毒物混入事件後、王家の警備はより一層強化され、ゼファーはより国王の側や宮殿に詰めることとなった。
毒物は茶葉からは検出されなかったが、国王のカップについていたお茶の残りからは毒の反応があったらしい。
しかし、同じポットから注がれたゼファーとガヴィのお茶からは毒は出なかった。
紅茶を用意した女官は、国王が若い時から仕えている古参の女官で信頼も厚いため、彼女が犯人だとは考えにくい。
女官本人も自分に不利になると解っていつつ、お茶を淹れる際には自分しかポットには触っていないと証言している。
ますます謎は深まるばかりだ。
フォルクス伯爵にも詳しく話を聞いたが、紅の民を虐殺したのは誰なのかは掴めなかったそうだ。
いくら小さな村といえど、個人であのような芸当ができるはずもなく、しかし国の中でも北の辺境の村である。目撃者も生存者もいない。
住民同士の内紛の可能性もあるのではとの見解も出たが、そうではないことはイルがよく知っている。
王子の誘拐に関わった二人の内一人は雇われ傭兵、魔法使いは調べたが足がつかなかったらしい。
ゼファーが宮殿に詰めていて動けない為、ガヴィは単独で調べを進めることにして、一旦侯爵邸に戻ることとなった。
国王や王子の身が心配であったが、側にはゼファーが付いていてくれるし、城の中では警備の厳しい宮殿の中にいるのが一番安全だろう。
後ろ髪をひかれつつ、一応ガヴィ預かりのイルはガヴィと一緒に侯爵邸に戻った。
「お帰りなさいませ。ガヴィ様、アカツキ様」
屋敷に戻ると執事のレンが暖かく迎えてくれる。
(レンの顔を見るとホッとするなぁ)
ここを出てからまだひと月も経たないのにイルはなんだか懐かしい気持ちになる。
レンはガヴィの外套を受け取りながら予定を尋ねた。
「しばらくごゆっくりされる御予定ですか?」
「いや、支度が出来次第出かける。ちょっとばかしノールフォールの方に――」
イルの耳がピクリと動く。
「……そういや、お前もあそこから着いて来たんだったな。
……お前はどうする?」
ガヴィの話はこうだ。
紅の民の里の虐殺、王子誘拐、国王の暗殺未遂。
三つの事件に何の関わりもないはずがないのは明白だが、どの事件も犯人の足取りはつかめていない。
王子誘拐事件も国王の暗殺未遂も、ガヴィは現場に居合わせたが、紅の民の里の事件に関してはフォルクス伯爵の報告のみで未だ現場は見ていない。
国王も王子も今は宮殿にいるし、そちらはゼファーに任せることにして、ガヴィはもう一つの現場を自分の目で調査しようと言うことだった。
「ノールフォールは北の国境に近い。
侵略目的の隣国の陰謀ではないかって意見も出てるが……それにしちゃ三つも事件を起こした割には国としての動きがない」
水面下で謀略が進んでいるとも考えられるが、こんなに立て続けに事件が起きればノールフォールと隣接している国は真っ先に疑われてしまう。
紅の民の里の事件後、公式書面で隣国に、『村人を惨殺した凶悪犯が国境を越えてそちらに侵入したかもしれない』と表向きには注意喚起と協力を要請したが、隣国からはすぐにお悔みと要請内容の了承についての返答があった。
「是の返答をしておいて直ぐに王家抹殺にかかるっていうのもリスキーすぎるし、俺は隣とはこの一連の事件、無関係だと踏んでるんだよな」
そもそも隣国、クリュスランツェとは古くからの友好国で近年もこれと言ってトラブルはない。
ということは、敵は内側にいるということになる。
「どいつが敵か、わかんねぇからよ。
とりあえず一度秘密裏に調べに行く」
ガヴィはノールフォールに行っている間、イルをレンに預けようと思い一時帰宅したのだが、そういえばこいつも当事者だったと思い直した。
正確に言えば、ガヴィはイルが本当に当事者だとはこの時は思っていなかった。
しかし、なぜだか連れて行った方がいいのではないかという思いに駆られたのだ。
イルは当然着いて行く! とばかりに力強く吠えた。
***** *****
旅支度を整え、次の日には出発した赤毛の公爵ことガヴィと黒狼のアカツキだが、ノールフォールの森に着くのは前回森から王都に来た時の様にはいかなかった。
前回は避暑地に王家お抱えの優秀な魔法使いが同行していたため、彼の移動魔法を使って王都との距離を短縮していた。
しかし今回は秘密裏である為、王家お抱えの魔法使いは使えない。
当然、自分の足を使うことになる。
王都からノールフォールの森まで魔法なしで行けば、馬を使っても一週間はかかってしまう。
往復すれば移動だけで半月だ。
ノールフォールは辺境の地であり、だからこそ今まで調査もフォルクス伯爵に頼り切りだった。
しかし王家の面々の命が狙われている中、半月以上も王都を離れていいものなのだろうか?
