内田樹先生の文章や著書を読むと、何だか頭が良くなりさうだ。
然し東大卒の先生の本を読むと、「頭が良くなつた氣になれる」のは、新たな知識が得られるからである。それは「巨人の肩に乗つてゐる」だけであり、決して自分の頭が良くなつたわけではない。
頭が良くなるとは、自分の頭で考へられる樣になる事である。
内田先生の文章は、考へ方を教へて、鍛えてくれさうな氣がする。これは私の直観、もとい直感だが。
果たして内田先生の文章で、本当に考へ方は豐かになるのだらうか。早速みていきたい。
内田 樹(うちだ・たつる)
1950年生まれ、72歳。
東京大学卒業。
博士課程を中退し、都立大学助手となる。
専門はフランス現代思想。
佛文、武道、翻訳、思想。
「内田樹の研究室」より[[jumpuri:「『オタク』と司法」 > http://blog.tatsuru.com/2004/06/09_1054.html]](2004)
1960〜1970年代から、SF関係者の間で「オタク」てふ語が使はれ始めたらしい。
「コミケ」の前身は「SF大会」、同人活動の前身はSFファンジンだとか。
なんだか、『ALLWAYS 三丁目の夕日』(2005)や、SF御三家、筒井康隆先生の「くたばれPTA」(1986)、藤子・F・不二雄先生を思ひ出します。
『オールウェイズ』の舞台は1958年なので、オタクてふ言ひ方はまだかも知れません。代はりに主人公は、「ブンガク」と呼ばれてゐましたね。
『日本沈没』は1973年、『日本以外全部沈没』も同年。
或いは『スターウォーズ』(1977)やアニメ『銀英伝』(1988)等のスペースオペラ、『宇宙戦艦ヤマト』(1974)、『銀河鉄道999』(1977)、寺澤武一『コブラ』(1978)とか。
SFの歴史
『竹取物語』
E.P.ミッチェル 1852年生まれ。「テレポンプ」(1877、25歳)など。→カスガ翻訳「[[jumpuri:ミッチェル短編集 > https://www.pixiv.net/novel/series/12507]]」
虚航船団が好きで、原作を購ひました。ゴールキーパーだ!
あれ第二部やばいですね! 第三部では、筒井康隆先生のインタビュー等、メタが入りつつ、第一部の登場人物(文房具)が全員死にました。なんじやこりや。その後、ラノベ『ビアンカ』と『聖痕』を購ひ、アニメ『パプリカ』を見ました。
『バブルリング創世記』は、ヤスタカが生まれるところが好きです。「カラダ記念日」は元ネタが手元に無いので分かりませんでした。
ヴェルヌ 1828年生まれ。
『月世界旅行』(1865)→映画(1902)(ウェルズ『月世界最初の人間』(1901))
『海底二万里』(1870)→アニメ『ナディア』(1990)
『八十日間世界一周』(1873)、『十五少年漂流記』(1888)
ウェルズ 1866年生まれ。
「この程度の歴史的事實さへ當今の「オタク」たちは知らない。」
歴史的事実?
「それも當然で、1960年代のSFファン活動などといふものの歴史的ドキュメントなんかだれも記録して殘してゐないからである。」
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内田先生は、中田先生の十年先輩なのですね。
仲がよろしい印象でしたので、髙校の同級生かと、勝手に思つてをりました。
武道とお能のイメージが先に立ちますが、後から哲学の人だと知りました。大学で映画の授業をやり、また映画論のイメージもあります。
映画自体が若者はあまり見なくなり、YouTubeとかTikTok、Instagramな気もしますが……。恥ずかしくて公言はできません。
専門はフランス現代思想。「現代思想」はニイチエ以降、20世紀からですので、ジョルジュ・バタイユとか、ミシェル・フーコーとかも入りますね。
中田先生の大学時代に、流行してゐたとか。
内田先生も中高生の時に、文学や音楽、映画でフランス趣味が流行つた、と書いていた気がしますが、具体的な人名は全て忘れました。ボードレール、ゾラ、サド?
