絶対真空暗黒虚空領域の片隅で

  

  おとめ座超銀河団・局部銀河群銀河系・太陽系第三惑星である地球人類が滅びて、さらに数千年の時が過ぎた頃。

  

  ――と言っても、その規定は何の意味も持たない。

  たとえ地球人類が存在しようとしていまいと、これから語られる出来事の舞台である宇宙の大規模構造たる超空洞[ボイド]と地球の間には、絶対的な情報伝達の境界面である事象の地平面が厳然と横たわっているから。

  超空洞から地球までの距離が途方もないことに加えその直径は一億光年を優に超えるために、地球からここを観測できるのはどうやっても数億年後になるし、何よりこの超空洞が存在する空間は宇宙の膨張に従って光速を超える速度で地球から遠ざかっているために、ここからの情報は何一つ地球には届かない。

  光速という宇宙最大にして唯一絶対の規範がある限り、永遠に。

  地球人類の科学がどれだけ発展しようと、未だ光速の壁を超える糸口すら見つけられていないのだ。

  要は、地球とここは遠すぎるのである。

  ここから地球には粒子一つ伝わらないし、地球からここへは電磁波ひとつ届かない。

  地球からすれば、ここはまさに「宇宙の果て」と呼ばれるに等しい。

  

  だから、たとえ今この瞬間に地球人類が存在していようが存在していまいが、今現在の「彼」にとって何の意味も持たない話である。

  

  

  それくらい、時間的にも空間的にも隔絶した場所での出来事。

  

  

  

  超空洞を航行する、数万の惑星移民を乗せた一隻の超巨大宇宙船。

  

  その中を、一人の男が白い息を吐きながら駆けていた。

  

  

  *

  

  

  「はあッ…はあッ…!」

  左側を無機質な灰色の壁に囲まれた薄暗い廊下を、一人の虎獣人――地球で言うところの人類の体躯に、虎の頭部を載せ、黒と黄色の被毛で覆われた男が駆けていた。

  茶色のブーツに深緑の作業ズボンを穿き、黒いシャツに灰色の防寒着を羽織っている。大柄で、肩幅は広く胸板は厚い。やや腹が出ているようにも見えるが、ほんの少しだけである。

  屈強な肉体を持つ虎獣人であった。

  船内の廊下は酷く冷えていた。虎の吐き出す息が白く凝結して見える。

  天井は、十数メートルはあろうかという高さであり、虎の足音が遠くへと反響していく。

  右側の壁は、全てが強化プラスチックの透明な窓。

  

  ――その外には、広大な宇宙空間が広がっていた。

  黒色のスクリーンを背景に微かな光を放つ星々は、地球から見えるそれと違ってぽつぽつと非常にまばらに分布しており、しかも光度が著しく低い。船と、それらの恒星の距離が途方も無く離れすぎているためである。

  殆どの星が見えないその黒い天幕は、まるで暗黒の世界だった。

  

  移住船「アドベンチャー号」の乗員である彼は、つい10分ほど前にコールドスリープから目覚めたばかりである。

  目的地に到着する前に、まだ船が宇宙空間にあるというのに、彼だけが眠りから目覚めてしまった。

  彼はその原因を探るために、モニター室にひた走っていた。

  

  彼らの母星は、シャプレー超銀河団内のある惑星系の第五惑星。中心に輝く恒星は、太陽より少し大きめの直径であったが、その分彼らの母星の公転周期は地球より長く、十分にハビタブルゾーン内に存在していたため生命の繁栄には全く問題がなかった。

  そこは地球によく似ており、水が液体として存在できる青い惑星であった。

  だから、途中までは地球と非常によく似た進化の歴史を辿った。単細胞生物から多細胞生物へ、無脊椎動物から脊椎動物へ、海から陸上へ、変温動物から恒温動物へ。

  地球と違ったのは、最終的に進化したのが猿人だけではなく、哺乳類全体であったことである。彼らの母星では、犬、猫、馬、兎、熊、虎、獅子、猪などといった獣たちの祖先がほぼ同時期(といっても数万年単位の誤差があると言われてはいるが)に二足歩行を始めた。二足歩行を始めたことで空いた前肢が手となり、道具を使うことができるようになり、大脳が進化し、言葉が生まれ、社会を形成した。

  さらに地球と違ったのは、彼らの母星では種族の違う者たちが手を取り合い、文明を発展させていったことである。

  そうして、獣人たちの暮らす理想郷のような惑星が生まれたのである。

  

  

  だが哀しいことに、その後も地球とよく似た歴史を辿ってしまった。

  肥大していく文明と人々の欲望、消費されていく限りある資源、垂れ流される汚染廃棄物、それらを巡って数回に渡って行われた世界大戦――。

  それによって十年に満たない期間で惑星の人口の四割が姿を消した。

  某国が開発した新型爆弾――爆弾と呼ぶのすら生温い悪魔の兵器の度重なる使用で、大陸は荒廃し、海洋は汚染され、残った人口を支えていくだけの食料はどう逆立ちしても生産できず、備蓄を全て運用させたとしても五年後には凄惨な飢餓が世界中を襲うと判明したとき、獣人惑星の世界政府はある決定を下した。

  

  

  人口の一部の、外惑星移住計画。

  

  宇宙のどこかに必ず、文明生物のいない、しかし生命が存在するに適した惑星があるはず。

  それを探し出し、惑星の住民を移住させ、食糧問題を解決する。

  苦肉の策であった。

  

  幸いにして、彼らの宇宙進出に関する技術は地球の比ではなく、生命を数百~数千万年単位で保存出来るコールドスリープや亜光速で移動可能なワープ航法と言ったものも、ほぼ実用レベルの段階まで開発が進んでいた

  かくして、数万単位の獣人が収容可能な移住船が十数隻建造され、新天地を求めて星々の海へ乗り出していったのであるが――。

  

  

  (クソッタレ、どうなってやがる!)

