【Skeb】503攻査隊活動記録『新種触手生物との接触について』

  立ち塞がるのは、大いなる遺構の門。

  一般的な龍人(ドラゴニアン)の背丈をおよそ五倍にしたほどの威容を誇る、遠い古の扉。石造りの表面を飾る、無数の点を線でつないだ図柄を一瞥して、男はふと星図を思い浮かべた。幾重にも連なる天井の上、分厚い火山灰の向こうの空を突き抜けた果てにある暗黒の宇宙。天地もなく、明滅する星灯りの他に標もない、遥かなる茫漠。一人の感覚を以てしては到底知覚しきれない無限に等しい空間の広がりを思う時、人は誰しも己の存在の小ささを実感せずにはいられない。

  漆黒の宇宙を流離う斯くも儚い塵のひとつが、己の塵たるを自覚した時、何を思うのか。創世から遥か数百億年の時を刻む宇宙の中で、たかが百年足らずの時間を与えられたちっぽけな己は、何のために生きてゆくのか。乗り込んだ巨艦が火柱を立てて宇宙に出る度に、胸をよぎる微かな不安は、どこまでも無秩序に拡大してゆく虚無の中で、己の生きる意味を見失うために生じるものではないだろうか。

  一つ一つはただの点に過ぎない星々を繋ぎ、そこに意味を見出そうとする星図の試みは、そうした漠然とした不安を和らげるための手段の一つなのかもしれない、と男は思う。人間の意思ではコントロールできない大いなる力によって生まれた星々の連なりにも相互関係があり、みな等しく生まれた理由――意味があると信じられれば、それは取るに足らない塵たる自分にも意味を見出す手がかりとなる。

  無限に等しい宇宙の片隅で、自分自身の存在する意味を、そして意義を見失わないため、誰もが胸に宿す星図――男にとってそれは、己が命を懸けるに値する『役割』であった。

  

  ※

  

  「アルファ1よりデセルタ隊、これより遺跡内奥へ進入する。フォワードはアルファ、バックスはベータ。ガンマはプロフェッサーを護衛しつつ、適宜双方の火力支援に当たれ」

  扉の脇に置かれたコンソールの光が緑に染まると、開放信号を受け取った扉がけたたましい轟音を立てる。アルファ、ベータ、ガンマの三班に分かれた部下たちに号令を出しながら、『アルファ1』と名乗った男――第503番強攻調査小隊長・デセルタは両側へ外向きに開いた扉の隙間へと足を進めた。地に足を付けるのに十分なだけの重力は存在する一方で、この星の大気組成が龍人の生存に適さないものであることは確認できている。バイザーに浮かぶエアーの残量に目を配りながら、デセルタは手甲で探照灯代わりに発光する円形のコンソールベゼルを前方に翳す。古代の騎士鎧を思わせる全身を漆黒に染め抜いた専用のコンバットスーツを躍動させ、足を踏み入れた先――超古代高度文明遺跡の奥深くへと鉄靴を響かせる。

  広大な宇宙に版図を広げる『連合(アライアンス)』の辺境に新たに発見されたこの遺跡は、これまでに確認・調査されてきた遺跡の中でも類を見ない地下空間を有している。外部からの超音波探査によれば、遺跡は地上の入口から地下へ七つの階層を連ね、そのいずれにも光情報媒体を内包した結晶碑石や、在りし日の高度文明神話の一頁を綴った神統壁画といった貴重な遺産が眠っていることが判明している。今日までの一週間ですでに六つの階層を踏破し、遺産を余さず調査・回収したデセルタ隊は、探索の最終地点である第七階層へ向けて今まさに進軍を開始しようとしていた。

  「アルファ1よりアルファ各員。状況を報告せよ」

  自身を含め八人からなるアルファ班を四手に分け、複雑に分岐した遺跡内のポイントへ送り込むと、デセルタは同行するアルファ8に採取・分析を任せつつ班員と通信を取る。アルファ班の中では最年少のアルファ8だが、こと情報の集積と編纂にかけては503攻査隊全体で見ても高水準の能力を誇っている。逐一監督せずとも、為すべきことを自ら判断して行動するだろうという采配であった。

  <アルファ2・3よりアルファ1、ポイントC-3に敵性生物認められず。異状なし>

  <アルファ4・5よりアルファ1、ポイントC-2異状なし>

  バイザー内部に映し出される同胞たちのパラメータにさしたる変動はなく、骨伝導スピーカーから響く各々の声色もごく平静を保っている。暗所かつ高温多湿――『奴ら』の住処に相応しい空間にしてはやけに穏当な道程がかえって不気味に思われて、デセルタはヘルメットに仕舞い込んだ長髭の一本一本にまで神経を集中させた。いかなる状況でも油断は禁物。『奴ら』との戦いでは、隙を見せた者から順番に死ぬ。

  <アルファ6・7、ポイントC-1以下同文>

  「アルファ6、報告は形式に則り正確に行え。再教育が必要か?」

  そんな厳戒態勢に水を差すように、気の抜けた声がスピーカーを擦る。腕はいいのにどうも物臭なアルファ6のにやけ顔を脳裏に思い浮かべて、デセルタは咳払いをしながら語気を強めた。アルファ8のような若輩者も同行する任務において、年長者が手本にならないようでは示しがつかない。アルファ・ベータ・ガンマの三班のみならず、母艦で待機中の三班を含めた全六班からなる部隊全体を率いる役割にあるデセルタにとって、定期的な規律の引き締めもまた重要な役目である。もっとも、これで黙って言うことを聞くような男でないことは、アルファ6と長い付き合いのデセルタ自身が身に染みて知っていることではあったのだが。

  <へいへい……アルファ6・7よりアルファ1、ポイントC-1に――ッ!?>

  刹那、脱力した重低音がぶつりと途切れる。バイザーに躍る警告の赤いメッセージは、アルファ6およびアルファ7の心拍の急上昇を示す合図。耳を澄まさずともスピーカー越しに聞こえてくるけたたましいパルスライフルの射撃音と荒い息遣いが、彼らが戦闘状態に突入したことを如実に示していた。

  間違いない。『奴ら』だ。

  「アルファ6、状況を報告しろ――どうした。何があった」

  <アルファ6よりアルファ1、C-1に敵性生物発生! コアからの生体反応12、繁茂レベルAプラス。2人じゃとても手に負えねぇ!>

  先程までの気楽な物言いはどこへやら、途端に戦士のそれに声色を切り替えたアルファ6の叫びが、デセルタに状況の逼迫を如実に伝える。一つあるだけでも厄介なコアが12個、加えて繁茂レベルも高水準。いくらアルファ6とその相棒たるアルファ7が百戦錬磨の古豪とはいえ、そう長くは保たないことは目に見えていた。

  「了解。ただちに援護を送る」

  少し離れた道の先から心配げにこちらを見つめてくるアルファ8を、デセルタは軽く目配せして窘めた。仲間を心配する気持ちはわかるが、一時の感情に流されて己の役割を蔑ろにすれば、それこそ龍人戦士の名折れである。

  「アルファ1よりベータ各員、ポイントC-1へ急行しアルファ6・7を援護せよ。アルファ2トゥ5は警戒レベルを引き上げつつ調査を続行、ガンマも引き続き……」

  聞くが早いか、後方支援に回していたベータ班がアルファ6および7の元へ救援に向かってゆく。デセルタはバイザーの片隅に浮かぶ小さな仮想マップを視線誘導で拡大し、ベータ班の移動速度を確認しながら次なる一手へ考えを巡らせる。だが次の瞬間、突如として響き渡った大音量が、デセルタの思考を著しく遮った。

  <デぇセルタ君ッ!! 触手共が出たのかねッ!?>

  頭上の角から尻尾の先まで隈なく震動させるようなしゃがれた金切り声。鼓膜を通していれば聴覚が無事では済まなかったであろう喧しい絶叫に、デセルタは思わず瞑目して首を縮めた。咄嗟にマイクを切り、負けじと超特大の溜息を吐いてから、可能な限り平静を保った声色で答える。

