水の大陸、ワイワイタウンにあるレシラム教教会。
礼拝室内には多くの負傷者が運び込まれ、室内は生臭さと熱気で溢れている。多くの信者や医療関係者達が負傷者を救おうと翻弄しているが、やがて動きを止め、司祭達に祈りの言葉をかけるように依頼している。
礼拝室の一角、重症を負ったルドルフを救おうとエリースとレオンが懸命に手を動かしていた。
「…上腕の傷口を抑えてください」
「はいっ‼︎」
軍の衛生兵としての経歴を有するレオンの指示にエリースは素直に従うと、アルコールで消毒したガーゼを傷口に押し当て、出血を抑えようとしていた。その間にレオンは別の大きな傷口に手をつけると、血管を縫合し出血を止めようとしていた。
「…死なないでくださいよ」
意識がなく、少しずつ息が弱くなっていくルドルフを見て、エリースは小さな声で呟いた。親衛隊指揮官、騎士団団長、そして円卓の一員としても頼りになるルドルフの存在は、非常に大切なものである。エリースの震える手がルドルフの傷口を抑えており、彼女の大きな瞳にも涙が溢れていた。
その間にレオンは次々と傷口を処置すると、新たにモルヒネの注射器を取り出し、ルドルフの太い腕に針を刺した。その頃になり、手の空いた医師がレオン達の下に駆け付け、ルドルフの状態を観察した。
「…右眼はダメだな、完全に潰れている」
医師は溜息混じりに呟くと、出血源である潰れた眼球が腐る前に摘出すべく、追加で麻酔を注射した。意識がないとはいえ、ルドルフが痛みで覚醒する可能性があるため、事前に対策していた。
ルドルフの口から呻き声が漏れた。
それを見た医師はレオンに「暴れないように抑えてくれ」と指示すると、ルドルフの右目から潰れた眼球を取り出すべく、処置を施そうとした。
「ゔっ…」
僅かにルドルフの声が漏れて、それを耳にした医師は不安そうな目でレオンと顔を見合わせた。ルドルフは屈強な肉体を持っている。そのような者が痛みと熱で暴れたら、レオンと医師の力では抑え切れるはずがない。かと言って、これ以上のモルヒネや麻酔の投与は命に関わるため、彼らはどう対処すべきか考えていた。
ルドルフの傍に屈み込む人影がある。
レオンと医師、エリースが目を向けると、そこには侍女に支えられた巫女の姿があった。前日に出産を終えたばかりで、まだ体力も回復していない筈の巫女は、赤子を産婆のカヌレに託し、自身は礼拝室内で処置を受けている人々の所に脚を運ぶと、鼓舞の言葉を贈っていた。
侍女に支えられた巫女はルドルフの傍に跪くと、息も切れ切れになりながら彼の手を握った。
「死ぬんじゃない…‼︎アンタは皆を守る騎士だろう‼︎オズボーンの分まで、皆を守ってやれよ‼︎」
乱暴な口調であるが、巫女は激励の言葉をルドルフに贈った。主君の妻が跪き、騎士である自身に向かって言葉を贈る。通常の高貴な華族なら有り得ない事であるが、巫女はストリートチルドレンであった事もあり、そのような高飛車な事を嫌っていた。
教皇の妻である巫女が、一騎士に対して跪き、声をかける。
その姿を見たレオンや医師は驚いた顔を浮かべたが、巫女と面識のあるエリースは納得したような顔で彼女とルドルフを見ていた。巫女の声を聞いたルドルフの表情が微かに緩み、それを見た医師は巫女の顔を見て声をかける。
「…このまま、ルドルフ様の緊張を落としてください」
医師の要請に巫女は頷くと、ルドルフの手を握り、彼に向かって声をかけ続けた。その間にレオンは反対の手を押さえて、医師が素早く手術器具を扱い、ルドルフの右目に差し込んだ。
「がぁっ!!」
礼拝室内にルドルフの悲鳴が響き、ルドルフは思わず腕を振り回しそうになった。だが、片方の腕はレオンが全力で抑えており、動けずにいた。
次の瞬間、ルドルフの反対の腕が大きく振られて、巫女の顔面に直撃した。