  胸中で悪態をつきながら、アドベンチャー号内を駆けていた虎獣人――アドルフ・ロボフスキーは、モニター室に入ると乱暴にコンソールに手を置く。手早く指紋認証を終えると、彼は電源の消えた大モニターに向かって、がなり立てるように怒鳴った。

  

  「“マザー”!答えろ!何が起きた!どうして俺だけが目覚めたんだ!」

  

  

  *

  

  

  アドルフがコールドスリープから目覚めたのは、ほんの10分前である。

  夢も見ない、闇に包まれた深い深い昏睡状態からの、唐突な目覚め。

  彼が目を開けると、目前で透明なハッチが音も立てずに開いていくところだった。

  ぼんやりとした頭で、それでもアドルフは何とか起き上がった。

  下着一枚だけの姿である。空調の風でさわさわと全身の被毛が波立った。

  見渡すと、そこは床も壁も天井も真っ白な清潔な部屋だった。

  整然と並ぶ、何百機もの灰色の冷凍睡眠装置。

  今しがたまで自分が横たわっていたものと周りのそれを見比べて、虎獣人は次第に記憶を取り戻していく。

  (――俺は、アドルフ・ロボフスキー。虎獣人の31歳のエンジニアで、政府の外惑星移住計画に一般応募で当選して、確か一か月前に出航して、それから、それから――)

  あまり学のない彼であったが、考えることは得意だった。

  一か月前というのはあくまでも彼の体感時間である。

  母星を出航してから30日間コールドスリープは行われず、乗組員相互の理解・交友を図るという目的で、毎日のように船内で宴会が開かれた。

  政府の方針であった。

  移住船に乗せられたのは、生殖能力のある若い独身の男女が選ばれた。新しい惑星ではどんな危険が待っているかわからない。そこでの未知の生活や、今後子を成して新たな社会を作っていくことを考えれば、政府の選別基準は概ね正しかった。

  宴会が開かれた目的は、その中で新天地を共に暮らしていく伴侶ができればよし、そうでなくても乗員の間に仲間意識が芽生えればよし、との考えからであった。

  だから、アドルフの記憶は出航後のその30日間で止まっていた。

  

  しかし、まだ彼はあずかり知らぬことではあるが、実際には出航してから数百年の時が経過していた。

  そもそもの計画は、乗員はコールドスリープについたまま移住船が自動的にワープ航法を繰り返し、搭載された自立思考型のコンピューターが条件に合った惑星を検索・発見・自動航行し、目的の惑星に着いた段階で乗員は自動的にコールドスリープから目覚める――というものであった。

  無論、杜撰な計画であった。

  目的の惑星が見つかる確率は極僅かである。

  見つかったとしてもそれまでにはどれだけの時間がかかるかわからないし、またそこに辿り着くまでに途方もない距離を移動しなければならないのは明白であった。

  下手をすれば宇宙の漂流者となりかねない。

  しかし政府はこの計画の負の面を完全にシャットアウトし、一般人にはその正当性が判らないようにした。

  当時は大戦後で世界中が恐慌状態に陥っており、人々は政府の言うことを盲目的に信じるしかなかったのである。

  虎獣人のアドルフは三回目の大戦による敗戦国の孤児であり、成人してからは自動車の整備技師として細々と暮らしていた。しかし四回目の最後の大戦によって、自動車の燃料と材料は完全に枯渇し、自動車は贅沢品として民衆の敵意の的にされ、アドルフは職を失った。

  …それから三年。彼はアルバイトをしながら必死に生計を立てていた。

  だが、孤独な幼年時代の経験から粗暴かつ野蛮な性格に成長してしまった彼には、親しい友人も恋人もおらず、安定した職にもつけずに鬱々とした毎日を送っていたのである。

  そんな時、政府から発表されたのが外惑星移住計画であった。

  母星の危機を救う英雄として持て囃され、衣食住が保証され、さらに新天地にて伴侶を得て、自由で、夢のような、誰も見たことが無いような生活をできる。

  アドルフが応募しない手はなかった。

  

  彼は流布されていたビラを見て、

  ――何の束縛もない新天地で、いい女を抱きまくりの生活だ。

  ――向こうでは人手が必要なんだよな。

  ――女どもに、俺のガキを産ませまくってやるぜ。

  と、下卑た妄想を繰り広げていた。

  

  アドルフは、政府に都合のよい情報規制による、無知な犠牲者であった。

  

  

  *

  

  

  ばん!

