むような性格の少女ではなかった。

  しかし真琴はこの夏、自らの和馬に対するこのそわそわとした感情がなんなのか、それを知る為に手当たり次第に恋愛に関する書物を読み漁っていた。

  そして今、一番読み込んでいる作品がこれだった。

  「ちょっと、色々あって……」

  「ふーん、そっか」

  和馬は深くは追求しない。

  こういう気遣いが出来るからこそ、皆から信頼されるのだろう。

  優等生的で見た目からも好青年の印象を受ける和馬もまた、多少は変わっていた。

  研究職である両親の影響が強いのか、村の特産品である薬草の栽培を手伝ったり、山で採れた虫から生えるキノコを貴重なものだと真琴に豪語したりとかなり変わった少年だったのだ。

  最初は胡散臭く思ったものだが、今となってはそれも懐かしい思い出になりつつある。

  二人はそうして他愛もない会話をしながら学校へと歩いていくのだった。

  夏の盛りは近い、蝉の声がやけに大きく聞こえていた。

  ******

  「あ゛~涼しい……」

  図書室に着くなり机に突っ伏す真琴。

  もう夏服になって半袖になっても暑さは変わらない。

  いや、寧ろ日増しに暑くなっているような気がするくらいだ。

  涼むために来たのだが、あまり意味はなかったかもしれない。

  おかげでセーラー服までじっとりと汗に濡れてしまっている。

  「だらしないなぁ」

  和馬が苦笑しながら席に座る。

  真琴の隣の席だ。

  「夏祭りの準備はどう?」

  和馬の口から出たのはそんな言葉だった。

  この村では毎年、夏祭りが開催されるのだが今年もそれに向け準備が進められていた。

  といっても、祭り自体はそう大きなものではないので規模としては小さい方だ。

  せいぜい神社の境内を借りて屋台を並べたり、盆踊りをするくらいなのだが、今年は違う。

  村人達もその事に気合が入っているようで、役場の職員である両親はおろか、真琴まで駆り出されている始末だった。

  「まあまあかな」

  真琴は曖昧な返事をする。

  実際、忙しいといえば忙しいし、そうでないと言えばそうでもない。

  というのも、そもそも真琴はこういった行事に興味がなかったからだ。

  お祭り騒ぎで浮かれるような歳でもないし、何より今はそれどころではない。

  「真琴、数年ぶりの産女様に選ばれたんだからしっかりしないと」

  「私が立候補したんじゃないし……」

  和馬が心配そうに声をかける。

  産女様は村に伝わる巫女のような役割で、選ばれた女性は五穀豊穣と子孫繁栄を司る神として崇められる。

  だから、産女に選ばれる事は大変名誉な事だとされていた。

  少なくとも、この村での話に過ぎないが。

  当然、真琴は産女になる気など毛頭なかった。

  村人達にもその旨を堂々と宣言していたのだが、公務員の両親の弱い所か真琴に白羽の矢が立った。

  だから、真琴はこうして面倒な役割を押し付けられてしまったという訳だ。

  産女に選ばれる少女は皆決まって美少女であり、有体に言えば数年に一回の美人コンテストのようなものである。

  そんな下らない催し物の為に自分を犠牲にするつもりはないと、何度断ったか分からない。

  ただ、両親が勝手に申し込んでしまい、断る事が出来なかったのだ。

  それを口実にして断ろうと試みた事もあるが、なんだかんだと理由をつけて逃げられてしまった。

  実際、何年か前の産女に選ばれた女性は真琴の知り合いに居た。

  村に似つかわしくない美貌のせいだろう、産女に選ばれた女性は皆こんな村を抜けて他所で幸せに暮らしているのか、帰っても来ないというジンクスがまかり通っていた。

  だから数年に一回しかやらないのだ、と。

  もっとも、そんな事はただの噂話でしかないと真琴は信じてやまない。

  「……私、本当に嫌なんだけど」

  何度目か分からない愚痴をこぼす。

  和馬は困ったように苦笑いするだけだった。

  「でも、もう逃げられないでしょ?」

  「分かってるけどさぁ……はぁ、うちの親はとっとと私に居なくなって欲しくてしょうがないみたい」

  真琴は吐き捨てるように呟く。

  「そんな事はないと思うけど……」

  「だって、わざわざ私を指名したんだよ?他に適当な子なんていくらでもいるのに……」

  「それは……確かにそうだけど」

  「でしょ?」

  「うーん……でも、本当に真琴の事を思って選んだんじゃないかな?」

  「だったら、直接そういえば良いじゃん、なんだか言い訳がましい理屈ばっか並べてさあ……やんなる」

  この村に生まれ育った人間ならこんなところ、すぐにでも出ていきたいと思うのが普通だ。

  真琴自身もそう思っていたし、事実そう思っている。

  だが、彼女にはそれが出来ない理由があった。

  隣に座って小難しい本を読み耽る和馬が原因だ。

  彼は稀人にも関わらずこの、いかにも排他的そうな村社会に溶け込もうとしている稀有な存在なのだ。

  両親の勤める製薬会社の都合でこの村に一時的に住んでいるに過ぎないのに、積極的に人付き合いをし、誰にでも好かれている。

  まるで魔法のようだと真琴は思った。

  和馬はこの村の薬草栽培や採取される貴重な資源にいたく興味を持っていて、真琴が知る限りでは毎日のように山に出向いている。

  彼の知識欲は底なし沼のようで、この村にある本を片っ端から読み漁ってはメモを取っていた。

  特に漢方の原料となる薬草には並々ならぬ関心があるらしく、最近では村の老人達に混じって勉強会を開いたりしているくらいだ。

  ゆくゆくはこの村にしっかりとした設備の研究所や工場を誘致したいとも考えているらしい。

  本人はまだまだ勉強不足だと謙遜しているが、彼が本気になればこの村はもっと発展するだろうと真琴は思っている。

  つまり、彼はこの村にとって必要不可欠な人材になりうるのだ。

  ようは、早々に村を去りたい真琴にとって、唯一の障害となりつつある人物なのである。

  (ほんと、なんでこんな奴が私の隣に居るんだろ)

