小さな冒険者と黒兎

  この森に住む少年は冒険が大好き。

  今日も少年が生まれた時から共にいる、相棒の梟を連れて小さな冒険へと飛び出していく。

  慣れた森を抜ければ広がる草原はもうこの少年に分からない場所はない。

  そんな慣れた草原をいつもとは違う方向へ進む。

  少年は草原の先に、自分の住む森とは違う薄暗く不気味な森を見つけた。

  「入ってみても大丈夫だと思いますか?」

  少年の頭上を飛んでいた梟は少年の肩にとまると、小さく鳴いて少年の前を行った。

  梟を追うようにゆっくりと森を進む。

  入ってみると薄暗く不気味な雰囲気とは真逆の、穏やかで落ち着いた空気が漂っていた。

  木々の隙間から射し込む光が程よく思いのほか暗くもない。

  そんな森をしばらく進むと相棒の梟が急に騒ぎ始めた。

  少年が梟に追い付くと、うねり伸びた不気味な木の根本に真っ黒の兎がぐったりと横たわっていた。

  よく見ると、兎は足に怪我をして動けないらしい。

  少年は、その兎を拾い上げると家路へと急いだのだった。

  少年は兎の手当てをすると、動けるようになるまで大好きな冒険も行かずに世話をした。

  けれども、警戒心の強い兎はその意識が戻っても懐くことはなく……

  ある朝、少年が目を覚ますとその姿を消していた。

  それからいくつかの夜を越えて、迎えた朝は少年の住む森を真っ白な雪景色へと変えていた。

  少年の住む地域は滅多なことでは雪は降らない。

  あまりに珍しい光景に少年は朝食もそこそこに家を飛び出したのだった。

  森の景色は真っ白に染まり美しく、少年の冒険心を駆り立てた。

  見慣れた光景とは違ういつもの森を無心で駆け回る。

  気が付けば少年は、近付いてはいけないと言われている方向へ進んでしまっていた。

  慣れない雪は、慣れた小道ですら少年の足を鈍らせる。

  慣れない小道で少年はついにその足を滑らせ、森の脇道へと転がり落ちてしまったのだった。

  転がった体が何かにぶつかって跳ね、フワリと宙に浮く。

  どこかに叩きつけられるであろう瞬間に備えて、体を強張らせれば温かな何かに包まれる感覚に……

  少年はその意識を手放した。

  「まったく……人間とは弱くて脆い生き物だね……

  これで仮は返したよ……」

  そんな言葉に目が覚めると、そこは自室のベッドだった。

  足を滑らせて落ちた少年を誰かが家まで運んでくれたとあとになって聞かされた。

  だけど、あの場所に他の誰かがいたとは思えない少年は、怪我の回復を待って雪のなくなったいつもの森へと足を踏み入れたのだった。

  万全の準備をして進んではいけない小道を進む。

  自分が落ちた場所を見付けたけれど、やはりそこに人の気配はない。

  梟はこれ以上進むことを拒絶する。

  残念だけど、少年の冒険はここまで。

  踵を返し、振り返った少年の前を黒い影が横切る。

  木々に隠れるように飛び込んだ黒い影を追って木々を覗けば、真っ黒で赤い瞳の兎がこちらを睨んでいた。

  「君はあの時の……」

  兎はふいっと視線を逸らすと少年の前から走り去っていく。

  「待ってください!」

  少年は兎を追って走る。

  森を抜けて兎が立ち止まれば、少年の足も止まった。

  少年が兎から視線をあげればそこには自分の家があった。

  「え……」

  再び視線を下ろすと兎は家の方へ向けて首を振る。

  「帰れって事ですか?」

  少年よりも先に家へと向かう梟。

  少年がその足を家へと進めれば、兎は少年の足元を回るように跳ねた。

  それから少年が冒険へ出ると、あの黒い兎は度々現れては少年を家へと送り、足元を跳ねるようになった。

  そんな出来事から数年の時が過ぎて少年は青年へと成長を遂げ、冒険ももっと広く大きな世界へと変わっていった。

  それでも変わらず、兎は青年を迎えに来るのだ……

  「ねぇ……君は何者ですか?」

  ある日、青年が兎に問うと兎はため息を吐くような仕草で首を大きく縦に動かした。

  「だって、不思議でしょう?

  あの頃、私と共に冒険をしていた梟は昨年この世を去りました。

  彼も結構高齢でしたけど……

  兎の寿命は梟よりも随分短いはずですよ?」

  兎が空を見るように首をあげれば、それにつられるように青年の視線も上がる。

  何かに気が付いて青年が視線を兎に戻すと、そこに兎の姿はなかった。

  また、逃げられてしまったと肩を落とす青年に降りてきたのは……

  「人間のくせに、俺の正体が知りたいなんて命知らずだね」

  遠い過去の記憶。

  聞き覚えのあるあの声だった。

  物語はそこで終わり。

  「さて、シエル。兎が足元を飛び回る理由、君に分かる?」

  手元の絵本を閉じるとモリスがそんなことを言った。

  「かまって欲しいとか……でしょうか……」

  「まぁ、それもあるけどね。

  雄兎が足元を必要に飛び回るのは求愛行動だよ」

  「求愛行動……」

  「絵本の兎はその青年を随分と愛していたみたいだね」

  手元の絵本を撫でるように触れる。

  色々な本を読んできた私だけれども、この本は読んだことがない。

  「モリス……この本はどこで手に入れたんですか?」

  「さぁね。それじゃ、お祝いの続きをしようか」

  モリスにもらった絵本を置く前にもう一度、表紙を確認する。

  表にも背表紙にも作者の名前はない。

  諦め半分で裏表紙を確認すれば、とても分かりづらく見えにくい位置。

  それは、表紙絵に紛れるように記されていた……

  『Morris.D』

  視線をモリスに向ければ、私の好きなワインを片手に微笑む。

  「Happy Birthday……シエル」

  Fin