黄金の鬣と白靄の桃源郷

  ​意識の混濁の中からアリオスを呼び戻したのは、柔らかな日だまりのような温かさと、どこか懐かしい花の香りだった。

  (……ん……ここは……?)

  頭に鈍い痛みを感じて顔を顰めると、視界を塞いでいた闇が、淡い桃色の光に溶けていく。

  視界が晴れたとき、アリオスは自分の後頭部がやたら柔らかい何かに預けられていることに気づいた。

  ​「あ、目が覚めました?良かった……!お怪我は大丈夫ですか?」

  ​目の前には、慈愛に満ちたヒナタの心配する顔があった。

  そして、アリオスの視界の下の方には、白くしなやかな一対の「太もも」が、彼の頭を優しく、しかし確かな存在感をもって挟み込んでいる。

  ​「うわっ!? お、俺は……!? 柔らかっ……すまない、こんな……!?」

  ​パニックを起こして飛び起きようとするアリオスだったが、ヒナタの掌から注がれる淡い癒やしの光が身体をふわふわと弛緩させ、指先一つ動かすことができない。

  ​アリオスは顔に血が昇るのを感じて必死に堪えた。同時に何故か股間に集まる熱にも抗った。だが、後頭部から伝わるヒナタの体温は、情け容赦なく彼の理性を削り取っていく。

  ​「お気を確かに。殿下の命を奪わんとした不届き者は、今この通り、深く反省しておりますので」

  ​傍らで、シグルドがいつもの冷静な、しかしどこか楽しんでいるような声で告げた。

  視線を向ければ、部屋の隅ではサコンが畳に額を擦り付け、もはや彫像のように硬直して土下座をしていた。

  ​「……アリオス殿下、私の浅はかな早とちりで、外つ国の至宝を損なうところでした……! かくなる上はこの腹を裂いて、この無礼をお詫びいたしたく……ッ!」

  ​「さ、サコン! 殿下はそんなこと望んでいらっしゃらないわ。ね、アリオス様?」

  ​ヒナタが困ったように笑い、アリオスの頭をなでるように癒やしの術を強めた。

  その優しい「なでなで」に、つい堕落した思考に支配されそうになるが、使命を思い出してはっとする。

  ​「え、……!? シグルド、俺の正体を……?」

  「左様です。かような事態なれば、殿下の御身分を明かすのは致し方ありません。……サコン殿、面をお上げください。殿下は御心の広いお方です。貴殿のそのお姿にすべてを許されることでしょう」

  ​シグルドの淡々とした、そして逃げ場を塞ぐような言葉に、アリオスは必死に王子としての体面を取り繕った。

  ​「そ、そうだな! 誤解が解けたなら、それで良い。サコン殿、それ以上畳を汚す必要はない。俺も……この島の文化について勉強不足で、気を揉ませてしまったな。許してくれ」

  ​「ああ、ああ……、なんと寛大なお言葉……! ありがたき幸せにございます、殿下……ッ!」

  ​サコンが涙ながらに平伏する。その様子にヒナタは呆れながら、アリオスを申し訳なさそうに見つめた。

  ​「アリオス様、ありがとうございます。わたくしからも父上に、素晴らしい方がいらしたとお伝えしておきますね」

  ​「ち、父上!? ……ヒナタさんは、この国の姫君だったのか……!」

  ​アリオスは、期せずして使者としての第一歩を踏み出せた喜びと驚きに起き上がる。頭部には既に痛みはなく、ヒナタの膝の感触だけが残っていた。

  ―――

  ヒナタとサコンが去った後。アリオスは乱れる心をどうにか立て直し、シグルドを伴って視察という名目の気分転換に街へと繰り出した。

  ホムラサキの市場は活気に満ち、平和の象徴のような賑わいを見せている。だが、アリオスの心は一向に晴れない。歩を進めるたびに、ヒナタの太ももの柔らかな感触や、掌から伝わった癒やしの光の温かさが、幻影となって脳裏を掠める。そのたびに、彼の股間はむくむくと猛り、絶え間なく自己主張を繰り返していた。

  (……くそっ、なぜだ! なぜあのお姫様のことを思い出すだけで、俺の誇りはこんなにも猛るんだ!? 落ち着け、落ち着け俺……!)

