未来へ

  ……今日は、千秋さんが久しぶりに出張から帰って来るから、一杯甘やかしてもらって、一緒にお土産を開けて、夜もずっとくっついて、一緒に過ごすんだって、そう思ってたのに…

  なのに、なんでこんなに怒ってるの…?

  俺、何を間違えた?

  嫌われたかな。

  やる事もやってたし、毎日欠かさず連絡してた。

  学校もサボってない。

  ましてや他のDomになんて会ってない。

  何がダメだった?

  何が間違ってた?

  ねぇ、、教えてよ…。

  昔、最初のパートナーが出張に行った時に、他のDomとホテルで過ごしていて、そこで出張中だったDomと鉢合わせたことがあった。

  そしてその時、その場でCollarをハサミで切り裂かれ、パートナーとしての契約を終わらせられたトラウマがあった。

  間違いなく悪いのは俺だし、それくらいされても仕方なかったんだけど、それでも目の前でパートナーのSubの証であるCollarを切られたショックは大きくて。

  それ以降パートナーを作ることを渋っていた。

  事情によって体を売っていた俺は、無理矢理行為をさせたり、Subを思いやらないDomに嫌気がさして、自殺をしようと車道に飛び出した。

  そこで俺に飛びついて助けてくれたのが、千秋さんだった。

  彼といるとSub性が満たされた。

  最初は信じられなかったし、何より辛かった。

  何度も何度もトラウマが蘇り、相手をしていた何十というDomの心無い言葉に苦しんだ。

  俺がどんなに取り乱しても見捨てずにそばにい続けてくれた千秋さんは、言わずとも最高のパートナーであり、俺の、俺だけのDomだった。

  「……」

  「っ……」

  沈黙が怖い。

  何がダメだったのか分からない。

  ただただ俯くしかない。

  「……貴和」

  「っはぃ……」

  数週間ぶりに名前を呼ばれたのに、千秋さんの放つ強めのGlareと、部屋の冷たい雰囲気の所為で、ちっとも心が踊らなかった。

  「……薬、何錠飲んだ?」

  「…っ…」

  喉がヒュッと鳴る。

  「ぁ…」

  上手く隠しておいたのに。

  シートもバレないようにちゃんと捨てて、証拠は何も残ってないはずなのに。

  全てを見透かしたような瞳が、怖い。

  「ぁ、その、」

  「何回腕を切った?」

  「……っ」

  全てを言い当ててくるのが、怖い。

  勘が冴えてるのが、怖い。

  「私が見てないなら、何してもいいの?」

  「違っ」

  「私の言うこと聞けない?」

  「ごめ、なさ…」

  違う。違う。違う、違う……

  ごめんなさい。

  言いつけ破ってごめんなさい。

  言う事聞かなくてごめんなさい。

  不安で仕方なかった。

  帰ってくるまでが長すぎた。

  嫌だったんだ、いつまでも待たされるのは。

  怖かった。自分が壊れたらと思うと。

  でも、だからって言いつけを破る理由にはならない。

  決して、二人で決めた事を破る理由には。

  「ご、ごめなさ、千秋さん、ごめんなさぃ…“Shush”

  必死に紡いだ言葉は、Commandで遮られ、押さえられた。

  怖い。

  久々のGlareも、この雰囲気も、いつまでも不機嫌な千秋さんも。

  千秋さんの怒った顔なんて見たくない。

  褒めて欲しくて、この数週間頑張ったのに。

  褒めてもらえると思ってたのに。

  どうして上手くいかないんだろう。

  どうして怒らせちゃうんだろう。

  「…気が緩んでたのかな。私がいないと自由にやるんだね。心配して損したよ。」

  崖から突き落とされたような、そんな気分になった。

  身体中から、血の気が引いていく。

  千秋さんが心配してたのは知ってる。

  毎回の電話で俺の体調ばかり気にしてくれて、あったかくして寝るんだよとか、お風呂の後は髪を乾かしてとか、まるでお母さんみたいに口うるさくて、でも大事にされてる実感が湧いて、俺はそれさえ嬉しかった。

  そのくらい、千秋さんに依存し、信頼していた。

  …別に自由にやってた訳じゃない。

  自分を抑える為に、落ち着かせる為に、やってただけなのに。

  なんで俺ばっかり叱るの?

  じゃあ千秋さんは?

  早く仕事して帰ろうとした?

  出張断ったらこんなにならなかったよ?

  工夫してないじゃん。

  結局仕事優先じゃん。

  俺の事ほんとに大事なの?

  「…っふ…」

  不安ばかりが頭をよぎり、涙が浮かぶ。

  何で怒ってるかも分からない。

  どうすべきかも分からない。

  全部分からない。

  どうすればいいんだ。

  「…“Come”お仕置き。今回は厳しくするよ。」

  Commandに従って千秋さんの膝に乗る。

  でも、頭の中はぐちゃぐちゃだ…。

  整理もつかないままお仕置きを受けるのは危険だけど、今は千秋さんの怒りを静めなきゃいけない気がした。

  パン!パァン!

  初っ端から手加減のない平手に、肩がビクリと跳ねる。

  「っ、い……」

  パシ!パン!

  「何でいつも1人で抱え込むの。頼ってって言ってるでしょ。」

  俺の全てを理解しているように。

  冷たい声にさえ、隠しきれない優しさが滲んでいる。

  パァン!

