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暖かな傷

  「なんか…変わったよな。」

  「そう…?僕としては何も変えてるつもりは無いんだけど…。」

  どうしてだろう。君には全て見透かされている気がする。僕がこのままじゃ何かで押し潰されそうなことも。きっとこのままだと、いつか居なくなってしまいそうな予感がしているのも。

  朝起きて、学校に行って、授業を受けて。部活に行って、帰ってきて、夜ご飯を食べて。それから、お風呂に入って眠りにつく。

  大抵、そんな毎日。こうした日常を、きっと全国で多くの学生が送っているのかな。こんな毎日に意味があるかは分からないけれど、いつもの日常を抜け出す理由も特に見つからない。ただ無気力に、平凡な暮らしを営むことがどれだけ幸せか。僕には到底想像もつかないな。

  「ん…。」

  窓から差し込む日差しで目を開けさせられる。視界の端がまだぼやけているが、どうやら翌日の授業の予習をしながらいつの間にか寝てしまっていたらしい。頭の片隅に何かが浮かんでいるが…何も掴み取れずに消えていってしまった。

  時刻は6時12分。5月に入って日が昇る時間もだいぶ早くなってきているな。おかげで早くに目が覚める。やりっ放しの予習を少し進めて、学校に行く準備をしよう。

  「うーん…暑い。」

  人間は汗をかいて、体内の熱を水分の蒸発とともに体外に放出するらしいけど…イヌ科の獣人は舌を出して熱を体外に放出する。つい最近、生物の授業で学んだことがふいに頭に浮かんだ。自転車通学だと、尚更体温調節が必要になってくる。僕ら獣人が自然と舌を出しているのもそれが理由の一つだ。そんな授業の簡単な復習を考えていたら、いつの間にか学校に到着していた。

  「おはよ〜吉澤。」

  眠そうな目を擦りながら耳をピクピクと動かして、いつもの透弥だなと少し安心する。

  「おはよ。透弥。」

  「今日ほんっとに暑いな〜!普通に半袖で来ちゃったけど、意外とまだ長袖の方が多いのな。」

  「まだ半袖着用の期間じゃないと思うよ…?」

  「え…もしかして俺やらかした?」

  「多分…。」

  グワアアアと唸る透弥を横目に自分の席に荷物を置く。

  「あっ、おい光澤ー!どうして今朝教えてくれなかったんだよー!」

  「ほんとに着てきたら面白いかなーって。」

  「クッソ…聞くヤツ間違えた…!」

  透弥はあの愛嬌とコミュ力でクラスの中でも一際存在感がある。誰とでも仲良く出来るし、僕みたいな内気なヤツでも構わず話しかけてくれる。1年の入学当初は新入生補正のようなものがかかっていると思っていたけれど、これが真の陽キャか…。と、2年生のクラス替え当時に強く実感した。

  対して僕は…このクラスでは存在感が薄い。友達も、1年の時に同じクラスだった透弥と、他話しかけたことがない数名が同じくらい…。おかげで何となく孤立している感は否めない。と言うより、ほぼ確定で孤立している。

  そんな中、透弥が気をつかって僕に話しかけに来てくれているおかげで、何とか学校生活が送れているような状況だった。

  1時間目は体育。正直苦手だ。ペアを作ったり、グループでチームを作るだったり、僕にはレベルの高いコミュ力ばかり要求される。ましてや運動もそこまでできないとなると、ついに余り物枠へと成り下がる。

