家族が全員竜化して天に昇る話

  「ごちそうさまー」

  田舎町の隅にある民家の居間にて。いつものように夕食を食べ終えた少女は、重ねた食器を手に持って立ち上がると、キッチンへと向かう。

  食器を水が溜まっているシンクに沈めたら、洗い物をしている最中の母親と並んで、自分が使った食器を洗い始めた。

  「あの人遅いなあ、なにしてんだろう?」

  泡まみれのスポンジでせっせと食器を磨いている母親は、暗くなった窓を横目で見ながら独りぼやく。

  父親は午後に入ってから出かけている。彼は暗くなる前に帰ってくると言っていたのだが、日が落ちて夕食が終わった今もなお姿を見せていなかった。

  一人だけ遅れて食事をしてくれると後片付けが面倒になるので、ちょっとだけ困るのだ。

  「もう一度連絡してみる? って……あ」

  少女が母親の独り言を拾って口を開いた矢先に、家の中で玄関扉が開いて閉じる音を聞き取る。それから足音が向かってくると、件の父親が居間の扉を開けて、実にのんきそうな緩んだ声で帰りのあいさつを口にした。

  「ただーいまー」

  「おかえり、だいぶ遅かった……なにそれ?」

  母親は洗い物をする手を止めて父親に目を向ける。彼が手提げカバンの中から取り出した彫像を食卓の上に置いていくところを目にして、いぶかしげに声をあげた。

  母親は謎の彫像を見にキッチンから離れる。少女も興味を持ち、泡にまみれた手をさっと洗い流したら母親についていった。

  「なにこれ? なんかすごく出来が良さそう」

  「おー、きれいー」

  家族三人で食卓を囲んで、きらきらと輝く二体の彫像をまじまじと観察する。

  一体はたてがみと四肢を持つ長い蛇身に鹿のような角をもっている、黄金色をした東洋龍の像である。もう一体は爬虫類然とした猛獣の体に皮膜の翼を持つ、白銀色をした西洋竜・ドラゴンの形をしている。

  金と銀という高価そうな見た目の素材であるうえ、鱗や牙のような細かい部品まで緻密に表現されているという凝りようである。素人目にも、ただならぬ迫力を感じさせる芸術的な品々だった。

  「あー、でも、いくらしたのよコレ。だーいぶ高そうな置物なんだけどさあ」

  少し声を低くした母親が、眉をひそめながら父親を上目遣いで睨む。

  この金や銀がメッキだとしても、実にお高そうな雰囲気のある立派な出来の品なのだ。これらのために給料の一か月分以上とかを散財されたりしていたら困ることになるだろう。

  父親は母親のうろんげな視線に動じることはまったくなく、堂々と胸を張って憂慮を受け止めた。

  「だいじょうぶ! これはもらい物だから一円もかかってないぞ」

  「もらったの? これを、誰に?」

  「なんか宗教系っぽい豪華そうな服を着た、知らないおばあさんから。『これはあなたがたが持つべきもの』とか言われてさ、ちょっと強引に渡されたんだよなー」

  「そうなの。でも、もう、変な人から妙なもん貰ったりとかさあ、いい加減によしてよね」

  父親は難しいことなど何も考えていなさそうな感じで、へらへらと笑いながら事情を語る。絵に描いたような呆れ顔をしている母親は、肩をすくめながらため息をついていた。

  少女も母親に乗じて『やれやれ』とつぶやきながら苦笑いをして首を振る。こうして父親が変なものを持ち込んできて母親に咎められることは、小さい頃から何度もあったのだ。『またこれか』と思って笑うしかないのだった。