イルは少し不安になってガヴィを見た。
ガヴィは初めて会った時と違い、落ち着いた深緑色の動きやすい服と、目立たない色の頭からずっぽり被るタイプの外套を身に纏っていた。ガヴィの燃えるような赤毛は外套の中に入ってしまってほとんど見えない。
一応隠密行動なのに目立ってしまう為だと解ったが、あの燃えているような赤毛が、少し前をゆらゆらと揺れるのが好きなのにな、と少し寂しく思う。
ガヴィの赤はなんだか元気が出る。
(ふふ、変なの)
人の頭を見て元気が出るだなんて、イルは自分の思考に一人笑った。
馬も使い、三日ほど北に向かって走ると比較的大きな町、ポルトに着いた。
アルカーナ王都の城下街程ではないが、人や馬車がひっきりなしに行き来し街は活気がある。
昼前にはポルトの街に着いたのでイルはガヴィがこの街に寄ったのを不思議に思った。
昨日寝床に借りた納屋(なんせ黒狼連れなので宿には泊まれなかった)の家のおかみさんが好意で今日のお昼の軽食を持たせてくれたので、昼食の心配はない。
あと半日も歩けば夕方には次の町に着けるのでここに寄ったのが意外だったのだ。
(何か買わなきゃいけないものでもあるのかな……?)
イルの疑問をよそにガヴィはどんどんと迷いなく歩いていく。
そのうちガヴィは大通りから離れ、なんだか薄暗い裏路地の方に入っていく。
大通りはあんなに人であふれていたのに、次第に人が減っていき、代わりにちょっと人相のよろしくない人間がうろつき始めている。
昼間だというのになんだか空気も少し薄暗い。
(ちょっとちょっと! どこに向かってるわけ?!)
少しビクビクしながら必死でガヴィに着いて行くと、ガヴィは袋小路になっている路地の奥にある、軒下にガラクタが積まれている家屋の前まで来た。
この家、何かの店舗のようである。
壁には小さく『よろずあります』と汚い字で書いてある。
……確かに色々置いてはあるが、使えそうなものはありそうにない。
しかもドアにはクローズのプレートが掛かっていた。
しかし、ガヴィは躊躇なくドアを開けると中に入っていった。
ガランガシャンとドアベルらしきものが鳴るが、よく見ると穴の開いた小さなブリキのバケツらしきものがドアにぶら下がっていて、イルはうへぇと顔をしかめた。
「おい! ドムのおっさん! いるか!」
ガヴィはフードを取ると大きな声で叫んだ。
ガヴィに続いてイルも店内に入ると、こちらも店というよりゴミ溜めという言葉がピッタリの様子で、所せましと訳のわからないものが置いてある。
かろうじて部屋の奥にカウンターらしきものがあり、奥からこれまた小汚い髭を生やした五十位の男が頭を掻きながら顔を出した。
「お客さァん、今日は店閉まって……ってなんだ、赤毛のボーズかよ」
ドムと呼ばれた男は、どうやらここの店主らしい。
店も汚いがこの男の風体も薄汚く、髪はボサボサ、無精髭を生やしていてなんとも胡散臭い。
(……名前も[[rb:ドム > 馬鹿]]ってふざけてんの?!)