  そんな事を思いながらも真琴は小さくため息をつくしかなかった。

  ***

  すっかり陽も傾いてきた頃、二人はようやく帰路につく事にした。

  図書室を出た途端、蒸し暑い空気が肌に纏わりつく。

  図書室の中はクーラーが効いていた為か、外の気温の高さを余計に感じさせるようだった。

  「……やっぱ暑い」

  思わず独り言を漏らす真琴だったが、隣を歩く和馬は暑さなんてどこ吹く風といった様子で、涼しい顔をしている。

  「そうだね、もうすぐ夏祭りだもんね」

  和馬は空を見上げながら答える。

  夕焼けが眩しい、明日もまた暑そうだと真琴は思った。

  「和馬、あのさ」

  「ん?」

  「その……高校出たらどうすんの?大学とか行く予定ある?」

  恐る恐るといった感じで真琴は尋ねる。

  別に答えが欲しい訳ではない、ただ、このままズルズルと気まずい空気を引き摺るのは嫌だっただけだ。

  「いや、今のところは特に考えてないけど、大学卒業して、院に進んでから就職先探すつもりだよ」

  やはりというか、しっかりした人生設計を立てているらしい。

  とはいえ、漠然とではあるが将来について考えてくれている事が分かり、少し安心した。

  「そっか……」

  「うん」

  会話が途切れる。

  沈黙が流れる中、二人はゆっくりと歩いていく。

  夕暮れのトワイライトゾーンの中、ヒグラシの寂しげな鳴き声だけが響いている。

  やがて、分かれ道に差し掛かった所で立ち止まる二人。

  ここから先は別の方向だ。

  「じゃあ、また明日ね」

  そう言って過ぎ去ろうとする和馬のシャツを咄嗟に掴む真琴。

  突然の出来事に驚いたのか、目を丸くして振り返る和馬。

  しかし、掴んだ当人の方が驚いていた。

  何故自分がこんな事をしたのか分からないのだ。

  ただ、なんとなくこのまま別れてはいけないような気がしただけなのだが、かといって引き止める言葉が見つからない。

  何か言わなければと焦る気持ちが空回りして言葉が出ない。

  「えっと……」

  「どうしたの?」

  「どうせ、村から離れるんなら、私も和馬と一緒のとこ行ってみようかなって……」

  やっとの思いで絞り出した言葉はそれだった。

  なんでそうなるんだ、自分の事なのに意味が分からなかった。

  和馬は何も言わない、黙ったままだ。

  やっぱり駄目だったかなと思い始めた時、唐突に腕を掴まれたかと思うとそのまま引っ張られて抱きしめられた。

  いきなりの事だったので驚いて硬直してしまう真琴。

  「うれしいよ!ありがとう!」

  耳元で和馬の声がしたかと思えば、今度は強く抱き締められる。

  ちょっと苦しいと思ったが、不思議と悪い気はしなかった。

  むしろ心地良さすら感じるほどだ。

  (なにこれ……?)

  自分の感情の変化に戸惑う真琴であったが、この時はまだ何も分かっていなかった。

  何もわかってはいなかったのだ。

  二人とも、この先に待ち受けるものなど知りもしなかったのだから。

  ***

  数日後、夏祭り当日となった。

  朝から村のあちこちから賑やかな声が聞こえてくる。

  皆、この日を待ち侘びていたのだ。

  広場の中央には櫓が建てられ、そこには大きな提灯がぶら下がっている。

  太鼓や笛の音が鳴り響き、それに合わせて人々が踊り狂っていた。

  皆、浴衣を着ていて、手には団扇を持っている。

  そしてあちらこちらで屋台が立ち並び、香ばしい匂いを漂わせていた。

  そんな中、真琴は巫女装束に着替えさせられていた。

  髪を結い上げられ、薄く化粧を施され、唇に紅まで引かれている。

  まるで本物の巫女のようだと自分でも思うくらい綺麗に仕上がっていた。

  夏祭りの準備は午前中から行われていて、午後からは産女役に選ばれた少女が産女の衣装を纏って神事を行う手筈となっていた。

  なにも難しいものではないのを以前の祭りで見ているので知っているのだが、それでも慣れない衣装なので落ち着かない気分になってしまう。

  それでも準備自体は着々と進み、夏祭りも締めの儀式が始まろうとしていた。

  神社の境内に集まった村人達は今か今かとその時を待っている。

  そして、産女の儀が始まる時刻になると神社の境内に集まっていた村人達は一斉に静まり返り、境内の石畳に正座をして平伏した。

  真琴は、その中心で静かに佇んでいた。

  産女とは元来、難産で死んだ女性が化けて出たものを指す。

  各地で見られるこの妖怪は、夜道に現れては抱えた子供を抱かせ、その重みに耐える事の出来たものに怪力や財産を与えるともされている。

  この村の名前の由来も、その産女から来ているらしいが、頭についた蟲がよく分からない。この村に生まれた真琴自身、よく知っていないのだ。

  ただ、この村では昔から数年に一度、少女を産女に見立て神事を行う。

  産女様に選ばれた少女は、何やら古めかしい布にくるまれた、赤ん坊に見立てた『なにか』を抱きかかえながら境内を練り歩き、神事の参加者に抱かせるのだ。

  これを抱いたものには幸運が訪れるとされ、神事の参加者全員にそれを行うのが習わしとなっている。

  勿論この『なにか』は、言い伝えのように石のように重たいものではない。

  軽くてまるで何も入っていないような軽さなのだ。

  真琴でも布の風化具合から見てもそれがとんでもなく昔のものである事は分かるし、そもそも中身が入っている訳がないというのも分かっている筈なのに、不気味さを感じてしまう。

  いくら神事とは言え、こんな不気味なものを抱っこするなんて正直気が進まないというのが本音なのだが、これも仕事のうちだと思って割り切るしかないだろう。

  (ああもう……早く終わらないかなぁ……)

  そんな憂鬱な気持ちを抱きつつ、真琴は退屈な神事を耐え忍ぶのだった。

  ***

  それからしばらくして、ようやく儀式は終わった。

  神社を後にした村人たちはそれぞれ散っていき、再び活気を取り戻した屋台へと繰り出していくようだ。

  お祭り騒ぎが好きな彼等にとってはこれからが本番なのだろうが、あいにく自分は違う。

  もう帰りたい気分だったが、そういう訳にはいかないだろう。

  まだ神事の片付けが残っているし、儀式を終わらせる何か恒例行事みたいなのがあるから真琴は残っていないといけないという。

  祭りを一瞬たりとて楽しめなかったことにも、和馬とも神事の時にほんの少しだけ会っただけでろくに話せなかった事にもまた腹が立った。

  苛々しながら片づけを終え、さっさと行事を終わらせてほしい、スマホだって村から少し外れた神社じゃ繋がらないし、荷物は社殿の中に置きっぱなしだし、暇を持て余していた。

