EMPEROR PENGUIN : 解氷

  1 : Prussian blue

  君に僕の本心が読めるかい。案外、簡単なんだよ。ただ君には少しばかり劣情があるから、読めないこともあるかもしれない。

  答えは、言わなくてもわかるね。僕と君との絆を思ったら、考えることよりも単純なことだよ。

  *****

  うつらうつらと僕は眠りに落ちようとする、いつのことか覚えているかい、僕が君と氷上で戯れあっていたことがあったね、楽しかったよ。

  春の訪れとともに雪が解けてゆく、まだ凍えるような寒さではあるが季節の変わり目でもある、生命の息吹を感じるなか、様々な生き物の蠢くショットがカメラマンの一眼レフに記録されてゆく、海はブルーグレイの色彩を帯びていて美しい、僕らは何処へゆくのか、貴方たちは何処からきたのか、自らに問いかけながら人間の様子にも関心を払う。

  もう一度だけ、君をそのフォーカスの内側に入れてみよう、いや、何度でもそうするのがいいか、君はコンプレックスの塊なのに劣情があるから、僕でないと駄目だよ、いい加減、気づいてみるといいさ。

  

  ペンギンも性行為をするのだ、雄同士でも仲はいい、夫婦のようなものであろうか、けれども子供などはできない、当たり前だね、君に逢いたいとそう思ったことは何度でもある、君はどうだい、僕は君が好きだよ。

  何故だろう、僕は人間ですらないのに、ペンギンであるのに、全身がかじかんでいる、父は、母は、何処へ行ったのだろう、このカメラマンは何時までいるのか、どうしたらシャチに食べられないで済むのか。

  見上げると人間の男性がふたり氷上でひそひそと話をしていた、ふたりは好き合っているようだ、そんなところで佇んでいると昔の僕のように風邪を引いてしまうよ、そうしたわけで僕らペンギンはそういった余計な心配をしている。

  一歩一歩と踏み締めるように、間違いなくカップルのように見えた彼らは氷上を歩いてゆく、やがてスノーモービルに乗った仲間がやってきてふたりを掻っ攫ってゆく。

  刻一刻と空の色が変わる、何故だろう、見慣れた景色でも胸がぐっと押さえつけられたようになる、スノーモービルは遥か彼方へと去ってゆく、カップルはキスをした、ペンギンにだって僕らのような同性のカップルはいるのだけれども、彼らは知っているのだろうか。

  オーロラが見えた、そんなときにもたまたまなのかは知らないが君は休んでいる、少し前まではぐうたらだからなのではないかと思っていたが、そういえば君は普段はよく泳いでいる、そんなわけでもしかしたら案外そうでもないのかもしれない。

  純白の雪景色の遥か彼方上空はプルシャンブルーの夜空、漆黒とは言い難くともその空は暗くみっしりと詰まったかのようで、僅かな隙間をすべらかな風が高速で駆け巡ってゆく、朝までは遠く長い、遥かな景色を間近に眺めながら無限に近い広い広い海を思う、僕はここが好きだ、そして君が好きだ、だから手負いでも僕はまだいるわけだ、やがて朝焼け、君は明日は何処へ行くのかい、ついてゆくよ。

  翌朝、うとうととのそのそと半分気怠そうにである、全身がふわふわの仔海豹が進んでゆくのが見えたのだが今の僕らは眠気が勝っている、それは仔海豹とて同じなようで、うとうととしながら途中でくるりと半回転、腹を空に向けてごろごろともうすっかり眠りながらのさばっている、ひれで腹を叩くのだがもう眠気に勝てはしないのかもしれない、その上さらに眠気をいざなう長閑な風景、海豹にしてみれば交代で見張りをしなければならないから、警戒をしなければならないわけで、ずっと眠っているわけにもいかない、そうしたわけでこの海豹は寝不足の日々は多いのだ。

  気がつくと再びの夜だ、エメラルドグリーンのカーテンのような空模様にもすっかり慣れてきていて仔海豹はのんびりと寛いでいる、だが油断してはいけない、そんなゆるりとした空気のなかにも危機はすぐそこにまでやってきているのだ。

  遠目に見ていると、そこへやってきたのは僕らとは同種の皇帝ペンギン、“ねえ君、そこでなにをしているの?早く逃げないとシャチに食べられちゃうよ。一緒に逃げよう”、のんびりゆったり逃避行、ほっこりとした窮地。

  シャチは僕ら皇帝ペンギンも食べるらしい、恐ろしいことだ。

  2 : Immediately below a sudden turn

  氷上でつるりと滑ってしまい、途中で同種の皇帝ペンギンが転倒しそうになってしまう、そのままドミノ倒しのようになってしまったら一大事だ、急がねばならない、背中を支えて助ける仔海豹、どうにか体勢を立て直したペンギンたち、急げ、急げ。

  皇帝ペンギンは堕落するのであろうか、もしそうであったとしても、僕は君と仲良くする権利がある、そう思う。

  走っているのに遅い僕ら、どうなっているやら。

  清冽な水の流れが何処までも澄み渡っているなか、せせらぎの音までもが美しいなか、僕は、君は、生きていられるだろうか、それはまだ分からないから、シャチを遠くに視認した僕らは、慌ててその場を立ち去った。

  今日も夜がやってきた、長い夜は美しいが、僕ら皇帝ペンギンには恐ろしい時間でもある、ましてや海豹には魔のような時間である、どうしたものだろうか、生き抜くことができればよいのだが、それでも幸いにもそろそろと朝はぴんと張り詰めた糸のように近づいてきていた、あと少しだ!