  「吉澤〜!一緒にやろうぜ!」

  「あ…うん!」

  透弥は毎回こうした場面でも僕とペアを作ってくれる。どうしてそこまで気をつかってくれるかは分からないけれど、甘んじて透弥の誘いを受けることにした。

  「じゃ、6人くらいでチーム作れ〜。」

  バレーボールのチーム戦が始まる。チームスポーツほど苦手なものは無いな…。

  「吉澤と〜…あ!そこ余ってるなら混ぜてくれよ!」

  「ちょ…。」

  透弥に手を引かれて、明らかに強そうなチームに強制入会されてしまった。明らかに僕だけ場違い感が…。

  実際に試合が始まると一目瞭然。僕のサーブやレシーブだけで失点ばかり。ちょうどいいチームバランスにはなっていたが、これは文句を言われても仕方ない…。

  「どんまいどんまい!次は入るぞ!」

  透弥だけは毎回声をかけてくれていた。多分…全部入らないからやめてくれ…。非常に申し訳ない気持ちで授業を終えた。

  帰り際、同じチームだった人が話している声が聞こえてきた。

  「透弥はチームに来てくれると嬉しいんだけどな〜。吉澤がな…。」

  「悪いヤツではないんだけど…正直たまには別々になってもいいよな〜…。」

  「実際悪くないから何も言えないんだけどな…。」

  …そう。その通りだ。何も言い返せない。言い表せない、心の淀みを感じながら、僕は早足で教室に戻った。

  「吉澤!昼飯食べようぜ!」

  「ごめん、俺今日購買行くから一緒には食べれないかも…!」

  「そうか〜…あ、じゃあ光澤!食べようぜ!」

  「おまっ、急にこっちに走ってくるな!しっぽで誰かの昼ごはん落としたらどうすんだよ!」

  微笑ましい光景を見ながら教室を出て中庭に向かう。

  本当は購買なんて行かないし、そもそも今日は購買はやっていない。ただ…体育の時に聞いたことを思い出した。それだけの事。

  「1人で食べるの、なんだか久しぶりだな。」

  入学して最初の頃は、こうして中庭の人気が少ない場所で一人で昼ごはんを食べていた。周りが同中同士でつるんだり、仲良くなっていく中で、僕だけ一人が遅れていた。そんな中で透弥と出会った。偶然一人で食べているのを見られて、

  「1人で食うなら混ぜてくれよ!」

  優しくて心が暖かくなる声だった。僕にとっての唯一の光。

  それが今、灯火のようにゆらゆら揺らいで消えかかっている。体育の時のあの人たちの発言は間違っていない。僕は他の人達から見れば、透弥に縋ってくっついているだけの虫だ。透弥は沢山仲良くしている人がいるのに、僕のせいで、今まさに透弥を縛ってしまっている。透弥がもっとたくさんの人と仲良くして欲しい。そういう願いが本当に僕にあるのなら、僕のすることは…?きっと、1つしかないだろう。

  あまり食欲が湧かなかったので、そっと弁当の蓋を閉じて教室に戻っていった。

  「吉澤!一緒にペア…」

  「ごめん!もう他の人と組んじゃったんだよね…。」

  「…そっか〜…。じゃあ…あ、ペアいないなら一緒にやろうぜ拓馬〜!」

  「吉澤〜!」

  「ごめん!実はもう他の人と…」

  「吉澤組もうぜ〜!」

  「今日は別の人とやる約束なんだ…」

  「吉澤!」

  「ごめん!」

  あれから数週間。いい加減透弥も諦めてくれるだろうと思い始めてきてはいるが…中々諦めてくれない。ペアワークの時も、別の人に頼み込んで嫌々組んでもらっている為、どうにか早くして諦めさせないといけない。いっその事直接言ってしまうのも良いのかもしれない…。一瞬考えが過ったが、僕にそんな勇気は無い。ましてや、相手の善意を踏みにじるような別れ方は僕としてもしたくない。一体どうしたものか…。

  今日もペアワークの度にしつこく迫ってきたので、優しく宥めて別の人とペアを組みに行く。罪悪感もあるが、本人の為なら心を鬼にして接することも大切だ。

  しかし今日は少し違った。別の人と組むと言って別れたあと、突然透弥に腕を掴まれた。振り返ってみると、いつもと違う目で、僕の目を真っ直ぐに見つめていた。誰かの目をここまで真っ直ぐに見た事がかつてあっただろうか。いや、きっと今までで一度もない。翡翠の色をしたビー玉のような透き通った目が、こちらに痛く視線を突き刺してくる。

  「…透弥?急にどうしたの…?」

  「なぁ、最近明らかに俺の事避けてないか?」

  「…え?」

  「勘違いならいいんだけどさ…最近、なんか変わったよな。」

  「…そう?僕としては、何も変えてるつもりは無いんだけど…。」

  どうしてだろう。いつの間にか、君には全て見透かされている気がする。僕がこのままじゃ何かで押し潰されそうなことも。きっとこのままだと、いつか居なくなってしまいそうな予感がしているのも。ただ、そう考えていても。ここまで来てしまっているならやり遂げるべきだ。これは、僕自身の願いだ。

  「そうか。」

  …なのに。どうして君がそんな顔するのさ。僕の方が辛いはずなのに。君は優しいよ。だからこそ、その優しさが僕に一方的に向けられていることが、たまらなく辛いし、怖い。''僕''にでは無い''誰か''に向けて、その優しさを与えてあげて欲しい。僕にはもったいないほどの物だから。