鈍い音と共に巫女は鼻血を流し、大きくのけ反った。それを見たエリースとレオン、医師は顔を青くさせる。オズボーンが死亡したとは言え、巫女は教皇の妻である事は変わらない。そのような者の顔面を、騎士が殴る事など絶対に有り得ない事であった。
「…あ」
あまりの光景にエリースは言葉を失い、小さな声を絞り出した。レオンと医師もルドルフの腕を抑えきれなかった事に対する責任感と罪悪感を覚え、顔を凍らせた。
だが、巫女は目の周りに青あざを作りながらも、姿勢を戻すとルドルフの筋肉質な腕を両手で掴み、自身の胸で抱きしめた。
「大丈夫、大丈夫だ…」
巫女はそう話しながらルドルフの腕を抱きしめ、自身の胸で包んだ。鼻血を流し、自身の顔に青あざを作りながらも巫女はルドルフを守り、慈愛に満ちた声をかけ続けた。やがて、ルドルフの腕から力が抜けて、そのままルドルフは巫女の乳房を鷲掴みにした。
「…」
眼前の光景に普段はクールなレオンも狼狽し、エリースと共にどのように対処すべきか判断できずにいた。だが、巫女はルドルフの手を優しく掴むと、そのまま身を屈めて、ルドルフの耳元で囁いた。
「無事に生き残ったら、お前の願いを聞いても良いよ。金でも地位でも良い。だから、今は大人しく治療を受けてくれ…」
甘い巫女の声にルドルフは微かに左目を開けると、巫女の顔を見上げた。右目は失われ、ルドルフの左目の視界には医師が取り出した彼の右の眼球が映り込んだ。
それを見たルドルフは小さく息を吐くと、左目で巫女を見つめ、筋肉質な手で彼女の顎を撫で、力強い声で言った。
「俺の子を産んでくれ」
死の淵にある重症とは言え、騎士団団長にして親衛隊指揮官であるルドルフの口から、そのような言葉が飛び出てくるとは。死にかけのルドルフの本能が子孫を残そうとして、そのような言葉を選んだのだ。
ルドルフの性格を知っているエリースは驚きのあまり、顔を強張らせたまま赤面し、レオンも言葉を失った。だが、巫女はルドルフの筋肉質な胸板に身体を預けると、彼の耳元で囁いた。
「良いぞ」
その一言を聞いた瞬間、ルドルフはにやりと笑い、そのまま意識を失った。だが、呼吸は保たれており、なにより苦痛に呻いていた表情が消えて、穏やかなものになっていた。
「…処置が終わりました」
ルドルフの右目に包帯を巻いた医師の言葉を聞き、巫女は安堵の溜息をこぼすと、侍女から清潔なハンカチと氷嚢を受け取り、鼻血を拭き青あざに当てた。普通の華族なら有り得ない言動にエリース達は目を丸くさせるが、巫女は軽やかに笑うとルドルフの頬を撫でた。
「俺は強い牡が好きなんだよ、なにより身体を鍛えている、強く汗で牡臭い奴がな」
暴力的かつサディスティクなオズボーンとは違い、騎士団団長にして親衛隊指揮官を務めるルドルフの手腕は、間違いなくトップクラスである。巫女はその事を知っており、眠っているルドルフの顔を舐めると、彼の体臭を深く吸った。巫女の鼻腔に汗と蒸れた牡の臭いが広がり、巫女は獲物を見るような目でルドルフを見下ろすと、侍女の手を借りながら立ち上がった。平時なら侍女達が苦言を呈する場面であるが、オズボーンが死亡し、暴動が起きている現状では、侍女達にもそのような余裕がなかった。
酒と金と異性と権力に溺れるオズボーン、対するルドルフは厳しい鍛錬による強靭な肉体と数々の武功をあげた騎士。
巫女の心がどちらに靡くかは、明白である。
同性としてエリースは感嘆の溜息を溢すと、ルドルフの額に濡れたタオルを置き、熱発対策を施し、別の負傷者の下へと移動した。レオンと医師は大事にならずに済み、安堵の溜息を溢すと、続けて別の負傷者を治療すべく、ルドルフの側から移動した。
ルドルフの傍には巫女のみが残り、巫女は愛おしそうな眼差しでルドルフの顔を撫でた。
