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鬱蒼と植物が生い茂り、昼間でもどんよりと暗い、深い森の中。
暗さのせいか、どこか怪しげな雰囲気が漂っている。
そんな森の中を一人、歩む人影が一つ。
鮮やかな金髪を靡かせ、真っ赤なローブに身を纏った。青い瞳の勝気な印象を与える少女だった。
そんな、およそこの森に似つかわしくない少女が歩く先に、またもやこの森に似合わぬ、小さめだが小綺麗な家が見える。
「ここがこの森の魔女の家ね。はぁ、何でこう、魔女ってば面倒な所にばかり住処を作るのかしら?」
呆れた様子で腰に手を当てて、家を見上げた。
そんな少女は、ラーナという名の、まだ17という年頃だが、才能溢れる大人顔負け魔術師だった。
才能もだが、勝気で向上心溢れる性格から、メキメキ腕を上げ、体内に練り上げた魔力量もかなりの物だ。
だが、魔力量だけでは一流の魔術師とは言えない。過度に悪用出来る魔術や、ごく一部だけに伝わる秘術。あるいは、禁術。それらを含めて大量の魔術を使いこなせる者こそが、一流と呼ばれるに相応しい。
そういった術を知る手段としてラーナが選んだのは、世間から疎まれる禁術にまで手を出した悪の魔術師や、魔女、と呼ばれる存在から、魔術書を盗むという手段だった。
高名な魔術師とやらにおべっか使って、その心を認められて……なんて手段、まっぴらよ。悪党から奪ってんだから、文句ないでしょ?
というのが、勝気な性格で、それを為す実力も自信もある、ラーナの心情だった。
既に何人かから、魔術書を盗み出す事にも成功している。今回もいつも通り、ラーナは魔女の家に進入を果たさんと、進み出した。
ラーナはまず、魔女の家に近付きながら、目に意識を集中し、『魔力感知』を行なった。
本来目に見えないはずの魔力の光が見えてくる。
流石は魔女の家だけあって、恐らく防護の魔法か、全体が光っている。
本来の入り口も、魔力の封がかかっているのを確認し、ラーナは裏口へと回り込んだ。
…どうせ裏口も魔力錠してるんでしょうけど。
そんなラーナの予想通り、正面と比べて非常に簡素な扉にも、しっかりと魔力の光が見えた。
が、扉の魔力の程度を見るに、その程度、ラーナにかかれば開けるのも造作も無かった。
ドアノブに手をかざし、短く開錠の魔法を唱えれば、扉の魔力がみるみる無くなっていく。
防護の魔法までは解除していないので、未だ魔力の光が見えるが、扉はもはや普通に開く。
「ふふん! この程度、ちょろいものね!」
得意げに鼻を鳴らし、ラーナはガチャリとドアノブを回して、魔女の家に進入を果たした。[newpage]
進入した魔女の家は、ラーナが拍子抜けする程に普通の家だった。
邪悪で醜悪なオブジェクトがあるわけでもなく、怪しげな薬の匂いも、それどころか罠すら無かったのだ。
精々、魔女の使い魔らしき一匹の小悪魔ーー背に蝙蝠を思わせる膜状の翼を生やし、頭に角の生えた、赤褐色のツルツルの赤い肌の人型の、インプと呼ばれる下級でありふれた悪魔だーーと遭遇したが、呑気にハタキを持って掃除をしていたので、軽く魔力で光の網を作り出して投げ付け、絡め取って拘束して置いた程度だ。
突如光の網に絡め取られたインプは、ジタバタと地面でもがき、ギャーギャーと鳴き声だかインプ語だか騒いでいたが、ふふん、とそれを得意げに一瞥し、ラーナは探索を続けた。
(ま、フツーに罠があったら住みづらいわよね)
ここまで平和に探索出来る理由は、恐らくここは"ダンジョン"ではなく、あくまで"家"だからだろうと結論付けた。
台所にリビングも、平和そのもの。魔女がこの時間、留守なのも事前にリザーチ済みだ。
とはいえ、あまり油断もしていられない。
使い魔の契約は、主と使い魔が『念話』出来るようになったり、相互に自分が見ている景色を相手に見せたりといった機能があると聞く。
そういった機能がうざったくて魔女が切っている可能性もあるが、手早く済ませた方が絶対いいのだ。
家全体が防護魔法をかけられているこの家の中を我が物顔で歩いていると、一際魔力の感じる扉を見付けた。
家の入り口よりも、もっともっと強固な、魔力の封がされている。
貴重な魔術書か、はたまた禁忌とされる事までやってる邪悪な儀式部屋かと、ラーナは期待に胸を膨らませ、扉に手をつき、己が魔力で封をこじ開けんと、意識を集中する。
