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[語り:語り手]
夏、北国の水族館、皆、ペンギンの到着を待っていた。だが、待てど暮らせどやってはこない。運搬していた車が速度超過でスリップして、事故を起こしたのだ。衝撃で後部の扉が開く。すると中のペンギン二羽が我先にと脱走していった。一目散に消えていくペンギン。そのスピードは意外と早く、事故で脚を負傷した運転手には捕まえられなかった。ペンギンの種類はマゼランペンギン、まだ水族館までにはだいぶ距離がある。これは諦めざるを得ないかも知れない、運転手はそう思っていた、残念ではある。
で、ペンギンである。このペンギン、少し特殊な能力を持っている。現地の言葉を話せるのだ。ここは日本であるから、日本語を話すのである。かといっていつでも話すわけではない。必要な場所でだけ話すのである。水族館では必要のない能力だ。だから今まで猫を被っていたのである。しかも驚くべきことに、念を使える。或る程度のことまでは、思い通りにできるのである。今はまだ三歳であり、これから先も寿命は長い。後に触れることになるが、このペンギンたちは特に長生きなのだ。さて、車には普通は柵でもありそうなものだが、そこは作り話なので、何もないのだ。そういうこともあって、安々と逃げられたわけである。だが、実はそれらはすべてペンギンによって誘導されていたのだ。まぁ要するに一連の騒動の何もかもは、ペンギンが仕組んだことなのだ。このように作り話とは誠に以って都合のよいものなのである。
話を戻して。
スピードこそ速いが、所詮はヨチヨチ歩きのペンギン、本来ならばドミノ倒しのように倒れてもおかしくはないところだが、そこもやはり作り話、倒れないのだ。
二羽のペンギンが一目散に向かったのは或る青年がひとりで住む家、庭付きの一戸建てだ。昨年両親が事故で事切れたので、一人っ子だった彼はひとりでここに住んでいるのだ。彼はこの時十九歳、両親の遺産を取り崩して大学に通う身だ。名前は雪太。そんな雪太の元にペンギンたちが近付く、雪太はタイミングよく玄関前で掃き掃除をしていた。
「やぁアンポンタン。久し振りだね! 馬鹿ぶりは相変わらずかな?」
「よぉトンチンカン。元気でやってるか? 阿保面下げて」
振り返るとそこには、二羽のちょっぴり懐かしい顔。
「ペン助! ペン太!」
「今日からここで厄介になるから。庭にプール、よろしく」
すぐに事態は飲み込めた雪太。この一戸建てには中庭があったので、雪太は中庭に大きなプールを造ってやることにした。中庭の方が目立たなくてよいとそう考えたのである。ともあれ結果的にはそれは無駄骨だったわけなのだが。何しろ散歩をせがむので、ご近所さんから好奇の目線で見られるのだ。それでもプールを中庭に造ったことは、ペン助とペン太が落ち着いて過ごせる環境作りには、一役買ったのだった。とまぁ、プールは造ることになったのだが、工事が入るまでには時間があるので、その間は大きなビニールプール二つでしのぐことになったのである、しかしどうしたものか。太陽は容赦なく平等に、厳しい陽射しを注ぎ続ける。
「しっかし暑いな。これは効く。もう駄目かもー」
「早くプール用意してー!」
「解ったから、ちょっと待ってて。ところでお前ら、トイレはどうしてんの?」
嫌な予感のした雪太は、ペン助とペン太に尋ねてみる。するとーー。
「我等の往くところ、皆トイレ也」
「そう也」
予想通りの邪悪な答え。
「ちょっと待て! 冗談じゃない! 頼むから中庭以外ではしてくれるな。家ん中でしたら、半永久的に追い出す!」
「仕方ないな。中庭の掃除、しっかりしろよ、トンチンカン」
「一日六回、綺麗にするんだよ! このアンポンタン!」
どさくさに紛れて、一日六回という無理難題を押し付けようとするペン助。
「大学だってあるんだ。一日に六回も掃除できるか! 阿保! 二回が限度だ! それと、何故うちにきたんだ。水族館じゃ駄目なのか?」
「ほら、お世話になったじゃない? 恩返ししようと思って。僕達可愛いから、居るだけで恩返しになるでしょ」
何を云っているんだかといった表情で溜め息を洩らす雪太、それを見たペン太がひと言。
「俺たちがあんまり可愛いものだから、溜め息なんか吐いてやがるぜ。照れるなぁ」
これを聞いて、イライラせずにはいられない雪太なのであった。
「世話をする身にもなってみれっつーの」
雪太はここでボソリとひと言、だが、一方で内心では喜びに満ち溢れている自分も居た。
そう、実は先程のペン太のひと言はまんざらでもなかった。ペン助とペン太は元々、雪太の家から程近い、老朽化した水族館で飼育されていた。零細の実業家の館長による小規模な水族館で、客足が遠のいていたために、館長は常々閉館を考えていた。それを度々思いとどまらせてきたのが、雪太の存在だったのだ。雪太はこの水族館に毎日のようにやってきては、ペン助とペン太を眺めていた。雪太は館長とはよく話をした。館長は涙ながらに有り難いと云ってくれていた。しかし、そんな日々にも遂に終止符が打たれる。経営が行き詰まったのだ。土地建物を売るほかに道はなかった。
最後の日、雪太だけがその水族館に訪れた。いつまでもいつまでもペン助とペン太を眺めていた。涙が止まらなかった。ペン助とペン太には特殊な能力があって、雪太がお金を持っていることは知っていた。だからこそ、雪太の家の近くで車から脱走したのだ。雪太になら飼ってもらえる、そう信じていたわけだ。ペン助とペン太は、口こそ悪いが、いい奴だ。それは前から雪太が、知っていたこと。誰も居ないブースの前で雪太はよく、ペン助やペン太と話をしていたのだ。それを館長は知っていた、というよりも館長もまた、ペン助やペン太とちょくちょく話をしていたのだから、彼らの特殊能力を知っているのは、当然のこと。雪太の家にお金があるとペン太から聞いていた館長、彼は北国の水族館まで移動する途中で脱走することを、ペンギンたちに提案する。その方がペン助もペン太も幸せになれると思ったのだ。もちろん雪太もだ。皆んなで幸せになろうという、そういうお話。毎日欠かさずにきてくれた雪太への、恩返しのつもりだった。ペン助とペン太はすぐにその話に乗った。問題はすでに先方から渡されていたペンギン代であるが、これも決着が付いた。もちろん返すのだ、耳揃えて全額。元々運搬に関しては館長が責任を持っていたのだ。ありふれた成り行きの話。まぁ水族館は、建物はともかく土地は大層高く売れたので、その点では問題はなかった。移送先だった水族館に対して、館長はお金を返す代わりに、ペン助とペン太のことは不問に付すように要求。これが肝である。先方がこれを飲んだために、この話は終わったのだった。そして雪太は、何だかんだ云っても、飼いたいのである。かくして正式な雪太の家族となったペン助とペン太、これから巻き起こるちょっと不思議で心温まるできごとに、ご期待あれ!
とまぁ、ぶち上げてはみたものの、実際には何にもないのである。それでも一切書かないというのも寂しい話なので、以下につらつらと書いてみることにする。
雪太には、大学での友達は、ひとりしか居なかった。それが幼馴染みの夏太郎である。他の友人を作るなど、億劫で、考えるのも面倒だったのだ。で、実はこのふたり、揃ってゲイで且つ相思相愛なのだが、どちらもそのことには気付いていないという。そういう立て付け。そんな或る日、大学からの帰り道。
「なぁ雪太。最近面白い話とか、あるか?」
「家の中庭でマゼランペンギンを飼い始めたよ。憎たらしいけど、可愛いよ」
「何だそりゃ……。ってペンギンかよ!?」
夏太郎は目を丸くさせる、無理もない。だが思い当たる節ならあった。
「なぁ、それってもしかして、あの水族館のマゼランペンギンか!?」
「うん」
「確か、喋ってたよな。あいつら」
「うん。でも、世話は大変だよ。フンは撒き散らすし、プールも要るし」
「何だ、じゃあ駄目か……」
実は夏太郎も飼ってみたかったのであるが、無理だと判ってしょんぼり。夏太郎は実家暮らしであるが、父親が潔癖症なのだ。庭はあったが、本格的なプールを設置する場所も、何処にもない。
「しっかし、喋れる癖にフンは撒き散らすだとか、あいつらも極悪だよな」
「ね、酷いでしょ」
「な、雪太! これからお前ん家寄っていいか? ペンギン見せろよ」
「ま、別にいいけどね。口は悪いよ。覚悟してね」
「そうなのな。でも、可愛いから許そう」
で、ふたり揃って雪太の家に到着。
「ここにくる度にいっつも思うんだけどさ。こんな屋敷に一人暮らしとか、寂しくねぇ?」
「好きでしてるわけじゃないしねぇ。ま、今はペン助とペン太もいるから、平気。それより、一日中家の何処かの掃除をしてる感じだからさ。そっちの方が大変」
「そっか。大学もあるし、大変だな」
観音開きの玄関扉が開かれると、ホール越しに中庭が見える。
「ペンギン、名前は何だっけ?」
「ペン助とペン太」
すでに中庭には大きなプールがあり、ペン助とペン太は優雅に泳ぎ回っていた。片隅には小屋もある。これも、ペン助とペン太のリクエストだ。
「おぉ、泳いでる泳いでる!」
夏太郎が近付く、すると。
「やぁ、相思相愛のブスカップル諸君! よくぞおいでになられた。寛いで往かれよ」
「相思相愛の豚の丸焼きが二本。別に要らんな」
早速、洗礼を受ける雪太と夏太郎、ふたり揃って呆然。
「まぁまぁ、入って。お茶でも出すから」
白々しくもその場を取り繕おうとする雪太、だが、聞き捨てならないのは夏太郎だ。
「俺、お前のことが好きだ。笑いたきゃ笑えばいいし、軽蔑したきゃしてくれてもいい。ただ、本気だぞ」
まさかの本気での告白、次の瞬間、雪太は夏太郎に抱き付いた。
「僕もおんなじ気持ちだよ。おんなじだよ」
かくして、相思相愛ながらもなかなか結び付かなかった雪太と夏太郎、遂にここで結び付いた。思えば長かった。中学生時代からの恋だったのだ。友達としてなら、幼稚園の頃から連んでいた。気付けば、ずっと好き合っていた。浮ついた気持ちなど、片時も抱いたことはなかった。もちろん今回の恋の成就は、ペン助とペン太の力のお陰だ。それぞれの心の中を念で読み取ったのだ。ここで夏太郎が雪太に提案をする。それは、炊事・洗濯・掃除は自分がやるから、共同生活をしてみないかということ。バイトをして生活費を入れるという。だが、別にお金には困っていない雪太、何もそこまでさせる道理もない。だから、バイトはいいから、家の掃除を手伝ってくれと、そうお願いをしてみた。答えはOK、まるで新婚生活のような、ふたりの生活が始まるーー。
もちろん、それはペン助とペン太に振り回されながら、ではあるのだが。
先にもあった通りで、夏太郎は実家暮らしだ。この近所に家があり、それは普通の家に毛が生えた程度のものである。それくらいがこの近所では普通なのだった。雪太の家が異様に大きいだけなのである。
さて、ふたりは共同生活をしたいというお願いをしに、夏太郎の家へと向かった。家に着くなり、鍵を開けて中に入る夏太郎、雪太もそれに続く。すると、中から夏太郎の母親・麗子が現れた。
「あら、いらっしゃい。雪太ちゃんね。久しぶり」
「こ、こんにちは、麗子おばさん!」
この後の展開を想像して緊張する雪太、吃るのだった。
「あら、雪太ちゃん。どうしたの、緊張して?」
訝しむ麗子、と、ここで、夏太郎、決死の告白!