*
×××が⚪︎⚪︎⚪︎という女性研究員と同じチームになり、数ヶ月が経過した。それまでの×××は血色の悪い顔はしていたが、表情自体は穏やかなものであった。しかし、⚪︎⚪︎⚪︎と同じチームになり、明らかに不機嫌な雰囲気を纏っている。
私の波導も×××の感情を的確に捉えており、彼女の纏う負の感情が私の心に重くのしかかる。
今日も思い通りにならなかった×××は自室に閉じ籠ると、机上に置かれた雑貨を叩き落としていた。
室内に大きな物音が響き、私の体毛が逆立つ。それでも×××の機嫌は回復せず、ファイルや本を投げ捨てると、大声で泣いていた。恋慕と憎悪の入り混じった感情を吐露すると、×××は寝台にうつ伏せになり、子供のように泣いていた。
その姿を見た私は、×××の波導と口に出す言葉から、何が起きたかを理解できた。
「ねぇ、オズ」
×××が私の名前を呼んだ。元は『サンプル02号』と呼ばれていた私だが、02をOZと言い換えて、×××に名付けられた。私はオズという名前を気に入っており、×××に名前を呼ばれた私は静かに彼女を見た。
「私…⚪︎⚪︎⚪︎の事が好きなの」
泣きながら呻き声をあげる×××の顔は、血色の悪さもあり、まるで虫のように醜いものであった。崩れた化粧が×××の醜さをより掻き立てており、それを見た私は思わず顔を背けてしまった。
「⚪︎⚪︎⚪︎と私は、同じ孤児院で育ったのに…昔から姉妹みたいな関係だったのに…」
×××は呻き声をあげながら泣き続けた。寝台に踞る姿は、まるで芋虫のようだった。
「孤児院から出る時、⚪︎⚪︎⚪︎に想いを伝えたのに…断られたの」
×××は鼻水と涙でグチャグチャになった顔をシーツに沈めながら泣いている。その姿を見た私は醜さと愛おしさを覚えて、×××の背中を撫でた。
⚪︎⚪︎⚪︎が×××を拒絶した理由は明らかだ。
「⚪︎⚪︎⚪︎が来てから…ドンドン研究が進んでいる…他の研究員達も私より⚪︎⚪︎⚪︎を見ている‼︎」
⚪︎⚪︎⚪︎の目にはリオル達を使った新薬の研究しか映っておらず、×××に目を向ける余裕などなかったからだ。加えて、×××は嫉妬深い性格をしており、自身を拒絶した⚪︎⚪︎⚪︎が研究で結果を出している事に、酷く嫉妬していた。研究室で助手として働く私は、2人の関係性を理解し、どのようにすべきか迷っていた。
主人である×××を応援したい気持ちがある一方、拒絶された以上は無理強いは良くない。それこそ、拒否の意思を示したのに、無理やり実験体として使われるようなものである。
⚪︎⚪︎⚪︎は×××を拒絶した。
ならば、そこで×××は身を引き、新たな恋に目を向ければ良い。研究結果も素直に受け止めて、次の課題に活かすべきである。だが、今の×××は芋虫のように踞り、恨み節を漏らしながら泣き喚いている。
その姿は、醜いものである。
×××の波導に耐え切れなくなった私は、部屋を後にすると通路の奥へと移動した。そこは研究員達の自室になっており、通路の一番奥にはテラスがあった。
私はテラスに出ると夜風に当たり、夜空に浮かぶ三日月を見上げた。優しい月明かりが私を照らし、冷たい夜風が夏の終わりの暑い空気を冷やしていく。心地良い感覚が肌を走り、私は目を細めた。
テラスの端に人影が見えた。
人影、いや⚪︎⚪︎⚪︎は火のついたタバコを咥えており、空を見上げていた。テラスに甘いタバコの匂いが広がり、私の鼻先をくすぐった。
私の視線に気がついた⚪︎⚪︎⚪︎は咥えていたタバコを携帯灰皿に押し当てると、私の隣に歩み寄ってきた。
「すまないね、少し頭を冷やしていたんだよ」
⚪︎⚪︎⚪︎は笑いながら言うと、私の頭を撫でた。柔らかい肌が私の頭に触れて、擽ったい感触に私の耳が揺れた。⚪︎⚪︎⚪︎は携帯灰皿をポケットに入れると、月を見上げながら言葉を続けた。
