授業

  水の大陸、ワイワイタウン。

  街の中心部に建てられたレシラム教の教会、その中にある会議室に設けられた上級学校の授業にゼインとエレナは参加している。オリビア・ヘルマンの家に下宿しているゼインとエレナは、起床後にオリビア家の料理人が作る朝食を食べ、料理人が手作りした弁当を持参し、授業に参加する。授業の後は夕方まで自習や同期の学生達と歓談し、夜はオリビアの家で夕食を取る。湯浴びや洗濯、掃除もオリビアの家の使用人が行い、ゼインとエレナは勉学に集中できる環境にある。

  オリビアの授業が開始し、数週間が経過した。

  当初は世界の歴史や文化、行政の組織図、宗教と他宗教との関係、国家の歴史などの講義が行われ、ゼインとエレナは知識の習得に励んでいた。

  やがて、授業の内容は発展した物となり、本日も教卓に立つオリビアが笑顔で話を始める。

  「皆さん、お疲れ様でした。連日の座学は非常に疲れるものでしょう…本日から講義の内容が変わります」

  オリビアは笑顔で話し、会議室内にいる学生達の顔を見渡した。初級学校で習った事柄の応用的な授業が続き、若き学生達の顔に疲労の色は無く、活気に満ち溢れた表情をしている。

  学生達の顔を見渡したオリビアは笑顔で話を続ける。

  「テーマはコミュニケーション…個々人が対話をする際に必要な旨について、皆で学びましょう」

  これまでの講義内容とは打って変わった内容に、学生達の合間からどよめきが生じる。エレナとテスは驚きの顔を浮かべ、ロアとカルムは納得したように頷いた。

  唯一、ゼインのみが涼しい表情のまま、オリビアを見ている。

  オリビアは学生達の反応を見渡し、笑顔で話を続ける。

  「皆さんにお聞きします…コミュニケーションの真髄とは何だと思いますか?」

  オリビアは穏やかな口調で尋ね、視線をエリスに向ける。オリビアと目が合ったエレナは首を傾げ、不安そうな口調でオリビアの質問に応える。

  「…その…相手の質問に答える事ですか?」

  エレナの返答を聞いたオリビアは笑顔で頷き、「正解です」と応える。オリビアの返答を聞いたエレナの肩から力が抜け、それを見たゼインは微笑ましそうに頬を緩める。

  「コミュニケーションの真髄…それは相手の言葉に応えて、お話をする事です」

  オリビアは笑顔で話し、説明した事柄を黒板に記した。美しい筆跡で記すオリビアは、生徒達の方に顔を向け、声をかける。

  「一見すると簡単に見える事ですが、その奥は深いです。その答えは何でしょうか、殿下?」

  オリビアはロアに質問したが、ロアは落ち着いた雰囲気のまま口を開き、オリビアの問いに応える。

  「言葉は融和の鍵にもなる、また武器にもなる…行き着く先は争いです」

  ロアの返事を聞いたオリビアは笑顔で頷き、「正解です」と返す。オリビアの問いに即答できたロアは微かに息を吐き、安堵の表情を浮かべる。

  その姿を横目で見たゼインは、視線をオリビアに向ける。

  「では先生…破綻を避けるためにも、我々が注意すべき事はありますか?」

  ゼインに尋ねられたオリビアは微笑み、ゆっくりと頷いた。

  「大事な事は対話する際に、相手の面子を潰さない事です」

  

  オリビアの返答を聞いたゼインは不思議そうな表情で「面子?」と尋ね返す。オリビアは頷き、穏やかな声で説明する。

  「互いに対話し主張する際に、相手の面子を潰してしまうと…話が拗れる事があります。こちらが望む事を叶えるためにも、相手の面子を立てつつ、勝ちを譲る必要があります」

  「…勝ちを譲る、とは?」

  ゼインはオリビアに尋ねる。オリビアは頷き、ゼインの質問に答えた。

  「相手に負けるという事は、面子を潰されたと捉える者もいます…そうすると、こちらが勝つ事により相手は面子を潰され、余計な恨みを向けられる事もあります」

  「…」

  「故に、こちらの要求を通したい場合は相手が『勝った』と思える状況へと誘導し、気づかれぬように勝ちを譲る事も重要です」

  オリビアの説明を聞いた学生達は頷き、ノートにメモを記している。ゼインもオリビアの話を聞き、メモを取っていた。

  学生達の反応を見たオリビアは笑顔を浮かべ、おだやかな声で話す。

  「誰に対しても同じです。面子を潰さずに対話する事により、こちらの要求を通りやすくする…或いは相手の面子を保ちつつ、恩を感じるように振る舞う事で、こちらの要求がより通りやすくなります」

