セレビィのエミル

  プクリンを形どった建物、ヘンデルのギルド跡がある高台を、一つの影が駆け抜ける。影、外套を纏う若いポケモンは、幾つもの設置されているベッドの合間を放たれた矢の如く走ると、高台の端にある物陰に潜む私、リオルであるグレーゴルとキモリのカフカに向かって接近した。

  素早い影の動きに私とカフカは唖然とした。

  その間、若いポケモンは外套の中から細い筒を取り出すと、高台の端にいる私とカフカ目掛けて構えた。

  鉄製の筒に木製のパーツが装着されたそれは、私が以前いた世界における既知の物と酷似しており、私は思わず大きな声を出してしまった。

  「銃...!?」

  若いポケモンの構える細い筒、マスケット銃は私が歴史の講義で学んだそれと瓜二つである。若いポケモンは撃鉄が起きたマスケット銃の銃口を私とカフカに向けると、引き金を引いた。

  直後に火花が生じ、装填された火薬に着火した。

  銃口から放たれた球状の弾丸は、轟音と共に空を切り裂くと、私とカフカの足下に着弾した。ライフル銃と違い、旋条が施されていないマスケット銃の弾丸は、空気抵抗に対して弾道が不安定である。故に弾丸は私とカフカに命中しなかったが、鈍い音と共に土片が辺りに飛び散り、私とカフカは轟音と白煙に怯んだ。

  (馬鹿な...)

  マスケット銃に怯んでしまったが、私は何処か冷静に若いポケモンを見た。若いポケモンは空になったマスケット銃を投げ捨てると、そのまま私とカフカに襲いかかった。

  ここは科学・医学・工学が未発達な世界である。しかし、若いポケモンはマスケット銃を持っている。

  (マスケット銃のみが発達した...筈はないな)

  考えられる原因は、私以外の人間がこの世界に転生し、技術を伝達したかもしれない。私は冷静に思考していたが、直後に叩き込まれる若いポケモンの蹴りにより、思考は中断した。

  「グッ...」

  若いポケモンの重たい蹴りは、リオルである私の細い胴体に命中した。腹の奥から込み上げる吐き気に私は顔を歪めてしまい、視界が白と黒の世界に反転した。

  私の小さな身体は地面を転がると、近くの枯れ木にぶつかった。

  「がっ」

  その衝撃は小さな私の身体を揺らし、全身にダメージを与える。まるで至近距離で爆弾が炸裂したような衝撃が全身を包み、私の視界が大きく揺れる。続けて襲ってくる激痛と吐き気が、私の意識を強引に現実へと引き戻す。

  若いポケモンは横目で苦しむ私を見ると、続けてカフカの首もとを掴み、そのまま地面に叩きつけた。

  「おえっ...」

  頭蓋の中で脳が揺さぶられ、カフカは小さな悲鳴をあげる。若いポケモンは苦しむカフカを見下ろすと、首を掴む手に力を込めた。少しずつ強くなる若いポケモンの握力により、カフカは苦悶の表情を浮かべる。

  あっという間に制圧された私とカフカは、揃って若いポケモンに畏怖の目を向ける。若いポケモンは冷静な雰囲気のままカフカの首を締め続けると、やがて傍に歩いてきたバクフーンを見た。

  バクフーン、将校はベッドの上で苦しむ受刑者達を一瞥すると、若いポケモンの肩に手を置いた。それを合図に若いポケモンはカフカの首から手を離すと、一歩下がった。

  高台には裁きを背中に刻まれるポケモン達の悲鳴が木霊し、私の鼓膜を叩く。耳障りなBGMが広がる中、将校は涼しい顔色で私とカフカを見下ろす。

  アブソルやルチャブルの悲しげな悲鳴が聞こえる。

  将校は子守唄を聞いているかのように穏やかな表情を浮かべると、口を開いた。

  「そこのリオル君、あなた達は何者です? なぜマスケット銃を知っている?」

  穏やか口調であるが、有無をいわせないプレッシャーを将校は纏っている。その言葉に私は息を呑むと、ゆっくりと身体を起こす。

  私の全身はバキバキと音をあげており、若いポケモンの一撃がどれほどの物であったかを私に思い知らせる。

  激痛と呼吸苦に私の息は浅くなる。そんな私の姿を見た将校は、小さく溜め息を漏らすと若いポケモンに目を向けた。若いポケモンはマスケット銃を拾うと、何も言わずに弾丸と火薬を銃口から装填した。

  それを見た私は思わず目を見開いた。

  (あれは...黒色火薬か)

  火山帯で取れる硫黄、硝石、木炭から構成されるそれは、私がこの世界に来て手に入れようとした一品である。

  (フリントロック式のマスケット銃に黒色火薬...誰が作った...)

