一定の律動で揺れる車内は、少し息苦しい。向かい合う形のシートに二人で腰をかければ、もちろん相手の視線がこちらに突き刺さる。
栗色のパーカーの裾を握って口を閉じていると、沈黙に息苦しさを感じたのか目の前の大きな狼は大きな口から牙を覗かせる。
「服、似合ってるっすね」
「⋯⋯ありがと。一緒に選んでくれたやつだから、かも」
しばらくの沈黙が流れる。目線を泳がせている僕が次の言葉を探していることを察したのか、彼から再び口を開く。
「⋯⋯窓見てください! 綺麗っすよ!」
キラキラとした瞳をさせて、窓に視線を移す彼につられて景色を覗くとそこには鮮やかな赤い世界が広がっていた。秋晴れの青空と、山々を染める赤色の補色が眩しい。
⋯⋯多分イチョウとかモミジだとか、そういったやつが、山を炎のように色付けている。
「やっぱり京都はいいっすね〜。景色が綺麗で、デートにはぴったりっすね!」
唐突に手を握られて思わずビクッと反応する。すると、彼はケラケラと笑いながら可笑しそうにする。
「⋯⋯冗談っすよ。そんな驚かないでくださいよ〜」
「⋯⋯あっ、ごめん。ちょっと、びっくりして」
目の前にいるのは、バイト先で知り合った狼獣人の倉本灰牙。といっても、年齢的には僕と同じで、彼が一年浪人していたという状況。
人と話すのがとても苦手な僕を気遣っているのか、それとも単に面白がっているのか。普通であれば絶対にかかわることがなさそうな、いわゆる陽キャな彼は僕によく声をかけてくれる。
学部は違うものの大学の敷地内ですれ違うとよく手を振ってくれる。それに僕は小さく会釈をするだけなのだけど。
この旅行も、彼が全部プランを立ててくれた。旅行どころかどんな服を着ていけばいいのかがわからない僕のために一緒に買い物にも行ったし、全て頼りっぱなしだった。
⋯⋯というより、もうすでに計画が進んでいて、断ることができなかったというのが正しい。
とかいうちょっとした話をしたり、会話の間にペットボトルのお茶を一口ずつ飲んだりしていたら長い電車旅もあと少しで終わるようだった。目的地への到着を告げるアナウンスが電車の中に響く。
「もうすぐで着きますよ。トイレは大丈夫っすか?」
「あっ、うん。大丈夫⋯⋯だよ」
電車が止まって、ドアが開いたと思ったら彼は僕の手をやさしく取って外へ連れ出す。本当は何か話したほうがいいとは思うけれど、どんな言葉が相応しいのかが分からなくて声にしないままにしてしまう。
意外にも現代的な京都駅を後にして、僕は歩き出した。
「さーて、まず最初は⋯⋯。東寺でも行きますか。先輩、五重塔っすよ」
「あれ、それは奈良じゃなかったっけ」
「先輩が言ってるのは多分法隆寺っすね。まあ有名なのはそっちか⋯⋯」
スタスタと、それでも僕がついて来れるような速さで堂々と彼は京都の町を歩いて行く。一方僕は沢山の人混みを恐る恐る見回しながら歩いていた。正直あまり落ち着かない、不安な旅の始まりだ。
しばらく歩いていくと、高い建物が現れる。それは大昔に建てられたような威厳のある雰囲気を出していて、なんだか不思議な感覚がする。いわゆるパワースポット? のような、聖なる力を放っているような気がした。
「記念撮影しましょうよ〜! ほら、こっちっす!」
「うっ、うん!」
伸ばして腕でスマートフォンを操作する彼の横にそっと立つ。すると肩をぐいっと寄せられる。
「ちょっと寄らないと画面に入らないので⋯⋯」
「あ、ごめん。写真、慣れなくて」
ピースをして、パシャリ。友達とは無縁だった今までの人生でまさか誰かと一緒に写真を撮るだなんて思いもしなかった。
人に興味がないからなのか、昔のことは朧げであまり覚えていない。仲の良かった人なんて、誰もいなかったような気がする。
「あ、これイントログラムに載せてもいいっすか?」
「⋯⋯うーん、悪用とかされない?」
「大丈夫大丈夫! 大学の人しか見てないアカウントっす」
「ならいっか。うん、いいよ」
インターネットは、基本的に見るだけ。だから、自分から何かを発信するだなんて一度も思ったことがなかったし、意味がないと思っていた。
そもそも、こんな無口なつまらない人間の話なんて誰も聞かないだろう。
でも、嬉しそうにしてスマホの画面を見てる彼を見ると楽しいものなのかなとも思えてくる。
