スカイフックを夢に見て 後

  無人の物理準備室。

  その中に、ガラガラと引き戸を開けて入って来たのは学ラン姿の虎獣人だった。

  

  「……あれ、いねえ。珍しいな」

  

  虎の男子生徒――寅谷幸一は誰に言うでもなく呟いた。いつもそこにいるはずの太った狼の姿が物理準備室に無かったからだ。大抵は狼の方が早くやって来て、寅谷が来るのを待っているのだが。

  裏山での天体観測の翌日、その放課後である。

  寅谷はごちゃごちゃ雑然としたいつもの部屋で、白衣と眼鏡の狼獣人――狼森がやってくるのを一人で待ったが、一時間経っても彼が現れる様子は無かった。

  「ったく、何やってんだよアイツは……」

  寅谷はぶつくさ言いながら狼森の真似をしてコーヒーサイフォンを使ってコーヒーを淹れてみるが、どうにもあの薫り高い味が出せない。コーヒー豆の量を増やしてみたり抽出時間を調整してみるが、渋くなってしまったり薄くなってしまったりと、何度やっても上手くいかなかった。

  「不っ味いなこれ……」

  コーヒーを口にしながら、顔を歪めて文句を言った。

  すると、

  

  (ふっふふーのふー!コウイチはへったくそだなっ。これ上手く淹れんのはコツがあるんよっ。見てろってえ)

  

  もしここにいればそう言うであろう狼森のドヤ顔が頭の中に浮かんでしまって、寅谷は一人で勝手にムカついてしまう。

  

  結局陽が落ちる頃になっても狼森は現れず、寅谷は諦めて家に帰った。

  

  

  

  

  

  [chapter:スカイフックを夢に見て 後]

  

  

  

  

  

  6

  

  「トラタニ。そういやさ、最近のお前ってオイノモリさんとつるんでたらしいなー」

  

  さらにその翌日。

  休み時間に寅谷の机の傍に寄って来たハスキー犬が、開口一番そんなことを言ってきた。

  「え、ああ、まあな……」

  対する寅谷は苦笑いを浮かべて歯切れが悪い。

  狼森が他の生徒から奇異の目で見られているであろうことは容易に想像がついていたし、告白されたなんてことは勿論誰にも話していなかった。

  だから狼森と仲良くしている、とはなんとなく言い辛かったのだ。

  「お前、あの人とよく一緒にいられたなあ。結構変な人らしいじゃん?いっつも白衣着てて生徒会に噛みついたりとかしてたらしいし、あとなんだっけ、テンモンブツリ部?妙な活動してるから教師陣にも睨まれてるみたいだしさ」

  ハスキー犬は悪気なさそうに笑顔でそんなことを言ってくる。

  彼としては皆がしている噂話をそのまま鵜呑みにして口にしているだけなのだろうが、何故か寅谷はあまりいい気分がしなかった。

  「そ、そうでもなかったぜ……?オイノモリさんにも、あれはあれでいいところ結構あるし……」

  寅谷は咄嗟にそんなことを言ってしまう。

  (なんで俺がアイツの弁護なんかしなきゃいけねえんだ!)

  などと心の内で怒鳴りながら。

  

  しかし、その日の放課後も狼森は現れなかった。

  

  

  *

  

  

  そして土日を挟んで、さらにその三日後。

  

  「……休み?ずっと連続でか?」

  

  週明けになっても全く学校に姿を見せない狼森に業を煮やして、寅谷はハスキー犬から狼森のクラスを聞いてわざわざその教室までやってきてしまった。よく考えてみれば、寅谷は狼森が何組に在籍しているかも知らなかったのだ。

  しかし狼森はそこにもいなかったのである。

  応対してくれた寅谷と同じ虎獣人の生徒が教えてくれたところによると、先週から欠席を続けているらしい。

  聞き返した寅谷に、少々小柄な虎獣人はこくりと頷く。寅谷より頭二つ分くらい背が低いが、彼も中々がっしりとした体型である。

  「確か今日で5日目じゃなかったかな。風邪かなんからしいけど」

  「風邪……」

  5日目と言うことはちょうど天体観測の翌日から休んでいることになる。

  

  (お前さんに風邪ひかれる方が嫌だから、さっさと着なってば)

  

  天体観測のために山に向かう前、そう言って自分のダウンジャケットを差し出してくれた狼森の顔を寅谷は思い出した。

  「……あんのバカ狼……自分が風邪ひいちまったら意味ねえだろうが……」

  「え?何か言った?」

  ぶつぶつと独り言を呟く寅谷に、もう一人の虎獣人は首を傾げた。

  

  

  *

  

  

  その日の放課後、狼森が来ることは無いと分かっていながらも寅谷は物理準備室にいた。

  

  自分で淹れた旨くも無いコーヒーを啜りながら『主系列星の成り立ち』なんて本を手に取ってはみたが、全く集中出来ていなかなった。コーヒーが不味いからというのも勿論だが、本の中身が少々難しすぎて分からない点が多いのもその理由だった。

  ちょっと前なら、理解出来ないところが出てきたら直ぐに目の前にいる狼に聞けたのに。そうしたらアイツは、待ってました!という調子で目を輝かせながら実験台の上に身を乗り出してくるのだ。そんな時の狼は講義をしているうちに寅谷が聞いていない範囲まで話を広げてしまい、それでも大げさに身振り手振りを使いながら気持ちよさそうに色々な逸話やら豆知識やらを語ってくれた。

  頬を上気させて、嬉しそうな顔で、ちぎれそうなくらいに尻尾を振り回しながら。

  

  (――昔はあらゆる生物ってのは太陽光からのエネルギーに依存しているって考えられてたんだけんど、今は光の届かない深海でも熱水噴出孔付近に太陽エネルギーから独立した生態系を持つ生物たちが存在することが分かってんだなっ。つまりよ、太陽光が無くても生物が存在できることが証明されているってわけだあ!で、木星の衛星であるエウロパには、表面を覆う氷の下に海があるって言われている!――そして、これらから!導き出される仮説はなっ!エウロパには地球外生命がいるかもってことなんだなあっ!)

  

  (……なんで月の話からそんな話になるんだよ。んなことまで聞いてねーだろ)

  

  あまりに話が脱線するので寅谷はよくそんな悪態をついたが、夢中になっている狼と話すその時間が決して嫌いだったわけではなかった。

  

  だが、今は薄暗い部屋に寅谷一人きりだ。

  

  どうにも物足りなくて寅谷は不機嫌そうにため息をつく。

  不意に胸が苦しくなってきて、ぽつんと座っていることが次第に耐えられなくなってくる。寅谷はばたん、と音を立てて本を閉じた。

  顔を上げてみると、窓の向こうの空を灰色の分厚い雲が覆っているのが目に入った。そういえば、夕方からにわか雨が降るかもしれないと天気予報で言っていた気がする。

  

  

  (――俺の夢はさあ!)

  

  (――あの空の向こう!)

  

  

  少し前に、パイプ椅子に立ち上がってそう宣言していた狼の姿が思い出された。

  アイツは空の向こうを指差して、目指して、そこへと飛び出すことを夢見ていた。

  それに影響されたのか、ここのところ寅谷も空を見上げる度にぼんやりすることが多くなっていた。

  もしかしたら、あの重く垂れこめた雲の向こう側、カーマン・ラインのさらにその上方、高度4000kmの外気圏には、宇宙への架け橋となる巨大な建造物――スカイフックが浮かんでいるのではないかと。それが上空を横切っていく時には、全長数千キロという途方も無い程に大きな影が地球に落ちているのではないかと考えて。

  

  そんなことを夢想するアブない奴になってしまったのは、全部アイツの、狼森のせいだった。

  

  (くっそ……)

  理由のわからない胸のわだかまりを覚えて、寅谷はぐっと奥歯を噛みしめる。

  虎の青年は肩を落として諦めたように立ち上がり、本を元の場所にしまうとのろのろと物理準備室を後にした。

  

  

  *

  

  

  「……お、トラタニじゃねえか。どうした。こんなところで」

  

  下駄箱に向かう廊下で柔道部主将の熊と出くわした。

  時間帯としては部活中のはずであるが、何か用事があって校舎までやって来たのだろう、熊は柔道着姿で少し息が荒い。汗をかいているせいか彼の黒っぽい毛並みもしっとりと湿っているのが分かった。

