若い頃の過ちは誰にでも有る。
驕り、昂ぶり、視野狭窄。
ステファン、彼もまたそうだ。
「どうだ! へへっ……!」
「ま、参りました……」
王国剣術大会十連優勝。
倒した魔物は数知れず。
仲間内からは勇者と呼ばれていた。
だが……彼は一つの不満を抱いている。
「陛下! 何故魔王討伐の許可を頂けないのですか!」
「ステファンよ……魔王はこの百年、誰一人として倒せなかった者だ、奴を退治に行った者は一人も帰ってこなかったのだ」
「それは……しかし、彼らに私のような力がありましたか!? 私は王国随一の剣士、そして近隣の平和に最も寄与してきた者です!」
「それなら確実に可能、とは言えまい、お前は魔王がどんな存在なのか知っているのか?」
「それは……」
魔王、その正体は未だ分かっていない。
分かることといえば、人間界からの侵攻に対して軍を派兵すると宣言したこと。
そして宣戦布告の日……空に浮かんだシルエットから、獣人型ということだけ。
あと、声からするにメス……異次元に住んでいる、という程度だろう。
それ以外は、どのような力を持っているのかすら分からないのだ。
「井蛙は以て海を語るべからず、という言葉もある、我らは我らの世界だけで知りもしない魔王に敵うかを判断など出来ぬのだ」
「陛下は私を蛙と仰るのですか!? それはあんまりだ!」
ステファンは、国王を父のように思っていた。
だからこそ、彼に蛙扱いされた事がショックで仕方ない。
その衝撃は、彼に一つの決意をさせるのだった……。
「陛下は俺を軽んじていらっしゃる、俺は出来るはずだ!」
ステファンは憤りを胸に、一人旅に出ることにした。
それは王を見返したいという年相応の反抗心。
自分には出来るという年相応の驕りと、国王の親心に気付かぬ若さ故の鈍さが生み出した独断だった。
そこから、魔王のいる世界までは緩やかな旅路。
どこへ行っても彼に敵う者などおらず、彼は更に増長していった。
自分は蛙ではない、大海に出ても全然平気ではないかと……。
しかし、その驕りは……。
魔界に訪れた瞬間、打ち砕かれることになった。
「な、なんだ、この魔物は……これが魔王なのか……?」
顔の上半分までを覆い、背中まで伸びた黄金の鬣。
同じく黄金の長い尻尾。
黄金の毛は基本的に長毛だが、所々短毛の毛並みも紋様のように生えている。
それ以外の部分は茶色の短毛に覆われ、四本指の足と黄金の爪で地面を踏みしめた獣人。
豊満で、かつ足などには筋肉も備えている勇ましい姿。
それだけなら、ステファンもここまで驚かなかった。
問題は……大きいのだ。
魔界の紫色をした空に浮かぶ、禍々しい赤い月。
そこに届きかねないほどの巨躯、山よりも巨大なその姿。
その威容にステファンはただただ圧倒される。
「こ、こんな、こんな……」
今まで見てきたどんな魔物とも違う存在。
かつて空に見えたシルエットは投影ではない、本当に立っていたのだ。
ステファンは震えながらも剣を握る。
ここまで一人でやって来たのだ、これで勝てば王を見返せるのだ。
ステファンは鬨の声を上げて突撃する。
そして、呆気なく踏み潰された。
「なんだ? 虫でも踏んだか?」
魔界に存在する人間サイズの虫。
それを踏んだのかと勘違いしながら、魔王は歩く。
足裏にへばりついたまま、ステファンは王の言葉を思い出していた。
井蛙は以て海を語るべからず。
しかし、己は蛙ですらなかった。
蛙に食われてしまう虫のような、一際ちっぽけな存在だったのだ……。
その事に気付いた彼は、後悔しながら目を閉じる。
しかし……彼が死ぬことはなかった。
体には傷一つ存在しない、むしろ……気持ちが良いような。
「この感覚は、まだやれる、というのか……?」
地面に落ちたステファンは、力が湧いてくるのを感じていた。
ただ快感に満ちあふれているわけではない……。
