【skeb】狩人たちの狂宴 刃竜、堕ちる刻……

  揺らめく刃が空を裂く。振り下ろす切っ先、その尖端にまで余すところなく込められた闘気が、音をも断つ圧巻の斬撃を成す。窓辺に差す陽光も、その狭間に差す影さえも、跡形もなく両断するかのような剣の乱舞。その圧力に、真空が震える。

  静まり返った道場に立つ白竜の前には誰もいない。しかし、彼の黄色い眼には確かに見えている。斬り伏せるべき邪悪と、そのための剣となる己の姿が。故に、踏みしめる足にも、双刀を構える両腕にも迷いはない。厳かに擦る爪先と、それにつれて振れ回る太い尻尾がすらりと円を描き、横薙ぎに掃う一閃が取り囲む仮想の悪漢どもを霧散せしめる。

  軽やかに跳んでは柄を振り、地に足着けては鍔を鳴らす。荘厳なれども麗しいその一挙手一投足は、まさに舞と呼ぶにふさわしい。身のこなしは蝸牛のようにゆるやかに、しかして放つ一閃は隼のように俊敏に。変幻自在の揺蕩いと、剣閃の度に鳴り渡る嵐の如き風鳴りが、寂滅の静寂に満たされた空間を戦いの色に染めてゆく。

  百年以上にわたり、一日たりとて欠かしたことのない剣舞の鍛錬。その太刀筋に曇りなく、その切れ味に鈍りなく。いかなる時も、弱きを助け強きを挫く義の刃たらんとする意志を練り上げる儀式。赤い六尺褌一つを引き締めた鱗肌の裸体をその供物として捧げるように、白竜は道場の中央でぴたりと動きを止め、静かに納刀する。見開いた鋭敏な眼をそっと閉じ、虚空へ向けて一礼すると、一人きりの道場に再び安らかな静けさが戻った。

  その背に畳むは一対の羽。向う傷のみが刻まれた肉体を、隆起した筋肉と、その膨らみを鎧のように覆う純白の鱗が飾る。連山のようにそびえる大胸筋と、薄皮の下でいくつにも割れた腹筋に、うっすら滴る汗。窓の明かりに映えて照り輝くその雫に紛れて一際強い光を放つ、胸元の黄色い結晶体――エナジーコアが、彼が何者であるかを無言のうちに物語っている。

  天導 武蔵。彼こそ、日本最強のヒーローと謳われる『刃竜』その人である。

  ※

  都内某所、ヒーロー協会本部。

  最高戦力と名高い刃竜の鍛錬と後進指導のためだけに用意された小さな道場の片隅で、武蔵は掌にすっぽりと収まる情報端末の画面を凝視していた。表示されている画面は、一見すると世間一般に広く普及しているメッセージアプリのようだが、その実態は協会専用の秘匿回線を通じたヒーローおよび関係者向けの情報伝達ツールである。

  <今晩は豪勢にすき焼きです 武蔵さんの好きな大吟醸も用意して待ってますね>

  気さくな絵文字を交えて綴られた文字列を指でなぞると、武蔵の口許に自然と笑みが浮かぶ。想起されるのは、太陽よりも眩しく、月よりも優しい青年の笑顔。その輝きを胸に懐くだけで、年甲斐もなく鼓動が早鐘を打つ。

  天導 優醒。武蔵――刃竜と魂の絆で結ばれ、その力を何倍にも増強する『共鳴者』としての運命を背負う青年。異能者の保護を兼ねて協会の一員として迎え入れられた彼は、今や武蔵の専属スタッフとして、スケジュール管理や身辺の世話に辣腕を振るっている。大手企業の秘書も舌を巻くような激務をこなしておきながら、決してそれを誇らない飾り気のない人柄が、武蔵には好ましく思えてならない。

  <承知した 楽しみにしている>

  たったそれだけの返事を打つのに十分近くを費やして、武蔵は畳張りの上に胡坐を掻いた。多機能・複雑化を極める電子機器を厭い、長らく旧式の通信機だけを携えてきた武蔵に、いわゆるスマートフォン型情報端末の使い方を教えてくれたのも優醒だった。竜人の太い指にはそぐわないフリック入力の繊細さにめげず、簡素なメッセージを打ち込むことができるまでにスマホ捌きが上達したのは、根気強く武蔵に付き添い指導を続けた優醒の尽力によるものが大きい。だからこそ、武蔵は優醒のメッセージを決して見逃さず、どれほど時間がかかろうと必ず返事をする。手業の温もりが宿らない電子の文字にも、それを綴った者の想いは籠るのだと、そう信じて。

  おもむろにアプリを閉じて、武蔵は待受画面に設定した優醒の写真を眺めた。人好きのする温厚な面持ちに、意外なほど熱い光を宿した眼差し。ピッチに捧げた青春の日々に磨かれた精悍な体つきは、被服の上からでもうっすらと筋骨の輪郭を浮かばせ、白竜の拍動をにわかに昂らせる。

  叶うことなら、今すぐにでも彼の肩に触れたい。いずれはその唇も、その身体のより深いところまでも、滾る想いで満たしてやりたい。半生の全てを戦いに捧げた英雄の中の英雄には似つかわしくない、ごく私的な熱情が、武蔵の胸を焦がす。

  ヒーローと共鳴者が公私ともにパートナーとして結ばれる例は枚挙に暇がないが、実のところ、武蔵と優醒はまだ番として将来を誓うまでには至っていなかった。理由は解っている。竜人の番となり、その証たる首元の魂鱗をその身に受けた者は、竜と同じく悠久の時を生き永らえる長命者となる。優醒がその運命を受け入れるには、どうしても時間が必要なのだ。いつか彼の口からその決心を聞くその時まで、武蔵は惜しみない愛を注ぎながら待つことを決めている。今日は、そんな二人のかけがえのない道程の一つとなる日――出会って一年の節目を祝う、大切な記念日であった。

  どれほど刈り取っても、世に悪の種は尽きまじ。されど、今日ばかりはどうか何事もなく過ぎてほしいと、白竜が心中にささやかな願いを祈ったその時。

  希望を打ち砕く一報が、けたたましいアラームと共に携帯端末を震わせた。

  「司令部より緊急。天導 優醒からの定時連絡が途絶えた」

  突如として響く信じがたい凶報に、武蔵は思わず耳を疑った。S級ヒーローたる武蔵の共鳴者である優醒は、協会の中でも幹部クラスの要人として扱われ、買い出し一つにも多数のSPが配置されるほど厳密な態勢で警護されているはず。並大抵のヴィランなら裸足で逃げ出す協会の防備を掻い潜るほどの手練れが、よりにもよって武蔵の共鳴者たる優醒を狙った。これはヒーロー協会――いや、天導 武蔵への重大な挑戦と見て間違いない。縦長の瞳孔が剥き身の刃のように細まり、鋭い眼差しが空を切る。

  「すでに諜報部が調査を開始している。刃竜は別命あるまで臨戦態勢で待機せよ」

  「――了解。本部にて待機仕る」

  募る悔恨に歯噛みする武蔵をよそに、通信はぶつりと途切れた。力なく垂れる右手から零れ落ちた端末が、床に転げて鈍い音を立てる。

  「……優醒……」

  組織人として、秩序を守る者として、与えられた命令には逆らえない身である。しかし、今すぐにでも飛び出してゆきたいと叫ぶ声なき声が、白竜の喉の奥でごうごうと暴風のように渦巻いている。縮んだ眉間により一層の皺を寄せて、武蔵は唸るように想い人の名を呼んだ。開くことを許されない背の羽から、すすり泣くような擦過音が響く。

  直後、その嘆きを茶化すように、床に落ちた携帯端末が再び振動した。

  「天導 武蔵さん――いや、刃竜さんとお呼びした方がよろしいでしょうか」

  協会関係者専用の端末に、決して表示されるはずのない『非通知設定』。その向こう側から響いてきたのは、鼓膜にへばりつくような厭らしい声。耳障りな高音と地を這うような低音を音節ごとに切り替えたような不気味な響きが、武蔵の憤懣を煽り立てる。

  「……貴様、何者だ」

  「そんなこと、悠長に訊ねている場合でしょうか」

  ありったけの殺意を籠めた呼びかけにも、慇懃無礼な闖入者は動じない。ひどく楽しげな、それでいてどこか物憂げな雰囲気を漂わせながら、淡々と告げる。

  「天導 優醒さんの身柄は、私共が預からせていただいております」

  ――瞬間、武蔵の背を電流が走る。

  大きく見開いた眼に血流が迸り、端末を握る腕に著しい震えがまとわりつく。

  「証拠のお写真と、パーティー会場の座標をお送りしておきましたので、今すぐにお越しください。優醒さんの身体が冷たくならないうちに、誰にも知らせず、おひとりで」

  素早く耳から端末を離し、送信されてきたデータを確認する。これ見よがしな高解像度で写し出されるのは、透明なカプセル状の檻に囚われた優醒の姿。端正な顔を憤怒と屈辱に歪ませ、歯を剥き出しにしてカメラを睨む瞳に射竦められて、思わず端末を取り落としてしまいそうになる。

  その間にも、まるで窓口仕事のように流暢な通告が並べ立てられる。一見流麗に整えられた文言の奥に潜む底なしの悪意を見抜けない武蔵ではない。迂遠な表現をあえて用い、決まりきったただ一つの解釈へ意地悪く追い立てる口調。その裏でひっそりとほくそ笑む腐り切った根性が、どうしようもなく癪に障る。

  「貴方の行動はしっかりと見ていますのでね。くれぐれも妙な気を起こさないように」

  極めつけに、この一言である。繋がるはずのない外部からの通信、常に録音されているはずの音声通話を用いての大胆不敵な犯行声明、そしてこの脅迫――今この手に握る端末が、すでに何らかの電子的汚染を受け、敵の支配下にあることは火を見るよりも明らか。仮に司令部への緊急通報ボタンなど押そうものなら、その時点で敵の不興を買い、優醒の命はあっさりと吹き消されることだろう。

  ならば、残された選択肢は一つしかない。

  「それでは。また後ほど、会場でお会いしましょう」

  通信の向こう側の相手がそう言い終わらないうちに、武蔵は宙に放り捨てた端末を一刀のもとに斬り伏せた。そのままの勢いで、壁に掛けたもう一振りの刀を空いた片手に握り締めると、前方へ向けて両腕を組み、双刃を斜め交差に構える。

