水の大陸ワイワイタウン、街の中でも1番の大きさを誇るレシラム教の教会、その敷地内に建てられた塔の中に、調査団団長デンリュウの姿があった。塔の最上部へと上がるエレベーターのゴンドラ内に立つ団長は、案内役の牝のイエッサンの背中を見ていた。
ゴンドラの高さはますます上がり、団長の視界にワイワイタウンの全景が映り込む。
それを見渡した団長は、ゴンドラが停止した事による揺れに「おっと」と呟くと、イエッサンの先導に従い、廊下に出た。
「こちらです」
レシラム教徒の証である白い装飾品を首から下げたイエッサンの案内に従い、団長は廊下の端にある扉を開けた。室内は風と日光がよく入り、居心地の良い雰囲気の空間である。カーテンの白いレースが揺らぎ、テーブルに飾られた花瓶には多様な花が飾ってある。
部屋の窓際、そこにある安楽椅子に座っている異端審問官にしてオズボーンの妾となったリラは、団長に向かってお辞儀をした。かつての団員の顔を見た団長は懐かしそうに目を細めたが、続けて彼女の大きくなった腹部を見て、目を見開いた。
「リラ…あなた…」
言葉を失う団長の視線から逃れるようにリラは顔を背けた。目を閉じたリラは、やがて死んだ魚の様な目を僅かに開くとイエッサンに向かって手を振った。案内役兼侍女のイエッサンは紅茶と焼き菓子を用意すると、団長とリラに向かって深々とお辞儀をすると、そのまま隣の待機室へと姿を消した。
室内に沈黙が広がり、リラは気まずそうに目を伏せている。だが、団長はすぐに自身のペースを取り戻すと、イエッサンの準備した紅茶のカップを持ち、それを口元に運んだ。
「…これは良い茶葉ですね」
団長は優雅に紅茶と焼き菓子を堪能している。マイペースな団長の姿が、自身の記憶に残る団長の姿と重なり、リラは思わず目尻に涙を浮かべた。懐かしい団長の姿にリラは声を殺して泣くと、肩を小さく震わせた。リラの姿を見た団長は何も言わずに紅茶と焼き菓子を楽しみ、時間のみが経過した。
やがて、落ち着いたリラは腫れた瞼を擦り、乾いた喉を紅茶で潤した。一気に紅茶を飲むリラの姿に華族の高貴さはなく、ただのリラとして振る舞っている。団長は眼前のリラが自身の知っているリラと同一人物である事を再認識すると、紅茶のカップをテーブルに置いた。
「…今はどんな気持ちですか?」
団長の問いに焼き菓子を頬張り、紅茶を飲み干したリラは、泣き枯れた声で応えた。
「…自分の蒔いた種とはいえ、最悪です」
リラの返事を聞いた団長は頷くと、紅茶を一口飲んだ。団長は目つきを鋭くすると、リラを睨みつけた。
「えぇ、リラ自身の行いのせいです。そして貴方が異端審問官として多くの命を奪ってきた事も、貴方自身の選択です」
団長の厳しい言葉を聞いたリラは目尻に涙を浮かべるが、団長の視線が左右に動いている事に気がついた。団長は視線でリラの注意を引くと、続けて侍女のイエッサンが居る待機室の扉に視線を向けた。
「これまで多くの命を奪い、傷つけてきた貴方が…今さら私に助けを求めても、私にはなにもできません」
団長は扉に視線を向けたまま、瞬きを繰り返した。団長の意図に気がついたリラは、声を押し殺しながら「ごめんない」と呟いた。顔を伏せて泣き続けるリラを見た団長は、厳しい目つきで彼女を見ると、低い声で尋ねた。
「…お腹の子の父親は、オズボーン教皇ですか?」
彼の問いにリラは頷くと、「まもなく臨月です」と返した。リラの返事を聞いた団長はため息をつくと、視線で扉を見た。続けてリラの目を見ると、何度か瞬きをした。
「…それで、リラはどうして欲しいんですか?」
団長の指が紅茶のカップを指で弾いた。それを見たリラもまた、紅茶のカップを指で弾くと、そのまま指で机をトントンと叩いた。
「実は…私はもうすぐ出産を迎えます。そこでライラや団長達にも…この子を祝ってほしいと思いまして…」
