老人と狼、家族にお世話になり船旅へ

  夜の吹雪は凄まじかったが、狼と共にシェルターで暖を取りながら無事朝を迎え、再び出発する。

  「狼よ、ヒロとは小さい頃から、一緒なのか?」

  「そうだけど……。興味なかったんじゃないの? ヒロのこと、うざったいって、いつも思ってただろ」

  「話ぐらい、別に構わんだろ」

  話題はヒロ一色だ。何時もなら話すことさえ億劫だった。朝から小憎らしく、喧しい声がなく、静かなのが妙で、落ち着かない。

  勝手に居着かれ、暮らしていた期間が長かったせいか、そう思うのかもしれない。

  いつかは勝手に出て行くもんだと思っていた。しかしいざ、いなくなると寂しい。もっとも、事件性が考えられる今は、話すことで気を紛らわしていたりもする。

  「ヒロと違って、あきらは素直じゃねぇな」

  狼は意外とスバスバと突いてくる。遠慮がない分、こちらも言いやすい。

  「年寄りはみんなこうさ。特に年を取ると、こうなるもんだよ。お前さんも直に分かる」

  「へぇ、そういうもんなのか?」

  「ああ、そういうんさ。道中は長い、ヒロの話をしてくれんか」

  「うーん、そうだなぁ……」

  サイドカーの車台に座る狼は首を捻らせて考え込む。

  『キキキィ!』

  刹那、タイヤのスチール音の後に、何かが落下するような音が響く。だがワシが乗っているサイドカーからではない。

  「なんだ?」

  疑問をぼやけば、隣に座る狼はピンと耳を立て、口を開く。

  「多分だけど……子供と、女だな。嫌な感じはしないぜ。真っ直ぐ行った先だ」

  流石は狼といったところか、聴力が優れている。

  「そうか。なら、行ってみるか」

  どのみち進行方向だ。もしかしたら、ヒロとヒロの母親、ヒメカの手掛かりもつかめるかもしれない。

  ༓࿇༓

  音がした方向に走行していくと、雪が降り積もった路面に、[[rb:土嚢 > どのう]]が入っている土嚢袋がそこかしこに散らばっている。中身は出ていないが、若い女性と幼い少女が二人、手運びで軽トラの荷台に運んでいる。軽トラが[[rb:泥濘 > ぬかるみ]]にタイヤを取られ、その勢いで荷が崩れてしまったのだろう。

  「あきら、どうするんだ?」

  「手伝うよ。お前さんはそこで待機だ」

  道幅は狭く、このままでは通り抜けもできない。バイクから降り、若い女性と幼い少女の元に歩いていく。

  「手伝いますよ」

  「まぁ、ありがとう御座います! あらっ、申し訳ないです」

  二十代前半ぐらいの若い女性はお礼を言うも、次には謝罪する。女性の視線はワシが乗ってきた後方のサイドカーに注がれている。つかえていると感じたのか、「[[rb:百音 > もね]]ちゃん、急ぎましょ」と少女を急かす。

  何となくだが雰囲気からして、親子のようだ。

  「いえいえ、お構い無く」

  女性にそう言ってから、次に少女に声を掛ける。

  「お嬢ちゃん、ここはワシがやるから、休んでなさい」

  「うん」

  年齢はヒロよりも下、五歳ぐらいだろうか。栗色の巻き毛のロングヘアに、大きな真ん丸のグレーの瞳、苺の長袖ワンピース姿がとても可愛らしい少女だ。

  「あきら、ガキの面倒なら俺が見といてやるよ」

  いつのまにか狼が側にやってきた。足をひょこひょことさせながら歩き、おまけに喋っている。

  ──こりゃ、まずいか……?