  「――変異、抜刀ッ!!」

  瞬間、武蔵の身体を光が包む。胸部で鮮やかに瞬く結晶体から発せられた黄色い閃光が腕脚に渦を巻き、甲冑の大袖を思わせる形状の装甲を形成してゆく。金色の紐飾りを下げた前垂れに、梅花を幾重にも散らした紫紺の柄がしめやかに浮かび上がり、戦人を艶やかに飾り立てる。胸下から腹部、膝下を露わに晒し、手甲と脚甲以外にはさしたる防具もない軽装。疾風が如く戦線を吹き抜け、一刻も早く諸悪の根源を断ち切るためだけに研ぎ澄まされた、艶やかなる剥き身の刃。面頬の奥に輝く尖鋭な眼差しが、義憤に燃え猛る。

  獣人だけが持つ生命の力、ライフエナジーによって形成された勇壮なる武者装束。それは、『変異者』たる武蔵が心象に望む理想の姿。民草を虐げる邪悪あらば天を駆け、瞬く間に斬り裁く信義の剣。それが、武蔵のもう一つの姿――刃竜である。

  「ふんッ!」

  裂帛の叫びを道場に残して、刃竜は窓を突き破り大空へと羽ばたいた。戦闘機さえも及ばない音速のスピードで白雲を貫き、送り付けられた座標の位置へと真っ直ぐに軌道を描く。行く手に待ち構えるものが、たとえいかなる罠でも構いはしない。この身に代えても全てを滅ぼし、この手に最愛の人を取り戻すだけ。

  たとえ英雄失格の烙印を押されても、優醒だけは必ず助け出す。

  武蔵を突き動かすものは、ただその決意のみであった。

  ※

  寂れた港の倉庫街に、純白の翼が舞い降りる。内側に紅の被膜を飾った両翼を背に畳んで、刃竜は被った角笠越しに周囲を見渡した。目を見張っても耳を澄ませても気配はなく、積まれたコンテナに浮かぶ赤錆が海風に哭くばかり。なるほど悪巧みには申し分ない拠点だと得心して、刃竜は指定の座標へと駆ける。

  息一つ切らさぬまま、跳ねるように地を蹴って向かったある廃倉庫。目に飛び込んでくるのは、倉庫の中央を支える太い柱の脇にぽつりと佇む円柱型のカプセルと、その側面にもたれた気怠げな[[rb:鬣犬 > ハイエナ]]人の姿。

  「思った通り、馬鹿正直に真正面から来ましたね」

  慇懃無礼な口調で語り掛けてくる声色は、あの不審な通信の向こう側にいた者のそれと寸分違わず合致していた。黒々とした眼差しをこちらに向け、不規則に首を傾げる猫背気味の痩せぎす。体に張り付くタイツのような衣服の上に、虹色のポケットを無数に縫い付けた長衣を羽織った異様な風采が、刃竜の憤りを沸々と煮え滾らせる。

  「……改めて問う。貴様、何者だ」

  「あ、すみません。そういえば名乗ってませんでしたね」

  申し訳程度の会釈を返してから、男はやけに歯切れよく丁寧に名乗りを上げた。

  「はじめまして。私、『[[rb:狩人 > ヴェナトール]]』の[[rb:繁殖者 > クルトゥーラ]]と申します。以後お見知りおきを」

  耳慣れない単語が二つも飛び出す、奇怪な名乗り文句。上目遣いでこちらの様子を伺う声の主に嫌悪を浮かべながら、刃竜は繁殖者と名乗った鬣犬の横に設置されたカプセルを凝視した。何事かを叫ぶその声も、ありったけの力でシールドを内側から叩くその音も、一切聞こえはしない。ただ、眉を顰めるその面立ちに宿る無念と悲哀だけがひしひしと伝わってくる。刃竜の腰に提げられた双刀の鍔が、ひとりでに音を立てる。

  「――優醒を返せ。返答如何によってはその首、胴と泣き別れることになるぞ」

  「随分と強気ですね。大事な共鳴者さんの生殺与奪は私の気分次第だというのに」

  天に向けた掌をひらひらと振りながら、繁殖者はカプセルの中でなおも足掻く優醒に視線を向けた。足先から頭頂まで、品定めするように眼差しを這わせると、立てた親指でその内奥をぞんざいに指し示す。

  「このカプセルには致死性のガスを仕込んであります。私の脳に埋め込まれたチップから発せられる固有のパルスを受信した時点で、カプセルは彼の棺になります」

  さらりと言い放つその調子は、人命を左右する重大な事実を述べているとは思えないほどに落ち着き払っていた。勝利につながる重大な鍵をその手に握っているにもかかわらず、誇るでもなく、嘲るでもなく、ただただ淡々と事実だけを述べる。その仕草だけで、彼の異常さがひしひしと伝わってくる。

  「あ、ちなみに私の生命活動が停止した場合もアウトですので。早まった考えは今のうちに三角コーナーにでも捨てておいていただければ幸いです」

  腰に据えかけた両手を下ろして、刃竜は鋭い歯の隙間から低い唸りを一つ漏らした。つらつらと御託を述べる首に刃の一つも突き付けてやれば、人質と敵の命を交換することもできるのではないか――という早まった考えは、流石に通用しないらしい。

  「何が望みだ、下郎め」

  「クライアントからの依頼は二つ。一つは貴方と共鳴者の捕獲。もう一つは――日本一のヒーローである貴方に、惨めな敗北をプレゼントして差し上げること」

  律儀に指を立て、カプセルの周りをうろつきながら、繁殖者はあくまで淡白に、しかしていやに愉しそうな口調で述べた。さりげなく告げられた『クライアント』なる響きから、彼の背後に潜む巨悪の存在を感じ取り、刃竜は握り拳に力を籠める。

  「と、いうわけで。貴方には、彼と戦っていただきます」

  「おうおう! 久しぶりだなァ、刃竜!」

  繁殖者が高く掲げた両掌を打ち据えると、まくしたてる下卑た声と共に、柱の影から鎧の大男が姿を現した。身の丈およそ八尺六寸の刃竜をもなお頭一つ凌ぐ背丈に、大きく左右に迫り出した肩。ただでさえ屈強に鍛え上げられた腕脚が、末端につれますます太く膨れ上がる不自然な輪郭。それは、全身のところどころに覗く機械部分や、でっぷりと膨れた腹部も相俟って、見る者に生体改造の介在を想起させる。ショートタイツ一つに、胸部や肘先だけを守る機械鎧を纏い、竜人のそれとよく似た鱗肌を覗かせる、さながら悪役レスラーのような姿。頬の片側だけを吊り上げた威圧的な笑みと、身に覚えのない旧知の挨拶が、刃竜をますます苛立たせた。

  「馴れ馴れしい口を利くな。某は貴様など知らん」

  「流石、希少種の竜人サマ。俺みてえな下々の[[rb:蜥蜴人 > リザードマン]]なんぞいちいち覚えてねえってか」

  皮肉めいた口ぶりの端々に滲むのは、暗く淀む泥濘のように、魂にこびりついて洗い落とせぬ深い憎しみ。赤子を丸ごと包み込んで握り潰せるほど巨大な拳を握り、神経に響く不快な骨音を響かせながら、黒い蜥蜴はくすんだ瞳で白竜の清廉な佇まいを睨みつける。

  「てめえに覚えがなくても、こっちは怨み骨髄なんだよ。なんせこの傷は――」

  機械仕掛けの右目を掠めて袈裟懸けに刻まれた傷をなぞりながら、蜥蜴が地を震わす足取りで白竜に一歩ずつ近づこうとしたその時。

  「[[rb:拳闘士 > プグヌス]]、無駄口を叩きすぎないように」

  「……ちっ」

  己の背丈の半分ほどしかない鬣犬に窘められ、拳闘士と呼ばれた黒鱗の巨躯は舌打ちと共に引き下がった。どうやら二人の間には、見た目から推し量れる力量とはまた別の力関係が働いているらしい。眼前に繰り広げられる状況を努めて冷静に分析しながら、刃竜は再び腰の刀に両手を添える。あくまで平静を装い、臨戦態勢を保とうとするその様を見定めた繁殖者が、鼻を鳴らして小さく嗤った。

  「公平を期して、勝者には報酬を。貴方が勝てば、共鳴者は解放します」

  「……いいだろう。その言葉、ゆめゆめ忘れてくれるなよ」

  刃竜が聞こえよがしに刃を鳴らして双刀を抜き放つと、一気に周囲の空気が戦いの風を孕んで張り詰める。対する黒鱗の大蜥蜴も、鋼の手甲を填めた両拳を握り締め、悦楽に歪めた顔の横に喜々として構える。間合いは未だ遠く、拳も刃も届かない距離。どちらかが仕掛けた瞬間、一気に距離は縮まり、接近戦にもつれ込む――そう定石を読んだ刃竜の前で、拳闘士がその拳を体側に大きく引いた。

  「覚えてようが忘れてようが意味ねえよ。どうせ勝ち目はねえんだから……よォッ!!」

  吐き捨てた怨嗟を叩きつけるように、蜥蜴の拳が空を殴る。それと同時に、遠く離れた刃竜の腹に重苦しい衝撃が深々と突き刺さった。

  「ぐ……ッ!?」

  腹筋に力を籠める間もなく打ち付けられた一撃に、刃竜は面頬の奥から呻きを漏らす。脳内に火花を散らす痛覚の逆流に悶絶する暇など与えられるはずもなく、拳闘士が振る拳に連動した不可視の衝撃が次々と全身に襲い掛かる。

  「く……不意打ちか。口調に違わず卑しい奴だ」

  「ひゃはははは! ボクシングやプロレスじゃねえんだぜ? ゴングなんざ鳴るかよ!」

  とっさに振り上げた両腕で連撃をいなし、両翼を広げて空中に退避した白竜を追って、黒鱗の蜥蜴は刺し穿つような鋭さでアッパーを放つ。その軌道を大きく拡張したかのような気流と共に、見えない拳が刃竜の両腕をかち上げ、がら空きになった胴に再び衝撃が幾度突き刺さった。再びの痛打にバランスを崩しながらも、刃竜は敵の周辺に円を描くように旋回し、上下しながら飛び回る。その動きになおも追い縋る遠隔の拳を次々と躱しながら、反撃のタイミングをじっと見定める。

  「ちっ……何生意気に避けてんだよ。俺様に気持ちよく殴らせろ、クソ刃竜!」

  白竜の羽ばたく軌道に合わせて律儀に体の向きを変え、鋼鉄の拳を振る蜥蜴の姿を観察しつつ、刃竜は脳内に分析する。いかなる異能にも限界はあり、それはあの不可視の拳さえ例外ではない。これまでの動きを見る限り、あの異能は少なくとも拳を振る動作を交えなければ発動できず、視界の外にまで追尾させられるものでもない。

  ――それならば、勝機はある。

  (面妖な遠当てであろうと、拳を振る一瞬に隙はある。懐に飛び込めば……!)

