ライカンスロープ 第24話

  春の夜。

  自宅のテラスにて壮年のキリン獣人―――――宗麟は一人焼酎を呑んでいた。

  温暖な日が続いていたが、今晩は冬が引き返してきたかのように寒かった。人々は慌てて冬の衣服や寝具を引っ張り出していたが、体毛に覆われた獣人にとってはさほど苦ではなく、湯上りの体を冷ますのにちょうどよかった。

  「ふぅ」

  氷で冷えた麦焼酎の香りと味を噛み締め、宗麟は夜空を見上げた。散りばめられた星々の中に、半月が浮かんでいる。

  片割れを失った月を眺めながら、宗麟は微笑を浮かべた。

  するとテラスのドアが開き、若い燕獣人―――――奈多が姿を見せた。

  「宗麟さん、今日は冷えます。風邪を引きますよ」

  奈多は半袖シャツ姿の宗麟に、薄手のジャケットを渡した。

  「助かるよ。ちょうど寒くなってきたなと思っていたんだ」

  宗麟がそれを着ている間に、奈多は空になったグラスに氷と麦焼酎を注ぐ。

  「どうぞ」

  「ありがとう」

  奈多に差し出されたグラスを受け取り、宗麟は再び半月を見上げる。

  「月を見ていたら、また、昔やったゲームのことを思い出したよ」

  「月で、ですか。音楽とか絵画じゃなくて」

  「ゲームが好きなんだよ」

  「この前言っていた、スーファミのアクションゲームですか?」

  「いいや、今度はプレステのやつだよ」

  「最近のゲームですか」

  「いや、プレステ1だから、けっこう前だね」

  「レトロゲームが好きですね、宗麟さんは」

  宗麟は焼酎で喉を湿らせ語り始めた。

  「月夜に主人公は、相方と共に敵の本拠へ車を走らせるんだ。荒れた道路を、おんぼろトラックでね。崖の上から、敵がそれを見下ろしている。やがて、その敵の襲撃を受けて、相方は負傷してしまう。主人公は相方を逃がし、一人で敵の群れと戦うんだ」

  「ありそうなシチュエーションですね」

  「主人公は、真面目でクールで、根は優しい。相方は飄々としていて、掴みどころがない性格だ」

  「正反対ですね」

  「ああ。でも、その相方は、主人公に行為を抱いているかのように振る舞うんだよ。一方の主人公も、嫌がっているようで、満更でもないと思っているんだ。二人の仲は、ゲームが進むにつれて、徐々に親密になってゆく」

  宗麟は、視線を月から奈多へ移した。

  「僕と君みたいだね。僕がその相方で、奈多が主人公」

  高潔な紳士のようで、しかし無邪気な子供のように笑う宗麟に、奈多もつられて笑った。

  胸の中に黒い滴を一つ落として。

  

  僕がその相方で、奈多が主人公。

  本当にそう思っていますか?

  「最も、そのゲームでは、満月だったんだけどね」

  宗麟は再び夜空を見上げた。

  「今日は半月ですね」

  「ああ。でも、綺麗だよ」

  目を細め、宗麟はグラスに口を付けた。半分ほど残っていた焼酎を飲み干し、ふぅっと熱い吐息を吐き出す。

  「欠けてしまったわけじゃない。見えていないだけで、もう半分もそこにある」

  宗麟がテーブルに置いたグラスに、奈多は再び氷と酒を注いだ。

  「明日も早いんですから、飲みすぎないでくださいね」

  「分かっているよ。明日は、大事な日だ」

  グラスを手にした宗麟は、再び月を見上げた。

  月は片割れを失いながらも、しっかりと輝いていた。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  中国地方の某所にて。

  人里から離れた場所には、鳥獣たちの住まいである広大な樹海がある。昼は太陽の下で新緑を輝かせているが、闇夜では黒一色だ。

  人間がそんな闇の中に、心霊だの妖怪だの、幻想の恐怖を抱き近寄ろうとしない。

  獣たちはそんなものには恐れない。

  獣が恐れるのは、現実に存在する敵だ。

  狩猟、縄張り、子孫繁栄、様々な理由で己を狩ろうと襲い掛かる敵。

  そんな敵と、生命を掛けて戦う。

  戦う理由は常に一つ。

  生き残るため。

  「いねえな」

  樹海の奥で、斜面をゆっくりと獣の兵士が登ってゆく。猫と狐の獣人兵士が、それぞれ一振りの日本刀を手にして。

  「ああ、そうだな」

  「まだ結構あるぞ。マジで全部回るのかよ」

  「痕跡を一つでも見つければ終わるけどな」

  「んなもんねえと思うけど。だいたい、ガチで探すなら、もっと大勢じゃねえと」

  「大勢の兵士を動かせるほどの証拠はねえって話だ」

  「だったらこの捜索自体、無駄だろ」

  「もう愚痴るなよ」

  「はぁ。安全な職場に付けて、始めは嬉しかったけどなぁ。これじゃあ、多少危なくても、傭兵業務続けてた方がマシじゃねえか」

  「そんなこと言ってたら、また戦場に送られるぞ。そうなったらそうなったで、文句言うくせに」

  「うるせえ」

  文句を言う猫と、それを咎める狐。どちらも若い男性兵士であり、やる気は感じられない会話である。

  「ぼやいてんじゃねえ」

  そんな二人の背中を低い声が押した。声量は抑えられているが、体の芯に響く。

  二人が振り返りと、そこには熊の獣人が立っていた。細身である猫と狐とは対照的な巨漢であり、山の中に根を張る大樹のようだ。闘争心で爛々と輝く双眼で睨まれ、猫と狐は身を固くした。