国王から信頼の厚い侯爵様と関わりのある人物だとは到底思えない。
しかしガヴィはなんとも思っていない様子でドムに話しかけた。
「道を開いてもらいたい」
ドムは片肘を行儀悪くカウンターに付き、頬杖をつきながら片眉を上げた。
「……対価は?」
ドムは面白そうにガヴィを見上げた。
「……アルカーナ王宮で出されている一級酒、樽で」
「いいねぇ! 乗った!」
嬉々として手を叩くドムに、話の見えないイルは目を白黒させながら二人の顔を見比べた。
ドムは頬杖をついたままガヴィの足元のイルを見ると益々愉快そうに目を細める。
「ポーンと宮中一級酒を用意できる、狼を連れた赤毛のボーズは一体何者なのかねぇ?」
くつくつと喉の奥で笑うとドムはよいせっと立ち上がる。
「ここはいつから客の背景詮索するようになったんだ?」
ガヴィがうんざりした顔でドムを見る。
「わりーわりー。ちょっとした独り言だよ」
ドムは手をひらひらとさせて店の奥に向かうと二人を手招きした。
店の奥はガラクタの置いてあった店内よりも薄暗く、壁には何やらハーブやよくわからない奇妙なものがぶら下がっている。
イルがきょろきょろと室内を見まわしていると、「ドムのおっさんはこんな[[rb:風体 > ナリ]]してるが、なかなか高度な魔法を使う魔法使いなんだ」とガヴィが教えてくれ、「お前は一言多いんだよ!」とガヴィを小突いた。
「んで? どちらまで?」
部屋の隅に置いてある、これまた壊れそうな椅子に腰かけながら尋ねる。
ガヴィはノールフォールまで、と答えた。
「ノールフォール! また辺鄙なとこまで行くねぇ!」
「なんだよ、行けねぇのか?」
ドムはカカと笑う。
「いや? 俺もまた旨い酒が飲みたいんでねぇ? お送りしましょう」
そう言って再び立ち上がると、何やらガヴィと二、三言葉を交わし、ガヴィは何か品物を受け取っているようだった。
そしてガヴィとイルをちょいちょいと手招きすると部屋の中心に立たせる。
「さぁて! それじゃあ今からこの万屋ドム様が、お前たちをノールフォールまで送ってあげようかねぇ!!」
そう言って呪文を暗唱すると、二人の足元に円形の魔法陣が光輝いた。
ドムの描いた魔法陣はガヴィとイルを光の軌跡で包むと、あっという間に魔法陣の外の景色を変えた。
ついさっきまで薄暗いドムのよろず屋の部屋にいたのに、今目の前に見える景色は森の入口だ。
魔法陣の光は空気に散るようにして消えていった。
「さて、いくか」
ガヴィはフードを被り直すとスタスタと森に向かって歩き出す。
イルは慌ててガヴィを追いかけたが、頭の中は軽く混乱していた。
(え? いや、いやいやいや!
あのおじさん、簡単に魔法陣描いてたけど可笑しくない?!)
移動の魔法は魔法の中でもかなり高度な業だ。
空間と空間を繋ぐのだから当然だが、腕のいい魔法使いでもせいぜい家の中と外を繋ぐとかその程度である。
ちなみに古の時代、優秀な魔法使いを排出していたと言われる紅の民の一族の中にも、昨今魔法の血が薄れていったせいもあるがそんな高度な魔法を使える者はいなかった。
王家お抱えの一級魔法使いならいざ知らず、あんな場末のよろず屋の店主が何故。
疑問符が色々つくが、悲しいかな黒狼姿のイルでは質問することすらできない。
(ガヴィって……変)
黒狼になれるイルだって、傍から見れば相当変だが、ガヴィは謎が多い。
口は悪いし、若いのに平民から侯爵位をもらっていたり、変な知り合いがいたり。
怒ってばかりだけど優しいところもあって。
笑顔と寝顔は存外に子どもっぽい。
(ガヴィのこと、……もっと知りたいなあ)
チラリとガヴィの横顔を盗み見る。
イルはガヴィへの興味がどんどん膨らんでいくのを感じていた。
***** *****
森に入り、避暑地を越えてどんどん里に近づく。イルは里が近づくにつれ、自分の足取りが重くなっていることに気づいた。
父に急かされ、燃える里を背に飛び出してから里には戻っていない。
あれから里がどうなっているのか、知る由もなかった。
(全部が……夢だったらいいのに)
前に見た夢のように、里に行ったらいつも通りの日常が広がっていて、皆が笑顔で暮らしている。
イルのことは皆気にしないけれど、それでもいい。今度は、自分から話しかけに行くから。
僅かな望みをかけて、イルは震える足で里に近づいた。
「……こりゃ、ひでぇな……」
イルの祈りも虚しく、眼下に広がったのは、炎に燃やし尽くされて真っ黒に煤けた里だった。
「………」
過去に建物だったものは殆ど形を残しておらず、畑だったところはただの大地と化していた。
幸いにも、住民の遺体はフォルクス伯爵が埋葬してくれたのか綺麗になくなっていた。
「……見事に焼き尽くされてんな……」
ガヴィが跪いて土を握る。
焼け焦げた大地は塵になってガヴィの手から零れた。
「……住民同士の[[rb:諍 > いさか]]いってのには無理があんな。生き残りがいないのも不自然だし。
……里の者にも一切気づかれず、抵抗の暇なく攻め入る事なんて可能か……?」
顎に手を当て、ガヴィが独りごちる。
イルは居た堪れなくなり、静かにその場を離れた。
胸が苦しい、大声で泣きたい。
……この姿では、それも叶わないけれど。
里の奥にある少し開けた所にある野原まで来て、一人頭を垂れる。
ここまでは火の手が届かなかったのか、イルが里を飛び出す前と同じ光景が広がっていた。
下を向いたイルの目の前に、白い花が何の苦も無い様子で風に揺れている。
その様子に益々苦しくなって、イルは熱いものが急速にせり上がってくるのを感じた。
が、次の瞬間、金縛りにあったように体が硬直し、変な汗が一気にあふれ出た。
(お城で嗅いだ、あの臭い――!)
