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金目の僕と、君のはなし【狼雪】

  

  ある日目が覚めたら自分の姿が変わっていた。そんな奇想天外な出来事に出くわしたらどうだろう。

  

  

  

  

  冬の、底冷えのする日のことだった。

  目を覚まし、ぼんやりする目をこすろうとした雪は何かがおかしいことに気付いた。首を傾げてみたが、特に思い当たる節はない。

  すとん、と床に降り立つと同時にしゃら、と聞き慣れない音がした。何の音だろう? と周りを見回すが、澄んだ金属のような音を立てそうなものなど辺りに見当たらない。隣で寝ていたはずの彼の姿はなく、彼がいた証拠にマットレスが少し窪んでいるだけだった。

  雪は寒さにひとつ身震いし、キッチンの方へとことこと歩き出した。途中でクローゼットの前を通った時に、雪の視界の端にちらりと見たこともないものが映った。仕舞われている服のさして多くないクローゼットの扉に据え付けられた姿見に、雪の姿が映ったのだ。慌てて鏡の前に引き返した雪の目に映ったものは、見慣れた自身の身体ではなかった。

  (!!???)

  それは、人の姿すらしていなかった。狐か、狼か、判別はつかないが、白く輝く水晶のような毛――それを毛と表現して良いのかはさておき――がびっしりと生えた生き物がそこにはいた。それが雪であるという証拠に、瞳は濃い金色で、琥珀か蜂蜜を流し込んだような色をして輝いていた。

  一体何が起こったというのだろう? 雪は鏡に顔を近づけたりその前でくるくると回ってみたりして、変貌した身体をまじまじと観察した。尻尾を一振り、二振り。雪が動く度にしゃらり、しゃなり、さらしゃらら、と氷の結晶を叩いたような音がした。

  

  ふと、この姿で彼は自分だと認識してくれるのだろうか? と不安が心をよぎった。その不安を打ち消すように、

  「雪? 起きてるか?」

  と彼の声が響いた。

  雪はくるりと踵を返し、急いでキッチンへ向かった。彼が甘いものの好きな雪のためにココアを作って待っているに違いなかった。

  

  「!? っ、な……?」

  彼は駆けてきたきた雪の姿を見て息を呑み、後ろへ飛び退った。

  「お前、どこから入ってきた?」

  やはり、この姿では分からないか……。無理もない。雪自身が一番驚いているのだから。

  雪はしゅんと項垂れた。頭が落ち、尻尾と耳が下がった。クリスタルの尻尾の先がかしゃんと床を叩いた。

  「お前………………、雪、か……?」

  目の前に急に現れた奇妙な生き物を矯めつ眇めつしていた彼が怪訝な顔のまま唸った。雪の顔がぱっと上がる。

  「やっぱり、そうか! どうしたんだ? うん?」

  彼がしゃがみ込み、雪と目線を合わせ腕を広げて迎え入れてくれる。やはり彼は自分がどんな姿をしていようと分かってくれるのだ! 嬉しくなった雪はその腕に飛び込み、飛び込もうとしてすんでのところで踏みとどまった。しゃらしゃら硬質な音がする身体で彼に触れても大丈夫だろうか? 煌めく鋭利なクリスタルのような体毛のまま、彼の腕の中に抱かれて彼を傷つけはしないだろうか?

  彼は目の前で急ブレーキをかけた雪を見て不思議そうな顔をした。いつもなら遠慮なく温かい胸に飛び込むのにどうしたことだろう、と顔に書いてあった。

  「雪、なんだかすごく綺麗な奴になっちまったな。いや、もとから綺麗だし可愛いけども。狐か? ……狼か? 狼なら俺と一緒だな」

  優しい目で彼の大きな掌が近づいて来る。撫でられてみたかったが、やはり傷つけてしまったらどうしよう、という思いがむくむくと浮かんできて、雪は掌をかわし、ソファの上へ逃げた。

  「逃げなくたっていいだろ? 触られるのが嫌なのか?」

  雪は耳を下げて困り顔のまま首をぶんぶんと横に振った。今度はちゃりちゃりちゃりと気忙しい、ガラスの破片を打ち鳴らしたような音がした。狐の困り顔ってどんな顔だろう、と雪は思った。

  (触られたくないんじゃない! むしろいつもみたいに抱きしめて欲しい。でも、でも、できないんだ……。お願いだから、分かって……?)