  女性もだが、少女もポカンと口を開け、目を丸くして狼を凝視している。それから直に、少女は口を開く。

  「ママ! わんわんが喋ってる!」

  少女は狼だとは思っていないようで、犬と勘違いしている。

  「あの……」

  少女の母親は怪訝な表情で、ワシに視線を向けてくる。

  「ああ、これはワシが連れている狼でして。口は悪いが、大人しく賢い狼だから安心していい。な、狼?」

  そう説明して狼に話を振れば、

  「ああ。昨日はたらふく喰ったしな……。お嬢ちゃんぐらいの人間を、ペロッと丸のみだ」

  狼は目をぎらつかせ、舌舐りをする。

  「えっ……!?」

  少女の母親は慌てて娘を狼から引き離す。狼の冗談を完全に真に受けてしまったようだ。

  「おいっ、狼……」

  「冗談だ」

  「冗談に聞こえんだろうが、全く……」

  狼に注意し、「驚かせてしまってすまんの……。こういう奴なんです」と言えば、少女の母親は表情を緩め、「まぁ、本当に賢いこと」と、笑う。

  「わんわん……」

  少女は母親から離れ、狼のそばに近寄っていく。狼はじっと座り、「触りたいなら好きにしな」と声を掛ける。

  「うん」

  少女は狼の背中にそっと手を伸ばし、撫でていく。

  「──! 柔らかぁ~い! ふくふくぅ!」

  「だろ?」

  狼は尻尾を振っている。少女は狼に任せとけば良さそうだ。

  「娘の面倒まで見ていただいて、どうもありがとう御座います」

  「いえいえ、お構い無く」

  それから少女の母親と共に散らばった土嚢が入った土嚢袋を拾い集め、軽トラの荷台に積み込む。

  「ありがとう御座います。助かりました」

  少女の母親は[[rb:栗田麗美 > くりたれみ]]と名乗った。麗美は深々とお辞儀をし、「この先に私の家があるんです。良かったらお茶でもどうですか?」と訊かれる。麗美の好意はありがたく、一息つきたいところだが、すぐにでも出発したい。ヒロが心配だ。

  「ありがとう。けれど、今日中に山越えしなくてはならんのです」

  「今日中に、山越えですか!? それは、無理かもしれませんよ。今日は昨晩よりも天候不順で、荒れた天候になりますから……そうだわ! 折角なので、我が家にお泊まりになってください」

  「いや、しかし……」

  「土嚢を拾っていただいたお礼です。是非、うちに遊びにきてください。あの狼も一緒に」

  麗美が目配せする。少女と狼はすっかりと打ち解けている。まるでヒロのようだ。

  「それじゃあ、お邪魔させていただきます」

  再びサイドカーのバイクに跨がり、狼は車台に乗り、軽トラの後に続いて走る。

  一時間ほど走ると、山の[[rb:麓 > ふもと]]に珍しい和瓦使用の洋風造りの家、北欧住宅が見えてきた。屋根は昔ながらの和瓦で[[rb:葺 > ふ]]いている。

  庭も広く、何かしらの苗が植えられているだろう菜園もある。しかし珍しいのは矢張り、家だ。

  「ふむ……、珍しい」

  サイドカーから降り、家の外観を眺めていると、麗美が横に並んだ。

  「ふふっ、夫の趣味でしてね」

  「なるほど。それで土嚢を荷台に詰んでいたんですね」

  「ええ。瓦が度々、ずれるもんですから修繕していたんです……けれどこの家、誰も住んでないんですよ」

  「え?」

  「この家は趣味のギャラリーと、倉庫として使用してるだけなんですよ。建てたのは夫のおじいさまで……。本当なら取り壊してもいいんですけどね? 私も夫も思い出深い家なのでそうもいかず、そのままにしているんです。それで手入れは、気付いた時にやってるんです」