  「……プロフェッサー、任務中はコールサインでお願いします」

  <そんな細かいこと、いちいち気にせんでもええじゃろ! そんなことより、生きた触手共を間近で観察させてくれんかの>

  プロフェッサーと呼ばれた男――『連合』肝煎りの老研究者・ウェンテ博士は、新しい玩具をねだる幼龍のように浮かれた声を弾ませる。また我儘か、と心中に呆れ返りながら、デセルタは事務的な口調で反駁に努める。

  「お断りします。何度も申し上げている通り、たとえ護衛を連れていたとしても『奴ら』の生体に接近するのは危険です。貴方にも、私の部下たちにも累が及びます」

  <しかしだなデセルタ君、『連合』の更なる発展と拡大のためには彼奴らの生態の一刻も早い解明が必要不可欠であるからして……>

  尤もらしい理屈を並べ立てられたところで、『奴ら』の危険性が減衰するはずもない。加えて戦闘訓練の一つもろくに受けていないずぶの素人、挙句龍人にしては珍しい肥え太った体型の老人を光弾飛び交う戦場に立たせるなど、正気の沙汰とは思えない愚行である。どうにか思いとどまらせなければと奮い立って、デセルタはなおも弁舌を振るう。

  「貴方の安全確保をオーダーしたのは、その『連合』です。我々龍人戦士は『連合』の意思には決して逆らえません。ご存じでしょう」

  <儂の護衛と彼奴等の掃討、両方まとめてこなせんのか? 『暴風のデセルタ』率いる503攻査隊ちゅうのも、存外大したことないのぉ>

  「く……ッ!」

  いとも容易くラインを飛び越える博士の侮辱に耐えかねて、デセルタは思わず唸り声を漏らす。手が届く範囲にいるのなら今すぐにでも拳の五十発ほどは浴びせてやりたい心持ちだが、通信の向こうに打撃が通じるはずもなく、まして相手は『連合』の要人である。憤懣遣る方ない心持ちに歯噛みするデセルタに救いの手を差し伸べたのは、皮肉にも窮地に立つ戦友の救難信号であった。

  <アルファ6よりアルファ1、頭数は揃ったがどうにも巻き返せねえ。悪いが援護をよこしてくれ!>

  「了解、私が行く。アルファ1・8、これよりアルファ6・7の援護に向かう」

  聞くが早いか、腰に提げたパルスライフルを構えて駆けてくる優秀な若者に視線で合図をしながら、デセルタは足早にポイントC-1への最短ルートを検索する。耳元にざわめく戦友の苦境は刻一刻と悪化の一途を辿り、悠長に方針の相談などしている場合ではない。癪に障る不協和音に別れの挨拶をするには、絶好の機会だ。

  「聞いての通りですプロフェッサー。陣頭指揮のため、通信範囲を制限します」

  <ま、待ちたまえデセルタ君! 儂の話はまだ……>

  なおも何をか喚きたがっていそうなウェンテとの通信を切断すると、急に肩から重しが取れたような心地になって、デセルタは思わず首を大きく回した。首元の装甲とヘルメットが擦れて発せられる重たい金属音がやけに小気味よく、溜息交じりに苦笑を漏らす。

  「……老人のお守りは骨が折れるな」

  「心中お察しします、隊長」

  バイザー越しに目を細めて同情してくれる青年の優しさに救われた心地になったのも、ほんの一瞬。今まさに死地に立つ同胞を救うため、デセルタはコンバットスーツの走力サポートを最大出力に引き上げた。己の認識を上回る速度で回転する両足の勢いに任せて、天井の高い通路を目標地点へ向け一直線に走り抜けてゆく。

  やがて辿り着いたポイントC-1は、まさに激戦の渦中にあった。

  

  ※

  

  視界を埋め尽くすのは、遺跡の内壁にへばりつく醜い肉のネットワーク。加工された食肉のような鮮やかな薄桃色ではなく、生きたまま腹を裂いて取り出した生物の腸のそれを思わせる生々しい色合いは、デセルタのみならず人間ならば誰もが嫌悪感を催すほどのおぞましさを湛える。シナプスのように放射状に広がる触腕は、不気味な単眼を有する核部位――コアを中心として、幾重にも重なり合って遺構を侵している。各部から垂れ下がった無数の触手は、さながら完璧に統率された軍隊の如く徒党を成して近付く者を襲い、武器を奪っては縛り上げ、身動きを奪った相手の体液を啜り、肉をふやかして喰らい尽くす。いかなる生命進化の系統樹にも当てはまらず、長年の研究にも関わらず未だ謎と怪奇に満ちた、あらゆる人類種の天敵。

  それこそが『奴ら』――触手生物。

  デセルタは強攻調査小隊の隊長として、幾度となく触手生物と相対し、殲滅してきた。だが、いくら斬り倒しても、『奴ら』の存在そのものに抱く激しい憎悪と怒りが消えることはない。これまで何度、『奴ら』に苦汁を舐めさせられてきたか。これまで何人、『奴ら』に蹂躙され死にゆく同胞を見送ってきたか。思い返す度鮮明に蘇る屈辱の記憶をぐっと胸の奥に押し込めて、デセルタは眼前の戦場に飛び込んでゆく。

  「隊長! 救援、感謝します!」

  「話はあとだ。まずはこいつらを片付ける」

  先んじて援護についていたベータ班の班長が、長銃身タイプのパルスライフルのスコープを覗き込みながら謝辞を述べる。少々感激が過ぎるその声に片手を挙げて応じる間にも、スペースグレイのコンバットスーツを着装した隊員たちのシルエットが弾着の光に浮かんでは消えてゆく。宵闇に流れゆく流星群さながらに途切れては瞬くマズルフラッシュの狭間に覗くのは、この世のあらゆる汚濁を塗り固めたようなどどめ色の群塊。

  げに恐るべきは、強靭な龍人種さえ手玉に取る膂力。コンバットスーツさえ溶かす分泌液の脅威。そして、たった一つのコアからいくらでも繁茂する強靭な繁殖力。生物としての強度の高さとは裏腹に、その生息地がなぜか『連合』の龍人種が生息する範囲に限定されることから、『連合』に仇為す者が生み出した対龍種生物兵器であるとの噂すらもまことしやかに囁かれている。根拠のない空事ではあるが、こうも行く先々で道を阻まれるのでは、そんな戯言さえ信じたくなってしまうのもやむを得ないことだった。

  「アルファ8はアルファ7と組め。マーレなら多少のミスはカバーしてくれる、気楽にやれ」

  「りょ、了解!」

  混乱を極める情景に困惑の色を見せる若人に指示を出してから、デセルタは腰に提げたバトン状の得物を手にする。右手によく馴染むグリップを握り締め、力を込めて振り下ろすと、一瞬のうちに両端が伸長し、前端に取り付けられた光波発振器から鮮烈なグリーンの光刃が現れ出でる。

  それは龍人戦士ならば誰もが扱える最初の武器。猛き勇者の魂――ビームハルバード。暗闇に映える残光を四方八方に振り回せば、迫り来る『奴ら』の群れが一瞬にして千々に乱れ飛ぶ。一切の無駄なく繰り出される斬撃はまるで結界のようにデセルタの周囲を守り、最前線へ悠然と歩みゆく逞しい立ち姿に触手の一本たりとも近付けさせない。圧巻としか言いようのない戦斧捌きは、援護射撃に努めるベータ班長が銃爪を引く手を止めそうになるほどに美しく、優雅とすら称せるしなやかさを見せつけていた。