  外交部をまとめるオリビアの話を聞き、学生達は手元のノートに書き記している。ゼインやエレナ、テス、ロア、カルムもオリビアの話を聞き、それを身につけるために咀嚼し飲み込もうとしている。

  オリビアは微笑みを浮かべ、学生達に語りかける。

  「我々がすべき事は対話です。対話を通じて互いに主張する事はあれど…破綻し戦争や争いに繋がっては意味がありません…それこそ、15年前の暴動のようになります」

  オリビアの言葉を聞いた学生達の中には、首を傾げる者もいた。学生達は皆、15歳前後のため、中には産まれていない者もいる。学生達の反応から時間の流れを実感したオリビアは苦笑し、話を続ける。

  「…まぁ、状況によっては相手の面子を潰す事も必要になりますが」

  小さな声で呟くオリビアの言葉を聞き、カルムが手を上げた。オリビアはカルムに向かって頷き、彼は張りのある声で尋ねる。

  「トラブルになる恐れがあるのに…なぜ面子を潰す必要があるのですか?」

  カルムに尋ねられたオリビアは微笑み、口を開いた。

  「状況によって変わりますが…例えば相手と既に敵対しており、相手を潰す必要がある時には…面子を潰す事も有用な手段です」

  「具体的には…?」

  オリビアの説明を聞いたカルムが尋ね、オリビアは指先を顎に当て、考え込む。やがてオリビアはカルムに目を向け、口を開いた。

  「例えば…スキャンダルのある敵対者に更なる一撃を加える場合ですね。前提としては、スキャンダルが世に出ている事と敵対者に利用価値が無い事ですね」

  「…トドメの一撃、という事ですか?」

  カルムに尋ねられたオリビアは笑顔で頷く。オリビアは学生達を見渡し、穏やかな口調で話す。

  「こちらに非が無い状況で譲歩した場合、相手が更に要求してくる可能性があります。そのような場合には積極的な行動も評価されるでしょう」

  オリビアの話を聞いたゼインやロア、学生達は内容をノートに記載していく。学生達の反応を見たオリビアは笑顔を浮かべ、穏やかな口調で言葉を紡ぎ出す。

  「あとは実践あるのみです。先のテーマについて、近くの席の方と話し合ってください」

  オリビアに指示された学生達はそれぞれの席の近くに座る者同士で向き合い、言葉を交わしている。それを見たゼインはエレナに視線を向けるが、エレナは既にテスや他の牝の学生達と話し出している。

  『あらら…妹ちゃんは打ち解けるのが早いねぇ』

  ゼインの脳内に白いポケモンの声が広がり、ゼインは不愉快そうに心の中で返事をする。

  (余計なお世話よ)

  ゼインの返答を聞いた白いポケモンはケラケラと笑い声をあげ、ゼインに声をかける。

  『オリビア先生が教えたでしょ…対話が大事、てね…妹ちゃんみたいに同性同世代の子とも打ち解けなよ』

  白いポケモンに指摘されたゼインは微かな眉根を寄せ、指先を眉間に当てる。軽い頭痛を覚えたゼインだったが、隣から向けられる視線に気がつき、そちらに目を向ける。

  ゼインの隣に座るロアは満面の笑みをゼインに向けており、嬉しそうな声でゼインに話しかける。

  「エレナちゃんは他の子と話し合っているようだから…ゼインは俺とカルムと話し合うか」

  エレナには『ちゃん』付けするが、自身には呼び捨てするロアの声を聞き、ゼインは微かに眉根を寄せた。だが、他に手の空いている学生が居ない以上、ロアの指摘する通りであるため、ゼインはロアとカルムに向かって座り直した。