  「なるほど」

  手入れは恐らく面倒だろう。だが面倒ながらも、大事にしたい思い出がそこには詰まってそうだ。とても興味深い家だが、それよりも、ヒロ達の手掛かりだ。

  「そうだ、訊きたいことがありまして……。この近辺で最近、白いうさぎを連れている若い女性と十歳ぐらいの少年、それと複数の狼を見掛けませんでしたか?」

  「いえ、見掛けてませんわ」

  「そうですか……」

  ヒロとヒロの母親、ヒメカの手がかりはつかめずに終わる。

  「けど……主人なら、仕事で色々と出掛けてますし、知ってるかもしれません。食事の時に、ゆっくりとお話しましょう。そうそう、住んでいる家はこちらになります」

  麗美はそう言って、思い出深い家の裏手に廻って歩いていく。するとそこには、今見た家よりもこぢんまりとした二階建ての洋風の家が建っている。

  「ここが住んでいる家です。[[rb:健也 > けんや]]さん、開けてちょうだい」

  案内されるままに付いていけば、麗美の夫の健也が出迎える。麗美と同じ年齢で、とても穏やかな顔をした青年だ。

  「おかえり、麗美……って、その人は?」

  「荷台に詰んでた土嚢袋が崩れた時に、拾うのを一緒に手伝ってくださったの」

  「おや、そうだったのかい。どうもありがとう御座います」

  「いえいえ、お構い無く」

  麗美が健也に事情を手短に説明すれば、

  「是非、泊まっててください、あきらさん! さぁさぁ、どうぞ上がって上がって」

  という勢いで、寝泊まりの許可は瞬く間におりる。

  ༓࿇༓

  「あきらさんは、好き嫌いとか、アレルギーとかありますか? あったら遠慮なく仰ってくださいね」

  「食べ物はなんでも食べれますし、アレルギーもありません」

  「そうですか、それなら安心ね。百音ちゃん、お皿を運んでくれる?」

  「はーい」

  広いリビングで狼と遊んでいた少女、百音は返事をし、キッチンに勢いよく駆けていく。百音は小さな台を使い、戸棚に仕舞われている平皿や深めの皿を取り出してテーブルに置いていく。

  よく母親の手伝いをしているのだろう。とても慣れた手付きだ。

  「あきら、俺にはテールスープがあるんだと」

  狼がワシの傍にくるなり、ディナーのメニューを嬉しそうに報告してくる。余程嬉しいのか、尻尾をぶんぶんと振っている。

  「良かったな」

  「ヒロも、ちゃんとご飯を食べてるかな?」

  「さぁてな……。だが、食いっぱぐれることは、先ずないだろうに」

  ヒロは意地でもご飯を食べる。なんなら人の分まで食べてしまう。誰があげるかと言っても、早い者勝ちと言い、勝手に食べてしまう、ワンパク坊主だ。

  晩御飯はいつも競争だ。意地汚い競争が凄まじく展開され、いつもゆっくりご飯を食べている暇がない。

  ──しかしどうしてこう、感慨染みてしまうのやら……

  狼もだが、ワシも同じくヒロの様子が気がかりだ。

  「あきらおじいちゃん! わんわん! ご飯できたよー」

  直に百音が呼んでくれる。

  「ほら、わんころ、呼ばれてるぞ?」

  「俺は犬じゃねぇ、狼だ。しかし、良い匂いだな」

  狼は鼻をスンスンとさせて、足をひょこつかせながら歩いていく。

  ༓࿇༓

  「いただきます」

  「いただきます!」

  ダイニングテーブルに付き、手を合わせた後は、談笑しながら麗美お手製の料理を口にする。麗美の料理はどれも手が込んでいて旨い。

  ──このレベルの味は、中々出せないの。

  ちなみに麗美曰く、ヌル列島に住み着いて十年になるという。そこで伴侶となる夫、健也とヌル列島にある街で出会い、ストーカーの如くプロポーズされ続けて結婚したそうだ。

  「そうだ、あきらさん。さっき言ってた話なんですけど……ほら、若い女性と十歳ぐらいの少年の……」

  麗美がそう言い掛けると、健也が口を開く。

  「昨日なんですが、それらしき人を見掛けた気がします」

  「どこで見掛けましたか?」

  「ここから南方に行った先です。南方は街と港がある場所で、その手前の道ですれ違った記憶があります」

  「そうですか」

  「女性は白いうさぎを抱えていて、十歳ぐらいの少年もその女性の側にいました」

  間違いなく、ヒロの母親とヒロだ。

  「あきら、良かったな」

  話を聞いていた狼がワシを見遣る。

  しかし、どうにも妙だ。矢張り腑に落ちない。

  ──ヒロの母親とヒロは、拐われてはいないのか……?

  一旦はそう考えるが、拐った連中から逃げた線も浮上する。

  「その少年の側に、狼の群れはいませんでしたか?」

  「いえ、いなかったと思います。白いうさぎを連れた女性と、少年一人だけでしたね」

  「そうですか……」

  他の狼達はワシの側にいる狼と違い、喋らないと言った。

  ──そのまま野生に戻したんかの?