  すると、真琴の元に一人の老婆がやってきた。

  彼女は真琴の祖母の友人だったそうで、小さい頃は本当のおばあちゃんのようによく遊んでもらっていた人だ。

  「真琴ちゃん、お疲れ様」

  「あ、おばあちゃん、お疲れ様です」

  真琴はぺこりとお辞儀をする。

  「相変わらず可愛いわねえ、真琴ちゃんのおばあさんの若いころそっくりよお」

  「あはは、ありがとうございます」

  この田舎の狭い村の人間は信心深いのか、神事の参加者も多い。

  真琴の祖母はずっと昔、若いころに亡くなったと死んだ祖父に聞かされていたが、そんな年になっても神事に出てきているというのだから驚きだろう。

  「この時期になるとねえ……真琴ちゃんのおばあちゃんのことを思い出すのよ」

  「え?」

  「亡くなった年に産女に選ばれたのよ、貴子ちゃん。綺麗だったわあ、とってもね」

  「そうなんですか?」

  「ええ、とても美しい娘だったから、神様も気に入ったのかもしれないわねえ。その年にあなたのお母さんだって産まれたばかりだったって言うのに」

  「へえ……」

  そんな話は初めて聞いたと真琴は思った。今まで祖父からそんな話は一度たりとも聞いたことがないからだ。

  まあ、単に忘れているのか、話す機会がなかっただけなのかは真琴にも知る由はなかった。

  「最後まで気を抜かないようにね、産女様の務めを果たせば幸せになれるって言い伝え、私は信じてるの」

  そう言って去っていく老婦人の背中を見つめながら、真琴は今までにない疑問が生じていた。

  幸せになれるのだとしたら、何故祖母はその年のうちに死ななければならなかったのか。

  いや、不幸な事故だとか、それこそ迷信めいたこんな神事を信じること自体馬鹿馬鹿しい話だ。

  真琴はもやもやした考えを振り切るように、はやくこの退屈な行事を終わらせるべく、『赤ん坊』を抱えて本殿へと足早に向かった。

  ***

  生まれて初めて入る本殿の中は、冷房なんてない筈なのに涼しく、蒸し暑い外よりも過ごしやすいくらいだった。

  しかし、それはあくまで気温的な話であって、精神的にはまったく快適ではない。

  むしろ真琴にとっては居心地が悪いと言った方が正しいかもしれなかった。

  神主のおじさんだって、村の区長さんだって知らないわけではなかったが、ほかにも何人か。

  なんでわざわざ雁首揃えているのだろうと真琴は思わずにはいられなかっただろう。

  「しつれいしまーす……」

  小声でそう言いながら中に入る真琴だったが、中の空気は重くどんよりとしているように感じた。

  (なにここ?葬式でもやってるの?)

