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「忘れ物ない?」
「ああ」
「本当に大丈夫? 今度はそう簡単に取りに帰れないんだよ」
「大丈夫。多分」
「……心配だなあ」
今日はいよいよ、これから向こう三年間を過ごす高校に向けて出発する日。両親といつもより大袈裟なお別れをしてから佑を迎えに行けば、佑は普段通りの格好で家を出てきた。あまりにも、普段通り過ぎる格好で。
……大きな荷物はもう送ったとはいえ、一応これから引っ越しなんだけどな。なんで佑はリュック一つしか持ってないんだろう。近場に遊びに行く時となんら変わりない格好に、僕の方が心配になる。
「まあ、忘れ物があったら適当に送るから。なんとかなるでしょ」
「あ、早苗さん。おはようございます」
あまりに身軽な佑に玄関でかれこれ言っていると、リビングから佑によく似た兎獣人の女性が出てきてそう言った。僕はその女性の目を見て、挨拶をする。
彼女は[[rb:三木 > みき]][[rb:早苗 > さなえ]]という名前の、幼い頃に両親を亡くした佑の育ての親。幼馴染の僕もよく見知った人で、佑にとっては母親の妹――つまり叔母さんにあたる。
早苗さんや僕のお母さん曰く、佑は母親似らしい。その母親の妹ということもあって、佑と早苗さんにも共通点が多かった。真っ黒の被毛に、切れ長の目。反射した照明に光の宿る瞳は、早苗さんの方がいくらか優しいけれど。
「あんたも、あんまり逸花くんに世話かけるんじゃないよ」
「ん」
佑は分かってるんだか分かってないんだか、どこか気の抜けた返事をする。これも平常運転と言えばそうなんだけど、節目の日なんだからもう少しくらい、何かないのかな。苦笑いしながら早苗さんの方を見やれば、僕と同じく微妙な笑みを浮かべていた。
「それじゃ、時間に余裕あるうちにもう行ってきな」
「……そうですね。じゃあ、行ってきます」
そう言葉を交わしているうちに靴を履き終えたらしく、フローリングにしゃがんでいた佑がゆっくりと立ち上がる。そして、少しも表情を変えぬまま口を開いた。
「行ってきます」
「ん、行ってらっしゃい」
家を出る間際になっても、やっぱり佑の様子はいつも通りで。ここまで来るとどこか安心感すら覚えて、ふっと笑いが零れる。見れば早苗さんも同じく、微笑み交じりに別れの挨拶をした。
名残惜しい気持ちもありつつ、玄関の扉を開く。最後に手を振りながらゆっくりと扉が閉まっていくのを見届ければ、ついに晴天の下に佑と二人きりになった。
別に、佑と二人でいることなんて珍しくもなんともないんだけど。これから親元を離れるってのもあって、僕達だけがこの町から切り離されたような妙な気分だった。
「……行こっか」
「ああ」
ほんの少し感傷的な気分に浸りながら最寄りの駅へと向かう足取りは、どこか重たく感じた。だって僕達はもう、このまましばらくあの家に帰ることは――。
「悪い、財布忘れた」
「…………」
……ないこともない、みたいだ。
◇
「ほら、急ぐよ」
「ん」
学校の最寄り駅に到着するなり電車を駆け下り、新入生がまず受付をするらしい寮へと急ぐ。あれから家に財布を取りに帰ったり、慣れない路線の乗り換えに手間取ったりで結局時間ギリギリの到着になってしまった。
改札を抜ける頃には、辺りに僕達と同じ新入生らしき人がちらほらと見受けられた。受付の列に並ぶ人たちも、入学前というのもあってかみんなどこか緊張した面持ちで。誰かと会話をするような声もあまり聞こえなかった。
「もしかして、入学する前から知り合いなのって珍しいのかな」
「そうかもな」
あんまり深く考えてなかったけど、全国の学生に推薦を送っているんだとしたら。この学校の一学年に収まる人数に知り合いがいるのって珍しい話なのかも。
でも、推薦の理由が分からない分にはなんとも言えないかなあ。ほんと、なんで僕なんかに。
「逸花、順番来たぞ」
「あ……うん」
なんて考えてる間に、受付の順番が来たみたいだ。僕は佑に促されるまま、二人並んで受付の女性の前に立つ。
「こんにちは。お名前を伺ってもよろしいでしょうか」
「依道逸花と、朝来佑です。あ、二人一緒でも大丈夫ですか?」
「ああ、あなた達が。はい、大丈夫ですよ」
何やら意味深なことを言われ、佑と目を合わせる。お互いにピンと来ていない表情をしている僕達を見て、受付の女性は手元で何やら書類をまとめながら口を開いた。