  見た目に違わぬ大振りの拳。どれほど素早く繰り出したとしても、一瞬我が身を差し挟むだけの隙はある。空中に身を置いてひたすら防戦に徹し、相手の焦りと疲労が極限に達したところへ一気呵成に斬りかかり、一撃でその命脈を断つ。それが、今見出せる最速にして必勝の策。

  勝利への道筋を導き出したのなら、あとは実行に移すだけ。羽を畳みながら足裏を滑らせて着地し、土煙を舞い上げると、宙を舞う細かな砂粒が向かってくる拳の波動につれて吹き飛ばされる。二人を隔てる砂のスクリーンが、本来ならば視認できないはずの衝撃の拳、その軌道を白日の下に曝け出す。

  「――見えた」

  降り注ぐ遠当ての雨を掻い潜りながら、刃竜は拳闘士へと一直線に駆け抜ける。腰布から伸びた太い両脚で幾度も地を蹴り、跳躍を重ねて加速すれば、やがて辿り着くのは音さえも抜き去るほどの境地。二の矢、もとい二の拳を番える間もなく、無防備に晒された腹部を的確に狙い、両手に構えた刃をするりと滑り込ませる。相手に触れる刃のほんの僅かな面積、その一点に膂力の全てを籠めた渾身の斬撃。それは蜥蜴の腹にぶら下がった醜悪な肉塊ごと胴を両断し、物言わぬ骸と化す――はずだった。

  「な……ッ!?」

  切り付けたその刹那、両腕を襲う異様な感覚に、刃竜は思わず声を上げた。まるで極限まで膨らんだ水風船に鋏を入れたかのような手応え。その先に待つ、少なくとも人体のそれではありえない斬り心地の正体――粘性を以て蠢く緑色の物質は、蜥蜴の腹部『だったもの』にめり込んだ双刃を絡め取り、相殺した勢いに乗って刃竜の全身に吹き付ける。純白の鱗が、一瞬にして毒々しい緑色に染まった。

  「こ、これは一体……!?」

  予想だにしなかった事態を受けて咄嗟に飛び退くと、刃竜は刀を握る手にへばりついた物質を凝視した。半透明の軟体と、その奥で蠢く単眼のような球状組織。全身を隈なく濡らす粘液は、まるで意思を持つかの如く鱗の隙間を這い回り、体中を擽られているかのようなこそばゆさをもたらす。

  「うっし作戦通りィ! ドンピシャだな、繁殖者さんよォ」

  「この局面で急所を狙わないはずがありませんからね。予測するまでもないことです」

  緑に染まった白竜を嘲笑うように、『狩人』たちは口々に快哉を上げた。拳闘士の腹部を覆っていた人工皮膚は千々に破け、その内側に隠されていた逞しい腹筋が露わになっている。敵は自分がすれ違いざまの胴を狙ってくるだろうと踏んで、初めから罠をその身に仕組んでいた――刃竜がそう気付いた時には、すでに後の祭りだった。

  「く……こんなもの……ッ」

  音速の一振りで腕を下ろしても、絡みつく粘液は離れる気配すら見せない。ならば、と腕に当てぬよう慎重に差し入れた刃も、一時表面を真二つに割るだけで、すぐさま元に戻ってしまう。己の異能を以てしても斬れず、むしろ躍起になって振りほどこうとすればするほど活発になる不気味な妖液。その真価が、刃竜の『雄』としての急所を捉える。

  「う、く……ッ、ぁ……何、だ……これはッ」

  不意に下腹部を襲う違和感、次いで腰椎をじわじわと浮き上がらせるような痺れ。一斉に不快を叫ぶ触感を総動員して探れば、まるで蛇の舌に弄られているかのような柔らかくもおぞましい肌触りが、股座のみならず緑の液体に接したあらゆる部位に発生している。腕に纏い付いた液汁の内側で、いつの間にか蠢き出していた無数の蚯蚓のような物体を目の当たりにし、刃竜は戦慄に目を見開いた。鎧や褌の奥にまで染み込んでは汗を舐め上げ、垢をこそぎ、全身に染み出るライフエナジーの残滓を吸い上げる――その正体は。

  「私が手塩にかけて生み出した子供たちです。どうか可愛がってあげてくださいね」

  薄ら笑いを浮かべる繁殖者が、ポケットの一つから蓋つきのビーカーを取り出す。その内部でゆるゆると渦を巻く緑の粘液には、先程刃竜が見た触手が更に肥大化した形でぶら下がっていた。人の指ほどにまで膨れ上がった黄の蚯蚓がとぐろを巻き、ビーカーの中を狭苦しそうにうぞうぞと動き回る。その様子に顔を近付けた拳闘士が、わざとらしく舌を出しながら顔をしかめた。

  「おぉ、気持ち悪ぃ……遠隔で殴れる異能があって助かったぜ。そぉらよッ!!」

  粘液に意識を取られていた刃竜の頬に、遠当ての拳が直撃する。虚を突いた一撃は、次なる一撃の呼び水となり、体勢を崩した白竜の身体を次々と衝撃が見舞う。

  「ぐぅっ! が、うぅ……ん、ぁ、ふぅっ、んぐぅ……ッ」

  間髪入れずに叩きつけられる拳の乱打に身を屈めて耐える間にも、刃竜の全身を這い回る粘液は刻一刻とその活力を増してゆく。それにつれて、ほんの僅かずつではあるが、体中に疲労とも倦怠とも取れない形容しがたい重みが圧し掛かる。僅かな鈍りを積み上げてゆくその感覚の正体が、全身に漲るライフエナジーの吸引とそれに伴う弱体化であることに、刃竜はまだ気付いていない。故にこそ、こう考える。

  (たとえ、今すぐに優醒を救えないとしても――皆が来るまでの時間を稼げれば……)

  この時点での彼は、そう思っていた。稼げるだけの時間があると。その間、己を奮わせるだけの余力はあると。

  だが、そのいずれも誤りであることを、これから彼は思い知らされることになる。

  総身を覆う完膚なきまでの快楽と、誇りを砕き栄誉を穢す極上の屈辱によって。

  ※

  「グレートォ……アックスボンバァァァッ!!」

  「フェザードミサイルキック!!」

  刃竜と狩人たちの交戦が続く廃倉庫に程近いコンテナ群を、二つの嵐が駆け抜ける。かたや鉄柱の如き右腕で敵の首をまとめて刈り取る獰猛なる肉食獣、かたや疾風の如き飛翔から繰り出す太い両脚で大群を一気に跳ね飛ばす俊敏なる猛禽。日々の鍛錬により膨れ上がった『攻め』の筋肉を、攻撃を吸収し弾き返すための『受け』の脂肪で覆うリングの上の勇者たちが、戦場に舞い踊る。

  純白を基調にしたレスラータイツ状のスーツをはち切れんばかりに膨らませ、雄々しい鬣を振り乱して拳を振るう獅子――グレートレオン。虎柄のスーツから露出した眩しい太股を蹴撃に躍動させる大鷲――フェザードブレイブタイガー。いずれも刃竜に並ぶS級のヒーローライセンスを有する、日本有数の猛者である。

  彼らに対するは、何処からともなく生い茂る蔦が縒り合わさって人型を成した異形ども。目鼻立ちのないのっぺらぼうの貌に、唯一据えられた赤黒い単眼をぎらつかせるその姿は、あらゆる敵との戦いを経験してきたS級のヒーローたちにとっても見慣れないものであった。新たなる敵の出現を予感させる不気味な兆しに、握り締めた拳が震える。

  しかし、だからとて臆するわけにはいかない。

  まして、今もっとも救うべき相手への道筋を阻む障害であるのなら、なおのこと。

  「ヴォルフ! 突破口はまだ開けないのか!?」

  「……ルートはすでに確保している。だが……防備が分厚すぎる……!」

  レオンの後方で敵の包囲に立ち向かう灰狼――ブリザードヴォルフが、彼らしからぬ焦りを滲ませた声で応じる。視認できるだけでおよそ二百、加えてコンテナの脇から際限なく現れる緑の影。たとえ一匹一匹は弱くとも、束になって襲ってくれば、振り払うのは難しい。不覚を取ることはあり得ないにしても、一息に薙ぎ払うことなど到底叶わない。この場で唯一の飛行能力を持つフェザードブレイブタイガーが翼を翻そうにも、上空にまで生成された蔦の結界が廃倉庫を覆い、道筋を閉ざしている。冷静な分析力と判断力を兼ね備えたヴォルフであっても、包囲打破の可能性が最も高い道筋を導き出すまでが精一杯の状況であった。

  まさに、難攻不落の緑の壁。奮戦する英雄たちの顔に、もどかしさの滴が伝う。

  「ちぃッ……邪魔をするなァッ!!」

  ヴォルフの傍らでは、レオンに比しまだ若いもう一人の獅子人――剛拳が、勢い任せに拳を振るう。眼前の敵の頭を一撃で潰し、すぐさま左の蔦に痛撃を叩き込む。死角から放たれた蔦に腕を絡め取られれば、逆にその蔦を掴み返して敵を引きずり出し、驚くそぶりも見せないその顔にカウンターパンチをお見舞いしてやる。相手がいかなる体組織を持ち、どのような防御手段を構えようが関係はない。剛拳の異能がもたらす衝撃の貫通が、触れた傍から蔦の怪人どもを粉微塵に砕いてゆく。

  すべてをねじ伏せてなお燃え盛る、まさに炎のような戦いぶり。その炎が自らさえも焼き尽くすことを危惧して、灰狼は慎重に警句を述べる。

  「……逸るな、剛拳。数を頼りに攻められればこちらも無事では済まない」

  「わかっている! だが……こうしている間にも、師匠が……ッ」

  剛拳にとって、刃竜はヒーローを志すきっかけにして、自らを鍛えてくれた尊敬すべき師でもある。それ故の昂ぶり、だからこその焦りと、ヴォルフにも十分に理解できている。それでも、頭を冷やせと言い含めずにはいられない。やるせない苛立ちを拳に籠めて、若き獅子は混迷の戦場を駆け抜ける。その背に凍結の氷華を散りばめながら、氷の灰狼が後を追う。

