鈴屋大人・本居宣長公の『古事記傳』も、序文はさらつとしかやつてゐない。
といふのも、奈良時代に流行した四六駢儷體てふ、純漢文で飾られてゐるからである。
「造化三神」や「稽古照今(いにしへをかむがへて、いまをてらす)」の出典にもなつてゐる。
ここから脱線するが、「稽古」を今の樣な藝能の世界に持ち込んだのは、世阿彌である。彼の代表作が『風姿花傳』であり、「花がある」てふ事について考究してゐる。私は羽生結弦くんこそが、「花がある」美男子に相応しいと思ひます。東北で「花になれる〜」つて演目で滑つてゐたし、彼こそは氷上に咲く一輪の花である。
フィギュアスケートは斯様に芸術的側面があります。何だらう、抽象的な部分とでもいつたら良いのか。バレエなどとも関係が深く、『ユーリオンアイス』のユリオも「プリマになれ」と命じられてゐましたね。彼もまた花なり……。
「稽古照今」とは御皇徳(天徳)の一表現なのですよね。だから、『萬葉集』の「天照(で)らす日女(ひるめ)の命」の樣な枕詞「天照らす」や、「髙照らす日の御子」の特殊な枕詞「髙照らす」みたいなものですね。「髙(たか)〜」てふ接頭語は、高御座(たかみくら)や高天原(たかまのはら)とも関係する、聖語だと思はれます。
「造化三神」は、太安萬侶の「參神作造化之首(みはしらのかみ、ぞうかのおびととなれり)」てふ文から来てゐます。
この文の前後を見ると、「乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖」と、完璧な韻を踏んでゐるのが分かります。
漢典は私には難しいのですが、後半部分は「めをここにひらかれ、ふたはしらのみことぐんぽんのおやとなる」ですかね。あとは乾坤一擲しか知らん。天地が初めて分かれて、てふ意味でせうか。易の八卦でしたつけ。ほらあの、韓国の国旗にのつてる四つの黒いやつ。乾坤は方角だと、いぬいとひつじさるなんですよね……。
以下全文の解説を試みる。
原文はこちらの「[[jumpuri:古事記全文検索 > http://www.seisaku.bz/kojiki_index.html]]」さまより。いつもお世話になつてをります。
臣安萬侶言。(しん、やすまろまをす)
夫、混元既凝、氣象未效、無名無爲、誰知其形。
(天地未剖の状態てふものを誰も見た事が無いので、それを知ることは難しい。20世紀にはビックバン宇宙論が生まれるが、当時は8世紀で、シナや日本の神話が最先端の科学であつた)
然、乾坤初分、參神作造化之首、陰陽斯開、二靈爲群品之祖。
(造化三神とイザナキ・イザナミ命)
所以、出入幽顯、日月彰於洗目、浮沈海水、神祇呈於滌身。
(イザナキ大御神の御事績。女媧と伏犠、或いは神皇の樣な文化英雄的な描かれ方? ここが最初の四六・四六ですね)
故、太素杳冥、因本教而識孕土產嶋之時、元始綿邈、頼先聖而察生神立人之世。
(もとつおしへ(本教)やさきのひじり(先聖、これは編纂を命じた天武天皇の事)ににより、國産み・神産みの時代を知る事ができる。)
寔知、懸鏡吐珠而百王相續、喫劒切蛇、以萬神蕃息與。
議安河而平天下、論小濱而淸國土。
(天武天皇の御蔭で、誓約(うけひ)から皇祖が生まれ、天皇が代々続いてきた事、スサノヲ命の事績も知る事ができます。以下、編纂内容を美文で紹介するコーナー)
是以、番仁岐命、初降于高千嶺、神倭天皇、經歷于秋津嶋。
