ジャイアンとブタゴリラ

  #1

  空が俄(にわか)にぐずついて、涙のような雨がぽつりぽつりと、降り出した。噎(む)せ返るような湿気を孕(はら)んだ熱っぽい空気は今の己の心境と同じくらいには不快で、陰鬱な表情を湛(たた)えた少年は、思わず頭髪をくしゃくしゃに搔き乱した。

  また駄目だった、そう思って、泣いた。

  少年はクラスメイトからはジャイアンと呼ばれてはいたが、見た目はともかくとしても、内面は硝子細工であり、似ても似つかないのだった。

  どうする、もう止めるか?己の胸に手を当てそう考えてはみるも、あと一歩のところで踏ん切りが付かない。ジャイアンは孤独だった。だから友達が欲しかった。それで次から次へと声を掛けてみるも、鼻で笑われるだけ、相手にもされなかった。それは悔しかった、歯軋りをした、地団駄を踏んだ、でもそんなことでどうにかなる話でもない。それから暫し、ジャイアンは塞ぎ込んだ。

  ジャイアンの姓は剛田という。剛田家はかつては練馬区にその小さな居宅を構えていたが、小売事業で財を成し、今では南麻布に邸宅を構えるに至るのだった。

  ジャイアンは区内のインターナショナルスクールに通っていたが、周囲からは明らかに浮いていた。虐めという程のことはなかったが、温度差があるのは明白だった。母親はそれは厳しく、不登校は許されなかった。

  全編英語での授業中、ジャイアンは悶々と考えた。授業が終われば、また富豪の息子スネ夫の自慢話を聞かねばならない。最近親がブガッティを買い占めているらしく、嫌な予感がしていた。成績の良いジャイアンにとっては、授業は寧ろ癒しだったーー。

  「うちのガレージには7台のブガッティがあってさ、休みの日にはサーキットを借り切ってレース大会をやるんだ。僕も運転するんだよ、公道じゃないからOKなんだ。良かったら皆んな、今度見においでよ!8台目のブガッティの納車式も近々あってさ、見せてあげたいよーホント!将来はレーサーになるのもいいなー、この気持ち、下々の皆んなには解らないだろうなー」

  ジャイアンはこの時、心の中で何度も舌打ちしていた。気弱だが、実はジャイアンは腕っぷしが強い。嫌な予感がしたのか、勘の良い教員がスネ夫の話を制止して、その場はどうにか収まった。

  実はスネ夫は、UAEの首長国ドバイから来ている学生だ。数多くの油田を持つ父が日本贔屓で、特にこの頃はずっと一家で、日本に居るのだ。金なんて採掘すれば作れる、それが一族のポリシーなのだった。

  或る日のHR中に、秀才で鳴らすキテレツが声を掛けた。珍しいこともあるというもの。転校生があるとか。ジャイアンは胃の痛みを覚えたが、気のせいということにして、机に突っ伏した。次の瞬間、扉が開き、転校生が自己紹介のために登壇する。一目惚れだった。一瞬で、射抜かれた。その後、壇上の少年が何と云っていたのか、ジャイアンには記憶がない。ただ、ニックネームだけは耳に残った。それがブタゴリラだった。運命の、これが出逢いだった。

  その週末、スネ夫はサーキットではなく、甘味処に居た。父を連れてだ。美味しいお店があるので、買って欲しいのだとか。あんみつ一食の話ではもちろんない、店ごと買うのである、この日はその下見。

  「ねぇ親愛なるパパ、僕、やっぱりこのお店、欲しい!」

  「しょうがないなぁ、買ってあげよう。大事になさい」

  「やったね!ありがとう親愛なるパパ!これでまた、クラスの皆んなに自慢できるや!」

  買収の交渉も始まる前からこんな会話が為されるのであるから、世話がない。とはいえそこは富豪だけに、何としてでも買うのだ、金に任せて、力押しなのである。その日はあんみつを食べて、ゴールドのランボルギーニで去るスネ夫親子。次の来店時には、お店はスネ夫のものになるのだった。