  明らかに世界と合致しない技術と物、まるでオーパーツである。それを伝達した者の存在、私はそれを意識すると、何とか力を振り絞り、将校に向かって立った。

  将校は値踏みするかのように私の姿をまじまじと見つめ、隣に立つ若いポケモンはマスケット銃の銃口を私に向ける。

  将校の目とマスケット銃の銃口、それらを見比べた私は、私の姿を見せつけるように仁王立ちすると彼らを見た。

  「...私はグレーゴル、星の調査団だ」

  私の言葉を聞いた将校は、怪訝そうな表情を浮かべる。彼の注意は私に向けられており、カフカから逸れている。

  それこそが私の狙いだ。

  一方、将校は私の言葉を脳内で反芻すると、目を細めて私を見た。

  「...星の調査団の生き残り、ですか。それはおかしな話ですね」

  将校はそう呟くと、薄い笑みを浮かべる。そして隣に立つ若いポケモンの手元にあるマスケット銃を見ると、口を開いた。

  「調査団の生き残りはセレビィを含めても数少ない...その中にマスケット銃を知るポケモンは居ませんよ」

  「...ライフル銃は?」

  私の言葉を聞いた将校は、「らいふる?」と小声で疑問を呟いた。それを耳にした私は、眼前のバクフーンがライフル銃を知らないポケモンであり、マスケット銃のみを知っている事を理解した。

  つまり、技術を伝達した者もまたライフル銃を知らない者、独立戦争より以前の人物であると伺える。或いは、その者はライフル銃を知りながら敢えて隠匿した可能性もあるが、マスケット銃の技術のみを小出しにする意味がない。

  更に若いポケモンは黒色火薬を使用している。現在使われている無煙火薬ではなく、数世代も前の黒色火薬を使っている事からも、伝達した者の生きた時代が伺える。

  現代の技術を知る私と17世紀頃の技術を知る者、私以外にこの世界に転生した元人間がいる事を理解した私は、ふと白いポケモンか話した言葉を思い出した。

  『僕はそれを止めようと人間を送った』

  その人間の正体は不明だが、その者は世界を救うどころか武器製造のノウハウを伝達していた。

  状況を更に混沌とさせた元人間に対する苛立ちを覚えた私は、とりあえず現状をどのようにして切り抜けるか、考えることにした。

  将校は私の言葉に注意を引かれており、地面に転がるカフカから目を逸らしている。それを見た私は将校と若いポケモンから死角になる位置で僅かに指を動かした。

  私の合図を見たカフカは、鞄の中に手を入れ、痺れ薬でコーティングした爆裂の種を幾つか取り出した。カフカはそのまま身体を起こすと、将校と若いポケモンが気づく前に種を転がした。

  種は彼らの足下に転がると、爆ぜた。

  突然の爆発と舞い散る痺れ薬に、将校は思わず両手で顔を隠し、若いポケモンは将校を護るように彼の前に立った。

  高台に痺れ薬を含んだ煙が広がり、将校や若いポケモン、時の守護者や受刑者達を包んだ。彼らは無意識に身を屈めるか、身体を硬直させた。その隙に私とカフカは駆けると、高台の端から海目掛けて飛び降りた。

  「ぐっ...」

  崖から飛ぶ瞬間、煙の合間からマスケット銃の銃口が私に向けられているのが見えた。直後、マスケット銃は火を吹くが、がむしゃらに発砲したこともあり、明後日の方向へと弾丸は飛んでいった。

  腹の底から持ち上げられる感覚が私とカフカを襲うが、直後に私達は荒れた海へと飛び込んだ。

  私とカフカの小さな身体は、瞬く間に荒波に呑み込まれ、視界は黒く反転した。

  *

  夜を迎えたキザキの森は生臭い血の臭いが充満している。鼻孔を満たすその臭いに牡のルカリオ、オズワルドは眉を寄せると、手にした袋を運んでいた。

  袋には大きな染みが浮き出ており、地面に液体を垂らしている。それの両端をオズワルドと鎌鼬の一員である牡のサンドパン、ソルが掴み、集落の一角にある建物に運び込む。

  建物の中、そこには数多くのポケモン達が横になっている。誰もが傷を負い、出血しているが、不思議なことに呻き声一つ聞こえない。それどころか、身動きが一切無い事からも、この建物が死体安置所であることが伺える。