  「す、すいません」

  「でも、ちゃんと追跡はしていますから」

  「じゃあしゃべるな。足音を聞き逃すぞ」

  若い二人は、ベテランの古参兵の注意を受けて口を閉ざし“標的”の追跡を再開した。若いと言っても、二人も実戦を何度も経験しているため、真剣になれば動きは良い。熊はそれを確認すると、満足げに微笑を浮かべた。

  「プラスに考えろ。標的を倒せば報酬もすごいぞ」

  「へいへい」

  「了解」

  部下への叱責を終えた熊は無線機を手にした。

  「定時連絡。こちらA班、異常なし」

  熊が無線機にそう告げると、無線機から返答がきた。

  『こちらB班、同じく異常なし』

  次は、C班からの報告があるはずだった。しかし、無線機は何も言わない。

  「C班、定時連絡を」

  返答を促すも、無線は何も言わない。異常事態が発生したと、その場にいる三人は即座に理解した。

  『全員、C班の担当区域へ行け』

  「了解」

  熊は無線機をしまい、司令に従う。

  「聞こえていたな。行くぞ」

  「はいっ」

  「了解」

  三人の獣は進路を変え、走り出した。

  数秒前から一転し、緊迫した重い空気が漂う森の中を、得物を手にして。

  「はあっ!はあっ!」

  同刻、森の中を必死に走る壮年の兵士がいた。虎獣人だが、まるで肉食獣から逃げる草食獣のように、恐怖に歪んだ表情で森を掛ける。

  武器は所持しておらず、右腕には深い刀傷があり、そこから大量の血がしたたり落ちている。それが追跡者に自身の居場所を教えていることを、虎はよく理解していた。最も、相手は追跡の達人であるため、匂いや足跡で容易に居場所はバレてしまうだろうが。

  (急げ!もうすぐA班と合流できる!A班には確か、高ランクの兵士がいたはずだ!)

  壮年の虎は、味方の元へ急ぐ。そこへ行けば助かるはずだと己を励まし、疲労や痛みを脳から除外して披露した体に鞭を打って走る。

  死にたくないという、誰もが持ち、そして最も強い生存本能を原動力にして。

  だが。

  「ひっ!」

  背後から猛烈な殺気を感じる。

  減速させないため振り返らないが、自身を狙う獣はすぐ後ろまで来ている。

  その爪の切っ先は、もうすぐ自分の背中に届くだろう。

  (嫌だ!死にたくない!)

  「あっ!」

  やがて、虎の鼻が味方の匂いを捕らえた。

  (もう少し!)

  虎が力強く右足で地面を蹴った、次の瞬間。

  「ぐあっ!」

  背中に刃が突き立てられた。

  敵が投擲したナイフだ。

  それは先程、虎自身が落としたものだった。

  バランスを崩して転倒した虎は、反射的に振り返った。

  死にたくない、しかし努力空しく敗北し、これから絶命することを悟って。

  最大の恐怖に歪んだ顔で、最後に自身を殺そうとする相手を見る。

  その相手の姿は。

  虎の瞳には、もう映らなかった。

  振り返ると同時に、その首は胴から切り離されたから。

  

  「むっ!!」

  仲間の下へ走る熊と猫と狐。

  しかし、先頭を走っていた熊の足が唐突に止まった。異変を察し、猫と狐も停止する。

  (近づいてくる・・・・・・!)

  獣の本能でそれを感じ取った熊は、鉈の柄を握りしめて身構えた。

  刃のような、否、牙のように鋭い凶悪な殺気が、自分たちに向かってくる。命を奪おうと、口を大きく開いて。

  「来るぞ!」

  熊の号令を聞き、猫と狐も身構えた。

  同時に、獣が闇夜から飛び出した。

  低い姿勢で、熊へ向かって一直線に向かってくる。

  「でい!」

  熊が鉈を振り下ろす。

  しかし獣はそれを躱し、後方の猫へと向かった。

  「うおっ!」

  猫は驚いて居合を放つも、刃を振り終えた時、獣は既に猫の後方にいた。

  猫の側面を駆け抜ける際に、手にした愛刀で胴を切り裂いて。

  獣は停止すると、猫へのとどめは必要ないと判断し狐へと向かう。

  「くっ!」

  狐は逃げられないと判断し、生き延びるために刃を構える。

  辛うじて獣の刃の動きを見切り、防御しようとしたが。

  ガチン!!

  獣の刃の勢いは強く、狐の刀は吹き飛ばされた。

  そして、獣の二撃目の刃で、やはり胴体を切り裂かれ果てた。

  「ずえい!!」

  部下の仇を取らんと、熊は鉈を振りかざし獣に襲い掛かり、袈裟切りを打ち込む。

  獣はその一撃を躱すと、反撃の刃を熊の脇腹へ振るった。

  熊は身を捻じって避ける。回避は成功したかに思えたが。

  「ぐっ!」

  獣の刃は想定よりも早く熊の胴体を掠めた。

  (速い!しかも、この剣だと尚更・・・・・・)