魔力任せにこじ開けるには強固で、仕組みを解析して、ほどくのも複雑。ーーいいじゃない。
負けん気の強いラーナは、強固な封印にニヤリと笑う。
目を閉じ、意識を集中させ、スパゲティの様に複雑に絡み合い、がんじがらめになっている魔力が頭の中に浮かび上がる。
『ほぐれよ、退け、消えよ、断ち切りらん……』
魔術言語で、幾十にも施された魔力の封を、あるものはゆるめて外し、あるものは切り裂き、またあるものは消滅させる。
一気に消し飛ばせれば楽だが、これはこれで、やりがいがあるというものだ。
たっぷり20分ほどかけて、ようやくラーナは扉についた手を離し、ふぅ、と額の汗を拭った。
常人には見えぬ、魔術の戦いに勝利したのだ。
これで私の戦い勝ちよ! と意気揚々と扉を開けた。
「わぁ! やったっ」
恐らくこの部屋は、魔女に取っての宝物庫なのだろう。
魔力がギラギラと見える、角があしらわれた禍々しい冠に、血の色を思わせる宝玉のネックレス。柄が蛇の様に見える短剣に、宝箱じみた箱やら。
もちろん、ラーナの目的の、本棚まで見える。
それらに吸い寄せられる様に、無造作に部屋に踏み出しーーラーナの視界が、ぐるりと捻れた。[newpage]
突如切り替わった景色に、ラーナは戸惑いながらもゆっくりと見渡した。
「…なに、ここ?」
今までは普通の家の中だったが、恐らく魔術の罠を踏んで、この部屋に転送されてしまったのだろう。魔力の灯りにともされた、窓一つ無い石造りの冷たい部屋ーー恐らく、地下室。
広々とした部屋に、片隅にポツンと簡素な木の机が置かれ、透明なビンや、小動物でも飼うのか、四角い箱状のケースが目に留まる。
そんな時、いきなり背後から魔力の気配と、
「ダメだよー。流石に明らかな泥棒はダメ。おしおきしなきゃ!」
明るい少女の声が響いた。
ラーナの後ろに、黒い魔力のオーラの中から、誰かが現れようとしていた。
振り向き様にラーナは手に魔力を集め、それを突き出し、光の魔力弾を放つ!
「うわっととと! 問答むよー?」
驚いた言葉とは裏腹に、目の前の少女は軽く手をひらりと振っただけで、放たれた魔力を無力化し、魔力弾を消滅させてみせた。
ラーナは身構え、ジ、と少女を見据えた。
見た目の歳はラーナよりも下、15かもっと下か。濃茶の長い髪と、深い緑のローブにウィッチハットに、箒。
いかにもな魔女の衣装だが、幼げな印象の言葉と小柄で子供っぽいのも合間って、どこかコスプレじみて見える。
だが、油断は禁物だ。強制的な転移の罠なんて用意する辺り、さっきのインプだけでなく、何か強大な悪魔と邪悪な契約を交わし、莫大な魔力と様々な魔術を手に入れたのだろう。
そしてそんな魔女の背後には、出口らしき扉が見える。退路を絶たれた様だ。
「だんまりー? ま、いいけどね。明らかに旅人とか迷子とかじゃなく、泥棒か討伐に来たって感じだし」
魔女の少女はちょっと頰を膨らませて、身構えたままのラーナに不満げだ。
だが、ラーナも苛立たしげに口を開いた。
「ああもう、うっさい!」
ラーナとて、魔女と談笑するためにここに来たのでは無い。魔女の彼女の言うとおり、敵として来たのだ。
それなのに、魔女の余裕な態度に腹が立ってきた。莫大な魔力が何だ。こちとら修行を積み、危険なこの世界を一人で旅して回るだけの腕があり、未だ五体満足で立っているのだ。
「うっさいって何だよ! こっちは弁明の機会をあげてやってるのにさ!」
魔女の声を無視し、ラーナは右腕を振り上げ、魔力を集中させる。バチバチと、魔力による電撃が、手を覆う。
先の攻撃は着弾前に打ち消されたが、電撃ならば発射さえしてしまえば、着弾までのタイムラグは皆無に等しい。
その分魔術の難度もあがり、即時発射とは言えないが、魔術が手の内にある状態で打ち消しなどさせはしないし、後は手を相手に突き出すだけ。邪魔などさせない程には早く撃てる自信のある術だ。
しかし、その振り上げた腕の電撃も気にせず、魔女は、
「もう許さないんだから!」
ラーナが発射のために腕を突き出し、術を解き放とうとする前に、パチンッ、と指を鳴らした。
「ーー!!」
その瞬間、まるで部屋全体から、360度全体から、膨大な魔力がラーナに向けて迫っていった。
質量は無いはずだが、押し潰されるとも、全方位から津波でも来たかといった感覚に、ラーナの五感全てが埋め尽くされーー。[newpage]
(なに? 何をされたの??)