  

  アドルフはコンソールに乱暴に両手を叩きつける。

  大モニターは、依然として沈黙したままである。

  彼の疑問に対して、“マザー”との愛称が付けられた移住船のメインコンピューターからの解答はない。

  苛立ちをぶつけてみても、彼の太い指が痛むだけだった。

  「くそがっ…!」

  忌々しげに悪態をついた途端、目覚めたときに見た光景が脳裏にフラッシュバックして、こみ上げた嘔気に彼は思わず口元を手で押さえる。

  

  

  *

  

  

  コールドスリープから目覚め、次第に記憶を取り戻したアドルフは、恐る恐る立ち上がると隣の冷凍睡眠装置を覗き込んだ。

  もう目的地に着いたと思ったのだ。

  だから、他の皆もすぐに目覚めるだろうと。

  アドルフの隣で眠りについたのは、狼獣人の若い青年だった。

  彼は軍人上がりで、大戦で家族と戦友を失い、新天地を目指してこの計画に応募したのだという。出発直後の宴会の席で隣に座ったアドルフに、彼はそう語った。

  酒好きな気のいいやつで、新天地でも共に力を合わせて生き抜いていこうと、眠りにつく前に握手を交わして約束した。

  

  

  

  ――だが、狼の入った透明なハッチを覗き込んだアドルフは凍り付いた。

  

  

  狼はミイラ化し、骨と皮と被毛だけになっていた。

  

  

  *

  

  

  「げえっ…!げほッ…!」

  モニター室で、狼の無残な姿を思い出したアドルフは、ひどい嘔気に襲われ嗚咽に身を震わせるが、胃が空っぽのため何も出てこない。

  目尻に涙が滲む。

  あの後、彼は室内の全ての冷凍睡眠装置を見て回ったが、結果は同じだった。

  快活に笑っていた熊獣人も、泣き上戸の猪も、リーダーシップのあった獅子も、みんな、みんなコールドスリープについたまま、落ち葉のように枯れ果てていた。

  アドルフがいた部屋以外にも冷凍睡眠室はいくつか存在しているのだが、移住船管理者のパスコード無しに一般乗員のアドルフには入室不可能であり、また分厚い気密扉に阻まれて中の様子を窺い知ることもできなかった。

  ずるずると、アドルフはコンソールにもたれかかるようにして床に腰を下ろした。

  (どうなってやがる…。まさか、俺しか生存者はいねえのかよ…?)

  背中に当たったコンソールの台が、無機質な冷たさを伝えてくる。ウィンウィンという、コンピューターと環境維持ロボットの無生物的な音しか耳に聞こえてこない。

  コールドスリープから目覚めた直度に急激に走り回ったために目が回りそうだった。元々図体がデカく大食らいの彼には、今の空腹は耐え難かった。

  (とにかく、まずは情報を集めねえと…)

  アドルフはよろよろと立ち上がり、手作業でメインコンピューターの“マザー”にアクセスすると、移住船のブラックボックスに残された履歴をさかのぼり始めた。

  

  

  

  驚くべきことに、母星出航から684年と9か月25日が経過していた。

  移住船に内蔵された時計が正しく動き続けているならば、ではあるが。

  「何…だと…」

  予想もしていなかった事実に、思わずアドルフの口から声が漏れる。政府の発表では、せいぜい出航から数十年以内に移住惑星を見つけられるとのことであったのに。

  さらには、今現在移住船の航行している場所が問題であった。

  超空洞[ボイド]である。

  宇宙の泡、ともたとえられるその空間は、つまり“何も存在しない領域”である。

  銀河や星雲で構成される銀河団、それがさらにまた寄り集まって構成される超銀河団。それらが連なり泡の膜のように存在することで宇宙の大規模構造を構成していた。その泡の中央にある空っぽの領域、それが今アドルフの乗る植民船の航行している、超空洞であった。

  宇宙学には明るくないアドルフでも、こんな何もないところを移住船が航行していては、目的の惑星を見つけることなど不可能だろうということくらいは判った。

  ――何故、こんなことに。

  アドルフはさらに履歴を検索する。

  そして、おそらく原因が分かった。

  出航から87年と3か月1日後に、アドベンチャー号は小さな隕石と接触していた。これにより、大量の燃料と酸素の喪失、そして“マザー”が何らかの損傷を受けたとの記録が残っている。

  移住船のメインコンピューターである“マザー”は自立思考・自己改良型の人工知能である。彼女(便宜上こう呼ぶ)は、こうした不測の事態にも自ら考え、不足があれば自己を改良することで自動的に対処してくれる。修復用ナノマシンや船外活動用ロボットを駆使し、移住船と乗組員の安全を守るのである。

  

  ――だが、もしかしてこの隕石の衝突が何かのトラブルを引き起こしやがったのか…?

  

  そのことにアドルフの思考が至ったとき、視界の端で何かが動いた。

  思わず顔を向ける。

  モニター室の照明のついていない暗がりから、かつん、と何か金属質なモノ同士が当たる小さな音が聞こえる。

  (なんだ…?)

  小動物や虫の類は、乗員の入船の際に徹底的に排除されているはずだった。

  乗員は全裸で消毒までされているのである。何かが入り込んでいる可能性は、限りなくゼロだ、と政府の担当官には聞かされていた。

  それでもアドルフは、近くに置いてあった金属製のパイプを護身目的に手に取った。

  (政府の言うことなんか、一っつも信用できねえ…!)