  「まーいいじゃないか、こんないい感じの物をタダでもらえたんだし」

  「確かに置物としては良さそうだけどさあ……」

  まるで締まりのない顔で笑いっぱなしの父親は、龍の像を持って自慢気に掲げる。

  母親もなんだかんだで興味津々のようで、ドラゴンの像を両手で持つと様々な向きに傾けて、つぶさに観察をする。

  そのとき、彫像の目がほんの一瞬だけ光を放った。見ればすぐに気づくであろう、フラッシュライトのような強い光だ。

  彫像が光ったところを目撃した少女は、ぱちぱちと目を瞬かせた。

  「あれ、今、それ、何か、光らなかった?」

  「ん?」

  母親は彫像をテーブルに置きなおしながら少女をちらりと見るだけ。父親はニコニコ笑顔で彫像の頭部を人差し指でなでなでしている。

  二人とも今の光に気づいた様子は無かった。

  少女は気のせいかと思って忘れようとするが、今度はどこからともかく奇妙な音がしてきたので、少し驚いてきょろきょろと辺りを見る。

  どこを見ても変わった様子はないが、謎の音は今、確かに聞こえているのだ。今度こそは勘違いなどではないと確信できる。

  「別に光ってなんてなかったけど」

  「いや、それはもうよくて……なんか変な音がするんだけど、聞こえない?」

  より意識して耳を澄ませてみると、正体不明の音はすぐ近くから発しているように思える。

  それは、生肉を素手で裂いたときにメリメリと鳴ったときのような、肩を回して骨をボキボキと鳴らしたときのような、背中を揉んでゴリゴリと音が鳴ったときのような。

  生々しさを感じさせる不気味な音がいくつも重なっているのだ。

  「んー、全然。気のせいじゃないの?」

  しかし、きょとんとした顔をする両親は互いに顔を見合わせると、父親が軽く首を傾げて、母親は首を横に振る。

  二人には何も聞こえていないようだ。加齢のせいで耳が遠い、というにはまだ若いのでないはずだ。

  「ところで夕飯、食べるよね?」

  「ああうん、食べる食べる、まだ食べてない」

  「そう。じゃあ洗い物終わったから出すから、ちょっと待っててね。その置物かたしといてよ」

  「あいよ、頼むー」

  母親は質問を軽く流すと、残りの洗い物を片付けるべくキッチンへ戻っていく。

  少女は自分のぶんの洗い物も残っていることを思い出したので、とりあえず母親の後についていく。

  その間も、例の謎の異音が耳に届き続けていることが、なんとも言えない不安感をもたらすのだ。

  [newpage]

  少女は洗いかけの食器を再び手に取って、スポンジで汚れを落としていく。ついでに今から抱えている心のもやもやも払拭するべく、真剣かつ丁寧に磨きをかける。

  流水で泡を流したら、食器用の水切りかごに放り込む。そのときに母親の手を見た少女は目を見張った。

  泡にまみれる指の爪が黒く染まり、異常なほど伸びている。ただ伸びているだけではなく、まるで獣のような先が尖る攻撃的な形をしている。それが万が一付け爪だとしても、無骨に過ぎる異様なものである。

  「ちょっとお母さん、その爪どう……」

  少女は反射的に母親へ呼びかける。手を止めた母親が向けてきた顔を見たら、息を呑んで言葉が続かなかった。

  その目の虹彩が明るい灰色に変色していて、瞳孔が猫のような縦割れになっている。そして頬の半分ほどを銀色をした細かい何かが覆っていて、それが明かりを乱反射して虹色にきらめいているのだ。

  「ん、どうしたの?」

  普段となんら変わらない調子で声をかける母親の顔が、少女の見ている真ん前で人外のものに変わっていく。

  その唇の端がメリメリといった湿った音とともに少しずつ裂けて、口が大きくなっていく。そこにのぞく歯が全部尖ったものへと変わっていく。

  そして頬に張り付く銀色の何かは、顔を合わせている今このときも新しく生えてきていて、顔面を埋め尽くそうとしていた。

  「な、なんでも……」

  極度の緊張で呼気を震わせだした少女は、最速で食器を洗い終えてその場を離れる。

  お母さんがどう見てもおかしい、何事なのかさっぱりわからないが、とにかく怪物へと変わりだしている。対応を一つでも間違えると、その爪を振りかざして襲いかかってきそうで怖い。