「さーて、次は嵐山っすよ! ついてきてください!」
といって張り切った様子の彼に手を引かれて走る。灰色で、大きくて、見た目はちょっと怖いけれど優しい彼の手は、秋の京都の空気の中でも暖かかった。
一枚、また一枚と写真を撮っていく。肩を組んだり、変顔だったり、最近流行っているらしいポーズもいくつか教えてもらった。
「なんか表情が柔らかくなってきたっすね」
「そうかな⋯⋯? 色々見ることができて楽しいからかも。⋯⋯その、ありがと?」
「マジっすか!? 実は楽しんでもらえるかめっちゃ不安だったんすよね〜。でも、よかったっす!」
尻尾が大きく揺れる。あまりにバサバサとするものだから、思わずプスッと吹き出してしまった。それを見て、より一層揺れが大きくなる。
この子は多分、人が喜ぶのを見るのが好きなのかもしれない。とても心が優しい、どんな人でも笑顔にさせたいと思うような人。
自分とは全く違うその生き方に、少し胸がチクリとしたもののそれも声を聞けばたちまち癒える。軽い足取りで次のスポットへ向かった。
金閣寺、清水寺、伏見稲荷⋯⋯。京都といえば、と尋ねられた時には名前が上がるであろう場所を転々とする。
スマートフォンの中には、その分だけの思い出が積もっていくのだった。
楽しい時間はあっという間に過ぎていく。すっかり薄暗くなった京都の町は、幻想的な風景だ。
「⋯⋯楽しかったね」
「いやー、いろんなところ行けて良かったっす。⋯⋯これならデート成功っすね?」
「⋯⋯デート、ではないかな?」
小さな声で一つ訂正すると、ふいに彼の足が止まる。不思議に思って顔を見ると、唐突に唇に柔らかいものが触れた。
「⋯⋯え」
「⋯⋯本気なんすけど」
「⋯⋯でも、男同士だし」
モゴモゴとした、はっきりしない僕を押しのけるように彼は自分の意思をはっきりと伝える。
「⋯⋯俺。本気で先輩のことが好きなんです。付き合ってくれませんか?」
はい、喜んで。と声に出そうとする。しかし、それを止めるもう一人の僕が心の中にはいた。これから先も今日みたいに頼りっぱなしなんだろう。男性同士という、世間一般では珍しいとされる交際には後ろ指を刺されるだろう。そんな時にも僕は何もしないで頼りきってしまうだろう。
⋯⋯俯いて返答できないでいると、やはり彼から言葉を話す。
「⋯⋯ダメっすか」
しょんぼりと、泣きそうな顔。しかし、ここで声を発しなければお互いのためにならないだろう。
「⋯⋯ごめんね」
かろうじて喉を通った四文字の言葉。本当は気の利いた一言でも言えることができればいいのだけど、あいにく良い言葉が思いつかなかった。
彼の手首を握る力が強くなる。爪が食い込んでちょっと痛い。大きな喉から低く唸る声が小さく聞こえてくる。いつもの彼とは全く違う気配を身にまとっていた。
「⋯⋯痛い」
「ダメなんすか」
ギリギリと握る力がどんどん強くなる。血が止まってしまいそうだ。口は恐怖のあまり開閉を繰り返すばかりで音を発することもできず、心臓がバクバクと鳴って、汗が流れる。⋯⋯怖い。
腕を持ち上げられ、足が地面から離れる。暗い街の中で、彼の黄色い瞳がじっと僕の顔を見つめていた。
「⋯⋯来い」
「え、なんで。ごめんなさい⋯⋯。何か怒らせてしまったのなら謝るから」
そんな僕の言葉を聴こえていないかのようにグイグイと引っ張っていく。人通りが少ない路地を選んでいるようで、助けを呼ぼうにも気配がない。
あっという間に真っ暗な公園のような場所に連れてこられた僕は、トイレに押し込まれ、後頭部を強く打つ。
「——いっ」
「⋯⋯俺のことを思い出させてやるよ」
「な、何を言っているのか分からないよ⋯⋯? 思い出すって⋯⋯、え。え⋯⋯」
オドオドとしていると、痺れを切らしたのか舌打ちをして、ポケットから一枚の紙を差し出した。
——そこには、幼かった頃の姿であろう彼と、僕の笑う姿が写っていた。
「⋯⋯なにこれ。なんで⋯⋯、え、誰? え⋯⋯?」
目の前には、朝とは全く違う、怖い獣の表情をした狼獣人が怪しげな笑みを浮かべていた。
「だんだん思い出してきたんじゃねぇか? 昔にあったことをよぉ⋯⋯。顔がそう言ってるぜ?」
怖い、怖い、怖い。記憶がごちゃごちゃになって気持ちが悪い。昔、何があったのか? 僕は、この人と⋯⋯?