  「やれやれ……次から次へと。キリがありませんね」

  「臆したか、フェザード」

  「まさか。貴方の見ている前で無様を晒すわけにはいきませんよ」

  続々と迫る大群を前に軽口を叩きながら、獅子と大鷲は互いの拳を中空に打ち付けた。

  「来るなら来い、悪党ども! 一匹残らず、我らが叩き伏せてくれるッ!!」

  逆境にこそ燃える勇者の熱き魂が、交わす言葉なき蔦の軍勢さえも慄かせる。すべては、全てのヒーローの戦友にして古今独歩の大英雄――刃竜を、そしてその共鳴者を救うため。グレートレオンが放つ巨大な気力の一撃を進撃の凱歌として、二人は再び敵の陣中へと飛び込んでゆく。

  刃竜が待つ救援は、かくして倉庫手前に縫い付けられた。彼らが蔦の結界に閉じ込められなければ、あるいはあと一人同胞がいたのなら、これから起こる惨劇の一端は食い止められたのかもしれない。だが、全ては過ぎたこと。仮定を重ねてみたところで、定められた運命はとうに覆ることなどなかったのだろう。

  敗北へのカウントダウンは、この時点ですでに始まっていたのだから。

  ※

  刃竜が待ち望む援軍たちが足止めを受けるその一方、廃倉庫の戦いは膠着状態を迎えていた。たとえ異様な粘液に身体を包まれ、不快な干渉を受け続けている状態であっても、百年以上を戦いに費やしてきた英雄の切れ味がそう容易く鈍ることはない。加えて、体力の消耗や多少の傷は、刃竜の異能の一つ『竜魂再生』によって打ち消すことができる。常日頃は使うまでもない、あるいは使わずとも戦える力であっても、用いるべき時は決して見誤らない。それが刃竜という雄であった。

  「ちぃッ……うざってえんだよ、クソ刃竜! いい加減ぶっ倒れろォ!!」

  「貴様如きの拳に倒れるわけにはいかぬ。某には、守るべきものがあるが故に!」

  拳闘士の異能が放つ拳を見切って躱し、仮に受けるにしても最小限のダメージにとどめて追撃を防ぐ。更なる罠を予期して、一息に距離を詰めることこそしないものの、じわじわと間合いを得手に持ち込み、再び必殺の剣技を繰り出す好機を伺う。堅実かつ着実なその戦いぶりは、決して負けられない戦いに相応しい安全策。焦れた拳闘士が隙を見せれば、今度は何を仕込みようもない頭を一息に刺し貫いてやる――そう誓い、双刀を握る両手に力を籠める。

  だがそこに、外野から思わぬ一言が飛び込んできた。

  「あ、言い忘れてました。あのカプセルにはマインドエナジーの吸収機能もあるんです。もたもたしていると、愛しの共鳴者君が生ける屍になってしまうかもしれませんねえ」

  白々しく言い放つ繁殖者の言葉に、刃竜の挙動が一瞬止まる。

  ヒーローの力を増強させる『共鳴者』の異能を支える意思の力、マインドエナジー。カプセルの機能によるものか、今は感じられないその力は、共鳴者の精神から抽出される湧き水のようなもの。命ある限り尽きることはなくとも、一度に多く吸い上げられれば涸れ果て、共鳴者の精神を崩壊させる危険性がある――咄嗟に振り返ったカプセルの中で、確かに優醒はどこか苦しげな表情を浮かべていた。

  最早、援軍に期待するだけの時間はない。ならば、禁じ手を抜いてでも決着をつける。

  「――ふぅんッ!!」

  口元を覆っていた面頬を剥ぎ捨てて、刃竜は大きく口を開いた。人知を超えた竜種の力として、常日頃は封じている禁断の技。体内に渦巻くライフエナジーを極限まで圧縮し、肚奥から一気に噴き上げる、渾身のドラゴンブレス。一筋の光のように集約された灼熱の炎が、拳闘士へ向けて一直線に放たれた。

  「うお……ッ!? ぐおぁぁぁぁッ!!」

  襲い掛かる圧倒的熱量の奔流に、拳闘士が思わずかざした左腕が跡形もなく溶け果てる。あわよくばと狙ったとどめこそ叶わなかったものの、無尽蔵のスタミナで連撃を繰り出す両拳のうちの片方は奪えた。あとは、最期の一撃を見舞ってやるだけ。

  「が、ぁああぁッ……く、くそッ、この……腐れ竜人がァ……ッ」

  左腕の付け根を押さえてもがく黒蜥蜴に向け、刃竜はすかさず疾走する。呻きを漏らすばかりの相手から、迎撃の拳は降ってこない。なおもしがみつく粘液の感触を一時忘れ、脚に集中させた渾身の力を発条のように解き放って、刃竜は大上段から拳闘士の頭上へと斬りかかる。

  今度こそ、この一刀で仕留める。

  しかし必勝を期した刃は、大蜥蜴の顔面を両断することはなかった。

  「――なぁ~んてな」

  痛みに喚いていたはずの拳闘士の顔が、邪悪な哄笑に歪む。直後、振り下ろした双刀は鋼の右腕にいとも容易く弾かれた。空中で勢いを失った刃竜の身体を、ぞんざいに掲げられた丸太のような脚が一蹴する。紐の外れた角笠が、呆気なく宙を舞った。

  「ご、ふ……っ」

  「ひゃぁぁはははははァッ!! 遅えんだよ、てめえ! さっきよりずっとォ!!」

  卑俗な嘲笑と共に叩きつけられる言葉が、背中から地に伏した刃竜の胸に突き刺さる。竜魂再生、ブレス――消費の激しい大技を、共鳴者の援護も得られぬ中で多用したこと。それ自体は、万全の状態であれば何の問題にもならないはずだ。それにもかかわらず、敵にさえ指摘されるほどに消耗が嵩んだ原因――浮かび上がった答えを、刃竜は心中で頑なに拒む。だが、その自己欺瞞を暴かれる瞬間が、今まさに近付いている。

  「繁殖者ァ! スペアよこせ!」

  「はいはい、うちの子宅急便でお届けしますよ」

  繁殖者が辟易した様子で指を鳴らすと、倉庫の片隅に転げた木箱に潜んでいた生物兵器が姿を現す。人間の腕を彷彿とさせる部位がさながら針鼠のように全身に生え茂り、顔貌も見受けられない不気味な容姿。地に突いた腕を足として器用に用い、天に向いた腕に荷物を担いで、繁殖者の元へと這い寄ってくる。

  「こんなこともあろうかと、持ってきておいて正解でした」

  「義手の一本や二本、持っていかれたところで痛くも痒くもねえんだよ! 馬ァ~鹿!」

  刺し渡された鋼鉄の左腕を肩先に装着しながら、拳闘士は高らかに言い放った。生身の腕に偽装していたものとは明らかに異なる、鈍く輝く完全武装のサイボーグハンド。漲る人工の膂力にぎちぎちと軋むその指先で、ようやく立ち上がろうとする刃竜の肩口を掴み、詰るように地に押し付ける。睨みつけてくるその耳元に、駄目押しの一言。

  「――気付いてねえのか? てめえ、先走り臭えんだよ」

  「な……ッ」

  たまらず目を見開き、必死に身を揺さぶる白竜を、黒蜥蜴の剛腕がなおも地に押さえつける。余らせた右手で無造作に前垂れを捲ると、滲み出た随喜の雫に濡れてその紅を増した六尺褌が露わになる。前袋を突き破らんばかりに昂った逸物の輪郭は、竜種特有の尖端を布地の下にありありと曝け出し、発情に伴う雄臭を垂れ流している。

  「そら見ろ、おっ勃ててやがる。その触手、よっぽど気持ちよかったんだろうなァ」

  次々と鼓膜に捻じ込まれる指摘を、刃竜は否定することができない。あらゆる手を尽くし、全力を賭して戦うその間にも、粘液から伸びた触手は鱗の奥を冒し、褌の内側に忍び込んでいた。内臓に近い脇腹や、感覚の集中した首筋、さらには愛しい者にさえ未だ許したことのない秘奥に続く股座の縦割れを執拗に擦られ、不覚にも充血してしまった雄の徴――晒布の裏に擦れては疼き狂うその淫らな姿を、懸命に隠しながら戦ってきた。

  だが、最早隠し立てはできない。まして、たかが足蹴り一つで無様に地に転げ、そこから立ち上がることすらままならない今の己に、湧き起こる憤りを形にするだけの余力は残されていない。その事実を認識した刃竜の頬が、屈辱に引き攣る。

  「世間様見下して、お高く留まった竜人様のくせに、雑魚チンポおっきさせて腰砕けてんだろ? なっさけねぇよ……なァッ!?」

  精神を毀損する淫猥な侮蔑と共に、拳闘士の全体重を籠めた踏みつけが振り下ろされた。無防備に倒れ込んだ腹を踏み均し、肚の奥にまで響くおぞましいほどの重撃に、喉から濁った声がひとりでに絞り出される。

  「ぐ、が……ァ、き、貴様ぁ……ッ」

  「今日のてめえの役割はァ! 俺様専用のサンドバッグだって決まってんだよォッ!!」

  執念を籠めて振り下ろされるプレス機のような足裏が、白竜の腹に幾度もめり込む。満足に力を入れられない腹筋は、最早内臓を守護する鎧とはならない。身体の内側に直接手を挿し入れられて掻き回されるような苦痛が断続的に与えられ、刃竜の肉体と精神をまとめて傷つけてゆく。

  「ぐ、ふぅ……ッ、ぁ……ん、ぁ……あぁ、あ……ッ」

  「ひゃーっはっはっはァ!! ボコられながらチンポ勃たせてりゃ世話ねえよなァ!?」

  その間にも、褌の奥の肉棒に絡みついた触手はゆるゆると蠢き、粘液に塗れた肌を包み込んで離さない。身体の芯をへし折るような痛みと、表皮と股座を浸す身悶えするほどの快楽。相反する二つの感覚がまとめて脳髄に叩き込まれ、理性の衣を千々に引き裂く。

  快いのか、苦しいのか。苦しいのか、快いのか。極限まで混線した思考回路が負荷に溶け堕ち、相反するはずの二つの感覚が一つになる。

  「おらァッ!! 逝けェ!! 俺様に土手っ腹バチボコ踏みつけられて、クソザコチンポから種汁無駄撃ちしろォッ!!」

  そして、極限まで膨れ上がった痛覚と快感が、煮え滾る溶岩のように爆ぜる。

  「が、ふ……ん、ぐぅぅぅぅぅッ!! ふ、ぬぅぅぅぅぅぅぅッ!!」

  一際重い足裏の痛打が、赤く腫れた腹部を突き刺したその瞬間、絡みつく触手の与える刺激も頂点に達した。赤褌の奥で白濁の奔流が鉄砲水のように噴き上がり、勢い余って染み出した粘液が布奥の巨根の肖像を際立てて彩る。まるで若者の夢精のように、下着を汚して溢れ出る瑞々しい精液の滝。腰が砕ける快楽と、血反吐を吐くほどの内臓損壊に伴う耐え難い苦痛が、白竜の意識を混濁させる。