  彼はようやくそのことに気が付いていた。

  「てめえ、そこにいるヤツ!さっさと出てきやがれ!」

  虎獣人は、恐怖心を隠し虚勢を張ってじりじりと暗がりに近づいていく。

  アドルフが息を殺して、瞬きをしたとき、

  暗がりがら、細長い物体が飛び出した。

  ひゅん、と音を立てて向かってきたのは、柔らかいプラスチック製のチューブ。

  先端には金属の金具がついていた。

  「なっ…!?」

  チューブがアドルフの首に巻きついてきた。まるで意志を持った生き物のように。

  「がッ――!」

  アドルフの気道が圧迫される。首を絞められた虎獣人は、必死で爪を立ててチューブを引き剥がそうと試みるが、表面がつるつるとしたプラスチックに爪は滑ってしまい、みるみるうちに締め付けが強くなっていく。

  

  呼吸ができない。

  

  アドルフは手にしたパイプを取り落す。

  がらーん、とパイプと床が衝突した音が天井に反響した。

  アドルフの視界が暗くなっていく。

  (――これは、やべえ…!)

  彼の意識が遠のく中、アドルフの右側でそれまで沈黙していた大モニターが、ぷつん、と明るくなる。

  モニター室に、機械で作られた声が響いた。

  『オハよウゴざイマす。“マザー”デス』

  “マザー”の電源が入ったとき必ず流れる合成音声を耳にしながら、アドルフの意識は闇に呑まれた。

  

  

  *

  

  

  アドルフは夢を見ていた。

  

  それは、移住船で出会った若い三毛猫獣人の女性の夢。

  美しい彼女は、戦前は出版社に勤めていたそうだが、やはり世界大戦で職と全ての身寄りを失い、失意の中新天地を 目指す移住計画を知り応募したそうだ。

  出航直後の三回目の宴会の席で、彼女とアドルフは偶然正面に座った。

  くるくると明るい表情で笑う三毛猫から、いつしかアドルフは目が離せなくなった。

  宴会の度にアドルフは彼女を探し出しては話しかけた。

  酒の席でのアドルフの下品な冗談にも、彼女は笑ってくれた。

  三毛猫も、乱暴で粗野だがいつも自分を気にかけてくれる不器用な虎獣人のことを憎からず想っていてくれるようだった。

  

  

  アドルフは、決めていた。

  

  

  

  

  新しい惑星に着いたら、まずは彼女を襲って抱いてやろうと。

  

  

  ――何、警察も軍隊も新しい星にはいやがらねえ、構いやしない、彼女だって俺を好いていて、それを望んでいるんだ――

  

  

  

  ここでアドルフは、はっとする。

  自分がコールドスリープに入っていたあの部屋は、男性獣人のみの部屋である。

  あそこは、全滅だった。

  …しかし、女性の部屋は?

  もしかしたら、女性獣人たちは助かっているのではないか?

  

  早く、確認しなくては――

  “マザー”に調べてもらわなくては――

  

  

  *

  

  

  アドルフは目を開いた。

  再び全体が白い部屋だった。

  しかし、先ほどの冷凍睡眠室とは違いもっと狭い部屋だった。

  アドルフ一人だけ。

  そして、アドルフは壁に大の字に磔にされていた。いくつかの金属製の輪で、両腕、両脚を完全に固定されている。 がたがたと揺すってみるが、全く動く気がしない。

  しかも、アドルフは全裸だった。先程まで着ていた服がきれいさっぱり消えていた。

  アドルフの筋肉質な、しかし齢30を越えその表面に脂肪がついてしまった体躯が露わになっていた。

  幸いにして、この部屋の気温は先程のモニター室ほどは寒くなかったが、それでもいい気はしなかった。

  目の前には、電源の消えた小さなモニターがある。

  (――何が起きたのか、全くわからねえ…)

  その時、

  ぷつん、とモニターの電源が入った。

  しばらく待っていると、モニターに白を背景にして黒い文字で“mother”の文字が浮かびあがった。

  『オハよウゴざいマス。“マザー”デス』

  合成音が天井から聞こえた。

  アドルフは唯一自由になっている首を巡らせて叫んだ。

  「“マザー”!何がどうなってやがる!どういうことだこれは!」

  状況が把握できない憤りでアドルフの四肢に力が入り、ぎしぎし、と彼が張り付けになった壁が軋む。毛皮に覆われたアドルフの身体に筋肉が浮かび上がる。

  『…乗員番号031786、アドルフ・ロボフスキー』

  マザーの合成音声が、生きている女性のような滑らかな音声に切り替わる。

  『おめでとうございます、アドルフ。あなたは選ばれたのです。…人類の父として』

  「…?…わかるように一から説明しろ!“マザー”!」

  アドルフは唾を飛ばしてがなり立てる。

  

  

  

  “マザー”の説明は、概ねアドルフがブラックボックスの履歴から想像した通りだった。

  母星出航から87年と3か月1日後に、この移住船に小さな隕石が衝突した。

  “マザー”は即座に損傷を受けた区画を放棄し修理を行ったが、いくつかのボンベに穴が開き、大量の酸素・燃料が宇宙空間に失われてしまった。

  そこで“マザー”はある決断をする。

  …実は隕石の衝突直後に、“マザー”は条件に合致する目的の惑星を発見していたのである。だが、その惑星は超空洞内に浮かぶ単独孤立銀河内に存在していた。

  最短時間で到達するためには超空洞を斜めに横切る必要があり、それには数百万光年単位の時間が必要だった。

  そして移住船の酸素・エネルギーの残量とその惑星への航行時間を計算すると、目的地の到着まで乗組員全員のコールドスリープは到底維持できないことが判明した。

  