  獣は踏み込み、更に刃を振り続けた。

  右脇腹を負傷した熊は動けず、鉈でそれを防ぐ。

  だが獣の連撃は早く、刃の形状も特殊であったため、全てを防ぐことは困難だった。

  力も強く、防戦一方となった熊の巨体は傷だらけになってゆく。

  群れで襲われていると熊が錯覚するほどの連撃だ。

  獰猛な狼たちの牙が皮を剝ぎ、肉を裂き、骨を断つ。

  「ぐ・・・・・・うぐうぅぅ・・・・・・」

  無数の裂傷により全身が血まみれとなった熊。

  それでも獣の連撃は止まらず、ついに鉈を握る右腕を深々と切り裂かれた。

  「がっ!」

  鉈は手から落ちると、左の大腿部も深々と切り裂かれて崩れ落ちる。

  「ぬっ!」

  熊はそれでも諦めず左手でナイフを抜き放つ。

  だが。

  「うあっ!」

  獣は容易く熊の左腕を切り落とした。

  そして、とどめの一閃にて熊の喉を切り裂いた。

  肉食獣が、標的を絶命させるように、急所を深々と切り裂いて生命を絶つ。

  猫も、狐も、熊も、血だまりの中で倒れて動かない。

  立っているのは、三人を狩った獣だけ。

  「ふう」

  一息付き、両手の愛刀を振るって刃の血のりを落としたのは、キメラではない。

  なすすべなく散った三人の兵士と同じ獣人、使い古した迷彩柄の戦闘服を来た灰色の狼獣人である。

  浴びた返り血を全く気にせず、険しい表情で周囲に鋭い視線を飛ばす勇ましい狼だが、胸の膨らみから女性であることが分かる。

  両手に握られている刀剣は、日本刀ではなかった。

  肉厚で鋭い刀身は、三日月のようにを弧を描いている。反りが深いどころではない。

  刺突が困難になるほどに湾曲した刃を持つ刀剣―――――ショーテルは、狼戦士の愛刀である。

  「う・・・・・・」

  その場を後にしようとした狼は、耳を震わせ足を止めた。

  振り返ると、真っ先に胴を切り裂いた猫が苦し気に呻いている。その双眼からは既に闘志が消え、恐怖だけが籠っていた。

  「ゼーレ、だな・・・・・・何で、BATを・・・・・・」

  最後の力を振り絞り、自分を殺した狼に疑問を投げかける猫。

  自身の死期を悟り、そこに理由を求めたのか。

  しかし狼―――――ゼーレは答えなかった。

  疑問を投げかけた直後に、猫は既に事切れていた。

  ゼーレはショーテルを握りしめ、駆け出した。

  獣人でありながらBATに反旗を翻した彼女の戦いは、まだ終わっていない。再び闇に潜み、戦闘を続けた。

  優れたハンターである狼の特性を宿したゼーレは、過酷な訓練や度重なる実戦にてその能力を徹底的に高め続けた。今宵ものその特技を存分に発揮し、追っ手を返り討ちにしていった。

  (まだ潜んでいるようだな)

  嗅覚を使って敵の匂いを辿るだけでなく、闇に紛れた敵の姿や足跡を見極め、装備の擦れ合いや呼吸による音を聞き取り、敵の数や特性、場所を特定する。痕跡は何も見落とさず、完璧な情報を五感全てで入手する。

  ハンターと獲物の立場を逆転させ、狼は敵を屠り続けた。

  狼の狩りのように、容赦なく、無駄なく、効率よく敵を仕留めてゆく。

  しかし野生の狼と違い、ゼーレは仕留めた相手を食料にはしない。これは狩猟でも、ましてや縄張りの確保をするためでも、子孫を残すための戦いでもない。

  獣も人も、生存のために戦っている。だが人は、生存のためにすべきことに、不純物が付属する。衣食住を保証されていながら、生き残るために殺し合わなければならない。その結果命を落としてしまう姿は、獣たちの目には滑稽に映るだろう。

  それでも、ショーテルを手に敵を殺し続けるゼーレは、自身の戦いを悲観することも、迷い立ち止まることもない。確固たる信念があるゼーレは一切の躊躇なく、目的を果たすために剣を振り続けた。

  (大方、倒し終えたか)

  茂みに隠れて息を潜めていたゼーレは、敵の気配を探りながらそう判断した。

  (思ったほどの数ではなかったな。これも流姫(りゅうき)の采配のおかげか)

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  「九州から出るのか」

  『ええ。黒狐(くろこ)さんが07基地の内部にいることが発覚してしまう危険性を、少しでも下げなければなりません』

  「いつまでも07基地近辺に留まるわけにはいかん、ということか」

  『ええ』

  「移動先はどうする?」

  『それはこれから決めます』

  「移動先では、私たちの居場所をBATにばらすのか」

  『はい。私たちは既に九州にいないということを、印象付けなければなりません。しかし、あからさまにばらしてしまうと、怪しまれますから。気取られたようにします』

  「私たちは囮か」

  『そうです』

  「戦闘が発生する可能性もあるな」

  『ええ。状況次第では、BATの追跡部隊とやり合います。極力避けるよう努めますが、覚悟しておいてください』

  「分かった。追跡部隊の規模はどれくらいになると思う?」

  『小規模になるよう、情報の信ぴょう性を極力小さくします。あと、戦力が分散するよう、ダミーの情報も流しますので』

  「多少敵戦力が大きくても大丈夫だ。最近は、力が有り余っている。今後のこともも考えると、高ランクの敵を一人か二人は殺しておいた方がいいだろう」

  『それも一理ありますが、やはりリスクは避けなければなりません』

  「そうだな。だが、私はいつでも準備は出来ている」

  『ええ、分かりました。では、気を付けてくださいね』

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  ゼーレに作戦を提供した“指揮官”の情報操作により、敵戦力がこちらの予想を上回ることはなく、負傷なく戦闘を進めることが出来た。

  (おかげで、思ったほどの規模ではなかったな)

  ゼーレは戦闘状況が発生することを、不謹慎ながらも喜んでいた。

  ここ数か月の間は、大きな戦果を得ることが出来ず、歯がゆい思いをしていた。巨大な組織を少数で争っていることを考慮すればやむを得ないのだが、膠着状態が続くことに苛立ちを抑えきれず、それを発散することも出来ない苦痛の日々を送っていた。

  しかし、戦闘でその苛立ちを発散させることが出来る。無論、この戦闘でBATに大きなダメージを与えられないことも、戦闘により自分や仲間が負傷、あるいは死亡してしまう危険があることも、重々承知している。

  それでも憎い敵対組織と直接戦えることに、僅かながら喜んでいた。

  (少々、肩透かしだがな)

  ゼーレは状況の終了を感じ取り、仲間との合流地点へ向かった。無線での連絡は、傍受される恐れがあるため使えない。終了と判断した場合、各々がその地点へ向かうことにしている。

  その間も、ゼーレは気を緩めてはいない。勝利の瞬間にこそ最大の危険が潜むということを、実戦経験が豊富なゼーレはよく理解している。五感を研ぎ澄まし、追跡に注意しつつ、合流地点へ急いだ。

  その時。

  (くっ!)

