彼氏と鍋パ!

  一月のまだ寒い冬空の下、俺は彼氏を待っていた。

  場所は大学の校門。日が傾き始め空は赤く染り、学生達が疎らに帰路に着いている。明日は土曜日で講義がないからどの学生も浮き足立っている。

  そんな彼らも俺を見るとギョッとしてそそくさと先を急ぐ。

  巨漢で厳つい黒竜人が般若のような表情で道行く学生を睨みつけるのだから、休日への喜びなんて一瞬で凍りつくだろう。

  般若のような、なんて言ったが怒っている訳ではない。もともと愛想がなくて仏頂面なだけだ。睨みつけるような視線も、彼氏はまだ来ないのかと探しているだけ。それが寒さでちょっと険しくなっているだけだ。

  決して寒い中、待ち合わせの時間をオーバーして待たされていることにイラついているのではない。

  「もっと優しい顔付きしてたら、スッゴイモテてただろうね」と彼氏に言われたことがある。褒めてるのかけなしているのか分からなくて「それはけなしてるのか?」と聞いたら大笑いされた。

  あぁ、寒い!

  今日は鱗の色に合う黒いダウンジャケット(彼氏には鱗の色と一緒じゃん!って言われた)を羽織ってファスナーを首元までぴっちりと締め、ポケットがパンパンになるほどカイロを詰めてきたがそれでも寒い。

  ちなみにダウンジャケットの下には落ち着いたピンクのニットに、黒のパンツだ。パンツはまだしも、ピンクのニットって……(選んでくれた当の彼氏はご満悦だったが)

  獣人と違って竜人には獣毛がないから寒さには弱いのだ。

  そろそろ来ないと凍死してしまう、と思っているとキャラメル色のロングコートを着た狼獣人が走って来るのが見えた。

  「ごめん、部活が長引いちゃって遅くなった!待った?」

  あどけなさを残しつつも美しく整った顔立ちに、服の下に隠された彫像のように洗練された肉体、雪よりも白く綺麗な毛並みの狼獣人。それが俺の彼氏、大神希月だ。

  

  「十五分待った」

  ……間違えた。

  こういう時は「そんなことない」とか「俺も今来たところだよ」とか言ってフォローするべきなのに……。

  「ホントごめん!雅、寒いの苦手なのに待っててくれてありがとね」

  俺が余計な事を言ったせいで、さっきよりも申し訳なさそうな表情を浮かべている。それでも謝罪だけではなくお礼も言えるところが希月のいい所だ。それに比べて俺ときたら、気遣いのきの字も無い。

  「気にすんな。それより早く行くぞ」

  そう言って俺はそそくさと歩き出した。

  移動している間、話し下手な俺のために希月は色々な事を話してくれた。今日あった面白い事や最近見た映画の事なんかを楽しそうに話すのを聞いて俺はふん、とか、あぁ、みたいな気のない返事を返す。

  他人が見たらいつもの仏頂面と合わさって機嫌が悪いと思われるかもしれないが、そんなことはない。注意深く観察すれば返事には微かに熱が籠っているし表情はいつもより緩んでいる。むしろご機嫌な希月にデレデレなくらいだ。

  長年付き合っている希月には俺の感情なんてお見通しだから勘違いして気を悪くすることは無いのはありがたい。

  

