歴史的インターミッション8
バルティゴ連邦歴18年11月8日月の日。この日冒険者イチと魔法使いの少女シーナ・アハトゼヘルは新たな冒険の旅に出る為、バウム駅に来ていた。
19世紀初頭のバルティゴ連邦は冒険者の時代であったのと同時に鉄道の時代でもあった。
それは単に産業革命により大量生産大量消費の時代が訪れ、工場を動かすための石炭燃料やそれによって生み出された物資を運輸する新たな手段が欲されていたというのもあるが、同時に連邦内の治安維持の為に各地に冒険者を派遣しやすくするためという狙いがあった。
諸外国に比べ、その軌道が敷かれた速度は驚異的で、バルティゴ連邦のある種中央集権的な政治体制下で、過去に存在していた貴族階級や王族などと土地の権利関係で衝突する必要がなかった事が一因である。
が、それは本題ではない。
シーナ・アハトゼヘル。
この、栗毛の髪をおさげに2本垂らし、赤色の魔導ローブに身を包んだ、早咲きのチューリップのように明るく元気な少女である。
可愛らしい見た目だが、齢16歳にして狼階級のバッチを手に入れた実力は不出世の人物と評しても過言ではなく、魔法の才能に恵まれありとあらゆる魔法を使いこなし知らぬ魔法でも感覚さえ共有できればその場で再現できたと言われているから舌を巻く。
ただ、非常にやかましい。
そのやかましささは「ひとりで5人ぶん話す」「何か楽しげな催しが開かれたのかと見に行った談笑しているシーナがいた」「話しだしたらドラゴンの鳴き声が聞こえても止まらない」などと言われていたほどである。
冒険者としての経験は未熟であるが、イチは豊富な魔法知識と魔法力を持つシーナを信頼しており、今回は魔法使いが必要な事もあってパーティを組む事にした。
したのであるが……。
「ねえねえ! イチさん見てくださいよ! 蒸気機関車ですよ蒸気機関車! かっこいいですねえ! でっかいですねえ! シーナ、機関車って大好きなんです。私のおうちの近くにはなくて。知っていますか? ノアールカは島なので機関車は通ってないんですよ。だから私、バルティゴに来るときにはじめて機関車に乗ったんですけどもう感動しちゃいました! 魔法も使ってないのになんだか地面がゴーッって動く感じで! それから機関車大好きなんです! しかも今回ははじめての3等車ですもの! シーナ今から楽しみです!」
駅舎に近づき、やってきた蒸気機関車を見た瞬間にこの調子である。
イチは「そうか」「そうだな」などの相槌をうちながら早速辟易していた。これからしばらく、このやかましすぎる少女と旅路を共に歩まねばならないのだ。先の事を考えると覚悟がいるのだろう。
「3等車ってほとんど椅子がないんですってね! シーナ、バルティゴに来たときはお父様から1等車の切符をもらってしまったんで、3等車なんてはじめてです! 人もたくさんいて、きっとギュウギュウなんでしょうね! いや~ん! シーナ、潰されちゃったらどうしましょう!?」
「3等車が良いって言ったのはシーナだろ? 潰れても責任は持てんぞ」
イチの言うとおり、今回3等車を希望したのはシーナである。
シーナが冒険者になった目的は「世間を広く知っていろいろな経験をしたいから」という理由なので、今まで乗ったことない3等車に乗ってみたいとせがんで騒いだのである。
_____いつもだったら2等車を使うんだがなぁ。
イチはまだやいのやいの騒いでいるシーナの言葉を聞き流しながら、駅舎の外で乗り込みの時間を待たされていた。
当時、鉄道は1日に2本しか駅に停まらなかった。
この時代既に一般市民の鉄道利用は当たり前であったが、現代のようにしっかりとした待合所を想像してはいけない。
しっかりと椅子などが並べられた待合所は1等車か2等車の切符を買った客に向けて作られている。
1等車2等車は当然椅子がしっかりと設置されており、そのため乗れる乗客は少ない。
現代で言えば新幹線のグリーン車や飛行機のファーストクラスを想像してもらえばよいか。
その代わり3等車は多くの乗客を詰め込めるが、詰まれた人間は缶詰の中の鰯状態になってしまう。
現代の大日国の早朝、通勤電車が似たような状態になるのでイメージはしやすいのではないだろうか?