  だから小走りで父親に助けを求めにいく。

  『お母さんが化け物になっている』とか言って通じるのか、どう言えばいいものかと歩きながら迷うが、とにかくなんでもいいから話さなければならない。

  「お、お父さ……ん、あ……」

  だがしかし、ソファに座ってテレビを見ている父親の後ろ姿を見たら足が凍りつき、喉もこわばって何も話せなくなった。

  ソファのひじ掛けを掴んでいるその手が、キラキラきらめく黄色いなにかが覆われていて、その指先から鋭く伸びた爪が伸びていたから。

  テレビに映っているバラエティ番組に出演している芸人たちが場違いな笑い声をあげる。父親もそれにつられて楽しそうに笑ったあと、少女の気配に気づいて振り向く。

  その顔は、母親以上に変貌していた。

  父親の顔が黄色に、いや、金色になっている。顔全体が金色の細かいひし形の板に、滑らかな鱗で覆われ尽くしているのだ。

  その目は虹彩が消えて丸い瞳孔だけが残るぎょろついたもので、母親とは別方向に人外の目つきになっていた。

  「んー、どうした?」

  父親も普段となんら変わらない、間延びしている抜けた口調で声をかけてくる。だがしかし、口が耳まで深く裂けていて、そこから母親以上に長く尖った歯が覗いていた。

  「あ、その、さ、さっきの像って……」

  「ああ、あっちだよ」

  少女は歯を思いっきり食いしばり、恐怖でわめき散らしたい思いを死ぬ気で抑えながら、なんとかひねり出した無難な問いかけを口から出す。

  父親はわかりやすく狼狽している娘を見ても、何かを思った様子は見せずに、部屋の隅にあるサイドテーブルを指し示す。そこには確かに、黄金と白銀の彫像が置かれている。

  それらを指し示す父親の指が、目の前で変形していく。さきほどからずっと聞こえていた、生々しい異音を体から響かせながらだ。

  指が癒着すると溶け合うように一体化して、極太の三本指となる。

  彫像を指し示す爪が急な曲線を形作ると、獣のかぎ爪へと変わった。

  その爪は見るからに鋭利そうであり、薄い鉄板程度なら軽く当てただけで切り裂けそうである。

  ついでに耳の形も変わっていく。耳の先が尖って馬や鹿のような形になると、耳の位置が頭の上の方へと少しずれていった。

  「はーい、ご飯できたよー」

  なみるみるうちに人間ではなくなっていく父親の姿を目の当たりにして戦慄しているところで、横合いから母親が声をかけてくる。

  いつの間にか洗い物どころか夕食まで用意し終えていたようだ。両手で祝い事の時にだけ使う大皿を持ちながら、食卓のほうへと歩いてやってくる。

  足音が異様に重々しくて、一歩踏み出すごとに床が悲鳴じみた軋み音をあげているが。

  その姿を見て、少女はさらなる戦慄を覚えて気が遠くなってきた。

  顔も手も、目に見える範囲の肌は全てが白銀色のごつごつした鱗で覆われ尽くして、人間の肌はどこにも見えなくなっている。

  床をへこませている足は、靴下を貫いて四本の太い足指が出ており、その先から黒いかぎ爪が伸びて床板に食い込んでいる。

  鱗は今もなお広がっていて、髪の毛をはらはらと散らしながら鱗が頭を覆っていっていた。

  夫婦は互いに変貌どころか、現在進行形で変わっていっている姿を目にしているのに、まったく気にするそぶりを見せない。