  その日の授業では、透弥が僕に話しかけてくることは無くなった。

  ここまで来たら、きっと透弥は諦めてくれたはず。やっと透弥を諦めさせられる。ここまでだいぶ時間がかかったけれど、ようやく僕に気をつかうことが無くなるだろう。大丈夫。これは僕が望んだことだ。何も間違っていないはず。

  ───なのに、どうしてなんだろう。こんなにも胸が痛い。透弥の為。透弥の為。そう考えて、今まで行動してきた。これは僕から最後の、最低で、でも彼にとっては大事な贈り物だ。これを送ろうと決めた時点で、僕の自分勝手で汚れた心情は全て消し去って、ここまでやってきたんだ。だから、その呪縛から解放された今、とめどなく溢れてくる感情で何もかも押し潰されそうになっている。

  どうして僕だけが彼の為にやらないといけなかった。そもそも彼があんなに優しくなければ。何故こんな別れ方をしないといけないのか。彼とずっと一緒にいたいのに。こんなの、辛すぎる。でも、彼が苦しいのは嫌だよ。

  色々な感情が溢れて止まない。雪崩のように押し寄せてくる絶望に、ただ身を委ねるしか無かった。

  シャワーを浴びながら泣いていたことに気づいたのは、洗面所で目が腫れた自分の顔を見た時だった。

  しばらく、学校を休んだ。母親には体調が優れないと仮病を使い、騙し騙しで休みを伸ばした。

  その間も毎日彼が来ていた。学校で貰うプリントや、提出物の有無を書いた紙を毎日ポストに入れてくれていた。

  こんな時まで君は優しいな。もうとっくに君の目に僕は写らないと思っていたのに。あんな別れ方をして尚、僕に優しさの槍を刺してくる。僕が君の優しさに甘んじていることも、その度に傷ついて、自分を責めていることも知らずに。

  ここまでしても、君は離れてくれないのか。なら、いっそこのまま。

  次の日、学校に行くふりをして海辺の街へ遊びに行った。

  ネモフィラ畑が綺麗な海浜公園や、美味しい海鮮丼が食べられるお店、海がよく見える展望台等々…様々な場所を巡った。昔よく友達と遊びに来ていたっけ。そんなことも思い出しながら街をぐるりと周った。

  「いちばん良かったのは…ネモフィラ畑だな。」

  ネモフィラの花言葉は確か…と思い、スマホで調べてみる。「あなたを許す」「ネモフィラは、仲直りのプレゼントとしてよく使われています」

  何とも皮肉な、でも、今の自分にピッタリな花言葉なんだろうと、思わず笑ってしまった。

  ネモフィラを一輪だけ撮った写真を写真フォルダで見つける。メッセージを開き、先程の写真を送信してからスマホをポケットにしまう。

  夕方頃まで歩き回り、街の人に教えてもらった岬を発見した。足元が不安定になっていて、地元の人もあまり立ち入らない場所らしい。ゆっくり斜面を下って、岩場の方に足をつける。一歩間違えたら海の底だ。それとも岩場で頭を打って逝くのだろうか。

  どちらにしても、ここで終わることには変わりないな。

  僕は今きっと、平凡な日常を過ごして、優しい友達がいて、どこかにいる貧しい暮らしを余儀なくされている人達より、幾分か幸せな生活を送っている。

  幸せなまま死ぬというのは、少し贅沢すぎるかな。

  「そんな事ないよ。」

  居るはずのない彼の声が聞こえる。走馬灯のようなものだろうか。

  「君が決めたことなら、僕は最後まで君を見届けるよ。」

  どこかで彼が想ってくれているのだろうか。そう思うのも気持ちが悪い。

  それでもまだ、彼のことが好きだ。狂おしいほど愛している。願ってはいけないと決めていたのに、僕はまだこんなにも醜い呪いを彼にかけようとしている。

  最後くらい、笑ってお別れさせて欲しい。この世界からも、君からも。

  「そうか。俺も、お前が好きだったよ。…これからも多分、ずっと好きだ。多分一生、忘れられないかもな。」

  「辛い想いさせて、ごめんな。」

  彼なら、こんな風に言うのかな。

  きっと、最期の最期まで僕を慰めてくれるのかな。

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