  もしくは拐った連中から逃げる為に、利用したのか……

  「その方達は、あきらさんの親戚なんですか?」

  不意に健也から訊かれ、一応頷く。だが実際は違う。親戚でなければ、血の繋がりもない、赤の他人だ。

  なんにせよ、無事に生きているのが分かっただけでもありがたい。

  「良かったな」

  「ああ」

  狼に言われて頷く。すると健也が再び口を開く。

  「今日は天候が大荒れしますが、明日からは穏やかになるみたいです」

  「そうですか。わざわざ教えてくれて助かります」

  「いえいえ。今日はゆっくりしてってください」

  ご飯を食べた後、麗美に二階にある、使ってない一室を案内される。

  ベッド、ソファ、テーブル、椅子、床は絨毯が引いてあり、綺麗な一室だ。

  「いいんですか? こんなに綺麗な部屋で寝泊まりさせてもらって……」

  「構いませんよ。遠慮なく使ってくださいね」

  「ママァ! 百音ね? 今日はね? わんわんと一緒に寝るぅ!」

  そこに百音がやってきた。狼が相当お気に召したらしく、狼にべったりだ。狼も百音が好きなようで、尻尾を振っている。

  「百音、ダメよ?」

  しかし麗美は許可しなかった。すると百音は頬を膨らませ、今度は麗美から狼に聞き尋ねていく。

  「わんわん、一緒に寝てもいい?」

  「ヨダレを垂らさなきゃいいぜ」

  「百音はもう五歳になったし、お姉さんだもん! 赤ちゃんじゃないからヨダレなんか垂らさないもん!」

  すると麗美は嘆息したのち、狼に訊いていく。

  「狼さん、本当にいいの? この子、寝相がとっても悪いのよ」

  「ああ、構わんぜ」

  という訳で、百音もこの一室で、一夜を共にすることになる。

  ༓࿇༓

  翌朝、窓から差し込む日差しで目覚めて起き上がれば、狼の背に百音がひっつき、ぐっすり寝ている。よくよく見れば、狼の毛皮にべったりとした物が張り付いてる。

  言わずもがな、百音のヨダレだろう。

  「ははっ、やられたな」

  部屋を出て居間に行くと、健也がキッチンに立って朝食の支度をしている。

  「おはよう、麗美さんは?」

  「妻は出掛けました。早朝じゃないと買えない野菜があるので、張り切って行きましたよ」

  「へぇ、そうなんですか」

  「僕たち夫婦は食に関して強い拘りがありましてね、ハハッ……ちょっと変わった夫婦かもしれませんね」

  「いやいや、仲がよろしいことで。いいですね」

  「あきらさんのところは、どんな感じですか……?」

  「妻は随分前に、他界しましてね。しかし生きていた頃は、健也さん達と似ていたかもしれません」

  「そうなんですね。すみません、失礼なことを訊いてしまって……」

  「いえいえ、お気になさらずに。そうだ、何か手伝いますか?」

  一歩を踏み出した直後、その場で動けなくなる。ピキンと固まり違和感が背骨を上っていく。

  そう、原因は腰だ。

  「うっ……!?」

  「ん? あきらさん? どうされました!?」

  一時的な腰痛だろう、そう思いたい。

  だがこれは、今までに経験したことがない痛みで、またお世話になることに。

  ༓࿇༓

  長閑な庭で、百音の明るい声と共に、狼が走る光景が目に映る。

  本来ならサイドカーで移動して、山を越える筈だった。だが、腰の激痛は引かず、そればかりか酷くなる一方だ。とりあえず腰に響かない体制で今は横になっている。

  ──ヒロと、ヒロの母親が無事ならいいが……

  自分の腰よりも矢張り、ヒロのことを考えてしまう。

  あれから三日が過ぎた。たった三日だが、酷く長く会ってないような感覚だ。いると煩わしくうるさく感じるのに、いないとすきま風が抜けていく。とても不思議だ。

  「はぁ……年を取ったのかのぅ」

  実の息子でも孫でもないのに、ヒロはそれに近い感覚になってしまっている。

  「やれやれ、冗談じゃない」

  独り[[rb:言 > ご]]ちる中、扉が数回ノックされる。

  「入りますね」

  次には健也の声がし、扉が開いて健也が部屋に入ってきた。

  「どうですか、腰の調子は?」

  「そうですね、今まで感じたことのない、痛みですかねぇ……」

  正直に話せば、健也は、「分かりました」と頷き、「それじゃあ今から、[[rb:鍼 > はり]]治療をしますね」と告げる。

  「おや、健也さんは鍼治療の免許を持ってるのかね?」

  「ええ。けれど最近、やってなくて……。触診と電気治療ばかりで。ははっ、でもまぁ、なんとかなります。一応、鍼灸師の免許は持ってますし! 僕に任せてください!」

  張り切りながらも、不安げな[[rb:言霊 > ことだま]]が届く。

  ──おいおい、大丈夫なのか……?