  「はぁ、ぁ……ぁ、あぁ……が、ぐ…………ぅっ」

  茫然自失のまま荒い息を吐き散らす刃竜の首を、拳闘士の巨大な右掌が顎下から襟首まで余すところなく握る。そのまま軽々と宙に持ち上げられれば、首に食い込む五指が気道を塞ぎ、脳への血流を遮断する。見る見るうちに青ざめてゆく頬、あらぬ方向へ動き始める瞳孔。ただでさえ痛みと快感に翻弄された意識が、いよいよ薄らいでゆく。

  「うぐ、ぅ……ん、ぎッ、が、あ、あぁ……」

  断末魔にも似た、無惨な呻き声。その甘美な響きに満悦の笑みを浮かべてから、拳闘士は次なる段階への移行を心に決める。

  「頃合いだな……おーい、繁殖者。例のやつ頼むぜェ」

  「そのタイミングを判断するのは、本来私の役割なんですが」

  「細けえこと気にしてんじゃねえよ、ほら」

  ぶつくさと小言を述べる同盟者に、黒蜥蜴は手中に収めた獲物を差し出す。不愉快を塗り固めたようなしかめ面で、首を吊られて泡を吹く刃竜の前に歩み出ると、繁殖者は徐に片手を前方に翳した。刃竜の体表、とりわけ股座を中心に下半身を広く覆う緑の粘液――彼が愛する『我が子』たちに、慈しむような優しさで五指を差し伸べる。

  「はぁ……汚らわしい。我が子を介してとはいえ、他人の肌に触れるのは心底不快です」

  言い放つ嫌悪もそこそこに、右手に集まりゆく紫の怪光。チェレンコフ光もかくやの眩い光を浴びて、粘液生物の表面が激しく泡立ち、瞬く間にその面積を膨らませ始める。

  「――『[[rb:大きく育て > Beanstalk]]』」

  囁いたその異能名を合図にして、刃竜を夥しい量の触手が埋め尽くす。首に絡みついた掌がようやく離れ、急速に回復する血流と酸素の供給に目を白黒させたのも束の間、刃竜の視界は襲い来る黄色い肉の乱舞に埋め尽くされた。力なく垂れていた腕を、脚を、あらゆる部位を粘液から伸びた蛇ほどの太さの触手が絡め取り、十字架に磔にされた救世主のような姿勢で掲げる。ちょうど、カプセルの中で蹲る優醒に見せつけるような角度で。

  「な、あ、がぁ……ッ、こ、これは……ぁ、ッ」

  「生物を急速に成長させる――これが私の異能です。子供たちを育てるにはちょうどいい、天からの授かりものですよ」

  繁殖者は手に纏わりついた粘液生物の残滓に光を当て、小さな塊に成長させて弄ぶ。撫で擦り、指を食ませ、指先で転がし――そして、一息に握り潰す。千切れ跳ね飛んだその欠片から、株分けのように新たな生命の萌芽が生まれ出でて蠢き始める奇怪な光景に、刃竜は思わず唾を飲み込んだ。疲労と焦燥に嗄れ果てた喉に、いやに滑った液汁がずるずると垂れ落ちる。

  「それでは、ショータイムを始めましょうか」

  斯くして供物の準備は整い、悲劇を演じる役者は盤上に集結した。そして、肉の縄化粧に戒められた英雄を主役に、最悪の舞台の幕が開く。

  ※

  「各動画配信サービスの全システムは掌握済み。地上波と衛星の方もちゃちゃっとジャックさせていただきまして……と」

  左腕の着用式通信端末から投影したホログラムのキーを、繁殖者は謡うような調子で軽やかに乱打する。網膜に直接投影されたモニター画面に映るのは、日本中のメディアの放送・配信内容を書き換えてゆく神速の手業。全国の街頭ビジョン、電器店のテレビコーナー、そして各家庭に届くニュース映像の一つ一つまでが、瞬く間に廃倉庫の中継映像で埋め尽くされてゆく。

  「さて、ここからは全国同時生配信のスタートです。提供は私、ヒーロー狩りなら任せて安心、『狩人』の超天才マッドサイエンティスト・繁殖者がお送りいたします」

  報道キャスターもかくやの克明な台本を朗々と読み上げながら、猫背の鬣犬は前方に飛ばしたカメラドローンに二指を立ててアピールを投げる。次いでカメラが映し出すのは、触手の十字架に縛り付けられた哀れな生贄と、その姿をカプセル越しに泣き濡れて見つめる青年の姿。目を閉じ顔を伏せたところで、その特徴的な戦装束と、何よりも希少種たる竜人の姿が証明している。あれこそは国内最強、絶対の守護たる歴戦のヒーロー。

  その名も高き、伝説の勇者・刃竜なのだと。

  「それでは、存分にお楽しみください――日本一のヒーローの、哀れで無様な敗北を」

  「き、貴様……! そ、某を……辱める、気か……ッ!」

  背を反らし、必死の形相で叫び散らす白竜の頭を、繁殖者が指で構えたカメラのシャッターが捉える。口端から滴る唾液を振り乱し、潤んだ瞳を懸命に瞬かせ、あらゆる感情が入り混じる歪な表情。そのあまりの美麗さに、鬣犬は口角を大きく吊り上げた。

  「いい表情です。後で切り抜いて、全国のコンビニエンスストアでプリントアウトできるようにしておきますね」

  「ざ、戯れ、言……を、ォ……ッ! んっ、ぐ、ふっ……ん、ぁ、あぁ……っ」

  渾身の力を振り絞っても、四肢を縫い留める触手の軛は微動だにしない。それどころか、動けば動くほど肌に食い込み、新鮮な痛みをもたらしてくる。それだけならまだ、ありふれた責め苦として受け流すこともできた。しかし、痛みと共に絶え間なく与えられる甘やかな愛撫は、性とも愛ともほぼ無縁のまま百二十年余りを生きてきた竜人にとってあまりに蠱惑的すぎた。

  「ふ、ぅっ……ぐぅ……ッ、うぅ……ぬ、んんぅっ、ぁ……あぁ……ッ」

  表皮に纏わりつき、振れるか触れないかの瀬戸際を責めるもの。晒布の奥に蠢き、きめ細やかな質感と糸引くぬめりを以て肉棒を扱き立てるもの。そして、縦褌の奥でほのかな桃色に色づく不浄の門に押し入り、襞の一枚一枚を解してゆくもの。知性などないはずのそれらが、一糸乱れぬ連携を以て剥き出しの快楽中枢を直撃する。

  どれだけ拒んでも抗えない血潮の流れが、前垂れの下でなおも膨張したまま縮む気配のない逸物へと迸るのを悟って、刃竜は腰をくねらせる。先程晒してしまったような痴態を、今度は全国、いや全世界へ向けて晒してしまう――そう考えるだけで幾度込み上げてくる羞恥の小波が、苦悶に歪んだ白い頬を紅に染めてゆく。そんな中、十字架の横に鎮座するカプセルに、黒蜥蜴の唾液交じりの罵声が浴びせかけられた。

  「おうおう、随分怖い顔してくれんじゃねえかよ。共鳴者クン?」

  どうにか動く首を下に傾けて見遣ると、拳闘士のにやついた横面を、穿つような視線で射貫く優醒の姿が見て取れる。恐怖と悲痛に歪みながらも、気丈に唇を引き締めたその表情。共鳴者に己の力を届けることも、せめて邪魔にならぬようこの場を離れることもできずともなお、抗う意志だけは失わない。力なき人間の身で必死に立ち上がり、並み居る英雄と並び立つほどの勇気を見せる想い人の姿に、刃竜の胸はほのかに温かいもので満たされてゆく。

  しかし、それも束の間。ちっぽけな希望は、悪辣な言葉の刃によってズタズタに斬り裂かれる。

  「けどよ、そりゃ筋違いってもんじゃねえかァ? 元はといえば、てめえが無様に取っ捕まっちまったせいでこうなっちまったんだからよォ」

  荒々しく告げられたその言葉を耳にした途端、優醒の端正な顔が動揺に引き攣る。カプセルの外から中へ一方通行で伝わる情け容赦のない罵倒が、震える青年の鼓膜に追い打ちをかける。

  「あーあー、可哀想になァ! 共鳴者クンのマインドエナジーがあれば、天下無敵の刃竜サマが負けるはずなんてなかったのになァ~!! 可・哀・想・に・なァ~!!」

  おちょくるようなふざけた口調。しかしそのおどけた声色で語られるのは、決して拒むことのできない残酷な事実。一息には飲み下せない己の弱さをありありと突きつけられ、優醒はカプセルの中に膝から崩れ落ちる。その目許に浮かぶ涙を瞼に湛えたまま、眼前の現実から逃げるように目を瞑ろうとする優醒に、カプセル越しに覆い被さる黒蜥蜴の宣告がなおも鋭く突き刺さる。

  「最初に目ぇ逸らすなって言ったろうがよォ!? こちとら今すぐ殺してやってもいいんだぜ、お前も。こいつもォ!」

  世界中の民草と共に、生贄の末路を見届ける者として、優醒に瞑目は許されない。拒めば己の命が――いや、それ以上に大切なパートナーの命が危うい。しかし、凄惨たる光景をその目に映し続けたところで、眼前の地獄は決して刃竜を赦しはしない。

  「んぅぅぅぅッ! ゆ、優醒ッ……み、見る、なぁ……ッ」

  敵の策に文字通り手も足も出ず、蹂躙されてひくつくばかりの無様な姿を、共鳴者にして我が番にと見定めた相手に余すところなく見られている。その事実は、毀損されつくした刃竜の精神の奥底から、全世界配信を遥かに凌ぐ羞恥と屈辱を引きずり出す。

  「弱っちい僕チンが哀れな人質にされたせいで! 愛しの刃竜サマが恥ずかしい目に!」

  「た、頼む、優醒……見、見ないで、くれ……ッ、某の、……ぉッ」

  途切れ途切れに口をつく懇願も、拳闘士の上機嫌な煽りを飾り立てる猥雑な装飾の一端にしかならない。瞳から際限なく垂れ落ちる心の雫を膝に垂らしながら、それでも懸命に瞼を見開く優醒の悲壮な姿が、刃竜の胸を鋭利に抉り取る。

