懐かしい声がした。
その声は、千秋さんの声で…。
早く会いたいなぁ。
ふと目を開くと、辺りは一面、蓮のお花畑だった。
「貴和!」
声がして振り返ると、千秋さんがいた。
俺は駆け寄って、広げられた千秋さんの腕の中に収まる。
「…どこにも行かないで、ただ、私のそばにいて欲しい…」
千秋さんらしくない言葉だった。
「……帰っておいで、貴和。」
「……っ…」
目が覚めると、病院にいた。
手も、脇腹も痛いし、酸素マスクも付けられていた。
手の痛みは分からないけど、脇腹は刺されたのと、骨が折れているらしかった。
少しして、廊下からぼそぼそと声が聞こえてくるのに気が付いた。
どうやら、千秋さんと優さんらしかった。
「…なんだよ…たかがCommandだろっ」
その言葉に、千秋さんがどう返すのか知りたくて、俺は無理にベッドから立ち上がると、ドアの横に寄りかかった。
千秋side
貴和が、他のDomのGlareを浴び、手を上げられ、刺された。
彼に貴和が何をしたのか。
それは知らない。
それでも、言えるのは、私のSubに手を出したという事だ。
かなり深く刺された貴和は、一時生死をも彷徨った。
「声を掛け続けてください!」
看護師にそう言われた時、どんな気持ちだったか。
段々冷たくなっていく貴和の手を握っているのが、どれほど怖かったか。
貴和の声が、もう二度と聞けないかもしれない。
貴和の笑顔を、もう二度と見れないかもしれない。
貴和のわがままも、もう二度と聞いてやれなくなる。
私の日常から、貴和が消えてしまう。
消えて欲しくない。
その一心で、貴和の手を、白くなるくらいに強く握って、声を掛けた。
掛け続けた。
『貴和!』
『貴和戻って来て!』
『逝かないで!』
『戻って来て!!』
伝えきれてない事が、してやれてない事が、沢山たくさんあった。
失いたくない。
これからも、ずっと一緒にいたい。
貴和の為なら、命を賭けると誓ったのに…。
絶対守るって、決めたのに…。
ごめんね。ごめんね、貴和。
弱いDomで、こんなパートナーで、ごめんね……。
「…たかがCommandだろっ……」
そう言った彼に、溢れ出しそうになるGlareを、歯の隙間から漏れかける唸り声を、振り上げそうになる拳を、必死に理性で押さえつけた。
「…“たかが”…?たかがなんて、よく言えますね。」
その“たかが”Commandの所為で、貴和はSub dropに陥った。
貴方の振るった暴力で、骨も折れた。
何より、貴方の付けた刺し傷の所為で、貴和は生死を彷徨う事になった。
それを、“たかが”?
ふざけるな。
「………何故あんなことを。何故、貴和を刺したんですか。」
「……憎かったんだ、アイツが。
俺は不幸なのに、アイツだけパートナーがいて、幸せに暮らしてて……何で、アイツだけって……憎らしかった……」
憎かった?
ただでさえSubより力の強いDomが、そんな理由でわざわざ私の貴和に手を上げたのか。
私の貴和に、傷を付けたのか。
私の貴和に、触れたのか。
ふざけるな。ふざけるなっ。ふざけるな!
必死に保っていた僅かな理性が消え、足元を見ていた私は、目の前の相手に思いっきりGlareをぶつけた。
「…っっひ……」
目の前のDomは、私のGlareに小さい悲鳴を漏らし、へたり込んで失禁した。
私は広がる尿に構わず、貴和を蹴った足を、貴和を触り、貴和に刺すナイフを握った手を、執拗に蹴った。
踏んだ。踏みにじった。
許せなかった。
こいつの手が。
態度も、貴和にした事も、全てが。
ただ、許せなかった…。
「っひ……あ"ぁ"!!」
…折りたい。
せめてこの手を、折ってやりたい。
二度と使えないようにしてやりたい。
当然だ。私の貴和に触れたんだから。
傷付けたんだから。
当然だろう?