莫大な魔力に包まれ、そしてそれが収まった。それは分かる。
気付いた時にはまた風景が切り替わり、今度は何だか赤い空間にーー否、赤い何かが体に纏わり付いている。…これも違う。
分厚いやたら巨大な布を被せられている。というのが、正しい感覚だった。
もがいて見れば、布も動くし邪魔ではあるが…拘束魔法にしては、あれだけの魔力なら指一本動かせなくなってもおかしくない。
だが、視界が完全に覆われ、あの魔女の姿も見えないこれは不味い。ラーナは布の中で精一杯もがき、中から脱出しようとした。
上も下も赤い布の空間からぽっかりと開いた口を見付けて、どうにかこうにか這い出せば、石造りの地面と、遥か離れた場所に同じく石造りの壁。そして、目の前には巨大な茶色い丘と柱。
「…な……これ…は…?」
否、丘と柱ではない。丘の様な膨らみは、ブーツのつま先で、柱はそのブーツだと判別するのに数秒かかった。
ブーツを見上げれば、見覚えのある緑のローブの裾が見えた。
縮小化の魔法か! それも、這いつくばったまま見上げても、魔女の顔すら見る事の出来ない程小さくされたらしい。
追い討ちをかけてこない様子なのは幸いだった。
ラーナは、地面についた手に力を込め、立ち上がろうとする。
しかし、体を起き上がる力が弱かったのか、後ろ足がうまく動かないのか、ぺたん、と、また両手を地面についた。
「あはっ! なにやってんのー?」
そんなラーナを見て、得意げな声が降り注いでくる。
くっ、とムキになって、力強く、再び立ち上がろうと上半身を持ち上げた。
文句無しに上半身が起き上がって、体が起きた。が、
「えっ!? わ、わわわわっ!?」
下半身が上手くバランスが取れない。足がよたつき、腕をバタバタとさせて、必死に立ち上がろうとするが、あえなく後ろに倒れこんでしまう。
「あっはははははは!!!」
魔女は、腰を曲げて上から覗き込んで、大笑いをしてきた。見た目年下の魔女が至極楽しそうで、ラーナは悔しそうに顔を歪ませた。
「ちょっと! アンタ私に何したのよ!」
魔女の顔に向けて、片腕を突き出して問い詰める。
だが、視界に映った腕が、変だ。緑色でぬるぬふと光を反射して…。
「自分がどうなったか気付かないんだー? 鈍感だなぁ。はいっ」
魔女はニコニコしながら、後ろ手で持っていたものをラーナの真上に差し出した。
「!! きゃあああっ!」
見えたのは、自分と同じ大きさの巨大なカエル! ーー今の自分が小さいのだがーーそれが白いお腹を見せて、今にもボディプレスしてきそうで、ラーナは手で防ぐ体勢を作りながら、強く目を閉じた。
しかし降って来たのは巨大カエルではなく、ニヤニヤ笑いが想像出来そうな魔女の明るい声だった。
「なぁにやってるのー? よく見てよ。これはカ・ガ・ミ」
(…は?)
恐る恐る目を開ければ、目の前の蛙は落ちてこずに、まるで前脚で目の前の衝撃を防ごうとしている体勢で宙に留まり、確かに、その周囲にはカガミの縁とカガミ特有のツヤツヤとした光の反射が見える。
……そしてそんな蛙の前に、視界にニュッと手前から伸びている、水かきのついた緑と白の前脚。
腕を捻って、手のひらを見るような動きをすれば、思い通りに水かきのついた手…否、前脚が動く。
鏡の向こう側のカエルも、同じ様にして、自分の前脚を見ている。
手を振ったり、指を折り曲げようとしても、同じ様な結果が返ってくるだけだ。
「いや、いやっ、いやあああああああああ!!!」
嫌々と、ラーナは顔を左右に振り払って、現実から目を逸らすべく、目を閉じた。
しかし、空から降ってくるのは、無情な魔女の言葉と行動だった。
「あーもう、うっさいなぁ。黙って冷静だったらそれさそれで面白く無いけどさ」
足を、巨大な指で摘まれた感触がしたかと思えば、上に引っ張られ、ラーナの平衡感覚が一気に異常を訴える。足を持ち上げられ、一気に逆さ吊りだ!