  直後、白いポケモンの声が脳内に響く。

  『ちょっ…皇太子に呼び捨てされたよ‼︎ギラちゃん、酒用意して‼︎お爺ちゃんは赤飯を用意して‼︎』

  白いポケモンは慌てた声をあげるが、ゼインは苛立ち混じりに眉間を指先で叩き、心の中で反応した。

  (うるさい)

  ゼインは疲れた声で反応するが、白いポケモンの興奮は収まらない。

  『盛り上がって参りました‼︎録画して、ゆっくり実況しようよ‼︎』

  『…いや、恋愛ゲームよろしく…まずは親しくなる事が最優先だぞ‼︎』

  白いポケモンに続き、ギラちゃんの声がゼインの脳内に響いた。直後、大きな物音と彼らの悲鳴が聞こえ、少し後に翁の怒声が響いた。

  翁の声量に怯んだゼインは微かに目を細めたが、すぐに意識をロアとカルムに向ける。

  ロアは妹のナツのお気に入りであるゼインとエレナを日々観察しており、彼自身も気に入りつつあった。故にロアはゼインの意識が自身に向けられた事に喜びの感情を抱き、嬉しそうに目を細める。一方、従者であるカルムはゼインに警戒の目を向けるが、学友という事もあり、またオリビアの出した課題に集中すべく、思考を切り替えた。

  「さてと…よろしく頼むよ」

  「…よろしくお願いします」

  ニヤニヤと笑うロアとは反対に、カルムは警戒の目を向けつつ、ゼインに声をかける。ゼインもまた、呆れ顔を浮かべたまま、彼らに声をかける。

  「…こらちこそ、よろしく」

  *

  レシラム教の教会内に建てられた騎士団の本部、その訓練場では数多くの騎士見習いや新兵達が訓練している。互いに訓練用の剣を使い、模擬試合を行い、己の技術を鍛えている。

  その中に赤みを帯びた体毛を持つ牝のゼラオラ、ナツの姿がある。

  ナツは訓練用の剣を構え、軽い身のこなしで訓練教官を務める牝のブリガロン、ガロンへと斬りかかる。ナツは頭上に構えた剣を一直線に振り下ろすが、ガロンは涼しい表情で剣の軌道を見切り、最低限の動きで回避する。

  ガロンの動きを見たナツは、振り下ろす勢いを利用し、そのまま地面を転がる。その際にナツはガロンに足払いをかけるが、ガロンは軽やかなステップでナツの奇襲を避ける。

  「おりゃあ‼︎」

  続けてナツはガロンの脚を狙い、訓練用の剣で斬りかかる。その切先を己の剣で受け止めたガロンは微かに笑みを浮かべ、ナツに声をかける。

  「ナツの動きは軽やかですが、剣は大振りですよ」

  ガロンは訓練用の剣でナツの剣先を受け止め、それを弾き飛ばした。突然の出来事にナツは目を丸くさせるが、素早く全身を動かし、ガロンに弾き飛ばされた剣を回収しようとした。だが、ナツが剣を回収するより早く、ガロンはナツの腕を掴み、そのまま手繰り寄せながら関節技を仕掛ける。

  ナツの細い首にガロンの逞しい腕が絡みつき、ナツは苦しそうな悲鳴をあげる。だが、ガロンは涼しい表情のまま、ナツの首を締め上げ、やがて腕の力を抜いた。

  ガロンの拘束から解放されたナツは地面を転がり、涙目のまま、ガロンを見上げた。

  「おっ…」

  酸素を求めるナツの脳は口を大きく開けさせ、酸素を取り込もうと浅い呼吸を繰り返す。同時にナツの口から涎が垂れ、地面に落下する。吐き気と酸素不足により、ナツの視界は大きく揺らいでいるが、ガロンはナツの腕を掴み、彼女を強引に立たせる。口角から涎を垂らしているナツは、ガロンの助けを借り、なんとか立ち上がる。彼女は手の甲で口元を拭い、ガロンを見上げた。