「母さん、俺、ゲイなんだ! 雪太のことがずっと、ずっと好きだった。今日、無事に告白を済ませたから。一緒に住むから、雪太の家で。引っ越すから。な、いいだろ?」
麗子の反応は、ふたりにとっては意外なものだった。
「あら、いいじゃない! 夏太郎、やっと告白したのね。母さん、ずっと前からあなた達の想いに気付いていたのよ。気が気じゃなかったんだから。さ、上がって! 今夜はお夕食食べていきなさいな、雪太ちゃん。お祝いよ!」
ふたりの想いは、筒抜けだったのだ、まぁ世の中、そんなものなのである。
「これでずっと一緒に居られるんだね。やったね!」
「な、よかったよー!」
玄関先ではしゃぐふたり。まるで稚(いとけな)い子どものような表情を見せるのだった。
「早く上がりなさいね。ケーキとコーヒーがあるのよ」
「はーい!」
返事は、ふたりの声が揃った。さり気なく、ユニゾンなのである。
リビングに向かいソファに腰掛けるふたり、出てきたのは、クランベリーと木苺のケーキ、それにウィンナコーヒーだ。ケーキは麗子の手作りである。皿に盛られたワンカットがいちいち大きいのだが、それは旨そうにモリモリと食べるふたり、食いしん坊のデブだけに、やはりそうなるのだ。
「いい食べっぷりねー! 流石だわー!」
麗子も、感心している。このふたりは、こういった点で得をしているのだ。
「でね。雪太ちゃんの銀行の口座番号を教えて欲しいの。夏太郎の食費と生活費を毎月入れるから。ふたりともまだ学生なんだから、遊びもいいけど、勉強も頑張るのよ!」
これに慌てたのが、雪太。
「あ、お金ならあるんで、大丈夫です! 勉強頑張ります!」
だが、世の中そうは行かないもの。
「あら、駄目よ。少し位は受け取ってくれないと。お世話になりっ放しというわけにも行かないもの。ね!」
押し切られて、お金を受け取ることになった雪太。大人たちからすれば、これは至極当然の成り行きではある。
「よかったわ! これで安心。今夜は私が腕によりを掛けて作った、焼肉よ! ふたりとも思う存分、食べるといいわ」
「はい!」
「いつもの奴ね、あーい」
銘々に返事をする。ここはユニゾンとはならなかった。ふたりはコーヒーのお代わりをちびちびと飲みながら、平和な午後のひと時を過ごすのだった。
夕食までには間があるので、夏太郎の部屋に場所を移して、寛ぐことになったふたり。テレビゲームに興じる。マリオカートなのだが、何度やっても負ける雪太。
「もういい!」
拗ねることもあるのだ、たまには。そこはまだ子どものようなもの、仕方ないとも云えた。
「まぁまぁ、もっかいやろうぜ」
と、そこへ。
『おいトンチンカン! 飯はまだか!』
『この薄情者! 僕達を飢え死にさせる気だな! 覚えてろ!』
ペン助とペン太の声が、雪太にだけ聞こえた。
「悪いね、夏太郎。ペン助とペン太に餌遣ってくるよ。すぐに戻るからさ、待ってて」
「了解!」
というわけで、一旦帰宅する雪太、帰ると。
「おぉ、死神が戻ってきたぞ。俺たちを飢え死にさせる悪魔だ!」
「おい雪太、早く餌くれないとお前を食べるぞ! 不味そうだけど、仕方ない」
ペン助もペン太も、大騒ぎだ。
「はいはい、今持ってくるよ。待ってて」
「嫌だ! 待たない!」
「五秒で持ってこい、トンチンカン!」
云いたい放題である。仕方ないので、今日は餌を多めに遣ることにした。
「おぉ、ペン助、見ろ! 今日は餌が多いぞ! 普段はケチな癖に、出血大サービスだな!」
「流石は神様仏様、雪太様!」
一転して拍手喝采、そして無心で餌を喰らうペン助とペン太、これがないと念も使えないので、必死なのだ。あっという間に食べ尽くすペンギンたち。ちなみにペン助とペン太はいわゆるグルメではない。普通のペンギンが食べるものならば何でも食す。これは世話をする雪太にとっては、実に有り難いことだった。食べ終えると途端に素っ気なくなるペン助とペン太、もう満足なのだ。
「もう戻れ。夏太郎が待ってる」
「とりあえず、お前に用はない。行ってよし!」
「あいよ」
これも、ペンギンたちなりの気の遣い方なのだ。それが解っているから腹も立たない雪太、もうそこそこ長い付き合いなだけに、よく知っているのだ。
で、夏太郎の家に戻って、夕食である。ホットプレートで焼肉。豪華なのだが、実はしょっちゅうなのだ。ちなみに麗子は元女優、容姿端麗なのである。が、麗子はそれにしてはよく食べる。太りにくい体質なのだ。これは雪太も知っていること。ちなみに、麗子の夫はこの日は、出張で居ない。
「さ、頂きましょう!」
ご機嫌な麗子の掛け声で宴は始まる、この日に用意された霜降り肉は一キロ半、ひとり五百グラムである。サンチュで巻いて、モリモリ食べる一同。白飯もお代わり続出だ。ひとり痩せている麗子も、容赦のない食べっぷりだ。あっという間に完食、デザートは杏仁豆腐で、さっぱりと。
「ご馳走様でしたー!」
今度は見事なユニゾン、挨拶も皆で揃ってしっかりと、である。
その後、夏太郎の最低限の荷物を、手分けして持って帰るふたり。
「それじゃ、ふたり仲よくね!」
「ありがとうございました! さようならー!」
「ほんじゃ、また」
帰り道。
「ホントは、手でも繋ぎたいところだけど」
「両手、塞がってるからな」
不意にキス、夏太郎から雪太へ、ふたりにとってのファーストキスは、フレンチ・キスだった。
帰宅、とりあえずその場に荷物を置く。
「おぉ、ブスカップルのお帰りだぞ!」
「ただでさえ暑い夜なのに、暑苦しいなぁ! ところで、今晩辺り初夜かな」
「そのようだな。頑張れよ!」
途端に紅くなるふたり。なかんずく茹でダコのようになった雪太を、夏太郎が引っ張って進む。これにて今夜は、おやすみなさい。
明くる朝、週末なので大学へは行かないふたり。でも、のんびりしている時間はない。昨日サボった分まで、掃除をしなければならないのだ。夏太郎が中庭の掃除をしている間に雪太は朝食の支度をする。メニューは豚汁に鮭の塩焼き、肉じゃがに小海老と小柱のかき揚げ、きゅうりの浅漬けにほうれん草のお浸し、朝からしっかりである。
一方。
「おぃブス太郎! 掃除、しっかりしないと丸焼きだぞ! 雪太ー、火炎放射器ー!」
「俺達の朝食はまだか、ブス太郎! 雪太、火炎放射器早く持ってこーい!」
中庭は朝から、騒がしい。
この日から、ふたりと二羽の共同生活が始まった。これからは雪太の家は毎日、これまでにも増して賑やかになるだろう。空は抜けるように青い、入道雲が雪太達を見下ろす。夏の陽射しの下で、ペン助とペン太はバカンス気分だ。
「雪太、手榴弾持ってこーい!」
「そんなのないからー!」
雪太と夏太郎、それにペン助とペン太の幸福な日常は、まだ始まったばかりだ。
2
[語り:雪太]
アンニュイな午後。南西向きの寝室で、何も云わずに横たわる。控えめに入る西日が、目にチラチラと眩しい。
それにしても何処か気怠い。やる気が起きない。布団にくるまったまま、まるで死んだような自分。もう寝ようか。季節は晩秋、そろそろ肌寒い。
今日夏太郎と、付き合い始めてから、初めての喧嘩をした。酷いのだ、僕のことをブスだと云うのだ。そんなにブスなら、付き合わなければいいではないか。心底そう思う。勝手に出ていけばいいのだ。悔しくて悲しくて、嗚咽を洩らす。
と、そこへ夏太郎登場。
「あぁ、ここだったか。あのな。本当にブスだと思っていたら、とっくに居ないわけだぞ。可愛いから傍に居るんだ。さっきのは冗談だ。あまり真に受けないでくれ」
嬉しかった。単純なことこの上ないが、素直にそう思った。だから布団から這い出ると、抱き付いた。手放したくない、そう思った。
その後。
「中庭の掃除は俺がやるから、雪太は夕食の支度をしてくれ」
「あいあいさー」
もうすっかりいつもの遣り取り。夏太郎は食事が作れない。単純に教えてくれる人が居なかったのだ。何しろ、夏太郎の母・麗子さんは元女優。料理なんかやらないわけである。それでもケーキは度々作るのだとか。ホームパーティーの席で映えるしね、そんなことを思いながら、僕もたまにはケーキくらい作ろうか、そうも思った。
そういえば彼処は、旦那さんも料理は作れないし、そもそも午前様が多い。自然と毎日の献立は、デリバリーだとか冷凍食品だとか、そういうものになるのだ。後は、焼肉だとかしゃぶしゃぶだとかすき焼きだとか、外食だとか。
焼肉なんて、ただ肉を焼くだけだもんね。昔から、しょっちゅうだったらしい。面倒臭がりで食いしん坊な麗子さんらしいエピソードだ。
実は、我が家の今日の献立は焼肉なのだ。や、手抜きだな、そう思った諸君。そうなのだ、その通りなのだ、鋭い。実は昨日、掃除の際に腰を痛めてしまったのだ。あまり動きたくないのである。
