僕は机を照らす証明を点けて、自分のコンピュータに向かっていた。といっても、たいしたことをしているわけではない。山積みになっているやるべきことのうちの、今日中に終わらせるべきだった一端を片付けて自由な余暇時間を楽しんでいるだけだ。動画投稿サイトでどうということもない動画を見たり、匿名型のSNSにどうでもいいことを日記代わりに書きつけたり。僕の生きていられる時間が有限であることからすると、気の遠くなるぐらい無意味な時間だった。
僕は手元に置いておいた、冷えた缶酎ハイをもう一口飲む。あまり強いものではなかったが、思考は既にぼんやりと沈み始めていた。まあ、こういうことをしないと人間はそのうち潰れてしまうだろうから、仕方のないことだ……と、僕は机の隅で埃をかぶっている、中途半端に空けられた睡眠導入剤のシートを眺めながら思った。ここしばらくは大丈夫だが、僕は気が張ると眠れなくなる性分で、ときたまそういう薬の世話になることがあった。
「……ん」
そうやって好き勝手に過ごす時間のなかで、僕はSNSの画面の端にある見慣れない……いや、ここ最近見慣れるようになった通知に目を遣った。新しいダイレクトメッセージの着信通知。大体数か月前くらいから、ときどきメッセージをやり取りするようになった相手からのダイレクトメッセージだろう。ちょっと趣味の方向性が合う相手で、コンテンツの最新情報とかについて砕けた話し合いをすることもあるくらいの仲だった。インターネット上でここまで距離が近い付き合いをするのは、僕の人生では初めてのことだった。
さて。その相手から送られてきたメッセージの内容は、果たして何とも衝撃的なものだった。
〈……楽しみですよね。いやあ、ちょっと私の家に来て一緒にお酒でも飲みながら話してみませんか? 今度の土日くらいとか……〉
「……む……」
インターネットで知り合った人間と会う、というのは僕にとって経験のないことだった。僕は退屈だった。特に忙しい時期はいったん過ぎて、やるべきことを淡々とこなす日々だ。休日に人と会う予定もしばらくなかったし、僕は少しばかり刺激が欲しかった。キーボードの上に手を滑らせて、返信のメッセージを送る。
〈いいですねー〉
……それから僕が缶酎ハイを少しずつ飲みながらのんびりパソコンを弄っているうちに、返信はあっという間に返ってきた。それから日時をもう少し厳密に決めたり、家の場所を教えてもらったりして、やり取りは終わった。僕は缶の中に残っていた少ない酒を呷って、ふう、と一息つく。だらだらと端末を弄っているうちに、時間はあっという間に過ぎていた。
ちょっとした酔いで若干くらくらする身体を椅子から立ち上げ、僕は寝ることにした。シャワーは酒を開ける前に浴びていたから、あとは横になるだけだった。電気を消して、すぐそこに据えておいた寝床に横になる。 ……そうして、僕の意識はあっという間にどこかへと飛んでいった。
「……ふう」
一息。降りた駅はいつも電車で通り過ぎている、降りたことは無いが見慣れた駅だった。街並みも、僕が暮らしている場所とそこまで変わらない。すこし歩いて、指定された家にたどり着く。新しくも古くもない、安めな印象を感じさせるアパートだった。入り口に、特にゲートのようなものは無い。そこの二階に上がって、インターホンを押して……
「相変わらず、几帳面ですね。時間通り」
「えっ」
開かれたドアから聞こえた声、見えた身体は女性のものだった。僕は面食らった。なんというか、すっかりやり取りから自分と同性だと思い込んでいたからだ。そういえば、インターネットで相手の性別を尋ねたことは一度もなかった。驚きに硬直している一瞬の間、僕は自分の偏見と無鉄砲さを反省した。
「……すいません。驚かせちゃいましたね。私が女だってこと、話しておけば良かったかも」
「いやいや、僕が勝手に考えてたことですから……」
「とにかく上がってくださいよー」
「は、はい」