  ガロンは笑顔を浮かべ、優しい口調で話す。

  「ナツは小柄で腕力がない…ただ、動きが素早いので…相手との間合いを調整し奇襲を仕掛けるのも有りです。剣を使う以上、腕力や体格がものを言うため、ナツは間合いの取れる槍やボウガンなどを使う事をお勧めします。」

  「…はい」

  息が切れつつあるナツはガロンの助言を聞き、素直に頷いた。彼女の反応を見たガロンは笑みを浮かべ、優しい声で語りかける。

  「…私の子は皆、牡です。私にとって、ナツは娘のような者…多少厳しく指導しますが、確実に生き残るための手段を教えます」

  牡の子供を3人育て上げた肝の座った母親の言葉を聞き、ナツは頷く。ガロンの子は長男カルムがロアの従者を務め、他2人は文官になる道を歩いている。騎士団の副団長であり指導教官を務めるガロンにとって、牝で騎士志望のナツの存在は特別なものである。

  ナツの周りにいる若い牝の兵士達もガロンの話を聞き、自分達が腕力や体格で劣る事を改めて理解した。理解した上で、更なる技量や生き残る術を獲得すべく、再び訓練へと戻る。

  ナツも同じく、ガロンに一礼し、同期と共に訓練へと戻った。その背中を見届けたガロンの耳に、太い声が届いた。

  「ガロン」

  名前を呼ばれたガロンが目を向けた先には、右眼に眼帯を付けた隻眼のガオガエン、騎士団団長のルドルフが立っていた。ガロンはルドルフに敬礼し、ルドルフもまた敬礼で応えた。

  ガロンの傍に歩み寄ったルドルフは、自身に気づかずに訓練に励む愛娘に目を向けつつ、ガロンに尋ねる。

  「ナツの様子はどうだ?」

  従者の差し出したグラスを受け取り、冷たい水を喉に流し込んだガロンは、「そうですね…」と小声で呟いた。

  「殿下に比べて、腕力や機転の良さに劣りますが…身軽さと器用さは殿下以上ですね。槍やボウガンなど…間合いを取れる武器や機動力の求められる遊撃隊などに向いていると思います」

  ガロンの報告を聞いたルドルフは「ふむ」と声を漏らし、愛娘の姿を見る。彼の残された左眼は娘を案じる父親の眼であり、ルドルフは生傷ばかり作るナツを不安そうに見ている。

  ルドルフは溜息をこぼし、周りに聞こえぬように小さな声で話す。

  「…殿下やフユは牡だからまだしも…ナツは牝の子だ…可能なら、騎士団ではなく上級学校に通って欲しいものだが…」

  「…それを私に言いますか」

  牝であるが故にナツを案ずるルドルフに対して、牝でありながら副団長と指導教官を務めるガロンは苦笑いを浮かべる。ルドルフは自身の失言に気づき、即座に「すまない」と返した。

  ルドルフはナツに目を向けつつ、小さな声で話す。

  「…アキはナツの好きにさせれば良いと言っているが、やはり父親として娘の事が不安になってしまうよ」

  「…それが父親というものですよ」

  ガロンは苦笑いを浮かべながら応える。ガロンの子は牡ばかりであり、父親のルールも神経質な性格ではないため、子供達には自由にさせている。

  「…私にも牝の子がいれば、ルールが不安になりそうですね」

  主人であるルールの性格を把握しているガロンは呟き、ルドルフも首肯する。

  大きな物音が聞こえる。

  ルドルフが視線を向けた先では、同期の騎士との模擬試合を行い、先手を取ったナツが嬉しそうに声を上げている。ナツは自身を見ているルドルフに気づき、満面の笑みを浮かべながら大きく手を振った。