  しかし不安が過るそばから早速、体を横にされ、服の裾を捲られる。

  「それじゃあ、いきますよ。危ないので動かないで、じっとして、リラックスしてくださいね」

  そんな健也は深呼吸をし、「僕ならできる! 僕ならできる! 僕ならできる! 健也、できる子だ!」等とぼやき、緊張を解すように連呼し、深呼吸を繰り返している。

  ──怖いの……

  それから一時間半掛けての鍼治療が行われた。鍼を刺しているせいか、血の血行がよくなり、体もぽかぽかとしてくる。最初は不安だったがいつの間にかリラックスし、少し眠くもなってきた。

  「うまいな……。随分昔にも鍼治療をしたことがあったが、健也さんはその先生よりも断然うまいよ」

  「そうですか? ははっ、嬉しいなぁ。そうだ、どうです? 腰の痛みは?」

  「痛みは大分和らいできたよ」

  「そうですか。それは良かった。治療を暫く続ければ改善されるとは思うんですが、先を急いでるんですよね?」

  「ああ。どうしても、先を急がなくちゃいけなくてね……明日にでもここを立ちたい」

  「そうですかぁ、分かりました。あんまりよくないんですが、鍼治療の後に、灸もやりましょうか。あと道中、手軽にツボに刺せる簡易鍼セットと灸もお渡ししますよ」

  「ありがとう。色々と世話を掛けるね」

  「いやいや、なんのなんの! 困った時は、お互い様ですよ」

  他愛のない会話をして鍼治療が終わる。そして今晩、寝る前に灸による治療をすると言って、健也は部屋を後にする。

  「こういう生活も案外、悪くないのかもしれんな……」

  悠々自適な一人老後生活を考えていたが、少しだけ思い止まる切っ掛けになった──のかもしれない。

  ༓࿇༓

  「あきら、今晩も泊まるって?」

  狼がにやにやしながら部屋に入り、ワシが寝ているベッドに軽快にぴょんと上がってくる。

  ちなみに狼は、怪我した右の後ろ足を完全に完治させている。自然治癒だが、麗美、健也、百音達家族のお陰だろう。

  「ワシはお前さんと違って、腰を前よりも酷く痛めてしまったんだ。すぐには動けん」

  「へっ! 情けねぇなぁ」

  「喧しいわい。お前さんも人のことは言えんだろう」

  「あん? なんのことだ?」

  狼は[[rb:飄々 > ひょうひょう]]として、完治した右の後ろ足をこれみよがしにワシに見せてくる。右の後ろ足にあったアザは消え、綺麗に完治している……というより、綺麗すぎる。

  ──人語を喋る狼は、治癒力も相当なのかのう……?

