随筆とは・二

  枕草子、清少納言

  徒然日記、兼好法師(吉田兼好)

  方丈記、鴨長明

  日本古典の世界の随筆は、以上の三つ。

  西洋古典にはパンセの「随想録(エセー)」があるらしい。

  それぞれの書き出しは以下である。

  春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、……

  徒然なるままに日暮らし、……

  行く川の流れは絶えずして、しかも元の形には戻らず。……

  また、枕草子は特に「夏は夜」「秋は夕暮れ」「冬はつとめて」の四季の話が有名である。

  枕草子とあともう一つ(徒/方、どちらか忘れた)は、漢文についても語る。

  「文集文選(もんじゆう、もんぜん)」

  これは、白氏文集(はくしもんじゆう)と唐詩文選(とうしもんぜん)の事であるといはれる。

  清少納言は幼い頃から漢文が読め過ぎて、男勝りだ、等と誹謗中傷を受けたゐた。父親も、男だつたら官僚になれた、出世しただらうに、と残念がつてゐた、そんな時代である。

  因みに紫式部は「日本紀の局(にほんぎのつぼね)」と揶揄された。

  女が歴史なんかやるもんじやない、てふ事だらうか。

  清少納言は、海についても語つてゐるが、「淡海(あはうみ)」が良いとしてゐる。これは近江(あふみ)の語源にもなつた、琵琶湖のことである。

  清少納言は、「琵琶湖は海」と言つてゐる。

  勿論、平安の当時は、海と湖、海水と淡水の区別はなく「うみ」てふ語であらはした。

  平安から近い海は、「近つ淡海」、のちに近江。遠い海は「遠江(とおつうみ)」、のちにとおとうみ。漢字の上では、淡水と海水(江)を区別してゐる気がする。江戸の江もさうなのだらう。

  私の随筆は、枕草子にふさはしいのだらうか。

  方丈に住んでゐやしないだらうか。

  徒然なる儘にその日暮らしを謳歌してはゐないだらうか。

  わたしは、實家の子供部屋に引きこもつてゐる(笑)

  親の脛を齧つてゐる。

  明日や昨日は存在しない、夢の中だと思つてをる。

  徒然の意味は知らんが、正に「その日暮らし」である。

  労働もせず、自称「令和の清少納言」は何をやつてをるか!(怒)

  特に父はさう怒つてをる。

  私はといへば、「生活保護欲しい〜」としか思つとらん。

  マカロニ體てふ語がある。

  二つ以上の言語をごちや混ぜに使つた作品の事である。ラテン語+現代の自国語の組み合はせは定番であり、「マカロニ・ラテン語」なる語もある。

  (マカロニえんぴつは、えんぴつとマカロニの混合? えんぴつは芯があるのに、マカロニは真ん中が空洞である。芯の無い、書けない鉛筆こそ、マカロニえんぴつではないか! そのやうな矛盾をバンド名にするなぞ、なんとセンスが良い! 私が名前だけで感動したのは、パスピエ以来であらうか。)

  正字正假名、半古典調の言葉遣ひ、時折出てしまふ故郷の言葉、現代関西方言。

  マカロニ日本語だね。

  パスティーシュなる語を今知つた。

  「作品の模倣」や「文體模写」の事らしい。

  私やんけ!

  原作の枕草子とは似ても似つかん、悪質で低俗な作品やけど、

  それでも「模倣」には違ひない!!

  パスティーシュはフランス語だが、イタリア語の「パスティッチョ」は「パイ」の意味。「パスタ」も同じ語源だといふ。

  アーニャ、パスタ好き。

  アーニャの随筆、パスタ文學つていふ。

  仲良くしてけろ、ぽまいら。