  先ほどまで生きていたメリープ、その身体が入っている死体袋を、オズワルドとソルは安置所の中へと運び込んだ。

  「まったく、酷い臭いだ...早く出ようぜ」

  安置所内に広がる死臭と血の臭いを嗅ぎ、ソルは思わず悪態を漏らした。それはとても小さな声であり、共に死体袋を運ぶオズワルドにしか聞こえなかった。

  オズワルドはソルの言葉に苦い表情を浮かべると、どのような言葉を返すべきか、わからずにいた。

  かつて、オズワルドは心無い言葉でブラッキーを傷つけた。加えて、これまでにどれほどのポケモンを不躾な言動で傷つけてきたのか、オズワルドは想像するだけで身体を震わせた。

  その事を理解しているオズワルドは、閉口したまま死体袋を丁寧に置き、袋を開けた。そしてメリープの胸元に花を置くと、黙祷を捧げる。

  オズワルドの姿を見たソルも、悪態を漏らす口を閉ざし、同じく黙祷を捧げる。

  死体安置所の中には、幾つもの死体と、彼らと既知の仲であるポケモン達がいた。家族、友人、知人の死体を目の当たりにして、泣き叫ぶポケモンや悲しみに暮れるポケモン、顔も知らない暴動に対する呪詛の言葉を漏らすポケモンなど様々だ。そんな彼らを見たソルは、先ほど漏らした自身の言葉を恥じ、口を紡ぐ。

  そんなソルを見たオズワルドは、ゆっくりと目を開き、死体安置所の外へと歩いていった。

  夜のキザキの森は、集会所や幾つかの建物から漏れる灯り以外、暗闇が支配している。その中でも例外なのは、集落の入り口付近で火を起こし、暴徒の襲来に備えている一団だ。彼らはギルド連盟の依頼で来た者や自ら志願した者であり、日中は住人を連れ去った奴隷商人を追い、暗くなった現在は集落の警護に当たっている。

  一団の一角、ザングースのコールマンとストライクのグリムは眠たそうに欠伸をすると、集落の中を歩くオズワルドとソルに目を向けた。

  2人の姿をみたコールマンは、「よぉ」と声をあげた。コールマンの呼び声にオズワルドとソルは反応すると、足を止めて彼の顔を見た。

  コールマンの顔色にも疲労が滲み出ており、彼の後ろに続くグリムの表情も曇っている。

  「オズワルドも派遣されたのか...負傷者の具合はどうだ?」

  「...暴動の発生直後から全ての負傷者を手当てしていたそうですが、それにより物質を過剰に消費してしまい、助かるはずの負傷者までもが命を...」

  オズワルドの言葉を聞いたコールマンは顔を曇らせると、「そうか...」と呟いた。彼らの会話を聞いていたグリムとソルも陰のある表情を浮かべると、溜め息を零した。

  「こちらも奴隷商人を追跡したが、初動が遅れたせいで取り逃がしてしまった...生存者の多くが行方不明になっているよ」

  奴隷商人を追跡していたグリムの報告にオズワルドは悲しそうな表情を浮かべる。暴動から生き延びても、今度は奴隷として異大陸に売り飛ばされる運命が待ち受けている。

  先日の乱暴されたブラッキーに対する言動が胸に突き刺さっているオズワルドは、住民達の安否を想い、不安そうな表情を浮かべる。その姿を見たソルとコールマンは、眼前のルカリオがオコリザルの強盗団を惨殺した当人なのか、疑問を抱く。

  オズワルドは不安と恐怖から瞳を潤すと、目尻に涙を浮かべる。ソルはそんなオズワルドを見て目を見開くが、集会所から歩いてくる人影に気づき、視線をそちらに向けた。

  人影、ガブリアスのゼーンに化けたゾロアークのニコルの表情からは、疲労が滲み出ている。ゼーンの着ている白衣や両手の手袋は負傷者の血で赤く染まっており、少し乾いていた。