そう言いながらリラは左手で腹部を撫で、右の人差し指は机をトントンと叩いていた。リラの指の動きが止まると、続けて団長も指で机をトントンと叩くと、リラを睨みつけた。
「調査団を勝手に辞めて、多くの命を奪い、その上で私達に祝福して欲しいと?リラもずいぶん偉くなりましたね」
団長の指がテンポを刻みながら机を叩く。団長の指の動きが止まった後、今度はリラがトントンと指で机を叩いた。
「もちろん…身勝手な願いだとはわかっています。それでも…私の子供だけでも救って欲しいのです」
リラの言葉を聞いた団長は一瞬だけ苦虫を噛んだ表情を浮かべたが、すぐにいつもの表情へと変わった。団長は視線を待機室の扉に向けると、リラに視線を戻した。
「…赤子に罪はない、異端審問官としての罪はリラが背負うというのですね」
団長の問いにリラは頷くと、紅茶のカップを指で弾いた。団長も続けて紅茶のカップを指で弾くと、「わかりました」と唸る様な声で応えた。
「…正直に言って、私たちの予定が立てられる保証はありません。ライラも私も依頼が多く、非常に多忙な身の上ですから」
団長の言葉を聞いたリラは小さく頷くと、「わかっています」と返した。団長は待機室の扉に視線を向けると、リラの目を見た。
「…ライラにも話しておきます…リラと赤子に祝福の光があらんことを…」
そう言うと団長は椅子から立ち上がり、リラに背を向けた。その背中に向かってリラは深々とお辞儀をしたが、団長は足を止めると肩越しにリラを見た。
「…これは臨月を迎えた貴方に言うべきではない事だと思いますが…これが最後の機会になるかもしれないので、お話しします」
団長はそう言うと、肩越しにリラの顔を見た。リラは団長の言葉に不思議そうな表情を浮かべたが、団長は戸惑う様に視線を落とし、やがて口を開いた。
「…おだやか村は既に壊滅しています。ライラが暴徒に襲われた時に、おだやか村にも暴徒が傾れ込み…村民は全員…」
リラの表情が凍りついた。
「…でも、ライラはおだやか村に今も帰っています…」
彼女は震える声で団長に尋ねた。彼女の問いに団長は目を伏せると、首を僅かに振った。
「墓参りですよ。村民が全員亡くなった以上、ライラはおだやか村の最後の生き残りとして墓守をしています」
団長はリラに説明したが、彼女は上の空の表情で団長を見ていた。リラの姿を見た団長は首を左右に振ると、小さな声で呟いた。
「さようなら」
直後、リラの絶叫が室内に響いた。リラは金切り声をあげ、自身の顔を両手で覆った。室内にリラの悲鳴が広がり、それを合図に待機室の扉が開き、侍女達が室内に入ってきた。
侍女達は団長とリラの会話を盗み聞きしていた。リラが脱走を企てていないか、団長がリラを連れ出さないかをチェックしていた侍女達は、リラの悲鳴に即座に反応した。
「なにをしたのですか⁉︎」
侍女が団長に尋ねるが、団長は何も言わずに扉から通路に出ると、エレベーターへと歩いて行った。彼の耳にはリラの絶叫が反響しており、団長は泣き出しそうな顔でエレベーターに乗った。
ゴンドラの中で壁にもたれかかった団長は、ワイワイタウンの街並みを見渡しながら、リラとのやり取りを思い出した。
「…まったく、やっかいな事を頼む団員ですね」
先ほどの会話時、団長とリラは音を使ったモールス信号で会話をしていた。それは調査団独自の改変した信号であり、仮に侍女達が一般的なモールス信号を知っていたとしても、会話の真意に気がつくことはなかった。
(赤子だけでも外に連れ出したい…ですか)
モールス信号で聞き取った内容を思い出した団長は、溜息をこぼした。団長の意図、多忙な身の上という言葉もリラは理解しているはずである。
依頼が多いということは、それだけ多くの団体や個人と繋がりがあるということである。団長がその気になれば、協力者を募る事もやぶさかではない。
エレベーターが下層階に到着した。
団長はゴンドラから降りると近くの椅子に座り、紅茶を飲んでいる牝のクチート、参謀のウルスラと合流した。リラとの面会を許可されたのは1人だけのため、ウルスラは近くに待機していたのだ。
