魔力は落ち着いたはずだった。
なのに——
「……ん、ぁ……っ……ぅ……」
荒い呼吸は、まだ収まらない。
熱に浮かされたユエは、乱れたシーツの上で苦しげに身をよじる。
ユエには、自分の体に何が起きているのか分からなかった。
ただ、熱かった。
身体の芯で、本能が燃えているみたいに熱い。
息をするたびに思考が溶けていく。
誰かに触れてほしいなんて、そんなふうに思ってしまう自分が、ひどく怖かった。
ただひとつ分かっているのは、この男が勝手に契約を結び、自分の首に消えない印を刻んだことだけだった。
「……魔力はもう落ち着いたはずやのに。どないしたん、ユエちゃん……」
なのに、ユエの顔は先ほどよりも赤く染まっていた。
その体からは、甘く――そして暴力的なほど本能を揺さぶる香りが立ち昇っている。
「……まさか、なぁ」
確信を得たい一心で、チリはそっとユエの首筋へ指を伸ばす。
「ひゃうんっ……! あ、ぁ……っ、や……っ」
指先が触れた瞬間、ユエは弾かれたように背を反らせ、切なげな声を漏らした。
その反応だけで、チリには十分すぎる答えだった。
「……やっぱり、そうか」
指先へ縋りつくように甘く震える反応に、チリの喉がひくりと震える。
「……発情期、か」
初めて迎えたであろう熱は、暴走した魔力まで巻き込みながら増していく。
こんな状態で、まともに理性を保てるはずがない。
チリの喉が、ごくりと鳴る。
目の前には、自分との契約に縛られ、逃げ場を失ったユエがいる。
今ここでその細い体を抱き込んでしまえば、どれほど甘いことか。
胸の奥で膨れ上がった独占欲が「今、全部チリちゃんのもんにしてまえ」と囁いてくる。
だが——。
(……あかん。ここで手ぇ出したら、チリちゃん、ただのクズやんか)
熱に浮かされ、意識も曖昧なまま、自分を拒むことすらできないユエを抱く。
それだけは、どうしてもしたくなかった。
嫌われたくない。
それ以上に、ちゃんと目を開けたまま、自分を求めてほしいと思ってしまう。
「……ユエちゃん。……苦しいなぁ。チリちゃんがなんとかしてあげたいんやけど」
「……はぁ、はぁ……っ。……なにか、したでしょ……。からだが……おかしいの……っ」
ユエは潤んだ瞳でチリを睨みつける。
けれど熱に浮かされたその視線は、睨まれているはずなのに、どうしようもなく理性を掻き乱した。
(……これ、生殺しや。チリちゃん、試されすぎやろ)
――けれど、今の彼女は自分で何かを選べる状況じゃない。
「……わかった。ユエちゃん、ちょっと我慢しぃや」
チリは立ち上がると、家の隅にあった水瓶から布に水を浸した。
冷たい布が、ユエの熱を持った肌にじわりと触れる。
「……ち、り……?」
「今はこれくらいしかしてあげられへん。……ほんまは、チリちゃんが全部受け止めてあげたいんやけどなぁ」
チリは苦笑を滲ませながら、刺激しないようにそっと耳の裏を撫でる。
荒れそうになる衝動を誤魔化すみたいに、いつもの軽い声音を崩さないまま。
「大丈夫や。チリちゃんがここにおる。……あんたが落ち着くまで、どこへも行かへんから」
ユエは冷たい水の感触と、チリの手の温もりに、抗えない安心感を覚えていた。
人間は嫌い。この男も憎い。
いつの間にか、荒かった呼吸も少しずつ落ち着いていた。
けれど、この熱の中で自分を繋ぎ止めてくれる彼の匂いだけが、今は唯一の安らぎになっていた。
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