目を開ければ、遥か下に赤い服の落ちた地面が見える。
魔女がラーナの後ろ脚をつまみ上げ、持ち上げたのだ。と理解して、反射的に抗議の声を上げようとする。
「きゃあっ! たたた、高い!? ちょっとなにすーー」
「うーるーさーいー、って言ってるでしょ?」
しかし、魔女は慣れた様にラーナのお腹に逆の手でデコピン一発。「ふぐっ!」と悲鳴を上げて、ラーナの体はぷーらぷーらと魔女の手の下でなすすべもなく揺れた。
そのまま魔女は、人差し指でつんつんと、ラーナのお腹をつつき出した。
「うふふ、おねーさんのお腹、真っ白ぷくぷく、ダイエットが足りてないねー」
「うくっ…。あ、あなたが魔法をかけたんでしょうがっ」
お腹が圧迫されるのを感じつつも、ラーナは重力に引っ張られる背中を丸め、上から見える魔女の顔に抗議の視線で睨みつける。
「まーそうだけどさ、おねーさん、こーんな姿勢で恥ずかしくないの? 女の子だってのに、ガバーッと大股開いちゃって、大事なトコ、ボクに全開だよ?」
言いながら魔女は、つつく先変更とばかりに指を動かし、ラーナの後ろ脚の分岐点…股へとつんつんと攻撃を開始した!
「あっ、きゃっ。……ってドコ触ってるのっ! やめなさ 、ひゃっ」
魔女がつつくたびに、秘部独特の、なんともいえない、独特で敏感な刺激を感じてしまう。
今まで誰にも触らせてこなかった、そこを、こんな、醜いカエルの姿を見に変えられて、こんな惨めで滑稽な形だというのに、真っ赤になる程の恥ずかしさと怒りが、それを遥かに上回っているのに。
必死にラーナは股を閉じようとするが、片足がつまみ上げられて天を向いているからか、それともカエルの足が元々閉じる様には出来てないからか、決して隙間が埋まる事は無い。
仕方ないと、重力に逆らって背中を丸めて、前脚で股を隠そうとするも…微妙に届かない。
その間も、つんつん攻撃は続く。いや、指をラーナの秘部に押し付けて、くりくりと指を軽くねじ込む様に、刺激を変えてきた。
「ん…あ…っ、あん。って、やめろー!! 離せーーー!!」
為すすべのない状況に耐えかねたラーナは、駄々をこねる子供の様に、自由な前脚後ろ脚をただバタつかせた。
こんな逆さにつまみ上げられて、いい様にされている状況では魔法も使えしない。
とにかく全力で暴れていた所ーー急に、摘まれている後ろ脚の、触れている感触がなくなった。
それと同時、宙に体を縫い付けておく力がなくなり、ラーナは地面に真っ逆様!
頭が下なので、地面が凄い勢いで迫ってくる!
「ぶぎゅ!」
自分の服が敷いてある床に、ラーナはキスする様に墜落して、変な声があがった。
「あはははは!! カエルさんなのに、ブタさんみたいな声!」
背後から聞こえる魔女の声に、怒りに任せて抗議の声を上げてやろうと、ラーナはぺた、ぺたと、ぶきっちょに四つ脚で振り向いて…息をのんだ。
ーー大きい。
視線を横に向ければ、同じく高さにあるのはせいぜい足首。見上げても腰から上は一切見えない程だ。屈辱で燃やした闘志が屈しかける。
「んー? まだやるの?」
魔女の顔が得意げなのか、不思議げなのかすら分からない。だが、言葉で余裕が有りあまっているのは分かる。
「舐めるな! 『一瞬の煌めき、その輝きにて、全ての物を覆い隠せ!』」
詠唱もなくワンアクションとはいかないが、出来るだけ早く発動出来る様にと何度も訓練した、強烈な閃光の目潰しの魔術! 油断して余裕しゃくしゃくの魔女にはあっさり効くと踏んで、呪文を唱える。
だが、魔術は発動しなかった。己が体内から魔力を解き放てなかったのだ。
ラーナは、虚しく響いただけの詠唱と、己が動かそうとした魔力の感覚を感じて、愕然とした。
魔封じの術。何度かかかった事があるその感覚だった。
己の魔力にはアクセス出来るが、空回って、取り出す事は出来ない独特の感覚。
例えるなら、魔力という水を掬おうとした桶をザルにでも変えられた様に、取り出そうとしても取り出せない。
魔女がラーナをカエルに変えた、あの時に一緒にかけたのか。
ふふーん、と、上から聞こえた気がした。
「まだやるってんなら、まだボクの敵だよねー!」
そうして、目の前にある足がゆっくりと上に上がった。
「わ、わわわわっ!!」
ラーナは大慌てで、必死に前脚後ろ脚足をバタバタさせて、魔女に背を向ける様に、方向転換する。
そして、そのままペタペタと、ぶきっちょな四つ脚で、逃げる様に這いだした。
ズトンッと、すぐ後ろで、巨大な物が落ちた衝撃が走った。
ラーナはより急いで四肢を動かす。
「なーにしてるの? そんな方法じゃあ、すぐに潰されちゃうよ? ブタガエルさんっ」
再び、巨大な物が落ちてくる衝撃、ただし、今度はすぐ隣で、それが魔女のブーツである事も、視界の端に映った。
(やだ! やだやだやだやだ!!)