突然、喉に噛みつかれる。鼓動が速くなって胸が痛い。息ができない。この痛みが、血の匂いが、残酷な絵の具のように白黒の記憶に段々と色をつけていく。
小学校の途中から、いきなり誰も僕に話しかけてくれなくなった。僕が声をかけても知らんぷり。最初は気のせいかとも思っていたけど、次第にそれは確信へと変わった。
ある時は金魚ごと水をかけられて、ある時は机に落書きをされる。
⋯⋯このいじめの主犯は。
全身がガクガクと震えて、声が出ない。過呼吸になって、目眩がする。段々、胃がムカムカとしてくる。胃酸が上ってくるようだ。
「その様子だと、完全に思い出したみたいだな。いい顔してるじゃねぇか」
「なんで⋯⋯、ここにいる⋯⋯の? え? え?」
「確かに中学校の時にお前が遺書を残して飛び降りた後に俺は転校したんだ。で、大学で再開したってわけ。ま、お前も記憶がなかったみたいだけど」
「復讐のつもりなんですか⋯⋯? なんで、今になって」
意図がわからない。いきなり好きだなんて言われて、断ったらこんなところに押し込められて⋯⋯。
「あー、言っておくけどお前が嫌いなわけじゃないからな。むしろ、お前のことが好きなのは本当だ。お前がさっき素直に聞いてくれていたらこんなことはしなかった」
「⋯⋯じゃ、じゃあ」
今からでも好きだなんて言ったら。⋯⋯でも、僕が好きなのは目の前の狼ではなく心優しい灰牙だ。そうやって僕が口を開くのを躊躇していると、彼は返事を待たずに言葉を続ける。
「俺だけをみろよ」
ニヤリ。大きく鋭い牙がこちらに向けられる。それは、完全に肉を割くのに適した形をした刃物であった。
「オラッ、服脱げよ!」
「いやっ! 離してください⋯⋯!」
ピリ、ピリリリと音がする。どうやら引っ張ったところから破れてしまっているようだ。
ふと、鮮明に思い出すのはこの服を一緒に選んだ時のこと。はじめて僕を慕ってくれた後輩と買いに行った服。とびきり似合ってる、なんて言われてちょっとだけ嬉しかった。
ビリリ、プチプチ⋯⋯。
「⋯⋯やっぱお前はこの姿の方が似合ってるな」
無理矢理に剥ぎ取られて、見るも無惨な布切れに変わり果ててしまった服をゴミのように踏んづけて彼は笑う。
『似合ってるっすね』
全く同じ声質。トーン。それなのに、どうしてこんなに違うのだろう。
耳裏からツーっと舌で僕の体に道を作る。そのねっとりとした感触も、生ぬるい鼻息も、全部が気持ち悪い。
「⋯⋯じゃあ、しゃぶれや」
カチャカチャというベルトの金属部分爪が擦れる音を鳴らした後に、彼は手際良くズボンを下ろし、強い匂いを放ちながらそそり立つそれを僕に向ける。抵抗はほぼないような物で、大きな両手で僕の頭を固定し、こいつは腰を振る。
喉奥まで届く肉棒に嗚咽し、生理的な涙が出る。それがさらにこいつを興奮させるのか、さらに激しく擦り付けるように動く。
「もうこんな本性がばれたらよぉ、我慢した方が後悔するよなぁ?」
吐き気が込み上げてくる。こんな奴が、近くにいるというだけで嫌悪する。
「先輩! よろしくっす! とか、それだけで別人だと思いこんでたのほんと笑えるわ。ちょれー」
唐突に耳に飛び込んできた灰牙の声にビクッと身体が反応する。そして、一瞬だけ心が落ち着く。
⋯⋯それはこいつも感じ取っていたようで、嫌な笑みを浮かべた。
「⋯⋯お? なんか顔変わったな? もしかしてあれか?」
と言って、奴は僕を解放する。ゲホゲホと咳き込むと、独特の匂いが鼻につく。
「先輩! こっちにきてください!」
ドキリ。⋯⋯とは言ってもこれが夢であるわけではない。ただ、今までの真似をしているだけだ。
「⋯⋯先輩。やっぱり可愛いっすね。京都旅行、楽しかったっすか?」
「⋯⋯あ、やだ。やだ⋯⋯」
さっきまで僕を弄んでいたのは確かに目の前のこいつ。で、現に目の前にいるのは優しい後輩。
「楽しかったなら俺も嬉しいっす。今度は春にも行きたいっすね」
頭がおかしくなりそうだ。どう見ても、灰牙はいつもの灰牙で⋯⋯。でも、そんなことはあるはずがなくて⋯⋯でも、どうして? なんで?
