帝国の首都にある竜舎にて。遠征の折に汚れてしまった、私の相棒である竜の体をせっせと洗う。
大型馬以上の巨体を覆う銀鱗の輝きを取り戻してやるべく奮闘していると、黙って私に洗われていた彼女が牙のある口を開いた。
「ね、どうしたの? さっきからそんな暗い顔をして」
そして長い首を伸ばすと、どこか心配そうに私の顔を覗き込んできたので、私は鱗を磨く手を止めてしまった。
彼女の縦割れを持つ蒼玉のような竜眼が私の視線をからめとってきて、そらすことができない。
「さっき、皇帝っていう人間にほめられてたよね。あれにほめられると、この国にいる人間は喜ぶんじゃないの?」
「……ああ、なあ……確かそうなんだけどさ。どうにも、素直に喜べなくて、なあ」
「なんで喜べないの?」
不意に質問をうけて面食らいながらも、なんとか問いかけに応じてみるが、彼女は私の答えに納得できなかったようで小首を傾げる。そして肉食獣らしい鋭さをもちながらも純真無垢な目で、まっすぐに見つめてくる。
彼女からそのように見つめられると、私の気持ちはどんどん沈んでいってしまうのだ。
私は、さる帝国が擁する竜騎士団に属している。帝国で五指に入る戦力を持つと評されている花形の精鋭部隊だ。
そんな騎士団に所属する私の力は、団の中で最下位である。少年のように体が細く根本的に筋肉がつかない体質ゆえに、どれだけ訓練を重ねても仲間たちには後れをとってばかりだ。
それなのに私は、力では上であるはずの仲間たちを差し置いて、団で一番の英雄扱いを受けている。
その理由は、私の相棒である竜が強すぎるためだ。
彼女は『知恵ある竜』と呼ばれる希少種で、人間以上の知性と並の竜をはるかに超える力を持つとされている。知性があるがゆえに人間に背を許すことはそうそうなく、長いこと相棒が見つからずに持て余されていたらしいのだけど、なぜだか私になついてしまった。
出会って最初の頃は、私も冷たくあしらわれたものだ。私の弱さを補うために、彼女のような強い竜を相棒にできないかと思って竜舎に足しげく通っていたら、ある日突然に彼女のほうから私をその背に乗せてきたのだった。
当の竜いわく、『おまえだけが他の人間とは違った』そうだが、彼女が私になにを見出したのかは今もよくわかっていない。
彼女の力は前評判通りにすさまじく、一騎当千の働きを軽々とこなしてくれた。
そのおかげで私は多くの戦果を挙げることができた。たくさんの勲章を授与された。英雄の一人に数えられるまでに至った。
だが、私には分不相応な評価だとしか受け取れず、心苦しい思いばかりしている。なぜなら、相棒に任せているだけで全部終わってしまうから。私自身はただの置物でしかなく、竜無しでは相変わらず大した働きはできないから。
竜の力は竜騎士の実力の内である、とは言うし、皆は私を認めてくれてはいるが。相棒を動かすことができるのは私だけなのだから。
それでも変な罪悪感をぬぐうことができない。
華々しく活躍するほどにかさんでいく奇妙にみじめなこの気持ちは、今まで吐き出さずに飲み下し続けてきたのだけど、ここにきて限界が来たようだった。
「……褒められるべきなのは、相棒、おまえのほうだよ。私自身は役立たずのままなのに、それを褒められても嬉しいとは思えないんだよ」
相棒に向けて初めて、どろどろとした胸の内を明かす。私の言葉を聞いた彼女は、じっと見つめてきながら佇んでいる。
「おまえは本当に強くて頼りになる竜だというのにさ、それに比べて私はだめじゃないか、弱すぎるじゃないか。私は本当に、おまえにふさわしい騎士なんだろうかなあ?」
「そうだね、おまえはすっごく弱いね」
彼女はまったく動じていない風で、あっさりと答えてのけてくれる。
紛れもない事実ではあるのだけど、その残酷なまでにまっすぐすぎる一言はあまりにも鋭くて、思いっきり胸をえぐられてしまった。
「でもね、確かにおまえは弱いけど、この私にふさわしいやつはおまえだけだよ。クルルッ、他のどうでもいい人間どもなんかとはぜーんぜん違うんだからね」
