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とある一般人のありきたりな結末。その始まり。

  平和。少なくとも僕の見える範囲の世界はそうだった。

  ヒーローがいて、ヴィランと戦って。時々避難をする事もあるけれどそれだけだ。

  端末を弄ると飛び込んでくる世界。

  ニーズに脚色されたニュース。

  虚実入り混ざり、どれが真実なのかも分からないまま。

  夜でも明るい街を歩き、僕は家に帰る。

  空っぽの部屋。必要最低限の荷物。

  万人に受け入れられるよう画一的に味付けされた弁当を食べながら、僕はただ日々を過ごす。

  心が寒いと感じていたのは、いつまでだっただろう。

  息苦しさを感じていたのは、いつまでだっただろう。

  いつの間にか、感じなくなっていた。

  麻痺した思考。流れる日々。

  変わって欲しいとも思わない。

  空を見上げる。麻痺した思考には眩しい月明かり。

  この感情の名は。

  [newpage]

  何も出来ない僕には与えられた仕事をこなすだけで精一杯で。

  その日もいつもの様に仕事に勤しんでいた。

  少し息抜きをしようと給湯室でコーヒーを淹れていると。

  会社の中にけたたましいサイレンが鳴り響く。

  何が起きたのだろう。

  給湯室から廊下へ出ようとして。

  轟音。

  「え…」

  パラパラと頭に何かが降りかかってきた。

  見上げると。

  天井。目の前。

  頭蓋に衝撃が走って、僕は意識を失った。

  [newpage]

  ごぽ、ごぽ、ごぽ。

  目を覚ました時、最初に聞こえたのはそんな音。

  何の音だろう。

  あれ、僕、どうしたんだっけ。家を出て、仕事に向かい、コーヒーを淹れて…

  真っ暗な視界。瞼をゆっくりと開く。

  霞んだ真緑の視界。ぼんやりしていて、何だか見えづらい。

  すごく、眠い。

  ごぽ、ごぽ、ごぽ。

  この音、何だろう。この音しか聞こえない。

  指先を動かす。重い。

  真緑の空間。これは、液体?

  霞んでいて、ぼやけた視界が少しずつ明確になり始める。

  真緑の空間の奥は半透明で、うっすらといくつかの影が見える。

  人の形。人に似た、けれど明確に形が違う形。獣の形。

  視線を下す。

  僕の右腕。肘が逆に曲がってる。左腕。骨が見えている。

  お腹。抉れてる。両脚。ぐちゃぐちゃ。

  痛くも痒くもない。ただ、全身を包む緑の液体が暖かい。

  無数のコードが全身に繋がって。

  視界を上げる。

  蓋の内側のような天井。無数の細いコードと、極太のコード。

  極太のコードは僕の背中へ向かって伸びている。

  なに、これ。

  ごぽ、ごぽ、ごぽ。

  分からない。ただ、暖かい。

  『処理を開始します』

  緑の液体以外に初めて聞こえたそれは、女性の声でも男性の声でもない、機械音声。

  処理?何を?

  その僕の単純な質問に答えは直ぐに出てくる。

  ど く ん

  「ッ…!!」

  熱い。コードを通して灼熱が体内に注ぎ込まれるのがわかった。

  熱い熱い熱い。全身が内側から焼けている。

  と、天井から何かが降りてきた。

  それは僕の目を覆い。不思議な光景を繰り広げる。

  上下のない空間。人が人を惨殺する光景。屠殺場のような光景。

  耳にづぶり、と何かが侵入してきた。

  痛くはない。灼熱の肉体にゾクゾクと寒気。

  声とも音とも取れる音声が繰り返し繰り返し響く。

  なに、なに、なんだよ、これ。ぼく、いま、どうなってるの。

  ぶぢんっ、みぢっ、みぢっみぢぃっ!

  耳に侵入してきた何か。そこから流される音声とは別の音が全身から鳴り響いている。

  惨殺され続ける人の群れの上に、さっきまで僕が見ていた僕の姿が浮かび上がった。

  カメラを見る様な感覚。

  僕の体。ぐちゃぐちゃで、ひ弱くて、細い肉体。

  みぢっ、ぎぢっ、ぎぢぃっ!!