  「お!スーパー着いたね」

  そう、俺達が向かっていたのは家の帰り道にあるスーパーだ。

  平日の終わりの金曜日には少し豪華なものを食べるのが俺達のちょっとした楽しみで、今週は鍋がいいと希月が言うので二人で具材を買いに来たのだ。

  「なに鍋にするんだ?」

  「すき焼き!」

  訊くと希月は目をキラキラさせながら答えた。

  「分かった」

  カゴを持って中に入ると夕食の買い物に来た主婦や大学生で賑わっていた。

  「ところで、すき焼きって何が要るんだ?」

  俺の家は貧乏だったのですき焼きなんて豪華な物は食べたことがない。そのためすき焼きに何が入っているのか分からないのだ。

  「まずは当然お肉でしょ。あとは焼き豆腐に卵に白菜、椎茸、しらたき……。春菊も入れたりするけど苦いから入れたくない」

  ……春菊苦手な希月カワイイ。春菊は買わないでおこうと固く誓った。

  「分かった。まずは野菜からだ」

  「………春菊は要らないよ?」

  「もちろんだ」

  そうして俺達は入り口から最も近い野菜コーナーに向かった。白菜や椎茸、近くにあったしらたきをカゴに入れる。希月が「人参もいいかも」と言うので人参も入れた。

  そして次はお待ちかねの肉だ。しかし牛肉はやはり高い。貧乏な大学生には少し手を出しづらい値段だ。

  「やっぱり牛肉は高いな」

  と俺が言うと

  「あ、お肉は買わなくて大丈夫だよ」

  と希月が答えた。

  「なんでだ。希月、肉大好物だろ?」

  「だからこそだよ」

  何を言っているんだ、と困惑した顔をしていると希月が語り出した。

  「ほら、去年の夏休みに僕一人で山形行ったでしょ。その時にそこの農家さんと仲良くなってね。その人に連絡したら最高級の米沢牛を送ってたんだ。これ、普通に予約したら二年待ちなんだよ」

  大神希月は普通の大学生とは少し違う。それは誰もが知っている大神財閥の御曹司であることだ。大神財閥の影響力は凄まじくインフラ、物流、金融、商業など様々な業界に進出しており、大神財閥に関わらずに生活するのは不可能と言われている。

  故に、時期に大神財閥を引き継ぐ希月にサービスしてくれるのだ。

  「そういう事は早く言え」

  「ごめんごめん。でもあのお肉すっごく美味しいんだよ。昨日届いたんだけど我慢できなくてちょっとだけつまみ食いしちゃった!」

  そして大神希月は大の肉好きだ。それはもう、俺を置いて一人で山形に肉を食べに行くくらい。

  昨日の夜寝ていたらジュウジュウ音が聞こえていたが肉を焼いていたのか。暗いキッチンで目を輝かせた希月が肉を焼く様子が目に浮かぶ……

  「呆れた……」

  「えぇ!なんで!」

  その後、他のコーナーも巡り必要な物はそろえた。

  あとは会計を済ませるだけだが、予想通りの行列だ。レジ前の通りを塞ぐ程の長蛇の列。これに並ぶのはさすがに気後れする。

  うん?あの赤いのは……

  「悪い。少しあっち見てきていいか?」

  「え?まぁ、いいけど……」

  返事を聞くや否や、俺は目の前の列を割りながら進む。列を乱す図体のデカい男に、並んでいた人達は迷惑そうな顔をするが気にしない。

  後ろで「すみません」と言いながら申し訳なさそうな希月が着いてくる。

  人の列を超えると、そこは最初に回った野菜コーナーだ。そして野菜コーナーのすぐ側で売られている物と言えば果物だ。そしてそして、果物と言えばこれしかない!

  ――イチゴだ!

  

  証明に照らされて美しく、つややかに輝くイチゴが所狭しと並べられている。緑や茶色が多い中、鮮烈な赤色は主人公の様な存在感を放っている。これ以上に素晴らしい光景などあるだろうか、いや無い!

  まろやかな甘みの中にキュッと引き締まるような酸味の絶妙なバランス、プチプチとしたタネの食感に溢れ出る果汁。あぁ、これに練乳なんてかけたらそれはもうかんぜんはんざ……

  「すき焼きには入れないよ?」

  「煩いぞっ!」

  「えぇー……」

  イチゴ五パック買った。

  列に並んでレジで会計を済ませ、希月の持ってきたマイバッグに買ったものを詰める。有名財閥の御曹司にしては子慣れた手付きだ。

  そしてバッグを持つのは俺の役目だ。バッグはパンパンに膨らんでいてかなりの重さだったが、体の大きい俺からしたら大したことない。

  しかし希月には不満だったようで、スーパーを出てある程度人通りが少なくなるとバッグの持ち手の片方をひったくった。

  「別に重くない」

  ……ちょっと言い方キツかったか?