  娘の姿を見たルドルフは苦笑しつつ、手を振り返した。

  だが、ガロンは硬い表情を浮かべ、ルドルフに声をかける。

  「…団長、この光景をどう見ますか?」

  ガロンに尋ねられたルドルフは彼女に疑問の目を向ける。訝しげな表情を浮かべるルドルフは、「どうとは?」とガロンに尋ねる。

  ガロンは頷き、静かな声で話す。

  「私も若い頃は技術を磨き、騎士として高みを目指していました…ですが、子を産み育て、次世代の子を指導する内に気がついたのですよ」

  「…」

  「私が行っている事は、次世代の子を戦地に送る手助けではないかと…」

  ガロンの話を聞くルドルフは閉口し、ナツに目を向ける。ガロンの指摘する事はルドルフも薄々感じていた事である。

  独り身だった頃のルドルフは死を恐れず、民を守るために未知の武器や集団にも立ち向かう性格であった。それ故に時の守護者達と邂逅し、右眼を失う事となったが、ルドルフは後悔などしていない。

  だが、アキと結ばれ、子をもうけたルドルフにとって、妻子を残して死ぬ事は恐怖でしかない。それなのに自身の娘を戦地に送る手助けをしている事態に、ルドルフは胸が詰まる思いがした。

  閉口していたルドルフは、やがて口を開き、ガロンに声をかける。

  「…我々は敵を滅するために存在するのではない、民を守るために存在する…外交部の交渉が決裂しない限り、一線を越える事はない」

  「…その一線を超えた場合は?」

  ガロンに問われたルドルフの動きが止まる。

  ルドルフの視線はナツを見ているが、彼はガロンにどのように返答すべきかを考えている。彼の隣に立つガロンもルドルフに視線を送り、それを意識したルドルフは焦燥感を抱いた。

  ルドルフは生唾を飲み込み、声色を落ち着かせながら口を開く。

  「…その場合は、若人に代わり…我々大人が戦うまでだ」

  ルドルフの返答を聞いたガロンは微かに頷き、視線をナツへ向ける。ガロンの意識がナツに向いた事でルドルフは胸を撫で下ろしたが、それはすぐに終わりを迎えた。

  「…私は、怖いですよ」

  突然、ガロンは口を開き、ルドルフは意識を彼女に向ける。ガロンの目はナツや若い兵士達に向けられており、ガロンの目には微かな恐怖の色が滲み出ている。

  普段のガロンとは異なる雰囲気に、ルドルフは息を呑み、彼女の言葉を待った。

  ガロンは横目でルドルフに視線を送り、話を続ける。

  「…これまでの戦場は騎士や兵士同士の斬り合いが中心でした。訓練を受けていない者は…そもそも戦えもしない…」

  ガロンの話を聞き、ルドルフは頷いた。ガロンは続けて口を開き、話を進める。

  「ですが、15年前の暴動以降…時の守護者達が持ち込んだ技術が広がり、瞬く間に技術が進歩した…蒸気船や発電機が良い例です」

  「…」

  「…その技術がアレを生み出した…」

  ガロンは呟き、視線を訓練場の端へ向ける。ルドルフも同じ方向に目を向けた。

  訓練場の端には若い兵士達と技官の姿があり、彼らの手にはマスケット銃と良く似た物が握られている。

  それはグレーテやカウフマンが試作した旋条を銃身内部に彫った兵器、ライフル銃である。もっとも、その大きさや仕組みは技官達により改良が加えられ、雷管と薬莢の仕組みを取り込んだ現代的なライフル銃となっている。

  技官の手には、より小型化されたライフル銃が握られている。それは発砲時のガスを利用した薬莢の排出システムを取り込み、弾倉に弾を込める事で連射が可能な銃である。

  別の技官の手には銃身に回転式の弾倉が取り付けられ、事前に弾を込める事により、連射が可能となる銃である。

  いわゆるオートマチック拳銃とリボルバー拳銃の原型ともいえる代物である。技官達は兵士と共にそれの調整や試射をしており、訓練場に乾いた音が広がる。

  それを目にしたルドルフは息を呑み、ガロンは口を開く。

  「…ここにいる若い兵士達は暴動の時点で幼児か、そもそも産まれてもいない…戦争の経験がない彼らに、マスケット銃の恐ろしさを理解しろと言っても難しいです」

  「…」

  「技官達の持つアレは動作が不安定なので、実用性には乏しい…しかし、アレが安定して使えるようになり、大量生産された際には…騎士は負けるでしょうね」

  ガロンは静かに話し、ルドルフは傾聴している。ガロンは続けて口を開き、ルドルフに話す。

  「今は1発ずつしか使えませんが…仮にアレが連続して使えるような兵器が生まれた場合…戦場の形が変わります。騎士が得意とする接近戦は通じなくなり、簡易な訓練を受けた兵士や…そもそも訓練を受けていない民ですら騎士を殺せる時代が来ます」