しかし彼女は、そこから熱意を込めて語りだす。翼を片側だけ広げ、温かな皮膜で私を包み込んでくると、甘え鳴きをしながら私の頬をぺろりと舐めた。
生来から誇り高く気性の荒い竜族らしい、いちいち圧を感じさせるお言葉なのはご愛敬。
こんなことを吐露してしまって、気を悪くさせてしまうのではないかと内心危惧していたけど、そんなことはなかった。
彼女は今この時も、彼女なりの愛情をもって私と接してくれる。それが、とてもありがたいことだと思えた。
彼女の好意を受け止めるためにも頑張ってみようか。そんな温かな気持ちでいるところに、彼女が大きな鼻面をずいっと寄せてきた。
「ね、おまえは弱いのが嫌だったの? 強くなりたかったの?」
「そうだね、強くなりたいなあ。できれば、おまえに見合うくらいには」
「強くなりたいの? ね、ね、強くなりたい? 強くなりたいよね?」
彼女はさらに顔を近づけてくると、なにやら念を押すかのようにして何度も何度も問いかけをしてくる。
あまりにも近すぎるので一歩だけあとずさってしまうが、彼女はあとずさったぶんだけ近づいてくる。
「え? ああ……うん」
「やっぱり強くなりたいんだね! 早く言ってよ、もうっ」
その態度になにか妙な迫力を感じたので、思わずうなずいてしまうと、彼女は我が意を得たりといった風に、こくこくと何度もうなずいた。
見るからに高揚している彼女が見せる仕草は、幼い子どものそれのようである。
その彼女の目が一瞬だけ閃光を放つと、とたんに体の自由がきかなくなった。
手が動かない、足が動かない、首が動かない、声を出すこともできない。かろうじてできるのは、目を動かすことと息をすることだけ。
意識ははっきりしているのに、ほんのわずかな身じろぎをすることすらできないのだ。突然の異常事態に心の中だけでうろたえる。
「これからおまえを強くしてあげるの。こういう時のために、ずっとずっと温めてきた特別な術があるの。私に任せてよ!」
彼女はとても明るい調子で一方的にまくしたててくると、今まで見せたことがなかった笑顔を作ってみせた。
竜の顔は堅い鱗で覆われているので表情はほとんど変わらないのだけど、今は笑っているのだと確かにわかる。
その口ぶりと態度からして、もしやこの金縛りは彼女によるものか。強い力をもつ竜だとはわかっていたが、まさかこんなことまでできるとは思いもしなかった。
それにしても、いったいなにをするつもりなのだろうか。
彼女はおもむろに前足を伸ばしてくると、私が身に着けている軽鎧を外しだした。長く鋭いかぎ爪をもつ太い指を器用に操って、部品をひとつずつ丁寧にはがしていく。
無言での作業が続き、やがて硬い防具をすべて外された。
次に、彼女は前足で私の体をつかんで高く持ち上げてくる。
「だいじょうぶ、怖がらないで。これからおまえの全部を良くするだけだから」
子どもをなだめるようにして柔らかに声をかけてくると、鋭利な牙が並んでいる大あごを全開にして、口の中を私に向けた。
とろとろと垂れる唾液で光っている竜の口腔を見て、一気に呼吸が乱れる。まさか、私を喰らうつもりなのか。それでどうやって怖がらずにいられるというのか。
完全に麻痺した体では声をあげることすら叶わず、なすがままにされるしかない。
彼女は私の足をその喉へ押し込むと、長い吻をあむあむと控えめに動かしながら呑み込み始めた。
彼女が小さなうめき声をもらすごとに柔らかい舌と喉の内壁が動いて、私の体を喉の奥へと引き込んでいく。
最初は腰まで、次は胸まで、やがて頭まで彼女の体内に取り込まれると、視界が完全な闇で閉ざされた。
竜の体温は人間よりもはるかに高いので、最初は軽く焼けるように感じたのだけど、その熱さが次第に心地よい暖かさへと変わっていく。
体が強く締めつけられているというのに、なぜかまったく痛くない。
目が見えないというに、なぜかまったく怖くない。
呼吸すらもできないというのに、なぜかまったく苦しくない。