  ゼーンはオズワルドの近くまで歩いてくると、彼を見て首を左右に振った。

  「負傷者が多すぎる上に、物質が不足している...助かる者を選別しなかったせいだな」

  オズワルドはゼーンの言葉に泣き出しそうな表情を浮かべ、コールマンは悔しげな声を漏らした。コールマンの口元から鋭い犬歯が顔を見せ、僅かに歯軋りする。

  「...今から物質が届けば、どれくらいの負傷者が助かるんだ?」

  コールマンの質問にゼーンは考え込むと、「そうだな...」と小さな声を漏らした。

  「食料品・日用品以外にも...包帯や止血帯、消毒用の酒...後は抗生物質のペニシリンもあれば、まだ息のある負傷者の多くが助かる筈だ」

  「それなら...ラティアスとラティオスの高速便に依頼したらどうだ? 彼らなら明日中に荷物が届く筈だ」

  ゼーンの言葉に対してグリムは解決案を出した。彼の提案にゼーンとコールマン、ソルは首肯すると、トレジャータウンのある方向を見た。

  「村の電信機は壊されていたから...最寄りの街からトレジャータウンに電信を送ればヘンデルが対応してくれるはずだ。街なら電気タイプのポケモンもいるから、電信機も使えるはずだ」

  コールマンの言葉にゼーンは「それだ」と小声で応えた。

  「俺とオズワルドは負傷者の手当てをするから...鎌鼬のメンバーで街に向かってくれないか?」

  ゼーンの頼みにコールマンは「任せろ」と言うと、グリムとソルを引き連れ歩き出した。リーダーである白鼬の言動にソルは苦笑いを浮かべると、口を開いた。

  「今日中に着くかな...」

  「ギャロップ便なら、日を跨ぐ前につくだろう」

  疲れた表情をソルに向かって、グリムは冷静な言葉を返した。彼の一言にソルは肩を竦めると、コールマンの背中を追って歩き出した。

  去りゆく鎌鼬の面々を見届けたゼーン、いやニコルは、微かに溜め息を零すと集会所に向かって歩き出した。疲れを隠せないニコルの背中を見たオズワルドは、小さく息を呑むと、戸惑いながらも口を開いた。

  「あ、あの...」

  暗闇にオズワルドの小さな声が木霊する。

  彼の呼び声にニコルは足を止めると、彼の方を振り向いた。疲労のためか、ガブリアスの幻影は微かに揺らいでおり、合間にゾロアークのニコルの顔が見えた。

  美しいニコルの顔は土気色になっており、一目で疲れ切っている事が伺える。

  「...ニコルも休んでください」

  人の心を考えず、傍若無人な言動が目立つオズワルドから、まさか人を案ずる言葉が飛び出すとは。想像外の言葉にニコルは思わず目を丸くさせ、足の動きを止めた。

  (...少しずつ心が成長している、のか?)

  ニコルはオズワルドの顔を見ると、微かに笑みを浮かべた。自身の拾った者が少しずつ成長していく様は、まるで母親のような気分になる。

  疲れきった身体に染み渡る暖かな感覚に、ニコルは無意識に目尻を緩めた。そしてオズワルドに目を向けると、「ありがとう」と呟いた。

  「気持ちはありがたいけど、まだ動けるわ」

  牡のガブリアスの格好で女言葉を話すニコル、その姿にオズワルドは頬を微かにひきつらせると、困ったように尾を揺らした。

  そして、オズワルドは慎重に言葉を選びながら口を開いた。

  「ニコルの思いは素晴らしいですが、今のあなたはニコル自身を苦しめるほど無理をしています...ソフィや他の探検隊に任せて、少し休憩してください」

  人の気持ちを思いやらないオズワルドが、ニコルに対して頑なに休憩するように声をかけた。ニコルはオズワルドのそんな言動に、再度目を丸くさせると微かに微笑んだ。

  「わかったわ...少し横になるから、オズワルドはソフィの手伝いをお願いね」

  オズワルドの言葉にニコルは目元を緩め、オズワルドもまた嬉しそうに尾を振ると、「はいっ!」と大きな声を出した。

  「それじゃあ、必ず休憩してくださいね」

  母親に褒められたら子供のように、オズワルドは大きな尾を振った。その動きと言葉にニコルは微かに頷くと、集会所の近くに設けられたら休憩所へと歩いていった。

  少しずつ小さくなる背中を見届けたオズワルドは、満面の笑みを浮かべていた。

  オズワルドの視界が揺らぐ。

  崖から落ちていく光景。

  血で染まるヘンデルのギルド。

  周囲に木霊するポケモン達の悲鳴。

  鼓膜を貫く轟音と身体に広がる衝撃。

  火を吹く鉄製の筒。

  黒い服を身に纏うバクフーンの優男。

  キモリのカフカとリオルのグレーゴル。

  セレビィのエミル。

  荒波。

  古いフィルム映画のようにノイズのかかった視界。

  「...」

  脳裏を掠める見覚えのある映像、それにオズワルドは激しい頭痛を覚えた。そのまま彼は無意識に身を屈めると、脈動と連鎖して広がる頭痛の波に呑まれまいと、深呼吸を繰り返した。

