【2/15最新話追加済(7~9)】イケ渋なケモおっさん神様といちゃラブハーレムするお話【ケモホモ】
最初に映る映像は、真っ白な光だった。
うっすらと開けた瞼の向こう側で、キラキラと光り輝いている。それが日の光だと気づいたのは、暫く経ってからのことだった。
ゆらり、ゆらりと体が揺れる。
仰向けに寝そべったまま、手を青空の向こう側へと伸ばす。
耳元を打つ波の音。背中を押す固い木の感触。
自分が小さな小舟に横たわっていることを、それとなく悟り始めたのはその頃だった。
蒼い、蒼い世界がどこまでも広がっている。透き通った光を一心に放ちながら、澄んだ空気を辺り一面に震わせている。ただ穏やかに、穏やかに、この小さな小舟はどこかへと向かっているようだった。漂うように、彷徨うように、それでも確かな意思を持って、どこかへ続く終着点へと向かっている。そんな目には見えない力を、どこか感じさせた。
ゆっくりと、目を閉じる。
深い、深い暗闇の中。何か大切な物を忘れてしまったような喪失感が、心を襲う。
それは何かへの寂しさだったのかもしれないし、何かを失ってしまった喪失感だったのかもしれない。
なぜかもう、もう二度とその場所へは戻れないことだけが痛い位に分かっていた。
「G(od)HOST」
目が覚めた瞬間、俺はベットに横たわっていた。
西洋の古城を思わせるように、アンティーク調の木飾りが辺り一面にこしらえられている。四本の支柱に支えられた寝台は、俺一人が横たわるには余りにも大きすぎるものだった。目を向ければ、この寝台が置かれているのは部屋の中心なのだろう。煌びやかな絨毯に、細やかな銀細工を施された照明の数々。窓の向こう側からは、蒼く透き通った海が見えた。
そう。
俺は、あの海の向こう側から来た。それだけの記憶だけが、微かに頭の奥に残っている。
その感触に吸い寄せられるように、俺はベットから起き上がると窓際まで歩み寄っていた。
上手く、力が入らない。自分の身なりを見れば、薄手のシャツにスカーフを巻いたような上着と、大きくゆったりとした下穿きを穿いていた。だけどその服装の特徴に、何一つ見覚えがない。
「目が覚めたか」
低く、唸るような男の声だった。
その声に、俺は思わずその場を振り返る。目線の先にいたのは、蒼い毛並みをした。大きな虎だった。
扉に背をもたれるように、その両腕を組んで立っている。俺と同じようにゆったりとした布地の上から、腰にコルセットのようなもの、左肩から腕に銀の装飾を施された鎧のようなものを身に纏っている。彼の毛皮に合わせた紺色のその布地が、ただ綺麗だった。腕を組んだその筋肉の隆起から、彼がそれなりの力を持っていることが手に取るように分かる。
「聞きたいことが沢山あるだろうが、説明は後だ。…君を待っている人がいる」
エメラルド色の瞳を細めながら、彼はそう言葉を続けた。
俺よりも頭二つ大きいその巨体が、ゆっくりと俺に近づく。
重みのある足音が、静かに床を踏みしめるのを感じた。
「…俺に?」
「…あぁ。君が今どういう状況なのか、そこで説明されるだろう。…歩けるか?」
そっと、俺の目の前に彼の手の平が差し出される。
俺はその手を握りしめると、彼は俺の指先を静かに、優しく握り返した。
じわりと、柔らかな温もりが伝わる。
見た目のどう猛さとは裏腹に、ただ、どこまでも優しい温もりだった。
「なんとか…ありがとう」
「…良かった。君の靴はそこにある。準備ができたら、ここを出よう。…皆が待っている」
低く唸るような声が、穏やかにそう告げる。
俺はまだ、自分の名前さえも思い出せないままだった。
[newpage]
2
彼に案内されたのは、大きな談話室のような部屋だった。
廊下を飾る装飾に何度も目を奪われながら、必死になって彼の背中を追う。どこかで見たことのあるような文化性を頭の中で探りながら、それでも俺はまだここがどこなのかさえ検討を付けることができなかった。西洋、東洋、どちらとも言えない装飾の数々。彼の服装から漂わせる中東の面影。その全てを混ぜ合わせたような感覚に、現実味が影を潜め始める。
「ここだ」
扉の前で、彼が立ち止まる。
俺は息を飲むと、目の前のドアノブへと手を伸ばした。
大きな重みのある音が、指先を震わせる。
「やぁ、やっと来たんだね。待ちわびたよ」
若い、女の声だった。
その声の主を探れば、長い髪を耳元へとかき分けながら微笑む姿が見える。
