三話

  一行は熊の獣人とヒト族の男の二人組に案内され、雪の丘を登り始めた。

  緩やかな坂道ではあるが、深く積もった雪が歩みを阻む。

  一歩踏み出すたびに重い音が響き、冷たい感触が靴の隙間から足首を伝い、肌を刺した。

  だが、丘を上がるにつれて周囲の空気は不思議な温かみを帯び、頬に触れる雪の結晶が体温に吸い込まれるように柔らかく溶けていく。

  「ヴェルガン様のご加護だよ。この丘だけは雪が穏やかで、いつでも参拝しやすいようになってるんだ」

  熊の獣人が豪快に笑い、毛深い太い腕で雪を払った。

  先頭を行く彼の背中は、雪景色の中で頼もしいほどに大きく、その野性味のある匂いが冷気と共に漂ってくる。

  ウォルカは雪を蹴る脚に力を込め、自然な会話を装いながら情報を探った。

  「ヴェルガン様はどのようなお方だ? 外来者に対しては厳しいと聞くが……」

  「そうか? 厳格な方だが、誠意があればちゃんと応えてくれるぞ。ヴェルガルドの民はみんなヴェルガン様が好きだぜ」

  ヒト族の男が蓄えた髭を撫でながら、誇らしげに補足した。

  「王様もヴェルガン様のご神託を大事にしてる。魔導具規制も、すべては竜脈を守るためだ。竜脈が傷つけば国が終わる……皆、その重みをわかっているのさ」

  ティーガの肩で、リューゴが誰にも聞こえぬほどの小声で毒づいた。

  「……ふむ、昔はこんなに信心深くはなかったがな。あの地味なヴェルガンのくせに、人気取りでもしたのか……」

  頂上に近づくと、雪のヴェールの向こうから、荘厳な石造りの神殿がその姿を現した。

  灰色の石壁には緻密な竜の彫刻があしらわれ、重厚な屋根には綿帽子のような雪が厚く積もっている。

  柱を飾るのは紫黒の鱗を模した美しい装飾、そして扉には巨大な竜の頭部が浮き彫りにされていた。

  静寂と神秘に包まれたその佇まいに、アリオスが素直な感嘆の声を上げた。

  「おおー、かっこいいなー!」

  ウォルカも紅い瞳を細め、その神聖な気配に見入った。

  「……立派だな。さすがは一国の守護竜を祀る神殿だ」

  二人組はにやりと意味深な笑みを交わすと、重厚な扉に肩を預け、一気に押し開けた。

  「さあ、中へどうぞ。ヴェルガン様に最高の祈りを捧げようぜ」

  その瞬間、重苦しいほどの熱気と、湿り気を帯びた生温かい空気が、噴き出すように一行の顔にぶつかってきた。

  「…………は?」

  ウォルカの耳がぴくりと震え、白い尻尾が何かに打たれたように凍りつく。

  神殿の内部には、期待していた荘厳さなど微塵もなかった。

  そこは、聖域の名を借りた巨大な乱交場と化していたのだ。

  広大なホールの石床には毛布やマントが乱雑に敷かれ、そこかしこで無数の男たちが絡み合っている。

  汗の蒸せ返る臭いと、精液の濃厚な生々しい香りが充満し、鼻腔を強く突いた。

  絶え間なく響くのは、獣のような荒い吐息と、肉が激しくぶつかり合う湿った音。

  体液が絡み合う水音が、壁に反響して脳を直接揺さぶる。

  壁際では、屈強な角を持つ鹿の獣人が、逞しい体躯のヒト族を四つん這いにさせ、背後から激しく腰を打ちつけていた。

  受け手の男は涙目で喘ぎながらも、欲情に染まった顔で自ら尻を振り、石床には二人の汗と体液が混じり合い、白く濁った水たまりを作っている。

  別の場所では、数人の男たちが車座になり、互いの陰茎を競い合うように口に含んでいた。

  吸い上げられる音と共に、糸を引く精液が朝の光を反射して、いやらしく銀色に輝いている。

  祭壇の前では、さらに凄惨なまでの情景が繰り広げられていた。

  竜の彫刻が静かに見下ろす中央で、一人の男が仰向けにされ、口と後ろを同時に埋め尽くされていた。

  震える体躯、溢れ出し腹部を汚す白濁……。

  神殿全体が、男たちの昂ぶる生命力と情欲の熱気で、濁った湯気を立てているようだった。

  二人組は当然のように上着を脱ぎ捨て、筋肉質な肉体を晒した。

  「よし、俺たちも混ざるぜ! 兄ちゃんたちもどうだ? これぞ竜脈に生命力を捧げる、最高の祈りだぞ!」

  アリオスの瞳が、かつてないほど爛々と輝いた。