『たまには楽をしなくちゃね』
そう思う僕なのであった。
淡々と焼肉の支度をする僕。中庭からは賑やかな声が聞こえる。
「おいブス太郎! もっとしっかり掃除しろ! 雪太に負けてるぞ! この分だと、断頭台が必要だな」
「ブス太郎! 掃除もロクにできないんなら、死んじゃえー! 雪太ー! ギロチン用意してー!」
「五月蝿いなぁ! 黙って見てろ! 何もやらない癖に、口だけは達者なペンギンどもだな。念が使えるならそれで掃除すればいいじゃないか」
「僕たちの念は、掃除なんていう下らない行為に使っていいものではないのだ」
「俺たちみたいな高等生物に掃除だとか、笑わせる。お前たち下等生物がやればいいことだ」
「ペンギンの癖に云いたいこと云いやがって、畜生」
とまぁ、中庭の掃除は重労働なので、交代制なのだ。昨日は僕がやったので、今日は夏太郎の番。冗談とはいえ、人のことをブス呼ばわりした罰だ。せいぜい苦しむがいいさ。そうだ、餌でも持っていこう。
「はーい! ペン助、ペン太。餌だよー!」
「おい、餌だぞペン助!」
「わー! 神様仏様、雪太様ー!」
一斉に駆け寄るペンギン達。これだから餌遣りは堪らない。
ペン助とペン太は云うまでもなく、夏太郎よりも僕に懐いている。というわけなので、今日は大奮発増量キャンペーンだ。
「あー! ズルいぞ雪太! それは俺の楽しみだったのにー!」
「どうせ僕はブスだからね。ズルいんだよ」
「ちぇっ。冗談なのにさ。明日は俺が餌遣りな」
「嫌だね。明日は元々、僕の番だ」
「うがぁー!」
夏太郎、珍しくキレるのであった。夢中なのはペンギン達。
「なぁペン助、今日は量が多いな」
「大奮発だね! いつもこうならいいのに」
よしよし、懐け懐け。
「雪太様、明日もよろしくお願いしますよ」
「増量、明日も頼むぞ。餌係は雪太で決まりだな」
「あいよ」
「何があいよだ! 掃除終わった! 手洗って焼肉!」
ぷんすか怒る夏太郎。怒れ怒れ。ブスの恨みは怖いのだ。
「頂きまーす!」
今日用意したお肉は、カルビ、ハラミ、牛タン、ホルモン。締めて一キロ。他にカルビクッパも用意した。
「うんまいね。カルビクッパ最高だな」
夏太郎、途端にご機嫌になる。
「ところでさ、雪太」
「なぁに、夏太郎」
「うちの父親が末期癌らしい。ペンギンたちの力で、助からないかな」
暫し絶句。
「無理だと思うけど、聞いてみる」
中庭に向かう僕。夏太郎も付いてきた。
「シケた面してどうしたよ。雪太、夏太郎」
「面倒ごとなら、真っ平ごめんだよ」
その面倒ごとを頼まねばならない。ペンギンたち、聞いてくれるか。一か八か、勝負だ!
「実は、夏太郎の父親が末期癌でさ……」
「無理」
ペン助、即答。云い終わる前にだ。何となく予想はしていたが、やっぱり無理か。
「なぁ、頼むよ」
「治せって云うんだろ。疲れるからパス」
何と! そんな理由か。ここは押すしかない!
「頼む、この通りだ!」
ふたりしてペンギンに土下座。これで駄目なら、万事休すだ。すると……。
「仕方ないなぁ、やってみるよ。結果の保証はしないけどね」
「まぁ夏太郎はともかく、雪太の願いなら止むを得んか。連れていけ」
「さ、おいで! ありがとう、ペン助、ペン太!」
「本当に、ありがとうな」
「礼はいいから、餌はたっぷりな」
「雪太、餌の増量、よろしく頼むよ!」
「うん!」
というわけで、夏太郎の実家に歩いて向かう僕たち。途中、近所に住むおばさんたちとすれ違う。
「あら、こんにちはー。ペンちゃん、いつ見ても可愛いわねー! 夏太郎ちゃん、麗子さんによろしくね!」
「雪太ちゃんとこのペンギンね。可愛いわー! うちでも飼えないかしらね」
「止めた方がいいですよ。大変なんで、色々と」
「あらー、残念。またねー」
おばさん達は、気のいい人たちである。が、こんなものを飼いたいだなんて、酔狂なことだ。もちろん、実態を知ったら嫌がるに決まっているのだが。僕たちの場合は特別なのだ、色々な意味で。
やがて到着、インターホンを押す夏太郎。
「あら、夏太郎。雪太ちゃんも。ーーまぁ! これが噂のペンギンちゃんね!」
「こんにちは、綺麗なおばさん。僕、ペン助」
「俺はペン太。旦那さんの末期癌を治しにきた。旦那さんに会わせてくれ」
「ペ、ペンギンが、喋ったわ!」
腰を抜かす麗子さん。夏太郎はイライラしていた。
「いいから母さん、早く会わせて! 時間ないんだろ!」
「解ったわ。父さん、一階で寝てるわ。こっち!」
僕たちは一階の廊下の突き当たりまで進むと、麗子さんに続いて部屋の中へと入る。夏太郎の父親は、ベッドで眠っていた。
「ようペン助、流石は作り話。都合よく眠っているのな」
「これならトイレにも困らないね。床、絨毯敷きだけど、まいっか」
威風堂々とフンを垂れ流すペン助。
「駄目よー! あーあー!」
麗子さん、半狂乱だ。まぁ可哀想だけれども、ここは我慢してもらおう。
「ペンギンはトイレは覚えないんで、垂れ流しです」
今更だが、一応。やがて、ペンギンたちは無言になる。念を送っているのだ。
「どれくらい掛かるのかしら? 床、お掃除したいんだけど」
「黙って!」
空気の読めない麗子さんに、ペン助の一喝。それから小一時間、止まったような時が流れた。そしてーー。
ーー夏太郎の父親が、目を覚ました。
「父さん!」
「あなた!」
「おぉ、お前達! 雪太君も一緒か。それより、何だこのペンギンは。床、フンだらけだぞ! 張り替えろ!」
凄い剣幕。これに怒ったのが、ペン太だ。
「何だこの恩知らずは。俺たちがどれだけ苦労してお前の癌を治したか、解っているのか?」
「何だ、俺は頭までおかしくなったか! ペンギンが喋っているように見えたぞ! もう駄目だぁー!」
半狂乱の夏太郎の父親。横でペン太は、ざまあみさらせといった風情である。
「あなた落ち着いて! このペンギン、喋るのよ! それよりお身体、変わりない?」
「そういえば、すっかり軽くなった。明日、病院に連れていけ。床は張り替えろよ」
「まだ云ってるよ、この人。死ねばよかったのに」
ペン助がボソリ。これにギロリと睨んだのは、夏太郎の父親だ。
「まぁまぁ。癌、治っているといいですね。夏太郎は今晩はここに居てお父さんに付いててあげてさ、明日病院に一緒に行きなよ。僕はペン助とペン太を連れて帰るから」
こうして、僕とペンギンたちは帰路に就いた。
「治し甲斐のない相手だった。お礼のひと言もないとは。こういうのは、二度とごめんだね」
「むしろ、念で殺せばよかったな」
気持ちは解るが、親切に見返りは要らないと思うのだ、僕は。とはいえ、このままでは可哀想なので。
「僕は感謝してるよ! ありがとう! 帰ったら餌、たっぷりあげるね!」
これには目の色を変えるペン助とペン太。
「流石は雪太! そうこなくっちゃな」
「本当に治し甲斐のある相手だったね! 次もよろしく!」
気をよくした二羽、すっかり豹変しているのだった。
帰宅後、早速ペン助とペン太に餌を遣る。
「早くしろよ、雪太ー! のんびりしてると尻に火を点けるぞ!」
「遅くなったら呪い殺すから! 許さないから! ほら早く!」
「はいはい、ほら」
いつもの五割増しで与えてみるのだが、みるみる内に減っていく。あっという間に完食。
「足りないぞー! これで終わりだったら祟りが起きるぞ!」
「早くお代わりー! 急げー! 殺すぞー!」
追い立てられて、慌てて支度をする。これには参った。どうやら、念で力を使い過ぎたので餌が沢山要るらしい。流石は末期癌、伊達ではないのだ。
「ほらほら」
「おぉ、流石だぞ!」
「わー! 雪太様ー!」
結局、いつもの三倍もの餌を食べて、ようやく落ち着いたペンギンたちなのであった。もちろん、フンも三倍。
「これ、誰が掃除するんだよ」
泣きたいよ、もう。
「今日は寝る! 明日!」
翌日、中庭をセコセコと掃除する僕。その横で悠然と泳ぐ、ペン助とペン太。思わず睨みたくもなるが、ここは我慢だ。
それにしても寒い。季節はそろそろ冬。風邪を引きそうだ。うぅ、辛い。
と、そこへ。
「うぃーす」
夏太郎が帰ってきた。
「お父さん、具合はどう?」
「とりあえずレントゲンからは癌は消えていたみたい。これから精密検査。ま、憎まれ口を叩く余裕があるみたいだし、大丈夫だろう。医者は腰を抜かしていたがな。ありがとうな、皆んな」
「そういえば床は大丈夫なのか?」
「張り替えるらしいな。母さんは業者に清掃を頼んで済ませたかったらしいけど。あの頑固親父はどうにもならんな。大黒柱には違いないから、仕方がない」
そこへ、ペン助とペン太が割って入る。
「燃やしちゃえばいいよ! 消毒、消毒! 灰になれば皆んな綺麗!」
「雪太、いい加減火炎放射器買ってこいよな!」