彼女は僕よりすこしばかり年上に見えた。長い髪が特徴的で、そして……こう表現するのはすこし気が憚られるが、体つきがかなり良かった。アニメのキャラクターみたいだ、という表現は的を射ないだろう……直接的に言うなら、それらよりも色々大きかったから。興奮するかと言うと、そうでもない。なんだかいきなり見せつけられてまるで現実味がなかったし、僕が特別そういう趣味でもなかったし。
え、ええと、とにかく。そうして僕は彼女に連れられて、彼女が暮らしている場所に上がり込んだ。僕が暮らしている部屋よりかは、結構広さを感じた。女性の個人的なスペースに足を踏み入れるというのは人生で初めてのことだったが、こんなものなんだろうか、という感じだった。普通にテーブルが置いてあって、普通にその他の家具が置いてあって、普通になんだかいい感じのアロマが焚かれていた。気になるのは、すこしソファが一人で使うには大きいことくらいだった。僕は彼女に導かれるがままに、テーブルの傍に置かれた大きなソファに腰かける。良い座り心地だった。
「まあ、今日はゆっくり話しましょうよー。とりあえず先にこれでも飲んでてください、私、シャワー浴びてきますから」
冷蔵庫をぱたん、と閉じてこちらに振り向いた彼女が、はい、とテーブルの上、僕の前に封の開いた缶酎ハイを置く。炭酸がはじける音と、嗅ぎなれたフルーツの匂いが僕の鼻を突く。そうすると、あっという間に彼女は歩いて行ってしまった。
「はあ」
せっかく酒を出してもらったのだから、とにかく、僕は出された酒を飲んで一息つくことにした。他人の家を訪ねるのも、こういうふうに女性と会うのも初めてだったから、僕は露骨に緊張していた。缶に口をつけて、中の酒を飲む。飲みなれた味とアルコールの風味が口の中に広がる。缶の絵柄から分かっていたけれど、いつも飲んでいるよりちょっと強いお酒みたいだ。ああ、たまには、こういうのもいいものだ。彼女と知り合うきっかけがインターネットだったとはいえ……ちょっとしたお酒を飲みながら誰かとゆっくりするのはいつだっていいものだ。そうして僕は、ひとくち、ふたくちと酒を呑み込んで……
「……?」
変な感覚がした。 ……思考が鈍麻する感覚。酒に酔うとこうやって、眠くなるのはいつものことだった。でも……
程度が違う。どちらかというと意識が墜落していくような、慣れた感覚。睡眠導入剤……でも、ここまで効き目がきついなんてことは無かった。じゃあ、睡眠薬か。あるいは、用量過多かもしれない。そうすると。
「……そん……な」
彼女に薬を盛られたんだ。そこまで考えが至った時には、とっくに僕の身体は動かなくなっていて。意識だけが生きている、金縛りのようなあの感覚が全身を包む。思考がさらに鈍って、意識が落ちていく。
「……く……そ……」
不用心だった、という後悔はとっくに無意味なものになっていた。最後の力を振り絞って、僕はソファに身体を倒れこませ、上を向く。視界には逆さまになった彼女の裸体が映っていた。音もなく僕の背後まで近づいてきていたのだ。彼女は何のために薬を仕込んだんだろうか。僕はこれから、彼女に、何を……
「ふふふ……いい年して、警戒心が無いんですね」
「…………」
口が動かせない。彼女が、裸足で歩いて近づいてくる。そうして、僕の肩に手が置かれる……その感覚は、まるで人のもののようではなかった。冷たく、重く、大きい。目を動かして彼女の腕を見てみると、その肌は黒々と光るごつごつとした鱗に、今まさに侵蝕されつつあった。人外の腕……いまやそれが僕をソファに押さえつけて、拘束している。
「ぐるっ……あはっ。はぁ、あなたみたいに無防備で、おいしそうな人間を見てると、ふ、ふふ、私、抑えきれなくなってきて、はぁ」
彼女の喉の奥から、低いうなり声が漏れる。僕を見つめる瞳も、既に人間離れしていた。部屋を照らす僅かな灯りを反射して、ぎらりと光る爬虫類の瞳。