  ゼーレは足を止めた。

  刹那、あと一歩踏み出した瞬間、闇より飛び出した爪が腹部に深々と突き刺さる光景が脳裏に浮かんだのだ。

  これ以上前に進めば、敵の間合いに入る。兵士の勘と獣の本能が警鐘を鳴らし、ゼーレの足を止めた。

  「ちっ!」

  直後、舌打ちとともに右前方の闇から銀色の刃が跳びかかってきた。

  ゼーレは後方に跳ぶ。停止していたため、辛うじて回避に成功した。

  すかさず反撃の一刀で仕留めようと奇襲を仕掛けてきた敵に踏み込み、左手のショーテルを薙ぎ払う。

  だがその一閃は空を切った。踏み込みが浅く、刃が届かなかったのだ。

  後方に跳びすぎたか、否、跳びすぎではない。むしろ間一髪だと、腹部に生じた痛みを味わいつつゼーレは安堵した。

  (かすり傷か。問題ない)

  自身の怪我が軽傷で行動に支障はないと判断したゼーレは、不意打ちの相手を睨む。

  両目を光らせ身構えている獣の正体は、獅子獣人だ。背丈や体格はゼーレと同程度だが、体つきはやや丸みを帯びており、ネコ科特有のしなやかさが見て取れる。

  手にしている得物は槍だ。穂先に十字架を模した刃は付いた“十文字槍”である。先程の不意打ちの際には、切っ先ではなく左右に開いた刃の切っ先がゼーレの腹部を掠めていた。

  「惜しい」

  獅子獣人の声はゼーレのそれよりやや高く、ゼーレ同様に獅子の胸は膨らんでいる。何より、頭部には鬣がない。

  獅子獣人の槍使いは、ゼーレと同じく女性であった。本物のライオンと見紛うほどに険しい表情でゼーレを睨みつけ、隙なく身構えている。

  「アニマ」

  苦虫を嚙み潰したような表情で、ゼーレは獅子を睨み返した。

  ゼーレはこの獅子―――――アニマを知っていた。過去に何度も刃を交えているが、実力はほぼ互角であり決着はまだ付いていない。

  強者との戦闘を望んでいたゼーレだったが、アニマとは会いたくなかった。戦闘能力の高さもさることながら、その執着心がゼーレにとって最大の脅威だった。

  「当たりを引けるなんて、今日は運が良い」

  そう呟いた獅子の表情がより険しさを増した。目がつり上がり、眉間に皺が刻まれ、牙を剥きだし唸り声が自然と漏れる。サバンナで暮らす野生のライオン以上に凶悪な顔つきだ。

  自然界に生息する動物たちは、こんな顔にはならないだろう。彼らは標的に殺意を抱くことはあっても、憎悪や憤怒を爪牙に込めることはない。自分の命を投げ捨ててまで敵を殺そうとはしない。負の感情を抱き命を捨てる覚悟を持った人の方が、野生の獣より遥かに恐ろしい。

  「運が良い、だと?」

  濃密な憎しみの感情をぶつけられても、ゼーレは怯まず身構える。アニマと同等に、凶悪な表情を作って。

  「悪い、の間違いだろう」

  その言葉が合図になった。

  向かい合っていた狼と獅子は、刃を振りかざし同時に踏み出した。

  身体能力は拮抗しているが、武器の間合いはアニマの方が長い。

  必然的に、アニマが先手を取って攻撃を繰り出した。

  刺突を中心に、鉤状に刃が展開している十字槍を巧みに使い、安全圏から攻撃を繰り出す。

  一方のゼーレは後手に回るも、冷静に攻撃を見極めて回避を続けた。

  刃が湾曲している曲刀は防御に向かない。しかし十分な速度と目の良さを兼ね備えたゼーレは、難なく回避を続けた。

  上半身への攻撃を身を捻じり、下半身への攻撃は左右や後方に跳び体ごと移動して躱す。

  少しでもアニマに隙が生じれば、間合いを詰めて斬りかかるつもりで。

  金属音はなく、刃が空を切る音のみが夜の森に木霊していたが、疲労で若干ゼーレの速度が落ちてくる。

  ここぞとばかりに、アニマは鋭い突きを打ち込む。

  ゼーレは左前方に踏み込んだ。

  切っ先は躱せたが、右に伸びた十字槍の刃が迫る。

  しかしそれを、ゼーレは両方の愛刀で防いだ。

  刃が湾曲していても、鍔際付近は刃が直線であり鍔迫り合いも出来る。

  刺突を止めたゼーレは右手を外側に振るって槍の軌道を反らし、左足で大きく踏み込み、右回りに回転しつつ左手のショーテルを薙ぎ払った。

  アニマはバックステップでそれを避け、十字槍を右に払う。

  (この間合いは渡さん!)

  ゼーレは踏み込み。右手の刀でそれを防いだ。

  槍使い相手に距離を取ることは悪手である。

  鉤状に伸びた十字槍の刃に注意しつつ、踏み込んで槍を止めたゼーレは、左手のショーテルで斬りかかる。

  アニマは槍を手放し後方に飛んで躱した。

  (ここで終わらせてやる!)

  槍を手放したアニマに向かって仕掛けようとしたゼーレだったが。

  「くっ!」

  アニマが放ったナイフが眉間に迫り、足を止めて身を捻じって躱した。

  その隙にアニアは更に距離を取り、腰のナイフを抜いて身構える。

  (こいつはここで殺す。十分な戦果だ)

  ゼーレは警戒しつつ再び切り込もうとしたが。

  (ん?)