彼と同じ服装でありながら、純白に染まるその布地に、施された刺繍。煌びやかに輝く銀細工の装備から、彼女がただ者ではないことが分かった。長方形に伸びるテーブルの最奥、俺から見るるとこちら側からちょうど向かい側にあたるその場所に、彼女は腰掛けていた。背もたれが異様に長く、豪華絢爛に装飾された肘掛けを見る以上、ここがただの談話室ではないのは確かだった。
「まぁ、座っているのもなんだ。腰掛けてゆっくり話をしようじゃないか、泰邦君。君には話さなくちゃいけないことが沢山あるからね」
淡々と、彼女はそう言葉を続けた。
一瞬だけの違和感を、その言葉数に残しながら。
俺は、未だにこの状況を把握でいていなかった。
「あぁ。そうか。君はまだ、生前の名前を思い出していなかったんだね」
怪訝深く呆然としていた俺を見て、彼女はそう言葉を続けた。
「武藤泰邦。19歳。まぁここでは生前の名前はどうでもいいから、自分で新しい名前を付けるといい。だけどここでは便宜上、泰邦君と呼ばせて貰うよ。正しくは元・泰邦君と言った方がいいのかな?」
「ま、待ってください!! 生前って…じゃあ、俺は――」
「…そうだよ。君はもう、死んでいる」
さも当たり前のように、彼女はそう言い放った。
「この世から亡くなっている。肉体として消失している。ただ君の魂は神界へと昇華され、私とこうして会うことになった。人柱の神として、この場所で天命を負うこととなった。そこにいる彼と同じようにね」
俺の側にいる蒼い虎を指さしながら、彼女は微笑みかけた。
目を向ければ、彼はただじっと、目の前を静かに見つめている。
その横顔からは、彼が今何を考えているのかさえ分からなかった。
「まぁ、順を追って話をしようじゃないか」
目の前の椅子へ座るよう、彼女はその手の平を俺に向けた。
言われるがままに、俺はその場所へと腰掛ける。
ただ煌びやかな光だけが、彼女の眼光を光り輝かせていた。
「私の名前はミト。ミト・ガエンだ。この領地を治める主神、言うなれば元締めみたいなものさ。こうして新たに加わった主神を迎え入れ、副神となる契約者の斡旋を行っている。君の名前はさっき説明した通り、生前は武藤泰邦と名乗っていた。19歳の若さで亡くなったのは不運だったが、こうして神界に招かれたのは奇跡と言っても過言ではないだろう。…誰でも招かれるものではない。来ようと思って来られるものでもない。君はあの海の向こう側から、船に乗って漂って来たはずだ。…現世と常世。あの世とこの世とを結ぶ点と点とを超えて、君はこちら側へとやってきた。人はその生涯を終える時、通常ならば輪廻転生を繰り返す。言うならば、生まれ変わりだ。人は何度も生まれ変わり、生涯をかけて魂の練度…いわゆる神力というものを高めていく。そしてその神力が一定以上高まった者が、ここ神界へと招かれるという訳だ。こうして君が、ここにたどり着いたようにね」
彼女はそう指さすと、俺に微笑みかけた。
まるで、何もかもを見透かすように。
栗色をしたその長い髪を耳にかき上げながら、彼女は言葉を続けた。
「生前の記憶については、もう諦めた方がいい。君が何者だったのか、君がどうしてここに来たのか、そんなことを探し始めた所で不毛な旅路だ。袋小路のようなものだ。それに君が生前何をしていたのかなんて、これから主神となる君にとって大した問題にはなり得ない。それこそそこにこだわってしまうこと自体が、非常に危険なことだとも言える。現世への執着を切り離せていない。この世に想いを残したまま断ち切れていない。それはつまり、その心に魔が刺す危険性を孕んでいるということだ。折角この場所へとたどり着いた魂を、みすみす悪鬼へと堕とす訳にはいかない。そこは泰邦君、分かってくれるよね?」
「そ、それは…」
「まぁいい。なんとなくでもいいから、今はそれとなくでも分かってくれればいい。…神が魔へ墜ちることがどういうことなのか、それは追々説明すればいいことだからね。君は神界へと招かれた。そして君は、この場所で神様へとなる。それさえ分かってくれればいい。念のため整理しておくが、君は今の時点ではまだ神様ではない。神様ではあるが、厳密には違う。君は人間としての姿を保っている。つまりは主神となる神ということだ。主神となる神は、必ず副神と契約を交さなければならない。それまでは、そう…神もどき、と言った方がいいだろうか。魔力も無ければ神力もない。ただ魂の練度が高いだけの存在だ。…言い換えれば、魔に墜ちてしまった者から見れば、君はただの格好の良い餌でしかなり得ない。美味しそうなご馳走のようなものだ。…こちら側としては、君の魂が魔に墜ちることも、魔に墜ちてしまった者に喰われることも避けたくてね。その為には、君にはちゃんとした主神になって貰う必要がある」
