連邦歴19年9月23日大樹の日。スウィートバウム。
イチがヅィーコプカイン精神病院の調査を終え、冒険者ギルド某支部に調査報告書を出した後の日。
イチは冒険者仲間の少女騎士イルハと冒険者通りのカフェテラスにいた。
晴れた日である。
煉瓦が色を作る街はいつでも冒険者をはじめ人通りが絶えない。
「わたしは、要らぬことをしてしまったのだろうか」
イチは冷めた紅茶をティースプーンで混ぜながら独り言のようにつぶやいた。
この食い意地のはった娘にしては珍しく茶請けのスコーンもまだ少し残っている。
「イチさんは冒険者としてやるべきことをしただけです。僕はそう思いますけど」
イルハはイチからヅィーコプカイン精神病院で起きた顛末をイチから聞いている。
装備しているガントレットを手拭いで磨く手を止めて答えた。
「そう割り切れたらいいんだけどなあ」
イルハは珍しく物思いにふけるイチを見て複雑な顔をした。
確かに、後味の良い話ではない。
ガークは一命をとりとめた。
あの後イチは止血の努力を続けながらザルツキーに人を呼びに行かせた。
ザルツキーは西棟で宿直をしていた職員を何人か連れてすぐ戻り、ガーク院長は適切な処置を受けた。
病院だけあって必要な設備があったことが助けになり、すんでのところでガークは命をつないだのである。
ガークの無事を見届けたイチはすぐに調査報告書の作成にとりかかった。
イチは冒険者として事実の報告を徹底することを怠らなかったが、それでもかなりヅィーコプカイン精神病院を擁護する内容の報告書を提出する。
しかし冒険者ギルドの態度は事務的だった。
某支部の支部長ノームは調査報告書を読むなり連邦最高裁判所に事実だけを抜き出した報告書を提出した。
連邦最高裁判所は連邦内で起きた問題を公平な立場で裁く。
結果ヅィーコプカイン病院は管理の杜撰さを指摘され、遺族への賠償金を約束させられた。
それでもヅィーコプカイン病院は存続することになるが、院長は挿げ替えられ、入院費を滞納していた閉鎖病棟の患者たちは元の家族に強制的に返された。
彼らが結果どうなったかは誰も知る術がない。
「ガーク院長は、最前線で戦っていたんだ。やり方は間違っていたかもしれないけど」
晴天の空に対して、イチの表情は曇っている。
「こう考えましょうよ」
イルハはちょっとだけ考えてから口を開く。
「イチさんがやらなければ、もっと悪い結果になっていたかもしれません。あなただったからよかったんですよ。きっとガーク院長も」
イルハの言葉は気休めでしかないが、たとい気休めでもないよりは遥かにマシであろう。
「………………そうだな」
「そうですよ」
イチがうなずいたのを見てイルハは笑った。
そんな時、男が何か怒鳴る声をふたりは聞いた。
見ると行害者を叱責している男がいる。
彼らはドブさらいを生業にする男たちらしい。
行害者を叱責しているのは純粋人族の親方だ。
どうやらドブさらいの仕事中に誤って親方である男に汚泥をひっかけてしまったようである。
「ごめんなさい。おやかた。ごめんなさい。あ、おやかた。ごめんなさい」
「次同じ事やったら拳骨だからな! わかったら今日はもう帰れ!」
親方はそう言いながら固めた拳骨を見せた。
行害者の男はなぜ怒られているのかいまいち理解しきれていないように見える。
イチは借りた馬を叱ると、馬が同じような表情で見つめてくるのをつい思い出した。
「ごめんなさい。うん。うん。あ、おやかた。あ、さよなら、あ、さよなら」
「まったくちくしょうめ」
行害者の男がその場から立ち去ると親方は分厚い手袋を片手だけ外して額の汗を拭う。
泥除けのエプロンはべったりと汚れていた。
「親方も、よくまあ、ああいう奴に仕事をやるもんですね」
また別の作業者があきれ笑いの表情をつくりながら親方に軽口を叩いた。地方から出てきた若者だろう。
親方はムスリとした表情のまま答える。
「あれで悪さはしねえし無遅刻無欠勤で真面目に働くからな」
「けどねえ。なに考えてるかわかんないじゃないですか」
「そうか? 頭は悪いが、考えてることは俺たちと変わらねえと思うぞ」
「そうですかね?」
若い男は首を傾げた。
「腹減ったとか、疲れたとか、遊びてえとか、女の裸が見てえとか。話してみりゃわかるもんよ」
「そんなもんですかねえ」
若者の顔を見るとあまり納得していない様子だが、それでも親方は手袋をつけなおす。
「さて、陰口叩く暇があるならさっさと終わらせちまうぞ」
そう言うなり、支度を整え作業に戻っていった。
イチとイルハはそんなやりとりをカフェのテラスから何も言わず見ていた。
イチは、言葉にはできないが何か救いを見たような気がした。
「あまり、考えすぎないでいいのかもな」
そのイチの言葉は、自分自身に対してもそうだし、誰にもどうにもできない世の中のあらゆる障害に対して口からでた言葉だろう。
「そうですね。考えるべき問題ですが、考えすぎるときっとよくないんですよ」
イチの曇り顔が少しだけ晴れたのを見てイルハは笑顔を見せる。
もしかするとガークは考えすぎて道を誤ったのかもしれない。
考えることは何にもまして重要だが、それもゆき過ぎると周りも自分自身も見えなくなる。
「さ、行こう。約束の時間に遅れるとまずい」
イチは紅茶を飲み干しスコーンを口に詰め込むと立ち上がる。
ふたりは新たな冒険の為、また冒険者ギルドに足を運ぶのであった。
イチの冒険者は続く。
◆
最後に。
行害者が他人に危害を加える割合は多くの者の想像に反し、統計的に少ない。しかし彼らに対し必要以上の嫌悪感や敵愾心を持つものは少なくない。
彼らの介護を受け持つ人間は、そんな中で常に最前線にいる。
現在でも知能や精神に障害を持つ人間を社会でどのように受け入れるかについては多くの議論が交わされている。
しかし、我々一般人にとり、より大切な事は議論よりも理解なのかもしれない。
『イチと精神病院・完』
次回、『イチ、ビキニアーマーを着る』