「月建」てふものがある。
それを説明するには、「十二辰」から説明しなければなるまい。
昔のシナで、何故か空を十二等分にした事があつた。恐らく天文學の用としたのであらう。それぞれに名前を付けた。それが「十二辰」であつた。
確か黄道を十二等分したのであつたか。それであれば、月の満ち欠けや四季のサイクル(一年)とも関係があらうか。月は年中に12、3回満ち欠けするため。
さて木星はなんと、12年で夜空を一周する事が発見された。ここにその年を十二辰で記録する、「木星紀年法」が生まれた。
しかし、木星は十二辰を逆行する(丑→子→亥→…)爲、木星と逆回りの架空の星を設定した。「歳星紀年法」である。
のちに、木星はぴつたり12年で一周するわけではない事も分かつた。端数が出るので、閏年的なのを入れてゐた。然し面倒になつたので、機械的に十二支を当てる樣になつた。「干支紀年法」だ。
干支に十干(甲乙丙丁…)がくつ付いて、六十年てふ長い周期をも記録できる樣になつた。60年経過して、元の干支に戻ることを「還暦」と言つた。
さらに、21ホウ(?)とか言つて、1260年周期も現れたが、これはオカルトらしい。(しんい説)
話を戻さう。
十二辰の設定後に、月も丁度年十二回てふ事が分かつた。
そこで、「冬至を含む月」を「子月」とした。
これが「月建」である。
「三正」とは、シナの暦設定法である。
A・B・C三つの案があり、A案が採用された。
シナ暦は、1・2・3月が春てふ原則がある。
(ならば日本は、グレゴリオ暦の3・4・5月ではないか。二月遅れだ。)
Aは、立春を年始にした。春は建寅月・建卯月・建辰月となつた。
因みにB案では、丑月が1月。
C案は子月を1月とした。大雪または冬至を年始としたんだと。
24節気は、暦と季節のズレを修正する爲に生まれたらし。黄道の1年を15日づつに等分するなんて、凄い発明である。等分するのが「平氣法」であり、太陽の黄道上の移動(つまりは地球の公転)に正確なのが「定期法」である。
後者は先の木星の樣な、細かな問題を生み出す。それが、「旧暦問題」だ。
日本では明治六年一月一日より、太陽暦が採用された。
これは、「春分」を暦元とするものである。