  #2

  ジャイアンの趣味は読書だ。小説も読むには読むが、新書なら山程ある。とにかく、本の虫なのだ。この点は、両親にとっては鼻が高かった。妹のジャイ子には軽度の知的障害があったので、その分まで、将来は期待されてもいたのだ。

  ジャイ子は、のび太のことが好きだった。のび太は、外務省のキャリア官僚になり立てのしずちゃんに入れあげる、地方公務員一年生。ジャイ子の想いなど、所詮は叶わぬ、子供の恋。それでもジャイ子は一途だった。ジャイアンは、どうにかして恋路を応援してやりたかったが、為す術はないのだった。

  忘れもしない、梅雨寒の折のこと。ジャイ子が、身を投げた。叶わぬ恋に絶望してのこと。それは不憫だった、助からなかった。雨の中、ジャイアンは絶叫した。それからジャイアンは、不登校になった。さしもの両親も、これには何もできなかった。

  それから半年が経って、冬、転機が訪れた。ジャイアンの父の小売チェーンが、ブタゴリラの父の会社のPOSシステムを導入したのだ。互いに父に連れられて、あの日以来の対面、ブタゴリラはこう云い放った。

  「俺には妙子が、そう、好きな子が居る。でもお前とも、きっと友達にならなれる!良かったら仲良くしよう、袖の下なしで何でも、相談に乗るぞ!」

  ブタゴリラをジャイアンと引き合わせたのは、ブタゴリラの父の発案によるのだった。ジャイアンの一家の苦境を察して、手を差し伸べたのである。

  ジャイアンとブタゴリラは、それから時間を掛けて、無二の親友となっていった。ブタゴリラは男らしかったし優しくもあったが、妙子のこととなると、妙に奥手になる。ジャイアンは笑顔で、その丸っこい背中を押した。バレンタインデーに、ブタゴリラはデートに誘われていたのだ、もちろん妙子からだ。

  「熊田くん、良かったらこれ、食べて」

  葛西臨海公園の観覧車のゴンドラが、ちょうど天辺に来ようかという折でのこと。妙子がブタゴリラに、チョコレートを手渡した。ガチガチに震えてはいたが、ブタゴリラ、これに何とか、ハグで応えた。一応の、及第点。

  氷点下、六花の舞い降りる帰り道、ふたりは手を繋いだ。まだキスもない、これからも続く途方もない純愛。一歩一歩踏み締めるごとに、ふたりの後に轍ができているような気がして、ふたりはこの時、確かに、幸せだった。

  #3

  最近、キテレツがジャイアンと仲良くなった。成績の良い者同士、解り合える部分があるのだ。キテレツはみよちゃんに恋をしている。でも気弱なところがあり、やっぱり前にはなかなか進めない。ジャイアンは考えた。グループデートみたいなことをセッティングしてやれば、或いは上手く行くのではないかーー。

  グループデート当日、メンバーは男子がキテレツとブタゴリラ、女子が妙子とみよちゃん。あからさまだが、みよちゃんも警戒はしていない。妙子への信頼感が、そうさせた。

  「男の子たちって、まだまだ何を考えているのか、私には解らなくって」

  「私もだわ!でも案外、びっくりするくらいに単純なのかもよ!」

  スターバックスで、会計待ちの男子たちをよそに、女子同士ひと足早く座席にて、トークに花が咲く。

  「ねぇみよちゃん。木手くんってどう思う?」

  この質問はジャイアンからの入れ知恵だったが、ここは妙子、サラリと交わされてしまった。

  「それより、この後どうする?せっかくだから一緒に、お洋服が見たいわー!」

  こんな按配。でもみよちゃんには判っていた。キテレツとは、いずれ交際するのだろうと、薄々そんな予感はあった。ただまだ中学一年の身、まだ早い、そうも思うのだった。

  冬の残滓が冷気を伴って居座るさくら坂、染井吉野は満開とはいかなかったが、雲間から青空が垣間見える様子には、一同ホッとさせられもした。

  途中でシュークリームを買って、食べながら散策をする四人。その足下に、幼い子供が纏わり付いてきた。フラリと転びそうになった妙子を、ブタゴリラが支えてやる。笑い合い、そのまま手を繋いで歩くふたり。みよちゃんがここでひと言、私たちも手くらいなら繋いでみても良いんじゃない、とそんな折れ方。お嬢様の気紛れには違いなかったが、キテレツはここでは、頑張った。