  ほんの先程まで稽古に努めていたらしい。

  その姿を見て寅谷の胸がちくりと痛む。もう部活に参加することが出来ない自分への憤りと寂しさが一瞬だけ顔を出す。

  「今から帰るんだよ。俺は別にやることもねえしな」

  狼森に会えなかったことも手伝って、気持ちがくさくさとしていた寅谷はそう言い捨てる。

  熊が眉根を寄せる。

  「……なんだか今日のトラタニは機嫌が悪そうだな」

  「毎日へらへらしているわけでもねえよ俺だって。部活はもう引退も同然になっちまったし」

  寅谷は熊から目を逸らしてそう愚痴る。

  熊はふてくされている寅谷を表情も変えずにしばらく見つめると、ぼそりと

  

  「……それもそうだろうが。あとは、オイノモリさんに会えなかったせいか?」

  

  と呟くように言った。

  その一言で、寅谷は熊の顔をまじまじと見つめ直す。

  「は……?」

  驚きに目を丸くする寅谷に向けて、熊は口の端を吊り上げて牙を剥いて獰猛な表情を見せた。どうも寅谷に笑いかけているつもりらしかった。とてもそうは見えないが。

  「……トラタニ。お前、今日昼休みにオイノモリさんのクラスを訪ねて行ったろう?その時お前が話した虎は俺と同じ柔道部だからな、さっき稽古前に俺の耳に入っちまった」

  確かにあの虎は、身長こそ寅谷より低いが厚みのある筋肉質な体つきをしていた。彼は熊の部活仲間だったのか。

  「……ていうか、お前。オイノモリのこと知ってたのか……?」

  寅谷はかろうじてそれだけを口にする。

  熊も狼森のことを知っているとは予想外だった。

  「あの人も、俺と同じく寮生だからな」

  熊はなんでもないようにそう言った。

  この高校には、実家が遠方で通学が困難な生徒の為に学生寮があるのだった。熊がそこから通っていることは知っていたが、狼森もその一人だったということか。

  「はあ?じゃあお前、4月の予算委員会の時にはあの狼ととっくに知り合いだったのか?」

  寅谷の言葉に熊は頷く。

  「……そういうことになるな。それどころか、彼については一年の頃から知っていた。寮内でもなかなかに目立つ人だからな。別にそれほど仲がいいわけではないが」

  熊は平坦な口調でそう言い放つ。あの時の熊は狼森を知っているような素振りは微塵も見せなかったのに。この熊は大抵ムスッとした顔をしているため、感情が読み取りにくく何を考えているのかよく分からないことがあるのだ。

  「おい。なんかそれ騙された気分だぞ、俺」

  寅谷は渋い顔をする。

  それを見て、熊は決まり悪そうに頬を掻いた

  「……俺が一度でもオイノモリさんと知り合いじゃねえと言ったことがあったか?というかな、トラタニとオイノモリさんがそんなに仲がいいとは今日まで俺も知らなかったんだ」

  そう言って、熊はさらに気まずそうに声を小さくする。「知っていれば、俺ももっと早く伝えたんだが……」

  「何をだよ」

  詰問するような寅谷の口調に、熊は言いにくそうに口を真一文字に結んで一瞬黙るが、それでも一言ずつ噛んで含めるように寅谷に言い聞かせる。

  

  「……オイノモリさんが、ここ数日寮で寝込んでいるということを、だ」

  

  

  [newpage]

  

  

  7

  

  寅谷が校舎を出ると同時にぽつぽつと降り出した雨は、次第にその強さを増していき数分も経つ頃には本降りとなっていた。

  

  (うっげえー!)

  

  傘を持たない寅谷は思わず心の中で悲鳴を上げる。気付くと、夕立の激しい雨が彼を襲っていた。右膝の怪我のために、走って雨に打たれる時間を短縮することも出来ない。仕方なく脚を引きずりながら、それでも寅谷は出来る限り早く道を急ぐ。

  彼が向かうは熊の言っていた学生寮だった。

  (あのバカ狼……!風邪ひくだけならまだしも!)

  大粒の雨への腹いせに、寅谷は心の中で悪態をつく。

  下駄箱での熊との会話を反復しながら。

  

  

  

  (……オイノモリさんの心臓が悪いのは、トラタニも知ってるだろう?)

  (一応な)

  (……それならこれも知っているか?あの人の病気は風邪なんかをひくとな、一気に悪くなることがあるらしい)

  (えっ?)

  (まだ病院に行くほどではない、と本人は言うが傍目から見るとかなり具合が悪そうでな、一応大事を取って学校を休んでいるというわけだ)

  (マジかよ……)

  

  

  

  そして職員室に寄って部活に戻ると言う熊と別れ家路に着こうとした寅谷だったが、気付いたら学校を飛び出し狼森が住んでいる寮に向かっていた。

  既に学ランはぐっしょりと雨を吸って重くなり始めている。被毛も濡れて、頭にぺたりと張り付いて冷たい。

  それでも寅谷の全身は火が着いたようにカッカと熱く、動悸がひどい。

  狼森が寝込んでいると聞かされてから、訳の分からない焦燥感に駆られていた。

  

  とにかく早く狼森に会いたかった。

  

  (あー!くそ、なんで俺はこんな焦ってんだ!)

  

  自身の気持ちに整理がつかないまま、とにかく寅谷は目的地への道を歩いた。

  

  

  *

  

  

  寮の玄関ホールに出てきたイタチ獣人の警備員はずぶ濡れの寅谷を見て驚いた顔をしたが、生徒手帳を見せて狼森の名を出すとすぐにその部屋番号を教えてくれ、更にはタオルまで貸してくれた。寅谷は礼を言ってそれを受け取ると頭を拭きながらホールの奥にある階段へと向かい、脚を庇いつつゆっくりと上る。

  そして目的の部屋の扉の前まで来た寅谷は、大きく深呼吸をした。

  急いでやってきたせいか自分の鼓動がやけに早く感じられた。身体中の被毛が湿っぽいのは、雨に降られたばかりでなく噴き出してきた自身の汗も原因だった。

  (……ちげーか。やっぱり俺、緊張してんのか)

  狼森と会うのはたったの五日ぶりだというのに。妙に胸がどきどきとする。

  あの天体観測の時以来だ。

  一言目に何を言っていいのか。どんな顔をして会えばいいのか――。

  やはり狼森の顔を思い出すと、会うのはとても気まずいような気がした。

  それでも寅谷は、もう一度深呼吸をして、気持ちを落ち着かせる。

  (ま。とりあえずアイツの顔を見ねーと言いたいことも言えねーしな)

  寅谷はそう決意してドアノブに手を伸ばす。

  

  が、

  

  寅谷の手が触れる寸前でドアノブが勝手にがちゃりと回った。

  (へ?)

  かと思うと次の瞬間、扉が寅谷に向かって勢いよく開いた。

  がつん、と音がして寅谷の目から火花が飛び散る。

  「あがっ!」

  思わず寅谷は悲鳴を上げて屈みこむ。彼の額に、硬い木戸が思い切り直撃したのだった。

  

  「――あやあ!?すまんすまん、そこに誰かいるとは思わなかったんだあ!」

  

  頭を押さえる寅谷の上に、驚きながらも謝る声が降ってくる。

  「……ん?あ、ありゃ?お前さん……?」

  その声の主は、額をさする虎の姿を認めたのか訝しげな声を出す。

  寅谷はゆっくりと顔を上げて、彼の顔を見た。

  二人の目が合う。

  部屋の住人は、目を大きく見開いてぎょっとした顔を寅谷に向けていた。

  久しぶりに見るその表情が可笑しくて、彼が思っていたより元気そうなのが嬉しくて、意図せずして寅谷の頬が緩む。

  

  「……随分と手荒い歓迎してくれるじゃねえかよ、ケンゾー先輩」

  そう言って寅谷はにぃっと笑う。

  

  「コ、コウイチ。なんでここに……」

  寝間着姿の肥満気味の狼――狼森は、そう言ったままカチリと固まってしまった。

  

  

  *

  

  

  ことり、と寅谷の前にコーヒーが置かれる。今日はビーカーではなく、マグカップ入りである。

  「わりいな、ケンゾー先輩」

  「気にすんなってえ。こんなむさくるしい所にわざわざ来てくれてありがとうな」

  狼森の部屋は八畳ほどの広さで、その中央に置かれた四角い卓に虎と狼は向かい合って座った。よく見ればその卓は炬燵の掛け布団を外しただけのものであり、なんとも学生寮らしい。部屋の壁際には雑多に物が積まれており、宇宙関連の書籍も数多くある。