  風向きが変わった。獅子を仕留めんと前に出た狼に、一陣の追い風が背中に衝突する。濃厚な獣の匂いを乗せた森の息吹は狼の鼻孔に入り込んだ。

  (これは!?)

  闇から伸びた手に肩を掴まれ、ゼーレは足を止めた。

  (これら匂い・・・・・・間違いない!やはりあいつも着ていたのか!)

  脳の中に収納されている、“匂いの保管庫”。その中にある引き出しの一つが反応した。

  アニマ同様に嗅いだことがある匂い、警戒すべき難敵の匂いだ。

  ドドドッ ドドドッ ドドドッ ドドドッ

  大地を叩く足音でゼーレの耳が揺れた。鳥や獣たちの鳴き声をかき消し、一頭の獣がこちらに向かって突き進んでくる。

  速度は非常に大きく、微かな足音はすぐに大きくなり、地響きがゼーレの背中を叩いた。

  その時、後方に意識が向いたゼーレへ、再びアニマはナイフを投げつけた。

  狙いは足元だ。ゼーレは咄嗟に左へ跳び、後方に視線を向けた。

  夜目が利く狼だからこそ、ゼーレはすぐ難敵の姿を捕らえることが出来た。

  闇の森を疾走しこちらに向かってくる、大型のキメラの姿を。

  それは、巨大な馬だ。ただしその肉体は、実際の馬より一回り以上大きい。発達した筋肉を鎧のように纏い、その上に防弾具を身に着けている。更には鞍や手綱まで装着しおり、その姿は戦場を掛ける軍馬のようだ。防弾装備の下に見える体毛は黒と白の縦縞模様であり、縞馬であることが分かる。

  軍馬のようなキメラは大きく嘶き、ゼーレに向かって突進してきた。

  ゼーレは地面を強く蹴り右へ跳び、軍馬の左側面に回り込む。

  だが切り込むことはなかった。その勢いを維持して走りだした。

  (二対一では勝てない!)

  戦闘を続行すれば間違いなく敗北すると察したゼーレは、戦場からの離脱を選択した。

  軍馬は地面に深い溝を作りつつ急停止し、ゼーレが逃走した方向へ体を向けた。

  アニマは槍を拾うと、縞馬のキメラに跳び乗った。鞍に腰を下ろし左手で手綱を掴み、ゼーレの背中を睨む。

  「追いかけて!」

  アニマが命じると、縞馬は了解したと言わんばかりに鼻息を鳴らし、逃げるゼーレの追跡を開始した。

  キメラを駆るアニマは、古戦場で槍を振るう騎馬兵となり、獲物である狼を追いかける。

  今日こそ宿敵を仕留めんと、闘争心を滾らせて。

  ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

  翌朝。

  「それでは、定刻となりましたので、会議を始めます」

  とある施設の会議室にて、壮年の男性が円卓についた出席者たちを見渡して口を開いた。光沢のある黒茶色の机に、シングルソファのような椅子。出席者全員には豪華なティーカップに注がれた紅茶が用意されており、まるで茶会を始めるかのようだ。

  事実、今回の会議はほぼ形だけのもの。議題の結論はほぼ固まっており、書類決議で十分な内容と言えた。出席者たち―――――スーツや白衣を来た壮年男性たちは、手元の資料にやる気のない視線を向けている。

  しかし、出席者の中に一人だけ真剣な表情で資料に目を向ける者がいた。キリンの獣人である、壮年男性だ。高価なスーツを着こなし、紅茶を味わいつつ微笑を浮かべ資料に目を通す。獣人の姿だが、彼は他の出席者たちとは違い、優秀なビジネスマンのような風格を備えていた。

  彼の首から掛けられたネームプレートには、宗麟と印字されている。

  「えー、ではですね、“姫だるま”の輸送については、これは決定ということで。ゴーレム兵についても同様でして。日時についてですが・・・・・・」

  司会の男性が議題について言葉を続けた。

  口を挟む者はいない。司会の男性の発言内容は、全て資料に書かれているものと同じだった。内容について反論を挟む余地はない。今後のスケジュールを確認するだけのようなものだった。

  「ちょっと、いいかな」

  キリンの獣人―――――宗麟がそれを止めた。

  「どうかしましたか?」

  周囲の出席者たちの内、半数は宗麟に目を向けたが、残りは資料に目を向けたままだった。どうせ、対した発言はしないだろうと思い、携帯電話を取り出しメールやゲームを始める者までいた。

  「“姫だるま”とゴーレム兵の輸送が完了した後も、僕たちはここに残るのかな?」

  「ええ、それを希望されるなら。輸送完了後も、ここには研究施設も多数ありますし。ただ、姫だるま輸送後は、ここを縮小する可能性もあります。まぁ、そうなっても、保管場所としては、ここは大きなところですからね」

  「そうだね」

  宗麟が頷くと、胸ポケットにあるスマートフォンが振動した。宗麟はその画面を確認すると、それをしまい、ゆっくりと立ち上がった。

  「いよいよ、か」

  「そうですね。ようやく決行です。姫だるまの輸送は、かなり前から提案されていましたし」

  司会の男性は宗麟に同調したが、宗麟はそれを無視し、過去に思いを巡らせていた。そして、未来の事に。今の彼に、他の出席者たちは見えていなかった。

  「長かったな、ここまで・・・・・・本当に、色々あった。準備して、成功して、失敗して・・・・・・作って、壊されて・・・・・・手に入れて、失って・・・・・・さて、今回のこれは、上手くいくかな?」