両手を口元で組みながら、彼女はそう俺に説明する。
散り散りになった理性を必死になって繋ぎ止めながら、俺は彼女の言葉を噛み砕いた。
「彼も…俺と同じ、その…神様なんですか?」
「あぁ。神様…という所では一緒だが、中身は全然違う。彼は君でいう所の主神ではなく、副神と呼ばれるものだ」
平然と、彼女はそう否定した。
「副神。私達主神を守る為に存在する。いわゆる契約神というものだ。私達主神は、純粋に己が魂のみを受肉させ、この場所にいる。しかし副神である彼らは、ここ神界にたどり着く際に、動物の体を依り代としてその体を受肉させた。だから見た目も獣の姿、獣人のような姿をしている。彼等は私達と違い、己のみで魔力を生成できる。戦闘能力も、身体能力も極めて高い。それが彼等が持ち合わせている獣性がもたらす最大の恩恵だ。しかし自己に内在する人間性を失ってしまえば、たちまち獣へと姿を変えてしまう脆い存在でもある。魔に墜ちることは無いにしても、人としての姿を保つ為には定期的に人間性を補う必要がある。対する私達主神は、人間性こそ純度が高いが、獣性を持ち合わせていないが故に己のみで魔力を生成することができない。言わば無力同然のようなものだ。だから私達主神は副神と契約を結び、互いの完全性を補完し合うのだよ。主神は副神から魔力を貰い、副神は主神から人間性を貰う。複数の副神と契約すればする程、主神はその力を高めることができる。…もちろん、そこにはある一定のリスクは生じるがね」
状況は、あまり良くはない。
それでも俺は、どこか心の中で安堵している部分があった。
話から察するに、俺はこれから一人で生きていく訳ではないということが分かった。それだけでも、心の支えにはなる。
例えこれが、孤独な運命だったとしても。
一人では、ない。
「それが、ちゃんとした主神になるということ…ですか?」
「…その通り。流石飲み込みが早いね、泰邦君。お姉さんは感激だよ。だから私自身も、複数の副神と契約している。そうすることで、自分の身を守っているのさ。今日私が君に話をしたかったのも、つまるところはそこだ。君にはこれから、誰かと契約をして貰わなくちゃならない」
そこで彼女は、その指先を鳴らした。その瞬間、奥の扉から複数の獣人が部屋の中へと入ってくる。
眼帯をした黒い狼。橙色の獅子に、焦げ茶色の大きな熊。そして俺の隣にいた蒼い虎が、そこへと並ぶ。
誰もが皆、彼と同じように軽装備を纏った。巨漢ばかりだった。
「話を戻そう」
彼女はそう言葉を切り返した。
「私はこの領地を治める主神、言うなれば元締めみたいなものだ。こうして新たに加わった主神を迎え入れ、副神となる契約者の斡旋を行っている。君はこれから、彼等と共にこの城で暮らし、誰と契約するのかを選ばなくてはならない。それまでは彼等全員が君の身を守り、命をかけて君を護衛してくれるだろう。契約する副神に人数は問わない。この中から一柱のみを選ぶのも良し、全員と契約するのも良しだ。もちろんここから選ばないという選択肢もあるが…君の神力の練度、その特異点の高さは異常でね。君と契約できる副神は、残念ながら彼等に限定されてしまった。精鋭中の精鋭、誰もが夢見る粒ぞろいという訳だ。どの副神を選んだとしても決して後悔はないだろう。護衛については一日交替で、必ず誰かが君と昼夜を共にすることになる。そこでそれぞれの魔力を提供して貰うのと同時に、それぞれの親睦についても深めて貰うと言うわけだ。…誰と契約をするのか、見定める時間と言ってもいい」
その言葉に、俺は彼等へもう一度目を向ける。
誰もが雄々しい、と言えば聞こえはいいのかもしれない。だが、どう見ても獰猛な獣そのものだ。怖さが全くないと言えば嘘になる。
彼女は毎日、誰かと一緒に部屋を共にしなければならないと言った。
果たして俺は、それに耐えきれるのだろうか?
「言い忘れていたが…魔力の供給と人間性の提供は、主に性行為か体液の交換で行う」
その言葉に、俺は思わず目を見開いた。
性行為と言ったのか? 今?