  何気なく言ったつもりだったが、口から出た言葉は思ってたより冷たかった。

  「……」

  希月はムスッとしながらそっぽ向いてる。それでも、手を離そうとはしなかった。

  日はすっかり沈んで真っ暗で、より一層冷え込んでいる。街灯の白い光に照らされて希月の白くて柔らかい頬が朱色に染まっているのが目に写った。

  「ただいまー」

  希月が玄関を開けて誰も居ない暗い部屋に向けて声を出す。パチンパチンとスイッチを押して明かりをつけると、白い壁紙にフローリングの清潔感のある廊下が目に入った。

  ここは大学生が住むには高すぎるマンションの一室で、俺達はここに同棲している。希月の親が心配して用意したマンションでオートロックはもちろん、防犯カメラも無数に設置されており、極めつけには二十四時間対応のコンシェルジュだ。

  俺は高校生までボロアパートに住んでいたので、引っ越したばかりの頃は見上げるほどの高さに目眩がしたものだ。

  ちなみに家賃は俺の一ヶ月分の仕送りとバイトの給料を合わせても足りない程の値段だ。家賃の九割は希月が(というより希月の親が)払ってくれている。

  廊下の奥のドアを抜ければ、子供のいる家族でも十分な広さのダイニングがある。キッチンのカウンターに隣接して四人がけのダイニングテーブル、大きなテレビの前には冬限定のコタツとL字型のソファーが置かれている。

  「それじゃあ、準備するね」

  と言って希月はバッグを持ってキッチンに向かった。結局、希月はずっと手を離さなかった。

  「何か手伝うことは」

  「あー、コンロとか食器とか出しといて」

  料理は専ら希月の領分だ。希月自信、料理に関しては並々ならぬ自負があるようで、俺に手伝わせる事はめったにない。

  俺は言われた通り、IHコンロや皿、箸、コップなどをコタツに並べた。今から作るのだから出すには早すぎたか、と思ったが気にしないことにする。

  俺はそそくさとコタツに入ってテレビをつける。さっき電源を入れたばかりだったが、コタツの中は既にじんわりと暖かい。

  背中を丸めてアゴをコタツに載せると、コタツのモーターのジーという音が聞こえてくる。それに混ざって聞こえるテレビの雑音や料理の小気味よい音が心地良い。

  コタツの暖かさをじっくりと堪能しながら、うつらうつらしていると肉や醤油の香ばしい匂いが漂ってきた。

  「お待たせー」

  ニコニコ顔の希月が大きな土鍋を持ってやって来た。土鍋をコンロの上に置き、蓋を開けると湯気と共に先程よりもずっと豊かな香りが部屋に広がった。甘辛い香りが鼻孔を通してほとんど空っぽの胃を刺激する。

  そして鍋の中を見て、俺は思わず「おっわー!」と始めてのカブトムシを見つけた小学生の様な声が漏れてしまった。

  しかし、それも仕方のないことだ。グツグツと音を立てる鍋の中にいる具材たちはまるで踊っているようでとても魅力的だ。気付けば口のなかはヨダレで満たされていた。

  希月はふふんっ、と勝ち誇ったような顔をしていた。右手には赤ワインのボトルを持っている。

  「雅も飲むでしょ?」と言いながらボトルを掲げた。

  「あぁ。でもそれならワイングラスを持ってくる」

  「心配ご無用っ」

  希月は左手に持ったワイングラスを見せてニカッと笑った。

  コタツに入るとぽんっとコルクを抜いて二人のグラスにワインを注いでくれた。

  「それじゃ、乾杯」

  「乾杯」

  二つのグラスがチンと軽やかな音を立てる。一口飲んでみると口の中に赤ワインらしい渋味とぶどうのフルーティな感じが広がった。

  ワインの次は肉だ。鍋の中で踊る肉を取り溶いた卵に浸す。口の中に入れると、牛肉の旨味に醤油と砂糖の甘辛い味付けが合わさるだけでも十分なのに、卵を加えることでさらに味に深みが出ている。