  ふと、屈んだオズワルドの視界に、地面に空いた穴が映る。それを見たオズワルドは、無意識に手を伸ばすと穴に指を入れた。

  指先に冷たい金属が当たる。

  それを自覚したオズワルドは、金属を取り出し、まじまじと見つめた。一見すると金属の球であるが、球状に鋳造されていることから、それが自然物ではなく、明らかに人の手が加えられた物であるとわかる。

  そして、鉄の球の使い道をオズワルドは知っていた。

  (...マスケット銃の弾丸)

  初めて聞く筈のポケモンの名前とマスケット銃、それらを知っているオズワルドの全身に寒気が広がり、彼は無意識に身震いした。

  なぜ寒気を覚えたのか、オズワルドは理解できずにいた。しかし、彼は知っていた。

  マスケット銃の威力と怖さ、そして使い方を。

  その頃、鎌鼬のメンバーは近くの街まで移動していた。

  キザキの森は暗闇に覆われており、空に浮かぶ月明かりとコールマンの持つランタンの灯りのみが、彼らの進む道を照らしていた。視界が悪く、獣道であるが、夜目の効くコールマンがソルとグリムを先導し、ゆっくりであるが確実に街へと近づいている。

  コールマンの足下に転がる石を、月明かりが照らす。

  「ところで」

  ふと、グリムが口を開いた。

  彼の声を聞いたコールマンとソルは足を緩めると、背中越しに彼を見た。突き刺さる2人の視線にグリムは口を紡ぐが、やがて開いた。

  「...時の歯車を盗むポケモンに、心当たりはあるか?」

  グリムの問いに今度はコールマンとソルが口を紡いだ。グリムの抱く疑念は、コールマンやソルも同様に抱いていた疑念でもある。彼らは答えのない疑問に口を閉ざすと、首を左右に振った。

  「少なくとも、俺は知らないな」

  「俺も」

  コールマンの返事にソルも賛同する。彼らの応えにグリムは「だよな...」と呟くと、夜空を仰いだ。天上の月はグリム達を満遍なく照らしており、その光にグリムは目を細めると、溜め息を漏らした。

  「キザキの森で発生した暴動は...歯車を盗まれたことによる恐怖心と疑心暗鬼が原因だ。暴動が起きることを承知の上で盗んだとすれば...犯人は最低のクソヤロウだ」

  グリムの呟きにコールマンとソルは首肯した。彼らの瞼の裏には、キザキの森の凄惨な光景が焼き付いており、自然と咬筋に力を込め、歯ぎしりした。

  犠牲者はレシラム教、ゼクロム教の関係なく、罪のない住民である。

  そのようなポケモン達が無惨に殺される様は、正視するに耐えられないものである。

  暗黒のキザキの森に、心地よい風が吹く。

  その風にすら鼻に障る血の臭いが染み着いており、無意識にグリムの眉間に皺が寄る。風の臭いにより、集落で見た光景が脳裏を過ったグリムやコールマン、ソルの足が自然と早くなる。

  ゼーンやオズワルドが依頼したギャロップ便のメンバーは、もう少し先にある小川の辺に待機している。そこまで辿り着けば、後はギャロップ達の脚に任せ、街に到着すれば良い。その事を理解しているグリム達の移動速度は少しずつ早くなる。

  暗い獣道を、複数の影が蠢く。

  その事に先導していたコールマンが気がついた。

  「...誰だ?」

  鎌鼬のメンバー以外に、獣道に広がる気配を感じ取ったコールマンは呟いた。彼の足も止まり、後方から続くグリムとソルも自然とそれに倣った。

  コールマンの鋭い眼孔は獣道の脇、大木に向けられており、グリムとソルも大木を囲むように足を動かすと、コールマンを援護できる位置についた。しかし、大木の根本にポケモンの姿はなく、夜目の効かないグリムとソルは困惑の表情を浮かべる。

  だが、白鼬のみは鎌のように鋭い目を大木の上、覆い繁る枝と葉に向けていた。

  風が辺りに広がる。

  それが届ける血とポケモンの臭い、それを嗅覚で察知したグリムとソルは、夜目が効かないにも関わらず、相手の位置を把握することができた。それはコールマンも同様であり、彼は視線を大木の上に向けると、両手の爪を構えた。

