アローラ地方の空は、いつもより重苦しく曇っていた。
「ルザミーネさん、もうやめて!」
ミヅキの叫びが、異様な静寂に包まれたエーテルパラダイスへ響く。
彼女の隣にはリーリエ。
かつて優しかった母を止めるため、二人は最後の戦いに挑んでいた。
しかし、その姿はもう以前のルザミーネではなかった。
ウツロイドに寄生された彼女の瞳は狂気に染まり、愛情と執着の境界線を失っている。
「どうして分からないのかしら?」
ルザミーネは微笑む。
その笑みはどこまでも優しい。
だからこそ恐ろしかった。
「危険な外の世界から守ってあげたいだけなのに。」
「守るって、閉じ込めることじゃない!」
リーリエが叫ぶ。
だがルザミーネは首を横に振った。
「リーリエ。あなたはいつも危ない目に遭うの。」
「母様……」
「だから、もうどこにも行けないようにしてあげる。」
「いけっ、ピクシー!」
ルザミーネの声が響く。
ミヅキは最後のボールを握りしめた。
隣ではリーリエも必死に戦況を見守っている。
しかし――
「そんな……」
ミヅキの最後のポケモンが倒れた。
戦闘不能。
それは敗北を意味していた。
「ミヅキ!」
リーリエが駆け寄ろうとする。
だがその直後、ウツロイドに寄生されたルザミーネが不気味に微笑んだ。
「これで終わりよ。」
視界が揺れる。
誰かの叫び声が聞こえた気がした。
そして――
目の前が真っ暗になった。
◇
「……ん……」
最初に目覚めたのはミヅキだった。
身体が重い。
頭がぼんやりする。
何とか目を開ける。
知らない部屋。
白い天井。
無機質な照明。
そして。
「なっ……!?」
両手両足が固定されていた。
金属製の拘束具。
身体はベッドに縛り付けられている。
隣を見る。
「ミヅキ……?」
リーリエも同じ状態だった。
目を覚ましたばかりらしく混乱している。
「リーリエ!」
「ここ、どこ……?」
二人が状況を理解しようとしたその時。
自動ドアが開いた。
コツ。
コツ。
聞き慣れた足音。
現れたのはルザミーネだった。
「目が覚めたのね。」
穏やかな笑顔。
しかしその瞳には異様な光が宿っている。
「母様!」
リーリエが叫ぶ。
「お願い、こんなことやめて!」
「リーリエ。」
ルザミーネは娘の頬に触れた。
まるで幼い子供をあやすような仕草。
「あなたは危険なことばかりするの。」
「だからって!」
「だから守ってあげるのよ。」
ルザミーネの後ろから職員が現れる。
その手には大型の注射器。
中には紫色の薬剤が満たされていた。
ミヅキの背筋が凍る。
「何をする気……?」
「安心して。」
ルザミーネは微笑む。
「少し姿が変わるだけ。」
「ふざけないで!」
ミヅキが暴れる。
だが拘束具はびくともしない。
リーリエも必死に抵抗する。
「母様!やめて!」
しかしルザミーネは首を横に振った。
「これが一番安全なの。」
職員が近づく。
針先が腕へ向けられる。
「やめろ!」
ミヅキの叫びと同時に薬剤が注入された。
リーリエにも同じ薬剤が流し込まれる。
瞬間。
全身が熱に包まれた。
骨が軋む。
筋肉が膨らむ。
ベッドが揺れる。
「うあああっ!」
服がきしむ。
腕が太くなる。
腹部が大きく膨張していく。
リーリエも苦しそうな声を上げた。
「いや……!」
脚が短くなる。
指が縮む。
爪が黒く変化する。
身体全体が丸々と巨大化していった。
拘束具が悲鳴を上げる。
やがて耐え切れなくなり、金属が弾け飛んだ。
しかし二人は逃げられない。
身体が重すぎる。
頭がぼんやりする。
強烈な眠気が襲ってくる。
「ミヅ……キ……」
リーリエの声も徐々に変わっていく。
人間の言葉が発音できなくなっていた。
白い腹。
濃紺の毛並み。
丸い耳。
巨大な体躯。
変化が終わった時。
そこにいたのは二匹のカビゴンだった。
「グゥ……」
ミヅキは声を出そうとする。
だが人間の言葉にはならない。
リーリエも同じだった。
「素晴らしいわ。」
ルザミーネは満足そうに微笑む。
「これでもう危険な旅に出ることもない。」
二匹は必死に身体を動かそうとした。
しかし思うように動けない。
眠気が強すぎる。
「エーテルパラダイスなら安全よ。」
ルザミーネは優しく語りかける。
「ずっと守ってあげる。」
その言葉を最後に。
ミヅキの意識は再び沈んでいった。
隣ではリーリエも重いまぶたを閉じている。
「心配しないで。」
ルザミーネはリーリエの頭を撫でた。
「母様がずっと一緒にいてあげる。」
リーリエの瞳から涙が零れた。
しかしそれすらカビゴンの巨大な顔では分かりづらい。
数日後。
エーテルパラダイス最深部。
一般人が立ち入れない保護区画。
そこには二匹のカビゴンが暮らしていた。
十分な食事。
十分な睡眠。
快適な環境。
まるで理想的な保護施設。
だが。
出口はない。
自由もない。
ミヅキは時折、夜空を見上げる。
かつて旅した島々を思い出す。
仲間たち。
ポケモンたち。
冒険の日々。
しかし巨大な身体は動かず、言葉も出ない。
隣を見るとリーリエがいる。
彼女もまた、同じように空を見つめていた。
二匹は静かに寄り添う。
それだけが残された唯一の慰めだった。
遠くからルザミーネの声が聞こえる。
「今日も元気そうね。」
愛情に満ちた声。
だがその愛情は檻よりも強固だった。
「今日はあなた達をより安全にするお薬を用意したの」
そう言うと、懐から取り出した注射器で匹に薬剤を投与する。
それは2度と反抗的な態度を取れなくする薬。
二匹に底なしの食欲を植え付け、思考する余裕すらも奪う悪魔のような薬。
薬剤が効いてきた二匹は夢中で食糧を口に詰め込み始めた。
いずれこの二匹は腕すらも動かせない肉塊に成り下がるだろう。
こうして二人は永遠にエーテルパラダイスで保護され続ける。
誰にも救われることなく。
誰にも気付かれることなく。
母の歪んだ愛情の中で。
二匹のカビゴンとして。