  まるで今の姿が自然な姿であると言わんばかりに、普段とまったく変わらないやりとりを繰り広げるのだ。

  いや、大いに変わっているところがあった。

  母親が持つ大皿の上には、未調理の生肉が山のように盛られているのだ。恐らくパック詰めの肉を全部皿の上にあけたのだろう。

  明らかに人が食べるものではないそれを見た父親は、裂けた口を釣り上げると歯茎を剥き出しにして嬉しそうに笑う。

  食の喜びを表現するかのように髪の毛が逆立ちだす。うなじを覆い尽くしていた鱗の隙間から新しい毛が生えていって、首後ろ全体が大量の毛髪で包まれていく。

  その髪の毛から色素が抜けていって、銀の輝きを放つ白髪へと変化した。

  「おおー、うまそうだ!」

  父親は四白眼の目を輝かせながら三本指の手を伸ばして肉をつかみ取ると、バキリとあごの骨が外れる音を立てて人間の限界以上に口を大きく開いた。

  がま口のような口にある歯は、前歯から奥歯まですべてが肉食獣の牙のような鋭く尖ったものに変わっている。

  口に放り込んだ生肉に牙を喰い込ませると、ほとんど噛まないまま呑み込んでいった。

  父親の野性的な食事の様子を見ながら食卓を拭いている母親も、変異が進んで人の面影を失っていく。

  毛は全部抜け落ちてきれいに禿げ上がり、その肌は銀色の鱗に入れ替わる。

  その耳は、耳孔から伸びた軟骨の間に皮膜が張られる水かきのようなものになって、頭の両脇を挟み込む。

  布巾を操る手の指は四本指になっており、父親のものと同じくらいに鋭そうな黒いかぎ爪が伸びていた。

  母親が食卓を拭く手を止めて、肉が乗っている皿をじっと見つめだす。

  

  「……私も、お腹、空いてきた」

  耳まで裂けた口から、先が二股に割れた舌が出てきて口まわりをぺろりと舐めると、皿の肉に手を伸ばす。

  鋭い牙ばかりがいっぱいに並ぶ大口を、よだれの絹糸を引きながらガバリと全開にすると、夫婦で仲良く生肉を喰らい出した。

  つきっぱなしのテレビが垂れ流すバラエティ番組の愉快な音楽が流れるなか、無言の二人は鋭い爪のある手で肉を掴み取り、一心不乱に肉を喰らっていく。

  肉を喰らいしだい養分に換えているのか、二人の変化は少し速くなったようだ。

  布がびりびりと破れる。二人の体が少しずつ大きくなって、丈が合わなくなった服が無残にも張り裂けていく。

  上着がぼろぼろの布切れになって床に落ちると、すっかり鱗だらけになった体が現れる。

  ふたりとも中肉中背で特別に鍛えていたりはしなかったのだけど、今は鱗の下からでもわかるくらいに筋張っている野獣の肉体になっていた。

  黄金色をしている父親の背中は、背骨部分にサラサラした白の体毛が生えていって、髪の毛とひと続きのたてがみになる。

  白銀色をしている母親の背中は、背骨に沿って骨のトゲが突き出て、その間に皮が張られて怪獣のような背びれが形作られる。

  二人の変化の仕方は異なっているけれど、怪物的な体になっているということには変わりない。

  メキリメキリと体が軋む気味の悪い音を立てて、二人の顔が変形してゆく。鼻筋と上あごが一体化して大きな鼻の穴だけが二つ残ると、頭頂部を平たくしながらあごが突き出ていく。