  「ぁ…ぃ、いたぃ…」

  分かってる。分かってるけど、自分を守るのがいけないこと?

  パァン!バシ!

  「ぃい!いたい!」

  「自傷も治すんじゃなかったの?結局やってるじゃない。」

  パァン!パン!パン!

  「っだって、」

  パシィン!!

  「!?ぃっだぃい…!!」

  力いっぱい叩かれて、堪えていた涙が溢れ出す。

  「っひっ…ひっく…ふえぇ…」

  お尻が燃えたように熱い。

  自分を傷付けるのがどうしてそんなにダメなんだ。

  「言い訳しないで。」

  パァン!パァン!

  「も、やだぁ…」

  「知らない。」

  パァン!バチン!

  「私は良い子にしててって言ったよね。」

  バシ!パン!

  「うぅっ…ふぇええっっ……」

  良い子じゃなかったんだ。

  そうだよな。

  自傷するSubなんて、言いつけ破るSubなんて、良い子な訳がない。

  「っぅ……ごめ、さ……ごぇんなざいぃ……」

  苦しい。痛い。

  「……はぁ」

  千秋さんの溜め息に、身体が強ばる。

  直後、腕を引かれて立たされて、お仕置き部屋に閉じ込められた。

  冷たい言葉を残してドアが閉まる。

  「“Stay”そこで反省してなさい。」

  辺りが闇に包まれた。

  「っうぅ……ひっく……うぇえぇ"っっ」

  嫌だ。怖い。

  でも、Commandには逆らえない。

  俺が悪いから、Safe wordも使いたくない。

  きっと使ったら、すぐに抱き締めてくれて、「貴和ごめんね、怖かったね。」そう言っていっぱい甘やかしてくれるんだろうけど…

  きっとお仕置き頑張ったら、もっともっと甘いご褒美があるはずだから、、頑張らなきゃ。

  きっと千秋さんだって欲求不満なはずだ。

  出張中、パートナーがいるから他のフリーなSubを見ても我慢していたんだろう。

  俺の泣いている姿を見て、千秋さんのDom性が満たされるなら、いっぱい我慢しなきゃ。

  どんなに辛くても。痛くても。怖くても。

  千秋さんの為なら、まだ頑張れる。

  我慢、出来る。

  そう思っていたのに。

  「っひっひぅ……はぁ…ひゅっ……はぁ……」

  過呼吸になりかけていた。

  終わらない暗闇に。

  掛けられない声に。

  馬鹿みたいに巡る思考に。

  苦しい。

  これもお仕置き?

  計算してたのかな。

  息が上手く出来ない。

  助けて。千秋さん。

  ドアの向こうは静まり返っていて、物音ひとつしない。

  そういう演出なのか、それとも本当にいないのか。

  そう考えた瞬間、引いていた涙がまた勢いよく出てきた。

  「っひ……うぅ…ふぅ…」

  涙のお陰で過呼吸は消えたものの、どうしようもない寂しさが込み上げる。

  暗い。怖い。

  寂しいよ。

  本当にそこにいる?

  待っててくれてる?

  見捨てないで。一人にしないで。

  ごめんなさい。

  言いつけ破って、悪い子でごめんなさい。

  幸い黙れというCommandは出されていない。

  俺は小さく謝り始めた。

  千秋さんに許してもらえるように。

  もう二度と、言いつけを破らないように。

  「っごぇ、、げっほけほ…ごぇんなざいぃ……ぢぁぎさ…」

  泣きすぎて頭は痛いし、ぼーっとするし、正直自分でもよく分からなくなってるけど、許されてない。

  その一心で泣きながら謝り続けた。

  暫くして静かに扉が開く。

  ぼやけた視界で千秋さんを仰ぐと、手が伸びてきた。

  反射で首を押さえる。

  そこに、まだCollarはなかった。

  当然だ。帰って来てすぐ叱られたんだから。

  ポンポンと、頭を二回撫でられて、許されたんだと分かった。

  「……っう………ごめ、なさ……」

  「お仕置き、よく我慢したね。“Come”」

  久々に聞く千秋さんの優しい声に、涙が更に溢れた。

  「っ!……うぁあああぁん!」

  安心して、千秋さんの胸に飛び込む。

  「ごめんなざいぃ!ちあぎさん!」

  わんわん泣く俺を、千秋さんは困ったように抱き上げた。

  リビングに連れて行かれると、そこには待ってましたと言わんばかりに未開封のお土産が並んでいて、あぁ待っててくれたんだとか、俺と開けたかったんだって思えて、やっぱりいっぱい泣いた。

  「そんなに泣いたら目溶けちゃうよ?」

  クスクス笑ってそういう千秋さんだけど、きっと心配したよね。

  「グズ……千秋さん、ごめんなさい。」

  「…もうしないで。傷付いた貴和を見たくない。」

  悲しげな声に、俺は心の中で謝った。

  「貴和、“Good boy”!」

  胸の奥がきゅんとして、身体の芯から甘く痺れる。

  ずっと言って欲しかった言葉がもらえて、俺のSub性が一気に満たされた。

  これが、俺の性。

  千秋さんしか満たせない。

  俺には、千秋さんしかいない。

  これからも一緒に歩いて行こう。

  時に頼り、時に喧嘩し、支え合いながら。

  眩しい二人の未来へと。

  END