  疑問が浮かぶが、気にしても仕方がない。

  「狼よ、明日にはここを出るぞ」

  「ああ、分かった」

  「そうだ、百音と離れることになるが、寂しくないのか?」

  すると狼は尻尾を垂らし、

  「寂しいなぁ。ヒロがいないぐらいに、寂しい」

  と、呟く。

  「そうか」

  狼はそれ以上は話さず、その場で昼寝の体勢に入る。

  ༓࿇༓

  晩御飯を終えて暫くし、健也による灸の治療が始まる。灸は鍼とは違って熱い。

  「熱いですか?」

  「熱いが、耐えられん熱さじゃない。構わず続けてくれ」

  「はい」

  灸の治療は一時間で終わる。それから揉み解される中、健也は口を開く。

  「また良かったら、遊びに来て下さいね。きっと百音も喜びます」

  「ああ。また近い内に、寄らせてもらうとするよ。今度は孫も……連れてくる」

  少し言い[[rb:淀 > よど]]むも、ついにヒロを、孫として話してしまう。

  「おや、お孫さんがいるんですか! 楽しみにしてますね」

  「ああ。きっと、百音お嬢ちゃんとも仲良くなれるよ」

  五日間世話になっただけだが、なんとも離れがたく、しんみりとしてしまうのは何故なのか。

  ༓࿇༓

  灸治療が終わったのち風呂に入って寝る準備と、明日の支度をしていると、扉のノック音が聞こえる。

  「はい」

  「私、百音。あきらおじいちゃん、入ってもいい……?」

  「いいよ」

  それから直ぐに、百音が部屋に入ってきた。手には枕を持っている。狼と寝る支度は万端だ。しかし表情は暗く、ムスッとして眉間に皺を寄せている。

  「どうした百音、そんな顔をして。折角の美人さんが台無しだぞ?」

  「だって……あきらおじいちゃんも、わんわんも、明日にはいなくなっちゃうんでしょ……?」

  するとソファで寛いでいた狼が床に下り、百音の傍まで行く。

  「また会いに行くよ」

  「ほんとに……?」

  「ああ」

  「じゃあ、約束。指をからませて、約束するの」

  「俺は、人みたいな指はないぞ?」

  「うーん……。じゃあ、お手して、はい」

  「……」

  百音の申し出に、狼は困った様子だ。

  「ほらほら狼、お手してやれ」

  「うるせぇぞ、あきら」

  「わんわん……。百音との約束、破っちゃう気なの……?」

  百音は瞳を潤ませる。目には涙が溜まっており、今にも溢れそうな状態だ。

  「──ハァ、分かった。やる、ほら」

  狼は観念し、百音の手に前足を置く。すると百音は涙を引っ込め、お約束のフレーズを口ずさむ。

  「指切りぃげんまん、嘘ついたらぁ針千本、のーますっ!」

  「なんだよそれ、怖い歌だな……」

  狼は突っ込むが、百音は歌いきり、「指切った」と言う。

  「ははっ、狼。これで不義理はできなくなったぞ?」

  「なんだよそれ」

  「じゃあ次は、あきらおじいちゃんの番ね」

  百音はぎゅっと手を丸め、ワシに小指を差し出す。

  「おいおい……、ワシもかね」

  狼だけではなく、ワシにまで……。

  「あきらおじいちゃん、早くぅ~」

  「はいよ」

  百音の幼い小さな小指に、また次回も会う誓いを立てて、指切りをしていく。

  ༓࿇༓

  翌朝、起きて着替え、バックパックを背負ってキッチンに向かえば、テーブルの上に朝食と共に、簡易鍼セットと灸が袋詰めされて置かれていた。

  「用意がいいことで……」

  バックパックを下ろし、簡易鍼セットと灸を詰めていく。

  ちなみに腰の激痛は今は引いているが、いつぶり返すかは分からない。取り敢えず、ぶ返さないことを祈るばかりだ。

  「ん……?」

  簡易鍼セットと灸の袋詰めをバックパックに詰めようと持ち上げるとその下に、メモ書きが置いてあった。見れば住所が書かれており、名前と電話番号も記されている。

  たった五日の滞在だというのに、こんなにも丁寧な形で返してくれるとは。

  ──こっちは居候するだけで、この家族に何もしてやれてないのにの……

  そのメモ書きを失くさないよう、簡易鍼セットと灸の袋の中に忍ばせた。

  それから朝食を食べ、片付けをしてから狼を呼びに行く。先程起きた際、百音と共にベッドで寝ていたのだ。

  「狼、準備できたぞ」

  そう言って部屋の扉を開ける。すると狼は起きていたが、百音はぐっすりと眠ったままで、目を覚ます気配はない。

  「あきら、百音を起こすか? それとも、そっとしておいたほうがいいのか?」

  「起こしたほうがいいだろう。挨拶もせんでいなくなったら、百音が悲しむだろう」