  どことなく物理準備室の雰囲気に似ていた。

  寅谷は濡れた制服を脱いで、狼森にTシャツとハーフパンツを借りその上にパーカーを着ていた。

  その前に座る狼森は、縦縞柄のパジャマの上に温かそうな綿入りの半纏を羽織ってはいるが、そこまで調子が悪そうには見えなかった。どちらかというと最後に会った時より顔が少し丸くなったように見えるくらいだ。

  「……」

  だが狼森は、おしゃべり好きな彼らしくもなく黙りこくったまま小さな眼鏡の奥から自分のマグカップを見つめて所在無さげに頭を掻いたりしているだけだった。

  どうやら彼も寅谷に会うのは気まずかったらしい。

  手持無沙汰になった寅谷は、何とはなしにカップを手に取るとコーヒーにそっと口を付ける。

  「……!」

  虎の被毛が逆立つ。

  ――美味しい。

  何度やっても自分では再現できなかったあの味だった。

  「これこれ。これだよ、ケンゾー先輩」

  「ん?」

  寅谷の嬉しそうな声に、狼森がちらりと顔を上げる。

  「先輩が来てくれねえからさ。俺、自分で何度もコーヒーサイフォン使ってみたんだけどな、全然上手く淹れられねえの。不味いのなんのって」

  そう言って、寅谷は再びコーヒーをちびちびと飲む。

  「……それは、悪かったなあ。ちぃっと身体の具合が悪くてよ」

  狼森が面目なさそうに頭を下げる。それと同時に、狼森は立て続けに二、三回ゲホゲホと空咳をした。

  「なんだ、まだ治ってねえのかよ」

  「いやははは、これでもだいぶ治った方なんだけんど。一時は飯も全然食えなくてなあ、息が苦しくって布団に横になってんのも辛いし、かといって起き上がるのもえらく億劫でよ――」

  そう言って笑顔を浮かべようとする狼森だったが、途中から寅谷の顔色が変わったことに気付いて、慌てたように口をつぐむ。

  「……先輩、そんなに悪かったのかよ」

  寅谷は目の前の狼を見つめて掠れた声を出す。

  「い、いや、でもほらよ、今はこんなに元気だからなあっ。大丈夫だっ!」

  狼森はそう言いながら両腕を曲げて力こぶを作って見せるが、そんな空元気に誤魔化される寅谷ではなかった。

  「天体観測の時に、俺に上着を貸したりするから風邪なんかひいたんだろうが……!」

  寅谷は狼森を睨みつけて低い声で唸る。

  彼の中にふつふつと怒りが湧いてきていた。

  自分のせいで狼森が体調を悪くしたのかもしれないと思うと、何故だか我慢ならなかったのだ。

  狼森が上着を差し出してくれた時は確かに嬉しかったが、彼がこんな風に調子を崩すなんて知っていたら絶対に借りようとはしなかったはずだ。

  自分の心臓より寅谷を優先した狼森にも腹が立ったし、何も知らなかった己自身にも苛立ちを抑えられなかった。

  「い、いやあ、あの夜はお前さんがあんまり寒そうだったからよ」

  「そういう問題じゃねえだろうが!俺のせいにすんなよ!」

  声を上げながら寅谷は炬燵の天板を掌で叩く。狼森がびくりとして目を丸くする。「聞いたぞ!先輩アンタ、風邪ひくと心臓が悪くなんだろ!それなのになんであんな寒い夜に薄着になるとか危ない真似すんだよ!俺がアンタのことをどれだけ心配したと思ってんだ!あの部屋で一人で本読んでてもちっとも楽しくねえんだからな!もっと自分を大事にしろってのこのバカ!」

  感情に任せてそこまで怒鳴りながら、寅谷は気付く。

  

  ――狼森のことを案じていた自分の気持ちに。

  

  ――狼森がいなくて寂しかった自分の本音に。

  

  ――もしかしたら万が一のことがあって、狼森を失う可能性があるかもしれないと恐れていた自分の心に。

  

  そんな虎の目の前で、狼森は耳を畳んでしゅんとうな垂れる。

  「か、返す言葉もねえな……。俺の方が年上だってえのに」

  狼森はそう言って深々と溜息をつく。「あの夜は、ちいっと浮かれてたんよ……」

  その様子があんまりにも落ち込んでいるので、寅谷も気勢を削がれてしまう。

  「……まあ、いいけどよ。一応元気にはなったみてえだし」

  そう言って寅谷は再びコーヒーを啜る。

  やはり旨い。

  そう思って満足気に頷く寅谷の目の前で、狼森はしばらく俯いていたが

  「で、でもよ、それを言ったらコウイチだって……」

  唐突に唸るようにそう言って、上目遣いに寅谷をジトリと見つめる。

  「なんだよ」

  「この前ん時、自分の脚を省みねえでバスケなんかしようとしてたじゃねえかあっ」

  そう言って狼森は頬を膨らませる。寅谷に怒鳴られたせいかその目が充血しかけている。叱られた腹いせに駄々をこねる子供のようだった。

  「はあ?それとこれとは」

  「あん時は俺がいなかったらお前さんは大怪我してたところだったろぉっ。それに今日だって雨でずぶ濡れで来たしっ!コウイチこそ、俺に言う前にもっと身体を大事にしろってのおっ!」

  「何言ってんだお前は!お前と俺とじゃ身体がちげーだろ!俺は心臓悪くねえからいいんだよ!」

  狼森の言いがかりに近い文句に、思わず寅谷も声を荒げてしまう。

  「ノォーッ!それって差別だあっ!しかも俺のことちゃんと先輩って呼べえ!この怪我人っ!」

  「差別じゃねえよ!お前みたいな体調管理も出来ねえバカ狼、先輩なんて呼べるか!俺のことを怪我人ていうんじゃねえ!」

  「バカじゃねえもんっ!お前さんは立派な怪我人だろうがあっ!そんな脚ガチガチに固めといてえ!」

  売り言葉に買い言葉。

  寅谷と狼森は卓を挟んで言い合いになってしまった。寅谷はイライラと頭を掻きむしる。

  「ああ、もう!なんでアンタはこうなんだ!俺はこんな話をしに来たんじゃねえんだよ!」

  「じゃあ何で来たっつーんだあっ!同情なんか余計なお世話だあっ!」

  狼森が唾を飛ばす勢いで声を上げる。

  その身勝手な言い分に寅谷は激昂した。

  

  

  「――アンタが心配だからに決まってんだろうがアホ狼!俺だってアンタが大好きなんだよ!」

  

  

  叫ぶような寅谷の言葉が発せられた途端、狼森の全身の毛並みがぼんっ、と勢いよく逆立つ。

  それを見て寅谷もはたと我に返る。

  

  ――あれ?今俺なんて言った?

  

  勢いに任せてとんでもないことを口走ってしまったことに今更気付いて。

  大柄な虎の顔がみるみる赤くなっていく。

  「……や。先輩、落ち着け?い、今のはちげーぞ?」

  そう言ってみるが、狼森は目を丸くしたまま硬直している。

  「いや、なんつーかほら、ケンゾー先輩がいなくて寂しか……じゃなくて、話す相手がいなくてつまんな……じゃなくて、あそこに一人でいても何か物足りな……じゃなくて、アンタが死にかけてたら夢見が悪い……みたいな?」

  寅谷はしどろもどろになって言い訳するが、却って墓穴を掘っているだけだった。

  狼森がいなくなって、自分が抱いていた感情の正体が。

  モヤモヤとしていた胸の内が。

  焦燥感に駆られていた理由が。

  それが、寅谷自身にもやっと分かった気がした。

  

  ――狼森への、隠していた自分の気持ちに。

  

  寅谷は胡坐をかいたまま両手を膝に置くと下を向いて、はああああああ、と大きく息を吐き出し、俯いたその姿勢のまま黙り込んでしまう。

  そんな虎と向かい合って、驚愕の表情を浮かべて石像のように固まってしまった狼。

  

  そのままたっぷり一分が経過した。

  

  「……こ、コウイチ?」

  あまりに動かない寅谷を心配したのか、狼森が傍まで寄って来てその顔を覗き込み、おずおずと言葉を発する。「さ、さっき言ったのはよ……。つまり、そ、その、お……お前さんも、俺のことが、す」

  狼森がそう言いかけた途端、寅谷はガバっと勢いよく顔を上げると、卓の上から手を伸ばして狼の長いマズルを掴んでその口を乱暴に塞いだ。

  「むぐっ」

  「ち、ち、ちげーって言ったろうが!お、俺はアンタのことなんか別に……!」

  強がって声を上げる虎であったが、その顔は真っ赤である。

  そんな寅谷を見つめて、口を拘束されたままの狼森の目がしょぼんと歪む。

  寅谷は、その悲しそうな瞳に心臓を鷲掴みされたような気になる。

  