  「…」

  「未来のある若人をそのような死地に送り込む事など…私には…」

  ガロンの話を聞いたルドルフの脳裏に、大量の銃弾をなす術もなく浴び、倒れていく騎士達の姿が描かれる。その中にはロアやナツの姿もあり、ルドルフは思わず顔を強張らせた。彼もまた、ガロンの想像を妄言と否定する事ができず、背筋に冷たい汗が伝う感覚を抱いた。

  息を呑んだルドルフであったが、震える口を動かし、ガロンに声をかける。

  「…先にも行ったが、外交部が機能している。彼らが戦争を回避する努力をしている以上、過剰な危惧を抱くべきではない…まさに杞憂だ」

  「…起こり得る可能性を考慮し、現実主義に徹するべきと?」

  ガロンに問われたルドルフは力強く頷く。彼の反応を見たガロンは閉口したが、やがて安堵の溜息をこぼし、微かに笑みを浮かべる。

  ガロンは不安そうな表情でルドルフに話す。

  「ありがとうございます、団長…私も少し神経質になっていました」

  言葉では落ち着いているようであるが、ガロンの表情は硬いままである。部下の不安を打ち消す事ができなかったルドルフは苦い思いを抱きつつも、視線をナツや若い兵士達へ向ける。

  活気のある、未来ある若人を見たルドルフは小さな声で呟いた。

  「…願わくば、彼らが戦地に立つ事がない事を祈るよ」

  ルドルフの呟きを耳にしたガロンは頷き、彼らはナツ達を見守っていた。

  *

  夜を迎えたワイワイタウンの港湾部。

  大陸間を運行する帆船や蒸気船が出入りする港には、数多くの倉庫があり、中には貿易品が保管されている。日持ちする食料や香辛料、布製品、医薬品、日用品など多種多様な品が取引され、多額の利益を生み出す港であるが、夜間は人気が感じられず、非常に静かな物である。港湾部の地上ゲートには管理会社の社員が務める管理棟があり、夜勤の社員が港を出入りする船を監視している。

  管理棟に設けられたテラスには、社員であるヨルノズクの姿がある。夜目のきくヨルノズクは灯りを使わずに港を見渡し、怪しい船や人影がないか、監視している。

  ヨルノズクの目は港の端々まで見渡しているが、それでも倉庫や建物、コンテナの陰など死角は存在する。

  管理棟から死角となるコンテナの脇を歩く影がある。影は倉庫に近づき、開錠し扉を開けた。倉庫内には多数のコンテナな木箱が積まれており、倉庫の天井まで届きそうな量である。