  「随分とイキがいいな」

  「まったくだ。いくら撃っても湧いて出て、コアが遠いのなんのって」

  両脇に担いだパルスマシンガンをまとめて乱射する巨漢――アルファ6の背後に迫っていた触手を斬り伏せると、デセルタは長らくの戦友に背を預けながら率直な感想を述べる。太い尻尾を振り回しながら応じるベテランの口調は先程と変わらず砕けたままだが、荒れた息遣いには疲弊の色が見て取れる。

  「フォワードを代われ。私がコアまでの道を拓く」

  巨漢が携えたマシンガンから伸びたエネルギーパックに灯る残弾僅少の警告を横目に確認すると、デセルタは戦斧を横薙ぎにして光刃波を放った。左右に大きく広がった三日月状の刃が真っ直ぐに戦場を貫き、触手生物の本体――コアがへばりつく内壁までの空間に満ちていた触手群を大きく削り取る。間髪入れずにその隙間に飛び込み、両手で構えた戦斧を左右交互に回転させながら振り回してやれば、瞬く間にコアへと至る道筋が形成されてゆく。ばらばらと飛び散る肉片を腕で払いつつ、アルファ8は感嘆に目を輝かせた。

  「すごい……流石は隊長だ」

  「ウェル、見惚れてる場合か。弾幕を張れ! 触手共を隊長に近付けさせるな!」

  アルファ7ことマーレの凛とした檄に慌てて首を振り、アルファ8――ウェルと呼ばれた青年は銃口を中空へ向ける。熱感知システムに切り替えたバイザーに、現れては蠢くターゲット。狙いを定めるまでもなく、撃てば当たるほどの密集ぶりにざわめく心を堪えて、握りしめた銃爪に力を込める。

  デセルタの参陣によって、ポイントC-1の戦況は一気に龍人戦士優勢に傾いた。ビームハルバードが鈍い唸りを上げるたび、伸びる先から刈り取られる触手の版図がみるみるうちに狭まってゆく。後方から弾着するベータ班の援護射撃はまさに正確無比。残弾の尽きたパルスマシンガンを捨てて二本のビームハルバードに持ち替えたアルファ6もデセルタの後背に付き従い、わずかな残存勢力をさらに削り取りにかかる。

  「おぉぉぉぉッ!!」

  響き渡る雄叫びは、齢五十を過ぎてなお昂るデセルタの闘志を戦場に焼き付ける渾身のウォークライ。薄暗がりに弧を描く戦斧の軌跡を指揮棒の代わりに、光弾と爆発の轟音が荘厳な協奏曲を奏でる。幾重にも連なる聴衆を蹴散らしたその先に我が物顔で鎮座するのは、肉塊の中央に龍人の顔ほどもある巨大な眼球を構えた触手生物の中核。複数が寄り集まって互いを増強し合う『複合コア』と化したその群れをハルバードの穂先で指し示しながら、デセルタは声の限りに命令を下す。

  「今だ! 冷凍弾、撃てェッ!!」

  瞬時に身を翻したデセルタの肩口を掠め、コアを目掛けて一直線に突き進む大振りの弾頭。アルファ7が構えた大型レールガンのバレルから撃ち放たれた白銀の弾丸は、『真空』『乾燥』と並ぶ触手生物の致命的な弱点の一つである『超低温』をもたらす氷点下の一撃――冷凍弾。

  複合コアの眼球の一つに突き刺さった冷凍弾は、間髪入れずに勢いよく砕け散り、内包していた急速冷凍液を周囲にばら撒いた。冷凍液を満遍なく浴びせかけられた三つのコアは瞬く間に氷結し、凍りついた側から粉々に瓦解してゆく。

  触手生物の生存に必要不可欠な体液の供給を行うのみならず、伸ばした触手の動作を司り、感覚器官までも内包するコアは、他の生物でいえば心臓と脳を複合したようなもの。それを破壊されたのでは、いかなる極大の触手でさえひとたまりもなく、悪足搔きの一つさえ残すことなくその挙動を止めて地に落ちる。だが、粘性の分泌液が立てる気味の悪い擦過音が途絶えても、デセルタの表情が晴れることはない。援軍到着前に潰したコアが三基、今崩壊させたコアも三基。初期報告にあったコアは十二基――戦いはまだ、終わってはいない。

  「コア3基、崩壊を確認! 残存コア――6基!」

  「アルファ6トゥ8、私に続け! ベータと手分けして残りを叩く!」

  デセルタが振り上げたビームハルバードの光刃が旗印の如くはためき、意気軒昂の龍人戦士たちを次なる戦いへと導く。ポイントC-1を満たす銃声と戦吠の饗宴は、その後およそ一時間にわたって止むことはなかった。

  

  ※

  

  「ようやく片付いたか」

  「アルファ2ほかとの連絡取れました。ポイントC-2・C-3いずれも異状なし、遺構からの情報採取及び画像データの記録完了とのことです」

  「了解した。総員ポイントC-1に集結するように伝えろ」

  凶事が別行動の二組にまで及ばなかったことに安堵を覚えつつ、デセルタは全班に集結の指示を下した。周辺を警戒する部下たちが、瑞々しい切断面を曝け出した触手の成れの果てを足蹴にするのを横目に、静まり返った棺室の隅々まで神経を尖らせる。見渡す限りに生体反応は皆無、壁一面に張り付いていた十二基のコアは全て氷砕され跡形もない。それでもなお予断を許さない未知の暗闇に、デセルタは鋭い視線を貫き刺す。

  「ガンマ全班とプロフェッサー、ポイントC-1に進入します」

  しかし、そんな張り詰めた空気を粉々に叩き壊すイレギュラーが現れる。外部スピーカーから発せられ直接脳に響くヒステリックな怒鳴り声と、警戒心皆無のいやに軽快な挙動を伴って。

  「やめんか! 貴重なサンプルを……死にたてピチピチでここまで原型を保っとる触手は奇跡だというのに!」

  コアの破損により生気を失ってなお、禍々しい張り艶を湛えた触手の欠片。前方を通りがかった隊員の一人がその先端を踏み潰したのを咎めて、ウェンテは手袋に覆われた両手の指をわなわなと蠢かせる。旧式の分厚い気密服を着込んでいるにしてもやけに膨れた、いかにも戦士には向かない輪郭。おおよそ膂力においてはここに立ついかなる龍人にもかなわないであろう老いぼれた肥満体相手にろくに逆らえもしない現状が、デセルタにはどうにも歯がゆく思われてならなかった。研究者の割に『奴ら』の危険性を甘く見過ぎているその言い草に、苦言の一つも呈したくなる。

  「無茶を仰る。万に一つも、こいつらが腕一本から生き返らない保証はないでしょうに」

  「そん時はお前さんたちがぶっ殺し直せばええじゃろうが」

  心からの信頼をもって発せられた言葉ならば納得はできた。だが、いかにもうんざりしたというような物言いで瞼を細めるウェンテの態度は、明らかに信頼を寄せる相手に対するものではない。けたけたと笑う吊り上がった口許が、デセルタの苛立ちを煽る。

  「……ウェンテ博士。お言葉ですが、我々は……」

  「それがお前さんたちの仕事じゃろ? 儂の素晴らしい研究と輝かしい成果のために、もっともっと彼奴らの肉を持ってこんかい」

  腹に据えかねて更に反論を重ねようとしても、おしゃべりな老教授は驚くほどよく回る口で先回りしてくる。常に危険と隣り合わせの戦場に立つ者たちの血と汗を一顧すらしないその傲慢さに、デセルタは思わず拳を握った。グローブの奥に滲む感情を深呼吸で鎮めて、通信機のスイッチを入れる。

  「――ガンマ全班、プロフェッサーが『奴ら』の肉片を回収される。護衛にあたれ」

  わかればよろしい、と言わんばかりに口角を上げながら、ウェンテは不格好なスキップで死骸の山へ向けて躍りかかる。遠足に向かう子供のようにはしゃぐその背に冷や水を叩き付けられるようにタイミングを見計らい、デセルタは努めて調子を落とした声で言い放った。