「同じ中学から二人が入学するのって珍しいんですよ。今年は二組もいるみたいですが、あなた達がその一組で。部屋も一緒ですよ」
「……!」
最後の一言に思わず自分でも表情が緩んでしまうのを感じて、咄嗟にきゅっと引き締める。佑の様子を窺えば、僕の方を見てニッと口角を上げていて。ああもう、どういう意味の笑顔なの、それ。
プイと視線を逸らしながら、ひとり気恥ずかしさを覚える。……でも。
佑と一緒の部屋、かあ……。仮にも、好きな相手と近づけるんだから。少しくらい浮かれてもいいじゃん。
なんて、頭の中で誰に向けるでもない言い訳をしていると。手続きの作業を終えた女性が、紙袋を差し出しながら口を開いた。
「こちらが、お部屋の鍵と諸々の案内。学生証と制服もこの袋の中に入っております。この後はお部屋で着替えてから入寮式に参加してくださいね」
「はい、ありがとうございます」
「ありがとうございます」
女性に見送られながら、僕達は受付の列を後にする。時計を見る限り入寮式には遅刻しないで済みそうだけど、のんびりしている時間はないって感じだ。
「部屋、二一三号室だって」
「ああ」
言いながら、足早に僕達の部屋へと向かう。さっき渡された寮の地図を見るに、正面玄関目の前の階段を上った二階の、向かって左側へ廊下を進んだ先に……。
「あった!」
そこまで複雑な構造じゃなかったから、目的の部屋にはすぐ辿り着いた。表札にはしっかりと”213”と書いてあるし、間違いも無いはず。
……ここから数年間、佑と二人で暮らしていく部屋。それを前にすると、鍵を握る手にも自然と力が入って、緊張にぎゅっと目を瞑ってしまう。
でも、そんな不安だとか緊張だとかも、当然あるけど。今はどこか、それよりも期待が勝っているような気がして。そんな期待を胸に今、扉を――。
「……あれ?」
「どうした」
目を開いた僕に飛び込んできたのは、とっくに開かれた扉とその先で不思議そうに僕を見つめる佑の姿だった。人が複雑な感情を噛みしめてる間に、この幼馴染は……。
「はあ……」
まあ、時間もないのに物思いに浸る僕も悪いし。佑に悪気なんて一切ないのも分かってるから、僕は特に文句を言うこともなく、ため息混じりで部屋に足を踏み入れた。
部屋の中は、だいたいパンフレットを見て想像していた通り。だけど、思ってたよりだいぶ綺麗かも。ああいうのって、綺麗なとこだけ見せてるもんだと思ってたから。
入って左手の方の扉を開けた先には、トイレや浴室。備えられた収納を開けてみると掃除道具なんかも準備されてるし、本当にこのまますぐ生活できそうな感じだ。
こうしてあれこれ物色する僕とは対照的に、佑はまっすぐリビングの方に向かったみたいだ。僕もそろそろそっちに行くか、とリビングに繋がる扉を開いた、その瞬間――。
「ちょ、ちょっと! 何してんの!?」
「着替えてる」
――目に飛び込んできたのは、肌着とパンツだけ身に着けた状態の佑。思わず僕は開いたばかりの扉を思い切りバタンと閉めた。
「……奥に部屋あるじゃん。そっちで着替えようよ」
「まだどっちの部屋使うか決めてないから」
「そうだけどさ……」
不意に見た想い人の裸体に、心臓は高鳴るばかり。そりゃ、今までも目に入ることはあったけどさ。できるだけ見ないように努めてたし。
佑、昔からそういうの無頓着だもんな。一緒に生活するならこういうこともあるかもって期待……じゃなくて、覚悟してたけど。初っ端からこんなんじゃ、先が思いやられる。
「……着替え終わったら言って」
「もう終わった」
扉越しに聞いた佑の言葉を信じて、再び扉を開ける。確かにそこには、新品の学ランを着た幼馴染の姿があった。
中に入ってみればリビングは広く、二人で使うのに十分な大きさのソファやテレビまである。その奥には、それぞれの部屋となる個室の扉が二つ並んでいた。
「部屋、どっちでもいい?」
「ああ」
「じゃ、僕こっちにするから」
「分かった」
そう言って、僕は向かって左側の部屋へと入る。多分部屋の内装も一緒だし、特にこっちを選んだ理由もない。
「……あと」
扉を閉める前に、リビングの佑に呼びかける。佑がこっちを向いたのを確認してから、僕は口を開いた。
「あんま僕の前で服、脱がないで」
それだけ言って、バタンと扉を閉める。なんで、って理由聞かれたくないし。