ただ、とろけるような夢心地ばかりが私の頭を支配している
どくどくと力強く動く心臓の鼓動音と、ゴロゴロといそがしく鳴る内臓の蠕動音から、どこか不思議な懐かしさを感じる。
全身を包み込む彼女の体内に身を任せていると、まるで母の腕の中でゆらゆらと揺らされているかのように思えて、どこか不思議な安らぎを感じる。
竜に喰われて消化されつつあるという危機的状況であるはずなのに、このまま溶けおちて彼女とひとつになってしまいたいと心から願ってしまう。
そんな願いが通ったのが急速に眠くなってくると、私の意識はまたたく間に闇の底へと沈んでいった。
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ふと気がつくと、私はとても狭い場所にいた。体を丸めた窮屈な姿勢で、どこかに閉じ込められている。
動こうとすると壁に当たってしまって体を伸ばすことができないし、辺りは真っ暗なので様子を見ることもできない。
いったいここはどこなのだろうか、私はどうなったのだろうか。
あれこれ考えようとしてみるが、頭の中がぐちゃぐちゃになっていて、考えをまとめることがまったくできない。
なにがなんだかわからなくて混乱するが、ここから出たがっている体はひとりでに動く。
壁に堅い爪を突き立てて、力いっぱい押してみる。壁がぱりぱりと乾いた音をたてて割れると手が突き抜けて、割れ目から光が差し込んできた。
自分のものとは思えない筋力でもって壁を取り除いたら、狭い場所から這い出した。
「やっと出てきた。気分はどう?」
広く明るい場所に出ると、視界に収まりきらないほどの巨体を持つ銀色の竜が、私に優しく呼びかけながら迎えてきた。
この竜が何者なのかについては考えるまでもない。そう、私の母親だ。
いや違う、これは私の相棒だ。以前の倍以上に大きくなっているが、見間違えはしない。
いや違う、これは間違いなく私の母親だ。私の本能が血の繋がりを訴えているのだ。
思考がぐるぐると回りに回ってまるで定まらず、さっそく焦りを覚える。
いったい私になにが起きているのだろうか。目前の彼女に事情を尋ねようとしてみるが、動物の鳴き声とともに、私のものとは全然違う幼い声が私の喉から出てきたので、戸惑いはさらに強くなってしまう。
「ギャウ、おまクルル、わた、私、いったいクルル、どうなっクルル……」
「だいじょうぶ、怖くない。息をゆっくり吸って、吐いて」
なにもかもがおかしくて気が動転しかけるが、私の母親が愛おしそうに語りかけてきながら、ものすごく大きな舌で私をぺろぺろと舐めてくる。その愛撫でを受けていると、とたんに気持ちが落ち着いてきた。
おかげでほどよく冷静になれたので、腰を落ち着けて現状の分析をすることができる。
辺りの様子を見てみる。ここは相棒が棲んでいる竜舎のようだ。つまり目が覚める前から居場所は変わっていない。
背後には私よりも少しだけ小さいくらいの、割れていて中身が無い卵があった。目が覚めたときに閉じ込められていた場所がこれだった、いや、私はこの卵からかえったらしい。
続いて自分の手を見てみる。透明な粘液で濡れている私の手は、母親と同じ銀色の鱗で覆われていて、極太な指の先からは肉食獣のようなかぎ爪が伸びている。
良く動くようになった首を回して自分の体を見てみると、どこもかしこも美麗な鱗で覆われている。視界の中央に映る長く突き出た鼻も同様だ。
さらに尻からは短いが太い尻尾が、背中には一対のコウモリのような翼が生えている。それらにはしっかりと感覚が通っていて、自分の思い通りに動かすことができるのだ。
立ち上がってみると、自然に四つ足の体勢で立ってしまう。後ろ足で立とうとしてみるが、骨格も重心もまったく違っていて、ほんのわずかな間すらも直立することができなかった。
私は翼と尾と鱗をもつ四つ足の獣に、小さな竜の仔になっていた。