  「ただし、ミッションタイムは5分間とする」

  直後、振り上げた足を盛大に踏み外した老教授の身体が床面へ転ぶ。

  「ご……5分ッ!? それで何を拾えるというんじゃ、えぇ!?」

  「ミッション内容の決定権は指揮官たる私にあります。状況判断の結果導き出した合理的な結論です」

  「ぐぬぬ……当てつけおってからにィ……!」

  湧き上がる抗議の声にヘルメットを曇らせるウェンテを振り返りもせず、デセルタはポイントC-1の出口へ向けて歩みを進める。いくらウェンテが『連合』直々に差し向けられた研究者とはいえ、現場指揮官の権限を持ち出されては逆らえない。短い足を振り上げて地団駄を踏みながら、ぎりぎりと歯噛みするほかなかった。

  ――それから五分間、気密服の外部スピーカーからは呪詛の如き愚痴が延々と垂れ流され、警護にあたるガンマ班の面々を大いに苦悶せしめたと、後の報告書は語る。

  

  ※

  

  惑星ZX-777。

  そのコードナンバーから『トリプルセブン』と通称されるこの惑星は、『連合』勢力圏の最果てに近年新たに発見された天体である。鬱蒼と生い茂る広葉樹に覆われた大地には知的生命体は発見されておらず、かつて宇宙の覇権を握ったとされる超古代高度文明の遺跡がいくつか残されているのみであった。

  おそらくは超古代高度文明の植民地であったものと推測されるこの惑星に悠々と飛翔するのは、ひときわ目を引く銀色の巨躯。大きく羽を広げた龍の如き長大な姿を陽光に晒し、雲海を掻き分けて進むその雄姿こそ、デセルタをはじめとする全六班・総勢六十名の『家』ともいえる503攻査隊の母艦である。単独で大気圏と宇宙を往来する機動性と、最長半年を艦内で過ごす戦士たちのメンタルを支える抜群の居住性を備えた、最新鋭の万能戦艦。艦底にウェンテ博士の移動研究所たるラボラトリー船を接続し、次なる遺跡へ向けて泳ぐ飛龍の艦内に、デセルタの号令が響き渡る。

  「これより本艦は半舷休息に入る。スタグナム隊は直ちに配置につけ」

  艦橋に立つ隊長から母艦内に一斉に達せられた指示に応じて、副隊長のスタグナムをはじめとする交代要員たちが慌ただしく配置につく。デルタ・イプシロン・ゼータの三班からなるスタグナム隊は、デセルタ率いる三班と定期的に交代しながら互いの稼働領域をカバーし合う、いわば503攻査隊の分かたれたもう半身と呼べる存在である。

  「デセルタ隊各員は、最低7時間の休眠および8000キロカロリー以上の摂取を命ずる。各自『排泄(エヴァキュエーション)』も怠るなよ」

  いかに休息時間といえど、任務中である限り果たすべき義務と責任は発生する。次なる調査と戦いに備え、常に最高の状態を保つために、十分な睡眠と栄養摂取は必須である。加えて、『排泄』と俗称される精液放出は、希少種ゆえの特性として旺盛な性欲を持つ龍人にとって欠かせない習慣として広く知れ渡っている。デセルタ隊においては、通常推奨される性処理器具(ホール)による『排泄』だけではなく、隊員同士の相互自慰や交合による性欲発散も特別に許可する旨が取り決められており、隊員たちの士気向上に一役買っている。あくまでも『任務に支障の出ない範囲』でのことではあるが。

  一通りの指示を終え、デセルタは傍らに立つがっしりとした黒鱗の龍人――スタグナムに艦長席を譲って艦橋を後にした。『排泄』と聞いた途端に色めき立つ隊員たちを横目に、規則的な歩調を緩めずに自室へと向かう最中、ブリッジの片隅で見慣れたシルエットとすれ違う。視線を向けてみれば、口端を悦楽に歪めたアルファ6が、その武骨な掌を傍らに立つアルファ7――マーレの尻に沈み込ませている。やれやれと頭を抱えて、デセルタはお盛んな旧友に牽制をかける。

  「ほどほどにしろよ、イゾラ」

  「へいへい、『任務に支障の出ねぇ範囲で』だろ。まぁ三、四発くらいで勘弁してやるよ」

  デセルタの部下の一人にして、長らくの戦友でもあるアルファ6――イゾラは、分厚い胸をがしがしと叩きながら大声で返答する。体格に合わせた特別製のコンバットスーツをも時折毀損する、山のような巨体。デセルタさえも見上げるその体躯から伸びた極太の腕で、傍らに立つ相棒の胴体を丸ごと抱きしめたまま、腰鎧の下に隠した股座を昂奮に膨らませている。

  「そうしてくれ。お前は量が多いから後始末が大変なんだ」

  「つれねぇこと言うなって。毎度ワレメにもケツにもたっぷり欲しがるくせによォ」

  傍らで青鱗の頬を掻くマーレの小言もどこ吹く風で、灰鱗のイゾラは左右に張り出した広い肩を揺らして豪快に笑う。対するマーレは、すでに四十半ばを過ぎたその年嵩に似つかわしくない少女のような仕草でもじもじと身を捩らせている。形だけの反抗を見せながらも、強引な腕を振り払おうともしないその様子を見るにつけ、くすくすと笑いを零そうになるのを咳払いで誤魔化して、デセルタはあくまでも『隊長』として言葉を紡いだ。

  「ともかく、任務に支障の出ない範囲にしておけ――色々とな」

  了解、と冗談めかして敬礼を構える旧友に軽く微笑んで、デセルタは居住区への通路に軍靴を響かせる。鋼鉄の壁面に反響するイゾラの哄笑に見送られて歩く道程は、殊の外心地よかった。

  

  ※

  

  華美な装飾を嫌い、あえて他の兵士たちと同様の質素な佇まいを備えた自室の中央で、デセルタは瞑想に浸っていた。伸縮自在のEX(エクストリーム)スーツ一枚を肌に纏いつかせただけのラフな姿で、ソファーベッドに身を横たえる。太い尻尾の先端を中空に泳がせながら小さく欠伸をすると、『暴風』と仇名される猛将の面影は何処かへ吹き消え、代わって訪れる極限の脱力状態に身を預ける。

  常に生死を懸けた決断のプレッシャーに晒され、飛び交う無数の情報の処理負荷に悶え続ける身には、懸念なく静かに物思いに耽る休息の一時こそが極上の報酬である。何に脅かされることもなく、誰に妨げられることもない、自分だけの時間。柔らかな座面に筋骨隆々の巨躯を沈みこませ、うつらうつらと首を傾けていると、心地よい微睡みに思わず涎を垂らしそうになる。

  半舷休息の終了まであと十時間。約束されたはずの安らぎを切り裂いたのは、前触れなく響き渡った緊急コールだった。

  「――どうしました、博士」

  発信者の名を見るなり顔をしかめて、デセルタはテーブルに放置していたコンソールベゼルを通信モードにセットする。耳障りなノイズの向こう側から聞こえてくるのは、やけに落ち着き払った老教授の声。

  <デセ、ルタ……くん……すぐ、来てくれ……デセル、タ、くん>

  「博士……我々は貴方の小間使いではありませんよ。おわかりですか」

  怒鳴り声を上げそうになる己を懸命に律しながら、デセルタはできるだけ丁重な口調で語気を強める。敵襲でもないのに半舷休息を切り上げるなど考えられないし、用向きの一つも知らされないまま呼び出されたところで、まともな対応などできるはずがない。

  <デセルタくん……すぐ来てく、れ……デ、セル、タくん>

  呆れ返るデセルタの憂鬱など一顧にもせず、通信音声は延々と同じフレーズを繰り返す。どこか機械的にも聞こえるその声に一抹の違和感を覚えはしたものの、厄介な強請りをこれ以上聞きたくないとの思いが勝り、デセルタの喉に色よい返事をさせた。