——愛してるっすよ、先輩。
低い声で、囁くように耳元で音を発する。
優しくハグされると、暖かい温もりがじんわりと胸に広がる。それは、どう見ても誰にでも優しいいつもの灰牙の姿だった。
するすると服を脱いでいく彼をボーッと見つめていると、彼ははにかんで僕の身体へ触れた。胸にある突起を優しく刺激する。
「⋯⋯きもちいっすか?」
最初は慣れない刺激に違和感を感じていたが、次第に触れたところからなんとも言えない快楽が生まれていくのを感じる。
「⋯⋯恥ずかし⋯⋯の。んっ」
胸を細かな指先で触れられる。ふわふわとした体毛が、こそばゆく官能的に接触する。
「ちゃんと、感じてくれてるんっすね」
「⋯⋯うん、きもち、い」
甘美な、優しい口付け。全てを包み込むような、陽だまりのような感覚。頭がぽうっとして、チョコレートみたく蕩ける。
口元から、首筋を伝って鎖骨へキスが落とされる。時々硬い歯が触れるのも、温い吐息がこそばゆいのも、全てが心を乱していく原因になる。
「へへっ、顔真っ赤っすよ。恥ずかしいんだ?」
「⋯⋯いじわる、しないでって」
「⋯⋯可愛すぎるのが悪いんすよ?」
「可愛いとか、意味わから、ない」
しばらく砂糖菓子のような甘い時間を過ごしていると、彼は唐突に指を差し出した。
「⋯⋯指、舐めてください。慣らさないと、痛いっすから」
「⋯⋯うん」
灰色の毛に覆われた指を咥える。勝手がわからないまま不安そうにしていると、彼は僕の不安を読み取ったのか優しく頭の上に手を置きゆっくりと撫でた。
これから始まることは、予想に難くない。唾液を多めに、ゆっくりと指を湿らせる。
「⋯⋯じゃ、力抜いてくださいね」
僕の唾液で湿った彼の指が、秘部へ添えられる。壊れ物を扱うかのような接触。恐る恐ると言ったようにゆっくりと手を動かす。息を呑めば心配そうにこちらをうかがいながら徐々に、決して無理をさせないように指を侵入させる。
クチュ、クチョ⋯⋯。静かな空間に聞こえる音が恥ずかしい。
どれくらいの時間がたっただろうか。唐突に電流が体を駆け巡るような感覚を覚える。
「っは!? ⋯⋯えっ、あ」
「⋯⋯あ、ここがいいんですね?」
嬉しそうに、笑みをこぼす彼。すると、さっきよりも激しく指の運動を繰り返す。
グチョ、ピチョ、クチャ。
「⋯⋯やっ、なにこれ。怖いっ⋯⋯」
「怖くないっすよ。一緒っすからね⋯⋯!」
今までに遭遇したことのない感覚に恐怖を感じていると、ぎゅっと抱きしめられる。ほのかに漂う汗の香り。それが麻酔のように恐怖心を鎮めていく。
「⋯⋯はぁ、はぁ。あのっ⋯⋯ほんとは、灰牙のことがねっ⋯⋯。好きなのかもって⋯⋯、思ってたっ。でもっ、僕が。ウジウジしてるからっ迷惑かけるんじゃないかとかっ⋯⋯んっ。いやになっちゃうんじゃないかって、かんがえちゃっ、あっ、てっ」
「そんなことないっすよ。先輩は優しいし、ちょっと人と話すのが苦手なだけなんすよ? 嫌いになんて、なるわけないっすよ」
いつのまにか増えていた指の数。それを気にしないほどの感情の昂りが胸を満たしていた。
涙が溢れる。嬉しい。僕のことを好きでいてくれることへの喜びなのか、快楽への喜びなのかが分からないけれど。
「⋯⋯ほんとっ? はぁっ、ハッ、嬉しいな⋯⋯。あっ⋯⋯」
熱は冷めないまま、するりと指が引き抜かれていく。もう、彼も余裕がないようだ。
「⋯⋯じゃ、次は俺が気持ち良くなってもいいすか?」
荒い息遣いの彼に一つキスをして、コクリと頷く。見せつけるように腰を浮かせる彼は、赤い肉塊を震わせていた。
「⋯⋯ごめん。もう我慢できない」
触れたのは、熱い熱源。押し当てられたそれはグチグチと音を立てて入り込む。少し苦しくて息が詰まる。
「⋯⋯力抜いてください。もっかいキス、しましょう」
「⋯⋯んっ」
甘い、甘い、キス。緊張していた身体の強ばりも解ける。最初はゆっくりと前後へ移動して、徐々に内側を目指す。⋯⋯灰牙自身も全て入ったようだった。
「⋯⋯ちょっと、くるしっ」
「へへ、ごめんなさい。⋯⋯軽く噛んでもいいっすか?」
頷くと、嬉しそうにして首元に牙をかける。それは、絶対に傷つけないと言った意思を感じられてとても愛おしい。
それと同時に彼に支配されているという感覚がさらにスパイスとなって興奮へ導く。
さっきまでは悪い夢を見ていただけなのかもしれない。それとも、唐突な出来事に僕が混乱して幻覚を見ていたとか?