  

  「――あーっ!そんな目で見んなよ!くそ!わかったよ!認めるよ!俺もアンタのことが好きだよ!」

  

  

  ついに観念した寅谷は、大声でそう宣言するとそのまま狼森のマズルの先端に口づけた。

  「んぐっ!」

  狼森がくぐもった悲鳴を上げる。

  突然の寅谷の行動にしばらく目を白黒させていた狼森だったが、ゆっくりと寅谷の後頭部に腕を回すと愛おしそうに瞼を閉じて虎の口内へ舌を侵入させてきた。

  狼森の積極的な行動に寅谷はひどく驚いたが、ディープキスなど彼にとっては初めての経験で、口の中を掻き回す柔らかく温かな感触に頭が痺れてしまいそのまま狼に任せるままになってしまう。

  二人はねっとりとしたキスを交わした。

  粘着質な音を立てて狼森が口を離す。

  寅谷はとろんとした目で狼森を見つめた。

  身体が火照って熱い。甘い毒に犯されているような気がした。

  狼森が自分の眼鏡をそっと外す。初めて見る狼森の素顔は、眼鏡をしている時より若干男らしくも見えて、なんだか印象が変わった様に感じられる。

  狼の目がギラリと光ったように寅谷には見えた。

  「こ、コウイチ……。お、俺だってよ、若え雄なんだから、そんなことされたら、もう我慢きかねえかんなあ……っ!」

  「え」

  狼森は余裕のない声を出すと、返事も聞かずそのまま寅谷に飛びかかるようにして押し倒してきた。不意を突かれてた寅谷はばたりと仰向けに寝転んでしまい、そこへ鼻息を荒げた狼森が覆いかぶさってくる。

  寅谷の首筋に、狼の舌がべろりと這った。

  「ひゃっ!」

  突然の刺激に寅谷の口から情けない音が漏れる。

  狼森は寅谷の首に齧りつくように舐めながら、空いた片手でTシャツを捲し上げると、まさぐるように虎の上半身を撫で回す。

  くすぐったいような、身体が熱くなるようなようなその感触に、寅谷は身を捩った。

  そして寅谷は気付く。自分の太腿に何か硬いものが押し当てられていることに。

  狼森の腰の辺りに位置するそれは。

  「ちょ、ちょ、先輩……!」

  慌てて狼森の身体を押し留める。「な、なに急にがっついてんだよ……」

  そう言って虎は薄ら笑いを浮かべるが、その声は震えていた。怖いのではなく、あまりに突然の出来事に気分が高揚して、初めての体験に緊張しているせいだった。

  「……がっついちゃあマズイかい。コウイチはこういうの、イヤか?」

  天井を背にして床に手をついた狼森が、興奮気味に寅谷を見下ろす。服と毛並みが乱れ、はあ、はあ、と息を荒げている。そんな余裕の無い狼森の姿を見るのもまた初めてだった。寅谷がちらりと狼森の股間に目をやると、予想通り、狼のズボンは大きくテントを張っていた。

  「い、イヤって言うか……。ほら、俺らって今日互いの気持ちを知ったばかりだし、さ。そういうのは、また今度でも」

  

  「――俺には、その“今度”があるかわかんねえとしても?」

  

  慌てて言い繕った寅谷に被せるようして、狼森は静かにそう聞き返す。

  窓の外で、ぴかりと稲妻が閃いた。

  夕立はますます本降りになって来ている。

  「え……?」

  寅谷は呆けたように狼森を見返す。

  「前にも言ったろお、俺は心臓が悪いってな?……今回な、風邪如きでずっと寝込んでて思ったんだ。もしかしたら俺はもう長くねえのかもしんねえ、ってよ」

  ごろごろごろ、と遠くで雷が落ちた音がした。

  「……マジ?」

  小さな声でそれだけしか言えない寅谷に、狼森は子供の様にこくりと頷く。

  「マジだあ。だからよ、俺はなるべく後悔が残るようなことしたくねえんだ、コウイチ。だから出来るなら今日――」

  その瞬間、カッ、と窓から閃光が差し込む。直後、凄まじい轟音が鳴り響き部屋全体が揺れた。今度はすぐ近くに落雷があったようだった。

  直後、ふっ、と部屋の灯りが一気に消えた。停電だった。

  だが下になった虎も上になった狼も、互いを見つめたまま微動だにしなかった。

  薄暗い部屋の中で、狼は小さな声で言った。

  

  「――お前さんと、やりてえ」

  

  [newpage]

  

  

  8

  

  パジャマを脱ぎ捨てトランクス一枚になった狼森は、焦れた様に再び寅谷にのしかかってきた。太った狼の柔らかな腹の肉が寅谷の腹と触れ、狼の下半身の剛直が寅谷の脚の付け根に触れた。服の上からでも、その熱と硬さが分かるくらいだった。

  「け、ケンゾー先輩、ガチガチに勃起してんじゃねえか……」

  呆れたように言う寅谷だったが、

  「……お前さんがあんまり可愛いからな、仕方ねえんだ」

  そう言って悪びれもせずに優しい瞳をした狼森に見つめられると、逆に寅谷の方が赤面してしまう。恥ずかしくなった虎は狼から顔を背けた。

  「なんだ、こっち見てくれよコウイチい」

  「か、可愛いとか真面目に言うんじゃねえよ……」

  「でもよお、ホントのことだからなあ」

  狼森はそう言うと、寅谷に優しく口づけをして彼への愛撫を再開する。首筋から始まり、鎖骨へ、虎獣人の全面を覆う白い毛並みを上から揉み解す様に手で撫で回してしていき、更にはその胸の先端の突起を摘まむようにしてこりこりと弄んだ。

  寅谷の身体がびくりと震える。

  「っあ……ッ!そんなとこイジるのやめろって先輩……!」

  寅谷は声を上げて苦しげにのけ反るが、狼森はニヤニヤと笑って手を休めない。

  「ふっふふーのふー。雄でも案外ここは感じるんだぞお。お前さん、意外と才能ありそうだなあ」

  次第に狼森の手が寅谷の下方へと降りていく。腹筋を撫で、臍の周りを回る様に指で優しくなぞり、そして寅谷のハーフパンツの中へと狼の指先が伸びる。

  「――っ!」

  いつの間にか勃ち上がりかけていた自身の先端へと触れられた途端、痛みにも似た切なげな刺激が駆けあがって来て、寅谷は目を見開いて身体を硬直させる。

  「あやあ。お前さん、身体に似合わずホント敏感だなあ。まだ、ほんのちょこっと触っただけだぞお?」

  「う、うるせえな!」

  寅谷はそう言い返すが、顔から火が出そうな程熱くなっていた。いきり立った自分の逸物を他人に触れられるなど、初めての経験だった。「せ、先輩こそヤケに手慣れてんじゃねえかよ。アンタ、まさかこういう経験あんのかよ……」

  虎の悔しそうな言葉に、狼森は面白がるような顔をして寅谷の目を覗き込む。

  「ぐふふ。もしかしてお前さん、俺にヤキモチ焼いてくれとるう?」

  「うるせえバカ狼!――んぐっ!」

  上手く頭が回らず同じような悪態をつくしか出来ない寅谷の口を、狼森は自分の口で塞ぐ。再び狼の舌が虎の口腔内に入り込んできて、寅谷の中をぐちゃぐちゃと掻き混ぜていく。たったそれだけでも気持ちが良くて寅谷は骨抜きにされてしまう。

  くちゅ、と音を立てて狼森が口を離すと二人の間に唾液が糸を引いた。

  寅谷は、はあ、と息をつき、ぼんやりと夢見心地で狼を見上げる。

  「コウイチぃ。お前さん、そんな顔してため息なんかつくとますます可愛いなあ」

  狼森はそう言って一旦虎の上から身体をどけると、寅谷のズボンに手をかけた。

  「あ、ちょ、まだ……」

  寅谷は焦ってそれを阻止しようとするが、狼森は無視して一気にパンツごと引き下ろした。完全に勃起していた寅谷の逸物が、反動でぶるんと彼の腹に当たる。

  狼森がそれを見て嬉しげに声を上げる。

  「あやあっ、コウイチは顔に似合わず包茎なんだなあっ」

  やや笑いを含んだ声音に、今度は寅谷の毛並みが恥ずかしさで、ぼっ、と逆立つ番だった。虎の陰茎は完全に勃起しているというのに、亀頭の半分くらいが包皮に包まれたままだったのだ。