  だから、“マザー”は。

  

  

  

  

  

  

  

  ――乗員を、間引いたのである。

  

  

  

  

  

  

  

  その冷酷な事実を聞かされ、アドルフを戦慄が走った。

  冷たい汗が、彼の脇腹を流れ落ちていく。

  「じゃあ…皆が…ミイラ化していたのは…」

  ちかちかとモニターが瞬く。

  『私は、今から597年6か月22日8時間21分53秒前に、貴方を除いた男性獣人全員の冷凍睡眠装置のスイッチを全て切りました。その時点からおよそ3分で、男性獣人は全て息絶えました。一人として苦痛を感じていないことは、心拍・脳波モニターから確認しております』

  「そういう問題じゃねえだろうが…!」

  めらめらとアドルフの目が怒りに燃えた。

  顔を歪め、唾を飛ばして虎獣人は吠える。

  「何が“マザー”だ!!ふざけてんじゃねえ、この人殺しの悪魔が!!何考えてやがる!!」

  『しかし、アドルフ。そうしなければ新たな惑星に到達する前にこの移住船が全滅するところでした』

  「うるせえ!!」

  目の前が真っ赤に染まるほどの怒りに、アドルフは、はあ、はあ、と大きく息をついてモニターから目を逸らした。

  画面に浮かんだ“mother”の文字すら、目に入れたくなかった。

  (…待てよ。今、男性獣人は全て、って…)

  「“マザー”!」

  アドルフは再び顔を上げる。

  「女どもは…女性獣人はどうなってやがるんだ!?」

  モニターがまたたく。

  『女性獣人は、全員無事です。人類の種の保存のために、彼女たちは必要不可欠だからです』

  “マザー”の解答に、ちっ、とアドルフは舌を鳴らす。

  「…馬鹿か。女だけじゃあ子供は作れねえだろうが…」

  『はい。承知しています。だから冷凍睡眠装置のスイッチを切る前に、貴方も含め男性獣人全員の精液を採取してあります』

  「なに?」

  アドルフは目を丸くする。

  ――そんな形跡、全くなかったぞ…。

  『そして、アドルフ。その解析の結果、貴方の遺伝情報が最も優れていると判明しました。今後、新たな惑星での生活の為に、貴方の遺伝子が有益となる可能性が非常に高いのです。』

  「…なんだと?」

  ういん、と何かの機械が動く音がした。

  『そのため、アドルフ、今から貴方の精子を可能な限り採取します』

  アドルフの足元の床のパネルがぱかりと開くと、中から何本ものチューブが飛び出してきた。

  「なっ…!?」

  そのうちの1本のチューブの先端には、金属製で灰色の太い筒がついていた。それが、アドルフの股間で垂れ下がった半剥けの陰茎に、咥え込むように吸い付いた。

  「くッ…?はッ…!」

  思わずアドルフはのけ反る。

  筒の中は、温かく湿っていて、まるで肉の壁のようだった。それがアドルフの逸物を優しく揉みしだく。

  『アドルフ、貴方が性的交渉の経験に乏しいことは判っています。この円筒形の容器は、貴方の為に女性器を模してあります』

  “マザー”の滑らかな、しかし無機質な声が響く。

  アドルフには過去に数回風俗で抜いてもらうという経験はあったが、女性器への挿入の経験はなく特定のパートナーがいたこともない、いわゆる童貞であった。彼の女性を蔑視した考え方は、彼が今まで女性にまともに相手にされたことが無いということによる反動の面が大きい。

  しかし、そのことが彼の遺伝子の価値を高めていた。性的接触の無い彼の精液による性感染症のリスクは、ゼロと言っていいからである。“マザー”が彼に目を付けた理由の一つであった。

  灰色の筒の、女性の膣を再現した柔らかな感触に、刺激に慣れていない虎獣人の逸物はあっという間に勃起して反り返る。

  「…!っざけんじゃねえ…!」

  アドルフは頬を紅潮させ腰を捻り暴れたが、チューブは肉棒に吸い付いたまま離れない。

  灰色の筒の中で、アドルフの包皮が剥け切り、亀頭が完全に顔を出す。

  すると、人工の肉壁が獲物を飲み込む蛇のようにうねうねと蠕動運動を開始し、硬く屹立したアドルフの肉棒を下から上へと絞り上げた。

  「はぐうっ!!」

  アドルフの全身の筋肉が浮かび上がる。

  硬く勃起した陰茎全体が、温かな肉の壁に包まれて優しく揉みしだかれる。

  手か口による刺激しか知らないアドルフの逸物には、耐えがたい刺激だった。

  コールドスリープのために、性欲の処理を長期間していなかった彼は、上り詰めるのも早かった。

  あっという間にアドルフは高みへと連れ去られる。

  股間に垂れ下った精巣が収縮し、硬く引き締まる。

  赤黒く膨れ上がったアドルフの亀頭、その先端に開いた鈴口から透明な先走りがとろりと流れたかと思うと、その直後すぐに白濁液が飛び出した。

  すかさず、ぎゅううううん、とチューブが吸引を開始し、音を立ててアドルフの精液がチューブ内に吸い込まれていく。

  「か…!くあぁ…!」

  アドルフの陰茎はびくびくと痙攣しながら吐精を繰り返すが、それと同時に尿道から精液が吸い込まれるようにして勢いよく出ていく。まるでバキュームフェラをされているようなその強い刺激に耐えられず、虎獣人は精液が迸る度に浅ましく腰を振った。