目の前に広がる、可憐な白い花畑を見て思い出す。
『イル、この花は綺麗だけどな? 絶対に摘んで帰ったらダメだぞ?』
在りし日の兄の声が頭の中で急速に再生される。
兄は、何といっていた?
『この花は[[rb:春告花 > はるつげばな]]なんて呼ばれているけど、別にもう一つ名前があるんだ。見た目は可憐だけれど、人を殺してしまうくらいの毒がある。
――〘白い悪魔〙って別名があるくらいなんだよ』
ノールフォールの森にはよく群生しているありふれた花だ。
外に遊びに出るようになった里の子どもが真っ先に教えられること。
紅の里の子どもたちは何度も言い含められているため、近づきもしないが、微量であれば薬にもなるため里の近くに群生していても大人達は除草等はしていなかった。
子どもたちは摘めもしない花にすぐに興味を無くすのだが、普段はただの花なのに薬にするために乾燥させた時に酷い臭いがしたのを思い出した。
不思議なことに、人間には無臭なのに、鼻が効きすぎるのか本能が危険を察知するのか、黒狼姿の時には異臭となる。
国王暗殺未遂事件の時、これと同じ臭いがした――。
「こら、お前一人でどこでも行くなよ」
急にガヴィに声をかけられてビクッとする。
「おお、こりゃすげぇな……」
ガヴィは野原に群生する春告花を見てぴゅうと口笛を吹いた。
陰惨な里の様子からは百八十度違う景色だ。
イルはガヴィに花のことを告げようと思った。
(でも、どうやって? どうしよう、早く教えないと、また王子たちが危ないかもしれない!)
「……ん? どうし――」
「おや? そこにおられるのは……レイ侯爵ですかな?」
ガサリと音を立ててそこに姿を現したのは、ノールフォールの領主、フォルクス伯爵だった。
「我が領にお越しになる事は聞いておりませんでしたが……本日は何用で?」
ガヴィは少々バツが悪そうな顔をしたが、すぐに侯爵の顔を貼り付ける。
「先の件の事を含めて調査に。
フォルクス伯に許可を得ず入領したのは申し訳なかったが、王の命故ご容赦願いたい」
素直に謝意を述べる。
フォルクス伯爵はにこやかに笑った。
「お気になさらずに。レイ侯爵のお立場は充分理解しておりますゆえ、存分に調査なさって下さい。それが陛下の御代の安寧に繋がります」
イルが足元で小さく吠えたが、ちょうど吹いた風の音にかき消されてしまった。
ガヴィの意識が、フォルクス伯爵との会話に向いていたのもこの場合敗因であった。
「して、なにか進展はありましたかな?」
「いや、これといっては。
ただ……内紛の線はないと思う。どう考えても里を全滅させる事が目的の燃やし方だ」
「……なるほど」
ガヴィの見解に相槌《あいづち》を打つ。
「……因みに、今日ここにレイ侯爵がおられることは誰か把握されておられるのですか?」
「いや、今日は個人的に調査に来ただけだ。
これからアヴェローグ公に報告する」
「――左様ですか」
フォルクス伯爵に背を向け、里の方へと足を向ける。
(――ダメ! ガヴィ!!)