  ベッドに行き、幼い百音の体を軽く揺する。

  「百音、起きれるか?」

  「ぅん……?」

  じきにぽやんとした表情の百音が返事を返す。目を覚ましたが、半分寝ぼけた状態だ。

  「ワシと狼は、これから出発する。百音、今日までありがとな。また遊びに行くからな」

  「……」

  すると百音は体を起こし、「うん……ありがとう。百音、待ってるからね」と念を押す。

  「百音、またな」

  「うん……わんわんも、遊びにきてね? ぜったいだからね?」

  百音は狼の背を撫でる。それから玄関まで付いてきて、見送ってくれる。百音の母親の麗美と、父親の健也も見送ってくれた。

  「ばいばい! またね! あきらおじいちゃん、わんわん!」

  と百音が。

  「またいつでも遊びに来て下さいねぇ」

  と、麗美が。

  「腰を痛めたら、いつでも鍼と灸治療をしますからぁ」

  と、健也が。

  そしてサイドカーで離れた頃、幼い泣き声が後方で響き渡る。きっと百音だ。

  「あきら、別れるのってやっぱりさ、寂しいな」

  「そうだな」

  少しだけしんみりとなる。

  百音の泣き声は耳について、その道中だけはセンチメンタルな旅路となった。

  ༓࿇༓

  健也からの情報で、ヒロとヒロの母親ヒメカが向かったとされる、港がある街に着く。

  港には船が停泊しているが、どの船に乗ればいいか分からない、そもそもヒロ達が船に乗ったかすら知らない。

  ──先ずは、街での情報収集だな。

  街を見渡せばレトロな酒場が見える。酒場といえば、情報が集まりやすい場所の定番だ。そこで情報収集をすることにした。酒場の店主であればそれなりに情報をもっているだろう。

  早速、サイドカーを酒場の前に駐車して降りる。

  「あきら、俺も行くか?」

  狼に聞かれ、周囲を見渡す。街はそれなりに賑わっているが、治安が悪いかもしれない。

  「狼よ、お前さんはここで、見張っててくれ。一応、鍵は持っているが念のためな。もし不用意に近づく、不穏な輩がいたら、容赦なくその牙で噛みつけ」

  「分かった」

  狼に軽く指示してから酒場に入る。しかし酒場にはごろつきはいなかった。どちらかといえば、街の住人が近所付き合いで、憩いの場として訪れ、利用してる雰囲気しかない。

  ──やれやれ。ワシはとんでもなく、場違いだな……

  店に入るなり、違う意味で注目されているのは視線で分かる。街の住民はこの街に相応しい、穏やかな格好をしている。だがこちらは、戦後の格好よろしくだ。戦利品どころか、ビンテージ物の軍服に身を包む老人なわけで、酒場の店主も、街の住民も、不審な視線を容赦なくワシに送りつけてくれる。

  「こんにちは。今日も良い天気だねぇ」

  とりあえずこれ以上不審な視線を送られないように挨拶をする。

  にこやかに、穏やかに──はぁ、なんて疲れるんだ。

  それから酒場の店主がいるバーカウンターまで歩いていき、何とかスツールに腰を落ち着ける。

  だが──

  「──!?」

  長居できないのを悟る。スツールは腰に響く代物だ。左右に揺れ、安定しない座り心地は、献身的に治療してくれた健也を冒涜する勢いで腰に振動を与えてくれる。

  ──はやく、早急に、済ませなければ……!

  「すみません。聞きたいことがあるんですが……」

  「はい、何でしょう?」

  店主は相変わらず不審な視線を送ってくれる。だが、質問には一応答えてくれそうだ。

  「ここ最近、若い女性と十歳ぐらいの少年を見掛けませんでしたか?」

  「若い女性と、十歳ぐらいの少年……ねぇ。はて……見たような、見てないような……?」

  曖昧な返事をする。

  ──どっちなんだ。はっきりしろ。[[rb:耄碌 > もうろく]]しないでくれ……ワシよりも若いのに!

  「見たんですか?」

  苛立ちを隠し、今一度聞けば、今度は、「うーん……」と、気のない返事が返る。

  ──埒が明かない、何なんだ!?

  「また思い出したらいいので……。じゃあ、ホットミルクを一つ。シナモン入りで」

  「はいよ」

  店主は踵を返し、 ホットミルクを作っていく。年齢は四十を過ぎたあたりで、黒髪パーマのチリチリな店主はさっと作り、適当にシナモンを振ってバーカウンターのテーブルに置く。

  「お待ちどう。ああ……そういえば、四日前に見たのをたった今、思い出したよ……。女性は白いウサギを抱えてて、少年は獣みたいな金色の瞳をしてて……なんだか、不思議だったねぇ」