  んんん……とチューブが静かになり、吸引を終了する。アドルフの射精が終了したことを感知して、自動的に止まるのである。

  だが、アドルフの陰茎は猛ったままであった。

  永い永いコールド・スリープの間でも、精巣で精子はゆっくりと生産され続けられるのである。アドルフ自身は全く意識していないが、その陰嚢は彼の子種で一杯になっていた。

  たった一回の射精では、溜まり切った濁りの上澄みを出したにすぎない。

  「あがっ…!」

  アドルフの肉棒に吸い付いた筒が、今度は上下に動き出した。イッたばかりで敏感な亀頭が、肉襞にぐちゅぐちゅと擦れる。

  くすぐったいような、切ないような、どうにも我慢のできない感触。

  快感よりも苦痛に近いそれに、アドルフは身を捩って悶えた。

  「ぐああ、あがぁ…!――“マザー”!やめろ!やめてくれ!」

  亀頭への刺激が強すぎて、虎獣人は太い悲鳴を上げる。

  全身が汗ばみ、黄と黒の被毛が湿り始める。どんなに四肢に力を込めても、四肢を拘束する金属製の手枷・足枷は頑丈で、全く彼は自由になりそうもなかった。

  『アドルフ、その命令は無効です。本日まで貴方の冷凍睡眠装置を稼働させたのは、精子の凍結保存による劣化を防ぐのが目的です。しかし、今後の航行時間と現在の酸素残量を考えると、今、ここで、貴方から出来うる限りの精子を採取することが新天地での人類の繁栄のために最も効率的と判断します』

  あくまでも無機質で、冷徹な“マザー”の音声。

  円筒のピストン運動は止まらない。

  肉壁の表面から、粘液代わりに人工的な潤滑油が滲み出してきているようだった。

  人肌よりほんの少し熱いそれは、ぬるぬるとアドルフの逸物に絡みつき、その刺激を倍増させる。

  「うがあッ!ぐううッ!」

  あまりにも強すぎる刺激にアドルフは大声で喚きながら腰を引こうとするが、背後の壁に尻が当たりそれすら許されない。

  快楽と苦痛の狭間で、それでもアドルフは考える。

  ――精子の凍結保存。

  つまり、“マザー”が求めているのは、アドルフの遺伝情報だけである。

  ――酸素残量。

  アドルフが生きていれば、酸素がその分減る。

  ――つまり、“マザー”に搾り取られるだけ取られたら、俺はお払い箱――

  その間も円筒はぐちゃぐちゃと音を立てて動き続ける。その熱く湿った刺激に、アドルフの肉棒はこれ以上ないほどに硬く強く勃起していた。

  鈴口から、我慢しきれないように透明な液体が再びとろとろと流れ出す。

  「あ…あぅぅ…!」

  性器からの快楽がアドルフの喫水線を超えたとき、彼の頭の中で白い閃光が弾けた。

  「い、いぐうううう!」

  虎獣人がひときわ高く呻き声を上げると、その股間の逸物も大きく震え大量の先走りがとぷりと溢れた。射精の開始を感知し、再びバキューム音が始まる。垂れ下がった陰嚢から精管を精子が駆けあがり、前立腺の強い収縮によって尿道へ流れ込む。

  再び、アドルフの先端から大量の精液が射出された。

  「うがあ…!あぁう…!」

  快感に力なく声を上げて身を震わせるアドルフとは対照的に、股間の逸物は生殖の悦びに打ち震えるように力強く吐精を繰り返す。二回目の射精も、先ほどと遜色のない質と量の精液が採取された。

  がくりとアドルフはうな垂れる。

  「…“マザー”…。…これが終わったら、俺を、殺すのか…」

  短時間に連続で二度の絶頂を迎え、さすがにぐったりとしたアドルフが恨めしそうに呟いた。その股間の陰茎も、少し疲れたように角度を落としている。

  『アドルフ、私の計算では貴方の精子が尽きるまでは最低でも72時間が必要です。貴方のその懸念は、現時点では不要と考えます』

  無機質な声が、優しくアドルフを諭す。

  「く…!機械風情が…!…――ッ!な、なんだ!?」

  虎が、悔しそうに言葉を絞り出すと同時に、股間を咥え込んだ肉壁の亀頭部分だけが低速で回転を始めた。

  その動きは次第に速度を上げていく。

  「――ッ!!」

  通常の性行為であれば絶対にありえないようなその刺激に、アドルフは目を見開き、大口を開けてよがるが、もはや声が出せないほどの衝撃が彼を襲っていた。

  亀頭が熱くとろけていきそうな感触に、再びアドルフの逸物はびん、と屹立する。

  その回転を継続したまま、透明な筒は上下に動く。

  亀頭から、カリ首を通り、竿へ。

  回転する肉襞がアドルフの肉棒を捩じりこむように吸い付いてくる。

  「ああ…があぁ…ばかなぁああ…!」

  完全に未体験の刺激に、アドルフはのけ反りながら大口を開けて哭き続ける。ガクガクと彼の全身がびくついた。

  肉襞に包まれた肉棒が、快感に堪え切れないというように脈動する。

  三度、鈴口から透明な先走りがだらだらと流れ、回転する肉壁によってアドルフの亀頭にまぶされる。

  アドルフの亀頭が大きく膨れ上がる。

  「うがああああ!」

  自身が吐き出した粘液にまみれながら、早くもアドルフの逸物は3回目の射精を迎えた。

  「あうあ…!ぐああ…!」

  精液の射出に合わせたバキュームの刺激に、アドルフはまた目を白黒させながら全身をびくびくと痙攣させる。

  怒張した肉棒も、主の虎獣人と同じように快感に震えながら白濁液を吐き出していく。

  