特にこの時代、3等車に乗る乗客の利便性など考えられていなかったので機関車を待つ間も3等車の乗客は椅子には座れず、良ければ立ったままではあっても駅舎の待合室で機関車を待つことが出来たがそうでなければ最悪荷物を抱えて駅舎の外で待つ羽目になった。
イチは普段金銭に余裕があれば余計なトラブルに巻き込まれるのを防ぐ為に2等車を使ったが、今回はあまりにもシーナは騒ぐので3等車の切符を買わざるをえなかったのだ。
_____まったく、お嬢様育ちの考えることはわからん。
そう思いながらイチは懐中時計を見ると列車の出発時刻が近づきつつあった。
まず1等車の乗客が真っ先に乗り込み、その次が2等車、3等車の乗客は僅かな時間で他者を押しのけて乗車しなければならない。運が悪いとそのまま乗り込めず次の列車が来るまで待たされるのだ。
「シーナ、そろそろ乗り込む準備をするぞ」
イチはシーナに乗車の準備を促した。
あらかじめ買ってある切符をすぐ取り出せるようにし、乗車に有利な位置を確保しなければならない。
見るもの全てに興味を示すシーナを落ち着かせるのにはそれなりの労力を必要としただろうが、それでもイチ達は機関車に乗車することに成功した。
3等車に乗り込む時はさながら小さな紛争のようである。
この時代、3等車の乗客は「切符代さえ払えば後はどうなってもいい」というような扱いだったので、機関車に乗れようが乗れなかろうが鉄道会社は知った事ではないという態度をとっていた。
当然、乗客に対する安全意識も希薄だったので酷い時には怪我人が出る。
乗車に成功したとて紛争は終わらない。
少しでも自分にとって安全なスペースを確保するための争奪戦が発生する。
壁に設置された椅子に座れたら幸運で、角などに陣取れればマシであり、そうでなければ車内が空くまで他の乗客にもみくちゃにされるのを耐えなければならない。
シーナもなんとか列車に乗り込む事ができたが、人の濁流に飲み込まれ傍にいたイチからどんどんと引き離されていく。
「あら? あららららら? イチさん、これはとても、なんというか大変ですね! もう人が荒波みたいで。昔家族で海に行ったときに波にさらわれそうになったときを……………………あららららら?」
「シーナ! 財布に注意しておけよ!」
このような調子でふたりは引き離され、互いが互いのスペースを確保しなければならない状況になった。
問題はイチである。
_____くうっ……、相変わらずひどい!
実はイチ自身、3等車に乗った経験は数回しかない。
3等車はこのように混沌を極める状態なので、スリなどの事件が起きる事も多く、余計なトラブルを避ける為にも2等車を極力選ぶようにしていた。
さしものイチもあらゆる種族の人的濁流には無力で、あれよあれよという間に自分の意志に関わらず車内の中央に押し流されてしまった。
そして押し流された先は最悪であった。
_____く、苦しい!!
イチが押し流された先には獣人の中年女性……言葉を選ばずに言うとオバチャン3人が固まっており、それぞれミノタウロス族、豚人、羊人、のグループであった。
彼女らはどうやら自分の体重について気に病む事を止めた人種のようで、これが縦にも横にも前にも大きい。
しかも、彼女らは獣の血が濃く体毛もしっかり生えている。
イチは憐れ、行く場所を失って彼女ら3人に挟まれるような場所に来てしまったのである。
「むぎゅう…………、」
列車が運行を始め、車内が揺れると3人の女性の質量が容赦なくイチに襲い掛かった。
羊人族のオバチャンがそのイチの様子に気が付いたが、彼女はオバチャン特有のおおらかさで「あらあら」と笑うと、
「ごめんなさいね、オバチャン大きいから」
と言って謝ったが、悪びれる様子は一切ない。
「もう~! ほんと嫌になっちゃうわ。満員機関車なんてほんとイヤよね~」
列車が揺れるたびに「も~!」「も~!」と言って不満げな顔を不満げにさせるミノタウロス族のオバチャンがイチをさらに押しつぶす。そのたびイチは「ぐえ!」だの「むぎゅ!」だの苦しそうな喘ぎ声をあげた。