(ホノニニギ命の天孫降臨と、神武東征か。ここではカムヤマトノスメラミコト(神倭天皇、神日本天皇)になつてゐる。あと、ここも四六四六になつてゐる)
化熊出川、天劒獲於高倉、生尾遮徑、大烏導於吉野、列儛攘賊、聞歌伏仇。
(神武東征ですね。四六四六になつてゐます)
卽、覺夢而敬神祇、所以稱賢后。
(第十五代十五世、應神天皇ですね。淡海三船が一括撰進した漢風諡號※ も「神に応ずる」ですからね)
望烟而撫黎元、於今傳聖帝。
(けむりをのぞみて、おほみたからをなでたまふ。これは十六代十六世、仁徳天皇です。なんてつたつて「仁徳」ですからね)
定境開邦、制于近淡海、正姓撰氏、勒于遠飛鳥。
(さかいをさだめてくにをひらき、ちかつおうみに……。せいをただし、うじをえらび、とおつあすかにしらす。前者は成務天皇だつたと思ひます。弟に比べて、既述がとても少ない天皇です。後述する地味な事績の前振り、また、遠近で韻を踏みたかつた故にここに名前が出されたと思はれます。古代の姓氏の正し方はシンプル。くがたちといつて、煮え滾つた湯に手を突つ込むだけ)
雖步驟各異文質不同、莫不稽古以繩風猷於既頽・照今以補典教於欲絶。
(おなじからずといへども、稽古照今を行つたてふ點では、天皇は同じだよ)
曁飛鳥淸原大宮御大八洲天皇御世、濳龍體元、洊雷應期。
(あすかのきよみはらのおほみやにて・おおやしまぐにしろしめしし・すめらみことのみよ
これは第四十代天武天皇ですね。)
開夢歌而相纂業、投夜水而知承基。然、天時未臻、蝉蛻於南山、人事共給、虎步於東國、皇輿忽駕、淩渡山川、六師雷震、三軍電逝、杖矛擧威、猛士烟起、絳旗耀兵、凶徒瓦解、未移浹辰、氣沴自淸。乃、放牛息馬、愷悌歸於華夏、卷旌戢戈、儛詠停於都邑。歲次大梁(ほしのやどりおほとり)、月踵夾鍾(つきはきさらぎ)、淸原大宮、昇卽天位。
(ゆめのうたにさとりて、よるにかはにいき〜。日本書紀にはないオリジナルストーリー。結構重要だと思ふんだけどな。「虎歩」は、『日本書紀』だと「虎に翼だ」と書かれてゐました。桃鉄の、ゴールしたら賞金二倍になるカードですね)
道軼軒后、德跨周王、
(みちはけにこうにすぎ、いきおひはしゆうわうをもこえる。五帝初代の黄帝と、周國の文王が引き合ひに出されてゐます。
黄帝は華山と四夷、或いは五行思想の中央の概念と結びつき、漢民族の祖とされる人物です。
周王だけだと、后稷や武王を含めた、「歴代王全て」の徳をも超える、とも読めるかもしれませんね。)
握乾符而摠六合、得天統而包八荒、乘二氣之正、齊五行之序、設神理以奬俗、敷英風以弘國。重加、智海浩汗、潭探上古、心鏡煒煌、明覩先代。
(くにをなんちやらし、五行をととのへ〜。太安万侶が先の天武天皇を寿ぐシーン)
於是天皇詔之「朕聞、諸家之所賷帝紀及本辭、既違正實、多加虛僞。當今之時不改其失、未經幾年其旨欲滅。斯乃、邦家之經緯、王化之鴻基焉。故惟、撰錄帝紀、討覈舊辭、削僞定實、欲流後葉。」
(民草でインチキな帝紀・本辞が流行つゐるので、帝紀・旧辞をアップデートせよ、との命令。
この「削偽定実」が、古事記のメインテーマといはれる。古事記は国内向け、書紀は海外向けといはれるのも、国内でインチキが流行り、古事記がその対策であつた事からの所以である)
時有舍人、姓稗田、名阿禮、年是廿八、爲人聰明、度目誦口、拂耳勒心。卽、勅語阿禮、令誦習帝皇日繼及先代舊辭。然、運移世異、未行其事矣。