踏み潰されて死ぬのも、だけど。
カエルらしく、跳ねてしまえば大きく移動出来るのは分かる。けれどもそれをしては、自分がカエルだって、認めてしまう事になりそうで。
しかし、魔女が後一歩踏み出せば、ラーナを追い抜かす事も、踏み潰す事も容易に出来るだろう。
再び反対の足を浮かす気配が後ろからする。
このままじゃ踏み潰される!
たまらず、意を決してラーナは後ろ脚に力を入れて、大きく跳ねた。
予想外に、視界が大きく跳ね上がる。
「わ、わ、わぁーーー!!」
予想外の高さに、空中で必死に前脚をバタつかせたラーナは、またもべちゃりと、頭から地面へと着地した。
「ぶふっ!!?」
「あははっ! へったくそなブタガエルだー。ほらほら、もっと跳ねる! そんなんじゃこれから生き残れないぞー!」
「誰がブタガエルよ!!」
ゆっくりとした足取りで、魔女が追いかけてくる。
とはいえ足の長さが違いすぎる。あまりもたもたは出来ず、前脚を地面について体制を整えれば、ラーナはまた跳ねる。
二度三度繰り返せば、跳ねる視界の動きも掴めてきて、上手く着地出来る様になった。
が、そもそもが出口が閉じた扉が一つだけの部屋だ。
それに、楽しそうにわざと足を大きくあげる歩き方をする魔女は、一定の距離を離さず追いかけてきて、ラーナに余裕が出来る事はない。
「おー、上手くなってきたじゃん。上手上手っ」
「〜〜〜〜!!」
屈辱と苛立ちを感じつつも、声を上げる事も振り返る事も出来ない。
ただただ、ひたすらに、いかにもカエルらしく跳ね回るだけで、息も乱れてきた。
どうすれば……。なんて、弱気になってきた時。
「それじゃあ、そろそろ決着をつけるよー!」
ポンっ! と、背後から小気味よい音がした。
何っ!? と思うが、振り向いたら、その隙にやられると判断して、ラーナは必死に前へと跳ねる。
ぴょーんと、跳ねて、着地し、再びはねようとしたところで、ばさっ! と、上から、真白い網が被せられた。
そのまま跳ねるも、白い網が絡まって、無様に地面に上手く着地出来ず、自ら絡まりに行ったかの様だ。
「む、虫取り網!?」
ジタバタもがきながらも魔女を見上げれば、棒をこちらに向けて降り、周りを見れば棒の先の輪っかと網が自分を捕らえている。
へへー、と網越しに得意げに笑う魔女が近寄って、きゅっ、と、網を袋状にする様に摘んで、ラーナを網の中に閉じ込めてしまった。
「ボクの勝ち!」
「何が、ボクの勝ち、よっ! こんなふざけた物まで取り出して、バカにしてるの!? 離しなさい!! この、クソガキ」
よりによって、虫取り網で捕まえられる、なんて屈辱はない。
怒りもあるが、これ以上捕まえられて何をされるかも分からない、というのもある。
ラーナは網の中で全力でもがきながら、必死に、目の前の幼い魔女を罵倒した。
冷静に考えれば、それで事態が好転する事は無いのだが、元より勝気で、ガンガン行く事で突き進んできたラーナに、命乞いという選択肢はなかった。
「むっ! まだ諦めないのー? ……っていっても、ちょっとうるさすぎ!!」
きっと、魔女がラーナを睨む。可愛らしい顔は、怖くもなんともなかったので、より騒ぎたてようとしたがーー突如としてラーナの意識が睡魔に襲われ、闇へと落ちたーー。[newpage]
穏やかで、涼しい風が吹く。
草木が揺れる音に負けまいと、小さな虫たちが鈴の様な音を奏でる音と、のんびりとしたフクロウの鳴き声が聞こえてくる。
どうやら自分はうつ伏せで、森の中の、土の上で寝ていたらしい。
何故、自分はこんなところに寝ているのだろう?