「けどけど私たちこういうときおデブで良かったっておもうわね。私も若い時はもっと痩せてたけど、そうだったらおかしくなっちゃうわよ!」
豚人族のオバチャンがイチをその巨大な尻でギュウギュウと押しつぶしながら言うと、他のふたりは、
「ほんとよね~!」
などと言いながら笑っていた。
_____牛! 豚! 羊! た、たまらん!
イチはオバチャン3人の胸や尻や腰にもみくちゃにされながら心の中で音を上げた。
オバチャン3人は生まれたその瞬間からオバチャンだったような筋金入りのオバチャンたちで、イチが苦しそうに喘いでいる様子にもどこ吹く風で、
「そういえばベェベさんとこ、またお子さんが生まれたんですってね!」
「もう~~~! いやね~~~! もうお盛んなんだもの!」
「モルカルに着いたらお土産買っていかなきゃだわね~~~!! 産後でしょ? たくさん食べて私みたいにドシっとしてなきゃだわ」
「だわねだわね!」
「そうね~~アハハハハハ!」
「そうなのよ~! アハハハハハ!」
オバチャン3人は潰れた紙細工のようにされつつあるイチの事などもう存在を忘れてしまったのか、中世の奴隷船さながらな満員機関車の中でも世間話に花を咲かせている。
_____し、死んでしまう!
冗談ではなく命の危険を感じたイチはなんとか力を振り絞ってオバチャン3人を押しのける。
「あら! あらららら!!」
「ちょっとちょっと!」
「もう~! いやねえ! もう~!」
押されて口々に不満を漏らすオバチャン3人のおしくらまんじゅうからなんとか抜け出たイチは、他の乗客で満ち満ちている車内で絞り出されたマヨネーズかなにかのようにほとんど自分の意志と関係なくまた新たなエリアに押し出された。
なんとそこは奇跡的に僅かではあるが空間が開いており、ワインを作るために踏まれるブドウ桶の中のような車内でまるで天国かのようにイチは最初感じた。
しかし、それが大きな間違いであった。
_____く、臭い!!
イチは空間に余裕がある理由を察した。
車内にドーナツ状に広がった空間の中央には生まれてこの方水を浴びた事のないような異臭を放つ人族の太った男が顔から汗をだらだら流しており、その悪臭は肥溜めに栗の殻を入れて焼いたような、何かしらの犯罪に問われてもおかしくないほどの殺人的な臭いであった。
_____た、たまらん!!
イチは先ほどオバチャン3人にもみくちゃにされ体力を消耗していたのもあって思わず吐き気を覚えた。
人族の男はそんなイチの気など知る由もなく、あろうことかズボンに手を突っ込んで尻の穴をかきはじめたのである。
_____ぐえええええええ!! こりゃたまらん!!
ズボンから抜いた指を鼻に近づけて臭いを確かめる男を見てしまったイチは絶句した。
まさに不潔の王。
その、自分のありように一切の疑問を抱かない姿はある種の覇気さえ感じさせる。
不浄の王者に気圧されたイチは耐えきれず再度人の壁の中に無理やり入り込んだ。
再び人体の圧縮ポンプで身体を押され、気が付けば腕を組んだ屈強な鬼人族の男ふたりに、イチは前かがみで両脇を挟まれるような無様な状態のまま身動きが取れなくってしまい、なんとか顔を出した先で何か柔らかものにポニョンと包まれた。
「あれれ!? イチさん、私を探してたんですか?」
顔を出した先にシーナがいて、どうやらイチの顔はシーナの胸に受け止められたらしい。
ちなみにシーナはGカップほどあり、所謂ロリ巨乳と言われる人種であったらしい事が記録に残されている。
(余談ながらイチはEに近いFはあったと言われている)
「そんな、シーナのおっぱいは確かに柔らかいでしょうけど、いきなり顔をうずめられたりしたら破廉恥です。困っちゃいます。シーナ恥ずかしいです~」
シーナはそう言いながらクネクネと妙な動きをしながら恥じらいを感じていた様子を見せた。
シーナは満員列車の中で絶妙な位置を確保したらしく、車内の角で比較的ストレスのない場所に立っていた。
「好きでこうしてるんじゃない」
イチは前かがみに身動きが取れない状態からなんとか抜けようと身体をよじったが、屈強な鬼人族の男はびくともせず、しかも始末の悪い事にふたりの男は立ったまま寝ているのか、イチが多少みじろきしてもまるで動く気配がない。
「あらら、お困りのようですね! でもでもどうしましょう、寝ている鬼さんたちを起こすのも気の毒ですし、ちょっと今の状況をなんとかできる魔法がないかとは思うんですが、すぐには思い出せなくて。けどけど、絶対あるんですよ! なんて言ったってシーナはアハトゼヘル家の中でも一番魔法の才能があるっておばあさまにお褒めいただいたんですから!」