  「――了解。あまり手間のかからない仕事であることを願います」

  ケースから取り出したコンバットアーマーをEXスーツの上に装着すると、それだけで真空から高重力まであらゆる領域に対応するコンバットスーツが完成する。奪われゆく休息時間に惜別を告げ、ビームハルバード一丁だけを共連れに、デセルタは母艦の艦底に接続されたラボラトリー船とのドッキングハッチへと向かった。

  その先に待つのが、想像を絶する地獄であるとも知らずに。

  

  ※

  

  『連合』からウェンテへ譲渡されたラボラトリー船は、宇宙航行にかけては素人同然のウェンテでも操作できるよう、あらゆる挙動がAIによって自動制御されている。惑星間航路の選択から食料品の配膳まで全てが機械仕掛けの小さな船内に乗り組むのは、寝食を忘れて研究に勤しむウェンテただ一人。故に、エアーロックを潜り抜けて進入した船内に人影はなく、ウェンテの所在はいつも通り中央研究室と類推できた。腕部コンソールベゼルをラボ船内部の周波数に合わせて、回線の向こう側で待ち侘びているであろう老研究者へ向けて報告を簡潔に告げる。

  「ウェンテ博士。デセルタ現着しました。中央研究室へのルート解放をお願いします」

  しかし、直後に飛び込んできた返答は、デセルタの想定を大きく外れていた。

  <デセルタ君……ッ!? 駄目じゃ! 来てはならん、急いでラボを出るんじゃ!>

  「どういうことです……? 元はと言えば貴方がここに呼び出して……ッ!?」

  通信機の向こう側から聞こえてくるやけに切迫した物言いが、デセルタの脳内に疑問符の嵐を呼ぶ。わざわざこんなところまで足を運ばせておいて、声を聞くなり帰れとはどういう領分なのか――考える間もなく、異変は起きた。

  「うっ……!?」

  突如として響き渡った地鳴りのような轟音と共に、デセルタが足を付ける通路の床面が大きく斜めに傾く。微震を伴ってどこからか聞こえ始めたサイレンは、ラボ船が何らかの異常をきたしていることを示す警告音。流れ始めたアナウンスには、耳を疑うようなフレーズが含まれていた。

  <緊急パージシステム作動 ウェンテラボラトリー ブリッジ区画 隔壁閉鎖>

  「ドッキングアウト……!? ウェンテ博士! 何のおつもりですか、これは!?」

  母艦の底にドッキングされ、単独航行機能の一切をカットした状態のラボ船が、トリプルセブンの空を泳ぐ母艦から前触れもなく切り離された――このままでは、地表に墜落する。最悪の可能性を脳裏に浮かべ、デセルタは矢も楯もたまらず船首コクピットへと走り出した。左右に大きく揺れ動く船内で幾度となく身体を壁面に叩き付けながらも、どうにか自力航行を復旧させようと両足を回す。

  しかし、彼の奮闘を嘲笑うかのように墜落速度は加速してゆく。

  「く……ッ! うおぉぉッ!?」

  墜落に向け勢いを増す船内で、支えを失ったデセルタの身体が中空に浮き、天井に叩き付けられる。船外活動用のブースターもない状況では前に進む方法はなく、無様にも磔にされた格好で天井に『伏せる』デセルタには、最早成す術がない。

  <高度低下 オートバランサー始動 緊急着陸スタンバイ>

  「ぬ、ぅ……ッ! ぐ……うおぉぉぉっ!!」

  気流に呑まれて急制動を繰り返す船内で上下左右の間隔を失うほどに掻き回され、遠のきそうになる意識を繋ぎ止めるように叫びながら、デセルタはラボ船諸共トリプルセブンの地表へと落下していった。不可解な状況を整理する暇も与えられないままに。

  ※

  

  「――厄介なことになったな」

  破損した照明が明滅し、あちこちから出所も知れない蒸気が噴き出す通路の一角。未だ眩む頭を片手で押さえて、デセルタはゆっくりと立ち上がった。ぼんやりと靄がかかった視界を瞬きで払い、全身の動作を確かめてから、ここまでの経緯を整理する。

  ウェンテ博士による強引な呼び出し。突然のドッキングアウト。一致しない博士の言動。そして、母艦から切り離されトリプルセブンの地表に孤立したラボラトリー船。あらゆる事象がデセルタの理解の範疇を超え、湧き上がる疑問と疑念は尽きることがない。この状況の渦中にあるであろうウェンテ博士に一切を問い質す。何にしても、話はそれからだ。

  <デセルタ君……助け、……デセルタ君……>

  「博士、ご無事でしたか。今そちらに向かいます」

  ベゼルから響く声に一言応じて、デセルタは再び通路内を進み始めた。データベースから呼び出したラボ船のマップに自身の現在位置を反映し、ウェンテがいるであろう中央研究室へと向かう。およそ生命の気配というものが一切感じられない無機質な壁に囲まれた船内に、漆黒のコンバットスーツの駆動音だけがむなしく響き渡る。

  <デセ、ルタ……くん――で、デ、セ……デセ、る……く、ン……>

  途切れては聞こえ、聞こえてはまた途切れる、ノイズ混じりの呼びかけ。事態の弁明もなく、生気の感じられない褪めた声を垂れ流すだけの老人への苛立ちが、デセルタを向かうべき道の先へと急がせる。いくつかの区画を抜け、文字通りラボ船の中枢に位置する中央研究室へ到着すると、デセルタは扉の脇のコンソールに手を添える。慣れた指先で個人認証を打ち込み、個人に特有の掌紋を用いた二段階認証をクリアすると、固く閉ざされた鉄扉がスムーズに左右に開き、デセルタを内部へと迎え入れた。

  「博士、大丈夫で……ッ!?」

  直後、眼前に広がった光景に、デセルタは目を疑った。

  「デセ、る、で、でデ、デせル――でデ、でセ……デセ、るタ……クん」

  まず目に飛び込んでくるのは、大胆にも扉の向かい側に陣取った巨大な眼球。明らかに触手生物のコア以外の何物でもないそれの右脇に開いた歪な割れ目が、まるで猿型獣人の唇のように蠢いては途切れ途切れの呼びかけを口ずさんでいる。驚くべきは、その響きがウェンテ博士が発するそれと何一つ変わりないことであった。人間の声帯を模写し、言語に似せた音韻で獲物を誘い出す――ただ本能のままに繁茂するだけの生命体だったはずの触手生物が、ある種の『知性』とも取れるものを成している眼前の現実に、デセルタは戦慄する。これまで数多の『奴ら』を狩ってきたが、こんな性質は聞いたことがない。一体、何が起きているというのか。

  「ふ、んぐ、ぐぅ……っ! ん、むぅ……ほ、ぉぐ……んごぉぉぉぉッ!!」

  だが、そこに響き渡る苦悶の声が疑問を掻き消す。気密服の上から縛り上げられ、服の内部にまで頭を差し込んだ触手に思うさま嬲られる痴態を晒した老人――ウェンテ博士。『連合』の戦士として守るべき使命、その対象を穢された怒りが、デセルタの筋肉に張り詰めた太い脚を躍動させる。

  「貴様ァ……!!」

  囚われた哀れな老人へ向けて走り出すデセルタの行く道を阻むように、コアから伸び上がった多数の触手が迫る。振りかざしたハルバードの切っ先が烈火のごとく猛り、向かってくる肉色の邪腕の悉くを斬り払うものの、張り巡らされた防御は分厚く、デセルタは思うように前に進めない。母艦から切り離され、トリプルセブンの地表に落着して久しいラボ船の中では、足りない手数を補ってくれる仲間の救援も望みようがない。多勢に無勢、という言葉に準えるまでもなく、無限に等しい物量の前にデセルタは防戦一方に追い込まれつつあった。