  「は?」

  出席者全員が、宗麟の発言の意図が分からず、揃って彼の方を見る。

  「何を言っているんだ、お前は?」

  宗麟の隣に座っている男性が質問した。しかし宗麟は、彼のことなど眼中に無いと言わんばかりに無視し、席から離れて歩き始めた。

  「いずれにせよ今回が、最後になるだろうな。しかしだ。そうなると、彼は来てくれるかな、僕のところに」

  ゆっくりと、司会を勤める男性の元に近づいていく。

  「来てほしいな。久しぶりに、会いたいよ」

  そして、司会の男性の前で立ち止まった。男性は、長身で首が長いキリンに見下ろされることになり、圧倒されて後ずさる。

  「例え敵同士でも」

  「あの、宗麟さん、さっきから何を言っているんですか?」

  いつもの様に、気品ある笑みを浮かべて独り言を続ける宗麟に、司会の男性が質問した。

  その直後。

  ゴッ

  鈍い音が部屋に響いた。宗麟は予備動作なく右腕を振るったのだ。その一振りで首の骨を折られた男性は、糸を切られた操り人形のように崩れ落ちた。

  眼前で起きた、殺人という非日常。出席者たちはその光景を、すぐには理解できなかった。一瞬遅れて、止まった時間が動き出した。

  出席者たちの反応は様々だった。驚愕し固まってしまった者、椅子から転げ落ち震えだす者、我先にと出入り口へ走る者、携帯電話を取り出しどこかへ報告する者。

  宗麟はスマートフォンを取り出し、仲間にメールを送った。

  開戦の指令を。

  すると、逃げる出席者たちを押しのけ、拳銃を手にした警備員が会議室に踏み込んできた。

  宗麟はスマートフォンをポケットに戻した。

  余裕のある、不敵な笑みを浮かべながら。

  同刻、同施設内にて。

  「その映画、最高だったぞ。シリーズが進むに連れて、面白さが増しているな」

  「そっか。仕事終わったら観ようかな」

  灰色の通路を、白衣に身を包んだ男女二人が並んで歩く。それぞれの手には、タブレット端末が握られていた。

  「こいつら、その映画に出てたモンスターに似てるな」

  「開発者の中に、ファンがいたのかもね」

  二人はタブレット端末と、壁際に並べられた円柱状のカプセルを交互に確認しつつ歩いている。透明なセラミック素材で作られた大型カプセルは直径1メートル、高さは2メートルほどもあり、土台と上部にはコンピューターとモニター、そして無数のコードが接続されていた。

  内部は水色の培養液で満たされており、そこには生物が浮かんでいた。

  骨格は人に近いが、後頭部が長く目と口は異様に大きい。猫背で両腕は短く、鋭い爪が生えている。脚部は趾行性で、大腿部の筋肉は発達し膨らんでいる。全身を覆う皮膚は高質で、褐色に染まっている。そんな怪物の体には、カプセルの上部と底部から伸びたコードがあちこちに繋がっていた。

  そんな異形の怪物が入ったカプセルが無数に並んだ部屋の中を、男女は平然と歩いていた。彼らにとっては、見慣れた光景だからだ。目を閉じて培養液の中で眠っている怪物と、カプセルに接続されたコンピューターのモニターを確認し、男女は他愛もないことを話しながら歩いていた。

  今日も、いつも通り仕事が終わると、二人はそう思っていた。

  しかし。

  「あれ?」

  女性がとあるカプセルの前で足を止めた。

  「どうした?」

  「このモニター、おかしくない?」

  女性が指さしたモニターには、怪物の心電図が表示されている。普段は止まっているそれが、僅かに動き出していた。

  「誤作動か」

  男性がカプセルの中の怪物に視線を移す。

  そして男性は、言葉を失った。

  カプセルの中にいる怪物と、目が合って。

  怪物は、大きな双眼を見開き、男性を見下ろしていた。

  「あっ」

  直後、女性は気付いた。

  隣のカプセルの心電図も動き出していることに。

  そして、他のカプセルの怪物たちも、一斉に目を見開き、自分たちを見ていることに。

  細長い通路を、白衣や作業着を来た人々が走る。生まれて初めて死の恐怖に直面し、それから逃れようと駆ける。捕食者から逃げる獲物のように。通路の幅は2メートルほどあるが、人が密集しほとんど隙間はない。

  そんな人々の波を必死にかき分け、武装した兵士たちが走る。

  武装と言っても、兵士たちが手にしている武器は銃器ではなく日本刀だった。

  しかし、彼らにとってはそれで十分だ。彼らは皆、獣人なのだから。むしろ狭い屋内戦では、同士討ちの危険性が少なく刀剣類の方が安全と言えた。

  種族はそれぞれ、犬に馬、兎に狸、そして狼である。

  「おい、何が起きてるんだ!?」

  声を上げたのは最後尾を走る巨漢の狸だ。ついさっき合流したばかりなので、彼はまだ状況を把握していなあった。

  「分からないけど、キメラが暴れてるみたい」

  その疑問に、紅一点の犬が答えた。

  「檻から逃げ出したって聞いたぞ」

  先頭を走る長身の馬が叫ぶ。

  「警報システムも動いてないな。サイバーテロか?」

  小柄な兎が疑問を口にした。

  「原因なんてどうでもいいだろ。とにかく俺たちは、檻から出たキメラを殺せばいい」

  巨漢の狸より大柄な狼が、ニヤニヤと笑いながら言った。

  「捕まえないと、うるさく言われるだろうな」

  「知るかってんだ」

  狼は刀の柄を握り、牙を剥きだして笑う。

  「この島じゃ、戦果を出す機会が無いからな。丁度いい」

  やがて人の波も途絶え、五人の獣人は全力で走り出した。

  行き先は通路の奥にある扉の先だ。

  「この区画だと、別の班がもう到着してるだろうな」

  「おいおい、もう終わってんじゃ・・・・・・」

  安心したような口ぶりの鼠に対し、狼が残念そうだ。

  だが数秒後。

  「いや、大丈夫そうだな」

  狼は安堵し、笑った。

  扉から染みでている血の匂いを嗅いで。

  それは紛れもなく、キメラとは異なる人の匂いだ。

  「うっ」

  五人が近づくと、迎え入れるように扉が開く。その先の光景を見て、先頭の馬はたまらず呻いた。

  そこは職員たちが憩いの場として利用している、ホール状の部屋だ。

  中央には屋内噴水が設置されており、流水の音が絶えない。中心には女神像が建てられており、彼女が脇に抱えた瓶から絶えず水が流れ出ている。

  天井に設置されたモニターには雲が浮かぶ青空の映像が流れ、噴水を取り囲むように等間隔でベンチが設置され、壁際には観葉植物が並ぶ。床にもレンガ敷き風にデザインされたマットが敷かれており、公園をそのまま施設の中に移したかのようだ。

