宗教・信仰とアニメ

  「アートは一時的に人を救ふが、永續はしない」

  哲學者ショーペンハウアーの『意志と表象としての世界』(1818)の第三巻、通稱藝術論の主題である。

  無時間的なイデアや、美學について語られてゐる。

  偖、アートで救はれなくなつた人は、宗教や信仰によつて救はれると思ふ。

  それがアニメであつたとしたら、アニメは最早アートを超越して、宗教や信仰の域へと達してゐると思はれる。

  ホモ・レリギーオススは様々なものを信仰の對象として來た。

  ・家族(武士道)

  ・お金(資本主義の惡魔マモン)

  ・國境(陵域國民國家システムの惡魔リヴァイアサン)

  ・アイドル(宗教現象)

  ・映畫(藤本タツキ『ファイアパンチ』、死後の世界は映畫館である。)

  ・木(常緑樹)

  ・石(磐座信仰)

  ・山(神奈備)

  ・動物(エジプトの動物ミイラや、アヌビス神、或いはアイヌのカムイ、春日大社の鹿)

  ・彫像(カソリックのイエス像。佛像)

  ・絵畫(西洋)

  ・環境(活動家)

  ・記號(十字架、イクトゥス、XP)

  ・滝(神道)

  ・果實(パパイヤ? ヤシの實?)

  ・天體(太陽、月)

  ・人間(天皇、ダライ・ラマ、ブッダ、イエス)

  アニメは一本一本が一つの神話であり、一處の神社である。

  出て來る人物は神々である。

  何故なら、それらの人物は、この世界には實在しないのに、アニメを通して彼らと同じ時間と空間を共有し、彼ら彼女らと「知り合つた」てふ確信を得られるからである。

  我々は時折「聖地巡禮」と稱して、アニメの舞臺となつた場所を訪れる事がある。

  其れはアニメによつて、その地が聖化又は聖別されたからに他ならないのである。