「なんでもいい、どうにかしてくれ!」
憐れ、イチは壁尻トラップにひっかかった間抜けな冒険者のように無防備な尻を後ろに突き出したまま動けないでいる。
シーナは真面目に何か魔法を考えているのか「う~ん」だの「そうですねぇ……」だの「そういえば!」だの「でもやっぱり」だのやかましいひとりごとを続けている。
「くそ、こんな間抜けに身動きがとれないなんて__________んッ!?」
突然、イチは自分の尻が何者かに撫でられているのを感じて身体を緊張させた。
_____気のせいか……?
はじめそう思ったイチだったが、控えめではあるが、しかし何かを探るような手つきで何者かの手が確実に尻の丸みに手を這わせているのだ。
_____いったい、どういうつもりだ!? 財布でも盗ろうとしているのか!?
イチはまずスリを疑った。確かに今のイチの姿はスリからすれば物をかすめとるのに絶好の機会だが、どうやらそうではないらしい。
何者かの手は最初、手探りでショートパンツから露出した太腿や、それこそ生地の上からでも想像できる丸く小ぶりな尻をなぞるように触っていたのだが、
「_____!?」
何者かの手はイチが抵抗できない事を確かめると、その掌に力を込めて思うがままにイチの尻を揉みしだきはじめたのである。
_____こいつ、もしかして、ち、痴漢ってやつか!?
痴漢である。
19世紀以前、庶民の交通手段として乗合馬車などが使われていた時にも痴漢のような変態はいないわけではなかった。
しかし、乗り物の性質から乗合馬車に出る痴漢は現代にもいるようなさりげなく異性の尻などを触るような者ではなく、どちらかというともっと直接的なハラスメントを仕掛けてきた。
みながイメージする“痴漢”という存在は鉄道という者が発明され、庶民に普及し始めてからはじめて発生した迷惑犯罪である。
イチもそういうならず者がいるとは知っていたが、まさか自分がその被害に遭うとは夢にも思っていなかった。
_____いや、まさか。しかし…………。
イチはあまりにも未知の経験に、最初は単なる気のせいだと思おうとした。
しかし姿の見えない痴漢の魔手は徐々に大胆に、そしていやらしくなっていき、イチの尻の割れ目の感触を確かめたり、何か反応を得ようと考えたのかショートパンツの生地の上からイチの股間を指でなぞったりしはじめた。
_____痴漢じゃないか! 最低だ!!
イチは激怒した。
勿論、身体の自由が効けば即座に鉄拳制裁を下しただろう。
しかし今は不幸にも身体を挟まれなんの抵抗もできないばかりか、下手人の顔さえ見れない。
イチはたとい痴漢被害に遭ったとて、恐怖で声もだせなくなるようなかよわさは持ち合わせていない。
しかし、それでも大声で叫んだりできなかったのは、
「尻を触られている!」と周りに知らせる事がなんだかとても恥ずかしい事のように思えたからだ。
イチの変に恥ずかしがり屋な思考回路が、声を出した後に周りの乗客から「尻を揉まれた少女」と思われる事に謎の抵抗を感じている。
イチは頭の中で勝手に先ほどのオバチャン3人がイチについて勝手なことを言っている場面を想像した。
(あの子、お尻を揉まれたんですって! 可哀そうねぇ!)
(なによなによ、お尻なんて減るもんじゃないんだから、私なら好きなだけ揉ませてあげちゃうわアハハハハハ)
(いやねえ、お尻を揉まれたなんてかっこわるいわよ。けど、揉まれるほうも悪いわよねえ? 揉まれそうな風にしてるのも問題だわ! アハハハハハ)