「どうだった?」
ウルスラの問いに団長は息を吐くと、悲しそうな目で彼女を見た。
「リラはオズボーン教皇の子供を妊娠しており、近々出産予定だそうです。私達やライラにも祝福して欲しいと…」
団長は歩きながら指をトントンと叩くと、ウルスラにモールス信号でリラの願いを伝えた。近くを歩くレシラム教徒に気づかれない様にウルスラはモールス信号を読み解くと、呆れた様に溜息をこぼした。
「今頃になって私達に連絡してくるとは…リラは不器用なヤツだな」
ウルスラの呟きに団長は頷くと、遠くを眺めながら言った。
「できるものなら、リラの力になりたい…ですが、リラが怒りのあまりに異端審問官として多くの命を奪ったのも事実です」
「…友人で団員だからといって、リラだけ救うのはフェアじゃないと」
「えぇ…家族や友人をリラに奪われた人々は黙っていないでしょうね。リラが穏やかに生活していたとしても、復讐のために襲う輩も出てくるかもしれません」
ウルスラの返事に団長は首肯すると、立ち止まり天井を見上げた。
「リラに必要なのは己の誤ちと罪を見つめ、家族や友人に謝罪して回る事…しかし」
団長の言葉が止まり、ウルスラは怪訝そうな目を向けた。団長は閉口したまま天井を見つめると、悲しそうな表情を浮かべた。
今のリラが遺族から許されるはずがない。リラにできることはオズボーンの妾として保身に走るか、罪を抱え贖罪を行うか。
或いは、赤子を団長達に託して自身は死を選ぶのかもしれない。
団長は言葉の続きを飲み込むと、息を小さく吐いた。
「…どれが正解なのか、私にはわからないですね」
組織の長としての団長と個人としての団長の考えがぶつかり合い、団長は「やれやれです」と呟いた。
*
レシラム教教会の地下。
牡のバクフーンのカウフマン或いは将校は、事務方トップとしての立場を使い、レシラム教の資金の流れを追っていた。その結果、グレーテが複数人の職人に接触し、金と引き換えに何かの加工を依頼している事が判明した。
そして、カウフマンは職人達がレシラム教の教徒ということもあり、レシラム教幹部としての立場を使うと、全ての加工品の予備を入手する事に成功した。
カウフマンはマスケット銃に似たデザインの銃身を触ると、内部に彫られた旋条や銃口でなく後方からの装填機構など、事細かに観察していた。慣れた手付きでライフル銃を組み立てた。
カウフマンはライフル銃を構えると、恍惚とした表情で呟いた。
「これがライフル銃…素晴らしい発明だ」
残念ながら、実弾に使われる雷管に関してはグレーテが独自生産しており、そのノウハウを得る事ができなかった。しかし、火薬と薬莢、弾頭から構造を把握したカウフマンは、自身が炎タイプのバクフーンであることを利用し、雷管を自作した。もっとも、精確な材料を把握しているグレーテの制作した雷管に比べると、カウフマンが作成した雷管は自作レベルであり、安定性にかけていた。
カウフマンはそこに一工夫を加えた。
雷管の底面に薄い膜を張り、湿気や水気からの雷管の防護策とした。その代わりにライフル銃を使用する際には自身の炎による熱を僅かに加える事で膜を溶けさせ、雷管に着火できるようにした。
これは雷管と火薬に引火するリスクがあるため、あまり推奨できる機構ではない。しかし、雷管の材料を知らないカウフマンに取って、安全性と実用性を天秤に掛けた結果であった。
カウフマンは構えたライフル銃の銃口を壁際にあるグラスに向けると、炎による熱を銃身に加え、引き金を引いた。
直後、雷管が反応し銃弾が発射された。
銃弾は旋条の溝に沿って回転し、精確にグラスを撃ち抜いた。弾道の安定しないマスケット銃に比べて、精確に的を撃ち抜けるライフル銃の精度にカウフマンは驚きの表情を浮かべると、重心を見てにやりと笑った。
「これがグレーテの隠したかったものか…」