「…なんですって?」
「その言葉通りだ。彼等の精液や血液には、高濃度の獣性が含まれている。もちろん、君のには極めて純度の高い人間性がだ。初めは体を重ね合わせる程度に留めた方がいいだろうが、いずれは飢餓状態に耐えられなくなる。媚薬を飲んで、発情したような状態になるといってもいい。その時は…残念だが泰邦君。本能に身を委ねた方がいい。感度は尋常じゃない程に上がるし、快感もそれに伴い爆発的に上昇する。皆、それぞれが人間性を補うために、副神同士で頻回に性行為は行っている。それなりに手練れだ、何も不安に思うことは無い」
「ちょ…待ってください!! 何も不安に思うことは無いって…そんな――」
「まぁ、これは彼等の名誉を守る為の説明だ。君が勘違いしたまま、彼等から強姦された、性行為を強要されたと思われてしまったら…身も蓋もないからね。お姉さんとしてもそれは非常に心苦しい。単純に考えれば、君はこれから生涯の伴侶を探すようなものさ。これから自分の身を命がけで守ってくれる相手を、愛し愛される関係になる相手を、君はこれから見つければいい。その為に彼等はここに存在する。例えるなら、君は恋愛ゲームの主人公のようなものさ。たった一人を選んで攻略してもいい。登場人物全員を選んで、思うがままに愛の営みを勤しんでもいい。それが君の役割、それが彼等の役割だ」
動揺する俺を尻目に、彼女はそう淡々と説明した。
まるで、それがさも当たり前のことかのように。
俺は、自分の耳を疑った。
「あと、彼等のことを君が心配する必要はない。ちゃんと事前に、君とそうなる関係にあることについては同意を取っている。彼等も人間性…主神から与えられる愛には餓えているからね。誰もが君に愛されたいと切に願っていることだろう。本当は君を街まで案内したいところだが、今の状態ではあまりにも危険すぎてね。いくら彼等が優秀で粒ぞろいだったとしても、赤子のような君を町中で守る事はできないだろう。ここは辛いところだが…泰邦君。お姉さんとの約束だ。君が万全の状態になるまでは、一歩もこの城からは出てはならない。ここで言う万全の状態とは、もちろん副神から十分に魔力を提供して貰うことだ。正式に副神と契約できたのであれば、それに超したことはない。それほど君の身は危険な状態だということを、くれぐれも忘れないでくれ。…いつ喰われても可笑しくない。いつ魔に墜ちても可笑しくない。それが今の君だ。だから彼等は命をかけて君を護衛する。契約を交せば、より一層君たちの絆は強固なものとなるだろう」
その価値が、重みが、果たして自分にあるのか。どうしても俺は、その実感さえ掴むことができなかった。
そんな話、受け入れられるはずがない。
「命がけ、でですか?」
「あぁ。何も可笑しい話ではないだろう。人は自分の最愛のものを、命をかけて守るはずだ。それは神様も一緒なんだよ、泰邦君。神は一度愛すると決めたものを、決して見放したりはしない。…重々しく、儚く、そして果てしなく深い。それが彼等が君に献上するであろう愛の形だ。彼等もかつては、君と同じ人間だった。人だった。だからもう二度と、彼等も失いたくはないのさ。自分が、最愛だと誓った相手をね」
そこまで言ったところで、彼女は胸元から懐中時計を取り出した。
銀細工が施されたその蓋を片手で開け、その盤面へと目を向ける。
一瞬だけの沈黙が、俺達の間を過ぎった。
「時間だ」
彼女はそう言葉を切った。
「残念だが、泰邦君。今日はこの辺にしよう。まだまだ話したいことが沢山あるだろうが、お姉さんも忙しい身でね。またここに会いに来ることを約束しよう。この城は君のものだ。好きなように使ってくれて構わない」
この城が、俺のもの?
俺は彼女の城に招かれていた訳ではないのか?