  あごはぐんぐん伸びていって、父親はワニのような、母親は肉食恐竜のような口吻となる。

  すっかり長くなった人外の口の中には、同じ形をしている鋭い牙ばかりが列をなしていた。

  「グルルッ、ゴルルゥ」

  「ギャウッ、ガウッ」

  獣の唸り声をあげだした二人は手づかみをやめて、長く突き出た口だけを使って肉を貪りはじめる。

  二人はもう見た目どころか仕草まで人間ではなくなったが、それでも変化は止まらない。

  細長い形になった二人の頭に、体の中から突き出るようにして骨の突起が生えてくる。

  父親の頭には鹿のような枝分かれした角が、母親の頭には螺旋状にねじれた鋭角的な角が生えて、怪物らしい威圧感を付け足してゆく。

  二人の臀部から鱗の棒がズルズルと生えて、太さを増しながら伸びていく。それは二人の身長ほどの長さにまでなると、ドスッと重い音を立てて床に落ちる。

  父親には先端に白い毛の房が付いている尻尾が、母親には背骨から生える背びれが続く尻尾ができて、各々が生えたばかりの尾を緩やかに振る。

  ついに服が全て破れ落ちて、布片となって床に散らばる。服の下から現れたものは、全身がくまなく鱗で覆われていて、腹には乳白色の蛇腹があるという動物の肉体だ。

  もう二人には、人間らしい外見はどこにも残されていなかった。

  「なん、なの……なんなのこれ……」

  唇をぎゅっと噛んで震え続けている少女は、今すぐにでも家から逃げ出したいと願っているのだけど、腰が抜けて動くことができない。

  できることはただ一つ。怪物たちに気づかれないよう身動きをやめて風景と同化することで、可能な限り存在感を消すことだけである。

  「グゥ、グォッグォッ」

  「ギャアウゥ」

  二人は山盛りの肉を平らげて、皿に残った肉片を先割れの舌できれいに舐め取る。

  それから言葉を交わすかのようにして獣の鳴き声をあげあうと、食卓から離れてそれぞれの行動を始めた。

  父親のほうは、テレビの前で床に手を突きながら尾のある腰を下ろすと、鼻先をテレビを向けて画面をじっと見つめ始める。まだテレビを見るつもりらしい。

  その父親がさらに変わる。今度は姿だけではなく、体の形が根本から人間のものからかけ離れだした。

  「グ、グゥ、グゥゥアァ……」

  ゴキリゴキリとくぐもった音を立てる父親の首が、太くなりつつ長く伸びていく。胴体のほうも伸びていくが、こちらはやや細くなっていく。首周りと胴体周りが同じ丈に収まっていって、全身が一直線に伸びた寸胴体型となる。

  その体型を維持したまま首と胴体が、特に胴体が粘土を引き延ばすかのようにぐんぐん伸びていって、やがて人間の頃の十倍以上はある長大な体になった。

  その体形はまるで蛇のよう、いや、四肢があることを除くと、滑らかな鱗のある細長い体に蛇腹を持つその身体は蛇そのものといえる。

  鼻の先から二本のコードのようなヒゲが伸びて、室内なのに風でなびいているかのように宙でうねりだす。

  そこでようやく父親の体から響き続けていた異音が止んで、変身が止んだ。

  四肢を持つ黄金の鱗で覆われた蛇身に、白のたてがみと鹿のような角と長大な二本のヒゲを持つ。全体的に丸みを帯びているが荘厳な雰囲気も持つその姿は、東洋の龍そのものであった。

  母親は四つん這いの体勢でキッチンの方へ行くと、冷蔵庫を開けて中を漁りだす。卵もパック詰めの総菜も野菜も、種類を選ばずに喰いついては丸のまま呑み込んでいく。

  その母親の体もさらに変わりだすと、骨格が変形して人間の形を本格的に失いだした。

  「ギャゥゥ、フーッ、ギュゥゥーッ」

  腕が足と同じくらいに太く屈強なものになると、手の甲をやや伸ばしながら指が縮む、四足獣の前足の形になる。

  足は大腿部とふくらはぎの筋肉が一気に膨らむ一方で短くなっていき、代わるようにして足の甲が長く伸びてつま先立ちをする、四足獣の後ろ足の形になる。

  頭と同じくらいの太さになった首が、一部の鳥類のように長く伸びていって、首を動かすだけで冷蔵庫の中身を喰らえるようになる。

  背中の肩甲骨あたりが二つ盛り上がり、そこから細めの肉の塊が伸びていくと、短い親指に他は腕以上に長い指を持つもう一対の腕となる。その腕の親指にかぎ爪が生えて、他の指の間に薄い皮膜が張られて、家の中では広げきれそうなほどの雄大な翼が形作られる。