「要らないからー!」
一応、突っ込んでおく。
「おい雪太。腹減らない? おやつにしようぜ」
「汚れ過ぎて掃除が終わんないのー! 手伝えー!」
「いいぞ。その代わりに餌遣りは交代制な」
「やっぱり結構です。冷蔵庫の中のシュークリーム、勝手に食べてて」
「何だ、つまらん」
「やっと終わったー!」
中庭の掃除を無事に終えて、のんびりとした午後のひと時を満喫する、筈であった。だがここでペン助がひと言。
「予定だと、今夜にも夏太郎のお母さん、死んじゃうんだよね。無痛性心筋梗塞からくる心不全で」
これは刺さった、鋭く胸にだ。
「夏太郎ー! たいへーん!」
大慌てで事態を知らせに行く僕。これはとんでもない。
「何!? マジか! 母さんに電話しなきゃ」
見ると夏太郎、手が震えている。珍しいこともあるものだ。まぁ、それだけの重大事なのだ。云うまでもないが。
結局麗子さんは、胸が苦しいことを訴えて検査。本当は平気だったらしいけれど、嘘も方便である。その後そのまま入院となった。後で聞いた話によると危なかったらしいのだが、一命を取り留めたのだった。治療が間に合って、まずはよかった。夏太郎まで僕と同じ境遇になるのは、悲し過ぎるから。でも何故、ペン助とペン太は、念で治療をしてくれなかったのだろう。そう思って頭を捻っているとーー。
「僕たちを殺す気か! そんなに度々重病は直せないのー!」
ペン助に突っ込まれた。まぁそうだよな。ふと中庭から空を見上げると、今日も突き抜けるような青さだった。
僕たちのこのほっこりとした生活は、きっとこれからも続いていくのだろう。ペン助とペン太の能力は、僕たちを幸せにしてくれる凄いものだ。
「ペン助、ペン太! ありがとう! これからもよろしくね!」
「おぅ! 任せとけ、このトンチンカン! 餌はたっぷりな」
「餌をケチると祟られるよ、このアンポンタン! たっぷりでよろしくね!」
口が悪いのが玉に瑕(きず)。
とはいえ、この幸せはいつまでも続いて欲しいから、僕はペン助とペン太をもっと可愛がろうと、心の底から誓うのだった。
3
[語り:雪太]
「ふぅ」
ひと息ついた。家への帰り道、ペンキの剥げた児童遊園のベンチに腰を下ろす。ミシリとも音を立てずに、それは懸命に僕の重たい身体を支えてくれていた。鳥の群れが夕暮れ時の空を切り裂いてゆく、それは闇夜の迫る中でのこと。天空のスクリーンは、星々の輝きを煌々と照らし出そうとしていた。これもいつもの光景ではある。夏太郎はどうしているか、ペンギンたちが困らせてはいないか。再び雑踏を歩く。空は傾いて、夜の足音がひたひたと迫る。途中餌を買った。どうせすぐに無くなる、でも切らすわけにはいかないから、今日も奮発する。二羽とも、餌を待っている。重いけれども、急いで帰ろう。
道の途中で、ふと振り向くと、見慣れた影がふたつ。ペン助とペン太だ。
「ペン助! ペン太! 何でこんなところに!」
駆け寄ると、珍しく抱き付いてくる。
「刃物を持った男が家の中に入ってきたんだ。無理矢理さらわれて、逃げるのに苦労したよ」
「何せいきなり気絶させられて、胴体を縄でグルグル巻きだからな。車でさらわれたから、気付いてからすぐに念で上手く事故らせて逃げてきた。可哀想だけど、ありゃもう駄目だな。事切れた。あの時は、あれが精一杯だった。どうにもならん」
あまりのことに、目の前が真っ白になった。ペンギンたちが何を云っているのか、上手く飲み込めない。それでも、目の前の二羽の心配はしないといけない、それだけは思った。
「ペン助、ペン太。怪我はない? 大丈夫?」
「僕達はどうにか平気。ただ、家の鍵、開けっ放しだよ」
これは一大事だ。
「ペン助、ペン太! 急げ!」
息を切らす。家に駆け戻る。ふと思い出したが、この日、夏太郎は実家に帰っていて、家には誰も居ないのだ。実に間が悪い。
帰ると、玄関前には見慣れない軽トラが横付けしている。家の荷物を無断で運び出そうとしていたのだった。程なくして発車。だが、すぐさま電柱に激突。どうやらペン助とペン太が念じてくれたらしい。僕は慌てて警察を呼んだ。
地元の警察署内で、僕は形式ばかりの取り調べを受けていた。通り一遍の事情を聞かれて、卒のない答えを返して、最後に僕は聞いた。
「強盗をしようとした例の犯人達の怪我の具合は、どうなんですか?」
刑事さんは笑って答えた。
「軽傷だよ。ただ、軽トラは廃車だな。馬鹿な奴らだ。近所に夫婦で住んでいたんだが、もう居られないだろう」
そう、犯人は夫婦の間柄にあった。たまたま我が家の玄関の扉が開けっ放しだったのを見ての犯行。咄嗟に思い付いたらしい。
家に帰って辺りを見廻して、脱力して崩れてしまった。安堵からだ、我ながら情けない。荷物が無事でよかった、などと腑抜けたことを思っていると、案の定。
「僕たちが無事で、よくないわけ!?」
ペン助、怒り心頭。ペン太もぷんすか怒っている。いや、さっきも心配したじゃんか。もう、世話の焼ける。僕はその場にしゃがむと、二羽の頭を撫でてやった。すると。
「餌ー!」
「飯ー!」
今度は餌ですか。はいはい。
餌は山程買ってきたのだが、大して持たない。何しろこの二羽、大飯食らいなのだ。念を使える代わりに、燃費が頗る悪い。普通のマゼランペンギンよりも、余程多く食べる。
「ほら、お疲れさま」
今日も大量の餌を与えるのだがーー。
「足りなーい! もっと出せー!」
「早く餌持ってこないと呪い殺すぞー!」
いや、それ洒落になってないから。仕方ないから、バケツでお代わりを運ぶ。忙しない。普通の家でこんなの、飼えるわけがない。たくさんの遺産を残してくれた両親に、心から感謝だ。
「あいよー! 持ってきたよー!」
「やったね! 流石は雪太だ!」
「雪太様、愛してるー!」
大体、こんな時だけ、チヤホヤされるのだ。どうしたものか。ちなみに、こういった前向きなコメントが出ると、お代わりは打ち止めだ。何とか足りたようで、よかった。でも、明日も買い出しに行かねば。毎度のことだが、面倒である。
「今、面倒臭いとか思ったでしょ!」
「いやいや、全然」
「まぁいい。餌が多かったから許す」
おいおい、これではおちおち考えごともできやしない。勘弁してくれ、もう疲れた、そんな気分。掃除は明日。おやすみなさい。
翌朝、夏太郎が帰宅した。玄関先で、雲の切れ間からの陽射しが眩しい。蒲公英(たんぽぽ)の花を幾つか摘んできたらしく、そのうちの二輪が髪飾りとなっていた。可愛い。
「うぃっす!」
いつもの挨拶。僕も髪飾りを結ってもらおう。
「雪太ー! 馬鹿太郎が帰ってきたよー!」
「阿保太郎様のご帰宅だぞー! それにしても、相変わらずの間抜け面だな」
「五月蝿いぞ! 居候の癖に!」
「下等生物が何か云ってる! 雪太ー! 機関銃持ってきてー!」
「バズーカ砲持ってこーい! この家もろとも、夏太郎を吹っ飛ばーす!」
「五月蝿ーい!! 夏太郎も、余計なこと云うなー!!」
やれやれ。叫び過ぎで、声が枯れそうだ。
「そっか。大変だったな」
昨夜のことのあらましを説明しての、この反応。幾ら何でも、素っ気なさ過ぎやしませんか? まぁ、別にいいけど。お揃いの髪飾りに免じて、気にしないこととした。
ことの起こりとも云えようか、ペン助とペン太の居たかつての水族館に初めて訪れたのは、三年前のこと。新しくペンギンを展示するというので、行ってみたのだ。今年で二十歳になった僕が、今は不帰の客となった両親との、最後の思い出を作った場所。それが、ペン助とペン太の居た、あの水族館なのだ。
それから一年を待たずして、両親は天に召された。以来、どういうわけだか惹かれて、毎日のように水族館に通うようになった。
その当時から、水族館はお客さんもまばら。目玉のペンギンの展示も、効果がなかった。毎日通っているうちに館長とは知り合いになって、ペン助とペン太にまつわる話も教えてもらえた。
館長は、知っていた。ペン助とペン太が喋れることも、念を使えることも。だが、能力をフルに発揮させるには、大量の餌が要る。そんなものは用意できないと、館長は力なく零していた。
それに、すべてを明らかにすれば、ペン助とペン太は狙われる。それも、いろんな筋から。
ペン助とペン太には、静かに暮らして欲しいと、館長は願っていた。そうなのだ。だから、昨日のような事態は、起こってはいけないのだ。
「引っ越そうかーー」
そんな無謀な考えが、頭をよぎる。だが。
『僕はここがいい! プール広いし。引っ越すって、何処へさ。止めな』
『俺も引っ越しには反対だ。金は大事にしろ。何せまだまだ厄介になるつもりだからな。自分たちの身を自分たちで守る、それ位の力はある。安心しろ』