  そう思ってしまうのも無理はないくらいに重苦しい雰囲気に包まれていた。

  薄暗い部屋の中に蝋燭の明かりだけが灯っている光景はまるでホラー映画に出てくる洋館のようだった。

  本当に気味が悪かったので引き返したくもなったけど、それこそ胸元のこの不気味なものを突き返して家に帰りたい、ただただそう思った。

  「産女様、どうぞご神体をこちらへ……」

  神主がそう言うので、真琴はゆっくりと近づいていった。

  しかし、これがご神体とはなんなのだろうか。これは産女の抱える赤ん坊を模したものであって、神とは言い難い代物だ。

  ただ、それを口にするのはなんとなく憚られたので黙って真琴は祭壇へと歩み寄る。

  早く終わらせて家に帰りたい、それだけが真琴の頭を渦巻いていた。

  「布を解いて、ご神体をお戻し下さい」

  言われるままに真琴は赤子を包む布に手をかけると、するりとほどけた。

  その瞬間、真琴はぎょっとして思わず仰け反った。

  干からびた節くれ立った表皮をした物体、それをまじまじと見つめてしまう。

  何かのミイラだとでも言うのだろうか、しかし真琴にでも確実にわかったことは『これは人間ではない』という事だった。

  芋虫のような胴体から脚が何本も生えている巨大な何か。

  生理的嫌悪で恐怖で全身の毛穴が開き、どっと冷や汗が流れたような気がした。

  あまりの恐ろしさに声も出ない。体が震えて仕方がなかった。

  真琴は以前に見た鑑定番組で、人魚のミイラが出てきたことをふと思い出した、確かにそれに近いものがある。

  だという事は、これは悪趣味な作り物で、本物ではないのだろうとそう思いたかったのだが、神主が口を開いた。

  「偽物のミイラではありませんよ。正真正銘、初代の産女様の産んだ神の子です」

  それを聞いて真琴は愕然とした。

  そんな馬鹿な話があるものかと言いたかったが、喉に何かが詰まったかのように言葉が出てこない。

  ふと、自分の胸元にあるものを見る。

  そういえばこれを返すんだったと思い出し、返そうとしたその時である。

  突然、視界がぐにゃりと歪んだかと思うと、そのまま暗転してしまったのだ。

  「ごめんなあ、真琴ちゃん。悪いようにはしないからね……」

  区長さんが何かを言っていたようだが、意識が朦朧としていて聞き取れなかった。

  そして、そのまま真琴は意識を失ってしまったのだった。

  ***

  次に目が覚めた時、真琴は見知らぬ部屋に寝かされていた。

  真琴は、ひんやりと湿った空気が肌にまとわりつくのを感じていた。

  地下なのだろうか、真琴が神社のあのひんやりとした空気がここから漂ってきたものなのだと分かったのは、どこかすえた臭いが同一のものであると気付いたからだろう。

  なんとか見える畳の上には薄い布団が敷かれていて、そこに彼女は寝かされているようだった。

  起き上がろうとするも体に力が入らず、動くことができない。

  まるで金縛りにあったかのようだと真琴は思った、その時であった。

  「おお、目が覚めたか!良かったよかった!」

  聞きなれない声がしたかと思ったら、格子が開いて老人が顔を出した。

  白髪交じりの髪と髭を生やした老爺であり、どこかで見た覚えのある人物に似ている気がするが恐らく気のせいではないだろう。

  真琴は咄嗟にこの老人はこの村の村長だった筈だと思い出す。

  しかし、ここはどこなのだろうと思い辺りを見回すも、全く見覚えのない部屋だった。

  壁や天井を見る限り古い日本家屋の一室のようにも見えるが、老人の入ってきた入り口は木製の堅牢な格子戸になっていて、そこから差し込む光が唯一の光源のようだ。

  部屋は暗く、目を凝らさないとその輪郭すら掴めないような有様だった。

  まるで時代劇に出てくる牢屋のようで、その部屋の異様さに真琴は寒気を覚えた。

  ここは一体どこなんだろう、自分はどうしてこんなところにいるのだろう、その答えはすぐに分かった。

  「気分はどうかね?大事な産女様に何かあったら大変だからの、念の為拘束させてもらっておるが苦しくはないかね?」

  真琴の目の前にやってきた老人は、にこやかな笑みを浮かべながらそう言った。

  その言葉に、真琴は絶句した。

  自分がこの村のホラーめいた因習に巻き込まれていることくらい、すぐにでも分かったからだ。

  そうなると、この目の前の老人の笑顔が余計恐ろしいものに見えてくる。

  そもそも、産女とは一体何なのだろう。

  その疑問に答えるかのように、老人は言った。

  「産女様はな、代々この村に富をもたらしてくれる御蟲様の子を産む神聖な存在だからの……ああ、勿論お主に危害など加えるつもりなどない……安心しなさい……ほっほっほ」

  不気味な笑い声をあげる老人に、真琴は背筋が凍るような思いだった。

  「この村の特産品である漢方の原料になる大変有難い蟲でのう……。煎じて飲めば長寿と健康を得られると言われとるんじゃ……」

  呂律の回らない頭で必死に考えるものの、理解したくないという思いの方が強いのか思考が追いつかない状態だった。

  そんな真琴の様子を察したのか、老人はゆっくりと諭すように言った。

  「ああ……心配せんでいい……なにも怖いことなどない……安心して身を委ねなさい……」

  そう言うと、老人は懐から何かを取り出した。

  それは小さな壺で、何かが入っているようだった。

  (何あれ……!?)

  得体のしれないものを見せられたことで、真琴は本能的に危険を察知したのか全身に鳥肌が立ち、嫌な汗が噴き出している。

  そんな彼女の様子を知ってか知らずか、老人はにっこりと微笑みながら言った。

  「よくわかったの、この中に入っているものこそ御蟲様の幼虫じゃ。今朝産まれたばかりでのぅ……滅多に産まれて来ない貴重な御蟲様じゃ」

  そう言って蓋を開けると、中には何かが入っていた。

  ミミズのような細長い生き物がうぞうぞと蠢いているのが見えたが、あまりにもグロテスクなものだったので真琴は思わず目を背けてしまった。

  (いやっ……!気持ち悪い……!!)

  顔を背けようとするも身体が動かない為、目を逸らすことすらできない。

  「大丈夫、相性も良い筈じゃしきっと上手くいくじゃろうて」

  そう言って老人はその幼虫とやらを壺の中から取り出すと、指で摘まんで真琴に見せつけた。

  「ほれ、この神々しい姿を見てごらん?この蟲は人間の体内からひとたび出てしまえば半日と持たない、なかなか拝めるものではないよ」

  そう言って指の間で蠢くそれを近づけてくるものだからたまらない。

  そんなもの見たくないというのに無理矢理見せつけられてしまい、吐き気が込み上げてきた。

  このまま舌を噛み切って死んでしまいたい衝動に駆られたが、麻酔のようなものが効いているのか、真琴は顎をまともに動かすこともできなかった

  それどころか呼吸すらもままならない状態で、息が苦しくてたまらなかった。

  「ご神体にずっと触れていたからかのう……身体の自由が効かないのは苦しかろう……?」

  老人に脚をいともたやすく持ち上げられた瞬間、何をされるか悟った真琴は必死になって抵抗を試みるが、やはり身体は言うことを聞いてくれないようだ。

  そうこうしているうちに、着物の裾が大きくめくり上げられてしまっていたことに気がつく。

  (やだやだやだ!!やめてええええええええええ!!!!)

  心の中で絶叫するも虚しく、無情にも彼女の下着に手がかけられるのが分かった。

  そして次の瞬間にはずるりと一気にずり下ろされる感覚がして、下半身に冷たい空気が触れるのを感じた。

  (いやあああっ!!!)

  羞恥のあまり真琴から涙が零れ落ちる。

  誰にも見せたことのない秘部を晒す羽目になってしまった恥ずかしさで気が狂いそうだった。

  いや、もしかしたら狂ってしまえればどんなに楽だっただろうかと思うくらいだ。

  (こんなのってないよおっ……!!)

  そんな真琴の心の叫びを知ってか知らずか、老人は淡々と作業を進めていくばかりだ。

  「安心しい、乱暴はしないよ……」

  そう言いながら、老人はそっと真琴の割れ目に指を這わせていく。

  「んっ……!」

  自分でも滅多に触ることの無い部分を他人に触られるという初めての感覚に、思わず声が出てしまう。

  そんな反応はお構いなしに、老人は何度も指を往復させるようになぞっていく。

  その度にぴくんと反応する身体に戸惑いながらも、なんとか逃れようとするも拘束を解くことも敵わない。

  「よし、準備はできたようじゃな……」

  そう言いながら、老人は壺から取り出した悍ましい虫を指に乗せ、真琴の秘所にあてがったかと思うとそのまま挿入してきた。

  「ひっ!?」

  異物が入ってくる感触に悲鳴を上げそうになるが、口が開かないせいでくぐもった声しか出ない。

  しかもそれはどんどん奥へと入り込んできて、気持ち悪くて仕方がなかった。

  真琴は興味本位で自慰行為をしたことはあったが、その時は陰核を弄っていただけだったので膣内への刺激は初めてのことだったのだ。

  今まで感じたことのないような感覚に襲われ、恐怖心ばかりが募っていった。

  (なにこれえっ!なんなのこれぇ!)