  「む、剥けりゃいいんだろこんなもん!」

  寅谷は焦って股間に手を伸ばそうとするが、その手を狼森が捕まえる。

  「安心しろって。俺が剥いたるからなあっ。コウイチは黙って寝とけってのお」

  言うが早いか、狼森は手を使って勢いよく寅谷の包皮を引き下げる。

  「いっ!」

  寅谷は短い悲鳴を上げるがその直後、彼の敏感な先端に温かな粘膜が絡みつくような感触が襲いかかる。

  「あぐぁッ――な、せんぱっ……!?」

  我慢出来なくなった狼森が、虎の肉棒にしゃぶりついたのであった。フェラチオどころか他人に触れられることすら初めての寅谷には少々刺激が強すぎて、彼は悲鳴を上げることも出来ずに痙攣するように身悶えした。

  じゅるじゅると、長いマズルを使って狼が虎の逸物を丹念に刺激する。虎は抵抗も出来ずに四肢を突っ張らせて、熱い肉の快感に翻弄されるしかなかった。

  寅谷の肉棒を存分に味わってから、狼森は一旦口を離す。

  舌の翻弄から解放された虎の陰茎は、今にも白濁を噴き上げそうなくらいに硬く天井を突いており、びくっ、びくっと大きく脈動を繰り返す。ピンク色の亀頭が、唾液に塗れて鈍く光った。

  「け、ケンゾー先輩……」

  未体験の事柄の連続で、頭が熱を持ったように回らなくなってしまった寅谷はかろうじて掠れた声を出す。

  「コウイチぃ……」

  狼森は狼森で、興奮に鼻息荒く寅谷の名を呼びながら自身の下着を下ろす。ぶるん、と反動で丸い腹を打って狼森の逸物が姿を現した。腹についた脂肪に埋まっているせいか寅谷よりやや短めだが、太さでは上回っており、何より包皮がしっかりと剥けきっていた。そのことが寅谷の劣等感を煽る。

  「今度は、コウイチもやってくれなあ」

  狼はそう言って寅谷の頭の側に自分の脚を持って来てその上を跨ぐと、そのまま四つん這いになった。

  寅谷の目の前で、硬くなった狼の肉棒が揺れる。

  微かな汗の匂いが寅谷の鼻腔をくすぐるが、今更嫌悪感は無かった。むしろ大好きな狼森の体臭だと思うと、寅谷は余計に興奮してしまった。

  寅谷は吸い付く様にして狼森の先端を口に含む。

  「んっ、ぐぅ……」

  狼森の口から気持ちよさそうに呻き声が漏れ、彼の身体が震える。

  寅谷にとっては初めての行為だったが、口を使って精一杯狼森に奉仕する。

  その姿勢のままで狼森もまた寅谷へのフェラチオを再開する。二人は、尾を食らい合う蛇の様に、互いの雄を口内で弄んで快感を貪り合った。

  狼森の裏筋を舌先でくちゅくちゅと刺激してやると、狼の脂肪の乗った腹が細かく震えることに寅谷は気付いた。どうやら感じてくれているらしい。その反応が面白くて、寅谷は調子に乗ってそこを重点的に責めた。

  そうしていると、次第に口の中に塩辛い味を感じ始める。狼森が先走りを漏らしているのだった。

  そうは言っても寅谷の方も普段包皮に守られて敏感な亀頭を舐め回され続けて、狼森の舌が鈴口を撫でる度に身体がぴくぴくと小さく跳ねてしまう。

  だが狼森より先に音を上げてしまうのはなんだか悔しくて、寅谷は口の中の剛直を必死にしゃぶり続けた。

  そして数分後。

  先に降参したのは狼森の方だった。

  「――こ、コウイチぃっ……!あんまり、そこばっかり、舐めないでくれえ……っ。い、イっちまいそうだあっ……」

  狼森は息を荒げて観念した様に寅谷の股間から口を離すと、息も絶え絶えに切羽詰まった声で訴える。

  寅谷もまた狼森の愚息を解放してやる。目の前で狼森の逸物がはち切れんばかりに反り返っており、その先端からは涎を垂らす様に先走りが糸を引いていた。その扇情的な光景に、寅谷は鼓動がさらに早まるのを感じる。

  「なんだよ先輩、もうなの?案外アンタ、早漏なんじゃねえの?」

  先程包茎と言われたお返しに、寅谷はそう言ってくっくっと笑ってやった。

  寅谷だってもう少しで限界を迎えそうなくらいには上り詰めていたのだが、それを隠して平静を装った。

  「そ、早漏じゃねえしっ……!」

  狼森は荒く息をつきながら顔を真っ赤にして、悔しそうな声を出す。「そんなことを言うコウイチには、こうしてやるからなあっ」

  狼森は寅谷の上からどくと、再度虎の脚を抱えるようにしてその間に顔を埋めてきた。

  しかし、今度はフェラチオではなかった。

  「あひゃあっ!?」

  寅谷は再び素っ頓狂な声を上げてしまう。

  狼の舌が、虎のアナルを這っていた。

  「せ、先輩っ……!何やってんだっつーの……!?んなとこ汚ねーって……!」

  寅谷は身を捩って逃げようとするが膝の怪我の為に上手く動けない。狼森はそんな寅谷の大腿を押さえつけると、その間から好色そうな目で寅谷の顔を見上げた。

  「む、むっふふー。ちゃんとほぐして濡らしてやらねえと、あ、あとで泣きを見るのはコウイチだからなあっ」

  「ちょ、待って……!」

  寅谷の制止も聞かずに、狼森は鼻息を荒げて寅谷の後ろの穴をべろべろと責め続ける。くすぐったさと恥ずかしさで、寅谷は頭がおかしくなりそうだった。

  「――も、もうこれくらいでいいだろおっ。な、コウイチっ」

  大して時間もかけていないというのに、最早辛抱が利かないのか狼森は焦れたように寅谷の脚に割って入ってくると、逸物の先端を虎の穴にあてがう。その熱と硬さと震えが寅谷にも伝わった。

  ふう、ふう、と興奮した狼森の息が顔に掛かる。

  慌てているような狼森のその様子に、寅谷も焦った。

  「け、ケンゾー先輩、少し落ち着けって――」

  「すまんコウイチっ、お、俺、もう待てねえっ、限界だあっ」

  言うが早いか、狼森が寅谷に向かって一気に腰を突き出してきた。

  ずぶり、と音がしたような気がした。

  狼森の雄が寅谷を貫いたのだった。

  「――ッ!!!」

  脳天まで一直線に電撃が走るような痛みに、寅谷は声なき悲鳴を上げて激しくのけ反る。

  初めての寅谷には狼森の剛直は少々太すぎた。

  「んぐぅ……っ!こ、コウイチ、そ、そんな動かれたら……っ!もう……っ!」

  挿入した瞬間の肉の感触と、寅谷の激しい動きで狼森も喫水線を超えてしまったのか、寅谷に向かって崩れ落ちその身体を抱きしめると、毛並みを逆立たせて全身を震わせた。

  「あっ、はあっ……ん、んぐうう、うううう、ううぅぅ……!」

  狼森は快感に耐えるように目を瞑って歯を食いしばるが、堪え切れなかったようで腰がびくびくと勝手に動いてしまう。寅谷の中で、狼森の肉棒が同じように痙攣しながら白濁を撒き散らしていた。

  

  

  「――せ、先輩よお……入れた瞬間にイクとか、マジで早漏じゃねえか……。ていうか、中で出しやがったな……」

  狼森の射精から少し経って、尻の痛みが落ち着いた寅谷が呆れたような声で呟く。

  「……はあ、はあ……、ち、ちげえしぃっ……。こ、コウイチが変に動くからだあっ……」

  寅谷に覆いかぶさって、その耳元で狼森が泣きそうな声を出す。一度イったというのに狼の逸物はまだ全く萎えておらず、それどころかさらに圧迫感を増しているようにさえ寅谷には感じられた。