ペン助とペン太が、少し離れた中庭から念で訴えかけてきた。なるほど。どうやら僕は、ペン助とペン太を少し見くびっていたかも知れないーー。
引っ越しはしないこととなったが、物騒なので機械警備を入れることにした。いわゆるホームセキュリティだ。それにつけても、金である。世の中、安心も安全も、金で買えるのである。
だが、しかし。設置工事も終了して、安心を得られたと思ったのも束の間。またも僕達を脅威が襲う。
玄関で、ドンっという大きな爆発音が聞こえる。続いて、玄関扉に開いた大穴から二人組が侵入、中庭のペン助とペン太を拉致しようとした。これは最早テロである。僕は叫んだ。
「ペン助ー! ペン太ー!」
その時である。二人組が、胸の痛みを訴え出したのだ。それも、激しく、である。この件で、僕はまたもや警察に通報することとなった。
後で聞いたことだがこの二人組、先にペン助とペン太を拉致しようとして事故で事切れた容疑者の仲間だった。ペン助によると、水族館で僕がペン助やペン太と会話をしているのを目撃して、犯行を企てたようだ。
が、そんな話は当然、警察には通らない。胸の痛みは発作によるものだったが、病院に収容された翌日には回復。やがて逮捕となった。
胸の痛みは強烈だったようなので、祟りが起きるとでも思ってもらえれば、しめたもの。たぶん、もうあの連中を見ることはあるまい。
事件後のある日。
ペン助とペン太は、僕にこう切り出した。
「旅に出ることにした。ここに居ると雪太達に迷惑を掛けてしまうから」
だから、僕は云った。涙を、必死に堪えながらだ。
「頼むから、そんなことを云わないでくれ。傍に居てくれ。面倒なら見るから、な!」
「雪太ー!」
皆んな、泣いていた。ペンギンも泣くんだ、そう思った。たぶん、こいつらが特殊なだけだが。
雷鳴が轟く。豪雨の予感。ペンギンたちも今日は大人しい。
あれから、玄関はすぐに修繕してもらった。幸いなことに爆発の規模が小さかったお陰で、躯体へのダメージはなかったのだ。工事はあっという間に終わり、生活は元通りになった。
なに、こんなもの、金を積めばすぐなのである。とはいえあっという間のこの一週間、それでも不便ではあったーー。
さて、車を買った。免許はふたりともに持っている。ガレージは誂えてあったのだが持て余しており、ずっと以前より専ら来客用としてしか機能していない。天に召された両親は、生前はタクシーやハイヤーを呼んでいたのだ。
それはそうと、ここは地方都市なので、東京などとは違って駐車場事情には恵まれている。思案の末、買ったのは廉価なワンボックスカー。TOYOTAのNOAHだ。人目を憚らずにペン助やペン太と移動するためには、一番機能的な形だったのだ。そのためにわざわざ用意したのである。
納車後、最初に企てたのが、日帰り旅行なのであった。ペンギン連れで泊まりとなるとハードルが高過ぎる。だから当然、日帰りなのだ。目的地は、海。云うまでもない。季節外れなので、空いているだろう。ペンギンにはもってこいだ。さぁ、出発!
「狭いな。牢獄のようだぞ」
「安物買いの銭失いっていう、典型的な」
「ペン助、ペン太! 聞こえてるよ!」
車の床には、ビニールシートを敷いてある。フン垂れ流しの邪悪なペンギン達には、打って付けだ。
「餌はあるんだろうな、当然」
「なかったら許さない! ぶちのめーす!」
「あるからー!」
ちなみに今日の運転は、夏太郎の担当。僕よりちょいとばかり、上手いのだ。
暫しの暗闇、長いトンネル。抜けるとそこには、海があった。それはもう、綺麗だった。左手には、リアス式海岸が見渡せる。
見ると、サーファーたちが何人かいた。水平線や島々を、遥かに見晴らす。風が砂を舞い上げる、自然の齎(もたら)す刹那、意識が日常から非日常へと切り替わってゆく。今日の目的地はここなのだ。
「喋るなよ。ペン助、ペン太」
「ラジャー! アンポンタン!」
「了解したから、餌はたっぷりな。トンチンカン!」
「OK」
車を停め、海岸へ。季節は冬へと向かっていた、風が冷たい。こんな時にでも、ペンギンたちは元気一杯だ。海で水と戯れる二羽。そんなペンギンたちを狭いビーチで見守る、僕と夏太郎。日焼けには向かない季節、もう少し厚着でもよかったか。うぅ、ペンギンばかりいい気なものだ。
そこへサーファー達がやってきた。ペン助とペン太を面白がっているのだ。面倒なことにならないうちにと、即座に僕たちも向かう。
「おー。ペンギンだぜ。これ、お前達の?」
話し掛けてくるので、大きく頷く。
「なぁ、くれよ。俺達に」
「餌代も物凄いですし、家にプールも要りますから、飼えませんよ」
「いいからさぁ、くれっつってんだよ。おい!」
唇を噛み締めて、込み上げる怒りを堪える。すると。
「あいたたたたた! てめぇ何すんだ! あいたたた!」
サーファーたちは砂浜の上で身悶えをしている。お腹が痛いようだ。他に人は居ない。
「逃げるか」
「うん!」
ふたりと二羽、そそくさと退散。サーファーたちがその後どうなったのかは、誰も知らない。
帰りの車中で。話に花が咲く。
「柄の悪い人も居るねー。困ったもんだね」
「ホントだよな。面倒なことに巻き込まれないで済んで、よかったぞ」
僕と夏太郎は、ほっこりのち、しみじみ。そこへ。
「俺たちの手柄だな。餌を出せ、早くー!」
「今すぐ餌を出さないと、念でなぶり殺すょ!」
ペンギンたちの大合唱だ。仕方ないので近くの路肩に車を停めて、クーラーボックスの中の餌を出す。ーー無心で食うのな。で、予想通りに。
「お代わり出せー!」
「早く! 早く! 急げ! 急げ!」
急き立てられるように、二つ目のクーラーボックスから餌を取り出すのだった。実に忙しない。
用意してあった餌を、ひと頻り食べ尽くして。
「出先だからこれで我慢してやる。帰ったらまた餌な」
「餌、なかったら許さないよ! 放火するから!」
こいつらは一体、どれだけ食べるつもりなのだろう。頭が痛い。
「はーい、食いしん坊の馬鹿共、帰るよ!」
「下等生物の癖に俺達を馬鹿呼ばわりか! 呪うぞ! トンチンカン!」
「ちょっとばかし餌を遣ったからって、調子に乗るなよ! アンポンタン!」
怒れ怒れ。少しは己の食欲を顧みることだ。つくづくそう思う。結局は、餌を遣ることにはなるのだが。
ちなみに、もう家には餌はないので、車でお店に寄ることにした。ついでなのだ。
「たっぷりなー! ケチったらタダじゃおかない!」
「雪太様ー! 沢山お願いしますー!」
「食べ過ぎだからー!」
太陽の残照が夕闇に溶け入る頃合い、ふたりしてのっそりと帰宅。ペンギンたちも後から続く。
中庭で餌を遣る僕。ペンギンたちにとっては、暫しの休息だ。
「流石は雪太だ。解ってるなー!」
「雪太様、最高ー!」
例によって、チヤホヤ。
「はーい、おしまーい!」
餌遣り終了、呆気なく退散するペンギンたち。するとそこへ、夏太郎の携帯が鳴る。相手は、麗子さんだった。とらやの季節の羊羹が有るので、おすそ分けだそうだ。
「あらー、雪太ちゃんこんばんは。はい、羊羹。夏太郎に誘われて、旦那も連れてきたんだけど。お夕食とか、頂ける?」
「いいですよー! 今日は豚汁としゃぶしゃぶですよ。沢山ありますから、是非!」
「よぉ、雪太君。押しかけて済まないな。私は初めてくるんだが、これは実にいい家だ。喋るペンギンさえ居なければ、さらにいいんだが」
「ちょっとあなた! 癌を治してもらっておいて、その云い方はないわよ!」
「その話、本当かね」
あからさまに訝(いぶか)しむ、麗子さんの旦那さん。
「まぁー! 失礼ね! 死ねばよかったのよ!」
中庭では、ペンギンたちが大喜びだ。
「麗子さん、最高ー!」
「麗子さん、愛してるー!」
「ほら、喋ってるじゃない。こんなペンギン、他に居ないわよ」
「そうか。しかしな。人の家の床にフンを垂れ流しとはなぁ。いい加減にして欲しいものだ」
ここで遂に、怒ったペンギンたちの念が発動。
「痛! 痛!」
のたうち回る旦那さん。
「私が代わりに謝るから、止めてあげて。お願い!」
すると旦那さんの痛みは、ピタッと止んだ。
「どうだ! 少しは感謝しろ! それともまだ痛め付けられたいか?」
「解った! ありがとう! 解ったから、もう勘弁してくれ!」
ここはペンギンたちの勝利だった。すごすごと、その場を退散する旦那さん。内心では僕も、ほくそ笑んでいた。
で、夕食である。気難しい旦那さんも一緒なのである。
「豚汁は要らん。手垢が付いているかも判らんし、何が入っているかも判らんからな」
またもや喧嘩腰である。やれやれ、付き合わされる方は、堪らない。ここは、夏太郎が一喝してくれた。
「帰れ!」
渋々豚汁を食べ始めた旦那さん。それはもう、不味そうに。
!!!