  そっと、手を握る。温かい。こんな春なら、何度でも良いと、キテレツには、そう思えた。

  これから途方もない月日をともにすることとなるふたり、それぞれの歩幅は、少しずつ合わせて行けばいい。未来は明るい、それでこそだ。

  グループデート成功の夜、ジャイアンはひとり、孤独に絡め取られつつあった。一夜の関係を求めて、SNS経由で知り合った行き摺りの男に、抱かれるのだ。

  嫌な予感はした。でも既のところで、好奇心が優(まさ)った。池袋のブティックホテルで、初めての夜。どうしてだろう、普段はあんなにも用心深かった自分が、そう思えた時には後の祭りだった。ゴムも付けて貰えずに、やり捨て。世の中など意地悪で成り立っているようなもの、少なくともこの日のジャイアンには、牙を剥いた。

  #4

  大人たちは、何時でも厳しいとは限らないが、優しいとも限らない。ジャイアンは実家から放逐(ほうちく)されてしまった。あの一回で、HIVに感染したのだ、それでだ。結果として、父と知己のある北海道の一家の農場へと、ジャイアンは移り住むこととなる。そこで“コロ助”と呼ばれる同学年の長男坊と知り合って、真に再生してゆくのだ。

  「ねぇコロ助、俺って、まだひとりぼっちなのかな?」

  「俺が居るよ」

  それだけで、たったそれだけで、心が温まった。少なくとも、そんな気がした。だから勢い余って、ハグをした。そんなジャイアンをコロ助は、馬鹿にするでもなく朗らかに、笑って抱き返してやった。

  人は、誰かと巡り合うために生きている。孤独な時間が長いからこそ、出逢った時の歓びも大きい。諦めるな、そう云って誰が従う?けれども、何もかも諦めたのちに、それでは何が残る?だからもう一度云う、諦めるな、それだけだ。

  「なぁコロ助、俺、ずっと寂しかったんだよ」

  「ジャイアンよ、お前さんも不器用なやっちゃな。でもよ、ここは空気も飯も旨いぞ!まだお互い子供だから、遊んでもいられるしな」

  「俺、たぶんここに来るのが、ハナから決まっていたような気がすんだよ。お前に出逢えて、昔の恋も忘れられたしな。あんがとな」

  「俺はもう恋してんよ」

  「え、誰に?」

  「お前さんにだよ、さ、そろそろ飯だよ」

  堪らなくなって、ジャイアン、コロ助に抱き着いた。ふたりの恋を止(とど)める者は、もう何処にも居ないようだった。

  辺りは降り頻(しき)る雨、窓の中では、白煙(しろけむり)がモワモワと立ち込める。この日は、自家製チーズで頂く、ラクレット。温かな食卓で、ジャイアンは生気を取り戻していた。彼には、ひとつずつやり直しておいで、それだけ言伝があったという。誰も見捨てたわけではなかった。ただ、都会の只中(ただなか)では壊れてしまいそうに見えたから、敢えて放逐したのだ。

  或る夜、ジャイアンはブタゴリラに電話をした。

  「あ、ブタゴリラ、心配掛けてごめんな。妙子とは上手くやってるか?」

  「おう、みんな元気だ!お前もまたいつか東京に遊びに来い!」

  湿り気のない、けれども温かい言葉が、ジャイアンの背中をグッと押した。

  「俺、ずっとお前のことが、好きだった!お前とはこれからも友達で居たい。よろしくな!」

  皆んな、笑顔だった。声で判った。限りなく無限に近い宇宙のその端っこの小さな星の下で、ジャイアンとコロ助はずっと、笑い合っていた。ふたりには、未来がある。誰にもそれを遮ることはできないと、たぶん皆んながそう云うだろう。茫洋とした時の流れに抱かれながら、少年たちは、少しずつ大人への階段を登ってゆくのだった。