不意に、何かがきしむような音が聞こえて、彼女の身体が歪み始める。僕を見下ろす彼女の顔はどんどん高い位置に移動していった。彼女の脚が、胴体が成長して巨大化しているんだろう。
「がるっ、はあっ……ぐああっ……」
興奮したような、まったくもって非人間的な獣の声が響く。それに呼応するように、彼女の胴体が長く、逞しく成長していく。下半身……おそらく足の方から、みるみる腕に生えていたのと同じような鱗が成長して、鎧のように巨体を覆っていった。鱗の成長は下半身だけから始まったものではなかった。彼女の頬からも鱗が生え始めて……
「……ふふっ、ぐるる……」
「っ……!」
腕での拘束が強まり、僕の身体は軽々と持ち上げられる。人間離れした膂力だった。持ち上げられて支えを失いつつある僕の下半身を、何かが締め上げて持ち上げる。尾……だろうか。
「がるるっ……ああ、人間さん、とっても矮小で、かわいいですねぇ。そんなにぐったりして、小さな抵抗のひとつもできないだなんてぇ……ぐるる、ぐる、はぁ、そそりますよ、すごくそそります……じゅるっ」
もう自分の欲求を抑えきれなくなったのか、彼女の口が開かれ、そこから粘っこい唾に塗れた長い舌が垂れ下がる。まるでそれを起点としたかのように、彼女の顔が、頭がみしみしと音を立てながら変貌し始める。口が裂け、鼻先が獣のように伸びて口吻を形成する。頬から、鼻先からみるみる鱗が成長して、強大な肉食獣のようとも、爬虫類のようとも表現できる彼女の頭部を覆っていく。
竜。あるいは、ドラゴン。いつの間にか長く伸びていた首と合わせて、彼女はそうとしか表現できないような形態に姿を変えていた。肉食獣に似た強大で逞しい肉体。それを覆う分厚いごつごつとした鱗、僕の身体に食い込む鉤爪……僕の目の前で大きく開かれた口の中に並ぶ、数えきれないほどの鋭い牙。人間に化けていた時に生えていた長い髪は、今やたてがみのように頭と首を彩っている。
「あああぁぁ……もうがまんできない……ぐるるっ、いただきまぁす!」
そうして、彼女のその声を聴いた後……何をされたのかもわからないまま、僕の視界は一瞬にして闇に閉ざされた。
[newpage]
「ぐえええっぷ……ふうぅ」
私は一仕事終えて、お気に入りのソファでゆったりと竜の身体を休めながら舌なめずりしました。ぎゅるるる、と音を立てながらうごめく膨れ上がった私のお腹の中には、さっき丸呑みにしてあげたばかりの人間が収まっています。
「うぷっ……睡眠薬をたっぷり飲ませてあげましたから、今頃ぐっすり眠ってるでしょうけど……ふふ、獣の腹の中は、さぞかし寝心地が悪いでしょうねえ」
ぽんぽん、と私が軽くお腹を叩いても、中に納まった人間は反応を返しません。飲ませた薬からして数時間は動けないでしょうし、薬が切れる頃にはすっかり私のお腹の中で溶かされてしまっているでしょうね。もうすでに窒息しちゃってるかもしれませんけど、私は別に生きたまま丸呑みすることにこだわりがあるわけではありません。食い散らかすと、お掃除が大変だから丸呑みにしているだけですから。
「ふふふ……」
私がお腹を撫でながら満腹感と捕食の快感に浸っていると、ごぎゅるる、と膨れ上がった腹から音が響きます。がんばって消化液を出して、中身を溶かすために働いているんでしょう。強力な酸でなんでも溶かしてしまう竜の胃袋は、とっても便利です。こうやって人間を抵抗できなくしてから丸呑みにしてあげるだけで、何もかもどろどろに溶かしてしまえますから。衣服だろうと、骨だろうと、金属だろうとお構いなく。
だから、私の食事のあとには竜の内臓で栄養を搾り取られた、その中になんの痕跡も残されていない“残りかす”以外何も残りません。人間たちはたまに私に食べられた人間のことを探しに来たりもしますが……出した残りかすを適当に処分して、それから顔も姿形もまったく違う人間に擬態して、人の中に紛れてしまえば……私を追うことなんてできないでしょう。そもそも、今私が餌場にしているこの部屋も、もとは私が食って成り代わった人間のものですしね。