  狼森は、はあ、はあ、とまだ荒く息をつき続けている。

  「大丈夫かよ。アンタ、言っても病み上がりだろ……?」

  「う、うっさい!こう見えても俺は絶倫なんだからなあっ!一発じゃ満足できねえってのおっ!」

  何を威張っているのかわからないが、狼森はそう叫び急に上体を起こすとがむしゃらに腰を前後に動かし始めた。

  「ぎゃっ!ちょっ!いっ!」

  ロクに馴らしていないところに無理矢理なピストン運動で内部を押し広げられて、寅谷は悲鳴を上げる。

  「す、すぐ済むからな、我慢しろってえ……!」

  狼森はふう、ふうと息を乱しながら、それでも腰を動かすことを止めようとしない。狼の顎先から、ぽた、と汗が滴り落ちた。

  「うっ!あっ!あっ!」

  寅谷は、無理矢理に犯される苦痛に顔を歪めて短い悲鳴を上げ続ける。

  その股間では、痛みで萎えてしまった彼の逸物がぶらぶらと揺れていた。

  「と、隣に聞こえちまうから、ちいっと声を抑えろって……!」

  言いながら、狼森は再度寅谷にキスをしてその口を塞ぐ。同時に寅谷の陰茎に手を伸ばして、その先端から垂れていた先走りを使ってぬるぬると扱き上げた。

  「――っ!」

  突然の強い刺激に寅谷は目を見開く。彼の肉棒に一気に芯が入る。前から与えられる快楽で、後ろからの苦痛がだいぶ和らいだような気がした。

  狼森は虎の口腔内で舌と舌を絡め、さらには虎の中へと自分の先端を突き入れて、虎の雄は手で弄んでやった。何度も何度も、それを繰り返した。

  そのうち。

  寅谷は異変に気付く。前からだけでなく、尻からの刺激も次第に熱く、蕩けるような心地いい感覚に変わりつつあった。

  狼森の亀頭が自分の内壁を擦り上げる度に、下半身から切なげな感触が込み上げてくる。

  いつの間にか狼森の手は虎の陰茎から離れていたが、それでも虎の勃起は全く収まらなくなっていた。それどころか、尻を突かれる度にびくんびくんと脈動しながら、透明な粘液を撒き散らす始末であった。

  「せ、せんぱいぃ……なんか、おれ……」

  頭も身体も、気持ちよさで上手く回らなくなり舌足らずに寅谷は狼森を呼ぶ。

  「ふう、こ、コウイチ。ひい、お、お前さん、いい顔、してんぞ……。なんか、はあ、めっちゃエロイなあ……っ」

  狼森は腰を止めて舌なめずりをしながらそう囁く。だが、彼の呼吸は先程よりさらに激しくなっており、肩で息をしているような有様である。白髪交じりの灰色の毛並みは既に汗だくだ。

  「せんぱい、あ、アンタ、だいじょうぶかよ……。無理すんなよな……」

  ぼんやりとしながらも、かろうじて残った理性で寅谷は狼森を心配する。

  彼の心臓が悪いということなど、寅谷は今しがたまで完全に失念していた。

  「ひい、はあ、情けねえけど、はあ、ち、ちっと、限界かもしんねえ……。ふう、今度は、お前さん、動いてくれねえか……?」

  狼森はそう言って寅谷を持ち上げると、つながったまま今度は自分が仰向けになった。

  騎乗位の姿勢だ。

  寅谷は息を一つ吐くと、狼森の胸に手を置くとゆっくりと腰を浮かせ始める。

  狼の陰茎が虎の中からぬるぬると姿を現し、そして先端がぎりぎり抜けそうなところまで来たところで、また中に埋没していく。

  「うう……っ!」

  寅谷は思わず唸り声を上げる。

  姿勢が変わったせいか、狼森の太く硬い陰茎の当たる箇所が違うのだ。そのせいでまた新たな快楽の波が虎を襲っていた。

  にちゃ、にちゃ、と粘着質な音を立てて寅谷は腰をゆっくりと上下させる。

  「こっ、コウイチ……っ!」

  狼森もまた顔を歪めて首を捩る。

  自分のペースで腰を動かすのとは違う、相手に逸物をねっとりと搾り取られるような感触に、狼は歯を噛みしめて耐える。気を抜くとあっという間に果ててしまいそうだった。

  先程まで主導権を握っていた狼森にそんな顔をさせているのが楽しくて、寅谷の嗜虐心に火が付く。

  寅谷はわざと焦らすようにゆっくりと、時には予想外の刺激を与えるように激しく、動き続ける。

  尻に力を入れて狼森を締め上げ、緩め、彼の逸物を揉み解す様にしてやった。

  「ぅあっ……!そ、そんな、駄目っての……!い、イっちまう……!」

  狼森が首をのけ反らせて拳を握りしめる。

  「せんぱいよお、かってにイクなよな……!」

  少し余裕の出てきた寅谷はそう言って狼森の乳首を弄ってやった。

  それを合図としたかのように狼森がカッと目を開いた。

  「む、無理ぃっ!も、もう我慢出来ねえっ!!」

  狼森は勢いよく上体を起こして寅谷の腰を抱えると、下から激しく突き上げ始めた。

  「いっ!あっ!」

  急な動きの変化に寅谷の口から悲鳴が漏れる。

  「コウイチっ、コウイチっ!」

  だが狼森はそれが聞こえもしないように虎の名を呼びながら一心不乱に腰を振り続ける。

  そんな彼が愛しくて、寅谷は狼森と口づけをしながらその身体を抱いた。

  狼森の丸い腹で、寅谷の肉棒がぎゅうと圧迫される。

  「――やべえっ、せ、先輩、俺……っ!ん、ぐううううう!」

  狼森の体温を感じながら寅谷は絶頂を迎えた。二人の腹の間に挟まれたまま、虎の陰茎はびくびくと精子を放出した。

  それに合わせて、狼森を包み込んだ虎の肉壁が激しく収縮する。

  「う、うぐぅっ!」

  狼森はひときわ高く唸って大きく震えると腰の動きを加速させた。狼森の逸物がこれ以上ない程に大きく硬くなっているのを寅谷は感じる。狼にも限界が近づいていた。その身体を、寅谷はまた強く抱き返した。

  

  「――はあ、はあ……!うう、死にたくねえ……!」

  

  辛そうに息を荒げた狼森が、寅谷の耳元で低く唸る。「せっかくお前さんに会えたのに、まだ、まだ俺は死にたくねえよ、コウイチ……!」

  その目尻から涙をこぼしながら狼森は動きを止め、びくりと身を震わせたかと思うと、寅谷の中で勢いよく吐精する。その快楽に狼森が身を捩る。

  「コウ、イチぃ……っ!好きだっ、好きだあ……っ!」

  寅谷は自分の中で、狼森が跳ね回りながら精を放つのを感じる。虎の名前を呼び、泣きながら全身をビクビクと震わせる狼森を、寅谷はさらに力を込めて抱きしめ、背中を撫でてやる。

  

  

  ――きっと大丈夫だと、そう言ってやりたくて。

  これからは俺がついていると、そう励ましてやりたくて。

  

  

  [newpage]

  

  

  9

  

  三日後。

  よく晴れた日の昼休み。

  寅谷は一人、校庭の木陰で涼みつつサッカーに興じる生徒たちを眺めていた。

  右脚さえ問題なければ、自分もあの中に混ざるところなのだが、そうもいかない。

  

  (あーあ。くそっ。……まだ腰とケツがいってえし……)

  

  そんなことを胸中でぼやく。

  寅谷はあの時のことを思い出すと顔から火が出るような気がした。狼森を好きになってしまったのだって充分に不覚だが、それより、まさか狼森に主導権を握られてやられてしまうなど、それで気持ちよくされてしまうなど、屈辱の極みだった。

  だが、あれから狼森のことを想うと身体が疼いてしまうのもまた事実。

  家であの情事を思い出すだけで何度抜いたか分からない。

  (結局、俺はアイツに惚れちまってたってことだよな……。あんなデブの変人に……。なんでこんなことに……)

  何十回目かになる自問自答を繰り返して、寅谷は深々と溜息をつく。

  とは言うものの素直になってよく考えてみれば、あの狼と初めて出会って彼が夢を語ってくれた時から惹かれていたような気がする。

  

  “スカイフック”。

  

  ほんの二週間前までは何の共通項も持たない二人だったが、その言葉の勘違いから始まった。

  狼森は体調が万全ではないらしくまだ学校では姿を見かけていなかったが、昨晩狼森からメールがあったのだった。

  『明日こそ学校に行くから、昼休みに校庭で会おうぜえっ』

  と。

  (でも、なんで校庭なんだろうな……?)