  悶々と股間を膨らませては萎ませる主人の様子を、シグルドは少しばかり思案げに見つめていたが、やがて温泉街の片隅にある看板を指差した。

  「アリオス様。なにやら面白い施設があるようです。異国の文化を知るのも使者の務め、行ってみてはいかがでしょう?」

  アリオスは己の煩悩を振り払うように、その温泉の門をくぐった。

  「おっ、外国のお客さんか! 蒸処は初めてかい? 一緒に汗を流そうぜ!」

  湯気に蒸された室内は、男たちの熱気と薬草の香りに包まれていた。談笑していた筋肉質の男たちが、アリオスの姿を認めると、親しげに笑いかけてくる。野卑な敵意など微塵もない、男たちばかりの空間に、アリオスは安堵の溜息を漏らした。

  男たちはアリオスとシグルドを木のベンチに座らせると、物珍しげにライオンの豪奢な鬣を撫で回し、肩を組んでくる。やたらと馴れ馴れしい密着に戸惑いながら世間話に応じているうちに、彼らの手はいつしか肩を離れ、背中を滑り、腰に巻いた手拭いの中へと音もなく潜り込んできた。

  「えっ!? えっ、なに、ここって……そういう場所なのか!?」

  驚きと好奇心の混じった声を上げるアリオスに、男はニヤニヤと笑いながら逞しい指先で身体を揉みしだいてくる。

  「はは、ウブなんだな、兄ちゃん。安心しろよ、これはこの島の流儀……ただの『あんま』だよ。汗と一緒に体の中の悪いものを出しちまおうぜ!」

  「体の中の悪いもの……なるほど、デトックスというわけか。ならば……頼む」

  アリオスは期待に脈打つ鼓動を隠すように、深く頷いた。

  男たちは待ってましたと言わんばかりに、水を得た魚のような手つきでアリオスの身体をまさぐり始めた。熱気に汗ばんだ掌が、分厚い胸板から腹筋を丹念に撫で上げ、やがて彼の急所へと容赦なく吸い付いていく。

  「おう、なかなか良い身体じゃねぇか。ライオンの獣人はこの島じゃ珍しいから嬉しいぜ」

  「今日は俺たち、ツイてるなぁ」

  男たちの愛撫は次第に遠慮を失い、一人が乳首を指先で執拗に弄り、もう一人はアリオスの誇りをその掌で熱く擦り上げた。

  しかし——。

  アリオスの股間は、まるで死んだ魚のように沈黙したままであった。

  「はは、随分と我慢強いんだな。遠慮しなくていいんだぜ?」

  「緊張してるのか? リラックスしろよ、ほら、気持ちいいだろ?」

  (気持ちいい……っ。確かに、この者たちの手は力強くて……頭が痺れるほど熱くなる……!)

  だが、やはり。ヒナタの膝枕では考えるだけで破裂しそうに昂ったアリオスの聖剣は、今や身体から切り離された異物のように、ふにゃふにゃと萎びたままである。男たちの熱い吐息が首筋にかかり、敏捷な指先が裏筋をなぞっても、返事はないままだった。

  「おやおや、兄ちゃん、随分と慎ましいんだな。こんなのはどうだ?」

  「こっちが好きなのか? それとも、もっと奥か?」

  男たちは躍起になってアリオスを陥落させようと、本腰を入れた愛撫を開始した。そして、その指が遂に後ろへと潜り込もうとした瞬間——。

  「あっ! やめ……そこはっ、……んあぁぁッ!!」

  アリオスは目を見開き、ガクガクと肢体を震わせた。

  ——ぴゅくっ。ぴゅるっ……。

  力なく、透明な蜜と少量の白濁が、死んだ魚からこぼれ落ちる。その瞬間、室内に満ちていた喧騒は止み、気まずい静寂が流れた。

  「…………」

  それは嘲笑ではなかった。彼らの瞳に宿ったのは、あまりに痛ましいものを見るような、深く、慈愛に満ちた同情だった。

  「お、おう……。イ、イっちまったのか……?」

  「……。……落ち込むなよ兄ちゃん。大丈夫だって、そんな日もあるさ」

  「……そうだよな、旅の疲れが溜まってんだろう。な? 悪いものも出したことだし、ゆっくり湯に浸かってけよ、な?」

  男たちが、病人を労わるかのように優しくアリオスの肩を叩く。その慈悲深すぎる言葉の一つ一つが、王子の誇りを千々に切り裂いた。

  「お、俺は……! 俺は……っ! うわああああ!!」

  旅先で晒した己の不甲斐なさに、アリオスは顔を真っ赤にして、逃げるように蒸処を飛び出していくのだった。

  一方、隣の台座では、もはや「あんま」の概念を根底から覆す光景が繰り広げられていた。

  「おやおや……そんなところに力を入れては、すぐに崩れてしまいますぞ。……真の快楽とは、この『点』を突くのです」

  シグルドは片手で男の首筋を冷徹に固定し、もう片方の指先を男の尻の割れ目へと、躊躇なく、しかし洗練された動きで突き入れた。

  「おっ!? おっほぉぉっ……!」

  「おや、これだけで果ててしまわれたのですか? 鍛え方が足りませんな。……そちらの貴方はいかがですか? おや、ここが凝っていますね。しっかりほぐして差し上げましょう」