  影、ニャースは倉庫内を移動し、奥に立つ影へと近づく。

  倉庫の奥に立つ影、ハッサムはニャースを一瞥し、苛立ち混じりの声で話しかける。

  「約束の時間から10分遅刻だ」

  ハッサムに指摘されたニャースは申し訳なさそうに眉根に皺を寄せ、何度もお辞儀をした。

  「大変申し訳ない…管理会社の目がある以上、移動ルートや輸送ルートが限られるために…」

  「言い訳はもういい」

  ニャースの言葉を制したハッサムは近くにある木箱に手を伸ばす。その蓋を開け、ハッサムは木箱の中身に目を向ける。

  緩衝材が敷き詰められた木箱の中には大量の銃器と弾丸が保管されており、それに目を向けたハッサムは嘲笑を浮かべる。

  「これは使える品だろうな?」

  ハッサムに尋ねられたニャースは笑顔で頷き、口を開いた。

  「我々の技術を使った新たな製法です。職人の手作業ではなく…蒸気機関を使い、金属板から削り出し、加工した品です。この方法なら素早い大量生産が可能です」

  「…金属板から削り出し、といったが…具体的な方法は?」

  ハッサムは木箱の中から銃を取り出し、ニャースに尋ねる。ニャースは笑顔を浮かべ、木箱の中に目を向ける。

  「蒸気機関の圧力を高めた状態で、水を放ちます。水の圧力が金属板を切断し、細かな造形が可能となります」

  「細かな部分の削り出しは?」

  「エスパータイプの者が関わっていますので、サイコキネシスを使い、加工しています」

  ニャースの説明を聞いたハッサムは納得したように頷き、銃を放り投げた。倉庫内を飛んだ銃は弧を描きつつ、壁際に立つリングマの手へと渡った。

  銃を受け取ったリングマはその造りを観察し、満足げな笑みを浮かべる。

  「素晴らしい造りだ…このクオリティで素早く大量生産できるのなら…文句のつけようもない」

  リングマの意見を聞いたハッサムはほくそ笑み、視線をニャースに向ける。ニャースは満面の笑みを浮かべ、ハッサムに書類を差し出した。

  「納得頂けたようでなによりです…こちらが納品書になります」

  ニャースから納品書を受け取ったハッサムはそれに目を通し、怪訝そうな顔を浮かべる。ハッサムは納品書をリングマに手渡し、彼にも確認させた。

  リングマも顔を曇らせ、視線をニャースに向けた。

  「…おい、俺達の注文数と納品書の数が違うぞ」

  リングマに指摘されたニャースは笑みを浮かべたまま、ハッサムとリングマを見上げ、口を開いた。

  「…これだけの銃火器を誰かが購入した、という事実があれば良いのですよ」

  ニャースの言葉を聞いたハッサムとリングマは訝しげな表情を浮かべたが、ニャースに真意を問う前にリングマの耳が動いた。

  何かの気配を捉えたリングマは顔を上げ、視線を倉庫の天井に向けた。

  天井を走る梁の上には影が立っており、影は梁から飛び降り、音を立てずに倉庫内へと着地した。影は外套とフードを纏い、静かに倉庫内を駆ける。

  影の存在にようやく反応できたリングマは、大声をあげた。

  「敵だ‼︎」

  リングマの声に応じて、倉庫内の各所に配置されていた人員が姿を現し、剣や槍、木箱の中から銃火器を手に取り、影に襲いかかった。

  コンテナの陰に立っていたオノノクスは大振りの剣を頭上に振り上げ、影に向かって斬りかかる。影はフード越しに剣の軌道を見切り、身体を拗らせながら回避する。同時に影は外套の中から小型のハンマーを取り出し、オノノクスの手の甲を叩いた。

  手中に走る痛みにより、オノノクスは怯み、剣を落としてしまう。

  影は地面に落ちた剣を蹴り飛ばし、ハンマーでオノノクスの腹を叩く。腹部に走る痛みと衝撃により、オノノクスはその場で蹲り、身体を震わせている。

  影は倉庫内を素早く走り抜ける。

  「撃てっ‼︎」

  影の動きを見たリングマが大声をあげ、倉庫内に居た面々は銃を構え、発砲する。大量の銃弾が影に襲いかかるが、影は素早く走り抜け、コンテナや木箱の陰に身を隠す。

  直後、木箱を踏み台にした影は跳躍し、リングマ達の頭上を飛び越える。

  リングマ達は影の動きに合わせて銃口を動かすが、照準が合う前に影はリングマ達の傍に着地し、ハンマーで彼らの脚や腹を叩く。影の攻撃は彼らの手足の骨を破壊し、その痛みにより、辺りに悲鳴が広がる。

  「この…クソ野郎がぁ‼︎」

  腕の骨を折られたリングマは残る片腕を使い、拳銃を構えた。だが、影は素早くリングマの足下に接近し、彼の股間を容赦なく蹴り上げる。

  辺りにリングマの野太い悲鳴が広がり、その光景を見た牡達は己の股間に手を当て、身を震わせる。

  目尻と口角から涙と涎を垂らすリングマはその場に倒れ込み、影は更に駆け出す。リングマが倒される光景を見て、怯んでいる牡達に向かって影は近づき、再びハンマーで手足の骨を破壊していく。中には拳銃を構えて発砲しようとする者もいるが、影は彼らの眼前まで接近しており、素早い動きで牡達を戦闘不能へと陥る。