「君は確か…×××の連れているルカリオ…だったな」
私は頷いた。
⚪︎⚪︎⚪︎は横目で私を見下ろすと、少し疲れた目で笑った。
「…思うような結果が出なくてね…それに×××の目が、ね…」
周りの研究員からのプレッシャーと×××からの想い、それらに囲まれた⚪︎⚪︎⚪︎の顔色は悪く、月明かりのためか、白く染まって見えた。×××と同じく顔色が悪いが、醜く泣き喚く事もなく、涼しげな表情で夜風に当たる姿は、贔屓目に見ても絵になるものであった。
ぼんやりと⚪︎⚪︎⚪︎の横顔を見ていた私は、視線を三日月へと向けた。
美しい月明かりがテラスに降り注ぐ。
それを全身で浴びていた⚪︎⚪︎⚪︎は溜息を溢すと、小さな声でまた話し出す。
「本音を言えば…×××とは同じ研究員として協力して働きたい…良き同僚でいたいと思う…彼女の愛には応えられないよ」
⚪︎⚪︎⚪︎は小さな声で話すと、視線を三日月へ向けた。
「…今の×××は嫉妬と愛に苦しむ、醜い姿になっている…あの月のように綺麗な心になってくれたら、ね…」
そう話した⚪︎⚪︎⚪︎は照れ臭そうに頬を掻くと、「今のは秘密にしてくれ」と私に言った。私は小さく頷くと、視線を⚪︎⚪︎⚪︎へ向けた。
⚪︎⚪︎⚪︎は息を吐き出すと、疲れた目で私を見た。
「…願わくば、×××が互いに支え合う人を見つけられる事を祈るよ」
そう呟いた⚪︎⚪︎⚪︎の顔は、妹を案ずる姉のようであった。儚げな雰囲気で話す⚪︎⚪︎⚪︎を見上げた私は、彼女の意見に賛同の意を抱いた。
×××が救われてほしい。
檻の中から救い出された私にできる、数少ない恩返しでもあった。
*
砂の大陸、ラムルタウン。
ワイワイタウンで発生したオズボーン暗殺の速報はラムルタウンにあるレシラム教の医療テント群にも届き、テント内にいるスタッフ達に動揺を引き起こしていた。
ここはペストなどの感染症対策拠点としても機能しており、レシラム教徒以外にもゼクロム教徒のスタッフの姿もある。
テント内ではレシラム教徒のスタッフ達は不安そうな顔でゼクロム教徒のスタッフ達を見ており、彼らはどのように行動すべきか迷っていた。
オズワルドやニコル達が砂の大陸に医療拠点群を設けてから数ヶ月が経過していた。
その間、スタッフ達は宗教の垣根を超えて働いており、互いの信仰の違いや文化の違いを尊重できるようになっていた。なにより、彼らは医療従事者であり、仕事に自らの宗教観を持ち込まず、目の前の患者の治療に当たっていた。
だが、レシラム教トップの暗殺の知らせはレシラム教徒達に動揺をもたらし、テント内に緊張が走る。ベッドに横になる患者の顔にも不安の色が浮かび、ベッドから動けない者は泣き出しそうな顔をした。
互いの顔を見合わせたスタッフ達は、閉口し時間のみが経過していく。
緊張の空気を壊したのは、震える少女の声であった。
「み、みなさん‼︎」
テントの入り口には牝のアローラライチュウ、ハルが立っていた。ゼクロム教の新人大司祭の声を聞き、スタッフ達の目が向けられた。彼らの視線を受けたハルは身体を小さく震わせるが、それでも懸命に言葉を搾り出し、彼らに向かって声を発した。
「わ、私達は共に協力し、感染症や暴動に打ち勝ちました‼︎その我々が、今になり牙を剥きあっても、意味がありません‼︎」
少女と言える年齢のハルが涙目になり、年上のスタッフ達に訴えている。その姿を見たスタッフ達は緊張した表情のまま、溜息をつくとそれぞれの仕事に戻っていった。
「…そうですね、ハル様のおっしゃる通りです」
看護師のエーフィはそう呟くと、ハルに向かってウインクした。他のスタッフ達もその場を離れると、いつも通りの仕事に励んでいった。
テント内の光景を見たハルは、異教徒同士でありながら、手を取り合える姿を見て、非常に嬉しくなった。