  「うっわ」

  後続の兎も部屋に入り、小さく叫んだ。

  憩いの場であったその部屋には、無数の死体が転がっていた。

  ベンチにもたれ掛かっているもの、隅の自動販売機の近くに倒れているもの、噴水に浮かんでいるもの・・・・・・どれも損傷が激しく、周囲には臓腑や肉片が飛び散り、血が絨毯の様に床一面に広がっている。

  「久々だな、この臭いは」

  狼は吐き捨てるように言った。好戦的な彼は、この光景には動じなかったが、臭いには苦言を呈さずにはいられない。

  「うっ」

  犬の女性は口を抑えてよろめいた。それを、隣の狸が支える。

  「大丈夫か?」

  「ええ、平気」

  彼女も戦闘経験は豊富だが、久々ということもあり、この惨状を目の当たりにしながら平静を保つのは難しかった。

  「派手にやり合ったみたいだな」

  「ああ。だけど・・・・・・」

  先に進みながら、馬と兎は同じ疑問を抱いた。

  死体の大半は、白衣を来た研究員だ。それに混じって、戦闘服を来た警備員の死体もある。硝煙の臭いや壁の弾痕、床の薬きょうを見れば、キメラ相手に抵抗したことが分かる。

  そして、檻から逃げたキメラの死体も数体が床に倒れていた。キメラの死体の傷はどれも刀傷ばかりで、被弾した形跡がない。

  「あいつらが、やってくれたみたいなだ」

  兎は噴水の近くに倒れている、二人の獣人兵士を指した。猪と象であり、共に刀剣を握ったまま息絶えていた。彼らもまた、刀傷を負っている。

  「ああ。でも、あの二人は誰に?」

  「キメラだろ」

  「それにしちゃ、傷跡が綺麗すぎるだろ」

  「でも他に・・・・・・」

  会話の最中、兎の耳が揺れた。

  かすかな物音を聞き取った兎は、部屋の北側にある扉、キメラが大量に保管されている部屋に通じる扉を睨む。

  「何か来るぞ」

  兎が呟くと同時に狼を除く全員が刀を抜き、臨戦態勢を整えた。

  キメラの大群が予想されたが。

  「群れじゃねえ。一人・・・・・・人か獣人だ」

  兎がそう呟いた。それでも警戒を解く兵士はいない。油断なく構え、敵を待つ。

  全員険しい表情をしていたが、狼だけは笑っていた。腰に差した鞘の鯉口を左手で、柄を右手で握り、居合の構えを取る。

  「もうすぐ来る」

  兎がつぶやくと、狼と馬は扉へと近づく。不意打ちを警戒し、適度に距離を取って。

  そして。

  ガシャン

  自動ドアが開く。

  兎の言う通り、そこにいたのは一人の獣人だった。

  顔たちはイタチに近い。体毛は黒いが頭頂部から背中にかけては白く、白髪が生えているように見える。体つきは華奢で背は低く、その顔にはまだ幼さが残っていた。そして胸には控えめな膨らみがあり、獣人が女性であることが分かる。

  彼女はゆっくりと部屋の中に入ってきた。視線は左手のスマートフォンに向けられており、馬や狼はおろか、部屋に散らばっている死体のことなど気にも留めない。

  「おい、お前」

  「銀千代?」

  狼と馬は、揃って女性に声を掛けた。

  馬から銀千代と呼ばれた女性の獣人は、スマートフォンに視線を向けたまま返事をした。

  「何?」

  表情と同じく少女の片鱗が残る声を聴いた馬は、びくりと体を震わせた。巨大な肉食獣に睨みつけられたかのような感覚に襲われて。

  「その体・・・・・・どうしたんだ?ここで戦ったのは、お前なのか?」

  馬は銀千代の体を指して聞いた。

  銀千代が着ている戦闘服には、大量の血液が付着していた。銀千代が怪我をしている様子はなく、返り血のようだ。そして、銀千代の右手の得物、刃渡り80センチを超える太刀の刀身にも、べっとりと血がこびりついている。戦闘を終えた後なのは、言うまでもない。

  「そーだけど」

  「あと、お前の刀の血、キメラのもんじゃねえだろ。どういうことだ」

  銀千代の背後から、居合の構えのまま狼が詰め寄る。その嗅覚をもってすれば、血の識別は難しいことではなかった。

  「そこに寝ている猪と象の血。私が殺したから」

  銀千代は隠さず言った。その場にいる全員に、緊張が走る。

  「どうして・・・・・・」

  犬が小さく呟くも、その問いに答える者はいなかった。

  銀千代は他者と関わることを嫌い、常に一人だった。故に、銀千代がどんな思いを胸に秘めているのか知る者はいない。だが、彼女が戦闘狂であることは有名だった。

  「キメラの檻ぃ、開けたのはてめぇか」

  間合いを詰めつつ、狼は質問を変えた。獲物に跳びかからんとする、野生の狼のように。

  「うん」

  銀千代は、左手でスマホの画面を操作しつつ答える。

  「誰の命令だ」

  「宗麟。ここを占領するから手を貸せって」

  狼の間合いまで、あと半歩。

  「あのキリン野郎、何でこんなことをしやがったんだ」

  「さーね。ま、あいつって、人に合わせたりしないで、自分のやりたいようにやるタイプだし」

  「で、お前は宗麟に付いたのか」

  「うん。そっちの方が面白そうだったし・・・・・・」

  銀千代から状況を聞き取った狼は、踏み込んで居合を放った。

  必殺の一閃は、銀千代の左脇から右胸にかけて走り、その小さな体を両断するはずだった。

  しかし。

  ガチン!!!