  やがて、倉庫内に居た面々は影に倒され、辺りに呻き声が広がる。影は倉庫内の光景を見渡し、事前に逃げ出したハッサムとニャースを追撃すべく、走り出そうとした。

  だが、影は倉庫の外から届く喧騒に気づき、足を止めた。直後、倉庫の入り口が破壊され、レシラム教の騎士団が倉庫内に突入する。

  「騎士団だ‼︎全員その場を動くな‼︎」

  突入した騎士達の怒声が響くが、影は素早く走り出し、積み重ねられた木箱を踏み台に使い、跳躍した。影は倉庫の天井の梁に飛び乗り、そのまま天窓を破壊し、外へと飛び出した。

  その光景と倉庫内に倒れている牡達を見比べた騎士達は、驚きの表情を浮かべつつ、互いの顔を見ていた。

  *

  部下であるリングマに敵の掃討を押し付けたハッサムは、先に倉庫から脱出し、建物の間を走っている。取引相手であるニャースも姿を消し、購入した武器も回収できずにいた。

  ハッサムは舌打ちをし、乱れた呼吸を整えるため、一度足を止めた。

  夜空に浮かぶ月の光がハッサムを照らし、それを見上げた彼は目を細めた。

  直後、後方の倉庫から大きな物音と騎士団が突入する音が聞こえた。それを耳にしたハッサムは驚きの顔を浮かべ、やがて諦めの表情を浮かべた。

  「…運が悪かったと思うんだな」

  リングマ達が騎士団に捕縛された事を理解したハッサムは、彼らを見捨て、1人で逃げるべく再び足を動かした。倉庫の建物の合間を駆け抜け、管理棟から見張るヨルノズクの視線を避けつつ、ハッサムは暗闇を選び、港の中を駆けていく。

  港の出口が見えた頃、ハッサムは後頭部に違和感を覚え、足を止めた。やや間を置き、ハッサムが進もうとした空間をボールが通過し、倉庫の外壁に当たった。

  「…なんだ?」

  外壁に当たり、弾むボールを見下ろしたハッサムは呟き、ボールが飛んできた方向に目を向ける。ハッサムが見た先には外套とフードを被った影が立っており、影はハッサムめがけて静かに駆け出した。

  突然、眼前に現れた存在にハッサムは驚き、目を丸くさせるが、応戦すべく拳銃を取り出した。だが、影は静かに駆け寄り、ハッサムが構えた拳銃の銃身を掴み、弾倉を強制的に取り外した。拳銃にまだ不慣れだったハッサムは影の所業に驚きを隠せず、拳銃の代わりにナイフを取り出し、反撃しようとした。

  影に向かって突き出されたナイフの刃は、影の持つ鉄製の板により弾かれ、ナイフは海へと落ちていった。その軌跡を見たハッサムは呆然とした表情を浮かべたが、直後に影の持つ鉄製の板により横っ面を叩かれ、彼の身体は倉庫の外壁へと叩きつけられた。

  全身を走る激しい痛みにより、ハッサムの視界は明滅を繰り返す。意識が遠ざかる中、ハッサムは何とか目を開き、影に視線を向ける。

  鉄の板を振り払った勢いにより、影の纏うフードが風で靡いていた。僅かに見えたフードの下には特徴的な顔があり、それを見たハッサムは小さな声で呟いた。

  「…ペスト…マスク?」

  フードの下、影は特徴的なマスクを装着しており、マスクに儲けられた孔からハッサムを見る双眸が見えた。それを見たハッサムは顔を強張らせたが、影はハッサムに肉薄し、その腹に蹴りを入れた。

  腹部に走る激しい衝撃により、ハッサムの意識は遠い彼方へと旅立った。倉庫の外壁にもたれ掛かり、失神したハッサムを見下ろした影は、遠くから駆けてくる騎士達の存在に気がつき、音を立てずに走り去った。

  後には失神したハッサムと弾倉の抜かれた拳銃のみが残されていた。