  「く……ッ!? 何だ、これは……ッ」

  開花する蕾のように先端を変形させた触手から、デセルタの振り上げた右腕に吹き付けられたのは、液体のそれとは思えない凄まじい重さを誇る一撃。余りの衝撃に壁に打ち付けられた右腕をすぐさま起こそうとするが、粘性を帯びて壁と下腕に纏わりついた分泌液は見る見るうちに固まり、デセルタの挙動を大幅に制限する。釘で打ち付けられたかのように壁から腕を離せなくなり、右手に構えていたハルバードも振るえなくなったとあれば、最早デセルタは俎板の鯉に等しい。左腕のコンソールベゼルを視線誘導で操作し、ベゼルに仕込んだ小型のパルスシューターで応戦しようとしても、うねる触手相手では上手く狙いが定まらない。ましてや闇雲に振り回す左手の先には、磔にされたウェンテ博士の姿がある。

  守るべき対象を自ら傷つけるわけにはいかない――その逡巡が、命取りになった。

  「う、っ! く、うぅ……! お、おのれ……ッ!」

  躊躇いに揺れる左腕が、身動きを封じられた両足が、EXスーツの下から逞しい腹筋を浮かばせた胴が、忌むべき『奴ら』に次々と絡め取られてゆく。振りほどこうとすればするほど締め付ける強靭な膂力に、抵抗する力は次第に奪われ、苦悶に喘ぐ口にさえ魔手が迫り来る。

  「おぐッ!? ん、ふん、ぐぅ……っ! む、ぐぅ、んんぅ……ッ」

  触手の先端から滲み出る毒々しい色合いの液体が、デセルタの喉に滔々と流し込まれる。慌てて口内の触手を鋭い牙で嚙み千切ったが、ほんの少量の液体は粘膜を通じて瞬く間にデセルタの全身に回り、著しい血流と湧き上がる熱をもたらす。

  知識として把握してはいた。『奴ら』が放出する分泌液には二種類が存在する。

  一つはコンバットスーツの装甲表面さえ焦がす強力な溶解液。

  もう一つは屈強な龍人ほど快楽に狂わせる、強力な催淫液。

  その二種類に当てはまるものではない第三の分泌液――『凝固液』とでも呼ぶべきものが現れた今、本当に分泌液がその二種のみと言い切れるのかは定かではない。ただ、今口内を満たし全身に溢れるこの液は――体温を著しく向上させ、表皮にぞくぞくと疼きを走らせるこの液は、間違いなく『催淫液』であろうことは確かだった。

  「ん……っ、う……っ、ふぅ……っ、あ、はぁ……んあぁ……ッ」

  腕足に絡み付く触手とスーツ越しの肌が擦れ合うわずかな刺激ですらも、声を上げてしまうほどの刺激に感じられる。動けば動くほど絡め取られ、絡め取られるほど快感が増す進退窮まった状況の只中で、デセルタは想像を絶する悦楽と絶望の渦へ叩き落されてゆく。

  ※

  「う……っ、ふ……ぅっ……く、う、うぅ……ッ」

  一際太い触手が胸や股間の装甲に先端を引っ掛け、強引に引き剥がすと、光沢のあるEXスーツに覆われたデセルタの逞しい肉体が露わになる。連山のようにそびえる腹筋の連なり、はち切れんばかりに身の詰まった太い腿、双丘と呼んで差し支えない張り出した胸。いずれをとっても戦士の理想形として讃えられる屈強な身体が、無慈悲な触手によって哀れにも蹂躙される。

  「うぅ……耐え、ねば……このような、ことで……ッ」

  体表を這い回り、スリットを撫で摩る触手の感触は、まるで獲物を舐る舌先のよう。普段であれば気色悪さの他に一切を感じないであろうその触感も、催淫液によって皮膚感覚を数倍に引き上げられたデセルタにとっては極上の快楽となる。使命のためならば、たとえ『排泄』を行わずとも数週間の任務に耐え得るはずの鋼の精神にひびを入れる、おぞましいほどの快楽電流。なけなしの精神力では到底防ぎようがなく、気が付けば股座のスリットに液汁が滴り、陰茎の先端が露出しつつあった。

  「い、いかん……こ、こんな……こんな、奴らに……ッ!」

  耳鳴りがするほど歯を食い縛っても、グローブの下の拳を血が出るほど握り締めても、一度火が付いた身体は際限なく発情してゆく。充血した割れ目をスーツ越しに擦り上げられれば、ずるずると内部から引き出されるように尖った逸物が姿を表し、伸び上がった黒い光沢のスーツに覆われた太い肉棒が天を衝いて露わになる。忌むべき敵性生物を前に、はしたなくも欲情の証を晒してしまう痴態。守るべき同胞の目の前で思うままに嬲られ、弄くられる屈辱を思えば思うほど、スーツの中に滲む先走りの量は増してゆく。そんな状態で雄徴への直接的な刺激を許せば、どうなるかは目に見えていた。

  「く……っ、うっ、うぅ……っ! よせ、やめ……ろ……ッ! うッ! うぐぅッ!!」

  呆気ない、と称せる程の一撫でで、デセルタはスーツに覆われた陰茎の先端を精液で膨らませた。幾度となくしゃくり上げる絶頂の中、風船に水を注ぐような勢いで膨らんでゆく先端は見る見るうちに人頭程度の大きさになり、ぶら下げる逸物に軽く痛みが走る程の重さになってゆく。

  「だ、駄目だ、そんなッ、何、度も……おッ、おぉぉぉぉッ! ふぅお、ぉぉおッ」

  どれほど制止したところで、聴覚を持たない触手の群れがそれを聞き入れてくれるはずもない。機械的と評せるほど正確無比に性感帯を突き、一度始めた行動を決して止めない触手の容赦ない刺激が、デセルタの脳に許容限界を超えた快楽を流し込む。

  「はぁッ、は……ぁッ、い、いかんッ、そんなッ、搾り……取られる……ぅっ」

  射精したばかりの敏感な肉棒にしつこくへばりつく触手の蠢動に、度重なる果てを迎えたデセルタの表情に疲れが見え始める。ただでさえ満足に体を休める間もなかった身に、ここまでの戦いの疲れと射精による著しい消耗が加わり、緑龍の身体から抵抗する力をじわじわと奪ってゆく。縛られた左手と両足の感覚はすでに薄れ、胴体――特に下腹部に集中した感覚だけが機能する。EXスーツが軋みを上げるほど悶え狂っても、決して逃れられない官能の迷宮――人ならざる肉塊によって作られた巧妙なパズル。その最後の一欠片をはめ込むように、デセルタの尻穴を極太の触手がスーツごと貫いた。

  「あぁぁぁぁッ! や、め……ッ! うっ! ぐあぁぁぁぁぁッ!!」

  どれほど鍛えても決して磨き上げることのできない部分――体内を掘削されると、催淫液によって増幅された性感が怒涛の如くデセルタの脳髄に浴びせられる。いかなる本能の為せる業か、陰茎の裏側、雄の弱点たる『そこ』を的確に突き回す技巧に翻弄され、デセルタは再び連続射精のループへと引き込まれてゆく。

  度重なる射精を呑み込んで、刻一刻と膨らんでゆく精液風船。破裂の時は、近い。

  ※

  デセルタがひたすらにEXスーツを膨らませる横で、ウェンテもまた触手の嬲り者となっていた。身体にフィットするEXスーツとは違なり、内側に隙間が多い気密服を纏っていたのが運の尽きだった。スーツの隙間から内部まで侵入してきた触手は内部に繁茂し、ウェンテの全身を余すところなく舐め回し続ける。

