三段目
たつおうしよう勝ち越し ほくとさかえ負け越し
せんほう勝ち越し きりんりゆう負け越し
きよのうみ勝ち越し ながむら負け越し
幕下
六勝一敗が七名。
はやなみ勝ち越し まるしよう負け越し
ことつばさ勝ち越し ふじとうし負け越し
ふかゐ勝ち越し みねやいば負け越し
十両
一山本が一敗
大の里が二敗
四敗が三名
※今日一山本が勝てば、優勝可能性が無くなる。
幕内
三敗二名、四敗四名
湘南乃海、勝つて七勝七敗に。
熱海富士勝ち。
「能が無いバカ」「うざい」「ださい」「恥づかしい」「カス」「姑息」
「元優勝者がする相撲ではない」「だめだわ」「せこい」「きらい」「しらける」
変化の相撲に対する、悪口のオンパレードだ。
「持ち味は意外性」「変化してこそ これぞ阿炎の形」「勝ちにこだわるならむしろ褒める」「むしろ尊敬」「変化していいから勝つて」「きらいだけど頑張つて」
「かつこわるい」「情けない」
ここらへんはファンつぽい。
変化せず当たつて勝負してほしい人、また、変化を一つのスタイルとして認めるファンもゐる樣だ。
「平幕ならやつても良い」と容認するコメントもあつた。
結び
豊昇龍、勝つて7-7に。
貴景勝、四敗に。
蛇足
昭和59年9月場所で、東序ノ口50枚目の佐野(二所ノ関部屋)が、13日目の七番相撲を終えて7連敗。更に14日目に組まれた八番相撲でも敗れて「0勝8敗」。これは幕下以下1場所7番制導入以降、史上初の「1場所で0勝8敗」の公式記録で、後述の服部桜(こと勝南桜)及び肥後光が記録するまで長らく唯一の例とされていた。 - ウィキペディア「[[jumpuri:八番相撲 > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%95%AA%E7%9B%B8%E6%92%B2]]」より
服部桜、不名誉な記録を残してゐますね……。
平成31年3月場所に史上二人目の0勝8敗。
令和初の0勝8敗、改名した[[rb:令和3年 > おととし]]1月場所でも0勝8敗……。
計4度の8敗を喫してゐます。
令和3年9月場所で、肥後光が史上三人目の八敗力士となつた。
今年で35歳、三場所連続で全敗し、まだ勝ち星を挙げてゐない樣です。
[[jumpuri:相撲レファレンスさん > https://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=2905&l=j]]を見て気付いたのですが、「番付外」といふのもあるのですね。
序ノ口全休で陥落、または前相撲全敗でなるさうです。
前相撲については令和2年9月場所では行はれず。
新弟子検査合格1人=モンゴル出身の為、翌場所以降。
番付外からの参加者は1人きり。
この年の3月場所の新序出世披露はコロナ禍で行はれず。
翌7月場所の初日取組開始前に行はれたといふ。
[[rb:令和3年 > おととし]]3月場所では前相撲は実施されず、新弟子検査の届け出順に序の口に記載された。
[[rb:令和4年 > きよねん]]3月場所も同様。
いや今年の春場所もやらへんかつたんかい。
今場所の前相撲参加者は六名。
新序は二名で、[[jumpuri:恒例通り中日の三段目の途中に新序出世披露行はれた(スポニチ)。 > https://news.yahoo.co.jp/articles/96d30fad83655442fe09af72d37d0bc5de017b48]]
ウクライナ・ビンニツァ出身の安青錦(あおにしき)、本名ダニーロ・ヤブグシシン。([[jumpuri:スポニチ > https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20230912-0105.html]])
京都出身の山田。([[jumpuri:時事通信 > https://news.yahoo.co.jp/articles/f93619818f8c9808cf0ddc791f0d5adcc0f1d9c1]])
チョイジルスレン([[rb:第百回 > 昨年]]学生横綱、幕下15枚目格付き出し)、ダライバートルの二人は、興行ビザ取得後の来場所以降から初土俵。
ともにモンゴル出身で、日体大相撲部であつた。
大の里(中村泰輝)も日体大出身であり、学生相撲でチョイジルスレンに敗れ、準優勝になつてゐる。
人数が多い春場所では、三回に分けて行はれるらし。
再出世力士の披露は現在では行はれてゐない。
前相撲は、番付に載るための技量を審査するための取組である。
かつては1勝しないと出世は認められなかつた。
江戸期には前相撲→相中(中)→本中→序ノ口だつた。
最初期の江戸相撲では、前相撲から番付に載せてゐた。
相中は明治期に無くされた。
囲碁の大手合ひみたいなものか。いや、全然違ふか。
昭和19年春場所まで、「飛び付き」といふ方式で行はれてゐたらしい。
まだ大相撲の土俵に柱があつた時代か。(71年前の昭和27年9月場所より撤去。)
1973年(昭和48)より、本中と飛び付きを廃止。仕切りをする樣になつたといふ。