「この城って…そんな――」
「まぁ、驚く気持ちも分かるけどね。主神となる神には、それぞれに城が与えられるようになっているのさ。その魂の練度…神力の高さに似合うだけのね。さっきも言っただろう? 君の神力の練度、その特異点の高さは極めて異常だ。素質だけを言うならば、君は私と同等…いや、それ以上の力を秘めている。この城の規模はそれを具現化したに過ぎない。君がどれだけ重要な存在なのか、どれだけ希質な存在なのか…少しは実感が沸いてくれたかな?」
俺を真っ直ぐに見つめながら、彼女はそう微笑む。
まるで、自分の弟を優しく宥めるように。
俺は、未だに彼女の真意が分からないままだった。
「とりあえず…そうだな。今日の護衛はガルディア君に頼もう。君が彼の身を守るんだ。その肌を重ね合わせてね」
彼女はさっきまで俺と一緒にいた、あの蒼い虎を見てそう指示を出した。
一瞬だけ、彼のエメラルド色をした瞳がこちらの目線と重なる。
雄々しくも、慈悲深い。そんな彼の眼差しに、一瞬だけ胸が高鳴ったのを感じた。
「残る皆はこの城の護衛だ。分かっているだろうが…彼が万全の状態になるまでは、非常に危険な状況が継続する。一瞬たりとも隙を許してはならない。何かあったら私に連絡してくれ。すぐに応援を向かわせると、ここに誓うよ」
その言葉を最後に、彼女は席を立つ。これが、この面談の幕引きであることを俺に悟らせた。
面談。いや、一歩的な説明と言った方がいいのかもしれない。
未だに俺は、この状況を正しく把握することができていなかった。
「そうだ、泰邦君。最後に言い忘れていたことがあった」
髪をかき上げながら、彼女はそう俺に微笑みかけた。
その瞳の奥に、柔らかな光を揺らめかせながら。
その神々しさに、この人が本当に神様であることを俺は悟った。
「ようこそ、神界へ。ここが、今日から君がその天命を全うする場所だ。…嬉しくも、悲しくもね」
もし、第二の生があるとするならば。
俺は、それを今日迎えたことになるのだろう。
自分が、一体何者であるかも分からぬまま。
俺の側にいる彼が、どうして一瞬だけ寂しげにその瞳を逸らしたのか。俺はまだ、分からないままだった。
[newpage]
3
自分の部屋へと戻ってきた俺は、ただ途方に暮れていた。
さっきまでの言葉が、何度も頭の中に反芻する。だがどれも、何一つとして理解することができない。
ただ確かに実感できるのは、ここが普通の世界ではないこと。そしてこれが、悲しくも現実だということだった。
「大丈夫か?」
ふと、低く唸るような声が頭上から聞こえる。
見上げれば、あの蒼い虎が優しくこちらを見つめていた。
蒼い毛並みに、黒い虎縞。その毛並みに合わせたような、紺色の布地をした衣装。近くで見れば、腰に巻かれたコルセットにも雄々しい刺繍が施されていた。左肩を覆う銀細工の肩掛け、その雄々しい腕を覆う鉄鋼。瞳の奥が淡いエメラルド色に輝いていた。体の中心を覆う白く柔らかな毛並みが、その温かさを知らしめる。
「…あぁ。すまない、心配をかけてしまって。その――」
「――ガルディア。ガルディア・ランドワークだ。皆は俺のことを、ガルと呼んでいる。話すのは得意ではないが…できる限り、君が不安にならないよう努めよう」
ベットへと腰掛けていた俺の隣に、彼は静かに腰を落とす。手を伸ばせば、すぐに触れられる距離。仄かに感じる彼の温もりに、一瞬だけ胸の奥が緩むのを感じた。
ふと、彼の大きな手の平が俺の太ももの上に置かれる。
柔な温もりが、じんと肌の奥を突き刺した。
「さっき彼女が話していたことは…本当なのか?」
「…事実だ。誰もが最初は戸惑う。君が俺を恐れるのも仕方が無いことだ」
「お、俺は…恐れてなんか――」
そう言葉を続けようとした所で、俺は何も言うことができなかった。
真っ直ぐに俺を見つめる、エメラルド色の瞳。その寂しげな眼差しに、何もかもを見透かされているような気がしたからだ。
「少しずつでいい」
彼はそう、言葉を続けた。
「獣人を見るのも、初めてのはずだ。まずは触れてみて、話してみて、少しずつ慣れていけばいい。詰まるところ、そうすることでしか…君との距離を縮めることはできないからな。さっき彼女は、その…行為のことについても触れたが、それは最終的な話だ。今すぐ体を重ねる必要もなければ、君がそれを拒否するのなら…無理をしてまで行為に及ぶ必要もない。ただ最も普遍的なやり方として、彼女はそう説明したまでだ」
「それじゃあ…まだ、他にも方法があるということか?」
「…あぁ。例えば、これだ」
そう言って、彼は俺の手の平を握りしめる。
その瞬間。柔らかな温かさが、急に自分の中へと流れ込むのを感じた。
胸の奥へ。そっと、それが自分の心を包み込んでいくのを感じる。