  得体の知れないものが自分の中に入ってきているという事実だけでも耐えられないというのに、それが自分の意思に反して動いていて、尚且つ未知の快感を与えてくるのだから堪らないだろう。

  「ふむ……そろそろかのう」

  老人がそう言うや否や、今度は何かが這い上がってくるような感触が襲ってきたので悲鳴をあげそうになったが、やはり口は開かずくぐもった声が漏れるだけに終わった。

  膣口から尻尾のようなものが全身をよじりながら中に入っていくのが見えてしまい、あまりの衝撃的な光景に頭が真っ白になりかける。

  しかし、それどころではない事態が真琴を襲った。

  「んぐうぅっ!!」

  その細い蟲が、自らの一番奥、子宮口に辿り着いた瞬間、強烈な電流が流れたかのような感覚に襲われたのだ。

  とてもではないが耐えられるようなものではなく、真琴は目を見開いて身体を仰け反らせた。

  それと同時に視界が明滅し、頭の中で火花が飛び散るかのようだった。

  「おや、もう感じておるのか?此度の産女様はなかなか素養があるようじゃの……」

  老人が感心したように言うが、今の真琴にとってはそんなことはどうでもよかった。

  ただ、早く終わって欲しい一心だった。

  もういっその事死んでしまった方がマシだとさえ思えるくらいの苦痛だったが、死ぬこともできないというのがまた辛かった。

  (誰か助けてえぇぇ!!)

  声にならない叫びを上げながら涙を流し続けるしかない自分に腹が立つと同時に、情けなくなってくる。

  そんな時だった。

  「ふぐぅっ!?んんーっっ!!」

  狭く、入るはずのない子宮を無理やりこじ開けるようにして侵入してくるものがあった。

  その痛みと不快感で再び涙が溢れ出す。

  そして、その蟲が侵入しようと頭をくねらせる度に、下腹部が燃えるように熱くなり、まるで火炙りにでもされているかのように感じられた。

  そして、同時に身体中を駆け巡る快楽の波に翻弄されてしまう。

  蟲のせいなのか、老人の言うように真琴にそういった性感が幸か不幸か備わっていたからだろうか、どちらにせよ耐え難い快楽をもたらしていたのは確かだろう。

  「ふうぅぅ!んんんんーっっ!」

  (気持ち悪い!抜いて!出て行ってえ‼お願いだからぁ!)

  悲鳴にならない声を上げつつ懇願するも、当然聞き届けてもらえるはずもなく、それどころか激しさを増す一方だ。

  蟲の頭部が子宮口を抉じ開けようと何度も何度も執拗に責め立ててくる。

  その度に、真琴は全身を痙攣させ、脚をくねらせた。

  「ふぅー!んんっ!んぅーー!」

  内臓を直接掻き回されているというのに、何故か気持ちいいと思ってしまう自分が嫌になる。

  自分は異常者だったのかと思うと死にたくなるが、そんなことを考える余裕すらなくなっていく程に追い詰められていった。

  やがて、蟲の侵攻を許すまいと閉じていた子宮口が開かれ始めたのか、少しずつではあるが確実に入り込んでくるのが分かるようになってきた。

  そのたびに激痛が走るのだが、すぐに快感に塗りつぶされてしまう。

  初めてなんて言葉は言うのも憚られていたが、そういった事を想えばそう、真琴に思い浮かぶのは和馬の事だ。

  だがそれも今や過去の話になりつつあるのかもしれないと思うと悲しくなった。

  (嫌だ……こんなのに初めてを奪われるなんて……そんなの絶対に嫌だ……!)

  そう思うものの、現状ではどうしようもない。

  気味の悪い老人とあり得ないほど醜悪な蟲に侵されて、私のはじめてがなくなっていく。

  そんなことを考えているうちにも、着実にその時が近づいてきていたようで、次第に意識が朦朧としてきた。

  (だめ……このままじゃ本当におかしくなる……せめて意識だけは保ってないと……!)

  そんな真琴の気持ちとは裏腹に、蟲の動きはますます激しくなっていった。

  ずりゅっ、ぐちゅっという淫靡な音を立てているのは真琴の女陰そのもので、そこから溢れ出す蜜のせいで粘着質な水音を奏でているのだった。

  その音が余計に羞恥心を煽ることとなり、真琴の顔は真っ赤に染まる。

  さらに追い討ちをかけるように、老人が耳元で囁いた。

  「さあ産女様、もうすぐですぞ……!」

  その言葉に絶望する暇もなく、ついにその瞬間が訪れたようだった。

  完全に開かれた真琴の胎内へと、蟲の頭が入り込んできたのである。

  今まで誰も触れたことのない場所に触れられているという事実だけで気が狂いそうになるというのに、あろうことかそこを蹂躙される屈辱感といったら形容しがたいものがあるだろう。

