この世界では、この社会では。劣った人間は、醜い家畜に変えられる。次世代の労働を担う子を産まされた後に。最低限以上の知性を奪われて。より最適化された姿に作り変えられる。そして僕は。僕は、境界線上の人間だった。高等部の卒業論文の学術的価値がもう少し劣っていたら、今頃僕は知性を持つに値しないと見られていただろう。実際問題今でも、僕は知識人階級から零れ落ちそうな、ぎりぎりの存在だ。少しでも何か新しい、美しい、価値のあるものを発見して、発表して、次の発見を得るための利益を、報酬を得続けなければならなかった。部屋の隅にある作業机の上には、質素な個人用電子端末が置かれていて、その周囲には幾つもの数式と専門用語が乱雑に書かれた何枚もの質の悪い紙が散乱していた。
ひどく気分が悪かったから、気分転換の為に僕は散歩に出かけることにした。外に出てみると陰鬱な気分の僕を嘲笑うように空が晴れていて、僕の視界は人通りの多い街並みをよく捉えることができた。歩いてみれば、少しずつ思考が回ってきた。あそこをああすれば矛盾が解消できるんじゃないか、と歩きながら考える僕の目に、ふと異様なものが映った。隙間の少ない金属の檻があり、それを見守るかのように人間が立っている。ホログラム表示板を見れば、すぐに彼らが何をしているかが分かった。用済みになった“家畜人間”を見世物として展示するついでに、その手の人間に売りつけようとしているのだ。僕はその近くまで行って、檻の中身を見てみた。僕は息が止まるような感覚を覚えた。……檻の中身の馬人間につけられた名札には。僕の高等部での恋人の名前が刻まれていた。一字も、違わずに。
彼女はとても珍しい名だったから、間違える筈がなかった。自分は他の星間国家から仕方なく越してきたのだ、と寂しげに笑う顔が、僕の脳裏にまだ残っていた。高等部で結果を出せずに苦しんでいた頃の、酷くやつれた顔も。僕はもう一度だけ檻の中の馬面を一瞥して、檻の傍に立っていた売人に足早に近寄ると、手早く僕の個人識別情報と料金支払い情報を見せてやった。他にどう形容しようもないが、僕は彼女を手に入れようとしていた。売人は僕を一瞬だけ蔑むような眼で見て、僕と売人の間の契約を承認した。これで、彼女は明日には僕の居住区にやってくるだろう。僕は売人に近寄って行った勢いのままに檻の近くから離れて、住処に続く人通りの少ない道に、逃げるように歩いて行った。ひどく衝動的な行動だった。住処に帰りながらどうしてあんなことをしたのか考えてみたが、結論は出なかった。
そうして、短くない時間が経った。僕の生活は相変わらずだった、ある一点を除いて。固い寝床から掛け布を除けて起きると、隣には彼女が寝ていた。僕が知っていた姿よりも随分大柄になった体は、引き締まった筋肉と、焦げた砂糖のような艶やかな短毛に包まれていた。頬を撫でてやると短毛が僕の指に絡みついて、彼女はくすぐったげな吐息を鼻から漏らした。始めは従順な動物そのものだった彼女も、僕との“豊かな”生活の中で昔のような情動を取り戻しつつあった。こうやって寝覚めの悪い彼女が起きるのを隣で待っていると、昔の共同生活を思い出させた。僕は変わり果てた彼女の、これだけは変わらない、艶やかな癖のある長い黒髪に指を這わせながら、彼女を“買った”理由に思いを馳せてみたが、結局、うまい言い訳は思い付かなかった。僕は彼女を僕の為に救った。それでいいのだ、と僕は思った。