  そう思っていると、周りからどよめきがあがった。皆が見ている方角に虎も目をやると。

  案の定、である。

  白衣を着た太った狼がバタバタと駆けてきていた。その背には長さ2メートルはあろうかという大きな包みが背負われており、とても目立っていた。

  「待たせたなコウイチっ!」

  狼森は寅谷の目の前に包みをどしんと下ろすと、嬉しそうにそう言った。

  「あ、アンタ、もう身体は大丈夫なのかよ……。そんな走ったりして。ていうかその包みは何だよ……?」

  何からツッコんでいいか分からない寅谷がぱくぱくと質問すると、狼森はブイサインを作って尻尾を振った。

  「もう身体はばっちりなんだなっ!お前さんって恋人が出来たのに、おちおち寝込んでなんかいらんねえってのお!」

  大声でそう言い放つ狼森に、寅谷は慌てる。ただでさえ周りの注目を浴びているというのに。

  「ば、バカっ!んなことココで言うなっての!」

  狼森はきょとんとした。

  「え?なんでえ?」

  「なんでって、そりゃ先輩……」

  考えて、寅谷も言い淀む。

  

  ――人に知られたら困るから?

  狼森と恋人なんて周りに言ったら笑われるから?

  変な目で見られるから?

  

  そのどれを言っても狼森が悲しむ気がして、寅谷は口をつぐむ。

  「いや、な、なんでもねえよ」

  だがそう言い繕った寅谷を、狼森は考え込むようにじいっと見つめると

  「……やっぱりコウイチは、俺なんかが恋人じゃあ、嫌かい」

  真顔でぽつりとそう言って寅谷に背を向けた。

  「え」

  「……そりゃあそうだよなあ、こんな、デブで、留年してて、病気してて、夢みたいなことばっか言ってる狼なんかじゃあよ……。この前は、お前さんにあんな酷えことしちまったし……」

  後ろを向いた狼森のその肩が小刻みに震えていることに気付いて、寅谷は焦る。

  「や、や、ちょ、待てよケンゾー先輩。俺がいつそんなこと言ったよ。この前の時のだって、別に、そんな嫌じゃねえし、それに、言っただろうが、俺は先輩のことをさ、その……なんていうか……」

  改めて言おうとすると、気恥ずかしくて照れてしまう。

  顔が熱くなるのを感じながら、それでも寅谷は言い切った。

  

  「す、好きだってよ……」

  

  その言葉を発した途端、狼森がぐるりと寅谷に顔を向けた。

  (げ)

  狼の顔がこれ以上ない程嬉しそうにニヤニヤしているのを目にして、寅谷は謀られたことに気付く。

  (こ、コイツ……泣き真似してやがったな!)

  「なっははー!なーんてなっ。全くコウイチは素直じゃないんだからなあっ。好きなら最初からそう言えってのおっ!」

  言うが早いか狼森は寅谷の首に飛びついてくる。

  虎の身体に二人分の体重がかかる。その胸に狼が顔をぼふんと埋める。

  「お、重っ!暑苦しっ!や、やめろっての先輩!」

  「むっふふー!俺は子供の頃から独りの時間が長かったからなあ、結構な人見知りだけんど、一回慣れると実は超甘えんぼだあ。甘えてやるう、甘えてやるぞおコウイチい!」

  「嘘こけ!アンタのどこが人見知りだ!」

  

  

  ――十分後。

  寅谷はまとわりついてくる狼森をどうにか引き剥がし、その後で大きな包みの中身をいそいそと組み立てていく狼森の様子を眺めていた。

  包みの中身。

  透明なプラスチック製の容器で作られた、長細い塔のようなそれは。

  「もしかしてこれ、ペットボトルロケットか?」

  寅谷の言葉に狼森はにっこりと笑った。

  「ご名答だコウイチ。今日の実験はこいつの打ち上げなんだなっ」

  「……ケンゾー先輩、ロケットは宇宙開発には非効率的とかなんとか言ってなかったっか?」

  ちっ、ちっ、と狼森は指を振る。

  「故きを温ねて新しきを知るってヤツだぞお。天文物理を学ぶ者として、いろんな宇宙へ到達する手段を学んどいて損は一個も無えしよ」

  ロケットの全長は寅谷の背よりも高く、その下半分は2L入りのペットボトル5つを縦に重ねた物が4本束になっていた。それだけでも寅谷の胸くらいの高さはある。

  こういうロケットの方式は寅谷も本で読んだことがあった。

  「……そしたらこれは、まさかクラスターロケットにしてんのか?」

  「お!よく勉強してるなコウイチ!」

  狼森は嬉しそうにニィっと笑う。「同じエンジンでもよ、こうやって束にしてやると推力が簡単に増やせっからなあ、二大国の宇宙開発競争の時にもこの技術が重要な役割を果たしたんだな!近代ロケット開発に大きな貢献をした有名なアラン・ユーリ試作型ロケットもこの技術を使っていてだな――」

  いつもの調子で狼森がぺらぺらと講義を始めそうになったので、寅谷は慌ててそれを止める。放っておくとこの狼はいつまでも話し続けてしまう危険があるのだ。

  「ま、まあその話はあとにして、早くこれを打ち上げようぜ。五限が始まっちまうし。」

  「ん?おーう。それもそうだなあっ」

  狼森はそう返事をすると、額に汗を掻きながらそれでも楽しそうに発射台を組んでいく。

  そんな彼を眺めていると寅谷も少しずつわくわくし始める。

  

  ――ちょっと前までの自分だったらペットボトルロケットになんて全く興味を持たなかっただろうし、クラスターロケットなんて単語も、宇宙開発競争についても一つも知らないまま過ごしていたに違いない。

  狼森と出会っていなかったら、きっとまだバスケットボールが出来なくなったという失意のまま暗い気持ちで過ごしていたのではないだろうか。

  

  言ってみるならば。

  あの鬱々とした日々に突如現れ全く知らなかった宇宙の世界に引き上げてくれた狼森こそが、自分にとっての“スカイフック”だったのかもしれない――

  

  そこまで考えて、寅谷はぺろりと舌を出す。

  「……へっ。なーんてな」

  「え?何か言ったかいコウイチ?」

  狼森が不思議そうな顔を向けてくる。その手にはリモコン式のスイッチが握られている。とうとう発射準備が整ったらしい。

  「なんでもねえよ」

  そう言って、寅谷はふっと鼻で笑った。

  

  

  *

  

  

  二人はロケットから離れて発射を見守る。

  既に予鈴は鳴っており、他の生徒たちは校舎に引っ込んでしまっていた。早くしないと次の授業が始まってしまう。

  (ま、それでも別にいいけど)

  寅谷にとっては、授業よりも狼森とロケットの打ち上げを見ていることの方がずっとずっと重要だった。

  「じゃ、そろそろ始めるかあ。ではコウイチ、カウントダーウン!」

  狼森がびしりと寅谷に人差し指を突き付ける。

  「……え。カウントダウンとかやんの?俺が?」

  虚を突かれた寅谷が瞬きをして聞き返すと、狼森は不服そうに鼻を鳴らした。

  「当ったり前だあ!――お前さん、ロケットの打ち上げ見たことないのかい」

  呆れたように言われて少々ムッとするが、仕方なく寅谷は数を数える。

  「わーったよ。じゃあいくぞ。……発射10秒前、9、8――」

  「よーし、気分出てきたっ」

  狼森にそう言われると、寅谷も悪い気はしない。

  「7、6、5――」

  しかし残り4秒となったところで、狼森は大きく息を吸い込み、

  

  「――それではあ、ケンゾーとコウイチ!二人の身体のケンコーを祈念してえ!」

  

  大声を張り上げると、両腕を開いて胸を反らす。その姿はまるで勇ましい応援団長のようだった。

  驚いて寅谷はカウントダウンを止めてしまう。

  

  「――ファイア!」

  

  狼森が宣言と同時に右手のスイッチのボタンを押すと、

  

  ブシュウウウウウウッ!

  

  威勢のいい音と共に、勢いよくロケットが飛び出していく。二人が並んで見上げる青空に向かって。

  「おおー行った行った!」

  狼森が空を仰ぎ、はしゃいで手を叩く。

  ロケットは校舎の高さをあっという間に超え、小指の爪くらいの大きさになったところで第二段ロケットが噴射を始める。

  切り離された大きなクラスターエンジンがゆっくりと下降を始め、上半分の小さなロケットは更に上空を目指していく。

  ロケットの噴射で石灰が巻き上げられ白煙がもうもうと立ち込める中、寅谷はぽかんと大口を開いた。

  「……なんなんだよ、今の妙な口上は。もしかしてダジャレじゃねえだろうな……?」

  (っていうか結局自分のタイミングで発射すんなら、俺のカウントダウンの意味ってあったのか……?)