  そこで母親は冷蔵庫の中身を喰らい尽くして、同時に変化も止んだ。

  全身が頑丈そうな白銀の鱗で覆われていて、体形がたくましい四つ足の肉食猛獣のもので、鋭い角と爬虫類系の尻尾とコウモリのような形の立派な翼がある。

  全体的に鋭角的で荒々しそうな雰囲気のあるその姿は、西洋のドラゴンそのものであった。

  たっぷり食べたためか満足そうに口周りを舐め回している母親と、テレビに巻き付いてなんか番組に釘付けになっている父親の間で視線を往復させる少女は、今の二人の姿に見覚えがあることに気づいて、はっと息をつく。

  そう、父親が持ち込んできたあの彫像だ。父親は黄金の龍の像と、母親は白銀のドラゴンの象と瓜二つなのだ。

  これは偶然などではない、二人を化け物に変えたのは、あの彫像に違いない。もしかしたらアレを壊せば、二人は元に戻るかもしれない。この恐怖が終わるかもしれない。

  土壇場の閃きから一縷の望みを見出した少女は、震える足腰に活を入れて決断的に立ち上がると、彫像が置かれていたサイドテーブルのもとへとコソコソ駆ける。

  だがしかし、そこには何もなかった。

  つい先ほどまで部屋の隅に鎮座して強い存在感を放っていたはずの彫像が、この異常事態を解決できるかもしれない最後の希望が、煙のように忽然と消えてしまったのだ。

  そこで、ついに少女の正気を支えてきた心の堤防が決壊した。

  「ああっ、あああああーっ!」

  もうだめだ、どうしようもない。このままここに居たら、あの怪物たちに食べられるかもしれない。やつらがおとなしくしているうちに、速やかにここから逃げ出さなければ。

  なりふり構わなくなった少女は、調度品を押し倒し足で蹴飛ばして盛大な騒音を起こしながら駆けだし、全力で居間から飛び出す。

  靴を履かないまま玄関扉の鍵を乱暴に開けて、扉に体当りしながら開け放って外へと出た。

  [newpage]

  「なっ、あっ……え……どこ、ここ……」

  だがしかし、そこに見慣れた家の外の景色は無かった。

  暗い空には月どころか星の瞬き一つすらもなく、地面は見えない床になっていて闇ばかりが広がっており、辺りにはドライアイスのごとき濃霧が立ち込めていて十数歩先も見通せない。

  謎の場所としか表現しようのない奇妙な空間に出たのだ。

  冷や汗を流して焦りまくる少女は慌てて振り返るが、今出てきたばかりのはずの家が消えている。

  そこには代わりに、両親のなれの果てである黄金の龍と白銀のドラゴンが間近で佇んでおり、人外の瞳で少女をじっと見つめていた。

  少女は悲鳴をあげなかった。それどころか少し気が緩んだ。

  鋭い爪と牙を持つ巨獣の姿は確かに恐ろしい。その長い胴で巻き付いたり、鋭い爪のある前足で打ったりするだけで、小さな人間の少女はあっけなく潰れて命を落とすことなろう。