  「何の力にもなれなくて! 何もできずに見てるだけ! 悔しいだろうなァ!?」

  「く、んぐぅ……う、ぁ、はぁっ……う、ぁ、あぁ、っぁ、あぁ……」

  押し寄せる感情の濁流の中で、それでも前垂れを押し上げる放埓な陰茎を、刃竜は心底呪った。先程垂れ流した精液も乾かないうちに、すでに先走りが締め忘れた蛇口から滴る

  水のように滔々と湧き上がり、艶やかな梅花の前垂れを裏側から穢している。

  「泣いてねえでチンポでも扱けや! それとも、もうパンツの奥はびしょ濡れかァ~?」

  「や、止め……ろ……ッ、ゆ……優醒、には……手を、出すな……ッ」

  卑俗さを増す侮辱に耐えかねて、刃竜は抗議の声を上げる。しかし、身を苛む快楽に阻まれ、張り上げたはずの叫びは断片状に刻まれた呻きにしかならない。さらに、動揺に高まった心臓の拍動を感じ取ってのことか、胸元に忍び寄ってきた触手が胸筋に沿って腹を這わせ始めた。

  「は、ぁ、ぅッ、んぐぅ……ッ、ふっ……う、く、んぐぅ……ッ」

  爬虫類型獣人に近い生態を持つ竜人には、人間や哺乳類型獣人のような乳頭は存在しない。しかし、心臓に程近く、なおかつ弛まぬ鍛錬によって大きく鍛え上げられた胸の双丘は、揉み上げては撫で擦る触手がもたらす細やかな痺れに敏感に反応する。まるで雌の乳房のように胸筋を弄ばれ、必死に口吻を噛み締める刃竜の滑稽な艶姿を横目に眺めて、繫殖者はくすくすと嗤う。拳闘士の下卑た笑いも、それに続いて高らかに響き渡った。

  「まだ堪えますか。いやぁ、ご立派ですねぇ……流石は日本一のヒーローです」

  十字架の前に歩み出た痩身の鬣犬に、刃竜の鋭い視線が突き刺さる。しかし、抑えられぬ快感に淀んだ眼など、繫殖者は意にも介さない。ご機嫌そうに耳を立て、ろくろを回すように手を振りながら、カメラの前で講釈を続ける。

  「しかし、残念です。うちの子はみんな優秀ですので」

  眉を上げた繫殖者の眼がぎょろぎょろと動き回ると、それに呼応するかのように、周囲に響く粘液の水音が一段と音量を増す。天啓を得たかのように、一撫で、一舐めの精度を刻々と向上させてゆく触手の挙動が、刃竜を更なる快楽地獄へ陥れる。

  「学ぶんですよ、貴方のカラダを。どこに触れられたときにより声が上ずるか、どう責められたらより背筋が強張るか――知性ではなく、本能で学習するんです。それに……」

  そして、堕落への淵に立たされた英雄の背を押す駄目押しの一撃。それは、内奥から込み上げる異様なまでの熱として、唐突にその姿を現した。

  「おあぁぁぁぁッ! ん、ぁ、あぁ……か、躰が、……熱、い……ッ」

  「やっと効きましたか……あぁ、もちろん我が子の体液には催淫効果もありますので」

  幾度となく肌に塗りつけられた触手由来の粘液が、総身を蝕む淫毒となって刃竜を苛む。肌という肌、鱗一枚一枚の隙間に至るまで、痒みに似た疼きが埋め尽くし、その間隙に忍び寄る触手の感触がこれまでの数倍、いや数十倍の快感となって精神を穢す。

  「都合一時間強くらいは媚薬漬けなんですよ、貴方。回復能力のおかげで多少は中和できていたようですが、どうやらもう限界らしい」

  「く、ぁ、あぁ……い、いかん……た、耐え……耐え、なけ、れば……ぁッ」

  口先だけの警句を口にしてみたところで、絶頂の奈落へ急速に滑り落ちてゆく躰を止める術などない。くねくねと浅ましく身を捩らせても、かえって股間に擦れる布地と触手の感触が増すばかり。疼きを鎮める愛撫を求めてひくつく尻穴も、縦褌に幾度となく擦り上げられて、今や膨れた肉が連なる輪のような形状に仕上がりつつあった。全身を性器に作り替えられたような感覚に頭頂から爪先までを支配され、最早声を押さえることすら至難になりつつある淫らな英雄の姿を品定めするように眺めて、拳闘士は思わずショートタイツの奥で体積を増す股座を撫で擦った。

  「くそッ! ムカつく竜人野郎のくせに、随分とやらしいじゃねえかよ……」

  ほんの僅か黒布越しに表面を擦られただけで、見る見るうちに膨れ上がる蜥蜴の剛直。刃竜同様、普段は肉割れの奥に隠されているはずのそれは、すでに股座を飛び出し、伸縮性に富んだタイツの生地を纏って勃ち上がっていた。

  「今頃日本中……いや、世界中の雄どもがてめえをネタにしてセンズリこいてるかもな。どんな気分だァ? ヒーロー改め無料オカズの刃竜さんよォ!?」

  刃竜のそれをも凌ぐ、赤子の腕を二本束ねたかのような大業物。さらに驚くべきことに、その巨根が二本並んで屹立している。下ろしたタイツから勢いよく飛び出した双塔を、拳闘士はそれぞれ片手で扱く。長らく汗に蒸れ、熟成されていた雄の臭いは、遠隔の拳よろしく距離の離れた刃竜の鼻腔にまで届く。理性の砦に沁み込み、内側から打ち壊すその臭気が、刃竜が公衆の面前で初めて迎える絶頂の呼び水となった。

  「う、ぁ、あぁ……ふ、ぐぅっ! ん、ぐ、ぁあ、あぁ……あぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

  決壊の雄叫びと共に前垂れの裏に吹き付けるのは、放出の音すら鳴り響くほどの著しい放精。最早布の用を為さぬほど濡れそぼつ前袋はおろか、その先に持ち上げられた前垂れの裏側にまで滴る夥しい量の竜精が、金色の飾りを伝ってだらだらと垂れ落ちる。

  「おぉ、出る出る」

  「ひゃははははァ! おら、テレビの前のオトモダチにどんだけ出したか見せてやれ!」

  前垂れを捲られれば、晒されるのは幼児の粗相のような濡れ染みの跡と、塊状の白濁がこびりついた前垂れ。美しい梅花の裏に隠された、無様な汚辱が、世界中に向けて克明に曝け出される。

  「さて、そろそろクライマックスといきましょう。拳闘士、どうぞ」

  「待ってましたァ! そぉら、ご開帳だァッ!!」

  前垂れを横へずらして臀部を露出させると、両脚を縛り付ける触手が蠢き、刃竜は大股を開いた格好に固定される。催淫に痴れ果て、挿入を待ち侘びる雄膣と化した尻穴に、一本だけでも人間の平均的な逸物ほどはある拳闘士の指先が乱雑に突き入れられる。

  「へっへっへ……処女マンの締め付けだァ。まぁ、天下無敵の刃竜様が、まさかケツ掘られてアンアン喘いだことなんてあるわけねえよな」

  指を食いちぎらんばかりの締め付けと、まろび出る襞の鮮やかさを証拠にあげつらい、拳闘士は刃竜の性経験の浅さを嘲る。世間一般の常識に照らせば、何ら恥じ入ることなどないはずのそれさえも、衆人環視の元では羞恥を煽る材料となる。鍛えることなどできはしない柔らかな肉壁を抉り、前立腺を擦り上げる指先に、刃竜は自らの意志とは関係なく尻襞をひくつかせた。本来排泄器官でしかないはずの穴が、交尾のための器官として作り替えられてゆく。

  「じゃあ……俺様の蜥蜴チンポで処女喪失ってわけだ」

  高らかに告げられた陵辱の合図。

  そして、二つ並んだ半陰茎の先端が、未だ雄を知らぬ肛門を強引に割り開いた。

  「ぐ、ぎぃッ、ぎゃ、あ、ぎぃあぁぁぁぁぁッ!!」

  「ひゃァーっははははァ! 最強ヒーローの処女喪失だァ~!!」

  先行して押し寄せてくるのは、腸に直接焼け火箸を突き入れられたかのごとき感覚。しかし、括約筋を引き千切らんばかりの拡張がもたらすおぞましいまでの痛みさえ、肉塊が奥へと押し込まれる一突きの度に、背が浮き上がるほどの快感に変換される。それは全身を浸す触手の媚薬が為せる業なのか、それとも元々己に備わった淫蕩の気が掘り起こされた結果なのか。

  どちらにせよ、刃竜には恐ろしくてたまらなかった。

  全身を引き裂くほどの痛みと屈辱の中、それでも浅ましく快楽を求める己自身が。

  「たまんねぇぜ! 最高だァ!! このブトマラ二本で処女マンぶっ壊す時が、一番気持ちいいんだよォ……!!」

  身勝手を吐き捨てながら、拳闘士は腰の律動を加速させてゆく。縮んでは押し広げられ、押し広げられては縮む雄膣の内奥に、じわじわと滲む液汁が、肉襞と二本の剛直の合間から零れ出し、泡を吹いて流れる。

  「すっげ、締め付けてくんのにトロットロしてやがる……こいつァ名器だぜェ」

  「や、めろ……、そ、その、汚らわしいものを……ん、ぬ、抜け……ェッ」

  「抜けだァ? てめえが食いついて離れねえんだろうが! この淫乱ヒーローがッ!」

  自分が『ヒーロー』であることを無理やりにでも思い出させるその一言。そして、同時に刺し穿たれた尻奥の一点に弾けた、おぞましいまでの快感。ますます音量を増した嬌声が、嗄れた喉からなおも溢れ出す。

  「ふ、んぅ……ッ、くぅ……ッ!? んぁ、あぁっ! お、おぉっ、んほォッ!」

  「お、いいとこ突いちまったか? 刃竜サマの弱点、ケツマン奥にはっけ~ん!」

  更に勢いづいた連撃が、刃竜のなけなしの防備を矜持ごと打ち破る。

  「ち、違……ッ、そ、某は……感じて、などッ」

  「口だけ強がろうが、カラダは嘘をつけねえんだよッ! 大人しく哭いてろ雌野郎が!」

  「ひ……ぃぎィィィッ!!」

  口先だけの拒絶はあっけなく破れ、加速する突き込みの度に声が溢れる。百年以上の戦いの日々の中で培ってきたものが、一突きにつき一つ、悦楽の淵に溶けて霧散してゆく。

  「は、ぁッ、んぐッ、ぁがッ、あぁぁぁぁッ!! さ、裂け……壊れ……ぇぐッ」

  「それで先走りダラダラ垂らしてんだからどうしようもねえよなァ!? S級ヒーローの『S』は『SEX』のSだったってことかァ!? ひゃァーっはっはっはっはァ!!」

  周囲を飛び交うドローンが世界に配信する映像、そして眼前で目を瞑ることを許されない共鳴者が、壊れゆく刃竜をじっと見つめている。その事実を反芻すればするほど、体中に滾る熱は限界を超えて燃え盛り、褌の奥の触手に滴る甘露をますます垂れ流させる。

