初対面

  中学校を卒業し、もうこの高校に入った二学期末になって、まだ童貞卒業していない。まあ、途中で女の同期生に何回告白されたが、タイプじゃねぇから拒絶した俺は、正直に獣人が気に入る。それに、雄だけだ。中学校の頃もうその自分まで驚いたことを知ってた。だからこそ、家族からの反対をよそに、この獣人が人間と共に勉強できる高校を選んだ。

  とは言え、今まで人間だけあるコンフォートゾーンに引きこもっている。その一歩、どうにか歩みづらいのは昔周囲から聞いた獣人へのうわさのせいか、よく知らなかった物事に恐ろしいせいか、それとも両者もあるか知らなかった。

  『牧一、牧一?』

  隣から話しかけてきった声に我に返った。目の前に眉をしかめて、見据えてきた一人がいた。

  『あっ、お、昌二、何かことあるか。』

  『いやー、別に、運動会ボランティアの募集、すでに終わったかい。ちょっと変わりたいけどさ。』

  『えっ、まだ出してねぇけど、なぜ急に。』

  『デートだよ、春奈との。まあ、お願いさ』

  昌二はさっきの顔をなくしてニヤニヤしながら、頼むよと手を合わせた。ホントのばかのか、そんな下手な理由出したなんて、自分のほうは今なお縁に困てるのに、と思っていたが、やっぱり友人の縁も重要だから、と渋々承諾した。

  『そりゃは…まあ、いいけど、次回はねぇぞ。』

  『よしゃー、助かるわ。あ、そうだ、今回の運動会、人間向けの獣人ボランティアもあるよ。どうだい、試してみねぇか。好きなタイプ見つけれるかもよ。』

  そのことを昌二が言い出すと、俺は少し目を丸くした。人間向けか、聞いてなかったんだと机下の引き出しの運動会エントリーを持ち出した。確かに表の中には、ホカのボランティアって書いてあるんだ。意味不明のカタカナ。それは昌二の言った神から送ったきっかけだろうと少し気が立ったが、それでも本当にやっていけるのか心から出た疑問に躊躇してしまった。

  いつもこうもそうも尻込みしていた。俺は。高校の部活選びも、文系科目と理系科目の選択も、家族とのやり取りも。結局何も出来上がらなかった。やっぱり、すっかり決まった第一歩が大切かな……

  表に集中していて、エントリーの真っ先に締め切り時間に気付いた。10月15日午後4時までに……。今日ですね。ちょっと、今は3時半過ぎ、それはもうすぐじゃ、とドキッとした。もう時間がないとハット立ち上がると、驚かせたように机前から後ずさりした昌二だった。

  『おい、何か思い出したか。そんなに…』

  『あっ、すまん、今すぐ提出締切だ。頼むことすでに済ませたから、ちょっと上がってこなきゃ。』

  『おお……』

  呆然とした昌二をその場に置き去りにして、俺は一目散に教室を飛び出した。

  まだ20分ぐらいあるとはいえ、提出先はとても遠い学校の反対側にあるところだ。ホントに間に合うか分からなかったと思いつつ、授業の合間で学生の群れの間を小走りで縫う。

  次の角を曲がろうとしたところに、コーナから影が向かってきた。ポンっと頭が何かにぶつかって尻餅をついた俺は、痛くて手をおでこに覆って頭を仰向けると、背の高い人がいた。いや、違う、獣人か。半ばしゃがんでいる向こうの獣人が手を伸ばしてくれた。

  『すみません。大丈夫ですか。』

  目をこすって、もう一度その手から見上げると、手入れしたのか鈍くて小さめな爪、つやつやした褐色の毛並み、全身についた沢山の黒い輪の印、やけにでかい体格じゃないけど結構がっしりして雄々しい体、気遣ってくるとばかりに細めた目の角から小川みたいに流れる黒線。そして、その気が強くて優しさを帯びた琥珀色の瞳。好きだ。生まれてから初めてその感じが胸に生じた。

  引き続きチラ見ると彼のやや不審げな目線に合ったか、目の前に1分も伸びったままの手に気が付いたか。俺は慌てて片手で彼の伸ばした手を握った。

  生暖かくて固めな肉球と少し尖った爪に包まれたその自分の手が、力強い割には適切な力で目の前の獣人を引き寄せられてきた。

  『あ、ありがとう。大丈夫です…』

  『それはよかったですね。』

  当のチーター類の獣人が笑みを浮かべる。その糸目と獣しかない鋭い歯列が覗いた笑顔が何とか魔力があるように身体中を心の動悸の音を駆け巡らせている。なんだ、それは一目惚れだろうか。

  『かっこいいなあ』

  その顔つきに見惚れる俺は思わず凄く気まずい言葉をこぼしてしまった。

  『そ、そうですか。嬉しいですよ。』

  一瞬で私の予想外の動きに散瞳してびっくりした様子で、すぐいつものように笑いに返した。

  『あ、まだ名乗っていませんなぁ。僕は豹牙(ひょうが) 颯太(そうた)です。よろしくな。』

  『欲(よく) 牧一(まきはじめ)です。二年生です。マキでいいから。よろしく。』

  『じゃ、ため口にすればいいかなぁ。同級生だから。』

  『は、はい。』

  『なぁ、マキさんはまだ用事があるだろう。急がなくても構わないかい。』

  『あっ、やべ。さっさと出さないと。すみません。颯太さん、先に失礼します。』

  『え、じゃ、気を付けてな。』

  先生の事務室に走りつつ、時折手を振っていた颯太のほうへ名残惜しく振り向いた。彼の姿が教室棟に遮られるまで。

  ようやく締め切りまで事務室についた。あいにく先生がいらっしゃらなかったから、先生のデスクにエントリーをそのまま置いといた。適当にエントリーを見ると、俺がいる3組のボランティア応募は俺の名の隣りにまだ空いているんだ。

  ああ、そうだ、ずっと何事にも逡巡している俺はまだ書き込んでいなかった。

  学校側は全員参加ほどの程度に達しなかろうが、担当の洞加瀬先生が全組合員の健康のため、運動会のスポーツ選手をしたくなくても、ボランティアぐらいの活動に参加してみてほしいわとかいって、結局それはみんなほとんどおとなしい特進クラスにとっては、体調悪い時、親からもらったお菓子裏の薬のように、ただするまいけど拒みようがない命令だけだ。

  ズボンのポケットから持ち出したペンを手のひらに握って、紙の上に止まった。

  運動会のボランティアって、確かとても忙しなくて辛い役目だよな。開幕式前のサイトレイアウト。選手の調和。閉幕後のサイト掃除。まあ、思うだに疲れる仕事量だ。それと比べて選手のほうが楽だろう、と考えると、いや、運動音痴の俺にしては、やっぱそれは無理かな、と首を振って苦笑した。

  その悪癖、いつか変えられるのか。

  『今回の運動会、人間向けの獣人ボランティアもあるよ。どうだい、試してみねぇか。好きなタイプ見つけれるかもよ。』

  脳裏に急にその前に昌二の一言が浮かんできた。それに伴い、現れた全身淡い茶色の姿と……

  『……』

  あ、さっき颯太さんがはいたハーフパンツ、確か学校運動部のラストスパート専用の短パンだよな。それなら、運動会で彼にまた会えるんだろう。運動部の部員は自分の組を代表し、運動会に参加すべきのイメージがあるから。

  ふたたび動かしたペンが、ホカのポランティアという文字の隣りに自分の名前を書き留めた。

  今回こそ、せめて自分の恋の為に、スッキリとやっていこうか。