…出来ることなら、殺してやりたいっ……!
「……ゅ、、して……ゆる、、してぁ……ぇあ……」
暫くして我に返ると、Domは床に蹲っていた。
周りには血やら吐瀉物が広がっている。
もう、いい。
これ以上やると、私が汚れる。
最後に思いっきり腹を蹴ると、しゃがんで相手の髪を掴みあげる。
「……二度と、うちのSubに近付かないで下さいね。」
最大限のGlareを放てば、怯えた瞳で何度も「すみません、ごめんなさい」と謝り続けていた。
私はゆっくり立ち上がると、病室の扉を開いた。
ガラリと扉の開く音がして、肩がビクッと跳ねた。
音を聞いているうち、俺は座り込んでいた。
「…貴和?何処!?」
「っここ…」
入ってくるなり空のベッドを見た千秋さんは、一瞬取り乱した。
それだけ心配して、それだけ俺の事が大事ってこと。
分かってるけど…流石にやり過ぎな気もしていた。
…でも多分、これは俺が口出しをすることじゃない。
「……目、覚めたんだ…」
そう言った千秋さんの顔は、正直言って酷かった。
目の下の濃い隈は、俺の目が覚めるか分からない不安からか。
いつもはピシって伸びてるはずのスーツも、ぐっしゃぐしゃだ。
目も虚ろで、今にも倒れるんじゃないかと心配になる。
痩せてもいた。
…ごめんなさい。心配かけて、独りにさせて。
「良かった…っ…」
俺を強く抱き締めた千秋さんの頭を、くしゃくしゃと撫でる。
心の中でごめんと謝りながら。
ベッドに移動して、何があったのか、運ばれてきた時の状況、今の状況を教えてもらった。
「…そ、だったんだ…やっぱ、俺刺されたんだね…」
「……目が覚めて、本当に良かった。」
千秋さんは、大事そうに、俺の顔をそっと震える手で包んだ。
「…貴和、」
「うん?」
「……うぅん…」
千秋さんはいい淀み、諦めたように、でもほっとしたように笑った。
俺はベッドに横になり、千秋さんは俺の手を握る。
千秋さんは愛おしそうに、握った俺の手にキスを落とした。
後から来た医者によると、俺は刺し傷が治れば後は通院で済むらしい。
まずは、しっかり治さないと。
それから、数週間後─。
ようやく刺し傷が治った俺は、今日久しぶりに、家に帰って来た。
千秋さんが仕事帰りに病院に寄ってくれて、一緒に家に上がる。
「…貴和。」
先に上がった千秋さんが、俺の名前を呼ぶ。
「…?」
「…おかえり。」
その暖かい声に、俺は溢れる笑みを隠さずに返した。
「……っ…ただいま、千秋さん。」
荷物を置いてソファーに座る。
久々の家だった。
「…千秋さん、」
「うん?」
「……Play、したい。」
「……分かった。」
千秋さんは、上着を脱ぐと、ソファーに深めに腰掛ける。
「貴和、“Kneel”」
「っぁ……」
カクン。
…気持ちいい。
ふわふわする…。
すぐにSub spaceに入った俺を、愛おしそうに撫でる千秋さんは、少し満たされた顔をしている気がした。
「貴和、“Come”」
Commandに従って、千秋さんの足の間に行く。
そっと膝に頭を預ければ、千秋さんは嬉しそうに微笑んだ。
幸せだ。
千秋さんも、そうであったら良いな…。
「…だいぶ前だし、思い出すの辛いかもしれないけど、」
千秋さんがぽつりと言う。
「…あの時、貴和からドア開けた?」
「…ん……??…どぁ?」
「そう、ドア。私が言ったこと、覚えてる?」
「……ドァ、のむこ、に、……」
「……覚えてたのに、開けたの?」
部屋の空気が一気に下がった気がした。
「……ぁ、や…ちがっ」
「言い訳はお仕置きしながらね」
あっという間に膝の上に腹ばいにされ、お尻を出される。
「っや…「こういう事がないように教えてたんだよ。こういう危ないことに巻き込まれないように。」
パシン!