  「そこに居るのはわかっている...出てこい」

  「出血しているのに隠れる、ということは...何かやましい事でもあるのかい?」

  グリムの鋭い声とソルの小馬鹿にした声が大木に向けられる。三方から届く声が、大木に潜むポケモンに包囲されていることを暗に示唆する。

  獣道に張り詰めた空気が広がる。

  風が吹き、グリム達の身体を撫で、草木を揺らす。

  直後、大木の上から影が飛び出した。腕から出血している影は、負傷しているにも関わらず、俊敏な動きで木々の合間を飛ぶ。しかし、それを見逃す程、鎌鼬は落ちこぼれていない。

  「逃がすかよ!」

  影を視認した瞬間、コールマンは強靭な脚力に物を言わせ、キザキの森の大地を蹴った。その頭上ではグリムが背中の羽を羽ばたかせ、木々の合間を縫うように飛ぶ。

  先行する影は枝から枝へと飛び移るが、跳躍と着地でどうしてもタイムラグが生じる。しかし、虫タイプのストライクであるグリムにとって、森は格好のリングだ。彼は慣れた動きで枝や草木を避けて飛ぶと、太い枝に飛び移り、バランスを整える影に向かって、両手の鎌を振り下ろした。

  「喰らえっ!」

  影は直前でグリムの接近に気がつくと、上体を逸らし、2本の刃の軌道から身を逃がした。しかし、不安定な枝の上で避けた事により、影はバランスを崩して落下した。

  影は身体を小さくさせると、クルクルと回転して地面に着地した。落下の勢いを巧みに殺した影は、上空から飛来するグリムの鎌に目を向け、身を屈めた。

  影の頭上を、グリムの鎌が掠める。

  「ちっ...」

  高さを見誤ったグリムは攻撃が外れた事に舌打ちするが、同時にニヤリと口角を歪めた。影は飛び去るグリムの笑みを見て疑念の表情を浮かべるが、その意図を即座に見抜き、影は地面を転がった。

  影の立っていた地面にコールマンの鋭い爪が突き刺さる。土とはいえ、踏み締められて堅くなったそれに、易々と突き刺さるコールマンの一撃に影は冷や汗を浮かべるが、すぐに退避した。

  「待てっ!」

  その背中に向かってコールマンは駆けると、両手の爪を振り下ろした。その攻撃を横目で見た影は、持っていた鉄製の筒で受け止めた。

  「...!?」

  手に広がる固い感覚にコールマンは怪訝そうな表情を浮かべると、影の持つそれをまじまじと見つめた。

  この世界において、戦闘の基本は己の身体や技を使った様式が主流である。しかし、鉱山や森など資源の豊富な地域に住むポケモンの中には、剣や槍、弓、クロスボウ、棍棒などを使う者もいる。

  そして、燃焼材と高温の熱エネルギーを必要とする鋳造などの鉄製の武具は、非常に珍しく木製の武具よりも数が少ない。

  それ故にコールマンは訝しげな表情を浮かべた。

  「何だそりゃ、棍棒か?」

  通常、ポケモン達が使う棍棒は木製である。コールマンも鉄製の棍棒は初見のため、不思議そうな眼差しを影に向けた。影はコールマンを一瞥すると、棍棒の先端に開いている穴を彼に向けた。

  その動きを見たコールマンは、怪訝そうに眉を寄せた。

  影は戸惑うような視線をコールマンに向けると、手元を操作した。直後、影の構えたマスケット銃が作動し、銃口から鉄製の弾丸が飛び出した。

  轟音と勢いにコールマンと上空から攻撃しようとしたグリムは反射的に怯み、身を屈めた。放たれた弾丸の軌道は、やはり不安定であるが、それでもコールマン達を怯ませるには十分である。

  弾丸はコールマンから離れた地面に着弾し、コールマンの身体の動きが止まった。初めて目の当たりにする銃の威力と轟音に、コールマンとグリムは硬直し、その間に影は踵を返して駆け出した。

  「この...」

  逃げ出す影を見たコールマンとグリムは、一呼吸遅れて駆け出した。しかし、その間に影は距離を稼いでおり、2人より先を走っていた。

  次の瞬間、影の足下の地面に穴が開き、腕が飛び出した。地面を掘り進み先行していたソルの腕が影の足を掴み、影は思わず転倒した。ゴロゴロと地面を転がる影は、急いで身体を起こすと足に目を向けた。

