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[chapter:ひとりぼっちのケモノ]
くんくん。
鼻を動かすと入ってくる匂いたち。
ふんわりと優しくて香ばしいのは、パンの匂い。
ジューッと音がして匂いを漂わせるのは、お肉だろうか。
よく嗅がないとわからないけど、うっすらする新鮮なお野菜の匂い。
ぐうぅ…
小さなこどもはお腹を押さえた。
これで何回、お腹の虫は鳴いたのだろう。
「……」
フゥ…と息を吐いて、膝を抱え蹲った。
小さなこどもーーハルがいるのは、市場の路地裏。
細い路地裏は、暗くてゴミが散乱している。
ハルはここで暮らしている。暮らすしかなかった。
居場所がないのだ。
ハルは視線を、市場の通りに向けた。
色んな種族が見える。
大きなツノをもつひと。
背中につばさがあって、今にも飛んでいきそうなひと。
いくつもの目がぎょろぎょろと動いているひと。
そして、獣人。
「……っ」
ハルは思わず目を背けた。
自分はどっちにもなれない、"ちゅーとはんぱ"。
(ぼくは……なんなの……?)
何回、自分に聞いたのだろうか。
ハルの見た目は、真っ当な獣人。
オオカミのようなウサギのような、長くて茶色いケモノ耳が、頭から垂れ下がっている。
体も手も足も、モフモフの毛が生えている。
でもしっぽだけは、悪魔みたいにとがった形。
ハルは悪魔と獣人の混血。
この世界で混血自体は、決して珍しいものではない。
エルフとドラゴンの混血、人間と鳥人の混血、ドワーフと獣人の混血など、見渡せば結構いる。
でも、悪魔の混血は珍しく、忌避される存在だった。
だからハルには、居場所がないのだ。
市場へ出ても、顔は知られているため、すぐに避けられる。
「ほらあの子。うわさの子よ…」
「悪魔の血が入ってるって…。」
「魔力が暴走するかもしれねぇ…」
親は子どもを後ろに隠し、買い物客も足早に去る。
「ジャマだ小僧」
「ほら、あっちへ行った行った」
「こっち来んなよ気持ち悪い!」
時には邪魔者扱いされることも、石を投げつけられることもあった。
ハルはいつも、お腹がすいていた。
市場の美味しいものなんて、食べたことがない。
角っこに落ちているパンくずや、ゴミ箱で見つけた果物の皮、時には虫なんかも食べた。
それで何度も、お腹を壊して苦しんだ。
ハルはただ耐えた。
「たすけて」って言っても、届かないから。
言葉として出せないから。
何よりもハルは、ずっとひとりぼっちだった。
[newpage]
[chapter:雨とケモノと出会い]
ざぁぁぁ…
音と一緒に、地面にしみを作っていく、雨。
ハルの体はずぶ濡れだった。
路地裏にはほとんど屋根がない。
ベッド代わりにしているダンボールを、畳んで頭にのせる。
どこからか飛んできた、ボロボロの大きな布で体を覆う。
雨は防げるかもしれないけど、寒さは防げない。
穏やかなそよ風が、ハルの体温を奪っていく。
ハルの体は、ぶるぶる震えていた。
耳をぺたんとたたんで、しっぽを足に巻き付ける。そして身を、小さくちいさく縮こめる。
さむい。
さむい。
さむい。
いたい……
「……っ、る、ぅ…っ」
ハルの口から、獣のような声が漏れた。
さらに身を小さく縮こめる。
起きた時から、ハルはお腹が痛かった。
昨日は何も食べてない。
それなのに、お腹が痛くてぐるぐるしてる。
お腹をかき混ぜられているような、針でつつかれているような、そんな変な感覚がする。
「……きゅぅ…っ」
弱々しい声を出して、ハルはさらに背中を丸める。
心の中で、おさまれおさまれと祈るも、体はそのお願いを聞いてくれない。
雨はますます強くなって、近いはずの市場の通りが、霞んで見えなくなるほどになった。
じわり、と背中が冷たくなる。
冷や汗が流れ落ちたのか、雨が服に染み込んできたのかわからない。
ハルはただじっと、嵐が過ぎ去るまで耐えていた。
[newpage]
*
男は土砂降りの雨の中を歩いていた。
夕飯用の肉と野菜を市場で調達しようと考えていたのだが、こんなにも雨が降るとは。
「こりゃしばらく止まねぇな……」
彼は空を見上げて呟いた。
こんな雨では市場の店も閉まってる。
どこも明かりはついていない。
ひともまばらだ。
(帰るか……)
普段フサフサの尻尾が、雨を吸って重い。
男ーーゼルは狼型の獣人だった。
鼻も耳も、とても良い。
それが雨の時にはかえって嫌になる。
雨独特の、青臭いにおいをよく感じる鼻。