そう、人間から竜になっているのだ。私は竜ではなく、もとは人間だったのだ。それで間違いないはずなのに、なぜか自信を持って言うことができない。
「さ、心を落ち着けて、過去に思いを巡らせてみて。人間の頃の記憶は全部あるはずだよ」
得体のしれない認識に再び私の心が揺らぎ始めるが、母親が私の頭に鼻先をぐりぐりと擦りつけてくると、ぱっと動揺が止まった。
それから、心の乱れが少しずつ収まっていき、思考が明瞭になってくる。卵からかえる前までに持っていた私の記憶が次々と修復されていく。
そうだ、私は確かに人間で、帝国竜騎士団に属する竜騎士だった。
遠征帰りに竜舎で相棒の竜とともに過ごしていたら、その相棒によって丸呑みにされ、そして今に至るのだ。
目が覚めた当初に感じたものとは別方向の焦りを覚えて、速い胸の鼓動がさらに速くなってくる。
ぱっと顔を上げて、笑顔で私を見下ろしている母親を、いや、私の相棒をにらみつけた。私の体は小さくなっていて彼女との体格差がさらに開いているので、迫力は全然出せていないだろうが。
「キャウ、キューッ、こ、クルルこれ、お、おまえ……が、クルルやったのか、これ?」
「うん。私がおまえのために作った転生術でね、おまえは私と同じ種族になったんだよ。強い竜として生まれ変わることができたんだよ。弱くなくなったんだよ。おめでとう! 私もおめでとう!」
彼女は満面の笑みで私の問いに答えてくると、飾りのない祝福の言葉を贈ってくれた。
一方的にこんなことをされて、一方的に祝われても、困る。
「いや、おめでとうって、おまえ……」
「もう弱くないよ。嬉しいよね。ね?」
「ギュウ……」
「強い竜になったよ。嬉しいよね。私も嬉しいよ?」
なんとか文句を言ってみようとするも、彼女は長い尻尾を犬みたいにふりふりしながら同意を求めてくるばかりだ。その視線から感じられるものは動物的に純粋すぎて、もうなにを言っても通じそうになかった。
事がなされてしまった以上はどうしようもないのだ、もはや仕方ないとするしかない。彼女が私にした行為についてはひとまず置いておき、私が目覚めるまでの間にどうなったのかを確認することにした。
大騒ぎになっていなければいいのだが。
「なあ、あれクルル、あれから私は、どれくらい……眠っていたんだ?」
「んー、一ヵ月だけだよ」
私にとっては一夜を明かした程度の感覚なのだけど、知らぬ間に長い時間が流れていたようだった。
「い、いつの間にそんな。私がクルル消えて、なにか問題は起きていないのか? いちおう私は英雄扱いされていたから、急にいなくなったりしたら……」
「だいじょうぶ! この私に抜かりはないよ。おまえとよくいる人間どもに、私が全部説明しておいてあげたから!」
「……その説明とは?」
「私がおまえを食べたこと、おまえを私の同族に生まれ変わらせること、これからのことも含めて全部。きっちり話し合って、納得させてやったよ!」
ふふんと得意気に鼻を鳴らしている彼女は、私からの問いに即答する勢いでスラスラと説明してくれる。
私以外の人間とはまともに口をきいたことがなかった彼女が、人間相手にそんな交渉ごとをやってみせたのというのか。彼女が高い知性を持つ竜であるということを実感させてくれる瞬間であった。
「い、いや、それで済むのか? その、おまえ、お咎めはなしなのか?」
「オトガメ? ……音亀? そんな亀は見たことも食べたこともないけど」
「……いや、いい」
彼女はきょとんとした顔で首を傾げてくれたので、これ以上の訴えは諦めた。
この竜は賢者のような利発さを見せたと思ったら、次の瞬間には幼子のような足りなさ見せてくる。
なにかこう、ものすごくやり辛い。
「あ、そうだ。皇帝っていう人間がおまえに伝えて欲しいことがあるって言ってたから教えるね」
「キュ? 陛下が私に?」
皇帝からの伝言と聞いて、私はすかさず姿勢を正して話を聞く体勢に入る。
私が仕えている皇帝は、凡庸な平民に過ぎなかった私を拾いあげ、憧れだった竜騎士団に入るまで導いてくださった、大恩のあるお方なのだ。