  「あっあっあっ! あぁぁぁ……っ!」

  シグルドの指が動くたびに、島の屈強な男たちが、白目を剥いて腰を跳ねさせ、噴水のように白濁を撒き散らしていく。シグルドはそれを華麗な身のこなしで避け、優雅に微笑んだ。

  「貴殿らの『あんま』はいささか手緩いようですな。もっと深く、丁寧に……こうです」

  「あおっ! おおんっ! す、すげぇ……!!」

  執事の表情はどこまでも冷静で格調高いが、その手は流れるように男たちの急所を次々と捉え、陥落させていく。

  「……なるほど。島の者たちは、大陸よりも感度が良好なようです。開発の余地が大いにありますよ。……また機会があれば、ぜひお相手願います」

  シグルドが興味深げに独り言つ。アリオスが飛び出していった後の蒸処には、汗と白濁にまみれた男たちの山が、死屍累々と築き上げられていた。

  ―――

  蒸処から宿への帰り道、アリオスの足取りは幽霊のように生気がなかった。

  (男に、反応しなかった……。あんなに熱く、執拗に弄られたのに、俺の誇りは『無』だった……)

  一方、隣を歩くシグルドは、涼しい顔でモノクルを押し上げている。だが、その口角は、本人も無意識のうちに数ミリだけ吊り上がっていた。

  「……殿下、そう落ち込まれずに。ホムラサキの『あんま』は実に興味深い技術でしたぞ。おかげで私も……ふふ、良い『指の運動』になりました」

  (……こいつ、絶対に楽しんでいやがったな)

  アリオスはシグルドの邪悪な愉悦を察し、さらに精神的な疲弊を深めながら、自室へと逃げ込んだ。

  宿の部屋。行灯の暗い光の中で、アリオスは布団に横たわった。目を閉じれば浮かんでくるのは、男たちの逞しい指先……ではなく、あの桃色の癒やしの光。そして、後頭部を優しく受け止めてくれた、ヒナタの柔らかすぎる太ももの感触。

  (……ああ。……柔らかかったなぁ、ヒナタさん……)

  その瞬間だった。

  蒸処でどんなに弄られても死んだように沈黙していたアリオスの股間が、ドクンと猛烈に脈打った。瞬く間に熱を帯び、布地を突き破らんばかりの硬度で、鋼のような剛直が屹立する。

  「……な、なんで今さら!? しかも、こんな……はち切れそうなくらい、ギンギンに……ッ!!」

  男には一切反応せず、女の記憶にだけ激しく、忠実に反応する己の肉体に、アリオスは混迷を極めた。

  「俺は……、俺は本当におかしいのか……ッ!?」

  アリオスが己の「異端の目覚め」に震え、剛剣を鎮めようと悶絶していたその時。

  壁一枚を隔てた隣の部屋から、甘くも苦しげな雄叫びが響いてきた。宿の空気を芯から震わせ、床板から伝わるほどに重厚な、ティーガの咆哮。それは快楽に身を委ね、主に魂までもを差し出した獣が放つ、壮絶なまでの絶頂の声だった。

  「ひっ……!? な、なんだ、何が起きてるんだ……ッ!?」

  「これはこれは……。落ち着いてください、殿下」

  布団に潜り込むアリオスの耳に、シグルドの涼やかな、だがどこか「壁の向こうの熱量」を楽しんでいるような声が聞こえる。

  「どうやら今宵のリューゴ様の補給は、一段と濃密なようですな」

  「く、くそうっ!! 俺は……俺はこんなだというのに、みんなしてお楽しみだなんて……! 寝る! 俺はもう寝るぞ!!」

  アリオスは叫び、股間の「猛り」を隠すように布団の中で身体を丸めた。隣からは、なおも激しく、肉のぶつかり合う音と、ティーガの甘く狂おしい喘ぎが絶え間なく聞こえてくる。

  そして時折、

  「フスーーーっ! 素晴らしい生命力……! もっと……もっと出すのだ……!」

  というリューゴの邪悪な囁きの声までが夜の闇を裂いた。

  (……ホムラサキは……平和な島なはずなのに……っ! 俺の悩みは深まる一方だ!!)

  ヒナタへの煩悩、治まらない剛直、そして隣室から響く野性味溢れる情事の嵐。

  アリオスの苦悶の夜は、まだ始まったばかりであった。