  しかしそれ以上に今のふたりの姿は美しく、あまりにも完成されていて、図らずも見入ってしまった。

  後光が見えそうなくらいに神々しい雰囲気をまとっており、凶暴さなどとは無縁そうに思える。

  なにより、ふたりの眼差しは優しげかつ理知的なものなので、相対していて危機感をまったく覚えないのだ。

  急激な思考の方向転換を強いられた少女は、当惑して立ち尽くさざるを得なかった。

  「この人間の幼子は? なぜ、このような場所にたったひとりで居るのだ?」

  「なにを言っているのです、この子は我らの仔ではありませんか」

  ふたりは鋭い牙ばかりが並ぶ大あごを動かすと、流暢な人間の言葉で仰々しく話し始めた。

  少し声が低く、頭の中に直接響き渡るような深みのある音になっているけれど、声質は両親のものとほぼ同じである。

  父親は首を頼りなさげに傾げながら母親の方を向いて、対する母親は肉食獣の鋭い流し目で応じる。

  「ううむ? 我らの子は人間だっただろうか?」

  「ちゃんと魂を見なさい。一目で分かるでしょうに。そのようなことを言っていると、ひどい父親だと言ってこの子が泣きますよ」

  「ん? お、おー、そういえばそうであった。ああ、この子は我らの子よ。ヌハハ、うかつであったわ」

  「まったくもう、あなた様ときたら」

  怪物の父親は深いことを考えていない感じで陽気に笑うと、怪物の母親は呆れた風ながらも半笑いでため息をつく。

  姿形が全く違うのに、間抜けな夫にツッコミ役の妻という二人の配役は変わっていないようで、少女はなんとも言えない奇妙な気分になった。

  「しかしこの子はなぜ人間のおなごに化身しているのだろうか? そのような必要がある務めを、この子はまだ持っていなかったはずだが」

  「だから、よく魂を見なさいってば。大樹のごときであったこの子の神気が尽き果ててしまっているではありませんか。本来の姿を保てないのですよ」

  「おお、これはいかんな。ならば、我らの力をこの子に分け与えねば」

  少女を置いてきぼりにして会話をするふたりは、少女に向けて同時に前足を掲げる。

  そのとたんに少女の体が、色の無い炎のようなオーラで包まれて激しく輝き出した。

  「あ、あっ、あふっ」

  少女は体の内外から猛烈な熱量を感じると目をぎゅっと閉じて、あえぐようなうめき声をあげる。

  しかし少女は、そんな熱にさらされているにも関わらず痛みや苦しみを全く感じていない。ただ、得も言われぬ快感と解放感ばかりがあって、恍惚とした気持ちでいるのだ。

  全身を蹂躙する灼熱の奔流を愉しむ少女は、これをもっと受け入れたいと心から願いながら、自ずとくずおれて地に手をつく。

  その手の爪が異常な速度で変形してかぎ爪となり、手の全体が純白の鱗で覆われる。両親とは違って指は五本のままである。

  鱗が目覚ましい速度で広がっていくと、あれよという間に顔面の皮膚まで鱗に入れ替わった。

  少女の髪がざわざわと逆立って、水中で揺れるようにしてなびきだすと、見る間に色素が抜けていく。

  父親のように色は抜けきらず、純白の鱗に映える黄金のたてがみとなって輝きを放ちだす。

  たてがみの間から耳が伸び出てくると、先を尖らせながら大きくなってゆく。

  「うぁ、グゥあ、グガ、グガガッ」

  多くの空気を求めるようにして開けっ放しだった口は、その頬がメリッと寒気のする音とともに一気にあごの付け根まで裂ける。

  あご全体が前へ前へと長く突き出て肉食恐竜系の口吻を形作っていきつつ、すべての歯の形が円錐状の鋭い牙へと変形してゆく。

  歯の変化が終わると同時に、がちりと硬質な音を立てて凶悪な牙を噛み合わせる。

  あごの形に合わせて平たくなっていく頭頂部から、父親のもののように枝分かれしているが、母親のもののように鋭い角が二対生えた。

  「グッ、グオッ、グウオオオッ」

  純然たる猛獣の唸り声をあげだした少女の体が、たくましい筋肉をつけながらムクムクと膨らみだす。

  服が一斉に張り裂けると、あっという間にボロ切れになって地面に落ちて生まれたままの姿になる。