その言づてとあれば聞き逃すわけにはいかない。
「『大儀であった。竜となった後も変わらずの忠勤を望む』だってさ。チューキンってなんのことだろ。宙禽? 鳥肉とか食べたいのかな?」
で、伝言を聞いたとたんに、正した姿勢ががっくりと崩れてしまった。
「あと他の人間はね、『知恵ある竜が増えるのなら、戦力増強になるから良しとする』だとか、『騎士の心を持つ竜が味方になるのなら、悪い話ではない』だとか言ってたね」
屈託のない笑顔から放たれる追撃の伝言に、私は力なく這いつくばらざるを得なかった。
ここまでの伝言の内容をまとめると、結局のところ人間としての私はいなくても問題はなかった、ということになるのではないか。
私の人生っていったい何だったのだろうか。それを考えると、果てしなく虚しくなって落ちこんでしまった。
そんな最底辺の気持ちから五秒で立ち直れてしまうのが、竜族の強さなのだろうか。
そう、私はもう脆弱な人間ではなくて竜なのだ。その竜のなかでも力ある、知恵ある竜と呼ばれる高等種族なのだ。
きっと私の前途は明るい。もう劣等感に苛まれることはないのだと、そう思うしかない。
私を小さな仔竜に変えた母竜は、とても幸せそうに笑い鳴きしながら、私をじっと見つめていた。
[newpage]
「ガウッ、グルルルッ」
給餌係に与えられた、山と盛られた活きの良い生肉に前足のかぎ爪を突き立て、がつがつと獣らしく口だけを使ってむさぼり喰う。
強靭なあごと鋭い牙があるおかげで、筋張っていて身の硬い野獣の肉でも簡単に食いちぎり、骨ごと噛み砕いては飲み込むことができる。今の私にはそんな肉が、どのような料理にも勝る至高のごちそうであると感じられるのだ。
普通の餌の三倍はあるらしい大量の肉を平らげると、ようやく腹が満たされたので、口周りについた肉片を丁寧に舐めまわして掃除した。
私が竜に生まれ変わってから一年ほど経っただろうか。
卵からかえってすぐのころは猫くらいの大きさしかなかったというのに、今では人間よりも体が大きな少年の竜へと成長していた。
四つ足の体勢だと、まだ人間よりも体高が低いけれども、とてもたくましい体つきをしているので、なかなかの迫力があるだろう。
この調子で成長していけば、近いうちに私の母親のような巨躯を得ることができるかもしれない。
が、竜とはいえども、本来はここまで早く大きくはならないはずだ。帝国で飼われている普通の竜たちも、人間大に育つまでには最低でも十年の時を要するというのは良く知られた話である。
成長の速さが明らかに異常なので、いつか変な病気を起こして体を壊すのではないかと内心ビクビクしながら獣としての日々を過ごしていた。
「母さん、どうして私はたった一年でこんな大きくなったんだろう?」
そんな疑問を、同居している私の母親にぶつけてみる。私よりも先に餌を食べ終えて寝転がっていた彼女は、鎌首をもたげると私に目を向けてきた。
「おまえが生まれ変わる前は、もう大人だったじゃない。それだけの下地を持って生まれ変わったんだから、相応の歳まではすぐに成長するものだよ」
「そ、そうなのか」
彼女は軽い感じで答えてのけてみせるが、ちょっとなにを言っているのかわからなくて困る。
それから彼女は、不機嫌そうに目を細めると、軽く牙を剥いてくる。
「あと、お母さんはやめて。おまえが人間だった頃のように私を呼んで」
「あ、ああ。ごめん、かあ……いや、相棒……」
今の私には本能的にも理性的にも、彼女のことが母親にしか見えなくなっているのだが、彼女を母と呼ぶと、すぐに訂正を求められる。
そのときの彼女は、表情も声色も迫力があって怖いので、まだ幼い私は身をすくめてしまう。
「それにしても、相応の年齢まで、か……どれくらい経てば成長し切るんだろうな」
「あと少しだよ」
彼女は尻尾をひと振りしながら立ち上がると、無造作な足取りで私に近寄ってくる。
「あと少し……あと少しで、おまえは完全に成熟するよ。キュルルル、雄の成竜になるよ」