何やら中庭が騒がしい。
「どうしたの。ペン助、ペン太」
「誰も気付いてないみたいだけど、あのジジイ糖尿病だょ。これから合併症がわらわら。大変だね。ざまあみろ」
「そう云わずに、治してくれない?」
「嫌だ!」
「無理!」
「餌は毎日、たっぷりあげるからさ」
「しょうがないなぁ」
お腹には素直な、ペンギンたちである。さて、まずは糖尿病であることを、当の旦那さんに示す必要がある。簡易な検査紙のストックがあるので、それを使うのだ。
「お食事中すみません。ペンギンたちによると、夏太郎のお父さん、糖尿病らしいのです。確かめたいので、この検査紙を使ってみてくれませんか」
旦那さん、固まる。
「……本当か」
やっと出てきたひと言は、それだけだった。黙って検査紙を渡すと、トイレに案内する。結果は、聞くまでもなかった。断末魔の叫びが、辺りに轟いたからである。
結局、ペンギンたちに糖尿病を治してもらった旦那さん。検査紙も、反応しなくなった。これでもう、頭が上がらない。
「すまん! それと、ありがとう!」
ペンギンたちと旦那さんは、これにてひとまず休戦。
「やっと解ったか、ジジイめ。あんなの、オタンコナスだ!」
「物分かりの悪い奴だったな。認知症かも知れんぞ」
おいおい。これ以上物騒なことは、云わないで欲しい。とはいえ、ペンギンたちの力で、またもや幸せが舞い降りた。
これからも僕たちは、ともに生きてゆく。ペンギンたちは、僕たちに幸せを運んでくれる使者かも知れない。心よりそう思うのだった。僕を選んでくれて、ありがとうーー。
そんな積年の思いは、口にしなくても伝わっていた。僕たちの幸せな日常は、まだまだ続いてゆく。
4
[語り:雪太]
季節は冬、新たに掘り炬燵を造った。まぁそうは云っても、別に自分たちは何もしていないのだが。中庭の見える洋間を、和室に変えてもらってのことだ。ついでに、元々あったペアガラスを、より高価で性能の高い真空ガラスに替えてもらった。それからは、結露知らず。中庭のガラスでそのように効果があったことに気をよくして、家中のガラスをすべて真空ガラスに交換したのだった。
クリアなガラス越しにペンギンを眺めながら、お茶を片手にほっこりとしたひと時。
で、まぁ。わざわざ最寄りの繁華街のデパートまで出向いて買った、とらやの羊羹がお茶受けなのだが。そこそこお高いだけあって、なかなかに美味なのである。甘味は強めか。
とらやの羊羹は元々、生きていた頃の両親が大好きだったのだよね。夏場は水羊羹。これも皆んなで美味しく食べたっけ。十二個入り四千円超えの一箱が、あっという間に無くなったのを覚えている。そんなわけで羊羹や水羊羹は、いつも買い置きがあった。
両親と暮らしていて、キャンベルのクラムチャウダーにロールキャベツ、ビフテキにマリネ、ドリアといったメニューの後で、杏仁豆腐ととらやの羊羹が出てくるといったことは、度々あった。当時はそれが普通だと思っていたのだが、実は本当に恵まれていたのだ。とんでもないこと、両親には感謝だ。今でも記憶に残る、それが思い出のひとつだ。
さて、今日は夏太郎が居ないのである。あの人は毎月一回は、実家に一泊するようにしているのだ。今日はその日。
こんな時は、つい昔のことを思い出す。とは云っても僕の場合は、よくありがちなドラマティックなエピソードは何もない。虐められていたわけでも、両親と軋轢があったわけでもない。いや、だからこそ、両親が居なくなってしまったことのショックは、計り知れないものがあったのだが。
そんな時に、真っ直ぐな言葉で僕を励まし続けてくれたのが、ペン助とペン太、それに夏太郎だったのだ。
そう、夏太郎である。可愛らしい顔をした、幼馴染み。励まされて寄り添ってもらえて、それはもう、一遍に惚れた。まぁ元々、仄かな好意は寄せてはいたのだが。その気持ちにブーストが掛かったのが、あの頃のことだったというわけだ。
僕と夏太郎は、ともに今年で二十一になる。夏太郎は就職するらしく、これからが大変なのだ。酔狂なことだ。
一方の僕はというと、それは実に呑気なものだ。ペン助とペン太の面倒を見るために、専業主夫になるのだ。それでなくとも、家が広過ぎて掃除をしてもしても終わらない。正直、お金には困っていないので、ふたりして働く必要はないのだ。まぁ掃除などは業者さんに任せてもいいのだが、気を遣うし、それでは勿体なさ過ぎる。大体まだ学生なのに掃除も自分でやらないだとか、頭のおかしな話なのだ。
とはいえ敷地が三百坪程あるので、毎日掃除と食事作りに追われている感じではあるのだが。その掃除にしたって、室内の床や壁は何処も彼処もトラバーチンなので、それはもう気を遣う。掃除機なんか以ての外。床に傷でも付いたら、困るのだ。使うのは、モップとダスキンなのである。尤も今のところは、家の中の掃除は夏太郎の担当なのだが。
十二歳の頃、淡い恋をした。云うなれば、初恋である。相手は、幼馴染みの夏太郎。あの頃から、好きだったのだ。まだほんわかとした恋ではあったが、恥ずかしくて、あの子に恋をしているというのは、両親にさえなかなか云えなかった。だがそもそも男に恋をするだとか、治療が必要なのではないかーー。
そんなことを考えて吹っ切れた僕、思い切って或る日の夕食の際に、両親に思いの丈をぶち撒けたのである。
「父さん、母さん、実は僕、病気なんだ!」
「何だね、いきなり。どうした?」
「そうよ、ピンピンしてるじゃない」
「違うんだ、僕、ホモなんだ。病院に行かないとーー」
その時だった。
父さんはその大きな身体で、僕のことをきつく、きつく抱き締めてくれた。
「ホモという言葉の代わりに、ゲイという言葉があるよ。これから大変なことも多いだろうけど、覚えておくといい。いつかきっと、役に立つから。ゲイは病気ではないよ。もちろん誰にでも明かしていいことではない。ちゃんと、相手を見極めるんだ。恋、初恋かな? 上手くいくといいね。父さんは応援してるよ」
その言葉を最後まで聞き終えて、僕は父さんに抱き締められたままで号泣した。一頻り泣いて後ろを振り返ってみると、母さんもまた、ほろほろと涙を零していた。
こういうわけなので、僕の場合はあまりにも恵まれていた。それからも、この件で両親から怒られることは決してなかった。拒絶されていたら、場合によってはひょっとするかも知れなかった。謂(い)わば決死のカミングアウトだっただけに、両親に恵まれたことは、感謝してもし切れなかったのである。
この辺りの事情は、夏太郎の場合も大して変わらない。カミングアウトをしたのは大学に入ってからなのだが、元女優のそれは綺麗な母親である麗子さんは、そもそもそうした事柄にはオープンだったし、その父親に至っては、関心がないという始末。
まぁ件(くだん)の潔癖症の父親にしても、悪いことさえしてくれなければそれでいいよ、という考えなのだ。意外とそこは優しい。皆んな理解があるのである。
必ずしも都会的ではない地方都市の中では、これは異例と云ってもいいかも知れない。まぁどちらの両親も皆んな、東京生まれの東京育ちだもんね。ここは観光地なのだ。だから皆、引っ越してきたのだ。件の父親にしてみれば、夏太郎がゲイだったことよりも、ペンギンに絨毯をフンまみれにされたことの方が、余程腹立たしかったみたいだし。
僕には、弟が居る筈だった。筈だった、というのは、流産したからだ。暴走自転車に背後から突っ込まれて、転倒したのだと聞いている。母さん、それでいっとき、鬱になったみたい。父さんが懸命になって支えていたらしい。
弟が居たら、楽しかっただろうな。でも、その分も可愛がってもらえたのだから、僕は何も云えない。
*****
それは、よく晴れた冬の日のことだった。或いはちょうど、こんな陽気の日だったのだろうか。
またもや振り返って、今度は十五歳の春。青春真っ只中。そんな僕だったが、クラスメイトの夏太郎に、引き続き仄かな恋心を抱いていた。
だが、間の悪いことにそんな僕へ、告白をする男の子が現れた。名前は風馬。何処か憂いを帯びた瞳の、スレンダーな二枚目だ。
風馬からの告白を受けて。正直、タイプではなかった。でも、友人としてなら、上手くやってゆくことができそうな気がした。だから僕は答えた。
「僕ね、今片想い中の好きな人が居るから、付き合うことはできないんだ。ごめん。でも、友達にならなれるよ! 風馬君みたいな友達なら、大歓迎だよ!」
この答えに、風馬は苦笑しながらも握手で答えてくれた。
そこへ厄介な人物が登場、夏太郎である。風馬は一瞬、悲しそうな目をした。それはたぶん、夏太郎がやってきた瞬間に、僕の目の色が変わったからだろう。
自分でも、自覚はあるわけで。それはもう、嬉しかったのだ。
不機嫌なのは夏太郎だ。キッと風馬を睨み付ける。その瞬間、風馬の目は諦観を帯びていた。
まぁ云ってしまえば、体型から顔立ちから、風馬は夏太郎とはまるで異なっていたのである。似ても似つかない。