  「い、嫌じゃ、もう嫌じゃあッ! もう、い、イきたくないィ……ッ」

  デセルタが到着した時点で、博士はすでに五度ほど射精していた。気密服内部に着込んだ排泄パッド――本来ならば万一の粗相を吸収し脱臭するはずのそれが、ウェンテの老いた身体から絞り出された白い生汁に塗り潰されてさめざめと濡れ泣いている。そばだてた耳元に聞こえてくるのは、排泄パッドに染み込んだ精液を啜る触手共の下品な吸引音。恥辱に泣き喚いても触手の責め口が弱まることはなく、屈辱は延々と続く。

  「も、もう……ゆ、ゆるひ……許し、てェ……許して、くれェ……っ」

  脂肪に膨らんだ腹をこそぎ、雌と見紛う程膨らんだ胸をたくし上げ、さも当然と言わんばかりに尻穴まで散々に犯し尽くす肉腕の脅威に晒されて、ウェンテはただ涙を流すことしかできない。只の研究材料だと思っていた相手に、あの時デセルタが危惧していた通り肉片一つから再生してみせた想定外の新種に、思うままに全身を貪られる恐怖。排泄パッドに染みる雫の中に、精液とは異なる黄色い露が混ざるのも、無理からぬことであった。

  ※

  突然のことであった。デセルタの股座から大きく垂れ下がった精液風船に、先端を鋭く尖らせた触手の一匹が勢いよく飛び込み、けたたましい破裂音を周囲に響かせたのだ。EXスーツの黒い生地諸共に弾けた白濁の流弾はデセルタとウェンテの頭上に凄まじい重みを伴って降り注ぎ、精液でびしょ濡れになった全身に触手の群れが殺到する。

  「ウェ、ンテ……博士……ッ」

  「デセ……ルタ……君……」

  獲物の体液を求める本能のままに、精液まみれになった二人の全身を触手が覆う。互いの名を呼び合う声は、ずるずると這い回る肉と肉が擦れる音の向こうに消え、二人は触手の海へと呑み込まれてゆく。果てしなく続く蹂躙の中、薄れゆく意識が遠のきかけた頃、二人の前に内部が透けた触手がこれ見よがしに『中身』を蠢かせながら現れた。

  触手生物のエキスパートたる二人は知っている。その『中身』――精莢が、新たな触手生物を生み出す種に当たる物質であることを。それを植え付けられたが最後、哀れな犠牲者は触手の苗床にされ、生きたまま触手生物の幼体に食い殺されることを。

  なんとしても、それだけは避けなければならない。たとえ繰り返す射精に膝は震え、身動き一つ取れず、コアに有効打を与える手段すらも見当たらないとしても、それだけは決して許してはならない。

  その時、デセルタは――

  

  【本作は二つの結末に分岐します。いずれかを選んで読み進めてください】

  ・「たとえこの身が滅びようとも、絶対にウェンテを助けると固く決意した」

  →【ED1:勇気ある決断】へお進みください

  ・「全身を隈なく痺れさせる快楽の怒涛に溺れ、意識を手放そうとしていた」

  →【ED2:出芽する絶望】へお進みください

  

  [newpage]

  【ED1:勇気ある決断】

  見渡す周囲は隈なく『奴ら』に埋め尽くされ、浴びせられた精液を求めて殺到する触手に嬲られたウェンテは半分白目を剥いて痙攣している。触手に戒められた己の身体は今や指の一本すら動かせず、振りほどくための身じろぎすらも封じられたまま。この窮地を脱するためには、凝固した体液に固められた右腕を解き放つほかはない。そして、その手段は一つだけ。

  壁面に固められた右腕の先で、震える拳を強く握る。超粘性に固められた中でも辛うじて動く親指を人差し指の背――パルスシューターのトリガーに添わせ、ぐっと押し込んだ。

  「ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

  直後、絶叫と爆発音が研究室一帯に響き渡る。

  それはまさに捨て身の策。右腕部のパルスシューターをあえて暴発させ、拘束された右腕そのものを切り離すことで触手からの脱出の糸口を作る、起死回生の一手。

  粘液に銃口を塞がれ、行き場を失った光子エネルギーは右腕ごと爆散し、壁面に縫い留められたデセルタの右肘から先を跡形もなく消し飛ばす。千切れた肘先から垂れ流される血液を周囲に振りまきながら、深緑の龍人は自由になった右半身を必死に捩じり、触手の拘束を脱してゆく。

  「ぐぅぅぅぅぅッ! う、くっ、あッ、あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

  「デ……デセ、ルタ……君……」

  凄惨――その一言に尽きた。

  緩んだ触手を牙で噛み千切り、押し寄せる後続は解き放った左腕の爪で振り払う。失った腕から脳へと駆け上がる夥しい熱を振り払うように雄叫びを上げて、原初の獣に戻ったように四肢を振り乱し暴れ回る。冷静沈着を是とする一部隊の隊長とはとても思えない、野性に満ちた荒々しい戦いぶり。そのあまりの激しさに思わず正気を取り戻したウェンテには、繰り広げられる血と肉の饗宴をただ見ていることしかできなかった。

  「うおぉぉぉぉぉぉッ! む、んぐぅッ、ふん……ッ! うぁあぁぁぁぁぁぁッ!!」

  迸る咆哮は、デセルタの意志の象徴。龍人戦士の誇りをかなぐり捨て、一匹の獣に成り下がってでも、己の使命を全うせんとする強い志の結晶。爪牙の一振りごとに示されるその強靭さに、感情のないはずの触手が怯んだようにウェンテには見えた。『鬼気迫る』との形容がこの世の誰よりも似合ってしまう、深紅の血化粧に塗れた美しいその姿。

  「はぁっ、はぁっ、はぁっ……おぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

  己を戒めていた触手をすべて肉片に変えると、デセルタは取り落としていたビームハルバードを拾い上げ、ウェンテに向けて迷いなく振り下ろした。精液の染みを目当てに殺到していた触手が粉々に切り刻まれ、気密服を着込んだ老人の姿が露わになる。

  「デセルタ君、何を――」

  「いいからさっさと脱げッ!!」

  気密服に手をかけると、デセルタは触手に汚染されたウェンテの気密服を手斧状にしたハルバードで切り刻み、荒々しく脱がしてゆく。時折内部からまろび出る触手に手を焼きながらも、どうにか眼前の老人を真裸に剥き終わると、左のコンソールベゼルを操作する。瞬間、デセルタの全身を覆っていた黒いEXスーツがベゼルを擁した左手のグローブに吸い込まれるように消え、筋骨隆々の裸体が露わになった。

  「な、何をするんじゃ……?」

  「これを嵌めて、光っているスイッチを押してください。――早く!」

  勢いに呑まれたウェンテが、受け取ったグローブを左手に嵌める。赤く点滅するスイッチを右手の指で押し込むと、一瞬にしてウェンテの全身はEXスーツに覆われた。光沢のあるゴムのような感触がふくよかな老人の裸体を締め付け、破れていた股間や焼失した右腕のスーツも伸長して穴を塞ぐ。そうして首から下がすべてスーツに覆われたのを見届けてから、デセルタは首元に装着していた収納式ヘルメットを取り外し、不安げに見上げてくる小肥の老人にそっと被せてやる。努めて和らげた優しい眼差しで老人の双眸を見据えながら、恋人に囁くようにひそめた声でそっと告げた。

  「これで貴方は――貴方だけは、いかなる極限状態にも耐えられる」

  全身をスーツに守られたウェンテと、その身を覆う一切を失ったデセルタ。二人だけの空間に、緊迫した空気が流れる。

  「儂、だけは……!? デセルタ君……まさか……!」

  「そのまさかです。超高真空ポンプを起動してください、博士」

  超高真空ポンプ――疑似的な真空空間を船内に作り出す、ラボラトリー船の設備の一つ。通常であればごく限られた空間に、実験のためだけに使用するそれを研究室全体に使用することで、そこに巣食う触手生物のコアを滅ぼす。