  ソルの爪により、影の足は傷ついており、微かに血が滲み出ている。傷は浅いが、それでも影の機動力を削るには十分な物である。

  傷ついた足を見た影は、苦悶の声を漏らすと地面から姿を現したソルを見た。

  「捕まえた」

  影を見てニヤリと笑ったソルは、後方から駆けてくるコールマンとグリムを見た。反応が遅れたコールマン達もまた影に追いつくと、影を睨みながら距離を詰めた。

  「さてと...ここまで暴れて無関係でした、とは言うなよ」

  グリムはそう呟くと、影に向かって鎌を向けた。それにコールマンとソルも倣うと、少しずつ影に近寄った。

  三方向から迫る鎌鼬の面々を見た影は、微かに手を動かすと左手に何かを握った。影は握ったそれを地面に叩きつけると、素早く身を屈めた。

  次の瞬間、大量の光が辺りを照らした。

  「うわっ...」

  影の持っていた物は、一時的に相手の視界を攪乱する種、目潰しの種であった。種から発生した光は鎌鼬の面々を照らし、視界を奪った。

  暗闇のキザキの森に大量の光が広がる。

  光はやがて収まり、キザキの森は再び暗闇に覆われた。コールマン達の視界は白と黒に染まり、少しずつ元の状態に戻っていった。

  視界が戻ったコールマンは、目を細めながら影を見た。

  「くそっ...」

  そこに影の姿はなく、数滴の血液が落ちていた。それを見たソルは、目元に指を当てたまま周囲を見渡すと、「逃げられたか」と呟いた。彼の言葉にグリムも賛同すると、周囲の気配を探りながら口を開いた。

  「あれだけ戦える上、暴動の現場から逃げ出すポケモンも珍しい...保安官事務所とギルド連盟に通報しておこう」

  グリムの言葉にコールマンは頷くと、先ほど見た影、ポケモンの名前を口に出した。

  「ジュプトル、か...」

  コールマンの声はキザキの森に微かに広がった。

  *

  ギルド跡に設けられたら処刑場から落下したリオル、グレーゴルの私とキモリ、カフカは荒波に呑まれた。薄れゆく意識の中、私が最後に見た光景は忘れようもない。

  (誰が銃のノウハウを伝達したのか...)

  脳裏を過る疑問、その思考は海に落ちたことで中断した。やがて、肺を満たしていた海水を吐き出した私は、私の身体を見た。

  (よかった...先ほどと同じだ)

  私自身の身体に異変がないことを把握した私は、背中に広がる感覚に意識をはっきりとさせると、私の背中を殴打して水を吐かせようとするポケモンを見た。

  ピンク色の身体に大きな瞳のポケモン、セレビィのエミルは私とカフカの背中を叩くと、心配そうな目で見ている。

  ふと、私は周囲を見た。

  どうやら荒波の中、ラプラスのノアが私とカフカを救い出してくれたらしく、近くの波打ち際から私達を見ていた。

  「ここは...」

  意識を取り戻した私の言葉にエミルとノアは顔を向けると、驚いた表情を浮かべた。そしてノアは僅かに嬉しそうな表情を浮かべると、口を開いた。

  「よかった...気がつきましたね。ここはトレジャータウンの近くにある海岸ですよ」

  「あなた達、処刑場から飛び降りてきたんですよ。覚えていないですか?」

  私の身分については、既にノアから説明されたのだろう。

  ノア、続けてエミルが口を開く。その言葉を聞いた私は、全身を覆う倦怠感に顔を歪めるが、何とか立ち上がりカフカを見た。

  カフカもまた、ゆっくりと意識を取り戻し、覚束ない足取りで立ち上がった。

  「ノア、それにエミル...助けてくれたのか」

  カフカに名前を呼ばれたエミルは嬉しそうに微笑むと、続けて私を見た。大きな瞳に映る私の顔には、疲労の色が出ており、エミルは少し心配そうな目を私に向ける。

  「私はエミル、星の調査団の生き残りです。まさか...あの将校から逃げ出せるポケモンが居るとは思わなかったですよ」

  エミルの言葉に私は疲れた表情のまま、手を振った。近くで話を聞いていたノアもまた、バクフーンの将校の怖さを理解しているらしく、エミルと同様に感心したように頷いている。