  狼の手から刀は吹き飛んだ。

  銀千代が片手で薙ぎ払った一閃によって。

  (片手で!?)

  驚愕する狼の腹部に、銀千代は蹴りを打ち込んだ。

  狼の体は、部屋の壁まで吹き飛ぶ。

  「このっ!」

  馬は銀千代に斬りかかろうと、刀を上段に構えた。

  そして右足を踏み出した直後、銀千代の体が黒い風となって自分の左を通り抜けた。

  「うっ」

  馬が腹部に熱を感じた瞬間、下半身から切り離された上半身が床に落下した。

  「やべえ」

  同僚二人が瞬殺され、兎は銀千代に背を向け走り出した。

  兎の脚力を最大限に発揮し、戦場からの離脱を試みる。

  「ぎっ!」

  だが、逃さんと言わんばかりに銀千代が投げた長刀が兎の胸を貫く。

  素手になった銀千代は、狸と犬を睨んだ。

  「あっ!だめっ!」

  犬の静止を振り切り、狸は銀千代に斬りかかった。刀がない今しか勝機はないと判断して。

  得意とする刺突を打ち込もうとした狸だったが。

  「づっ!」

  狸の打ち込みよりも速く踏み込んできた銀千代の拳が腹部にめり込んだ。

  激痛と呼吸困難と吐き気を味わう余裕もなく、銀千代の拳が矢継ぎ早に飛んできた。

  目にも止まらぬ連撃は、どれも硬く重い。

  瞼は切れ鼻血が噴き出し、頬骨は砕け歯は折れ、内臓は歪み意識を失いそうになる。

  「がぁっ!!」

  狸を撲殺しようと拳を振るう銀千代目がけ、狼は接近しつつナイフを投げつけた。

  銀千代は崩れ落ちていく狸の腕を掴んで引き寄せ、その体を盾にした。

  狸の背中に、ナイフが突き刺さる。

  「だっ!」

  狼は狸の肉体ごと、その後ろにいる銀千代を両断すべく、渾身の力を込めて拾った刀を振るった。

  剛力を誇る狼の一閃は、容易く狸を両断した。

  だが、銀千代はもうそこにいない。

  「くっ」

  刀を振り終えた狼は、右半身に熱を感じた。

  巨大な怪物が口を開き、すぐそこに迫ってきているかのような感覚だ。

  「ちっ!」

  右にいる銀千代へ刀を薙ぎ払おうとしたが、その腕を捕まれた。

  視線を向けると、銀千代と目が合う。

  「うっ」

  狼は悲鳴を上げた。

  銀千代は、笑っていた。

  目を吊り上げて牙を剥きだし睨みつけるように、しかし口角を上げて楽しそうに微笑んでいる。

  殺してやると思いつつ、ああ楽しいと感じている。

  その凶悪な笑みを映した瞳を、銀千代が放った突きが貫く。狸から奪った刃は脳まで到達し、狼の命を奪った。

  「ふう」

  銀千代が狼から刀を引き抜くと、蓋を失った傷口から血が噴き出す。体を更に赤く染め、銀千代は刀を投げ捨てた。

  「あ・・・・・・ああ・・・・・・」

  一人残った犬は、恐怖のあまり立っていられなくなり、その場に崩れ落ちた。

  ついさっきまで生きていた同僚たちは、既に物言わぬ屍と化し倒れてしまった。たった一人の獣人兵士によって。

  銀千代が強いという噂は耳にしていたが、これほどとは思わなかった。圧倒的な戦力差があれば、単独で数名の敵を倒すことは決して不可能ではない。しかし、罠も策もないただの斬り合いで、経験豊富な兵士たち相手にそれをやってのけるとは。

  返り血で真っ赤に染まった銀千代は、素手のまま犬を睨む。殺意と愉悦という、本来共存するはずがない二つの感情をもった笑みを浮かべて。

  その姿を見て、犬は理解した。彼女はもう人ではないと。人を失い、獣になってしまったのだと。

  (勝てない・・・・・・)

  銀千代の戦いぶりを見せつけられた犬は、戦意を刈り取られてしまった。ただただ絶望し、仲間の死を悲しみ、自身の死に怯えるしかない。

  そんな犬を見た銀千代の表情は、笑顔から一転、苛立ちにより歪んだ。そして小さく舌打ちして、犬に歩み寄ったが。

  オオオオオオオオオ・・・・・・

  咆哮と地響きに背中を叩かれ、足を止めた。

  「もう?」

  銀千代は部屋の隅に転がっている兎の元まで走り、背中に刺さっていた自身の愛刀を抜いた。

  (この臭いと音・・・・・・いけない!こんなに多くの!?)

  逃げなければと、犬が立ち上がると同時に。

  アアアアアアアアアアア!!!!

  数えきれないほどのキメラが部屋の中に雪崩れ込んできた。

  異形の獣たちは無数の死体を踏み荒らし、魂を刈り取らんと命ある者へ向かう。

  犬は戦意を失い逃げ出すも、銀千代は凶悪な笑みを浮かべて身構えた。

  それもそのはず、銀千代はラーテルの獣人だ。

  自身より巨大な肉食獣にも恐れず立ち向かう獣である。

  肉体にも、そして精神にもラーテルを宿した銀千代は、この程度では恐れない。

  牙を剥き、太刀を振りかざし、躊躇なく怪物の群れに飛び込んだ。