(稗田阿礼てふ舎人がゐました。完全記憶の持ち主です。女性説もある、謎の人物。原因は稗田氏が、天宇受売命(猿女君)に連なるため。
帝皇日継(ていこうひつぎ)と先代旧辞(せんだいきゆうじ)を暗誦させました。太安万侶の筆が乗つてて分かりにくいが、帝紀と旧辞又は本辞の正式名称と思はれる)
伏惟、皇帝陛下、得一光宅、通三亭育、御紫宸而德被馬蹄之所極、坐玄扈而化照船頭之所逮、日浮重暉、雲散非烟、連柯幷穗之瑞、史不絶書、列烽重譯之貢、府無空月。
(皇帝陛下とは、当時の今上陛下、つまり元明女帝の事である。因みに古事記の記述は、最初の女帝である推古天皇で終はる)
可謂名高文命、德冠天乙矣。
(文命は都市国家たる夏国の初代、禹王。禹歩が縁起物として有名。
天乙は、都市国家、殷又は商の初代、湯王である。華夷の弁、また吾朝を褒め称えるフェーズのため、秦那の王は呼び捨てである。)
於焉、惜舊辭之誤忤、正先紀之謬錯、以和銅四年九月十八日、詔臣安萬侶、撰錄稗田阿禮所誦之勅語舊辭以獻上者、謹隨詔旨、子細採摭。然、上古之時、言意並朴、敷文構句、於字卽難。已因訓述者、詞不逮心、全以音連者、事趣更長。是以今、或一句之中、交用音訓、或一事之內、全以訓錄。卽、辭理叵見、以注明、意況易解、更非注。亦、於姓日下謂玖沙訶、於名帶字謂多羅斯、如此之類、隨本不改。
(711.9.18に編纂命令が下つた。翌正月に提出してゐるので、3〜4箇月の突貫工事である)
大抵所記者、自天地開闢始、以訖于小治田御世。故、天御中主神以下、日子波限建鵜草葺不合尊以前、爲上卷、神倭伊波禮毘古天皇以下、品陀御世以前、爲中卷、大雀皇帝以下、小治田大宮以前、爲下卷、幷錄三卷、謹以獻上。
(古事記の構成。上巻はまあ神代記。何気にここと本文の最初にしか出ない、アメノミナカヌシ命がレアである。
中巻神倭天皇から品陀天皇(応神)まで。
下巻は大雀天皇(仁徳)から推古女帝まで。
当時が元明女帝なので、推古女帝を切れ目とした、忖度がなされてゐる)
臣安萬侶、誠惶誠恐、頓首頓首。
(序文じやなくて、上表文なんだよなあ。)
和銅五年正月廿八日 正五位上勳五等太朝臣安萬侶
※一括撰進…神功皇后含め、淡海三船(b.722)がしたらしい。(『釈日本紀』より)
この漢風諡号神がつくのは「神武」と「崇神」、「応神」の三つ。また天皇ではないが「神功皇后」も神がつく。この四柱の命は、史的に実在したか、その存在が危ぶまれてゐる。私はいらつしやつたと思つてゐるので、何も問題が無い。
因みに和風諡号は「カムヤマトイハレビコ」など。これは、大和盆地の磐余地方の男(王)と、地名に基づく。故にあまり人名らしくない。故に神武天皇の本名(諱)は、「彦火火出見」や「狭野」ではないかと噂されてゐる。前者は『日本書紀』だが、先祖の神と同名が故に、神武天皇は祖先神であり、実在しなかつたてふ証拠だ! などと言はれる根拠ともなつてゐます。
また和風諡号は、「ヤマトネコ」などの尊称が繰り返し現れるのも面白いです。
※帝紀と旧辞…タイトルから、前者は天皇の系図(紀)、後者は代々の事績や歴史の記述(旧辞)と推測されてゐる。
欠史八代はよく「旧辞部分が無い」てふ説明がされる。皇子皇女の名前と、子孫は何家なのかてふ部分を「帝紀部分」といふが、そこはしつかりしてゐる。
初代の事績だけが残り、途中の記録が忘れられたり、消え去るのは良くある話らしい。