そして、ゆっくり尻尾を振りながら翼を少し広げると、なにやら熱さを感じる視線を送ってきながら地鳴きをしだした。
それは私にたびたび聞かせてきた甘え鳴きとよく似ているのだけど、それとはなにかが違うような、より甘い響きを感じるような気がする。
「そう、成竜になれば、おまえは子どもを作ることができるよ」
「は?」
「キュルキュル私、若いよ、たっぷり餌を食べてるよ、丈夫で元気な卵をたくさん産めるよ。ね、私とつがいになれば、優れた子どもができるよ」
「いや、あの……」
いったいなにを思ったのか。彼女は唐突に直球すぎる求愛の文句を垂れだすと、獲物を狙う肉食獣そのもの動きでにじり寄ってきた。
ギラギラとした欲望で彩られている縦割れの蒼眼が、私の視線を強引にからめとってきて逃さない。目つきが危ない、なにかよくわからないが恐ろしい。
あとずさって距離をとろうとしても、彼女はそのぶんだけ距離を詰めてくるので、逃げることができそうにない。
あまりにも予想外な行動で、かける言葉が見つからなかった。
「私ね、おまえを初めて背に乗せたあの時から、ずっとおまえをつがいにしたかったの。この私にふさわしいやつはおまえだけなの。
私、おまえが欲しい、おまえの子どもも欲しい、キュルル、おまえ、子ども、よこせ、ハッハッ、よこせよこせよこせ」
獣性を全開にしている彼女は、熱く燃える息を吐きながら激白をしてくれた。
もしや彼女は私が人間だった頃から、私をつがい候補の雄として見ていたのだろうか。もしそうだと考えると、これまでに見せてきた彼女の言動がとても意味深なものに思えてきて、頭がクラクラしてきた。
というか、彼女は今の私がどういう存在なのか、ちゃんと理解しているのだろうか。私は元人間とはいえ、彼女が産み落とした卵から生まれた子だ。私たちは血の繋がりのある親子なのだ。
産みの親から求愛されても、本気で困る。
「あ、あの、私たちってさ、その、親子だよな、実の。だから、そういうのは、良くないんじゃないかな……」
「なに人間みたいなことを言ってるの? 親子でつがいになることなんて、私たち竜族には珍しくもないよ」
「あ、そ、そうか。そうだった……」
急にしらふに戻った彼女がとんでもないことを口走ってくれるが、すぐにもっともな話だったと得心してしまう。
竜という生き物は、強い力を持つぶん生息数が少ないために、近親交配を普通にやるという生態をもつことで知られている。とてつもなく頑健なので、他の生き物のように血が濃くなりすぎても病を起こすことは全くないのだとも。
だから彼女は、ためらいなく実子に迫ることができるのだろう。
これが人間だったら忌避するところだが、そもそも彼女は竜だ。人間の倫理や常識など通用しない。
そして今や私も彼女と同じ種族だ。すでに人間のくびきからは解き放たれているのだ。
「キュルルルゥ、私とつがいになろう? そして体ができあがったら、たくさん子どもを作るの。ね?」
彼女が熱心に誘惑してくる様を見ていると、雄竜の本能が私に残されていた人間を塗りつぶしていく。今までは母親だと、相棒だと思っていた目の前の竜が、だんだんと一介の雌に見えてきた。
この若くて美しい雌を見ていると、胸の鼓動が速くなっていく。呼吸が荒々しくなっていく。
体が自然発火しそうなほどに熱くなって、私のすべてをこの雌にぶつけたくてたまらなくなる。まだ体が成熟しきっていないので、それはできないのがもどかしい。
気がつくと私は、己の血を相手に飲ませあう、一生の愛を誓う竜族の儀式を行っていた。
私が伴侶を得てからしばらく経って、身も心も立派な成竜になった私は、竜たちの指導官として竜騎士団に戻った。
団に戻ることについては、少しだけ思うところはあったけれども、報酬として広々とした巣とたっぷりの餌を約束されたので、迷うことはなかった。
のちに私は、帝国最強の竜軍団という名の家族を率いて大暴れすることになるのだが、それは余談だろう。
終わり