  「うおおおおおお!!! すげー!! これが神殿!? マジで!? 俺も、俺も混ぜてくれ!! スケベがいっぱいだーー!!」

  「わはははは!! なるほどな! あのムッツリヴェルガンらしいな!!」

  リューゴが鼻息を荒くして嘲笑し、シグルドは「ほっほっ」と楽しげに顎を撫でている。

  ティーガだけが、隣に立つウォルカの横顔を覗き込み、危うい気配に息を呑んだ。

  ウォルカは瞬時に現状を切り捨てた。

  「……これは神殿の名を借りた、ただの不潔な場です。こんなところで時間を無駄にしている場合ではありません。すぐに退散を」

  アリオスの視界を遮るように腕を広げるが、興奮の絶頂にある王子はウォルカの腕をすり抜け、全速力でその肉の渦へと飛び出した。

  「竜脈の活性化だろー!? リュゴニアにも取り入れなきゃだろ! 見学だ、見学ーー!」

  その瞬間、ウォルカの中で何かが「ぶちり」と音を立てて千切れた。

  「チッ――いい加減にしろッ!!」

  ウォルカの長い腕が電光石火の速さで伸び、アリオスの襟首をがっちりと鷲掴みにした。

  逆立った白い毛並みが凄まじい威圧感を放ち、紅い瞳は凍てつく氷のように冷たく光る。

  鍛え抜かれた体躯を誇るウォルカは、抵抗するアリオスをそのまま神殿の外へと力任せに引きずり出した。

  冷たい雪が舞う石畳の上に、アリオスの身体が放り投げられる。

  そこへ、ウォルカが巨大な影となって立ちはだかった。

  「ふざけるのも大概にしろよ、お前。自分が今どのような境遇にいるか忘れたのか?」

  狼の獣人としての本能的な威嚇が、周囲の空気を重く押し潰す。

  伏せられた耳と、激しく揺れる尻尾が、彼の限界を超えた苛立ちを物語っていた。

  「国を追われ、命を狙われている身で、することがそれか? お前は王族だろう。リュゴニアの未来を、民の命を預かる身として、少しは自覚を持て!!」

  アリオスは目を丸くし、雪の上で呆然と固まっていた。

  初めて見るウォルカの本物の怒りに、完全に言葉を失っている。

  苦笑いを浮かべるティーガの隣で、リューゴは「しめしめ」としたり顔を浮かべ、シグルドはこれ以上ないほどの満面の笑みでその光景を眺めていた。

  外の冷気の中で、ウォルカの白い吐息が荒く立ち上る。

  逆立った毛並みと、唇の端から覗く鋭い牙。

  その気迫に押され、周囲の雪さえも近寄れないような緊張感が漂う中、鈍く乾いた拍手の音が響いた。

  「いやはや、ウォルカ殿の素晴らしいご指導でございますな。殿下、呆けていても仕方ありませんぞ。お言葉を」

  シグルドの声に、アリオスの黄金の鬣がへなへなと垂れ下がった。

  興奮の炎は消え失せ、彼は唇を噛み締めながら、雪の上に視線を落とした。

  だが、アリオスは逃げなかった。

  ゆっくりと、しかし確かに顔を上げる。

  その黄金の瞳には、未熟な動揺を残しながらも、王族として芯のある光が灯っていた。

  「……貴殿の諫言、しかと受け入れる。

  ……肝に銘じよう」

  短いが、重みのある言葉。

  そこには、単なる軽薄な王子ではなく、己の無知と無責任を突きつけられた一人の男としての覚悟が滲んでいた。

  鬣の先がわずかに震え、頬に赤みが残っているのは、気恥ずかしさゆえか。

  アリオスの言葉に、ウォルカの瞳の奥で燃えていた怒りが、波が引くように鎮まっていく。

  逆立っていた白い毛並みが滑らかに戻り、剥き出しの牙が隠れた。

  (……冷静になれ。俺は教育係だ。苛立ちに任せて、王の芽を摘んでどうする)

  自らを戒めるように一度目を閉じ、隣で自分を見守るティーガの視線を受け止めた。

  その宥めるような温かな眼差しに支えられ、ウォルカは深く、冷たい空気を肺に溜め込んだ。

  再びアリオスへ視線を向ける。今度は威圧ではなく、一人の導き手としての落ち着いた声をかけた。

  「……リュゴニアの王子として己を磨き、大局を見据えた判断を心がけてください。俺は、殿下の成長を信じています」

  アリオスは神妙な顔つきで黄金の鬣を揺らし、わずかに頷く。

  ウォルカはシグルドの計算高い笑顔と、リューゴの面白がるような視線に気づくと、重いため息と共に肩を竦めたのだった。