「それにしても……インターネット? って便利ですねえ。これさえあればいつでもどこでも人間の心に漬け込んで誘惑できますから。人間のことも知りたい放題……スマホとかを弄ったりするだけでどこでも人間を食べられますし、ほんとに良い時代ですねえ……わざわざ復活してほんとに良かったです……んふふ」
私は古い古い時代に産まれてから、ずっと人間を食うことが大好きな竜でした。周りからは邪竜と呼ばれていましたけど、力ある竜がその力を使って欲を満たすことの何が邪悪なのか、私にはわかりません。とにかく、私は他の竜と人間たちに退治されて、封印されていましたが……最近その封印が緩んで、こうして自由に活動できるようになったんですよね。私のことを邪魔する他の竜もいませんし、とっても自由で、幸せな生活です。
「げぷっ……ふあぁ。やっぱりお腹いっぱいになると眠くなりますねぇ。今日はもう遅いですし、休みますかぁ……」
私はソファに大きな体を沈めて、目を閉じます。腹を満たして眠れるのは、とっても心地よい気分でした。ひと眠りして目が覚めるくらいには、すっかり消化も終わって栄養が体に巡っている頃でしょうね……などと考えている間に、私の意識は心地よさの中でゆっくりとぼやけて行きました。
「んぷっ……ごええええぇぇっぷ! ふわぁ……」
寝ている間にお腹の中に溜まっていたガスを吐き出す音が、派手に私の部屋の中に響き渡りました。万が一にも覗かれたりしないように、部屋の窓はカーテンで閉め切られていましたが……その隙間から明るい光が暗い部屋に差し込んでいます。朝がやってきたんですね。
「ふふ……こんなに縮んじゃって。すっかり消化されちゃいましたねぇ?」
私は目を自分の巨大な竜の身体に向けます。竜の身体と言っても、本来の私の山のような巨躯と比べれば小さい、竜と人間の中間のような体つき。人間の女性のような乳房を備えた、ふくよかな体です。昨晩まではその身体の腹を大きく膨れ上がらせていた内容物は、もう脂肪が作り出す膨らみと区別がつかないほどに縮んでいました。水分も栄養も何もかも搾りつくされて、とっくに残りかすになってしまったんでしょう。
「それにしても……結構あの人間さんは養分が乗ってたみたいですねぇ。胸がこんなに成長して……んふふっ……」
私が身体を揺らすたびに、胸についた一対の大きな乳房がばるん、ばるんと音がなりそうなほどに揺れます。人間を食って吸収した養分が回ったのか、一回りも二回りも大きくなっていました。成長したのは体の他の部分も同じでした。腹に、腰に、脚に、昨晩よりも多くの肉がまとわりついています。余分な養分で作り上げられた脂肪。今まで食ってきた人間たちのなれの果て……それを纏うことは、私にとってこれ以上なく至福なことでした。獲物を食って成長した、豊満な肉体それ自体が、今まで私がたくさんの人間を仕留めて食ってきた証ということですからね……
「ふぅ……さあて、今日はどうしましょうかねぇ。とりあえず残りかすはちょっとずつ出して流すとしてー……」
ごきり、ごきりと、私が竜に変身した時のような音が身体から響き……私の巨体は、急速に縮んでいきます。鱗が肌に溶けるように消え、骨格が細く、小さくなっていき……
「うぷっ! はぁ、竜の身体だとちょっとお腹の中に残ってるぐらいの感覚でも、この身体だと限界ギリギリですねぇ……」
私は人間の女性の姿への変身を終えました。お腹はまだ中に溜まっている残りかすで丸く膨れていて、正直苦しいくらいです。やっぱり、人間の身体は窮屈で不便ですね。でも……
「まあ、今日も頑張りますかね、“お仕事”」
スマホやコンピュータのような、人間向けに作られた道具を弄るためには必要不可欠な姿です。予期しない来客が来ても、この姿なら焦ることもありませんからね。とにかく、私は椅子に座って、片手間でスマホを弄りながら自分のコンピュータに向かい始めました。
次の獲物を誘い出すために。そして、その次の獲物を見つけるために……