イルは激しく吠えた。
もし、ここにいたのが国一番の剣士、ガヴィ・レイでなければ、間違いなく即死んでいたであろう。
イルが吠えたことで瞬時に事を察したガヴィは、本能的に身体をひねった。
「ぐ……うっ……!!」
敵襲の刃はガヴィの左肩を掠めて鮮血を散らせた。
転がったガヴィにとどめを刺そうと、フォルクス伯爵は剣を振りかざす。
その時、フォルクス伯爵の背後からイルが伯爵の剣を持つ手に飛びかかり噛み付いた。
「ぐぁっ……! ……この! 野獣めが!!」
ポロリとフォルクス伯爵の手から剣が落ちる。
イルが飛び付いた隙にガヴィは瞬時に体制を立て直し、だがフォルクス伯爵と再び応戦はせず距離を取り叫んだ。
「……っ! アカツキ! 来い!」
イルはフォルクス伯爵の手から離れガヴィに駆け寄る。
二人は風のようにその場から走り去った。
ガヴィとイルが去ったあと、フォルクス伯爵は血の滴る腕を抑えながらノロノロと立ち上がり、剣を拾うと先程の柔和な顔とはうってかわり唇を不気味に歪めた。
「……逃げられはしない……
レイ侯爵、お前はここで終わりだ……!」
***** *****
前を走るガヴィの左袖がどんどん赤く染まっていく。
早く止血をしなければならない。
しかしガヴィの歩みは止まらず、疾走し続けている。森には、ガヴィとイルの息遣いだけが嫌に響いている。
(ガヴィ……ガヴィ! 止まって!
……手当てしないと死んじゃうよ!!)
イルが語りかけてもガヴィには通じない。
自分の姿が人間で無いことをこれ程呪った事はない。
しかしガヴィの疾走も長くは続かず、段々と速度が落ち、いよいよヨタヨタと歩くまでにスピードが落ちた。
前方を見ると、猟師が狩りのときに使う小さな猟師小屋が現れた。
ガヴィは周りを確認すると素早くその小屋に身を滑り込ませる。
(――くそ……っ! ……しくったぜ!)
小屋に入るとガヴィはイルも入れ、戸を閉めた。
小屋は狭いながらも小さな釜と水場があり、猟師道具が置かれた棚や仮眠用のベッドが置かれていた。
簡素な衣類が壁に掛かっている事から普段から使われていたのだろう。
ガヴィは切られた部分の服をやぶき、すぐさま傷口を確認した。
傷口自体は大きくないが、血は流れ続け、傷口の周りが不自然に変色している。
ガタガタと猟師小屋の中を物色する。
こういう小屋には、毒蛇などに噛まれた時に対応するために毒消しの草などが常備されている事が多いのだ。
しかし残念ながらそれらしき物は見当たらなかった。
ガヴィは舌打ちすると持っていた小刀を傷口に当て滑らせた。
「ちっ……!! ぅ……ぐっ!」
(ガヴィ?!)
開いた傷口を広げ血を絞る。
オロオロしているイルを余所に、ガヴィは水瓶の水を傷口にかけて血を流した。
そのままドカリと座り込む。
(――即効性の毒か。城で使われた物と同じか?)
走ったせいで毒の周りが速い。
だが、あそこにいても切られて終わりだ。
「……おい!」
ガヴィはイルを呼んだ。
「い、……いいか。
……俺は今、動けねぇ。毒が回ってるからな。
……でも、お前はまだ動けるな?」
ガヴィは破いた服の切れ端に自分の血で何かを書き、イルの首輪に巻き付けた。
「ゼファーにこれを届けろ。
俺は……ここで休んでからいくから……」
ガヴィの物入れもイルの体に巻き付け、中身の説明を簡単にすると解ったな、と言われたけれどイルは動けなかった。
ガヴィを置いていく。それはすなわちガヴィとの永遠の別れを意味している。
「――はやく、いけっ!」
肩で息をしながら急かすガヴィに、イルの身体がビクッと震えた。
その時――
「!」
ザクッ……ザクッと人の足音が近づいてくる。
もしかしてフォルクス伯爵が追いかけて来たのかもしれない。
怪我をしたガヴィの血が点々と土間に付いている。小屋の入口にも落ちているかもしれない。
この小屋には裏口はない。
扉を開けられたら万事休すだ。
足音は段々と近づいてくる。
(このままじゃ、見つかっちゃう――!)
ガヴィは荒い息をしながら剣を支えに身体を起こした。ガヴィの額に脂汗が滲む。
迫る足音、逃げ場のない猟師小屋。
ハタと、イルはこの窮地を二人で切り抜ける方法を思いついた。でもそれは、父との約束を反故《ほご》にする。
(でも、でも――!!)
父との約束より、大事なもの。
イルは、ガヴィの青白い顔を見て覚悟を決めた。
「……いいか、扉が開いたら俺が斬りかかるからお前は隙を見て外に出ろ。頼んだ――」
イルはガヴィが支えにしている剣の柄に銀の鎖を引っかけると、スルリと首から鎖を抜いた。
そして、願う。
「……は……。お、おま……」
目の前で起こった光景に、ガヴィは息の苦しさも忘れた。
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☆ここまで読んでくださって有り難うございます!感想等お聞かせ願えると大変喜びます!☆