それでも、新しい友達ができたのが嬉しくて、僕は弾む声を抑えながら夏太郎に話し掛けた。
「友達になったんだ、風馬君だよ。皆んなで仲よく連もうね、きっと楽しいからさ」
だが、夏太郎の顔色は険しい。
「俺、こいつと居ても、たぶん楽しくない。俺とこいつ、どっち選ぶ?」
突然の夏太郎の問い掛けに、困惑する僕。風馬は、一旦は踵を返したが、何かを思い起こしたのか、覚悟を決めた表情で、こちらに向き直った。妙な緊張に飲まれそうな僕だったが、答えはもうすでに出ていた。
「僕は、夏太郎がいい」
僕は、小さな声にはなってしまったが、しかし決然と、己の意思を示そうとしてみせた。それを聞いた風馬、背中を向けて手を振ると、改めて踵を返すのだった。その背中が小刻みに震えていたのを、僕は見逃さなかった。
それからは、僕と風馬が会話をする機会は、無くなった。
今から思い返すと、互いの気持ちには鈍い僕と夏太郎のふたりではあったけれども、側から見ると、それはもう判り易かったようで。この判り易さ、危険さを包み隠してくれた共通の友人、それが健司だった。
健司はバイであり、それを公言していた。口癖は、「ま、いずれは結婚するけどね」
顔立ちも成績も平凡、生まれ育った家も服のセンスも平凡。何もかもが平凡であるが、バイであるという。
ゲイではないところがミソで、実際この時、健司には彼女が居た。もう初体験も済ませたらしい。まだ十五、早いものである。
で、そんな子どもには理解の難しいセクシュアリティを内包した健司と連んでいる僕達ふたりは、まともに見えなくもなかったのだ。耳目が健司に集まってくれるお陰で、僕と夏太郎の本当の気持ちが露わにならなくて済んでいたのである。これには僕も夏太郎も、それぞれの心の中で、感謝をせねばならないのだった。
一方の健司も、ゲイではなくバイであり、彼女も居るということで、辛うじて虐めのターゲットとはならずに済んでいたのである。まぁどすけべの烙印は押されていたのだけれども。どうせ男も女も取り混ぜて、酒池肉林の乱交でもしたいのだろう、みたいな。これはまぁ、反駁(はんばく)しない本人も悪かったのだが。
*****
今からちょうど三年が経とうとしている。僕の両親が天に召された、あの日から。両親は、仕事の取引先の社長さんが所有するヘリに乗っていて、事故に巻き込まれたのだった。搭乗していた全員が、空の星となった。
一報を聞いた時、涙は不思議と出てこなかった。僕が泣いたのは、骨になった両親の変わり果てた姿を見た時だ。号泣した。暴れ出したい気持ちを抑え付けて、その場に崩れ落ちて咽び泣いた。
帰り道、付き添ってくれていた夏太郎が、声を掛けてくれた。
「お前は、天国のお父さんやお母さんの分まで、幸せになるんだ! 今生きているってことには、必ず意味がある。俺でよければ、どんなことでも力になる。ゆっくりでいいから、元気になれよ! 約束だかんな」
ありふれたフレーズではあったが、胸に沁みた。この瞬間に、僕の夏太郎への気持ちは、一気に沸騰した。
そう。この時の僕には、これ位の飾らないフレーズの方がよかったようなのだーー。
明くる日、ひとりで水族館に行くと、ペン助とペン太が声を掛けてくれた。
「あんまり気を落とすなよ。その分、お前が幸せになればいいことだ」
「学校はサボっちゃ駄目だよ。駄目人間になっちゃうからね。特にこんな時は、要注意。家に帰ってからはのんびりするといいよ。今度夏太郎でも遊びに誘ったら?」
温かい言葉に、何だか泣けてきたのを、よく覚えている。それにしてもペン助の言葉からすると、もしかしたら僕たちの気持ちに、この時から気付いていたとかーーそんなことも感じたのだが。
「うん、何となくは気付いてたよ。確証は全く持てなかったけどね。雪太の気持ちは初めて会った時からぼんやりとは解っていたつもりだったし、いつだったかふたりできてくれたお陰で、夏太郎の気持ちもごく薄らとは読めたかな。本格的な念を使える程には餌をもらっていなかったから、できたことといえばそれだけだったけど」
うーん、恐るべしペン助、ペン太。二羽のお陰で今は幸せなのだし、感謝してもし切れない。まぁ、掃除は面倒だけどね。
それからも夏太郎やペン助・ペン太には、幾度となく励まされた。その度に絆は深まり、特に夏太郎への気持ちは益々沸騰していった。
遺産は、巨額だった。公正証書遺言が残っていて、かなりの額を僕が相続した。親戚にはいい人たちが多く、揉めることはなかった。たぶん、両親を一度に失った僕の気持ちを、慮(おもんぱか)ってくれたのだと思う。もちろん、僕の親類縁者にはお金に困っている人が誰ひとりとして居なかった、というのも大きな理由のひとつではあったろうが。
相続税も相応に巨額だったが、現金保有資産が非常に多かったこともあり、どうにか家やその他の不動産、株などを売らずに支払えた。尤も、株はその後の高値の折に売却して、すべて現金化してしまったのだけれども。投資にはあまり向いていないという実感があったから、株を売却することへの躊躇いは、少しもなかった。
若干二十歳にして、リタイアメントライフ。庭の掃除と料理くらい自分でやらないと、惚けるのである。ちなみに家事の分担であるが、先にある通りで庭の掃除全般と料理が僕の担当。家の中の掃除と洗濯が、夏太郎の担当。広いのもあってそれぞれ、それなりに大変なのだ。
特にペン助とペン太の居る中庭の掃除は、骨が折れる。まぁ餌遣りの特権があるから、やめられないのだが。
夏太郎が就職したら、家の中の掃除と洗濯も、僕がやるつもりだ。まぁ適当にやるさ、そんなもの。
さて、今週末から週に一回、日曜日に夏太郎一家を夕食会に誘おうと考えている。当面のメニューは、焼肉とすき焼きの交互でいいだろう。楽ちんだし。今は冬だから、蟹鍋もいいかも知れない。通販でカット済みの蟹を売っているのだ。山程買って蟹三昧というのも、ありだろう。
風の音が耳に障る。中庭に面した掃き出し窓がガタついている。我が家のシンボルツリーのヤマモモの落ち葉が、クルクルと廻り出す。胸騒ぎがする。でも、気のせいかも知れない。そうだ、そうに違いない。
一休みもできたし、そろそろ中庭の掃除もしないといけない。それが終わったら餌遣りだ。
「雪太ー! 掃除しろー!」
「急げ! 急げ!」
相変わらず、五月蝿いのである。黙っていれば可愛いだけに、惜しい。
「今、五月蝿いとか思ったでしょー!」
相変わらず、まるっと筒抜けだ。
「黙っていてくれたら、可愛いのー! 今行くから、待っててー!」
これだからうちのペンギンは厄介だ。
「お前のような下等生物に厄介者呼ばわりされる覚えはないぞ!」
参ったな。これではおちおち考えごともできやしない。それに、そんなことで無駄に能力を使われてしまうと、餌代が嵩むので、やめて欲しいのだが。まぁここは、無心で掃除に励むしかない。寒い中、デッキブラシで床を擦る。ゴム手袋が防寒の役目も兼ねているのだが、それにしても寒い。
そういえば何かのドキュメンタリーで、デッキブラシのことを棒ズリと呼んでいた人が居たような。棒ズリ、うちには似合わない呼称だ。やはりここは、デッキブラシということで。
「そこ、汚れてるよ!」
「あいよー」
「ここも! ほら、ほら!」
「ちょっと待ってて!」
よっぽど暇なのか、いつもこうして急き立てられる。
「暇じゃなーい!」
解ったよ、全くもう。
辛い中庭掃除の後には、嬉しい餌遣りタイムが待っている。一度にたくさんの餌を運べるようにと、より大きなバケツと台車を用意した。今日はそれの初お目見え。
「おぉ! 見ろ! 今日は一段と餌が多いぞ!」
「もちろん、お代わりもあるよね?」
「あいよ」
「やったー! 流石は雪太様ー!」
無心で、大量の餌をひたすら食べまくるペンギンたち。ものの五分で、バケツは空だ。
「早くお代わりー!」
「あいよー」
すかさずお代わりを持っていく。ペンギンたち、大喜びだ。
「雪太様、バンザーイ!」
「流石は雪太! 今日はいい日だ!」
そういえば、最近連絡があって知ったことがある。昔近所にあった水族館の、元館長さんによる話なのだが。それによるとペン助とペン太、普通のマゼランペンギンよりもだいぶ長生きをするらしい。念で病気を自己治癒することができるからだそうだ。下手をすれば人間よりも長生きをするとか。僕達ひょっとして、こいつらに看取られるのか? 何だかそう思うと、複雑だ。
一週間後の週末がやってきた。今日は夕食会の日。メニューは蟹鍋。食いしん坊が雁首を揃えることになるので、蟹は山程用意した。
それにしてもカット済みとは、実に便利である。僕が自分でカットしたわけではないのだから、潔癖症の夏太郎のお父さんにも、お誂え向きだろう。
これから夏太郎が我が家のミニバンで、父親と母親を迎えに行く。いい機会だから、とらやの羊羹をお土産に持たせてやった。