  

  *

  

  

  屈強な虎獣人が精液の採取を開始されてから、5時間が経過した。

  

  「あぐうううううううう…」

  弱弱しくアドルフが呻くと同時に、勃起していた肉棒がぴくぴくと動き、また先端に取りついた円筒内で吸引が始まった。

  通算14回目の射精である。

  もはや、それは苦痛以外の何物でもなかった。

  陰茎の付け根が強く律動しているのがわかるが、それには痛みしか感じない。

  アドルフの乳首や肛門へ、白い床から飛び出した新たなチューブが伸びていた。

  4回目を超えると射精から射精までの間隔が次第に空くようになってきて、“マザー”は新たな刺激をアドルフに与えるようになった。乳首や前立腺への刺激である。それで一時は再び陰茎は力強く勃起し、大量の精液が出るようになったが、それも次第に少なくなってきていた。

  さすがのアドルフも限界だった。

  今の射精も、13回目の射精から1時間近く亀頭を捏ね繰り回され、乳首や前立腺を刺激され、やっと迎えた射精だった。

  それにしたってもう大した量が出ていない気がする。長時間の責苦で亀頭も竿も麻痺したようにしびれており、今が刺激を受けているのかどうかさえアドルフには判然としない。陰嚢にも鈍い痛みを自覚し始めていた。

  「…“マザー”…。もう、もう無理だ…。すっからかんだ…。助けてくれ…頼む…」

  頭を垂れたまま、アドルフは何度言ったか分からない言葉を口にする。普段は粗野な虎獣人も、疲弊しきって弱気になっていた。

  『アドルフ、安心してください。計算では貴方の男性器は、あと66時間はもちますから』

  「…んなわけねえだろが、馬鹿が…」

  下を向いたまま、苦々しく悪態をつく虎獣人。このままでは66時間どころかあと数時間ももたずして死んでしまうような気がした。

  その時、何の前触れもなく。

  きゅぽん、と音がした。

  ふと下を見ると、アドルフの男性器から、灰色の筒が外れていた。

  久しぶりに外気に触れたアドルフの陰茎が見えた。

  度重なる刺激で、亀頭が真っ赤になってしまっていた。

  「…おぉ…!」

  思わず、声が漏れてしまう。

  

  ――ああ、とりあえず、今は解放された。

  

  そう思ってアドルフは、ほっとしてモニターをふり仰ぐ。

  モニターには白い背景に黒い文字で“mother”と浮かんでいる。

  ――突然、その背景が真っ赤に染まる。

  『アドルフ、今採取した貴方の精液を解析したところ、精子数が非常に少なくなっていました』

  “マザー”が怒ったかのように。

  「…は?」

  『――したがって、アドルフ、今から薬物投与に は イ り ま ス』

  流暢だった“マザー”の音声が突然びしり、とひび割れた。

  先端に吸盤のついた新たなチューブが伸びてきて、萎えかけているアドルフの亀頭に張り付く。

  「なッ!?」

  その吸盤の中央からさらに細いチューブが射出され、アドルフの鈴口へと捻じ込まれた。

  「ぐあああ!“マザー”!なんだこれはぁッ!!」

  尿道に異物を差し入れられた苦痛に、アドルフは上体を反らせて大声で叫ぶ。

  それでも挿入されたチューブは動きを止めず、アドルフの体内の奥を目指して進んでいく。陰茎の根元で尿道の途中から前立腺を貫く射精管の枝に入り、アドルフの下腹部を通り抜け、さらに精管を下行する。

  アドルフは陰嚢内に違和感を覚えた。股間に垂れ下った袋の中で、何か細い虫のようなものが這い回っているような、そんな不快感。じわり、と脂汗が出てくる。

  その直後、急に陰嚢全体がかあっ、と熱くなった。

  「ううッ?」

  アドルフが小さく呻くと同時に、ずりゅ、と音を立てて尿道から細いチューブが引き抜かれる。

  すかさず先程の灰色の円筒が、内部の柔らかな肉襞でアドルフの肉棒を咥え込んだ。

  それだけで、下を向いていた逸物は、強直を取り戻して威勢よく勃ち上がった。

  「あぐうッ…!なん、だ、これは…!?」

  アドルフの陰茎の感度が、凄まじく上がっていた。

  最初の射精の際の、肉棒を揉み解すような肉壁の動き。それだけなのに、頭の芯が溶けていきそうなほど気持ちいい。

  もうアドルフの陰茎も亀頭も、麻痺して何も感じなくなっていたはずなのに。

  アドルフの逸物の内部を、目も眩むような快感が駆けあがってくる。

  「うぐうううぅぅ…!」

  絶頂は、あっという間であった。虎獣人が噛みしめた歯の間から、低い唸り声が漏れる。

  アドルフは身体をくの字に曲げながら15回目の射精を迎えた。

  「はあっ…!あぐうッ…!ぐあッ…!」

  鈴口から、どぷりどぷりと大量の白濁が漏れ出す。自分の子種が尿道を通り抜けていく感触にアドルフは目を見開いて呻く。波のように襲ってくる快楽に、アドルフは断続的に声を漏らした。