自分一人の空間になって、ようやく少し落ち着いた気がする。ただでさえ遠出するのには慣れてないのに、さらにその土地にこれから身を落ち着けるんだって思うと、どこか気疲れもあって。
ひとまず荷物を適当に勉強机の横に置いて、綺麗に整えられたベッドに腰掛ける。このまま横になってしまいたい気分ではあるけど、生憎そんな時間はない。
「……着替えよ」
僕は気分を切り替えるようにそう呟きながら、さっき貰った紙袋から制服を取り出した。
◇
おろしたてで生地のパリッとした制服に身を包み、見慣れぬ校舎の廊下を歩く。今は入寮式も終わり、クラス別のオリエンテーションのため教室へと向かっている最中だ。
言わば生徒みんなに新生活の始まりを告げる会だというのに、式は思ったよりもずっとあっけなく終わった。というのも、寮のルールがあまりにも緩かったから。
「なんか、思ってたのと違ったね。悪い意味とかじゃなくてさ」
「そうだな」
入寮式を経て思ったことを素直に口にすれば、隣を歩く佑もそう同意する。ちらほらと聞こえる周りの新入生たちの会話も、だいたい僕らと同じような話題のようだった。
だって、寮生活といえば掃除とか自習とか、学校側の規則に従うもんだと思ってたから。でも、そういうのはだいたい生徒に任せる、ってのがこの寮の方針らしい。
自由と言ったら聞こえは良いけど、その分しっかりしなきゃな。何かあった時、困るのは自分だけじゃないし。……僕だけが振り回されることは、ままありそうだけど。
隣を歩く、僕を振り回す存在――佑の表情を見やっても、いつものスンとした顔のまま。ほんと、どんなこと考えてるんだろ。長い付き合いだけど、まだまだ分かんないことだらけだな。
「着いた」
「ん……あ、ほんとだ」
なんて、ボーッと考えごとをしてる内に目的の教室に着いたみたいだ。寮の階数でそのままクラスに分かれるみたいだから、僕らはつまり一年二組。目の前の教室には、ちょうどその通りの札が掲げられていた。
「じゃ、俺の席ここみたいだから。また後でな」
「うん、またね」
佑は前側の扉から教室に入るなり、一番近くの席に置かれた名札を見てそう言った。朝来って名字、出席番号順だとたいてい一番前だからなあ。
対して僕の名字――依道は、いつも決まって一番最後。このクラスでも例に漏れず、隅っこが僕の席みたいだ。
……慣れてはいるけど、やっぱりちょっと残念。せっかく同じクラスになれても、一番遠い距離になっちゃうんだから。
少し窮屈に感じる席から、対角線をなぞるように佑の方を見やる。だけど、教室中央に陣取った集団に阻まれてその姿は見えなかっ……って、そうじゃん!
慌てて周りを見てみれば、どこか打ち解けた雰囲気の集団がちらほらとできていて。きっと、今が友達を作る絶好のタイミングなんだ。僕も乗り遅れないようにしなきゃ……!
とりあえず、周りの席の様子を窺ってみる。ええと、隣の席の子は……荷物は置いてあるけど席を外してるみたいだし。前の方に集団はできてるけど、ちょっと賑やかすぎて合わなそうかな。
というか、全体的に賑やかなような……。それもそうか、初対面でもすぐに打ち解けられるような人達なんだから。
だけど、一人でいる子に自分から話しかけに行くのもなあ。声をかけるきっかけとか、どうすればいいか分かんないし。
「…………」
あれこれ思い悩んだ末、僕が見据えたのは一つ前の空席。僕の周りではちょうどその席の子だけ、まだ教室に来てないみたいだ。
……よし、この子にこそ声をかけよう。席が近いって口実さえあれば自然に話しかけられるし。
と、覚悟を決めたその時だった。ちょうど僕の目の前に座ろうとする子が来たから、意を決して声を――。
「あ……の」
「…………」
――かけられなかった。確かに、声は出せた。だけどその声は人に話しかけるにしてはあまりにか細く、事実、相手には聞こえていないみたいで。
だってこの子、僕のこと睨んでた気がしたんだもん……! なんか不機嫌そうな顔してたし、今も「話しかけるな」ってオーラ出しながらスマホ弄ってるし。
種族は僕と同じ猫獣人みたいだけど。鋭い目付きにムスッとした仏頂面からは、とてもじゃないけどフレンドリーな子のようには見えなかった。
「どうしよ……」
そうやって悩んでる間にも、教室には担任の先生と思しき人物が入ってきて。クラスメイト達は席に戻り、友達づくりのタイミングは終わって先生の話を聞くムードになってしまった。
