そのサーカスには奇妙な噂があった。
一度でも見た者は忘れられない。
そして二度目を見た者は、必ず何かが変わる。
そんな噂だ。
地方都市の外れ。
森に囲まれた空き地に、赤と白の巨大なテントが建っていた。
看板には金色の文字でこう書かれている。
「グランド・アルカディア・サーカス」
高校生の翔太は友人たちと面白半分でそのサーカスを訪れた。
客席は満員だった。
子供も大人も笑顔で席に座っている。
やがて照明が落ちた。
リング中央へ現れたのは黒い燕尾服の団長だった。
「皆様、ようこそ。」
団長は深々と頭を下げる。
その笑顔は妙に不気味だった。
「今夜は特別な演目をご覧いただきましょう。」
大きな檻が運び込まれる。
中には巨大な熊がいた。
普通の熊ではない。
二本足で立ち、まるで人間のように観客へ手を振っている。
拍手が起きた。
熊は満足そうに胸を張る。
その表情はどこか誇らしげだった。
まるで拍手を理解しているようだった。
熊は玉乗りを披露した。
火の輪をくぐった。
巨大な体で器用に踊った。
観客は大喜びだった。
その時だった。
歓声を浴びて興奮した熊の股間から立派な逸物が姿を表した。
逸物から吐き出された体液が最前列の男の腕にかかる。
しかし、誰も気に留めなかった。
演目は続く。
次は象だった。
巨大な雌象が登場する。
美しく飾られた頭飾り。
金色の布。
観客へ向かって優雅に鼻を振る。
歓声が上がる。
象はその歓声を浴びるたび嬉しそうに鳴いた。
もっと見てほしい。
もっと褒めてほしい。
そんな感情が伝わってくる。
彼女はボールの上に乗った。
鼻で花束を投げた。
客席から拍手喝采が起きる。
象の瞳が輝いた。
その姿はまるで、自分の芸を誇るスターそのものだった。
興奮した象の陰部から体液が飛び散る。
前列の親子へ降りかかる。
誰も気に留めない。
最後はライオンだった。
巨大なたてがみを持つ雄ライオン。
リングへ飛び出した瞬間、客席がどよめいた。
威厳。
力強さ。
王者の風格。
ライオンはその反応を心から楽しんでいた。
歓声が上がるたびに胸が高鳴る。
拍手を浴びるたびに幸福感が溢れる。
まるでそれが生きる意味であるかのように。
興奮したライオンの股間から、王者に相応しい逸物が姿を見せる。
そして、雄叫びを上げると同時に熱い体液を吹き出した。
ショーは大成功だった。
ショーの最中に起きた出来事に疑念を抱くものは誰一人として現れなかった。
まるで演目の一部だと錯覚してしまう、ここは常識をねじ曲げられた空間。
観客は満足して帰路につく。
翔太も楽しかったと思った。
だが翌日。
ニュースになった。
サーカスの観客が複数行方不明になったのだ。
最前列にいた男。
親子。
その他数名。
そしてその翌日。
翔太は学校への道中で異変を見た。
最前列にいた男がいた。
だが様子がおかしい。
腕が異様に太い。
黒い毛が生えている。
顔も前へ突き出していた。
「暑いな・・・」
男は汗を拭った。
その汗が床へ落ちる。
変わりゆくその姿は紛れもなく熊そのものだった。
恐怖心を感じた翔太は咄嗟に物陰へ隠れた。
そこへすかさず1台の車両が現れる。
先日のサーカスのラッピングが施された車両から数名の男たちが現れ、麻酔銃と思われる何かを打ち込んだ。
熊と成り変わった元人間の男は力無くその場に倒れる。
その体を檻へ押し込むと、颯爽と走り去っていった。
翔太は凍り付いた。
その夜。
真相を知るためサーカスへ向かった。
閉演後のテントへ忍び込む。
そこで見たものは地獄だった。
檻が並んでいる。
熊。
象。
ライオン。
どれも芸の練習をしている。
しかし檻の中には写真も貼られていた。
人間だった頃の写真。
学生。
会社員。
主婦。
老人。
誰もが元は人間だった。
「気付いてしまいましたか。」
背後から声がした。
団長だった。
「あなた達は何者なんだ。」
翔太は叫ぶ。
団長は微笑む。
「彼らは幸せなのですよ。」
檻の中を見る。
熊がボールを転がしている。
象が花束を投げている。
ライオンが火の輪を飛んでいる。
皆、楽しそうだった。
異様なほど。
幸福そうだった。
「最初は皆、人間に戻りたがります。」
団長は言う。
「ですが拍手を浴びれば変わる。」
熊が歓声を思い出すように唸る。
象が嬉しそうに鼻を振る。
ライオンが誇らしげに胸を張る。
興奮した動物たちは逸物をいきり立たせた、熱を帯びた秘部ヒクつかせる。
「喝采は本能を塗り替える。」
団長は笑った。
「そして彼らの体液には、その祝福が宿る。」
翔太の背筋が凍る。
「祝福・・・?」
「ええ。」
団長は客席を見渡した。
「新しい仲間を増やすための。」
その瞬間だった。
背後の檻が開く。
象が近付いてくる。
熊も。
ライオンも。
皆、幸せそうな目をしていた。
恐ろしいほど幸せそうな。
まるで新しい出演者を歓迎するかのように。
翔太は逃げ出そうとした。
しかし遅かった。
象の割れ目から体液が迸る。
とっさの出来事に避けきれず頬に当たる。
温かい一滴。
その瞬間。
身体の奥が熱くなった。
耳の奥で歓声が聞こえる。
拍手が聞こえる。
スポットライトが見える。
観客の笑顔が見える。
もっと見てほしい。
もっと褒めてほしい。
もっと拍手が欲しい。
その衝動が心の奥から湧き上がった。
団長は満足そうに帽子を上げた。
「ようこそ。」
リングの照明が点灯する。
「グランド・アルカディア・サーカスへ。」
翌週。
新しい演目が始まった。
巨大な熊。
優雅な象。
威厳あるライオン。
そして――。
客席へ向かって軽快な芸を披露する、新たな動物の姿があった。
観客たちは拍手する。
動物たちは歓喜する。
興奮した動物たちから体液が吐き出される。
また新しい観客へ降り注ぐ。
サーカスは今日も満員だった。