「や、別にいいのに」
「いいから、いいから。さ、行った!」
程なくして夏太郎一家、三人総出で我が家に到着。
「やぁ雪太くん。世話になるね」
「何が出てくるのかしら? 楽しみだわー」
「うぃっす!」
鍋なので、新設したばかりの和室で頂く。
「あら、蟹がたくさん!」
「気張ったねぇ。それにしても、いい和室だ。ところでそこの蟹、カットしてあるけど、それは誰が作業をしてくれたのかね?」
急に不穏な空気が流れる。でもそこは抜かりない。
「業者です! 別に僕は触れてませんから! 大丈夫ですよ!」
「そうか。それはよかった。それなら安心だ」
相変わらず失礼な人だ。そう思っていると……。
「帰れよ、親父」
「そうよ、あなたひとりでカップ麺でも啜りなさい。そうよ、そうなさい!」
ふたりからの攻撃に遭って、流石の夏太郎のお父さんも意気消沈。ちなみに夏太郎のお父さん、本名は堅吾というのだとか。予想通りというべきか、名前までちょっぴり堅苦しい。それにしても堅吾さん、ふたりの攻撃にタジタジだ。言い訳も珍しく吃っている。よかった。ざまあみろ。
と、ここで異変が。何だか焦げ臭い。台所を見に行くが特にこれといって異常はない。はて、どうしたものか。これは何の臭いだろう。そんなことを考えながら首を捻っていると、夏太郎がひと言。
「外じゃねぇの?」
外の庭に出て様子を伺うと、煙がもくもく。
お隣さんが、燃えている。
一大事だ。
鍋どころの話ではない。
「皆んなたいへーん! お隣さんが火事だよ、逃げてー!」
だがこんな時だというのに、夏太郎は鍋を守るのに必死だ。気持ちは解るが、非常事態なのだ。
「そんなことより早く、逃げなきゃ!」
「具材を冷蔵庫に入れておけば、後でまた鍋ができるだろ? 具材はまるっと残ってるんだからさ、捨てるなんて勿体ない。大丈夫、ここまでは燃えないから」
呑気なものである。
「鍋の安全は確保できたわね! さ、通帳と実印、有価証券の類を持って避難よ!」
麗子さんもこの調子。焼け死んでもいいのか? 死んで花見ができるものか。
阿呆らしいが一応、寝室のクローゼット内の金庫から金目の品を持ち出して、ペン助とペン太も連れ出して避難。
でもまぁ実は、うちが燃える心配は殆どないんだけどね。そもそも壁を接していないし、うちは鉄筋コンクリート造だ。木造よりも耐火性能は高いのである。
で、出火元だったお隣さんの母屋が全焼して、鎮火した。幸い、犠牲者は居なかった模様。
ここで二羽に質問。
「ねぇ、何で火事を食い止めなかったのさ」
「火の回りが早過ぎて、気付いた時には手遅れだったのー! 何でもかんでも、当てにするなー!」
「大体お前は、誰のお陰で全員怪我もなく無事でいられたと思ってるんだ! 少しは感謝しろ!」
これは、反省。
「ごめんね、ペン助、ペン太」
頭を撫でてやる。
「解ればいいよ」
「そうだな。まぁ許す」
機嫌を直してくれて、よかった。
十二年前。僕と夏太郎と三人でよく連んでいた吉太君が、空の星になった。家が火事になったのだ。煙を吸って、事切れたらしい。
一家全員、可哀想なことになった。まだ色恋沙汰とは無縁の年頃だったが、何処となく子役モデルのような可愛らしさを持った子どもだったと記憶している。彼が今も生きていたら、僕たちを巡る恋模様も、或いは違っていたのだろうかーー。
火事は怖い。今回の火事でも、一番取り乱していたのは、僕だ。今思うと、情けない。よく考えてみたら、お隣さんとの間にはそこそこ幅のある庭があったから、余程のことでもない限り、燃え移るとは考えにくかったのだ。うちは庭の床も全面、燃えにくい石のタイル貼りだし。芝生ならばともかく。
過去の記憶が、僕を過剰に反応させたのだろう。でもまぁお隣さんが火事だなんて、普通皆んな慌てるよね。仕方ないのさ、そう云い聞かせて、とりあえずは落ち着くことにした。
警察官には事情を聞かれたが、お隣さんの出火元が台所であるのは一目見て判ったようで、それは簡素なものだった。
今回の火事では、やはりというべきか、我が家には何の損害もなかった。タイル張りの壁面も、変色なし。どうやら取り越し苦労だったようで、色々と、要らぬ心配をして損した。
戻ると、鍋が待っていた。すっかりお腹が空いてしまっていたから、ここは鍋を守ってくれた皆んなに感謝かな。
で。皆んな黙々と蟹を頬張る。カット済みなのにな。量が多いのもあるだろうが、何もここまで無言になる必要もないと思うのだ。
食後。
「今日はありがとう。それじゃ、また来週。帰りは散歩がてら歩いて帰るから、車はいいよ」
「次も楽しみにしてるわ! またくるわねー!」
ふたりが帰って、ほっとひと息。
「そろそろ寝ような」
「うん」
寝室へと向かう僕達。そこへ背後から指弾の声があった。
「逃げるなー! 腹減った。餌ー!」
「餌くれないとこの家もろとも木っ端微塵にする!」
やれやれ、相変わらず物騒なことで。この家もろとも木っ端微塵って、それではペン助やペン太も無事では済まないのでは? などと考えていると……。
「いいから餌ー!」
「いいから餌ー!」
見事、ユニゾンである。それにしてもこいつら、お腹が空いたらいつでも餌を要求するとか、邪悪ぶりが半端ではない。餌なら、少し前に遣った気がするのだが。
「邪悪とは何だ、邪悪とはー!」
「さっきの火事で念をいっぱい使ったのー! 腹減った、餌ー!」
はいはい、解りましたよ、と。山盛りの餌の入った特大バケツを台車に載せて、中庭まで移動。
「待ってました、雪太様ー!」
「お代わりもよろしく!」
こいつらは一体、どれだけ食べれば気が済むのだろう。恐ろしいことである。
翌日、ペン太の具合がおかしい。アスペルギルス症に罹っており、医者曰く手の施しようがないとか。
「俺はもう助からない。病気が進み過ぎて自己治癒力が無くなっている。俺としたことが迂闊だった。雪太、夏太郎、ペン助を頼んだぞ」
「僕が代わりに念で治すから、そんなこと云うなー! 置いてくなー!」
ペン助、号泣である。僕たちも、涙が止まらない。
その日一日中、時折餌を食べて燃料補給をしながら、ペン助は付きっ切りで、ペン太に念を送り続けていた。
僕達も固唾を飲んで、その様子をじっと見守っていた。
翌朝、ペン助の努力の甲斐あってーー。ペン太は元気になっていた。二羽とも無事とあって、喜ぶ僕と夏太郎。が、喜びも束の間、驚くべき事態が発生していた。ペン助もペン太も、喋れなくなっていたのである。もちろん、念も使えない。僕と夏太郎、揃って号泣したーー。
それ以来、餌が少ないと体当たりしたり羽で叩いたり奇声に近い鳴き声を放ったりして、今までとは違った形で猛抗議をするようになった二羽。
飛び蹴りに近い攻撃もあったりして、あぁ、やっぱりこいつらはペン助とペン太なんだな、と納得した。
堪らないのは相変わらずだが、だからこそ愛着も湧くというものだ。
食べる量は、以前の一番多い時と比べても、さらに大幅に増えていた。
フンもその分増えるので邪悪極まりないが、そこに希望の光のようなものを見い出した僕と夏太郎は、気長に復活を待つことにした。
相変わらずフンはその場で垂れ流しなので、掃除をする方は大変だが、そんなことでもこいつらは紛れもなくペン助とペン太なんだ、そう実感できたから、手を抜かないでやろうと決意することができたのだ。
それから一ヶ月後。かつてのペン助とペン太の能力のことは、何となく忘れかけていた。そんな頃。中庭に面した掘り炬燵で、夏太郎とふたりしてうつらうつらとしているとーー。
「雪太ー! 早く餌持ってこーい!」
「早くしないとドロップキック百連発だぞー!」
元の賑やかな日常が、突如戻った。あまりに突然だったので僕は衝撃で、頭の中が真っ白になった。
「ペン太の病気で念を使い過ぎちゃってさ。だいぶ復活してきたペン太自身と揃ってどんどんそれを治療していったら僕達、そのせいで一時的に喋れなくなっちゃったの。ペン太は瀕死だったし僕は一羽きりでそれをどうにかしなきゃいけないしで、大変だったー。あのクソジジイの時はペン太も元気だったからどうにかなったけど、今回はきつかった。でももう大丈夫。だから餌ー!」
涙が止まらないが、催促されているのだ。急がねば。この時ばかりは、僕と夏太郎のふたりで餌遣りだ。もちろん、出血大サービス。
「おぉ、いつにも増して今日は餌が多いぞ」
「雪太、夏太郎、最高ー!」
そんなペンギンたちを前にして、笑みを零しながら互いの顔を見つめ合う、僕たちふたり。
ペン助とペン太は、それからもすっかり元気で、僕たちを困らせ放題。でもあの二羽にはその方がよく似合うーー。そう思えたから、僕はこれから先もずっとずっと、ペン助、ペン太と一緒に居ようと思う。夏太郎も、もちろん一緒だ。夏太郎には、何よりも笑顔がよく似合う。
皆んなで笑おう、そう云って僕たちは絆を深めた。僕たちふたりと二羽の幸せな生活は、まだまだ終わらない。
お終い