「どうだ? 痛かったり、気持ち悪くはないか? 目眩や吐き気は?」
「…大丈夫だ。というより…」
「ん?」
「…温かい。とても…心地良いよ」
その声を聞いて、ふと、彼が微笑む。
その優しい表情に、一瞬だけ俺は見とれてしまっていた。
「…良かった。初めて魔力の提供を受けた時は、体調を崩す者もいるからな。こうやって手の平を重ね合わせるだけで、俺からは君に魔力を、君からは俺に人間性を受け取ることができる。体を重ね合わせるように抱きしめ合えば、全身でそれを感じることができるだろう」
「凄いな…これが――」
「…あぁ。俺の魔力だ。彼女が言った、その…行為というものは、その最上位の置換行為のようなものだ。体を重ね合わせると同時に、性的な快感から互いの感情移入と心身の同調をさせやすい。互いの精液や体液には、高濃度の魔力と人間性が濃縮されている。それを体内で直接吸収できれば、それ以上に満たされる行為もないだろうからな。だが、こうして手を重ね合わせるだけでも…それは補完できる。君が飢餓状態になったときは、副神の体液…血液か精液を飲むことでも十分に回復することができる。だからそう、不安にならなくても大丈夫だ」
ふと、彼の手の平が俺の頭を包み込む。
優しく、そっと撫でるように。じんわりと包み込む彼の温もりが、俺を慰める。
自分の目尻から一筋だけの涙が零れ落ちていたことに気づいたのは、それから暫く経ってからのことだった。
「ありがとう。その…気をつかってくれて…」
「…いいんだ。君が望むなら、いつだって俺は君の為にあろう。こうして、手の平を重ね合わせるだけでもいい。君がもし、俺とその…行為をしたいというのなら、君が満足するまで、俺の全てをもって愛し尽くそう。それは俺以外の副神…皆が望んでいることだ。だから君が、俺達に気を遣う必要はどこにもない」
雄々しい指先が、俺の頬を撫でる。
その繊細な指使いが、なぜか俺の心をときめかせた。
手の平から、熱い何かが流れ込んでくる。
それがあまりにも心地よくて、もっと欲しがろうとしている自分がいる。
そんな自分のはしたなさが、今はただ怖かった。
「…少し、触ってみるか?」
俺の肩を抱きながら、彼はそう言葉を続けた。
その言葉に、俺は目を丸くしてしまう。
胸の奥が、急に締め付けられたような気がした。
「…いいのか?」
「あぁ。どちらにしろ、君には十分に俺の魔力を与えなければならない。まずは君が思うように、触ってみるといい」
頭を撫でながら、彼はそう俺に告げる。
柔らかなエメラルド色の瞳が、穏やかに俺を射貫いていた。獰猛な雄々しさと野生み溢れる気高さの中で、柔らかな温もりを確かに感じる。
震える手で、俺はそっと彼の頬に触れた。
藍色の柔らかい毛並みの中で、ピンと跳ねる猫髭。体の中心を包み込む白い毛並みは、羽毛のように細く、そして柔らかな温もりを孕んでいた。首筋をかき分け、そっと指先を顎先へとその輪郭をなぞっていく。彼も気持ちいいのだろうか。ゴロゴロとその喉先を微かに鳴らせながら、せわしく動く猫耳がどこか可笑しかった。そして彼の首元へ抱きつくように腕を回した瞬間、彼の雄々しい両腕が俺の背中をそっと包み込む。
固い、筋肉の凹凸が俺の体を抱き寄せた。
彼の身体が、俺の肌に触れる。熱いマグマのような温もりが、一心に俺の中へと流れ込んでいくのが分かる。
頭の奥が、ジンと痺れたように熱を持ち始めた。
「…っぁ…」
漏れ出した俺の吐息に、彼の瞳が一瞬だけ、ぎらりと光ったのを感じた。
ゴクリと、雄々しい喉仏が上下するのが見える。
俺の頭を撫でるその手の平が、優しく、どこか緊張したように強ばっているのを感じた。
「…すまない。…許してくれ」
確か、その一言だっただろう。
彼はそう俺に告げると、ゆっくりと俺の唇を塞いでいった。
優しく、そっと。壊れ物へと口づけるように。
ブワリと、胸の奥へ熱い何かが雪崩れ込んだ。
「んん!!! …っん…っぁ…」
一瞬だけ感じた戸惑いと抵抗は、砂の城のように崩れ去った。
熱い吐息が、彼の唇から俺の中へと流れ込んでいく。甘い、蜂蜜のような濃厚な甘さが、口の中を満たしていく。
俺はそれを必死になって飲み込むように、彼の舌先へと絡め合わせた。
乱れる呼吸が、欲情していくのを感じる。
熱く熱を持ち始めた体の中心が、それ以上の何かを求め始めているのを感じる。
体の奥に感じる疼きを抑えながら、彼の指を絡め合わせるように、固く、その手の平を握り返していた。
「っぁ…」
ふと、彼の唇が俺から離れていく。
微かに震えるマズルが、切なげに甘い吐息を漏らしていた。エメラルド色に輝く彼の瞳が、何かを求めるように濡れている。
「…大丈夫か?」
頭を撫でながら、彼はそう俺に問いかけた。
優しく、その瞳を細めながら。