「ひゃぁ…」
「教えてることには意味があるの!」
パン!パシ!パン!
「っぃ……ぃた……うぅ」
バシン!バチン!
「何でドア開ける前に考えなかったの!」
バチン!パァン!パァン!
「……っ〜…」
パァン!バシン!
「っいだぁい……ふぇえっ」
「確認してたら怪我する必要なかったかもしれないんだよ!?」
バチン!パァン!パシン!
「っれも…」
「でも何!」
「…ぅ…開け、てから気付いて…それで……」
「はぁ…」
バチィン!パン!パシ!パン!
「うぇ……痛いぃ……!」
「当たり前だよ!ちゃんと確認してから開けること!」
「ふぇっはい……」
「じゃあ、ドアのお仕置きは終わり」
…ん?ドアのお仕置き“は”?
「っぇ……」
「次は、心配かけたお仕置きね」
「っふぇ……も無理ぃ……」
だって、お尻凄い痛い…。
もう無理…。痛いもん…。
もう叩かれたくない……。
「……じゃぁ、終わりにする?」
「…ぇ?」
「お仕置き、別に私は終わりでもいいよ。」
……み、捨てられる…?
お仕置き終わりがいいけど…我慢したら、いい子ってしてもらえる……。
っうぅ……。
「……終わり、しなぃ……頑張る…」
「……うん、頑張れ。」
ほんの一瞬、頭を撫でられて、胸がきゅうってなる。
バチン!パァン!バシン!
「ひぃっ………ふぇえっ……いだっ」
痛い、怖い…。
ごめんなさい。
心配かけて、ドア、確認しないで開けてごめんなさいっ。
もうしませんっもうしない……。
パァン!パァン!バチン!
「ふぇえっいたぁい!」
「……っ心配したんだよっ……」
ハッ。
震える声を聞いて、俺の瞳から新しい涙がボロボロと溢れた。
「っ……ごめ、なさ……ごめんなさい……ごめんなさいぃ…」
そうだ。
生死を彷徨ったなら、そばにいてくれた千秋さんはどれほどの思いをしたんだ。
どれほど苦しい思いを。
どれほど不安で、心細かったか…。
誰にも相談出来ず、たった独りで俺の目覚めを待っていてくれた。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい…。
「千秋さんっっ……ごめんなさぁい!」
俺のごめんなさいに、千秋さんは最後にバチィン!!って強く叩くと、すぐに俺を抱き締めた。
もうこれ以上叩けないと、そう言うように。
「っうぅ"〜っ……ひっく…ひっく……」
千秋さんにしがみついて泣く俺を、千秋さんはずっと抱き締めていた。
「っこの、お馬鹿!!」
「っひぅ……っくえぇっ……ごぇんなざぁ……」
「……目が覚めて良かった…逝かなくてっ……本当に良かった……っ!」
「っ!!ごめんなさいぃ…ごめんなさいぃ…ちぁぎさぁん……わぁあっ」
「っひっく……グス……スン…」
暫くして俺が落ち着くと、千秋さんが何か言いたそうな顔で俺を見た。
「……貴和、」
「っく……はい」
「…“Kiss”」
「っぁ……」
チュ。
「……貴和?」
「っはい」
「……愛してる。」
胸が、苦しいくらいに高鳴る。
「…お、俺もっ愛してますっ……千秋さん!」
これが、俺と千秋さん。
これが、俺達だ。
誰にも邪魔させない。
邪魔出来ない。
例えそれが神であっても。
夜、久々の行為の後、千秋さんの腕の中で独りごちた。
千秋さん、もしもまた逝きそうになったら、その時は貴方も一緒です。
何をしている時も、一緒にいましょう?
ご飯を食べるのも、出掛けるのも、お風呂に入るのも、勿論、眠るのも。
二人で年老いて、一緒に逝きましょうね。
それまで、お互いに支え合いましょう。
これから先、何があっても、俺は千秋さんが大好きです。
…おやすみなさい。
そう囁いて、千秋さんの手の甲にキスをした。
END