その表情はレシラム教幹部のカウフマンではなく、ディアルガ教幹部の将校の顔をしていた。
だが、将校は知らなかった。
炎タイプのポケモンは炎のスペシャリストであり、他の分野では素人同然であるということ。グレーテが腕の立つ金属加工の職人を探した理由が、その腕だけを求めていた訳ではないということ。
将校の作り出したライフル銃が、のちに命取りになる事を彼は知らなかった。
*
砂の大陸、ラムルタウンの近郊に建てられた医療テント群。敷地内を歩く牡のルカリオ、オズワルドは大量の包帯やガーゼ、医薬品などの入った箱を運搬しており、近くのテントの中にあるスタッフの詰め所に配達していた。
オズワルド達が砂の大陸に渡り、数ヶ月が経過した。
プクリンのヘンデルやギルド連盟の要請通り、砂の大陸におけるペストの治療法の伝達や医療拠点の設立などの仕事を完遂した甲斐もあり、ラムルタウンにおける負傷者や感染者の数は激減した。火葬場の火も消され、今では軽症の患者が通院する程度まで改善している。
「…うん、傷口も綺麗になっていますね。手元にある抗生剤を飲んだら、後は自然治癒で良いと思いますよ」
ガブリアスのゼーンに変幻したニコルは、牡のライボルトの脚の傷を見ながら言った。数ヶ月前には入院し治療の必要があったライボルトも、今では通院で済むレベルまで回復している。
ライボルトはゼーンにお辞儀すると、テントの外に出て行った。
その様子を見ていたオズワルドは自身の仕事が誰かの役に立っている事を実感し、自然と口角を緩めていた。医療テント群から歩き去るライボルトの背中を見送ると、オズワルドは新たな荷物を抱えて、別のテントへと運搬した。
オズワルドが荷物を運んだ先は、薬剤師達の使うテントだった。
その中には牝のマフォクシー、ヘレンの姿があり、彼女は牝のエースバーン、エリースと談笑していた。友人同士の2人は年相応の女性らしく、楽しそうに話している。テント内に広がる2人の笑い声を聞きながらオズワルドは荷物を置くと、静かにテントから出て行こうとした。
「オズワルド」
ヘレンがオズワルドの名前を呼んだ。ヘレンに呼び止められたオズワルドは不思議そうな目を彼女に向けると、手招きしているヘレンの傍に歩み寄った。
「あの…何か…」
恐る恐るといった雰囲気でオズワルドは尋ねるが、ヘレンは気さくな雰囲気のまま、オズワルドにカップを差し出した。
「たまには休憩も取りなさい」
カップの中は珈琲で満たされており、それを受け取ったオズワルドはゆっくりと飲んだ。その姿を見たヘレンとエリースもまた、手にしたカップを傾けると珈琲を口にした。
オズワルドの口内に苦い味が広がり、思わず眉根を寄せた。
ヘレンとエリースはそんなオズワルドの反応を見て、くすくすと笑い声を漏らした。
「意外と子供舌だな」
「可愛いですね」
ヘレンとエリースの指摘にオズワルドは恥ずかしそうに頬を掻くと、再度カップに口をつけた。オズワルドが苦味に顔を顰めるのを見たヘレンは、エリースに視線を向けた。
「今後、エリースはどう動く予定なんだ?」
ヘレンの問いにエリースは小首を傾げると、残りの患者数と医療スタッフの数を脳裏でカウントしながら返した。
「ペストも落ち着き、怪我人も減っているから…一部の医療班を残し、私達はそろそろ水の大陸へ撤収しようと思っています」
「私達もそろそろ草の大陸へ戻ろうと思うよ」
友人同士、時間を共有できたヘレンとエリースは抱擁を交わすと、ヘレンはニコルの元へと歩いて行った。その背中をオズワルドも追おうとしたが、ヘレンと入れ替わりでテント内に入ってきた牝のアローラライチュウ、ハルの姿を見て、足を止めた。
ハルはエリースの傍まで歩み寄ると、深々とお辞儀をした。
「おかげさまで、ラムルタウン近郊の医療インフラが十分整いました」
ハルの感謝の言葉を聞いたエリースは和かに微笑むと、ハルに向かって姿勢を正した。