  間違いなく、ヒロとヒメカだ。

  「その二人がどこに行ったか分かるかね?」

  「港に行ったから恐らく、向こうの……不思議な島の、エアスト王国方面に行ったんだろうね。クローネ島は常に季節が一貫しないのにねぇ。日によって春になったり、夏になったり、冬になったりと、世話しないのに。そうだ、あんたももしクローネ島に行くなら、気をつけるんだね……まぁ行くのは、あんまりお勧めしないがね」

  店主はそう言って、バーカウンターの片付けに入る。

  「ありがとう」

  一気に飲み干し、金を置いて酒場を出る。

  ༓࿇༓

  「どうだった?」

  「ヒロとヒロの母親は、常に季節が一貫しない、クローネ島のエアスト王国に行ったそうだ」

  「へぇ~。じゃあ、そこに行くのか?」

  「ああ」

  再びサイドカーに乗り、港に向かう。

  港に行くと、自動車専用船便が停泊している。自動車専用船便は一日に三回、朝、昼、晩と出港し、航路は大抵決まったコースを行くが、仕事の内容で変わるという。

  「ところで狼よ、船旅はしたことがあるか?」

  「一度だけな。あんまり覚えてないが、ヒロと一緒だったぜ」

  「ほぉ、そうか」

  港に行くと、自動車専用船をチェックしている艦長がいたので話を訊きに行く。

  「すみません。クローネ島に行きたいんですが、今日はその航路を通りますかね?」

  「ちょうど今から行きますよ。サイドカーなら、向こう側から乗るといい」

  艦長が指し示した方向に、乗り物専用の乗り場がある。

  「そうかね。ただ、予約してないんだが……」

  「おや、そうですか。ふむ……では、私が何とかしましょう」

  艦長はにこりと笑うと、早速、外部と連絡を取る。

  それから暫くして、「たった今、予約しておきましたよ」と告げる。

  流石は艦長といったところなのか。

  「どうもありがとう御座います、助かりました」

  「いえいえ、良い航海を共にしましょう」

  艦長はそう告げると、再び自動車専用船のチェックに戻る。

  船のチケットを買って乗れば、すでにそこには多種多様の車が乗っていた。奥の空いているスペースに駐車すれば、狼が口を開く。

  「ヒロもこうやって乗ったのかな?」

  「ヒロは、こっちじゃないかもな……。すまぬな狼、ワシは少し疲れた。ちょいとここで、寝る。なにかあったら起こしてくれ」

  「分かった。なにかあったら起こす」

  狼はそう言って、ワシの隣で耳をピンと立てる。

  ──海を渡ってすぐに、ヒロと会えればいいんだが……

  人を訪ねて探すのは、こんなにも労力がいるとはの……と考え、はたとなる。

  ──ワシは何で、こんなにも面倒なことをしているんだ?

  「はぁ、ややこしい……」

  「どうしたんだ?」

  「いや、ただの独り言だよ。気にせんでくれ」

  大きな独り言は、隣にいる狼の耳に自ずと届いてしまう。

  それから暫くして、船が出港する。ボォーという汽笛が鳴り、陸から船が離れているのだろう、ゆらゆらと揺れる感覚に[[rb:微睡 > まどろ]]み、そのまま眠りに落ちていく。

  ༓࿇༓

  『おーい! あきらぁ~!』

  ヒロが駆けてきて、バケツ一杯に大量の落ち葉を詰めて渡してくる。

  『これで焼きいも作って! 今日は焼きいもが食べたい!』

  いっぱい食べたら、お腹にガスがたまって、オナラが止まらなくなるぞ──なんてことを言いながらも、ヒロに言われるがままにいっぱい焼いき、食べた。

  残りは保存用に干して──……

  『ガタン!』

  刹那、サイドカーが大きく揺れ、夢から覚める。

  「あきら! 起きてくれ! 大変だ!」

  目覚めるとヒロではなく、狼が覗き込んでいた。

  ──そうだ、船に乗船したんだったな、ワシは。

  「何だ……? どうした……?」

  「急に真っ暗になって、赤いランプとサイレンが鳴りだし始めた!」

  「なに……」

  その内、緊急アナウンスが入る。

  『お客様は速やかに、甲板にお集まり下さい』

  慌ただしいアナウンスが、繰り返し鳴り響いてる。

  もしかしたら船は、沈没寸前なのかもしれない──