私のイスラムの玄関口は、アルジャジーラですね。
なんとなくイスラムてふだけで、悪者扱ひされる中、逆張りでアルジャジーラを視聴したくなりました。
小学校で「体に爆弾撒いてるのか」とかいふ虐めがあつた頃です。
後藤健二氏の誘拐事件では、中田先生も記者会見を行つてをりました。
前後して書類送検されたり、外患誘致罪が初適用されたりしましたが。
中田先生の場合はイランのイスラム革命だつたさうです。丁度大学生になつた頃だつたとか。
最初はイスラムが嫌い(?)で、調べてゐるうちに、イスラム学科に入り、ウラマーにまでなつてゐるのですから、凄いですね。
私も神道教育を受けてゐた時は、「イスラムは女性を永遠の未成年として扱ふ」「イスラムには人口増加のブレーキがない」とか習ひました。前者は保守派の男尊女卑思想を、ミラーリングしたものだとされてゐますね。自分の妻にブルカを被せたい、てふ昏い慾求を持つ男は居さうです。
人口問題についても、イスラム圏でも少子化が起こるてふ説が唱へられてゐます。人口増が續くのはアフリカだけとか。良いですね、アフリカ。
神道教育の落伍者は、十字架とか身につけ始めるんですよ。忍野メメかな。
私も忍野メメみたいな拝み屋(セミプロ)に憧れてゐた時代がありました。逆十字を身につけてゐましたね。
後は仏教から神道に行つたり、神道から仏教に行つたり、地味な人的交流がありますね。
神道とキリスト教の接点は、カクレキリシタンとか、枯松神社がありますね。
宮崎賢太郎『カクレキリシタンの実像: 日本人のキリスト教理解と受容』吉川弘文館(2014)にも、あとがきで「神基習合」や「神佛基習合」の形を探ると書かれてをり、興奮しました。平戸に行きましたし、オラショのCDも購ひましたね。
私も神仏基習合を実践してゐるところがあります。修道女がお寺の参道を歩いてゐたので、合掌して「Bress you」と言つた事もある。「You too」と言はれた。わしや潜伏キリシタンか。
キリスト教新聞も取つた事がある。カソリック、プロテスタントの礼拝に参加したし、正教会の聖堂も見に行つた。カソリックの聖堂で、母の病気快癒も祈つた。あの日は寒かつた。靴を脱いで正座で祈つてゐる人もゐた。カソリックのミサでは、信者の人が「ほら、あなたも」なんて誘つてくださつたので、悪人ながら神父に旋毛を見せた。濡れた煎餅みたいなやつを食ふと、怒られるらしい。洗礼を受けた者のみが聖体拝領を受けられる。背筋の伸びた真面目さうな若者が、つむじを見せてゐたので真似した。多分あれは、洗礼前の信者だ。洗礼には一年くらいかかるらしい。その間は聖書の初歩的なの勉強と、ミサへの参加を行ふ。
プロテスタントでは献金の籠が回つて来たので、五円玉を入れてやつた。神社じやねんじや。悪人仕草である。
その後隣の人の真似をして、籠に南無南無した。
マイナーかつローカルな民間宗教としては、高知のいざなぎ流(土着の陰陽道)、福井の天社土御門神道(中央官僚としての陰陽師)などもありますね。
私も禹歩とか見てみたいな……。
台湾や中共の民間宗教は、結構勢力が大きいですね。シャーマニズムや媽祖信仰など。
神道からイスラームに行く人は珍しさう。私以外に一人しか知らないし、私はムスリムではない。
内田先生は「自己言及が多いから、オタクが苦手」らしい!
自己言及とは、平たく言つて「自分語り」と恐らく同じか、と思はれる。
つまり、私じやん!(自己言及)
ごめんなさい……。
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竹田青嗣曰く「20世紀以降の哲学は焼け野原」らしい。それを鵜呑みにした私も、ポスト構造主義だとか、ポストモダニズム(ポスモダ)とかを、あまり信用してゐない。
これがバカの考へ方である。東大卒の學者の言ふ事を鵜呑みにしておけば、大抵間違ひないのよ。
竹田氏は早稲田大学卒業ですが。
鵜呑みにするとは、自らの判断を加へず、とりあへず受け取つておくてふ事である。然し年月が経るにつれ、自らの気づきとかと「東大の先生の説」が結びついて来る事がある。そして、後になつてその説が否定された時、目も当てられない。
脳科学者の茂木健一郎が「男脳と女脳は違ふ!」と言つてゐたやつ、あれ否定されてきてゐて、茂木先生自身もYouTubeでさう言つてゐる。
學者に必要なのは「自制力」である。自制力が無く、あやふやな事を言ふ者は、「バカ」の烙印が押される。特に専門外の事に言及するのは危ない。あとはテレビに出てゐる學者も危ない。學者はタレントが本業では無いからだ。養老孟司氏や竹田恒泰氏、山口眞由氏とか。こつちの竹田先生は、作家またはラーメン屋といひながら、理系の温暖化に口を出すから目も当てられない。専門は憲法学なのに……。歴史の教科書を書いて、ワイマール憲法とプロイセン憲法を間違へる。アウストロネシア語族とアウストロアジア語族がごつちやになつてゐる。
あと、『古事記』ね……。
まだ三浦佑之先生の方が好き。序文のみ偽書説は、センセーショナルである。然し、帝紀旧字や原古事記はあつたと考へれば、太安万侶の実在が墓の発見により確実とされた事とかとも辻褄が合ふと思はれますが。知らんけど。
古事記は謎が多くて、面白いのでおすすめです!
科学は信じた瞬間、科学でなくなり宗教になる。てふ言がある。Twitterで見た。
また人文学は、科学である必要はなく、それより広い「学問」であるてふ言もTwitterで見た。
だからフェミニズムは科学ではない。あれは価値判断であり、宗教やカルトにもなり得る。
ナチスのホロコーストで、哲学以外にも、人文学全体が焼け野原になつたのかも知れない。