  「おらァ、もっと啼けェ! お茶の間の団欒にてめえの汚えイキ声響かせろォ!!」

  「ふぐぅッ! おぐ、あが……ひぎィッ! ぐ、ぁ、ああぁ……ッ、んぁ……ッ」

  荒ぶる突き込みに攪拌され、最早、言葉をまともに紡ぐことさえ困難なほどに蕩け切った意識の中。それでも、と呟く言葉が、微かに喉を震わせる。

  「く……屈、し……ない……」

  「――はぁ?」

  それは、英雄として邪悪に示し続けるべき勇気の言葉。

  自分にも、仲間たちにも、そして愛しい優醒の胸にも宿る――不屈の心。

  「某は、貴様ら、などに……ッ、屈しは……しない……ッ」

  しかしその確固たる音韻さえも、黒蜥蜴の狂笑の前にあえなく吹き消える。

  「……ふふふ、ふひひひひ、ふひゃ、ひゃは……ひゃァーっはっはっはっはっはァ!! 馬ッッッッッッッッ鹿じゃねえの!?」

  直後、拳闘士の突き込みがますます勢いを増す。抵抗すら叶わず、快楽の怒涛に押し流されるばかりの刃竜の肢体が、腰つきにつれて痙攣したようにびくびくと震え乱れる。

  「蜥蜴チンポ二本咥え込んで、褌ドロドロに湿らせてェ! 売女みてえにおマンコヒクヒクさせて! 全身ヌメヌメでイキ狂ってるてめえは! もう俺様に屈してるんだよ!!」

  嗜虐に膨れ上がった拳闘士の会陰に込み上げる著しい引き付けが、放精の合図となって一息に爆ぜる。それと同時に、刃竜も限界を迎えた。自分が何者であるのかさえわからなくなる忘我の境地で、ただ与えられた刺激に反応するだけの器官と化した肉棒が、布奥で暴発の時を迎える。

  「そぉら、二本分まとめて注いでやるよォ!! んぉ、おォッ、い、イくッ!!」

  「ぐ、お、おぁ、あぁ……ぐぁあああああああああああッ!!!」

  三度目の射精にもかかわらず、涸れることを知らない刃竜の種汁が、覆い被さる黒蜥蜴の肌をも覆い隠さんばかりに噴き上がる。体内を穢した二本分の精液と共に、内外から刃竜の白い鱗をなお染め上げる白き奔流が、敗れ果てた英雄の無残な末路を飾る。

  「――ぁ……ぐ、ぁ…………は、ァ……ぅ、ぁ………………」

  己の噴き出した精液に塗れ、生ける屍のごとくぐったりと倒れ伏す刃竜を前に、優醒は拳を握ることすらできずに項垂れた。その様子をカプセル越しにちらりと盗み見て、繫殖者は頃合いを察した。

  「配信をご覧の皆様、名残惜しいですがまもなくフィナーレとなります」

  どこか高揚を隠しきれない調子で、繁殖者はヘッドセットに指を添える。刃竜を拘束した触手の処刑台に手を触れ、電気刺激を送ると、処刑台を支える無数の触手が水音を立てて蠢動し、台をカプセルの前へと移動させる。目を逸らすことも許されないまま、カプセルの中に膝を突く優醒の前に、粘液と精液で見る影なく穢された刃竜の肢体が見せつけるように引き出された。

  「無敵のヒーローの胸に輝く燦然たる英雄の証・エナジーコア。今は見る影もなく弱々しい光を瞬かせるばかりのこちらを、刃竜の共鳴者・天導 優醒の眼前で握り潰します」

  満面の笑みを浮かべた拳闘士の左腕部が変形し、巨大なペンチ状のパーツが展開される。無慈悲な機械音を響かせながら、鋏口は絶望を煽るように、恐怖を長引かせるようにじわじわと刃竜の胸元に近付く。

  「正義の象徴が失墜し、悪徳と汚濁の時代が訪れる世紀の一瞬。皆様、どうぞ最後までお楽しみください」

  そして、カプセルの中から見上げる優醒の眼前で。

  苦悶と悦楽に痙攣しながら瞠目する刃竜の眼前で。

  弱々しく点滅するコアの上下を掴んだペンチの先端が、少しずつ狭まり始める。

  「や…………や、め…………ん、ぐぅ、が、ぁ……ッ」

  ライフエナジーに満たされてさえいれば、決して砕けるはずのない硬質なる結晶体。ヒーローの力の源にして、正義と誇りの象徴たる光輝の紋章。徐々に強まるペンチの圧力を受けたその表面に、稲妻様に入った一本のヒビが、乾いた音を立てながら放射状に広がってゆく。その有様を、刃竜は見ていることしかできない。恐怖に引き攣った頬に、悔恨と屈辱の涙を滴らせながら。

  そして、ついにその時が訪れる。無敵の勇者にとって、最も恥ずべき敗北の一瞬が。

  「あ、あぁ…………が、ぐぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ! ぬぅぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!」

  エナジーコアが砕け散る瞬間、一斉に放出されるライフエナジーから身体を守るため、全身の感覚――とりわけ、性感が鋭敏に研ぎ澄まされる。故に、コアを欠損したヒーローは、変異によって発生させた装備の全てを失うと同時に、この世のいかなる悦楽よりも数段上の快感を与えられる。脳髄を直接掴み扱かれ、暴力的に脳漿を噴き出させられるような錯覚と共に、刃竜――武蔵は隠すものを失った裸の肉棘から白濁の雨を噴出させる。

  肉の十字架に、囚われた武蔵の屈強な肉体に、そして号泣するばかりの優醒を収めたカプセルに。無慈悲な白い雨が、淫猥な粘着音と共にさめざめと降り注ぐ。

  「そ、某、が……ま、負け……る、わけ、には…………」

  朦朧とする意識の中で、武蔵は最早守れるはずのない使命を口にする。百年余りの時を戦った勇者として、この背を追う全てのヒーローたちの先達として、そして――たった一人の番を守る、一人の雄として。決して違えてはならない誓いが、粉微塵に消し飛ぶ。

  そして、瞼を閉じる一瞬に浮かぶ名前は――

  「ゆ………………優、醒…………」

  微かに漏れ聞こえたその声を最後に、武蔵は十字架の上で動きを止めた。世界の時間が止まったかのような一瞬が過ぎて、カプセルの中に慟哭が木霊する。しかし、その声を聞く者はいない。完全防音の壁の中で、共鳴者の痛切なる叫びは、無慈悲にも黙殺される。

  やがて、血の滲む手を体側に垂らし、優醒もまた動きを止めた。

  空っぽの口を小さく開き、虚ろを湛えた眼で、どこでもない場所を凝視しながら。

  「ひゃァーはっはっはっはっはっはっはァ!! 俺様のォ、完全勝利ィ!!」

  「拳闘士、そこは『俺様たちの』にしていただきたいのですが」

  「だから、細けえこと気にしてんじゃねえっての。ちったぁ余韻に浸らせろよ」

  全てが沈黙した後に蔓延るのは、英雄の心身を嬲り倒し、世界中の正義を信じる心を砕き散らす大業を成した後とは到底思えない軽口の応酬。しかし、それを見咎める者も、糾弾する者もいるはずはない。この場に唯一剣を構えていた刃竜も、力なくとも折れぬ心で抗い続けた優醒も、とうに『壊れてしまった』後なのだから。

  しかし、このまま終焉するかに思えた狂宴の席に、扉を蹴破り押し入る者がいた。

  ※

  「――刃竜殿……ッ!」

  「し……師匠ッ!!」

  驚愕の声と共に、雪崩れ込む三つの影。だが、全ては遅きに失していた。

  「貴様ら……よくも我が師をォッ!!」

  「繁殖母体ごと直置きして二時間十五分……もう少し保つと思ったんですが」

  怒り狂う剛拳の雄叫びを気にも留めずに、繁殖者は懐中時計の針を残念そうに眺める。蔦状生物兵器を生み出す「プラント」をわざわざ防衛のためだけに配置し、そこから這い出る無尽蔵の兵力を迎撃に当てたのなら、軽く半日、長く見て一日以上は時間を稼げるはずだった。もし彼らが予想通りの力を発揮してくれていたなら、無粋な乱入者など迎えずに済んだのに。

  「じきに全国から増援も駆け付けます。大人しく投降した方が身のためですよ」

  「へっ、大口叩きやがって。こちとらには立派な人質が二人も……何ィッ!?」

  居丈高に言い放つ大鷲に、拳闘士が大口を叩いて反駁した次の瞬間、狩人たちの傍らにあったはずのカプセルが不意に消える。見渡せば、代わりに現れたのは見慣れない氷柱と、その上に担ぎ上げられたカプセル――そして、カプセルの傍らに生成した氷の足場に佇む灰狼の姿。

  「おい、繁殖者! 毒ガスはどうしたァッ!?」

  「故障……いや、そんなはずは。まさか……噴射装置だけを凍結させた……!?」

  いくらパルスを放っても、カプセル内に猛毒の気体が充満する気配はない。それどころか、そう容易くは破れないはずのカプセルの栓があっさりと外されている。人質を懐に抱え、崩れ落ちる氷の柱から颯爽と飛び降りるブリザードヴォルフ。その怜悧な瞳が、冷たい怒りに鋭く尖る。

  「……次は貴様らの番だ。楽に死ねると思うなよ」

  絶対零度を思わせるその宣告に一瞬たじろぎながらも、繁殖者はすかさず不敵な笑みを浮かべる。懐から取り出すのは、掌大の小さな種子。生命の息吹を感じさせる小さな若葉が、毒々しい紫光に包まれると、瞬く間に巨木にまで成長した。

  「少々貴方がたを見くびっていたようです。軽侮の返礼にこちらをお受け取りください」

  立ち塞がるのは、天井を突き破らんばかりの巨躯。繁殖者の異能によって瞬く間に巨人型の生物兵器と化した巨木が、英雄たちの行く手を阻む。

  「待て! 刃竜殿を解放しろ!!」

  追い縋る剛拳の前方に、巨木の指が突き刺さる。異能の力により、一瞬にして無数の年輪を刻まれた歪な命が、生きた防護柵となって追撃を阻む。またしても立ち塞がる、罠と謀りの分厚い壁。滲み出る焦りを表すかのように、三人の拳がぎちぎちと音を立てる。