  

  じっと見つめる彼の視線と雪の金色の瞳が重なった。彼はふうとため息をひとつついた。

  「分かった、触らないから。こっちへおいで」

  愛おしい人の手招きに逆らえるはずもなく、雪はそろそろとゆっくり彼のもとまで近づいた。

  「腹減っただろ? 何か食べるか? ……ってその身体じゃ食べる物も違うのか? いや、でも雪だろ、お前? うーん……」

  彼はひとしきり百面相した後、とりあえず、と言ってカップではなく皿にココアを注ぎ雪の目の前へ置いた。

  ヴァンパイアである雪の主食は人間の食べるものとは異なるのだが、彼と暮らし始めて時折おこぼれにあずかるようになり人の味覚を知るようになった雪は、甘いココアを最も好んだ。

  舌をちろりと出して湯気のふんわり立つ液体を舐めれば、いつも通り彼が作る世界で一番美味しいココアの味が雪の身体を満たした。

  「美味いか? そうか」

  人の姿ならば、たとえ物が言えないとしてもにっこり笑いかけることができるのに、この姿ではそれもままならないのだな、と雪はひっそりと哀しく思った。

  

  

  それからしばらく経っても雪の身体はもとに戻らないままだった。生活するだけなら特に不便と感じなかったが、何よりも互いに触れられずに日々を過ごすのが辛かった。

  彼は雪に触れて傷だらけになろうが構わないと言いそうだったし、実際、触れてどうにかなっても構わないとさえ言っていたが、当の雪がそれを許さなかった。もとから高い身体能力を有していたが、耳が敏感になったことで危険を察知する能力がさらに高まり、彼の気配が近づくと自分から距離を取るようになっていた。

  

  

  月の明るいある夜、雪はソファの上で丸くなり、うたた寝していた。ギシリと音を立ててソファが沈み、あっと気付いた時にはもう遅かった。濃灰色の毛並みの美しい大きな狼が雪を包み込むようにしてソファの上に鎮座していた。

  (藍……!)

  跳ね起きた勢いで雪の身体がしゃらんと鳴った。

  彼の逞しい前脚が雪を引き寄せた。クリスタルの尖った先は厚くごわごわとした毛並みに埋もれ、彼の皮膚までは届いていないようだった。ああ、そうか。今夜は満月だったな、と雪は降り落ちる月光を見ながら思った。

  彼が器用に雪の顎を脚で掬い、湿った鼻がくっついた。久しぶりに触れ合い、その温かさと幸福感に雪は込み上げてきた涙がこぼれそうになるのを必死でこらえた。泣いてしまったら彼が心配するだろう。そもそもこの身体で涙が出るのかは分からなかったが、それでも――。

  雪は彼の腹の横で丸くなった。彼のふさふさとした尻尾が身体を包むのを感じ、急激に睡魔が襲ってきてそれに身を委ねたくなった。寝ても覚めても張りつめていた緊張の糸が切れてしまったらしかった。もっと彼に触れて、鼻キスを交わしていたかったが、心地良い眠りがあっという間に雪を眠りの世界へ引き込んでいった。

  

  

  キッチンから微かに音が聞こえる。快い、いつも雪が起きる時に響いている音である。ぱちっと目を開けた雪が、寝室のベッドの上にいることを悟るまで数分かかった。暗い空間に金の瞳が二つの星のように輝いた。

  ベッドから起き直り、床に足を下ろし、そこで雪は気づいた。

  (人に戻っている……!!)

  鏡の前に飛んでいき、映る姿を眺めると、やはり夢ではないらしかった。ぺたぺたと顔に、腕に、腹に触れてみる。かざした手も、見下ろした足も、見慣れた人間のそれだった。ひとつだけ、彼が宝石のようだと讃える双眸だけが同じ色で鏡の中からこちらを見ていた。

  (藍!! 藍!!)

  雪は冷たい床をものともせず、裸足で廊下を駆けた。

  作業をしていた彼が振り返るのと、雪が喜びのあまり抱きつくのが同時だった。

  「っわ! ちょ、雪?! 危ないだろう? ……あ、戻ったのか!?」

  雪は彼の胸に顔を埋めながらこくこくと頷いて返事した。

  「良かったな……!」

  彼がおもむろに雪をひょいと抱き上げ、キッチンのカウンターの空いたところに乗せた。

  「顔をよく見せてくれ……雪……雪……」

  彼が頬を撫で見上げてくる。高くなった目線のまま、雪は彼の頭を抱き、そうっと髪に指を沈めた。

  「あの姿の雪もきらきらして綺麗で好きだったけど、俺はやっぱりこっちの雪の方が好きだな」

  雪はにっこりと幸せそうに笑った。紅い唇の間から尖った牙が見え隠れしていた。

  いつもは口づけられる側だが、今日くらいはいいだろう。雪は彼の頬を両手で挟み、精いっぱいの愛の言葉を心で叫びながら愛おしい唇にキスを落とした。

  

  

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