  頭部が入り込んでしまえばあっけないほど簡単に侵入を許してしまい、とうとう最奥にまで到達してきた。

  子宮を強引に押し広げられたせいで腹部に強い圧迫感を感じると共に、鈍い痛みが襲ってくる。

  あまりの深さに息が詰まりそうになる程であった。

  それでもまだ終わりではなかったらしく、蟲はそのまま中で蠢き始めてしまった。

  その動きに合わせて身体が勝手に跳ね、喉の奥からは悲鳴が漏れる。

  最早まともに思考することも出来ず、ただひたすらに耐えるしかなかった。

  「ゔぅぅーっんぐっ!んゔぅぅっ!!」

  そして遂に、一際大きな波が押し寄せてきて、真琴は背中を弓なりに反らせて達してしまった。

  全身が痙攣し、秘部からは白いどろりとした液体が流れ出ているのが見えた。

  どうやら絶頂を迎えてしまったらしい。

  「おお、なんと素晴らしい……」

  老人は感嘆の声を漏らしていたが、真琴の耳には届かない。

  少女と少年の地獄はまだ始まったばかりだという事になど、気付く由もなかった。

  ***

  暗い地下は時間の感覚などとうに失われていて、一体どれだけの時間が経過したのかも分からない。

  それでも身体の自由が効くようになってきたのを真琴が感じたのは、気絶と覚醒を何度か繰り返した後だった。

  「う……あ……?」

  真琴は呻き声を上げながら目を開けた。

  相変わらず手首は縛られたままだったが、他は特に拘束されている様子もない。

  しかし、辺りを見回すもあの老人の姿は見当たらなかった。

  「逃げなきゃ……」

  そう思って立ち上がろうとするも、身体に力が入らず崩れ落ちてしまう。

  「くっ……うぅ……!」

  身を少し起こしただけで胎の奥底から何かがせり上がってくるような感覚に襲われ、その場に蹲ってしまう。

  「何これぇ……?お腹が熱いぃ……!」

  自分の身体が自分のものではないような錯覚に陥りそうになるほどの異常な熱さだった。

  お腹に手を当ててみるとじんわりとした温かさを感じ、それが妙に心地良いものに思えてしまうほどだった。

  胎動と言うほかないだろう、ドクンドクンという音と共に脈動しているのがわかる。

  それはまるで、新しい生命が宿っていることを主張しているかのようで、真琴は愕然としてしまう。

  「嘘でしょ……私、妊娠してるの?」

  信じたくはなかったが、状況を考えればそれ以外に考えられないだろう。

  この悍ましい虫が子宮のなかでのうのうと生きているという事実を突きつけられた瞬間、目の前が真っ暗になったような気がした。

  「いや……いやあああ!!」

  真琴はあまりのショックに絶叫を上げた。

  もう終わりだ、これからどうすればいいのだろう? いや、そもそも生きて帰れるのだろうか? そんな事を考えているうちに、いつの間にか涙が溢れ出していた。

  「やだよぉ……助けてよお……」

  嗚咽混じりに呟くも虚しく響くだけだった。

  そんな声に反応したのか、足音の音が聞こえてきたのでそちらを見ると、そこには区長のおじさんが何かお盆のようものを持って立っていた。

  「真琴ちゃん、身体動くようになってきたかい?ごはん持ってきたんだけど食べるよね?」

  そう言って差し出されたものは湯気が立ち上っていて暖かそうなおかゆのようなものだったが、こんなものを食べる気にはなれないし、ましてやこんな状態で食べられるわけがないではないか。

  それに、食べたところでどうせ碌なことにはならないに決まっているのだから食べたくもないというのが真琴の本音だった。

  「い、いらない……」

  顔を背けて拒絶の意思を示すも、生存本能というのは悲しいもので、腹の虫は正直に反応してしまいグウゥ〜という音が鳴った。

  それを聞いてクスリと笑うと、区長はお盆を置いて真琴の手首を縛っていた縄をほどいて見せた。

  「昔っから食いしん坊だったもんなあ……。でもまあ、腹が減るってのは元気な証拠だ!遠慮しないで沢山食べて!」

  そう言うと、何もしようとはしてこない様子だった。

  スプーンを手に取ってみると特に細工などはされていないように見える。

  まさかとは思うが毒でも盛られているのではないかとも思ったが、ここまできてそんなことをするとも思えない。

  (もしかして、私が逃げるのを待ってるのかな……?それを見計らってなにかするとか……?)

  そう考えると迂闊に手を出すわけにもいかず、どうしたものかと考え込んでいると区長が話しかけてきた。

  「どうした?早く食べないと冷めちゃうぞ。別に毒なんて入ってないし、そんなことするわけないだろ?」

  そう思いつつも空腹には勝てず、恐る恐る口に含んでみることにする。

  味の方は悪くない、むしろ空腹感に抗えなかった真琴の胃はもっと寄越せと言わんばかりに食欲を掻き立ててくる始末である。

  結局、あっという間に平らげてしまった。

  腹が満たされれば、多少頭もはっきりしてくるものがあって、冷静に状況を判断するだけの余裕が出てくるようになった。

  (そういえば、ここどこなんだろう……)

  見覚えのない場所だったので真琴は疑問を口にすることにした。

  「ねえおじさん、ここはどこなの……?」

  区長は臆面もなく答える。

  「どこって……そりゃあ本殿の地下だよ。ここは年中快適でいいねえ、うちにも欲しいくらいだよホント」

  やはり想像していた通りだった。真琴を移動させるにも地下に運ぶだけならだれにも見つかる心配はないからだ。

  そしてもう一つ気になったことがあったので質問してみることにした。

  「お父さんとお母さんはこの事知ってるの……?帰ってこないってなったら警察だって黙ってないと思うんだけど……」

  そう尋ねると、区長の表情が曇ったように見えた。まるで聞かれたくない事を聞かれたかのような態度だ。

  「……実はね、この産女様の任命は事前に集まりで話し合ったうえで、君のご両親ともしっかり相談して決めたことなんだ。だからその事は心配することはないよ」

  それを聞いた瞬間、頭が真っ白になるのを感じた。両親が賛成したということはつまり、私がこうなることを了解されたのと同義だったからだ。

  それが意味する事は、胡桃沢真琴の社会的な死に他ならない。

  あまりの衝撃に言葉を失っていると、区長は慌てた様子で取り繕うように話し出す。

  「ご、ごめん!言い方が悪かったかな……えっと、だからね、これは村のためでもあるんだよ!そのおかげで沢山のお金が入ってくるし、君のボーイフレンドの上野くんだったかな?彼の親御さんの会社なんてすごい額の寄付をしてくれそうだし……村のみんなのためにやってることなんだよ!わかってくれるよね!?」

  そう言われてしまうともう何も言い返せなかった。

  なんにもないこの村の使われもしないのに不自然に整備された道路や橋を見ればわかりそうな事だったのだ。

  なんの仕事をしているのだか良く分からない大人ばかりのこの村の大人たちが必死になってこんなことでお金をかき集めをしてのうのうと生きてきたのだと思うと涙が止まらなかった。