「待たせちゃってごめんね。私が二組の担任になりました、清瀬と申します。担当教科は古典、よろしくね」
[[rb:清瀬 > きよせ]][[rb:陽凪 > ひなぎ]]、とフルネームを黒板に書き記した鳥獣人の先生は、挨拶に続いて事務的な話を進めていった。僕達はそれを都度メモを取りながら聞く、って感じの流れだったんだけど。
……なんだかさっきから、前の子の様子がどうも気になる。
先生がメモを取るように指示しても、一向に何かを書き留める気配がないし。かといって、先生の話を聞いてないって訳でもなさそう。
所在なく尻尾をゆらゆらとさせる様は、どこか居心地が悪そうで。顔こそちょっと怖かったけど、不良生徒って訳でもない気がするんだよな。初対面でこんなこと言ったら悪いけど、見ていてちょっと面白い。
「――説明が遅くなってごめんね。次は、皆さんにこの学校の推薦が届いた理由に関わる話です」
「……!」
前の席の子に不思議と気を引かれている間に、先生の話が何やら重要そうなところに入ろうとしていた。今の今まで伏せられていた、僕達がこの高校に推薦された理由。
どこか上の空だった僕も、今度ばかりは襟を正して先生の方を見つめる。見れば、クラスメイト達も神妙な面持ちで先生の言葉の続きを待っていた。
「皆さんが推薦された理由は、スポーツでも、芸術でも、学業でもありません。皆さんが推薦されたのは――」
やっぱり、そういうよくある理由じゃないみたい。でも、だったらなんだろう。他に推薦の理由なんて、僕には思いつきそうもない。
たぶん、突拍子もないことを言われる。不思議とそんな予感がした僕の耳が、果たして捉えたのは。
「――あなた達が持っている、いわゆる”特異体質”のためです」
聞き馴染みも、身に覚えも一切ない、"特異体質"という確かな言葉だった。
◇
「特異体質……うーん?」
オリエンテーションと、その後の夕食とシャワーを終えた入寮初日の夜。僕はリビングのソファに腰掛け、「特異体質」と検索して出てきた結果を眺めながら先生の言葉を反芻していた。
あの後、結局僕たちの持つ"特異体質"について詳しく説明されることはなかった。まだ詳しくは説明できないから、と濁されてしまって。
とりあえずネットを見てみたけど、よく分からなかった。画面には難しい記事が並ぶばかりで、僕達に関係があるのかどうかの判断すらできない。
「風呂、上がった」
「あ、おかえり」
ちょうどネットを参考にするのを諦めてスマホを抛った頃、お風呂上がりの佑がリビングに帰ってくる。「ちゃんと服着てから来て」と釘を刺しておいたおかげで、今度は昼の時みたいに裸を目撃せずに済んだ。……縒れた寝間着の襟が胸元を無防備に覗かせる様は、ちょっと目に良くないけど。
「あーもう、まだ濡れてるじゃん。ちゃんと乾かさないと風邪ひくよ」
「ん」
小言みたくそう言いながら、僕の隣に腰を下ろした佑の頭をタオルでゴシゴシと拭いてやる。世話焼きついでに、僕は気になっていたことを佑に尋ねた。
「佑は今日、誰かと話した?」
「話してない」
「友達、欲しくないの?」
「逸花がいる」
「もー、そうじゃなくて……」
そう言われて、嬉しくないこともないけどさ。僕が言いたいのはそういうことじゃないんだよ。
「逸花は友達、欲しいのか」
「……欲しいよ。今日はあんま上手くいかなかったけど」
佑の耳周りの水気を拭き取る手を止めて、僕はそう答える。言いながら、僕の前の席に座っていたあの猫獣人の子のことを思い出した。
本当に友達が欲しいなら、四の五の言わずに話しかけるべきだったんだろう。振り返ってみても、なんだか不思議と気を引かれる子だったし。でも、僕は話しかけられなかった。
……僕も心のどこかで、「佑がいるからいい」だなんて甘えてるのかもな。だけどそれは、なんとなくお互いにとって良くない気もして。
「応援してる」
「他人事じゃないんだからね、佑も頑張るんだよ」
最後にわしゃわしゃ、と半ば乱暴に佑の頭を拭いてタオルを肩に掛けた。ちょっとした意地悪のつもりだったのに、「ありがと」なんて言われてなんだかばつが悪い。
友達作りという課題に、僕達が持っていると告げられた”特異体質”とやら。ソファに二人並んで座って過ごす時間の心地良さとは対照的に、まだ不安や心配は尽きそうになかった。
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