  「まぁ、これだけやればクライアントも満足でしょう。撤退します」

  「あばよ、クソ雑魚ども。そのうちてめえらもボコボコにして晒してやるよ!」

  刃竜を磔にしたままの処刑台が蠢動し、見かけによらぬ速度で疾駆する。その脇に掴まった悪漢どもの捨て台詞が、大木の防備を破らんと懸命に戦う三人の耳介に響き渡った。絶対に逃がすわけにはいかない。その一心で、グレートレオンは己のマスクに内蔵したトランシーバーへ叫ぶ。

  「こちらグレートレオン、敵が刃竜殿を連れて逃走した。至急追跡を!」

  司令部へ通信を飛ばしながら、純白の獅子は迫り来る巨木の拳を殴りつける。複数人で挑みかかれば倒すのは容易い、文字通りの独活の大木。だが、その大木を切り倒すまでにかかるほんの僅かな時間の内に、救うべき相手は遠く彼方へと連れ去られてゆく。一歩及ばぬ悔しさに、声にならぬ呻きが一つ、マスクの下に霞んで消える。

  「……天導 優醒。大丈夫か」

  仲間たちの激闘が続く傍らで、ヴォルフは戦いの余波を逃れ、廃倉庫の隅へ運んだ優醒をそっと下ろす。可能な限り和らげた声で問いかけてみても、空蝉のように身を丸める青年には届かない。震える肩をきつく抱き締めて、氷の奥にある温もりを分けてやることしか、今のヴォルフにはできなかった。

  ――白竜と青年にとって、温かな思い出の一時となるはずだったその日。世界は、一人の英雄を失った。卑劣な策略と、最低最悪の侮辱によって。

  ※

  ヒーロー協会本部・待機ロビー。常日頃は出撃に備える戦士たちの憩いの場となり、時に朗らかな談笑で溢れる和やかな一室が、今日に限っては暗く淀んだ空気に充ちていた。

  「――輝重。彼の様子は」

  「命に別状はありません。マインドエナジーの消耗も許容範囲内ですが……」

  言い淀むフェザードブレイブタイガー――鷲宮 輝重の意図を察して、グレートレオンこと獅子塚 豪はテーブルに組んだ両手を強く握った。鬣の一本まで悲痛に沈むその横顔に、輝重は嘴を下げながら報告を続ける。

  「精神は憔悴しきっています。武蔵さんが敗れたのは自分のせいだと、譫言のように繰り返して……」

  終日監視の病室で項垂れ、光のない眼で虚空を見つめる青年の姿を想起するほど、豪の胸に己の無力への激しい怒りが込み上げる。あと一分でも早く、あの場に駆け付けられたなら。あと一秒でも早く、障害を排して敵の背を追えていたなら。数多脳裏を巡る虚しい仮定が、喉を鳴らす唸りとなって一面に響き渡る。

  そしてこの場には、憤りに囚われた獅子がもう一人。

  「……こいつら……ッ!!」

  剛拳――轟 拳士が握り潰した携帯端末に映し出されていたのは、狩人たちが行った刃竜への冒涜的な陵辱、その一部始終を映し出した配信動画の群れ。協会のサイバー犯罪対策課から全世界のサーバ管理者へ削除依頼が行われてはいるものの、一度広く流出したデータを完全に消し去ることなどできるはずもない。誰が言い出したやも知れぬ『消せば増える』の悪しき法則そのままに、地下を巡る光ファイバーの束を、凄惨な性拷問の様子がモザイクさえない状態で流通しているのが現状である。

  「よくも、よくも師匠を……! 師匠の尊厳を……ッ!!」

  匿名の悪意が渦巻くネットワークの深淵で、今も師の痴態が顔も知らぬ何者かの嘲笑と共に拡散されている。やる方ない苛立ちが無軌道な破壊の衝動となり、地に墜ちた端末を粉々になるまで踏みにじらせる。

  「よせ、拳士」

  「氷牙さんは悔しくないのか!? 師匠が――武蔵さんが、こんな……」

  「…………俺だって……悔しい……」

  ブリザードヴォルフ――大神 氷牙。滅多なことでは感情を表に出さない彼の頬を伝うらしからぬ涙に、拳士はたまらず押し黙る。この場に燻る誰もが、そして己の面子を見る影なく潰されたヒーロー協会という組織全体が、絶え間ない辱めと湧き起こる後悔に軋んでいる。

  それでも、歩みを止めるわけにはいかない。

  奪われたものを、この手に取り戻すために。

  「――いずれ雪辱の機会は訪れるはずだ。次こそは必ず勝つ」

  すっくと立ち上がった豪の拳が、高らかに天を衝く。それはまるで、彼や輝重が普段身を置くもう一つの戦いの舞台――プロレスリングにおいて、選手たちが所信を掲げる高らかな声明のように、同志たちの胸に熱く鳴り渡る。

  「そして、武蔵さんを救い出す。彼の――優醒の笑顔を、取り戻すためにも……!」

  突き出し連ねた四つの拳に再起を誓い、英雄たちの戦いは果てしなく続く。たとえその行く手に待ち構えるのが、想像を絶する苦難の道であったとしても。

  胸に滾る正義と勇気がある限り、闘志を支える心は折れない。

  それが、刃竜が去り際に残した、英雄たる者の在るべき姿なのだから。

  [newpage]

  <次回予告>

  『[[rb:狩人 > ヴェナトール]]』の再来に備え鍛錬に励むヒーローたちの元に届いた一通の手紙。

  それは、[[rb:繁殖者 > クルトゥーラ]]が誘う地獄への招待状だった。

  迫り来る何重もの罠、行く手を阻む新たなる脅威。

  謎のヴェールに包まれた、その正体は。

  次回、『優醒、絶叫!非情なる邪竜の刃!!』にご期待ください。

  [newpage]

  ■敵キャラクターの設定

  ・『狩人(ヴェナトール)』

  ●繁殖者(クルトゥーラ)

  『狩人』の頭脳担当。生物兵器の研究・開発を得意とする異能者。しなやかな細身、猫背のハイエナ獣人。

  慇懃無礼な敬語で話す。また、全体的なセンスがどこか常人とズレている。

  力で自分より勝るものを搦手で翻弄し、一敗地に塗れさせて嘲笑するのが至上の悦び。

  ただし、拳闘士と違って直接相手を痛めつけたり犯すことはせず、使役する生物兵器に全てを任せるスタイルをとる。

  (汚らわしいので他人に触りたくない、というのが理由。陵辱した相手を見て興奮しても、性玩具用のスライムを逸物に纏わりつかせて自慰に耽るだけ)

  異能は「大きく育て(Beanstalk)」。直接触れた生物の成長を急速に早めることができる。高速で老化させて弱らせたり、殺すこともできる。

  ただし、一定以上の知性がある生物には通用しない。(犬の中でも賢いものには効かず、イルカあたりにはほぼ効かない。人間には確実に効かない)

  もっとも、繫殖者はこの能力を自分が開発した生物兵器に対してのみ使うので特にデメリットにはならない。

  この異能を用いて懐に忍ばせた生体兵器の幼体を急速成長させてけしかけるのが基本的な戦闘スタイル。

  「『クライアント』からの依頼は二つ。一つ、貴方とその共鳴者の捕獲。もう一つは――貴方の無様な敗北を、全世界に向けて配信すること」

  「遠慮しておきます。生憎、他人と乳繰り合うなどという汚らわしい趣味はありませんので」

  「嗚呼……素敵ですね、その表情……あとで録画から切り出して、全国のコンビニエンスストアでプリントアウトできるようにしておきますね」

  「この子らに愛着がないわけではありません、何せ生みの親ですからね。ただ、目的のためには必要な犠牲もあるということで」

  ●拳闘士(プグヌス)

  『狩人』の荒事担当。武蔵をも上回る巨躯の蜥蜴人(リザードマン)。

  (蜥蜴人は竜人に似た容姿でありながら竜人のような特別な種族ではないため『亜竜人』『竜人モドキ』と呼ばれて馬鹿にされがちで、竜人への逆恨みが深い)

  その巨体は繫殖者の技術による生体改造の賜物。かつて刃竜に敗れて死にかけていたところを繫殖者に改造されて蘇生、今の姿になった。

  (なお、改造によって容姿があまりにも様変わりしているうえ、改造前は武蔵の記憶に残らないほどの雑魚だったため、武蔵には全くといっていいほど身に覚えがない)

  当人は繫殖者に感謝すると共に「同類」として仲間意識を持っているが、繫殖者は内心彼を「使い勝手のいい駒」と蔑んでいる。

  他人の苦痛に歪む顔に興奮を禁じ得ない生粋のサディスト。己の拳で屈服させた雄を性的に甚振って『雌』にしてやるのが三度の飯より好き。

  異能は「殴らせろ(Beleth)」。両目で見据えた相手に『必ず拳を命中させる』。距離を取っていても拳状のオーラが飛来して、必ず命中する(防御は可能)。

  因果を捻じ伏せて「命中した」という結果を取り寄せるため、どれほどの速度で反応しても回避できない。

  発動するためには必ず相手を見据えていなければならない。(視界を遮られると拳は届かない)また、拳の威力自体は当人の鍛錬次第である。

  元々はただの筋力強化の異能だったが、繫殖者の生体改造によって性質が変化した。よって、武蔵はこの異能を知らない。

  「ようやく会えたな、刃竜! この胸の傷、忘れたとは言わせねぇぞ!」

  「テメェらが……テメェらが馬鹿にするからだ! この俺様を! 誰より強ぇこの俺様をッ!! 馬鹿にしやがるからァァァッ!!」

  「殴らせろ、殴らせろ、殴らせろォッ! 澄ましたツラして善人ぶってりゃカネもヒトも寄ってくる竜人様の顔をォォ!! 殴らせろォォォォッ!!!」

  ・『クライアント』

  『狩人』に資金や研究資材を提供し、日本のヒーローを倒して名を上げるよう持ち掛けた謎の黒幕。

  優醒を捕らえたマインドエナジー遮断カプセルは彼らの商品。

  その正体は異能者を洗脳して生体兵器と化し、各国に戦力として売り飛ばそうとする死の商人である。

  無論『狩人』の二人も例外ではなく、『クライアント』にとってはいずれ自分たちの手駒となるただの道具に過ぎない。