「いえ…私達も風の大陸で行われていたペスト治療のノウハウを伝達したに過ぎません。功績のほとんどは、調査団とこちらのオズワルド様達のおかげです」
唐突にエリースに名前を呼ばれたオズワルドは、慌てて姿勢を正すと、エリースとハルの顔を見て「そんな事ありません」と返した。
「私は荷物持ちや雑務のみ担っています。ゼーンとヘレンが居ないと、今回のノウハウの伝達できなかったです」
謙遜な態度を示すオズワルドに対して、ハルは首を左右に振ると、オズワルドの手を握りながら応えた。
「大義を成すためにも、支える者の存在が必要不可欠です。私の姉様も…ゼクロム教とレシラム教の仲裁という大義を成すために、私達を支えてくれています」
ハルの言葉を聞いたエリースは微笑むと、穏やかな口調で話した。
「…巫女様の事ですね。私も聞いた話ですが、巫女様は御懐妊されて、今は7ヶ月目を迎えたそうです」
エリースの話を聞いたハルは小さく頷くと、オズワルドの手を離した。そしてエリースに向かって姿勢を正すと、目を伏せながら口を開いた。
「先の暴動では多くの命が失われた…姉様とオズボーン様の子が我らの橋渡しとなり、ペストの治療法と共に皆の希望になれば良いと思います」
「…えぇ、それが叶えば至極平和な世界が訪れますね」
祈るように指を組んだハルの言葉を聞き、エリースはニコリと微笑み返した。2人の会話を聞いていたオズワルドは、徐々に世界に平和が訪れつつある事を実感し、嬉しく思っていた。
「…私達の仕事に意義があった、ということですね」
オズワルドは嬉しそうな表情で呟いた。その言葉を聞いたエリースはニコリと笑い、巫女の事を考えたハルは難しい表情を浮かべた。
「…姉様も、心から愛した御人と結ばれて欲しかったです」
レシラム教幹部を前にして、ハルはポツリと呟いてしまった。直後、ハルは自身の失態に気づき、慌ててエリースの顔を見た。
しかし、エリースはニコニコとした表情のまま、ハルを見た。
「その意見には私も同意ですね。やはり、好きな人と結ばれるのが幸せと言えるのでしょう…ですが、世の中には人の幸せのために己を犠牲にする必要があるという事も存在します」
エリースの指摘にハルは落ち込んだように目を伏せると、「はい」と応えた。ハルの至らない点をエリースは指摘し、それにハルは素直に反応した。
エリースはそんなハルを見ると、笑顔で話を続けた。
「もっとも…巫女様も御自身が腹を痛めて産んだ子を愛おしく思うでしょうし…大切に育ててくれるでしょう」
落ち込むハルを見たエリースは助け舟を出すと、優しく諭すように言った。そんなエリースの気遣いにハルは目を潤すと、震える声で「ありがとうございます」と返した。
「…我々の友情が長く続く事を願うばかりです」
震える声でハルは言うと、エリースは「違いありません」と応えた。
彼女らの会話を聞いていたオズワルドは、言葉の裏で行われるやり取りを理解し、困り顔を浮かべた。
*
草の大陸、トレジャータウン。
街の一角のテントに布地屋を構えた牡のジュプトル、カフカはザムザという偽名を使い、今日も商売と布地作成に励んでいた。布地屋ザムザという名は街中に広まっており、プクリンのギルド以外にも旅の探検隊やギルド連盟からも需要があり、カフカは非常に忙しい毎日を送っていた。
彼の傍には、元時の守護者であるヨノワールのフランツとヤミラミ達の姿があり、カフカの店を手伝っている。時々、時の守護者がフランツの元を訪れたが、その都度カフカを隠し、フランツは嘘の報告をしていた。
将校の側近にして幹部であるフランツの報告を、末端の時の守護者達は信じ切っていた。中には疑問を抱き、フランツに尋ねようとする守護者もいたが、フランツは言葉巧みにこれを避けていた。
もっとも、不審に思った末端の守護者が将校に報告したところで、将校はライフル銃作成とオズボーンの子を誘拐する計画で忙しく、将校の目に止まることはなかった。