高鳴る胸の鼓動が、ただうるさかった。
「あ、あぁ…」
「…すまない。本当は…もっと順序立てるつもりだったんだがな。…我慢、できなかった」
困ったように、彼は笑う。
その雄々しさに、確かに見とれてしまっている自分がいた。
おもむろに、彼はその場から立ち上がる。
何かが欠けてしまったような虚無感が、俺を襲った。
「今日はこの辺にしておこう」
少し名残惜しそうに、彼はそう言葉を続けた。
「…慣れない内は、魔力酔いになりやすい。気分が優れない時は、すぐに言ってくれ。何か飲み物を取ってこよう」
踵を返すように、彼は俺に背を向ける。
一瞬だけ、彼の下腹部が異様な形に盛り上がっているのが見えた。
喉の奥が、急に乾き始める。
そんな自分の変化が、今はただ怖かった。
「な、なぁ!! ガル!!」
必死になって、気づけば俺はそう声を上げていた。
押し寄せる不安が、心を襲う。
どこか怪訝深そうに、彼はその場を振り返った。
「…なんだ?」
「…ま、また…戻ってくるよな?」
俺のその声に、彼は困ったように微笑みかける。
その笑みに、どうしようもなく救われている自分がいた。
「…当たり前だ。すぐに戻る」
そう彼は俺に告げ、この部屋を後にする。
ここに来て初めての静寂が、一瞬にして俺の心を蝕んだ。
[newpage]
4
それから俺は、その蒼い虎と一夜を共にすることとなった。
体はまだ、万全とは言えない。彼もそれをそれとなく感じていたのだろう。俺の体を案じながら、静かに彼はこの世界のことを語り始めた。
補足説明。
正しくは、そう定義するのがいいのかもしれない。
つまるところ、彼が俺に語ってくれたのは、彼女が俺に説明したものとほぼ同じことだった。ミト・ガエン。この地を治める主神。彼女が説明した内容を補完するように、彼は俺に一つずつ説明してくれた。
彼が言うには、ここ神界には俺達神様以外にも存在するものが多くあるらしい。
神力を持つ動植物。俺と同じ、人の姿をした主神と呼ばれる者。彼と同じ、獣人の姿をした副神と呼ばれる者。そしてそれらが魔へと墜ちてしまった者。それらの均衡を保つことが、俺達の仕事なのだと言っていた。
魔に墜ちる。魔に喰われる。それは、ここにいる誰もが直面している問題なのだそうだ。
強い人間性を有する主神は、人としての煩悩を切り離すことができない。強い欲望は、やがて破滅を呼ぶ。そうして魔に墜ちていったもの、それをここにいる者は「悪鬼」と呼んでいた。
一度「悪鬼」に墜ちた主神は、一度殺めなければその魂を清めることができない。それと同時に、「悪鬼」は他の主神を依り代として、その自身の魂を救おうとあがく。それが、主神を喰らおうとする理由なのだそうだ。
「…例え他の主神を喰らったとしても、元の姿には戻れないのだがな」
どこか悲しげに、彼はそう言葉を続けた。
「一度魔に墜ちた主神は、誰かが殺めなければ浄化することはできない。だが、一度浄化さえすれば…その魂はもう一度輪廻の輪へと戻ることができる。…その悪鬼が喰らった、他の主神の魂も一緒にな。それに…」
「それに?」
彼はそこで、その言葉を一度飲み込んだ。
まるで、過去の記憶の断片をたった今、思い出してしまったかのように。
俺は、どうして彼がそんな顔をしてしまったのか。それさえ、俺は分からないままだった。
「…それに、主神が魔へと墜ちてしまったと同時に、その主神と契約していた副神も…共に魔へと墜ちる。魔物として、理性も知性も失ったケダモノへと変わり果ててしまう。俺達の仕事は、そんな魔物を浄化することにある。彼等の魂を正しく輪廻の輪に戻し、再びこの場所で会えることを願いながら…ただ、待ち続けるんだ。その魂が、もう一度この場所へたどり着けるまでな」
そう語る彼の眼差しは、どこか寂しげに、どこか遠くを見つめていた。
まるで、誰かを亡くしてしまったかのように。
そんな彼の横顔が、ただ、美しかった。
他にも、彼が語ってくれたものがある。
副神が原動力とするもの。それは、契約した主神が感じる「幸福感」なのだそうだ。
人間性が高い主神は、喜怒哀楽を有する。そして主神が得た幸福感は、より豊かな人間性として副神へと提供される。逆に言えば、主神が感じる不安や悲しみ、絶望や寂しさといった負の感情は、ダイレクトに副神へと跳ね返ってしまうのだ。そしてその状況が続けば、心に穴が空く。魔が刺す暇ができる。それはつまり、主神か副神、あるいはその双方が「魔に墜ちる」ことを指し示していた。
「だから副神は、主神の幸せを守ろうと必死になる。…互いに愛し愛されようと、その身を粉にする。…彼女が性行為を例に挙げたのも、まさにそれだ。互いに体を重ね合わせる。愛を営むことができる。それ以上に、個々の幸せを体現できたものはないからな」