  僕らは雄どうしであるから雛はいないが、少しでも我が子に長生きをして欲しい、その思いこそが一般に天敵から雛を守るのだ、命懸けなのであった、飛べない鳥にも苦労は多い。

  仔海豹は親海豹と海で合流して小魚を捕食する、この海豹はカニクイアザラシの幼獣であるから先にもあった通りに毛皮がなかなか綺麗なのであった、主食は意外なことにオキアミでカニではないらしい、その毛皮は雪と同化して美しいのだ、一方で僕らペンギンたちは氷塊に上がるところころ、ころころと転がってゆくのではたから見ていればさぞかしコミカルだろう、或いは間が抜けているのだろうか、それこそ転んでばかりいる、たまたま見かけた個体は転がりながら捕食をしようとしていたのだが、こちらはどうにも上手くはいかなかったようだ、どうしたものだろうか。

  シャチが現れた、一大事だ、仲間が天に召される可能性もあり得る、なんとかして逃げねばならない、僕ら皇帝ペンギンにとっては天敵なのだ、シャチは海洋生態系の頂点とも言われる、捕食されたらひとたまりもないのだ。

  逃げるしかない、そこへ手助けをしてくれる仲間が現れた、追いかけてきたのはクロミンククジラである、身を挺して守ってくれたのだ、この出来事はずっと心の傷となって僕ら皇帝ペンギンの心のうちに巣食っていた、でも、本当ならばその場にいた幾つかの個体も天に召されていた話だ、幸いなことに海豹も助かったようだ、僕らは海豹や皇帝ペンギンだけが助かればいいなどと言っているわけではない、だが自然はときに残酷なことをする、それでもなんとしてでも助かりたいのだ、海獣たちの、それは言ってみれば本能である。

  宇宙の摂理は、僕らには分からない、難しすぎる、それでもこの海の摂理なら分かるだろう、それはとても単純で、しかし奥は深い、もう少し長生きできたらと思うペンギンなどは数多い、それは可能なのだろうか、自然は厳しい、そうしたなかでもずっと君と生きていけたならどんなにかいいか、計り知れない。

  3: Endless Sorrow

  僕は手負いの皇帝ペンギンで、ずっとこの話を誰にでもなくしていたのだ、君はすでにいないのだろうか、もうろくしているせいかそれさえも分からない、そこにカメラマンが寄り添う、隣に寝そべっていたカニクイアザラシは素っ頓狂な声を上げるのであるが事態は深刻だ、その身体からは、血が滴っている。

  極地の調査に同行していた少人数の医療班が手負いの海豹の救護にあたる、この海豹は運のよいことに水族館で飼育されることになるのだそう、何時かまた会えたらーーカメラマンはそう思っていた、しかし、こうした光景は特に珍しいことでもない、人間がいれば海獣を助ける、それは言ってみれば物事の道理でありやさしさだ。

  さらさらとした波がまるでごろごろといったように小さな氷塊を転がし、じっくりと解かしてゆく季節の到来だ、氷はどんどん解けてゆくので日に日に少しずつ、解けた水が彼方此方に黄緑色のさわさわとした塊を生い茂らせている、本格的な春が、やってきた。

  ねえ、どうしたらいいよ、僕、独りぼっちなんだよ、そんなことを思ってみる、あの日相方は、そう、君はついこの間には、シャチに喰われて天に召された、もういなかったのだ。

  僕も寿命が近いのであろうか、若いと思っていたのも束の間、ひたひたと死の旋律が迫りくる、どうしてかい、何故寿命はあるのかい、それは残酷ではないのかい、そう問うてみるも、答えは分からなかった。

  しんとした空気、無音で積もってゆく帷子雪、気温がどんどん上昇してゆくさまは、まるで幼い頃の僕が涙を流しているようなさまでもあり、不安だ。

  どうしたらいい、どうしたらいい、悲しみが取れなくて、独りぼっちで、何もかもが溶けてなくなってゆくようで、何処まででも寂しさがつきまとってゆくようで、一体どうしたらいい。

  -Interlude -

  海豹たちは今日も悠然と海の底の方へと泳いでゆく、そして時折水面に顔を出してくる、僕らペンギンたちは相変わらず転んでばかりだ、でもカメラマンはもういないのでいつかまた会えたらいいね、心からそう思う。

