世界人口は80億人を數へるとか。
スンナ派は、14億人。
カソリック人口は、13.4億人。
シーア派もろもろ含め、イスラム教は16億人。
キリスト教は、プロテスタントとオーソドックスを含めて、22億人になるてふ。
また、ユダヤ教は1400萬人であり、アダムやモーセといつた「アブラハムの宗教」と呼ばれる一神教諸は、合計で40億人となる。
世界の半分が一神教徒である。
一方、無宗教の人口は11億人ゐる。
神道やイスラムの潜在的な假想敵である。
無宗教のうち、六割以上が中國だてふ。
共産主義下で宗教が弾圧された事や、そもそも仏教が退潮して「無宗教」になりやすい事、儒教といつた「徳」の教へなどが、「無宗教」の理由であらう。
實際、無宗教とされる人々の多くが、何らかの精神的な信仰をもつといふ。
因みに日本では、この無宗教者は、7200萬人ゐるとされる。
日本の神道や仏教からして見れば、彼らは初詣に来てくれるし、葬式上げて仏壇もやるし、潜在的な信者てふ事になる。
だから、宗教年鑑の信者数もべらぼうにカウントするし、信者の合計数は2億人になる。
明治時代に薩長政府から神仏判然令を食らつたとはいへ、潜在的には神佛習合が続いてゐると見て良い。
それが、宗教年鑑のダブルカウントへと繋がつてをり、また先も言つた樣に、仏教の退潮による7000万人もの無宗教者へと繋がる。
スンニ派が14億人といふのも、「イスラムは文明に近い」とされる事とあり、彼等はイスラム的に間違つた事もしてゐる。
中田先生曰く、本当の信者の數は0.01%程であるといふ。
つまり、14萬人くらゐにならうか。
これは、日本は神道の國だから、1億人全てを神道の信者と見做す樣な事に近い。
實際の神職は、2萬人もゐなかつた筈だ。
佛教公傳から、古墳を築造する人が居なくなつた事により、豪族に出された「薄葬令」しかり、既にこの時から日本の神道は、マイノリティになりつつあるのではないか。
平安時代の神祇官が貴族だつた事もあり、現在は少ななつた神職2萬人足らずてふのは、カーストの「バラモン」みたいなものではなからうか。
天皇てふ地位を鑑みれば、それは正しいといへる。
然し明治から戦前にかけて、公務員「神官」だつた時ならいざ知らず、といふかその時ですら、政治家に神官は居なかつたのだから、「政教分離」だつたといへるのである。
公務員で無くなつた今、国会議員や官僚に比べて、神職はどうであらうか。
とてもカースト一位とは思へまい。
むしろ薄給激務で理不尽な、ブラック労働である。
そしてそれは天皇もである。
アメリカが天皇や神道が、日本を戦争に導いたと勝手を言ひ、皇室財産の国有化や、神道指令を出すに至つた。
然し本当は、庶民と偏向新聞に突き上げられ、政治家が、天皇を戦争に巻き込んだのでは無かつたか。
あまつさへ、特別攻撃とかいつて、若く優秀なパイロットを死なせるといふ、愚の骨頂たる作戦まで命令した。
それで戦犯にならなければこれ幸ひと、戦後知らぬ顔を決め込む。
庶民は庶民で、戦勝祈願に行き、神社はその受け皿となつたに過ぎないのではないか。
また、神社と関係ない団体が、勝手に強制参拝を支持したのではないか。
とはいへ、かつて神社は20萬社あつた。
神社の国家管理のために、「神社合祀」があつた。
戦後も整理され、遂に神社は8萬社迄減つた。
公金は注ぎ込まれず、神社は賽銭とかで何とかしろとの「独自採算制」がとられた。
20萬社もあつたなら、単に「神道はマイノリティ」だつたと言ふ事もできまい。
しかし寺請制度により、「国家仏教」とも言ふべき状況になつたのも事実である。
仏教自体も、奈良時代の国分寺・東大寺の大仏のくだりから分かる樣に、朝廷・中央政府の管理や庇護を受けた。
そして遂に、明治に至つて、明治天皇から仏教灌頂が奪はれ、皇室の氏寺・黒戸から位牌が奪われた。
宮中三殿の一つ、皇嘉殿となつたのである。
また神殿は、吉田家が預かつてゐた、「八神殿」であつた。
天神地祇が合祀されて、八が取れて「神殿」になつてしまつたてふ経緯がある。
神道と国家政府の緊張関係は、まだ他にもある。
明治六年、政府が勝手に改暦した。
神宮には、新暦でも九月十五日に神嘗祭をやれ、と命じた。
米が祭祀の中心だつたのに、九月の半ばでは米が育たなかつた。或いは十分な量が揃はなかつた。
最近に至つても、神嘗祭半旗事件があつた。
もはや、自民党が神道に叛旗を翻した迄ある。
竹田恒泰氏も、「小泉首相が当時、神嘗祭に臨席賜つた時に『情報公開だ!』と言つた」てふエピソードがある。
GHQにより、皇室はアメリカの属国ともいふべき政府と一体となり、支配される樣になつた。
神道がナショナリズムに傾倒するのは危険である。
確かに神道には伝統がある。
でも、領域国民国家たる「日本」は、歴史的一貫性を持たない。
一九五二年にできた代物である。
日本の右翼も、権力への迎合となつてをり、危険である。
一貫性があるのは、萬葉一統の天皇や、神話、神宮、神社とかである。
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日本の宗教の歴史と、世俗権力との関係の話になつてしまつた。
日本では、先の一神教については、キリスト教が人口の1%しかゐない。
そのうちカソリックは、44.8萬人だといふ。
日本人ムスリムは、日本の総人口の0.01%、すなはち一萬人だとされる。
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[[rb:一神教 > イスラーム]]の[[rb:神 > アッラー]]と書くと、特定の宗教に與する樣な物言ひになつてしまふだらう。
私は、プロテスタントの聖書祈祷會に参加した事がある。
その時、「西曆はキリストの生まれた年を起算してゐるからキリスト教にとつて大事だと思ふが、紀元前はずつとユダヤ教の時代なのか? イエスの登場前後で直線的な時間観が〜」云々みたいな事を聞いた気がする。
答へは、「イエスの登場以前を「ユダヤ教」といつてしまふのは、どうも…それだつて「キリスト教」だし…」みたいな物であつた。
シオニズムとか、ヘブライ語の復活とか、現代のイスラエル建國など、現代の「ユダヤ教」と、アダムやモーセ、そしてイエスまでの一神教の歴史を、完全には同一視できない。
だから、ヴァルナ(四姓)の一つである古代バラモンと、現代のインドのナショナリズムの源泉たる、現代のヒンドゥー教を同一視する事もできない。
なんならヒンドゥーでは、ブッダを上から目線で、信仰対象の一つに加へてゐる。
佛を唯一の信仰対象とする仏教と、重なるところはあるにしろ、どつちがどつちとかは言ひ難いのである。
また、ナショナリズムの話でいへば、仏教だつてムスリムを排斥してゐる。ミャンマーとベンガルの間に挟まれた、ロヒンギャの問題である。
一神教において考へるなら、イエス登場以前は一つだつた宗派が、二つに分かれたのかも知れない。
一つだつたキリスト教が、コンスタンティヌス体制とそれ以外に、また前者もカソリックとオーソドックス、或いはプロテスタントなどと分かれていつた樣に。