  「どう、このお肉は?」

  「うまいな」

  「よかった、遠くから注文した甲斐があったよ!融通してくれた農家さんに感謝だね」

  希月が夜中につまみ食いしてしまうのも納得の美味さだ。

  「このワインもいいでしょ?醤油を使った料理には赤ワインが合うんだよね」

  希月の言う通り、醤油の風味には赤ワインの渋味はちょうどいい。思わずグラスに手が伸びてしまう。

  「確かに合うな。このワインはどこで買ったんだ?」

  「お父さんがスペインに行った時に貰ったやつ。けっこう高級なやつらしいよ。なんでも十年ものだとかなんとか言ってたよ」

  息子にばか甘い希月の父親のことだ。このワインもきっと数十万円するような代物なのだろう。

  そんな物を貧乏大学生の俺が飲んでも安物との違いなんてこれっぽっちも分からないし、能天気な希月だってきっと同じだ。分不相応な自覚はあるが、こんな高級品にまた何時お目にかかれるか分からない。だからしっかり味わっておこう。

  

  すき焼きはみるみる減っていった。割り下の染みた野菜や豆腐も美味かった。肉はほとんど希月に取られていて、気づいた時には少ししか残っていなかった。恨みを込めて希月に目線を向けると気まずそうな顔をしながら器いっぱいにキープした肉を食べ続けた。

  

  「ごちそうさまでした」

  締めのうどんを食べ終えて、二人とも手を合わせて言った。

  片付けはいつも俺の役割なのでささっと食器を運び、洗い始めた。

  蛇口から流れる水はとても冷たい。まるで氷水に手を突っ込んでいるようで、肌や鱗が縮み上がった。

  こうして一人でいると自分の嫌なところを考えてしまうことがある。今日みたいに失敗が多かった日はなおさらだ。

  今日はもっと希月に気を使うべきだった。希月のせいで遅れた訳では無いのに責めるようなことを言ったり、手伝いを申し出てくれたのに、それを邪険にするようなことを言ってしまった。

  ドラマの主人公なら、待ち合わせに遅れたくらいの事で怒ったりしない。俺も来たところ、とか言ってフォローするだろう。手伝いを断るのだって、ありがとう、でもその気持ちだけで十分だ、なんて言って相手を傷つける様な事は決して言わない。

  ――何故、俺は上手く出来ないのだろう。

  希月の方を見ると、希月はコタツに入ってテレビを見ていた。アゴをコタツにのせてトロンとした目をしている。時折、耳をぴくぴくと動かすのが可愛らしかった。

  最後の一枚を洗い終えると、俺は冷蔵庫からいちごのパックと練乳を持ってリビングに戻り、希月の向かいに座った。

  「食うか?」

  「ぅん」

  と返事すると、希月はなぜか立ち上がった。そして、俺の隣に入り込んだ。あまり大きなコタツでは無いのと、俺の肩幅が広いのとで少し狭い。

  「気にしないで」

  「……え?」

  希月の唐突な言葉に思わず戸惑った。希月の瞳が真っ直ぐ俺を見つめていた。頬が赤いのは酔いのせいか、コタツの熱のせいか、それとも……

  「雅が気遣い下手くそなのは知ってる。でも、雅のいいところもたくさん知ってる。だから、それくらいで嫌いになったりしないから気にしないで」

  言い終わると、希月はそそくさと目線を外しいちごを口に投げ入れた。

  「はい、口開けて」

  希月がいちごを持ちながら言った。これが意味することに顔が赤くなるのを感じたが、おずおずと口を開けた。

  「あーん」

  気恥しさを感じながらも、希月の持ついちごを指まで食べないように気をつけながら頬張った。甘さと酸味が口の中に広がる。

  「ありがとう」

  気づけば俺は希月をギュッと抱きしめていた。ボリュームのある冬毛はふわふわで暖かかった。首もとに鼻を埋めるとボディソープのフルーティな匂いがする。

  「愛してる」

  今日のいちごはいつもよりずっと美味しい気がする。