元々、砂の大陸はゼクロム教徒が大多数を占めていた。また派遣されたレシラム教徒達も医療従事者ばかりであり、ゼクロム教徒や他教徒の処置に当たっていた。そのため、ここ数ヶ月でゼクロム教徒達も敵意を抱くことがなくなり、またレシラム教の影響力が少ない場所であることが重なり、暴動が起きることはなかった。
なにより、本来なら不安定化工作の活動のためにディアルガ教のKが事前に派遣される予定だったが、当の本人は記憶喪失となり、オズワルドとして医療活動を助けていた。事前工作が行われず、遠隔の大陸かつレシラム教の医療活動、それらの要因により、砂の大陸の情勢は落ち着いていた。
ハルは安堵の溜息を溢すと、肩の力を抜き、近くの椅子に座り込んだ。エーフィの看護師は彼女の肩にブランケットをかけると、近くのベッドに横になる患者の下へと移動した。
テントの入り口から牡のレントラー、助司祭のランプが姿を現した。彼はテント内の椅子に座るハルを見つけると、急足で駆け寄り、耳元で囁いた。
「ワイワイタウンの調査団団長殿より電信です。また、ラムルタウンの郊外に正体不明の武装集団が現れ、近くの村を襲っています」
ランプの報告を聞いたハルは涙目のまま、彼の顔を見ると、震える声で尋ねる。
「…村人達は避難できましたか?」
ハルの問いにランプは頷いて応えると、落ち着いた口調で話す。
「かなりの村人が犠牲になりましたが、大多数は教団の自警団が守り、村から退避しています。それと…」
ランプは続けて話すと、手にした鉄製の筒をハルに見せる。それはゼクロム教自警団が時の守護者を殺害し回収したマスケット銃であり、ハルの大きな目は初めて見るそれにより、不思議そうに丸くなった。
そんなハルの顔を見たランプは声を潜めて話す。
「小型の大砲のような物です。先端から火薬と鉄球を詰めて、火をつけて放つ物です」
ランプの説明を聞いたハルは声を震わすと、怯えるような目で彼の顔を見る。
「…なんですか、この武器は…」
ハルの呟きを聞いたランプは首を振ると、静かな声で話す。
「水の大陸からの電信によると、ワイワイタウンでも武装集団により、この武器が使われたそうです。幸いにも調査団団長の報告により、この武器に対する攻略法が判明しています」
「攻略法?」
不思議そうな声でハルは尋ねた。ランプは微かに首を動かした。
同時刻、ラムルタウン近郊にある村。
村のあちこちから火と煙が上がり、村の通りにはいくつもの死体が転がっている。死体には斬り傷や刺し傷の他にも、マスケット銃の弾丸による破壊痕もある。そこから溢れる血に蝿が集り、辺りに死臭と血の臭いが広がる。
死体の近くにはマスケット銃と槍で武装した時の守護者達の姿があり、彼らは発砲したマスケット銃に次弾を装填しようとしていた。
「…くそッ‼︎」
時の守護者であるユンゲラーはマスケット銃の先端から黒色火薬と弾丸を詰め、長い棒で銃身へと詰め込んでいた。だが、金属加工の技術が未発達な環境で製造したマスケット銃の銃身内は微かに歪んでおり、棒が引っかかり、思うように装填できずにいた。
加えて、ユンゲラー達は村民達に向かって一斉に弾を放ち、反撃する手段を無くしていた。
そこにゼクロム教自警団が襲い掛かる。
自警団の一員であるカブトプスは時の守護者達に接近すると、両手の鎌を振り回した。カブトプスの姿を見たユンゲラーは装填したマスケット銃を構えると、引き金を引いた。だが、酷使されたマスケット銃は銃身内部が歪んでおり、ユンゲラーが引き金を引いた瞬間、銃身が暴発した。眼前で爆発し、破片の直撃を受けたユンゲラーの顔は破壊され、そこにカブトプスの鎌が襲いかかった。
別の時の守護者がカブトプスに向かってマスケット銃を構えた。