  「うっ……ううぅぅ……」

  泣いている真琴を見てどう思ったのかはわからないが、区長は励ますような言葉すらかけてきたのだった。

  「泣くことはないよ!君の家族、妹さん達の学費なんかも全部面倒見るから安心してくれ!」

  それを聞いて、更に涙が溢れてくる。

  私の人生は一体なんだったのだろう、そう思うとやりきれない気持ちでいっぱいになってしまうのだった。

  だが、いつまでもここで泣き続けているわけにはいかないだろうと思い、真琴はふらふらとおぼつかない足で立ち上がり出口に向かう事にした。

  「どこに行くんだい?」

  「家に帰りたいんです、ここから出してもらえませんか?」

  だが、そんな願いは聞き入れられるはずもなく、肩を掴まれると無理やり座らされた。

  「ごめんよ、それだけは出来ないんだ。悪いけど諦めてくれないかなあ?ここの生活だってそう悪くないって、他の産女様だってそうなんだしさ」

  その言葉を聞いた途端、背筋が凍るような感覚が襲ってくるのを感じた。

  もう逃げ場がないという事実を突きつけられたような気がして絶望感に打ちひしがれそうになる。

  そんな時、不意に下腹部に強い疼きを感じてしまい、思わず声が出てしまった。

  「んっ……!」

  突然の出来事に戸惑っていると、区長が尋ねてきた。

  「どうしたんだい?どこか具合が悪いのかい?」

  心配そうに顔を覗き込んでくる彼に対して慌てて返事をする。

  「な、なんでもないです……」

  そう言って誤魔化そうとしたのだが、どうにも様子がおかしいことは隠しようもない事実であった。

  先程から胎動が激しくなっている気がするのである。

  胎の中で何かが蠢く度に甘い痺れが全身を貫き、力が抜けていくような感覚に襲われる。

  子宮全体が性感帯になってしまったかのように敏感になっており、ほんの少しの刺激ですら快感として受け止めてしまっていた。

  「本当に大丈夫かい?顔が赤いけど熱があるんじゃないか?」

  そう言いながら額に手を当てられそうになったので反射的に避けてしまったのだが、その際にまた強い刺激を受けて昏倒しそうにすらなってしまう。

  まるでここから逃がすまいとするかのように、胎動は激しさを増していき、それに合わせて真琴の呼吸も荒くなっていった。

  「はぁーっ……はぁーっ……んぅっ……!」

  区長もどうしていいのかわからず困っている様子だ。

  身体に指一本でも触れられれば最後、自分が自分でなくなってしまうのではないかという恐怖すらあった。

  「放っておいてください!大丈夫ですからっ!!」

  (お願いだから近づかないで……!)

  真琴が心の中で祈るように叫ぶと、区長は食器を片付けていそいそと格子の外へ出ようとしていた。

  ふと、真琴は思いついたことがあり、声をかける。

  「あ、あの……」

  区長は振り返って不思議そうにこちらを見ていた。

  「どうかしたかい?ほしいものがあるなら多少は融通は利くけど……」

  「和馬はどうしてるんですか……?私、待ち合わせしてたんですけど……」

  いつものバス停で待ち合わせ。彼らの夏休みの約束だった。スマホが取り上げられている以上どうにも出来ないのは真琴にもわかってはいたが、助けとなりそうなのは彼だけだった。

  区長は少し考えた後、答えてくれた。

  「ああ、あの子なら君の家まで行ったみたいだよ。君がなかなか来ないものだから心配してたみたいだね。どうしたもんかなあ……今日は風邪とか言っとけばいいけどそのうち真琴ちゃんは転校したって事にしないといけないし……困ったなあ……」

  疑問、不自然。和馬ならきっと気づくだろう。しかし、今はどうすることも出来なかった。

  「そうですか……」

  「とりあえず今日のところは寝てるといいよ。またごはん持ってくるからさ。トイレは角にあるからそこにしてね」

  そう言って区長はのそのそと出て行ってしまった。

  残された真琴はただ呆然としているしかない。

  今の頼みは和馬しかいないのは事実だ。

  真琴は心の中で必死に彼に呼びかけるのだった。

  (和馬お願い……助けて!!)

  ***

  上野和馬の好奇心に基づいた猜疑心というものは、彼自身の人格形成に多大な影響を与えたと言っても過言ではないほど根深いものであると言えるだろう。

  幼い頃からありとあらゆる物事に興味を示してきたが故に、彼は人一倍疑うことを覚えてしまったのかもしれない。

  そして、その疑念は彼の行動原理にまで影響を及ぼしていたと言っても過言ではなかった。

  その分、胡桃沢真琴という正直ではないけどまっすぐな少女に恋心を抱いたのは彼にとっては自然な成り行きだったのかもしれない。

  だからこそ、彼女の失踪は彼を酷く動揺させた。

  しかし、この『失踪』という表現は現段階において正確ではないだろう。

  夏祭りの神事を終えたあと、それとなく真琴の帰りを待っていた和馬にとって、彼女がいつまでも神社から帰ってこなかったことは大事件だった。

  何度電話をかけても繋がらず、メッセージを送っても返事が返ってこない。

  最初は単に電波の届かない場所にいるか、電源を切っているのだろうと思っていた。

  それならば、そのうち連絡が来るだろうと楽観的に考えていた。

  ところが、いつまでたっても彼女からの返事は来なかった。

  次の日になってもだ。

  いつも自分より少しだけ早く待っていてくれる筈のバス停が無人だったことに、和馬は言いようのない不安を覚えた。

  何かあったのではないか、事故にあったのではないか、それとも誘拐されてしまったのではないか。

  様々な憶測が頭の中を駆け巡り、いても立っても居られなくなった彼はすぐさま彼女の自宅へと向かった。

  平日にも関わらず公務員の筈の彼女の両親が何故だか出てきて、事情を説明したところ、彼女は体調を崩して入院したと言ってきた。

  そんなはずはない、何か隠しているに違いないと確信していたが、確証がないためにそれ以上追及することはできなかった。

  救急車で運ばれたとしたら、こんな小さな村だ。すぐにでもサイレンで分かるに違いない。

  そもそも真琴に持病のような類があったようには思えない。

  結局、何もわからないまま帰路についたものの、その後も気になって仕方がなかったため、山に入って散策をすることにした。

  これは彼のルーチンワークめいたもので、頭の整理をするのにうってつけの行為となっていた。

  山の中には虫カビに侵された昆虫や冬虫夏草のように菌糸を伸ばす植物などが多数生息しており、それらを観察することで自分の中の仮説を検証していたのである。

  この村は古くから薬草や漢方の原料になる虫を採取して他の集落との交易や、献上品にもしてきた歴史があるらしく、そのせいもあってかあちこちに自生しているそれらを観察するだけでも退屈しない程度に興味深いものが沢山あった。

  その為、この村の住民はてっきり薬草以外にもよく山に入ってこの貴重なキノコの類をよく採取しているのかと思っていたのだが、実際にはそうではなく、むしろ誰も近寄らない場所なのだそうだ。

  彼の両親はこの村の特産品である薬の原料の研究で製薬会社からやってきているが、山に立ち入った調査をするそぶりもなく村の顔役達と一緒に会合を開いており、時折接待を受けているのを見たことがあったからだ。

  もしかしたら何かの利権絡みなのかもしれないと思ったこともあったが、それを確かめる術はない。

  それに今となっては彼にとってそんな事はどうでもよかった。

  とにかく真琴の無事を確認すること、それだけが頭の中に渦巻いていたからだ。

  (やっぱりおかしい……)