ぼんやりとした頭で考えつつ、ラーナはゆっくりと目を開けた。
「あ、やっとおきたー! もうっ、遅いんだから!!」
辺りを把握する前に、明るい、聞き覚えのある声が上から降ってきた。
その声は! と、ラーナは反射的に立ち上がろうとした。
ーーが、後ろ脚が、立ち上がるにはぶきっちょで、よたよたと体重が支えられずに後ずさり、そのまま立ち上がった勢いに負けて、コロンッ、と、後ろ脚をあっぴろげて無様に後ろに倒れてしまった。
「もー、せっかくうつ伏せで寝かせておいたのに、勝手に転んじゃうなんて、バカだなぁ」
倒れて夜空を見上げることになったラーナの視界に、にゅっと、あの、茶髪で幼げな印象の魔女の顔が現れた。
そのまま、顔が一気に近づいてきた。おそらく、ラーナの近くでしゃがみ込んだのだろう。
「何よ! まだやろうっての!?」
魔女が何してくるか分からないラーナは、ジタバタと、四肢をバタつかせて、必死に体制を整えようとするが、カエルの丸みを帯びた背中が邪魔をして、体をゆらゆらさせているだけだ。
このまま好き勝手させるのはごめんだ。…だからと言って、この姿のまま放置されても、途方に暮れるしかないのだが。
「もう勝負アリでしょ? …ま、ふほーしんにゅーと、ドロボーと、後ボクに攻撃魔法まで使っちゃって、どーしてくれよーかなーとは考えてたケド」
「これ以上、何しようってのよ!!」
「んー…」
魔女は考える様な声を上げながら、人差し指を、無様にカエルの姿で寝転がっているラーナへと向けた。
ラーナはビクッとして、身を強張らせたが、魔女の魔術に対して、無防備でお腹を見せて転がっているカエルに何ができるのか。
魔術がくる! と思っていたが、魔女はそのまま指で、カエルの白くて丸いお腹をぷに、と押した。
「ぐぇ!?」
人間にとっては軽く押しただけだが、何分カエルだ。お腹を圧迫されて、苦しい声が出た。対した力でもないはずなのに、人差し指一本だけで、地面に縫い付けられてしまう。
「そーだなぁ。…選ばせたげる」
「えらぶって…ちょっ、離せっ!」
四肢をバタつかせても、お腹の真ん中を抑えた人差し指を触る事さえできやしない。呼吸が苦しいラーナをそのままにして、魔女は言葉を続けた。
「このまま、ボクから逃げたいってんなら、ここでバイバイにしたげる。どこにでも行っていーよ?」
魔女は一旦お腹に置いた指を離し、ラーナの脇腹辺りを横から指で払い、コロン、と、ラーナをひっくり返した。
転がる感覚に、四肢を戻したラーナは、カエルらしい姿勢になり、魔女を見上げる形になった。
「元に戻りたかったら精々頑張った術を解いてくれる人を探してね。言っとくケド、キミの言葉はボクにしか分からないから!」
「んな…っ! そんな事……!!」
出来るわけない、と言いかけて、必死にどうすれば良いのか考える。出来るわけない、という言葉は嫌いだ。
だが、こちらを選んだ場合、自由にはなれても、元の、人間の姿に戻れる可能性は限りなくゼロに近い。
そもそもカエルの活動範囲で森に出れるかがまず絶望的だ。
ここまで来るのに倒してきた、ゴブリンやコボルトといった、ポピュラーで人より小柄な魔物にとっては、カエルなど手頃なタンパク質であろうし、蛇や野鳥と、野ネズミいった、わざわざ倒すまでも無いと無視した小動物ですら、脅威となって食いにくるだろう。
そしてこの森の側にある人里は、魔術なんて縁も所縁もない、のどかだが貧乏な農村ぐらいだ。
「……もう一つは?」
わめき散らし、罵倒したい気持ちをぐっとこらえ、ラーナは静かに続きを促した。
「ボクと契約して使い魔になってよ!!」
「は?」
カエルの大きな口をあんぐりと開けたラーナに対し、魔女が満面の笑みで続ける。
「使い魔として、存分に働いてくれたら、元の姿に戻してやって、自由にさせてあげてもいーよ?」
「……具体的な基準は? そんな事言って、いつまで経っても、『まだボクは満足してないもーん』とか言わないわよね?」
もしくは、カエルでは到底果たせない基準なら、元の姿に戻る事も、自由になる事も夢のまた夢だ。
ラーナは言葉を続ける。
「それくらい考えてから喋ってるんでしょ? 具体的なルールとか」
斜に構えた、生意気な響きの声を出すカエル(ラーナ)。