一瞬肉体が負傷するも、そこから魔王の魔力が流れ込み、肉体を治癒……いや、強化すらしてくれたのだ。
それを理解した瞬間、ステファンは過去の挑戦者達が帰ってこなかった理由を察した。
彼らは皆、こうして自らを強化しながら魔王と戦い続けていたのだ。
「まだ、まだやってやるぞ!」
こうして、ステファンの長い長い挑戦が始まった……。
何年も何年も、挑んでは踏み潰され、快感と共に強化されて……。
魔界の動植物を喰らいながら、延々戦い続けてきた。
「さあ、今日も挑むとするか……!」
ステファンは気付くと、武器無しでも戦えるようになっていた。
爪は伸び、牙も生え、何十年も経ったのに、肉体は衰えてすらいない。
その事へ違和感を覚えることもなく、彼は魔王に今日も挑み……潰される。
「やれやれ、最近は虫をやたら踏むようになったな」
「ん、んおおおおっ!!!!」
また体が一瞬裂け、しかし流れ込む魔力と共に即刻蘇生される。
そして……その日は、一際強い快感が全身を覆った。
凄まじく激しい快楽と共に、あふれ出す嬌声。
それと共にステファンの肉体はどんどん変化していく。
牙は伸びて伸びて鋏角に。
爪は鋭くなって、まるでそういう拳装具を着けているかのような長いものに。
頭からは触覚が生え、まるで虫のようになっていくステファン。
だが、変化はそれで終わらない。
体中はべとつく粘液で覆われ、舌は異様なまでに伸びていく。
皮膚は虫のような甲殻と、カエルのような皮膚を併せ持ち……。
彼は、気付くと虫とカエルを混ぜたような姿の魔物に生まれ変わっていた。
「お、おおおお、この姿は……! 素晴らしい力、素晴らしい快感、そして……溢れ出す忠誠心……!」
「む……ヌルヌルするな、果実でも踏んだか……?」
「魔王様……いえ、陛下! 今までのご無礼をお許しください! これからは臣下として、人間界の侵攻にあたります!」
「むう……中々ヌルヌルが取れぬ」
踏まれたまま叫ぶステファンだったもの。
しかし、魔王は滑った感覚を取る事に集中しており、気付かない。
だが元ステファンは完全に魔王に魅入られており……地面にこすりつけられながらも、忠誠を口にする。
こうして元ステファンは魔王に気付かれることもないまま、魔王のために人間界へ出撃するのだった。
奇しくも、かつて魔王に挑んだ者達と同じように……。
「ゲコココココー!!!! 人間共よ、魔王様にひれ伏すが良い!」
人間を襲い続けた元ステファンは、数年かけて各地を転々とし続けた。
まるでかつての旅路を遡るかのようなルートで、帰巣本能なのか、もはや記憶にもないかつての故郷に向けて……。
そして、故郷に辿り着いた彼は……。
「ゲ、コォっ……まさか、こんな奴に……」
「ふう……強敵だった……ここまで魔物が侵攻してくるなんて……ここはゲートから遠いのに」
国一番の実力を持つ剣士に敗れ去るのだった。
彼は、奇しくもかつてのステファンと同じ剣術大会十連優勝の実力を持つ人物。
そして……彼の中には、一つの危機感が存在した。
「国王陛下は亡き先王からの言付けを受け、魔王への攻撃を禁じたというが……魔物がこれほどまで力を付けたなら、黙っているわけにはいかない……陛下には申し訳ない限りだが、たとえ独断だとしても……ここは、行くしかないか」
かつてのステファンとは異なり、世界情勢への危機感から旅に出ることにした新たな勇者。
彼は奇しくもかつてのステファンと同じような旅路を歩み、危機感と使命感を大きくしていく。
……その旅路の果てに、彼はやがて……。
「そ、そんな、これが魔王……」
「なんだ……久しぶりに虫でも踏んだか……?」
魔王と対峙し、絶望し……。
しかし、快感に包まれながら力に溺れ、その存在を歪めていく。
こうして、魔王は何一つとして気付かないまま、歴史は繰り返していく。
その間も魔王は無関心で散歩を続け……何か虫を踏んだ、程度にしか思わないまま呑気に過ごすのだった……。