  一通り探索を終えて戻ってきたところで改めて和馬はそう思った。

  誘拐、というのは一番に考えられるところだった。彼女の両親が家にいた事がなによりの証明になるし、誘拐犯か警察に口止めされている可能性も上げられる。

  しかし、クラスのグループに聞いてみたところ皆知らないどころか、『真琴が入院したって』なんて周知の事実のように話してくる始末だった。

  明らかに何かがおかしかったのだ。

  それから数日の間、毎日朝から晩まで村や山中を歩き回ったり、神社の周辺を探し回ってみたりしたのだが一向に手がかりを見つけることが出来なかった。

  そんな日々が続くうちに、次第に焦りが生まれてくるのを感じた。

  もうこのまま一生会えないのではないだろうか?そんな考えが頭を過ぎる度に胸が締め付けられる思いに駆られる。

  真琴の両親も、『今は面会謝絶中で会う事が出来ない』と言う始末だ。

  時折車で外出するのを確認するが村の外に行く様子もなく、区長と世間話をしているようだった。

  娘が面会謝絶の入院中とはとても思えない様子である以上、彼の中に猜疑心以上の怒りにも似た感情が芽生え始めていた。

  そうして更に数日が経過したある日の事、神社の近くを捜索していると背後から声をかけられた。

  「和馬くん、だっけ?どうしたの?」

  振り返るとそこには区長が立っていた。

  中年太りの、良く言えばやさしそうな、悪く言うなら優柔不断で虫も殺せないような印象を受ける男だった。

  「別に……真琴の具合が良くなるようにお参りしてたところですよ、知ってるでしょう?」

  ぶっきらぼうに答えるが、内心穏やかではなかった。この男は真琴のことを隠していて何かを企んでいるのだという確信に近いものを感じていたからである。

  だが、ここで感情的になって問い詰めたところで何にもならない事はわかっていたので、ぐっと堪える事にした。

  すると区長はぽりぽりと頬をかきながら汗を浮かべてこう言った。

  「いやあ、ごめんごめん!そうだったよね、いや~忘れてないよ!ぼくもちょっとお参りにね、来てたんだ」

  そう言ってヘラヘラと笑う姿を見て、和馬は心底嫌悪感を覚えると同時に、疑問が浮かび上がる。

  神社の境内へは石畳の階段をそこそこ登らなければ辿り着くことは出来ない。

  それだというのにこの不健康そうな太った中年は汗を今かきはじめたばかりと言った面持ちで、息も荒げていない。

  そもそもこんなところにいる事自体少し不自然だった。

  その時、ある考えが浮かんだ。

  区長は先ほどまで、神社の中に居て監禁している真琴の様子を見ていたのではないか?

  そして真琴の容態については既に把握済みでそれを和馬に悟られないよう嘘をついたのではないか?

  そうだとしたら何のためにそんな事をするのか?

  真琴を両親どころか、村ぐるみで隠してまで何をしているのか?

  考えれば考えるほど疑念が湧いてくる。

  思えばこの石畳でかさ上げされた分だけ、本殿の下には見合ったスペースを作ることも出来るわけで。

  もし、仮に、万が一、真琴はここに居るとするならば、それはどういうことを意味するのだろうか。

  真琴は何をさせられているんだろうか。

  そこまで考えて、和馬は吐き気すら催すほどの恐怖に襲われた。

  「あの、区長さん……」

  震える声で和馬が声をかけると、区長はびくりと身体を震わせた。

  やはり見ての通りの小心者なのだろう、和馬はいくらかのブラフを込めて、こう言った。

  「僕、両親から聞かされてるんで、大丈夫ですよ。真琴の事。だから安心してください」

  それを聞いた途端、区長の表情がぱっと明るくなった。まるで飼い主を見つけた犬のようだとすら思ったほどだ。

  「ああ!そうかあ!それならいいんだあ!上野さんのことだもんね、分かってくれて助かるよお!」

  あからさまにホッとした様子の区長を見て、和馬はやはりそうなのかと思い至る。

  この男こそが真琴を連れ去った張本人なのだと確信した。

  両親とは真琴の事に関して気取られたくなかったので殆ど会話していなかったが、少なくとも和馬にとってはこの男の方がよっぽど御しやすい、そう思わせた。

  「もしよろしければ真琴に会わせてくれませんか?」

  和馬がそう言うと、今度は一転して渋い顔になった。

  「……うーん、まあ、そうだね、君がそう言うなら仕方ないね、うん、わかったよ、じゃあ案内するよ、こっちだよ」

  そう言って歩き始めた。和馬はついていくことにした。この村で、自分だけを除け者にしたうえでの犯行だ。

  それはこの男だけではなくよそ者のはずの自分の両親までもが共犯で、和馬自身もその片棒を担いでいる振りをしなければならないのが苦痛だったが、真琴の安否を確認できるなら安いものだと思った。

  通された本殿の中はうすら寒く、夏の暑さが消滅してしまっているのかのようだった。板張りの床を踏むたびにぎしっぎしっと軋む音が響くたび、心臓の音が大きくなるような錯覚に陥る。

  「ここから下に降りれるけど、暗くて急だから、気を付けてね。ぼくなんてこの身体だから転げ落ちないか毎度不安になっちゃうんだ」

  本殿の奥にはいきなり地下への階段があり、明かりひとつなかった。

  薄暗く、不気味な雰囲気が漂っている。

  この先に何があるかなど想像したくもない。

  しかし、引き返すわけにもいかず、意を決して階段を降りることにした。

  ひんやりとした空気が肌を撫でる。

  すえたような、カビのようなニオイが鼻をつく。

  そして、しばらく進むと大きな鉄製の扉が現れた。

  「この先だよ、足元に気をつけてね」

  区長が扉を開けて中に入ると、和馬もそれに続く。

  そこは想像以上に広い空間だった。天井の高さも見上げるほどで、光源といえば天井にいくつか備え付けられた蛍光灯のようなものだけだ。

  石積みの壁は結露で水滴がつき、湿気を帯びていた。

  目を凝らせばいくつかの部屋があるように見える。

  (こんな数の部屋が一体何のために……?)

  訝しむ和馬を他所に、区長は奥へと進んでいく。ときおり通り過ぎる部屋の中からは何かが蠢くような音が聞こえてくる。

  思わず身震いしてしまうほどに不気味であった。

  やがて突き当たりまで来ると、そこに大きな鉄製の扉が取り付けられており、中から人の気配を感じた。

  (まさか……!)

  「開けるよ、真琴ちゃん。ボーイフレンドの和馬くん連れてきたよ!」

  慌てて駆け寄る和馬の目に飛び込んできたのは座敷牢を思わせる部屋と、その中の、紛れもなく少年が恋心を抱く少女だった。

  上野和馬はこの瞬間、ここに来てしまったことを、自分の好奇心にも似た猜疑心を生まれ持ってしまった事を一生後悔することになるであろう光景がそこにあった。