  二人の脳裏に閃いた、たった一つの冴えたやり方。だが、それを実行すれば――

  「い、いかん! そんなことをすれば、君は真空空間に裸で放り出されるんじゃぞ!?」

  「構いません。私は『連合』の龍人戦士――任務のために死ぬのなら、本望です」

  口論の合間を縫うように、コアから伸びてきた触手が二人を襲う。すかさず反応したデセルタの光刃がその先端を切り裂くが、伸び上がる触手の数は留まるところを知らず、とても一人で対処できる数ではなくなっていた。それでも、と踏みとどまる決意が、隻腕のデセルタを奮い立たせる。

  「真空状態が完成するまでの間、『奴ら』は私が食い止めます。早く!」

  「く……ッ!」

  迷いを振り払うように首を横に振って、ウェンテは研究室のコントロールを司るパネルへと走り寄った。幾度となくポップアップする警告画面をクリアすると、研究室全体へ真空状態を適用する手筈が整い、耳をつんざく轟音と共に起動したポンプが瞬く間に船内の気体を吸い上げてゆく。やがて訪れた真空状態は、あらゆる生物の生存を許さない絶対の沈黙。盛んに暴れ回っていた触手も、その根元で大きく目を見開いていたコアも、そしてそれらに果敢に挑んでいたデセルタも、皆一様に動きを止め冷たくなってゆく。

  「う、うぅ……っ」

  ヘルメットから供給される酸素に目を瞬かせながら、ウェンテは傍らにうずくまるデセルタへ目を遣った。瞼と口を閉じ、左手で鼻を塞いでも、身を苛む真空の災禍から逃れる術などない。

  このまま何もできずに彼を見送るのか。死にゆく彼をただ看取ることしかできないのか。湧き起こる無念さに歯噛みしながら周囲を見渡すと、破損した壁からまろび出た防毒マスクが視界の端に映り込む。研究中の思わぬ事故から身を守るための備えとして、緊急時用のケースにしまい込んでいた代物――気付けば、自然に身体が動いていた。

  「――デセルタ君ッ!!」

  引っ掴んだマスクを投げ渡すと、デセルタは今にも止まりそうな弱弱しい動きでその尖端を握った。左手を引き摺ってマズルの先にマスクを装着すると、自動で流れ込んでくる酸素が薄れた意識を奮い立たせる。音を伝えないはずの真空の中でそれでも聞こえてきたのは、老翁が口にした切実な願い。

  「気休めにしかならんかもしれんが……頼む、君も生きてくれ……!」

  幾度となく脳裏に反響するその声に見守られながら、デセルタの意識はゆっくりと遠のいていった。まるで、母の腕の中で安らかに眠る赤子のように。

  ※

  「――君……デセ……タ……デセルタ君ッ!!」

  頬を伝う温い雫に促されて目を覚ます。徐々に鮮明になる視界に浮かび上がるのは、顔をあらゆる液体に塗れさせてさめざめと咽び泣く皺だらけの顔。医務室のベッドに横たえた身体は重く、指一本動かすのすら億劫なほどの重みが全身にのしかかる。失ったはずの右下腕が、じくじくと疼く。

  「……博、士……ご無事、でしたか」

  「君の方こそ……! このまま目が覚めんかったらどうしようかと……」

  泣きじゃくるウェンテから聞くところによると、デセルタが限界を迎える前にスタグナム隊が救援に駆け付け、辛うじて救命が間に合ったのだという。力なくベッドに垂らした左手を強く握り締める老人の指先から、我儘放題の彼らしからぬ柔らかな温もりが伝わる。

  「儂が間違っとった……君は『暴風』の名に相応しい立派な戦士じゃ」

  これまでとは別人のような穏やかな表情で、ウェンテはデセルタに優しく語りかける。そこに、傲慢な思い上がりは面影一つも残されていない。すべての傲りは跡形もなく消え失せ、心からの信頼が浮かんでいる。それは、遺跡でデセルタに無理難題を強いていた頃のウェンテならば決して見せなかった姿だった。

  「君の勇気に、儂は敬意を表する。これまでの非礼を詫びさせてくれ」

  恭しく頭を下げながら、ウェンテは涙ながらに告げる。命の恩人への、まっすぐな感謝の言葉を。

  「本当にありがとう、デセルタ君」

  「いえ……私はただ、己の任務を全うしただけです。ウェンテ博士」

  子供のように泣きじゃくる老人の頭を残った左手で撫で擦りながら、デセルタは淡々と告げる。そう、すべては任務のため――己が己であるために、自らの魂に課した『役割』のため。

  そのために失った右腕も、いずれは再生医療によって取り戻し、また新たな戦いの場へ赴くのだろう。戦士という『役割』こそが、デセルタにとってただ一つの存在証明なのだから。

  

  [newpage]

  【ED2:出芽する絶望】

  見渡す周囲は隈なく『奴ら』に埋め尽くされ、浴びせられた精液を求めて殺到する触手に嬲られたウェンテは半分白目を剥いて痙攣している。触手に戒められた己の身体は今や指の一本すら動かせず、振りほどくための身じろぎすらも封じられたまま。この窮地を脱するためには、凝固した体液に固められた右腕を解き放つほかはない。そして、その手段は一つだけ。

  ――だが、快楽に溺れた指先は動かない。何も為せぬまま、押し寄せる刺激にびくびくと震えながら、迫り来る終焉をただ待ち侘びるばかり。

  そして、その時は訪れた。

  「んおぉぉぉぉぉぉぉぉぉおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」

  「んぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!! あんっ、あぁ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

  デセルタのEXスーツを突き破り、ウェンテの気密服を引き裂いた触手の先端が二人の肛門を貫き、粘液の中で無数に連なる精莢を植え付けてゆく。幾重にも括れたその形状が腸壁を搔き乱し、内奥を潰したその瞬間、二人は揃って絶頂した。デセルタの陰茎の先、膨れ上がって伸びきったEXスーツの成れの果てから、夥しい量の淫汁が溢れ出して床を汚す。もう何度ウェンテの精液を吸い込んだか知れない排泄パッドがぐしょぐしょに濡れ、尻にかけて破けた気密服の隙間からだらだらと垂れ流される。痴れた雌犬のように舌を突き出しながら、白目を剥いて痙攣する二人に、最早龍人としての尊厳は欠片一つも残されていなかった。

  白濁と雄臭に満たされた研究室に、勝ち誇るように触手を伸ばしたコアの『口』から発せられた哄笑のような声が響き渡る。それはただの声帯模写だったのか、それとも『彼』自身が自らの意志で発したものだったのか。今となっては、それを知る術はない。

  そして、絶望の夜が明ける。

  ※

  「う……ッ……あ……ぅう……ッ」

  誰もいない医務室に、呻き声が響き渡る。

  スタグナム隊の奮闘によってウェンテと共に無事救出されたデセルタだったが、その傷は深く、昏睡状態のまま医務室に回収されメディカルポッドで長期修復休眠に就いた。触手生物の寄生を懸念して、念のため全身がスキャンされたが、生体反応は一切見つからず、二人とも無事に生還したものとして扱われていた。

  「……ぐ、うッ……う、ぁ、あぁ……ッ! はぁ、はぁ……はぁ……ッ」

  だが、デセルタとウェンテ以外の誰もが知らない。精莢の内部に潜む寄生生物が、自ら休眠状態に入ることで生体反応の検出を逃れ、二人の体内に密かに宿り続けていることを。メディカルポッドにより修復されてゆく二人の身体をその端から密かに喰らい貪り、いずれ龍人種最悪の脅威として生まれ出ようとしていることを。

  永い眠りに就いた二人が目覚めることは二度とない。夢見るままに触手の餌食となり、数多の同胞に死をもたらす端緒を開く――それだけが、今の二人の『役割』なのだから。