  どんどん、膨らんでる。骨が見えていた腕が筋繊維で覆われて。筋肉が作られて。

  かと思えば再び千切れて。千切れるよりも早く再生して。

  また太くなって。

  逆に曲がっていた肘がごぎゃんっ、ごぎゃんっ、と凄まじい音を立てながら再構築されて。太く、太く、長く、硬く。

  抉れた腹も、強靭な筋肉に覆われて。直線だった僕の上半身が、逆三角形。逆台形。

  肩が盛り上がって。皮膚が緑の液体の中で弾け飛んで、真紅が混ざる。

  ぐちゃぐちゃだった両脚。骨が再形成されて。太くもしなやかな筋肉。

  少し形が変わって。両足の先端。親指の骨が、どんどんズレて。

  この形は、どこかで見た事がある。

  極太のコードの中を塊が通っていくのが見えた。

  『進捗状況70%』

  コードの中の塊が僕の背中に飛び込んだ。

  声とも音とも取れる繰り返し繰り返し聞こえる音の意味が、何故かその瞬間からわかる様になってきた。

  殺せ、犯せ、満たせ、仕えよ。

  欲望のままに食らえ。

  全ては悲願のために。全ては我が主人のために。

  貴様はしもべ。お前はヴィラン。貴殿は尊き我が同胞。

  繰り返し繰り返し流れる、怨嗟にも似た言葉。

  惨殺される人の群れ、惨殺されて転がる死体は…

  ぐぅぅぅぅ

  おなか、すいた

  空に浮かぶ僕の姿。頑強な両脚。尻の谷間からずるり、と骨が飛び出した。

  直ぐに肉が覆い隠し。ぶぁさぁ、と緑の液体の中でも溢れ出す、と表現が出来る、毛並み。

  太く、逞しく。血管が浮かび上がった両腕。手の先端には、鋭い爪。

  ゴーグルで覆われた顔。耳元に無数の線。

  ごぎゃんっ、ごぎゃんっ、と顎が砕け散り。

  ずずい、と前に迫り出していく。

  歯が抜け落ちて。代わりに飛び出す、無数の牙。

  耳元に集うコードがうじゅうじゅと蠢いたと思えば。僕の頭蓋の後ろへ伸びていく。

  耳のあった場所に、耳はなく。

  線の向こうに飛び出す、三角形の大きな大きな、収音性の高そうな耳。

  …あぁ、どこかで見た。確かにみた。

  動物図鑑で見た事のある。

  狼。

  どこか遠くの世界で。

  端末の向こうで見えていた。ヴィラン。

  『進捗状況90%』

  惨殺される人の群れがいなくなった。

  代わりに僕の目の前に出てきたのはかつての僕と、先程まで空に浮かんでいた僕。

  血塗れで無表情な昔の僕と、血塗れで楽しそうな今の僕。

  「苦しかった。寂しかった。寒かった。息苦しくて苦しくて。ずっと、ずっと、ずっと。諦めてた。何も変わらない。何も出来ない。僕はただこのまま生きていくだけ。」

  あぁ。そうだ。あの夜、あの空。麻痺した思考。

  諦め。

  「もう終わりだ。終わらせよう。終わらせられる。僕は、俺は変わる。変わった。戻れない。戻る必要もない。俺は、喰らう。犯す。殺す。壊す。全部、全部、全部、全部…!」

  今の、狼の僕は指をわなわなと震わせ、爪を振りかざす。そして、嬉しそうに笑ったんだ。

  楽しそう。

  久しぶりに、こんな感情になった。

  僕は。昔の僕と、今の僕の両方に手を伸ばした。

  『完了しました。』

  「アォォォォォンッ!!!」

  [newpage]

  俺は目を開くと遠吠えを上げた。

  全身を包み込んでいた液体がいつの間にか無くなっていて。けれどコードは繋がったままだ。

  半透明だった壁-筒の向こうが透明になる。

  そこはただっぴろい空間だ。無数の筒が用意されていて、中は真緑の培養液で満たされている。

  「ハァァっ、ォォォッ…!」

  透明な壁がゆっくりと開いた。

  そこに居るのは白衣を身に纏った人間。

  …いや、違う。臭いがただの人間じゃない。

  それを証明するように、そいつの額には双角。にょろりと伸びた龍の尻尾。

  縦に伸びた瞳孔と鋭い瞳は見つめられるだけで背筋がゾクゾクとする。

  「目覚めましたね?気分はいかがですか?」

  そう問われて俺は喉を鳴らす。

  「…最高だ。」

  高揚している。熱い、全身が心地良い熱で満たされている。

  全身に力が溢れ、漲る。

  コードが無数に繋がっていなければ今直ぐにでも走り出したいぐらいだ。

  「それは良かった。…貴方は我らが同胞。我らと共に、悲願を果たすために。」

  そいつは。人の形をした龍は。

  にっこりと笑い。

  「すべての人類を服従させる為に。世界の平和を守るために。共に」

  「食らい、犯し、殺しましょう」

  諦めていた俺の結末≪ハジマリ≫。

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