カエルに変えられてから、いい加減多少冷静になった。
具体的に決まってなければ、この魔女に対し主導権を奪えるし、何よりも交渉の場でいつまでも冷静さを失う程バカではなかった。
だが魔女は、ピン、と指を二つ立てて話を続ける。
「ボクの使い魔になってくれたら、最高でも二年で戻したげる。もちろん、そっからは自由にしていーよ?」
「二年!?」
「うん。二年間でその姿とはおさらば!」
二年は長いと感じるのが正直で、もっと早くしろと言いたい。
だが、冷静に考えると魔女にしては随分と温情だ。…本当なら、というただし書きが付くが。
例えば、戦争で捕虜となった雑兵なんかなら数十年単位で奴隷暮らしだし、山賊に捕まった婦女子なら、ずっと慰みモノか、奴隷商に売り捌かれて一生か、少なくとも若いうちはずっと…だろう。
だが、満面の笑みを浮かべる魔女に対して、努めて冷静に、言葉を重ねる。
「…最高で二年ってゆーのは?」
「やる気なしにだらだら使い魔生活されてもおもしろくな……おっと、つまんないしねー。
毎日1個、ボクが満足する活躍をした日には2個、もっと凄い日は3個、ガラス玉をキミにあげる。
それが666個集まったら、元に戻したげる。どう?」
「そのガラス玉って、私にどー持てってのよ?」
「ちゃんと専用のビン用意するし、何なら紙に一筆づつ星を描いて管理してもいいよ? 単なるボクとキミとのルール作りだもの」
しゃがんでラーナを見下ろす魔女は、どうする? と言わんばかりに首をコテンと傾げた。
……目的は分からないが、ある程度フェアさを考えた上で用意したルール、の様だ。
「…どんな事をさせるつもりよ? 今更私を使い魔にして、アンタにメリットあるの?」
「んー、メリットはあるよ? 使い魔の持つ魔力を吸い上げて、ボクが使えるし。おねーさん、魔力自体は中々だしね。
…やらせる事は秘密かなー? 教えちゃ面白くないし。」
「……早ければ222日で解放されるって考えてもいいの?」
「仕事が無い日もあるし、あっても出来て当然の事には上げらんないかなー? 最高で666日、そこだけは約束したげる」
ラーナの質問に、どうにも魔女の言葉はのらりくらりと的を得ない印象だった。
ラーナは口を今度はへの字に曲げて、頰を少し膨らまそうとした。…ら、ぷくーっと、頰袋がまん丸く膨らんだ。予想外に反応がいい。
不満が分かり易すぎる形で出たからか、魔女は笑って、
「あはっ、やならお別れだねー?」
と、手を軽くひらひらと振った。
「ま、待って! 分かった! 分かったからやるわよ! 使い魔!!」
「やらせてください、じゃない?」
魔女はにやーっと笑う。カエルの姿では森を抜ける事も出来ないし、行く宛もないのを知っているのだ。
「や、やらせて……私を使い魔にして下さい……!」
ラーナは怒りで全身を震わせながら、魔女を見上げて頼んだ。
「あはっ! オッケー。それじゃこの魔法陣の中に入って、ボクに向けて頭を下げてよ!」
魔女が立ち上がり、一歩下がって地面を指差せば、音もなく地面に光の線が走り、複雑な魔法陣を形成していく。
小さいが、ラーナの体全部を入れるには十分な大きさだ。
魔法陣の文様や文字が気になったが、ゆっくり読んでる時ではない。ラーナはもそもそと、四つ脚で魔法陣に近づいた。
…これに乗れば、少なくとも半年以上はカエルの姿で過ごす事が確定する。
頑張れば短くなる、と、魔女は言うが、基準が向こうにあり、具体的に決められていない以上は、最大でも二年、からどれだけ短くなるか分かったものではない。
ラーナならば、たっぷり二年足踏みしない自信こそあるが、それでも、長い時間をこの姿で過ごす事が確定してしまうのだ。
ちらりと、魔女の方を見ても、しゃがんでない、立ち上がった魔女はいくら見上げても顔が高い位置にありすぎて視界に映らない。こんなサイズで、どんなに頑張っても一年は過ごす事になると見るべきだ。
だが、断る選択肢の方こそ、現実的ではなかった。
ゆっくり、ゆっくりと、ラーナは覚悟を決めて、四つん這いで魔法陣の中へと進みでた。
複雑な魔法陣の紋様の中で、四つんばいで頭を下げたら…まるで、土下座をしているみたいだと、ラーナは思った。
そんなラーナの心情を知ってか知らずか、魔女の明るい声が響く。