においが強く感じて、頭痛を覚える。
ピンと立った耳は、雨の音をよく取り込んでうるさく感じる。
だからゼルは雨が苦手だ。
家路へと足を向けたゼル。
水溜りを避けながら、ゆっくりと歩く。
「……ゅぅ…ん…、……ゔ、るぅ……」
何か聞こえた。
ゼルは思わず足を止めた。
「……?」
周りを見渡しても何もないし、誰もいない。
聞き間違いか。そう思ってまた歩き出そうとした。
すると、
「…ぁ……ぐ…ぅ……、ぉえ…っ」
先ほどよりも苦しそうな音が聞こえた。
ゼルは声のしたほうに、慎重に歩いていく。
次第にその足は速まった。
声の主は何者か、見当もつかない。
けれどあの声は、助けを求めているように聞こえた。
まるで獣のような、言葉になってない声だったが。
[newpage]
(この辺から声がした気がするんだが……)
ゼルは路地裏を覗き込む。
こんなに狭くて暗い路地裏だ。
いるとしても、野良犬か何かかもしれない。
でもゼルは、何者であろうと放ってはおけなかった。
壁の方に、何かかたまりがある。
ゼルが足音を立てずに、そっと近づく。
弱々しい、獣のような声は、さっきより大きく聞こえた。
「…ゔ………きゅぅ、……ん、ぁ…っ、けほっ…」
「……!」
ゼルは言葉を失った。
壁際のかたまりは、生きていた。
しかも、ほんの小さな子ども。
(獣人……? いや…何か違う……)
ゼルはこの子から、獣人とはまた違う気配を感じ取っていた。
何かと混ざっているような、そんな気配。
「ん、ぇ……っ、お、ぇ゛っ……」
ぱしゃ、びたたっ……
うずくまる子どもの口から、液体が溢れ出た。
吐瀉物は、雨と混ざって流れていく。
何も固形物は混ざってない。
食事はとっていないのだろうか。
でもこの子の胃は、何もないのに、何かを追い出そうとしている。
「はーっ、はーっ…、…ゔ……っ」
苦しそうに呼吸して、後ろのゼルには気付いていない。
ゼルはハッと我に返って、子どもを守るように、傘を移動させた。
「…おい、」
ゼルは声をかけた。
子どもの体が、ビクッと震える。
そして、ゼルの方を見上げた。
その目は涙に濡れて、怯えきっていた。
子どもが見上げたから、頭の布がずり落ちた。
すると、獣耳が露わになった。
「……っ! ゔ……っ」
子どもは隠すように、手で獣耳を覆った。
しっぽも足に巻きつけ見えないようにしている。
しゃがみ込んだまま、震えていた。
(なんで隠す……?)
ゼルは不思議でならなかったが、今はそんな場合じゃない。
この子をここから連れ出さなくては。
ここにいては危ない。
「お前、動けるか?」
ゼルがなるべく優しく問うと、子どもは耳を隠したまま、首を横に振った。
「ゔ、る…ぅ……っ」と悲痛な声が漏れ、子どもは、腹を抱え込むようにして押さえた。
(腹痛いのか……。こんな状態で、動けるはずねぇよな……)
ゼルはため息をついたあと、そっと手を差し出した。
子どもはその手を見て、目を見開いた。
自分の小さな手と、ゼルの大きな手を交互に見て、子どもは手を伸ばした。
ゼルは、子どもの手が、ゆっくりと自分の手に触れたのを確認すると、ゆっくりと子どもの手を握った。
「大丈夫だ。これ以上お前を、ひとりにはさせねぇ」
ゼルはそう言うと、子どもを優しく抱き上げた。
「…っ! る、ぅ……っ」
子どもは抵抗の意思か、小さな手をグーパーさせたが、すぐにおとなしくなった。
ゼルはその小さな背中を優しく撫でた。
片腕に子ども、片手に傘を持って、ゼルは路地裏を離れた。
[newpage]
家路。
鬱蒼と茂った森の中に入った。
光るキノコが道を照らし、虫の音が静かな夜を飾る。
雨はいつのまにか止んでおり、ゼルは傘を畳んだ。
「…ぁ、る」
腕の中の子どもが、小さな声を出した。
ゼルはそれを聞き逃さなかった。
何か、伝えようとしている。
「ん?」
ゼルが聞き返す。
子どもの口が、もう一度動いた。
「…ふ……、ふ、ぁる……」
「……はる?」
ゼルが言葉を解釈して繰り返すと、子どもは首を縦にふった。
しっぽがゆらりと揺れ動く。
「ハル、か……。良い名前だな……、よし、覚えた」
ゼルがそう言うと、ハルはほんの少しだけ笑った。
「ハル、もうすぐだからな」
家は目の前だ。
ゼルは、路地裏で拾ったちいさな命を、だいじに抱えて、家路を急いだ。
To be continued
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