  後半の質問は何とか飲み込んで、狼森の壊滅的なセンスに寅谷は呆れた顔をするが、

  「ダジャレじゃねえってのっ!ゲン担ぎってやつだなあっ。よく出来てんだろ?俺ら二人の名前をもじってて、さらに健康を祈る、ってのがさあ」

  そう言って片眉と口の端を吊り上げて得意顔をしている狼森を見ていると、毒気を抜かれて苦笑してしまう。

  校舎では校庭に面した教室中の窓が開き、大勢の生徒や教師たちが何事かとロケットが飛んで行った空を見つめている。

  彼らの見つめる先では、ロケットの先端が噴射を終え、一瞬停止したように見えたかと思うと重力に引かれ次第に下向きへと加速を始めていた。

  「……あやあ、さすがにこんなもんかあ。300メートルくらいは行きたかったけんどなあ」

  双眼鏡でその様子を眺めていた狼森がちぇ、と悔しそうに舌を鳴らして手にしていたストップウォッチのボタンを押す。

  「なんだよ、大したことねえのか。結構高く飛んだ気がしたけど」

  寅谷は狼森の顔を見る。

  「うーん、今から落下までの時間を測って計算しなきゃはっきりしたことは言えねえけんど、多分200メートルぐらいかんなあ。確か公式の世界記録が300メートル弱だから、一応それを超えるつもりで作ったんだけんど、やっぱまだ甘かったなあ」

  そう言って狼森は面目なさそうに頭を掻いた。

  「え。アンタ、世界狙ってんの?」

  「いやいや、別に記録を狙ってるわけじゃないけんどなっ。これくらい世界一になっとかなきゃと思ってよ」

  狼森は寅谷の顔を真っ直ぐに見つめてニッコリと笑った。「――何しろ俺はさ、まだ誰も見たことないもん作って宇宙へ行こうって言ってんだかんなあっ」

  そのキラキラとした大きな瞳に見つめられて、寅谷の胸はドキリと跳ね上がる。

  

  

  

  ――ああ、そうか。あの時と同じだ。

  

  寅谷は胸の内で呟く。

  あの日、物理準備室で宇宙が夢だと狼森が宣言していた時と。

  

  ――やっぱり俺は、この人の夢見る子供みたいな表情に、心底惚れこんじまってたんだろうなあ……。

  

  

  

  

  「なんだあコウイチ、そんな一生懸命に俺の顔を見つめて。照れちまうなっ」

  寅谷の視線を受けた狼森が、でへへ、と頬を緩ませて頭を掻く。

  そのだらしない顔を見て急に現実に引き戻された寅谷は、なんだか意地悪してやりたくなる。

  「……いやなに。ケンゾー先輩は相変わらずぶくぶく太って丸い顔してやがんな、と思って」

  寅谷の悪態に、狼森はあからさまにショックを受けたようだった。

  「えーっ!なんだそれ、恋人に向かってひっでえぞコウイチぃっ!」

  「かっかっか、まあ太ってんのは事実だろ――」

  笑いながら寅谷が言い返そうとした時、離れたところから怒鳴り声が響いてきた。

  

  「グォラアアアアアア!またてめえらか!天文部のバカ野郎ども!学校でロケット飛ばすのは禁止だ!!もう授業始まんだろうが!!」

  

  騒ぎを聞きつけて、体育館の方から青いジャージ姿の中年ヒグマ獣人が竹刀を片手に走ってくるのが見えた。

  熊崎厳達(くまさきげんたつ)。

  生活指導担当の体育教師である。前にも狼森が物理準備室でべっこう飴を作ろうとして火災報知機を鳴らしてしまい、二人して外が暗くなるまで叱責されたことがあった。

  狼森は両腕を頭上でクロスさせ大きくバツを作ると、それを熊崎に向け

  「ノォー!ちっがーう!俺らは天文物理部でっすぅー!」

  と叫んだ。

  「な、名乗ってどうすんだこのバカ……!」

  寅谷は慌てた。

  こちらへ駆けてくる熊崎が、憤怒の形相でいることが分かったからだ。そういえば未だ独身である熊崎は先週末にまた見合いを失敗したとかいう話で、大層不機嫌であるという噂を聞いたような気もする。

  捕まるのは非常にまずい。

  いや、もう面が割れている時点で既に捕まったも同然なのだが。

  「さーて、逃げっかコウイチ!」

  言うが早いか、狼森がドタドタと校舎とは反対方向へ向かって駆け出す。

  「あ、おい!待てよ先輩!」

  寅谷も同じ方向へ向かうが、右膝が曲がらないためにぴょこぴょこと跳ぶようにしか動けず、狼森に置いて行かれそうになる。狼森は、鈍足は鈍足だったがそれでも今の寅谷よりは十分に速い。

  狼森は走る脚を止めずに振り向いて含み笑いをする。

  「むっふふー。コウイチ、ここは囮作戦だっ。一人がクマサキの気を引いて、もう一人が彼方へ逃げ去る!一番まずいのは全滅することだからなあっ」

  狼森のその叫びを聞いて、寅谷ははっとする。

  もしや。

  「……ケンゾー先輩てめえ!最初から俺を囮にする気で呼び出しやがったな……?」

  嵌められたことに気付いた寅谷は悔しそうに唸るが、時すでに遅し。彼の背後の2メートルのところまで熊崎が迫っていた。

  狼森は楽しげに言葉を続ける。

  「さーて、どうだろうなあ。ま、さっき俺のことを丸顔って言ったお返しってことでえ。とりあえず俺はお前さんの武運を心から祈ってるよお!ふっふふーのふー!」

  

  「先輩てっめええええ覚えてろよおおおおおお!」

  

  「待ちやがれ天文部のクソガキどもおおおお!」

  

  初夏の校庭に、楽しげな笑い声と怒りの悲鳴と体育教師の野太い怒号が響き渡る。

  太っていて速度の出ない狼と、怪我のせいで跳ねるようにしか動けない虎、さらにはその二人を真っ赤になって追いかけ回す青いジャージ姿のヒグマの教師。

  コントのような滑稽な光景に、校舎から眺める生徒たちも教師たちも、皆笑っていた。

  もちろん、寅谷の友人でありチームメイトであるハスキー犬も、柔道部主将の熊も。

  

  「ゴルァァッ!捕まえたぞトラタニぃ!」

  「ぐえっ」

  懸命に逃げているところを勢いよく熊崎に首根っこを掴まれた寅谷は、反動で空に顔が向いてしまう。

  (あーくそっ!めちゃくちゃいい天気じゃねえかよっ!)

  どこまでも広がるような初夏の空が、もくもくと嵩を増していく白い入道雲が、さんさんと照らす午後の太陽が、寅谷の瞳に映る。

  「オイノモリぃ!お前も待て!待たんかー!」

  熊崎の制止を見事に無視してドタドタと必死に逃げていく狼の大きな背中も目に入った。

  晴れ渡る大空と笑いながら駆けていく狼森のことを見ていると、自分の怪我がどうでもいいことのような気がしてくるので不思議だった。

  (ケンゾー先輩あんにゃろ、結構走れんじゃねえか!)

  そんなことを考えて自然と笑みが零れてしまう。

  小さなことでクヨクヨしていたちっぽけな自分と、広大で壮大で無限ともいえる宇宙。そのスケールから見たら、自分たちの怪我や生死などほんの些末な出来事なのだろう。

  だが、いつかは寅谷もそこへと辿り着きたいと思うようになっていた。その可能性は自分たちの手で切り開けるのかもしれないと、そう考えるようになっていた。

  狼森が見せてくれた圧倒的な質量の惑星たちが浮かぶ、夜空に降り注ぐ流星群の故郷である、ペットボトルロケットが向かったさらにその先にある、無数の星々の煌めく空間へ。圧倒的な大宇宙へ。

  もちろんその時は彼と一緒に、だ。

  

  やりたいことも、やるべきことも、まだまだ幾らでもある。

  ふっふふーのふー、と熊崎に聞こえないように寅谷も小さく口の中で笑ってみた。

  なんだか無性に可笑しくて仕方なかった。

  

  

  虎の青年は笑顔で青空を見上げ続ける。

  

  

  

  

  

  

  ――その遥か上空、地表から4500kmの外気圏を全長8000kmを超える巨大なスカイフックの影が悠々と横切っていく――

  

  

  

  

  

  

  そんな幻の、夢を見ながら。