そんな埒もない事を考えていたイチだったが、事態が急変する。
「_____ふっ!?」
イチは素肌……、いや、素尻に何者かの指が潜り込んできた感触を感じ思わず小さな悲鳴を出してしまった。
_____こいつ、パンツの中に手を入れようとしてやがる!
遂に痴漢はイチが抵抗できないことを良いことに、直接イチの柔らかな肉体を味わおうと大胆にも直接攻撃をしかけてきたのである。
「どうしたんですか? イチさん、お顔が変ですよ? いえ、変って言うのは決してイチさんのお顔がへんてこりんというわけじゃないですから安心してくださいね。イチさんとってもお可愛いですもの。だから、えーと、どうかされました?」
ついにシーナがイチの異常に気が付いたらしく、不思議そうな顔をしている。
「シーナ、助けてくれ。痴漢だ。尻を触られている」
イチは周りの乗客に気づかれないように気を使いながらシーナに助けを求めた。
実は周りの乗客の中にもイチが痴漢に遭っている事に気が付いている者もいただろうが、トラブルに巻き込まれてまでイチの尻を救おうという義侠心のある者は不運にもいなかったらしい。
「痴漢? お尻を触る? なんでしょう、それはいったいどういう意図があるんですかね? けどけど、確かに知らない人のお尻を触るなんて失礼な事ですね。許せません! でも本当に触られているんですか? だってこんなに混んでいるですもの、もしかしたら何かの間違いの可能性もありますし、勿論シーナなら魔法でお助けできますけど、一旦話し合いも必要な気がしますし、どうでしょうね?」
シーナという少女には自分で口にした言葉を自分で反証するという独特な思考回路があった。
このある種縦横無尽な思考が彼女の魔法の才を伸ばしているのだが、イチのとって状況は既にのっぴきならないところまで来ている。
「パンツの中に指が来てるんだよ! あっ、ちょっ、ちくしょうっ! なんてとこ触ってるんだ!」
イチは尻の割れ目を這って進む指が彼女のピンポイントな部分に到達しはじめていよいよ事態の早急な解決を迫られていた。
「パンツの中!? なんと破廉恥な! 許せません! シーナ許せません!」
シーナも事態の深刻さに魔法を使う決意を決めたらしく、精神を集中しはじめた。マナの世界に調和するためである。
シーナは魔法を使うとき、過去の記憶、感情、体感をマナの世界にシンクロさせ魔法を発動させる。
「秋の記憶……、お兄様のてのひら……、毒虫の針……、痛みと涙………………お兄様! 痴漢を懲らしめて!」
シーナが彼女独自の呪文を唱えると、瞬時に魔法が完成し『鋭い痛みを伝える魔法』が発動した。
「ぴぎゃっ!」
すると情けない叫び声が聞こえ、誰かがズデンと大きな音を立ててひっくりかえった。
この、『鋭い痛みを伝える魔法』はシーナ独自の魔法らしく詳細は不明だが、肉体を通して対象に失神するほどの激痛を与えるらしい。
どうやらシーナは器用にも、相手の姿を見ないままイチをある種の導線としてイチに触れている相手を狙って魔法を発動させたらしい。すさまじい魔法の才能である。
ともあれ思い通りの魔法が完成したシーナは満足げにイチに言った。
「どうですイチさん! やっぱり私の魔法は役に立つでしょう? なんていったって、おばあ様がお認めくださった魔法の才能がありますから、痴漢だろうがなんだろうがこうやって懲らしめられるわけです! 痴漢なんて絶対ダメです! しかも身動きできないイチさんを触るなんて破廉恥です卑怯です! 許せません! イチさんもそうですよね! 痴漢が目を覚ましたらたっぷりお説教してあげましょう! …………あれ、イチさん?」
魔法をしっかりと発動させたシーナであったが、ひとつ彼女は大きなミスを犯した。
シーナがイチに語りかけるもイチはなんの反応も示さない。
「あ…………、あれれ?」
見るとイチは白目を剥いて完全に気を失っている。
シーナの魔法は見事なまでに発動したが、その魔法の効力を痴漢だけに伝えるのはやはりそうとう困難だったようで、失神するほどの鋭い痛みは痴漢だけでなくイチにもばっちりと効果を与えてしまったのである。
シーナはイチのショートパンツから何か液体が漏れ出てジタジタと床を打つ音と、仄かにモワっとした臭いが昇ってくるのを感じ、苦しそうな笑い声を漏らした。
「あ……、あはははははは、もしかしてシーナ、失敗しちゃったかも…………あははははははは、、、」
周りの乗客が突然の水害と異臭にざわめきはじめたのを見て、シーナは咄嗟に『周りから注目されにくくなる魔法』を発動し、列車の窓から流れる平原を見つめ、どうにか列車が次の駅に着くのを待つしかできなかった。
イチとシーナの冒険はまだ始まったばかりである。
次回、第9話 『イチの右手が変態に バルティゴ鉄道乗っ取り事件』