守護者が引き金を引こうとした瞬間、村の通りの端から疾走してきたサンダースが襲いかかった。守護者はサンダースの存在に気づき、そちらにマスケット銃の銃口を向けて、引き金を引いた。だが、弾丸は不安定な軌跡を描き、サンダースに命中する事はなかった。
サンダースの放つ電撃が守護者を襲う。
ワイワイタウンの調査団団長から各地に送られた電信により、マスケット銃の弱点は広がっていった。
装填の遅さ、命中精度の低さ、狭い空間では取り回しが効かない。それに加えて、街中など対象の動線が限られた屋外ならば実力を発揮できるマスケット銃であるが、逆に草原や砂漠など広すぎる空間では、マスケット銃を放ち装填する間に接近を許してしまった。
兵士として訓練を受けていない時の守護者達は、ただの狂信的な暴徒に過ぎなかった。
戦術を考えずに闇雲に発砲し村民を襲っていた時の守護者達はゼクロム教自警団の反撃を受け、次々と命を刈り取られていった。
ゼクロム教自警団の団長である牡のラグラージは弾切れになったマスケット銃を構える時の守護者を殴り飛ばすと、後続の団員達に向かって張りのある声を放った。
「暴徒は鎮圧した‼︎負傷者を収容し、周辺警護に当たれ‼︎」
ラグラージの指示に従い、自警団の団員達は四方八方から時の守護者達に襲い掛かり、制圧しようとした。一部の団員は負傷者達をラムルタウンの方角へと誘導し、護衛していた。
暴徒を鎮圧し、負傷者を救出できた。
一見すると自警団の勝利に見え、ラグラージや他の団員達も安堵の溜息をこぼした。
上空を飛行する影が見えた。
影、いや時の守護者の一員である牡のピジョットは、眼下に広がる同士の守護者達や自警団の姿を視認すると、足先で掴んでいた物体を彼らに向かって投下した。重力に従い物体は自然落下すると、それは時の守護者達の近くで破裂し、中を満たしていた液体を散布した。液体は気化すると、黄緑色の気体を発生させた。
「…なんだ?」
液体を視認した自警団のカブトプスは、鼻をつく刺激臭に気がついた。独特の臭いのそれは、カブトプスやラグラージにとっては初めての物であるが、本能で危険な物であることを理解した。
それは一瞬の出来事であった。
液体の近くにいた時の守護者達は黄緑色の気体にら包まれ、次々と嘔吐しだし、涙や鼻水を垂らしていた。中には呼吸困難になる者もおり、大地を転がり、呼吸できずに生き絶えていった。その光景を見たラグラージとカブトプスは液体が至極危険な物であることを即座に理解し、周りにいる団員や負傷者に向かって声を張り上げた。
「逃げろ‼︎」
液体、いやグレーテが生成した塩素と水を使った毒ガス兵器は無差別に牙を剥くと、仲間である時の守護者達を巻き込みながら辺りに広がった。黄緑色の気体が有毒であることを理解したラグラージ達は団員や負傷者達と共に風上に退避し、空を飛べる団員がピジョットに向かって反撃した。ピジョットは団員達の追撃を避けようと急旋回するが、足から吊り下げた塩素の瓶が動きを邪魔している。
やがて、団員達の攻撃を受けたピジョットは右の羽を傷つけられ、地面に向かって落下した。勢いよく大地にぶつかったピジョットの頸椎は破壊され、吊り下げていた塩素の瓶が破裂した。
新たに発生した塩素ガスは風下にいた時の守護者達を飲み込み、辺りに悲鳴が広がっていく。風向きにより敵にも味方にも牙を剥く悪魔の兵器が、初めて投入された瞬間であった。その光景を目の当たりにしたラグラージ達は顔を強張らせると、視線をラムルタウンの方角に向けた。
ラムルタウンの方角の空には、瓶を抱えた複数の飛行ポケモン達の影があった。
「…‼︎」
彼らの目的を見抜いたラグラージは最も脚の速い団員を呼び寄せた。
もっとも、飛行するポケモンの動きに追いつける団員は限られていた。
*