他にもフランツに対して強固に尋ねようとする守護者もいたが、そういった者は物陰に潜んでいたカフカとヤミラミ達に捕縛され、息の根を止められた。その死体は近隣のダンジョンで処分され、守護者の存在した形跡も残らなかった。
新たな守護者の死体を処分したカフカは、ヤミラミ達と共に店に戻ると、住民であるペルシアンを相手に商売していた。カフカの切り替えの速さにフランツとヤミラミ達は不気味そうな目を向けるが、カフカは意に介さずにペルシアンと話すと、手元の布地について説明した。
「赤ちゃんの産着に使うなら、こちらがおすすめです。汚れに強くて、何より肌触りが良いですよ」
カフカの説明を聞いたペルシアンは納得したように頷くと、やがて一枚の布地を選び、代金を支払った。ペルシアンは布地の入った袋を背負うと、通りへと歩いていき、カフカはその背中に向かってお辞儀をした。
守護者の命を奪った直後に平然と商談に勤しむカフカの姿は、不気味に思えた。
フランツとヤミラミ達は彼の振る舞いを凝視するが、カフカは気にせずに布地を片付けると、フランツ達に木の実ジュースの入ったカップを差し出した。
「フランツ達もおつかれさま、少し休んでくれ」
カフカの言葉を聞いたフランツは引き攣った顔で「ありがとう」と言い、カップを受け取った。酸味の効いた木の実ジュースが口内を満たし、フランツの胸中を占める不気味な感情を洗い流した。
青空を見上げたフランツは、少し前に処分した時の守護者の顔を思い出した。未来の世界、ガルム鉱山にて働いていた守護者は欲望に忠実で、囚人の命や財産を奪う事を楽しんでいた。外道の一言で表せる守護者であったが、カフカとヤミラミ達の手により呆気なく命を終えた。
日頃の行いを考えると、同情の余地があるとは言えない。とは言え、知った顔が死ぬ姿を見るのは、あまり気持ちの良いものではない。
フランツは木の実ジュースを飲み干すと、カップをテーブルの上に置いた。
「…ところで、今後の予定はどうなっているだ?」
フランツの問いにカフカは考え込むと、カップを空にした。そしてフランツの顔を見ると、彼の目を見ながら口を開いた。
「トレジャータウンにもだいぶ打ち解けられたから…できたら商人として過ごしたいな」
カフカは笑いながら言うが、彼の目は笑っていなかった。その姿を見たフランツは閉口すると、カフカの言葉の続きを待った。
カフカは空を見上げると、言葉を続けた。
「…時の守護者達が少しずつ増えている…早いうちに将校やヴィレムを止める必要があるが…先にグレーゴルと合流しないといけないな」
そう呟いたカフカは視線をフランツに戻すと、声を低くして尋ねた。
「…フランツはグレーゴルの居場所を知っているか?」
カフカの問いにフランツは目を伏せると、静かに応えた。
「いや、私たちもグレーゴルの居場所を探していたが…情報が少なすぎるから、見つかっていない…」
フランツの返事を聞いたカフカは「そうか」と呟くと、目を伏せた。グレーゴルという名前の牡のリオル、或いは牡のルカリオ、それだけの情報でグレーゴルの所在を明らかにするのは、かなり困難な事である。
友人の所在がわからない事を案じるカフカは、伏せていた目でフランツを見た。
「…他に、なにか情報はないのか?」
カフカの問いにフランツは考え込むと、やがて口を開いた。
「そう言えば…将校が金属加工に長けた職人と腕の良い産婆を探している、という電信が少し前に届いたな…」
「…職人と産婆?」
一見すると関係のない言葉を復唱すると、カフカは首を傾げた。その姿を見たフランツは頷くと、彼もまた不思議そうな目でカフカを見た。
「私も詳しくは知らないが…将校が探しているとなると…碌でもない事が起きるかもしれないな…」
フランツの呟きを聞いたカフカは硬い表情で頷くと、視線をカバンに向けた。その中にはキザキの森から回収した時の歯車が保管されており、眠りについている。
それを意識したカフカは青空を仰ぐと、小さな声で呟いた。
「どこにいるんだ…グレーゴル…」