  ――何故だ、俺はもう、打ち止めだったはず…?――

  肉棒の脈動に合わせて、再び肉筒の中で吸引が始まる。

  肉襞がアドルフの鈴口に吸い付くようにして、精液が回収されていく。

  「はぐおおぉぉぉ…!」

  陰圧がかかり、陰茎が吐精に合わせて吸引される。肉襞が吸い付いてくる。感度が上がった尿道口への強すぎる刺激にアドルフはのけ反り悲鳴を上げた。

  「す、吸わないでくれえええぇぇぇ…!」

  口元から涎を垂らし、目元からは涙を流して虎獣人は訴えるが、それでも感情を持たない機械は当然のように止まらない。

  『アドルフ、今しがた細胞分裂促進剤をあなたの精巣に注入しました。これにより十分量の精子の採取が可能と考えます』

  元の成人女性の声に戻った“マザー”が何かを言っている。

  だが、まだ射精を継続中のアドルフにはよく聞き取れない。

  ――細胞分裂促進剤。

  その単語だけが虎獣人の頭に残る。

  それは、生命の細胞分裂を驚異的に促進させる薬剤であった。例えば、植物の種子に使えば急激に成長を促し、十分な栄養を与えさえすれば1日で果実を得ることも可能であるし、家畜の仔に使用すれば、数日で大量の食肉にありつくことも可能であった。

  母星の食料危機の中で開発された薬剤である。

  当然、その植物が枯れるのも家畜が寿命を迎えるのも早くなるのだが、生命活動を終えれば薬剤の効果は消失するので、収穫時期・精肉時期を間違えさえしなければ全く問題はなかった。

  

  

  ――それを、俺のタマに使ったっつーことは、俺のタマは、精子を作りまくって、それで、その後は――

  虎獣人は、疲弊しきった頭で必死に考える。

  

  

  自らの、末路を。

  

  

  『アドルフ、貴方が今後の生涯で生産するはずの精子を、この66時間で全て採取します』

  全く無感情な声で、“マザー”は話す。

  「お、俺のタマは、俺は、どうなるんだよ…!」

  大量射精を終えた哀れな虎獣人は、ぶるぶると震える声で“マザー”に質問する。

  そう言っている間にも、アドルフの陰嚢は熱く滾る。その中で、細胞周期を無理矢理短縮された精原細胞が激しく分裂を繰り返していた。

  『大丈夫ですよ、アドルフ。貴方の遺伝子は一つも無駄になりません』

  “mother”の文字の浮かんだモニターが、にっこりと微笑むようにちかちかと瞬いた。

  

  『あなたは、新天地の父となるのですから』

  

  それを合図としたかのように、再びアドルフの肉棒を飲み込んだ肉の筒が動き出す。

  「あがあああ…!」

  感度が増した陰茎への刺激に、アドルフは大声を上げてよがる。

  「もう、もういやだああああ…!」

  恥も外聞もなく、駄々っ子のように涙を流しながら首を横に振る虎獣人。

  しかし硬く屹立した肉棒は間もなく絶頂を迎え、泣き叫ぶ父親の意志を無視して、新たな精液をごぽごぽと溢れるようにして吐き出す。

  薬物により、アドルフの精巣で大量の精子が絶えることなく生産されているのであった。

  それをすぐにバキュームが吸引し、アドルフは搾り取られるような快感を堪え切れずに手足を突っ張らせて何度も全身を震わせる。

  

  (こんな…)

  アドルフの射精はなかなか止まらない。

  (こんなはずじゃあ…!)

  虎獣人の逸物は嬉しそうに脈動し、白濁液を吐き出し続ける。

  ぶら下がった二つの精巣ではフル回転で精子が作られ続ける。

  精巣自身の寿命と引き換えに。

  磔にされた屈強な虎獣人の全身が、吐精の悦びで悶えるように痙攣する。

  腰は打ち付けられるようにガクガクと前後に動き続ける。

  彼自身そのものが、搾り取られていくかのように。

  (俺は、俺は、新天地で、女どもを…――!)

  その思考すらも、粘液と白濁と快楽と苦痛にまみれて、不明瞭になっていく。

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  ――遠い未来。

  

  

  

  

  

  

  移住船アドベンチャー号が目的の惑星に着いて少し経った頃、船内で冷凍保存されていた一人の虎獣人の遺伝子によって、大勢の優秀な子供たちが生まれることになる。

  彼らのおかげで、移住民たちの新天地での開発は急速に進行する。

  

  

  その遺伝子の主である虎獣人は後世、その惑星で“人類の父”として長く崇められることになる。

  

  

  

  だが、それにはこれから移住船が数百万光年という途方も無い距離と、それを移動するだけの時間を超える必要があった。

  

  

  それくらい、時間的にも空間的にも隔絶された未来の出来事。

  

  

  何にしろ、今現在の「彼」にとっては何の意味も持たない話である。

  

  

  

  

  

  

  (了)