⚪︎⚪︎⚪︎が研究に参加し、更に数ヶ月が経過した。
×××が研究チームに加入した時点での目的である新薬の開発は劇的に進み、間もなく臨床試験に入る段階にまで至った。そのため、周りの研究員や管理職の者達は⚪︎⚪︎⚪︎を頼り、丁重に扱っていた。⚪︎⚪︎⚪︎は恥ずかしそうに笑っているが、仕事で頼られる事に嬉しそうな顔をしていた。
そのような⚪︎⚪︎⚪︎を見ていた私の横で、×××は嫉妬と劣等感と憎悪に満ちた目で⚪︎⚪︎⚪︎を見ている。私の波導は×××の醜い感情を的確に捉えており、人でありながら醜い態度をみせる×××に対して、嫌気も覚えつつあった。
確かに、×××は私を檻から出してくれて、オズと言う名前を与えてくれた。だからこそ、私はその恩に応えようと研究を手助けし、力仕事にも従事した。
時に、私自身の手を汚す仕事にも従った。
だが、ここ数ヶ月の×××の態度は目に余るものであり、私の波導も×××の感情を捉え、私にストレスを与えてくる。
そのような者に対して、私はいつまで従うべきなのか。
×××に聞かれぬように溜息をつくと、私は×××の散らかしたデスクの上を片付けた。私の動きに気がついた×××は憎悪に満ちた目を私に向けると、手にしたリンゴの絵柄のマグカップを投げつけてきた。
中身は空であったが、空を舞うリンゴの絵柄のマグカップは私の頭に当たり、破片が床に飛び散った。
鋼タイプを有する私にとって、人間の投げたマグカップが当たる事など、蚊に刺された程度のものであった。だが、身体的なダメージは軽微でも、私の心にはストレスとなる。
私は溜息を吐き出すと、床に散らばったマグカップの破片を片付けるために、床に膝をついた。
「×××‼︎」
研究室内に⚪︎⚪︎⚪︎の声が響いた。
普段は穏やかな⚪︎⚪︎⚪︎であったが、今の彼女の顔には怒りの色が浮かんでいる。⚪︎⚪︎⚪︎は威風堂々と研究室内を歩くと、恐怖で竦んでいる×××の頬を平手打ちした。
室内に湿った音が微かに響く。
その音と⚪︎⚪︎⚪︎の声色に驚いた私の動きは止まり、×××も自身の頬に手を当てながら⚪︎⚪︎⚪︎を見返した。⚪︎⚪︎⚪︎は怒りの表情で×××を凝視すると、静かな声で話した。
「なぜオズに八つ当たりする?研究員としての能力不足は×××の責任であり、オズは無関係だ」
⚪︎⚪︎⚪︎は強い口調で話すと、「オズに謝りなさい」と続けて言った。だが、×××は怒りと嫉妬に満ちた目で私と⚪︎⚪︎⚪︎を睨むと、泣きながら研究室から走り去った。
その後ろ姿を見た⚪︎⚪︎⚪︎は溜息をこぼすと、私に目を向けた。
「…×××の無礼な態度を赦してくれ、とは言わない。だけど…見捨てない事だけは約束してくれないか?」
「私とオズは×××の味方だな」と続けて言うと、⚪︎⚪︎⚪︎は乾いた笑みをこぼした。彼女の顔もまた、疲れが滲み出ていた。⚪︎⚪︎⚪︎の顔は、醜い存在となった×××を見捨てることができずに、いまだに助け舟を出そうとしている事に由来するものであった。
私は⚪︎⚪︎⚪︎の言葉に頷くと、彼女に代わり、×××をケアすべく、彼女の後を追った。
今の私にできることは、醜い存在となった×××の態度を改めさせ、心の休息を取らせる事である。
私は駆け足で×××の後を追う。
日頃から運動不足の×××と私の脚ではすぐに差が埋まり、私は×××のいる第二研究室へと入っていった。第二研究室内には他の研究員達の姿はなく、×××のみが居る。×××はデスクに置かれたパソコンを操作しており、私はその背中に歩み寄った。
私の視界にパソコンの画面が映り込む。
そこには⚪︎⚪︎⚪︎が主導している新薬のデータが表示されており、×××はバックスペースキーとテンキー、そしてマウスを操り、醜い笑みを浮かべていた。
その姿は、醜い蟲のようである。