  ぎゅうぎゅうと押し潰してきそうな空模様が、またも冷たい涙を呼び寄せて、苦しい、明日は晴れるかな、ねえ聞いているかい、今の相方に聞くのだが、怪しいね。

  僕は仔海豹に生まれたかったがしかし皇帝ペンギンとなった、ペンギンにしては立派ではあるがもう少しは可愛く生まれたかったものではある、しかし仔海豹として生まれていたとしてもきっといつかはその愛らしい美しいフォルムはいずれは大きくなってしまうのだ、成獣も体毛はクリーム色で綺麗ではあるが、何故だか悲しい、それは言ってみれば運命のようなものだ。

  4 : Ecosystem

  遠くでシャチが、僕の長年に亘る友達であった海豹を食べている様を見ながら、僕はひたすらに逃げ惑う、空はいつの間にかただ曇天一色、生き延びられるか。

  生きねば、そうでなくては!

  世の中、ままならないことがあまりにも多い。

  君の最期の悲鳴を聞いたよ、ちゃんと聞き届けたよ、だから許してくれるかい、君よ、僕はシャチにはなれない、なににならなれるのだろうか、ない首を捻る、どうしたらいいよ、ねえ。

  この残酷な海を謳歌できる術を知っているかい、僕は知っているよ、食べ尽くしてしまうんだ、誰かに横取りされる前であればそれだけで生きてゆける、謳歌できる、冗談で言っているわけではないよ、海洋生態系が崩壊してしまうのは避けられないけれども、もう一度言う、食べ尽くしてしまうんだ、横取りされてしまうその前にそうするんだ。

  それにしても。

  たとえおもむろにであっても、君は生きてゆけるかい、僕は生きるよ、なんとしてでも。

  どうだい、誰か僕がまだ元気に泳いでいた頃のことを覚えている奴はいるかい、僕は手負いになってしまったのさ、ただそれだけのことさ、死ぬと決まっているわけではないよ、この先どれだけ生きられるか、それも分からないけれども、別に大したことでもない。

  前にも語ったようにかつて僕には相方がいた、それだけでも幸せなことだね、皆よありがとう、最近新しい相方ができたよ、これもさっき触れたかな、今度こそは命をかけて守ってみせたい。

  あのときの人間の男同士のカップルは同性婚をしたらしい、僕らも真似てみることにした、指輪もない結婚式、それでもいい。

  つい先日のこと、人間の男は語った、そばで僕は聞いていた、風の噂で皇帝ペンギンの同性カップルには子供ができるらしいと、しかし人間である僕らにはできないと、やや悲しげに男は思いを呟いた、少し寂しいのもありその男は、養子縁組でもできたらいいな、不幸な子供を引き取って家族にできたらいいな、本気でそう祈るように呟いていた。

  男は本当はもう少し未来に生まれたかったらしい、もしかしたら凶暴な子が生まれるかもしれないがやがて男同士でも子どもができるようになるかもしれないからだ、科学技術の発展は著しいようで。

  今日も僕らはよく転ぶ、そして今度は先日との交代で仲間の海豹を助ける、幾つまで生きられるだろうか、少なくともあともう少しは、この極地の様子を見届けていたい。

  空は今朝も澄んだ青空だ、空気が凛としていて清々しい、風の噂で聞いた、あの人間の同性カップルは、LGBTの一員として権利獲得の活動をしているらしい、保守的な地盤であるから、いまだにそういうことが必要なようだ、不幸なことだ。

  僕らペンギンの仲間たちにはそれは関係のないこと、いつでも、いつまででも、ともにいたい、だってこれが最後の相方であるのに違いないのだから、きっとそうだ。

  遠く遠くに行けたなら、たまには暖かいところへ行ってみるのもいい、新しい相方となった君は、いつまでいてくれるのだろうか、今の心配ごとはシャチの脅威それだけだ。

  結局のところは人間の話はホラであったわけだ、あるいは誤りか、皇帝ペンギンの雄同士で子供などできるわけがない、でも、未来であれば分からない上に、今でも十分に幸せだ。

  今日も性行為をする僕ら、密着する幸せ、そればかりしているわけではないけれども、それは刹那の幸せを運んでくれる、いわば方舟のようなもの。

  君、気持ちいいのかい、そんなに泣いて、気持ちいいのかい。

  人間もこうしたことをするのだろう、子を産むためにだろうか、もちろんそうとは限らないけれども。

  *****

  厳しい自然のなかでも、君のためになら生きよう。たとえ生態系が維持できなくとも、もっと幸せなことがあるなら、それでいい。

  帳尻合わせは、時に残酷だ。それでも幸せに理由などない。

  君といることがいちばんの幸せなら、手を繋いで歩いてゆこうか、それがいちばんだと信じているから、よかった。

  ゆらり、ゆらり、波の上で揺られてみる、揺り籠のような心地だ、たまにはこうした空気もよいものである、ねえ、新しい君よ、最後まで連れ添ってくれるかい、それは可能なのかい、僕は覚悟ができたよ。

  共に生きるということは、それはよいことばかりではない、僕の寿命は残り僅かだろうか、ねえ、新しい君よ、どう思う?

  The End