八幡神は応神天皇ではない。
續日本紀・749年条の宣命に
廣幡乃八幡大神(ひろはた の やはた のおほかみ)として出てくるらし。
八幡神は宇佐宮に祀られてゐた。
歷史的には、託宣をよくする神としても知られる。→三社託宣
748年(天平20)9月1日、八幡神は出自に關して「古へ吾れは震旦國の靈神なりしが、今は日域鎮守の大神なり」(『八幡宇佐宮御託宣集』巻二、巻六)と託宣してゐる。
しかし、『豐前國風土記』逸文に、「昔、新羅國の神、自ら度り到來して、此の河原〔香春〕に住むり」とある。
769年、宇佐八幡宮神託事件。
坊主に天皇位を譲りたかつた女帝により、和氣淸麻呂は、「きたなまろ」に改名させられてしまふ。
ポイントは、宇佐八幡宮といふレアな呼称。
延喜式(927年)では、「八幡大菩薩宇佐宮」と菩薩號になつてゐる。なほ神名帳は、神宮と宮がごく僅かでかり、あとは全て神社と表記されてゐる。
然し、延喜式巻九と巻十の差別は何うやつてゐるのだらう。平安宮内、京内及び五畿は恐らく巻第九であらうが・・・。
三大八幡宮
石清水 →平安京があつたので
鶴岡 →鎌倉幕府があつたので(源氏の氏神、応神天皇、卽ち皇祖神?)
イザナキもアマテラスも皇祖神と考へるのが、竹田恒泰説であるが、応神天皇など歴代天皇は果たして皇祖神なのだらうか。皇祖皇宗といふ言葉から類推すると、皇宗ともなりさうだが、平安時代や鎌倉時代の源氏、そして現在の皇室から見て、先祖である事には違ひなささうだ。それを我々木端の先祖と區別して、皇の字を頭に伴つた「皇祖」としたと考へるべきか。
筥崎宮 921年、応神天皇を祭神として創建された。
天皇には人皇何世何代といふのとは別に、アマテラスから數へる世系てふものが、皇統譜には記されてゐるといふ。
まあ、初期天皇は直系継承が多いので、十五世十五代、世系二十とかぢやないか?
知らんけど。
そんなことより、筆者の關心はモンゴル帝國へと移りつつある。
欧人はモンゴル襲来に驚き、黄色人種を「モンゴロイド」と名付けた。
然し當のモンゴル帝國は、高天原の至高神《テングリ》を奉じ、モンゴル文字とモンゴル語で歴史書を書いたのか!?
現在、モンゴル語はキリル文字によつて表記されてゐる。
そして多分だが、モンゴル語で書かれた歴史書とかも無い。
イルハン國か何處で書かれた『集史』も波斯語やんけ。
「永遠なる天の命令であるぞ。天上には唯一の永遠なる天の神があり、地上には唯一の君主なるチンギス・ハーンがある。これは汝らに伝える言葉である。我が命令を、地上のあらゆる地方のあらゆる人々に、馬の足が至り、舟が至り、使者が至り、手紙が至るかぎり、聞き知らせよ。」
宮脇淳子『どの教科書にも書かれていない 日本人のための世界史』No.564/3356
追記(メモ)
田中総長・打田氏 體制
不正土地取引・背任の疑惑で、告發を受けてゐる。
vs
鷹司統理・北海道神社廳長の芦原理事
裁判ですつてよ。([[jumpuri:東京新聞・おととし十二月 > https://www.tokyo-np.co.jp/article/220715]])
鶴岡八幡宮が神社本廳脱退を表明(一週間前)
大分縣神社廳宇佐支部
「謝罪文に署名しろ」
「それから神宮はすっかり変わってしまった」
宇佐神宮を守る會([[jumpuri:西日本新聞・六年前 > https://www.nishinippon.co.jp/item/n/390042/]])
富岡八幡宮事件(七年前)