  そうしてさらけ出されるのが、どこもかしこも鱗で覆われていて胴体には蛇の腹板が連なっているという、爬虫類の肉体である。

  蛇腹の終端である臀部からは足よりも太い尻尾が生え伸びていって、その終端に黄金の毛の房ができあがる。

  長く伸びた尻尾に対抗するかのようにして首と胴体も引き伸ばされていって、蛇のように細長い体形へと変化する。

  目を閉じっぱなしの顔を天に突き上げると、その鼻先から一対の触手じみた龍のヒゲが生えていく。

  それは重力に引かれて垂れさがることはなく、黄金のたてがみと同じように宙をうねりだす。

  前足がある辺りの背から、天を覆い尽くさんばかりに巨大な皮膜の翼が強烈な突風を起こしながら開く。

  これで少女は人間の形を完全に失ったが、それで終わりではない。最後に残されていた人間の部分、心までもが変化を始める。

  天界に住まう龍神と神格を持つドラゴンの間に生まれて、二柱の後を継ぐために修行を重ねてきた歴史が、人間の心の上から刻み込まれていく。

  これまでの人生はかりそめのもの、一時だけ地上で過ごすためのまやかしであり、これからは本来の自分に戻って過ごしていくのだと信じるようになる。

  両親から注がれた力によって引き出されるように、内なる力が間欠泉のごとく湧いてきて、体の内に収まりきらなくなったそれを今、解き放つ。

  「グルルルゥ……グォアオオーーッ!」

  少女は縦割れとなった獣の双眸を大きく見開くと、牙が生え揃う口を全開にして高々と咆哮した。その雷鳴のような吼え声は暗い天を震撼させると、嵐のような乱気流を巻き起こし、無数の稲光が空を裂いた。

  四肢をもつ純白の蛇身という姿は、父親のような東洋龍系のものである。しかし、ドラゴンのように気性が荒そうな顔つきや攻撃的な鋭い角といった細部のほか、皮膜の翼を持っているというところに母方の特徴が現れていた。

  龍とドラゴンの間にもうけられた子らしい姿と言えよう。

  「うむ、我らの子だ。いつ見ても惚れ惚れする姿だな!」

  「ふう、無事に元の姿に戻ることができたようですね。体はだいじょうぶですか?」

  両親は自身よりも少しだけ大きな体になった少女に声をかけながら鼻先を寄せる。それを見た少女は突き上げていた頭を下げると、鱗だらけの顔を人間のように動かして、ほがらかに牙を見せて笑った。

  そして長い首を伸ばして、順に鼻先を擦りつけあう。その目を細めながらの仕草は実に愛おしそうである。

  「はいっ、問題ありません! おかげで元の姿に戻ることができました。ありがとうございます、父様に母様!」

  人が目の当たりにすれば即座に平伏するであろう威厳ある巨龍となった少女だが、その外見に反して子どもらしく快活に礼を述べた。

  怪物となっても両親が夫婦のままだったように、少女も夫婦の子どものままである。身も心も人ではなくなっても、家族の関係だけは変わらずにいた。

  「さて、この子も無事に戻ったわけだし、そろそろ帰るとしようか。休息のためとは言え、いささか長く下界に留まりすぎたわ」

  話題を変えるように父親が声をあげると、暗い空が二つに裂ける。その割れ目からまばゆい光が差し込んできて、謎の空間を明るく照らし出した。

  家族は長い首をもたげて、その光の果てにあるものを穏やかな竜眼で見つめだす。

  「そうですね。衆生が我らに救いを求める声が聞こえます、早く天に戻って竜神としての務めを果たさなければ」

  「これからは私もいっしょに働けますよ! こんな立派に成長しましたから」

  「うむ。我らを超える素質を持つおまえは、我らの跡継ぎとして世を治めることになるのだ。期待しているぞ」

  父親は神通力で、母親は背の翼で、少女はその両方を使って空へと舞い上がる。

  光に満ちる天へと一直線に昇っていくと、一家は地上から姿を消した。

  それから、田舎町の一家族が失踪したことが報じられるが、すぐに忘れ去られた。

  急に天が鎮まり人心に調和がもたらされる、太平の世が訪れるという奇跡的大事の前では些末なことでしかなかったから。

  終わり