  「そういえば...探し物は見つかりましたか?」

  ノアの質問にカフカとエミルの視線が私に向けられる。私の捜していたもの、硫黄や硝石の在処は不明のままだが、何者かが銃の製造ノウハウを広めていることはわかった。それだけでも収穫と言えるため、私はノアの質問に対して頷くと、続けてエミルを見た。

  「急な話と思うかもしれないが、聞いてくれ。私はグレーゴル、星の停止を防ぐために君を捜していた」

  唐突な私の言葉を聞いたカフカ、エミル、ノアの動きが止まった。彼らは怪訝そうな表情で私を見ると、続けて互いの顔を見た。

  やがて、恐る恐るといった雰囲気のカフカが口を開いた。

  「...星の停止を防ぐ、ということは...闇のディアルガを、時の守護者を倒すのか?」

  カフカの質問に私は首を左右に振ると、彼らの顔を見た。

  「この星の停止は、そもそも時の歯車が紛失したことによる物だ。言い換えれば、紛失した時の歯車を適切な場所、時限の塔に納めれば星の停止を回避できる...」

  「...なぜ時の歯車と時限の塔のことを知っているのです?」

  私の言葉を聞いたノア、そしてエミルは有り得ないと言いたげな表情で私を見る。一方、状況を理解できないカフカは私達の会話を耳にして、目を丸くさせていた。

  私はノアとエミルの顔を見ると、小さく息を呑んだ。

  彼らの信頼を得るには、私が時の歯車と時限の塔を知る理由を伝える必要がある。

  私は息を吐き出すと、ノアとエミルの顔を見て口を開いた。

  「私は人間だ」

  この一言により、場の空気が凍った。

  カフカは唖然とした表情を、エミルとノアは思い当たる節があるのか、考え込む様子で私を見る。

  「...元は人間だったが、死んだ後にこの世界を救うよう、あるポケモンも依頼された。その際に星の停止と回避する方法を教わった...」

  「...まるでキュウコン伝説ですね」

  ノアの発した言葉、初めて聞くそれに私は微かに目を見開いた。エミルもノアの一言に首を縦に振ると、話を続けた。

  「そのポケモンによると、過去にタイムスリップする事で、星の停止を回避できるそうだ。そして、それを実行するにはエミルの助けがいる...」

  「...それを信じる根拠はあります?」

  私の話を一通り聞いたエミルの返事に、私は口を閉ざした。エミルの考えにノアも頷き、少し遅れてカフカも頷いた。

  彼らの反応を見た私は、戸惑いつつも口を開いた。

  「将校の傍にいたポケモン、奴が持っている武器はマスケット銃だ。君らの中に、あんな武器を見たことある奴はいるのか?」

  「...」

  彼らの知らない技術と知識、それを示すことにより、私が人間であったことを強調した。私の狙いは的を得ており、話を聞いたカフカ達は閉口したまま私を見ていた。

  やがて、意を決したカフカが口を開いた。

  「俺は、グレーゴルを信じるよ」

  小さなカフカの声が響いた。彼の言葉を聞いたエミルとノアは揃ってカフカを見た。

  「グレーゴルは...処刑場で俺を救ってくれた。俺はそんな奴が闇のディアルガの手下とも思えない...俺はお前を信じる」

  小さな声であるが、エミルとノアに届くには十分な声量である。2人はカフカに耳を傾けると、腹を括った表情の彼を見た。

  人間の頃は、信頼できる友人の居なかった私。

  しかし、今では私を信じてくれる存在がいることに、私の胸は自然と熱くなる。目尻に微かに浮かんだ涙を拭うと、「ありがとう」と小さな声で呟いた。

  そして、私とカフカの会話を聞いていたエミルとノアは微かに溜め息を零した。

  「...キモリさん、いえカフカさんにそこまで言わせるとは...よほど信頼されているんですね」

  「カフカさんとエミルさんが信用するのなら、私も信じます」

  エミルとノアの返事を聞いた私は、無意識に笑みを浮かべていた。私の笑みを見たカフカとノアも自然と笑い出し、場の空気は僅かに軽くなった。

  唯一、エミルのみが固い表情を浮かべているが。

  「...先に言っておきます。過去を変えることは、タイムパラドックスが起きます」

  エミルの言葉を聞いた私とカフカ、ノアの動きが止まる。タイムパラドックスという言葉に覚えがある私とノアの表情は固まり、カフカのみが状況を理解できず、困惑している。

  エミルは私達を一瞥すると、口を開いた。

  「過去を変えれば、今を生きる私達が消滅する可能性があります」