「オッケー。『我と汝、魂の契約を結ばん、汝が心の力は我が元へ。汝の心の言葉は我が元へ。ここに我と汝の契りを交わし、力の繋がりを作りたもう』」
朗々とした使い魔契約の詠唱が流れる。綺麗な魔術言語は、魔術師のラーナに良く聞こえた。その言葉の意味も。
「『我が許可なく姿を変ずる事あたらず、己が正体を明かす事あたらず、我に仇なす事あたらず、契約の外からの破壊に全力であながうべし。』」
魔女に仇なす事禁止。自分の正体を明かす事も禁止。さらには、解呪の術は全力で拒め。
契約に盛り込むには、ある意味真っ当な言葉だが、ラーナとしてはそんなのには否を唱えたい。
だが、本当に唱えれば、ただのカエル一匹で生きていく事になるので、ラーナは全力で口を噤んだ。
「『これらを契約、互いを縛る盟約の鎖とし、魂の契約をーー!』」
魔女が詠唱を終えると同時、ラーナの足元の魔法陣が強く輝いた。思わず目を閉じる。
目蓋の向こう側の光はすぐに止み、己が体に見えない、ストロー状の糸が突き刺さった様な感覚を覚える。
ラーナは目を開きつつ、己の魔力を探った。
魔女にかけられた魔封じの術はまだ有効だが、魔封じというのはそもそも、例えるならば、体内の魔力タンクから魔力という水を取り出すための、スプーンやお玉を、棒やザルに変えられてしまう様な、『自分の魔力にアクセスは出来るが取り出せない』といった状態だ。
己の魔力にアクセスすれば、タンクに穴を開けたかのように、みるみる魔女へと流れ込む感覚がする。
恐らく、彼女の使い魔である限り、魔力が失われた。文字通り何の能力も無いカエルとして過ごさねばならないのだろう。
姿形もだが、自分が取り柄としてきた自分の一番の物を失って、魔力と同時にぽっかりと穴が開いた様な虚無感を感じた。
そんか感覚を感じていたからだろう。魔女の手が迫っている事に気付かず、魔女が無造作に伸ばした手に、むんずと鷲掴みにされてしまった。
「むぐっ!?」
「はいはーい。それじゃ、帰るよー! カエルだけにね!」
「ちょ! 離せっ! もっと丁寧に運びなさい!!」
ラーナは思わずジタバタするが、小さな四肢は空を切るだけだ。
おそらく家に帰るのだろう、魔女はそのまま歩き出して、
「カエルなんて、後ろ脚を掴むか鷲掴みにするって相場決まってるよー?」
どこの悪ガキだアンタは。ああいや、悪ガキか。ラーナは心の中で毒づいた。
魔女は、腕を曲げてラーナを胸元に持ち上げた。なすすべもなく、ラーナは魔女と向き直る事となる。
「で、いい加減キミの名前教えてよ? ボクはエレナだけど」
「……言いたくない」
魔女は相手の本名を知れば、『名前で縛る』と言われている。嘘か真か知らないが、うっかり喋っては一生カエルの使い魔になりかねない。
「言っとくけどボク、『名前で縛る』なんてしないからね? 寂しいじゃん。誰も彼も、本名を教えてくれないなんてさ」
「………。」
「んじゃ、ブタガエルって読んじゃうよ?」
「ちょっ!? 何よそれ!?」
ラーナは堪らず、手の中でのバタバタを再開した。
魔女ーーエレナは、に〜っと意地の悪い笑みを浮かべて、
「だって〜、ぷぎゅ、とか、ぶきゅ、とか、ブタさんにそっくりだったんだもん!」
「あれはあんたが地面に落とすからでしょ!」
「自分で跳ねて着地失敗してた時もそーじゃん!」
エレナの言葉に、うきぎ、と、口をへの字に曲げる。
「やなら名前教えてよ? 嘘の名前言ったら、ブタガエルで決定ね!」
「……ラーナよ」
嘘を見抜く魔術を、この魔女が使えるかどうかは知らないが、ラーナは間を空けてポツリと名乗った。
この魔女エレナは、幼げで意地も悪いが、どこか自分なりのルールを通そうとしている様にも見えた。
…いや、単純にブタガエルに耐えきれそうになかったのもあるが。
「よろしくねー、ラーナッ!」
エレナの満面の笑みは、至極楽しそうに見えて、ラーナはぶっきらぼうに「…よろしく」と短く返して黙りこくった。
……果たしてこれから何をさせられるのか。
それは分からないが、魔女の楽しそうな顔を見るに、ロクな事にはならないだろう。と、ラーナは覚悟を決めた。
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