⋯⋯だって、灰牙が乱暴なことをするはずはないのだから。
浅く、深く。繰り返すピストン運動は徐々に速度を増す。異物感が強かったこの行為もいつしか快楽の波が押し寄せるようになっていた。
「はぁ、はぁ、好きっす! 好きっす!」
ギリッと、爪が僕の皮膚を食い込むのもまた気持ちがいい。荒々しくも優しい、そんな目の前の狼は僕を抱き寄せる。応えるように、僕ももふもふの体毛を腕に抱える。
「うんっ、僕も、灰牙のこと、大好きっ」
目の前で、気持ちよさそうに愛を育む大きな狼。幸せの麻薬箱をばら撒いたような、禁忌の快感が脳内にじんわりシミを広げていく。
「⋯⋯さて、もう満足か?」
不意に、別人の声がする。その声を聞いた途端全身の血が引いていく感覚がした。
目の前には、先ほどとは違う。⋯⋯正確には同じなのであろうが、同じとは認めたくない存在が舌なめずりをしながらこちらを見下ろしていた。
「⋯⋯えっ、あっ、あっ!? なんでっ、いやっ! 抜いてっ!」
「はぁ? さっきまであんなに気持ちよさそうにしてただろ。ほら、キスするか?」
押し付けてくる、乱暴なキス。遠慮を知らずに奥へと入り込んでくる舌は絡み付くように動き、それから逃げるために僕は奥へ奥へと舌を動かす。
嫌だ、灰牙は!? 顔を背けようとしても、いつのまにか感じている快感がそれを許さない。足枷のように行動を邪魔するのだった。
「そんなっ、灰牙っ! 助けてっ!」
「ばーか、俺がその灰牙だっての。オラ、スパートかけるぞっ!」
遠慮のない腰の動き。配慮のない獣の交尾。視界が歪む。どうやら先程の幸せはレプリカだったらしい。
「オラッ、イクぞっ! 奥に出してやるからな!」
「いやっ! やだやだっ! だめっ!! そのままで出さないで!」
——最後はせめて、あの優しい後輩として。
そんな願いは打ち砕かれ、ビクビクッと中の肉塊が動く。
ビューッ! ビューッ! ビュ! ビュビュ⋯⋯。
徐々に間隔を狭めて放出される粘性の高い液体が体内に注がれていく様子を嫌でも感じる。内側から強引に染め上げられていくことに嫌悪感を抱く。
「⋯⋯はっ、はっ、はっ。好きだっ」
荒々しく、噛み付くように口に触れたマズル。抵抗するために動こうとしても身体は微動だにしない。
気づかないうちに僕も小さく持続的に精を吐いており、その度に身体が跳ねる。
「⋯⋯抜いてよ。もう、やだ⋯⋯」
もう二度と出会いたくなかった存在は目の前にいて、それは僕を喰らい尽くしている。
「あー、これ全部出るまで抜けねーんだわ。せっかくだし腹いっぱいにしてやるよ」
首についた愛しい人の牙の跡。それを、上書きするように再び奴は噛み付いた。体内でまだ動いたままの肉塊を意識しないようにしても、無理矢理存在を主張するようにそれは熱い液体で腹部を満たしていく。
あれから、彼はバイトを辞めた。大学で関わることも無くなった。昔のように僕は一人ぼっちのままだ。
⋯⋯アパートの一室をノックする。今日も僕は、味を占めた犬のようにその場所へ向かう。
「⋯⋯お、来たか。へっ、入れよ」
忌々しい顔を睨んで、靴を脱ぐ。
ピシャリ。
カーテンが閉まる。薄暗い部屋の中で、僕は獣に組み敷かれる。独りよがりな快楽を得るためと、愛しの彼と再会するために。