俺の手の平を握りしめながら、彼はそう言葉を続けた。
確かに感じる熱い温もりが、自分の中へと流れ込んでいくのを感じる。
自分の中にある違和感が、急に一致したような気がした。
「つまり、そんな関係を保てなければ…俺達は神としての資格はなくなるんだ」
被虐するように、彼はそう語った。
「人を愛し、愛されることができる。人から求められ、必要とされる。それが神として、ここに存在できる最低条件だ。…主神と副神という関係は、それを体現したようなものだ。それができなければ…神としての資格はない」
「…だが、人は…互いの不完全さを補って生きていくものじゃないのか?」
震えた言葉で、俺はそう言い返した。
「俺は確かに、神たるものがどんなものかなんて…何も分かっていない。だが、これじゃあまりにも…不公平だろう? これじゃ――」
まるで、主人と奴隷のようなものじゃないか。
そう思わずにはいられなかった。
ずっと感じていた違和感。なぜ、彼等は主神の為にそこまで自己犠牲を払うのか。俺には、どうしてもそれが理解できなかった。
命がけで護衛する。主神の幸せを守ろうと必死になる。思うがままに行為をし、思うがままにその相手を選定できる。どれを取ったとしても、彼等の意思を尊重しているものとは思えなかった。
「…優しいんだな、君は。あの頃と、何も…変わっていない」
どこか悲しげに、彼はそう笑った。
その指先が、そっと、俺の頬を撫でる。
なぜか懐かしいその感触が、胸の奥を締め付けた。
「一つ訂正しておくが…君が思っている程、副神は主神の言いなりと言うわけではない」
頭を撫でながら、そう彼は答えた。
「俺達副神も…ちゃんと、その主(あるじ)となる相手を選んでいる。そして、一度選んだ相手は…例え契約を否定されたとしても、その相手を違えることは二度とない。一生の愛を誓う相手だからな。それを踏まえた上で、俺は…今君の目の前にいる。…それを忘れるな」
俺の瞳を真っ直ぐに見つめながら、彼はそう俺に告げる。
それが彼の愛の告白だと気づいたのは、暫く経ってからのことだった。
[newpage]
5
目が覚め、初めて迎える夜。
俺は、なぜか眠るのが怖かった。
夕餉は、想像以上に美味しかった。中東のスパイスを思わせる、香り高い料理の数々。そのどれもを、初めて食べるはずなのに。なぜか、どこか懐かしさを感じている自分がいた。
今日護衛を務めるあの蒼い虎は、別室で服を着替えている。きっと、俺に気を遣っているのだろう。先ほどの入浴も、彼は脱衣所の中へと入ることはなかった。
頭の中が、思うように動いてくれない。
目を閉じれば、微かに彼の存在が自分の中で脈動しているのを感じる。その確かな温もりが、今牙を剥こうとしている柔な孤独から身を守ってくれた。
一人の時間が、こんなにも長いものだったのか。
その確かな実感でさえ、今となってはもう確かめようがない。
ただ唯一言えるのは、今自分はどうしようもなく彼の温もりを求めているということだった。
「…すまない。…待ったか?」
扉の向こうから、蒼い虎が姿を現す。
装備を外した彼は、俺と同じように緩やかなローブのような布地を羽織っていた。腰のコルセットと鉄鋼を外しただけで、印象が全く違う。羽織っている衣服も、その布地が青色から水色に変わったからだろうか。重々しい雰囲気から、どこか緊張が解かれたような開放感さえも感じさせた。
「なんか…不思議な感覚だ」
「そうか?」
「今日初めて会ったはずなのにさ。…そんな感じが、全くしない」
その言葉に、彼はどこか目を丸くさせる。
エメラルド色に輝くその瞳が、どこか可愛かった。
「…今日一日かけて、君には俺の魔力を提供したからな。少なからず、親近感や既視感は増しているだろう。…君の緊張が解けたのなら、良かった」
どこか嬉しそうに、彼は笑う。
彼は寝台へと腰掛けると、その手をかざした。そして緩やかに、部屋の灯りがその明度を暗くさせる。
仄かなオレンジ色の光りだけが、寝台を優しく照らした。
まるで、彼の温もりがそっと、俺達を包み込んでいるように。
しなやかなシーツの感触が、手の平の肌を抉った。
「そろそろ、寝よう」
静かに、彼はそう言葉を続けた。
「今日は疲れただろう。俺もここで寝るから…安心して眠りについていい」
「…ホントか?」
俺の反応に、彼は優しく微笑む。
その気遣いが、今はどうしようもなく有り難かった。
「あぁ。君が求めるのなら…どこまでも、俺は応えよう。…決して、寂しい想いはさせないと約束する」
俺を安心させるように、彼は俺に笑いかける。
蒼い毛並みに映えるエメラルド色の瞳が、オレンジ色に光る灯りに灯されて光り輝いていた。ゆらり、ゆらりと仄めく焔のように。その優しい眼差しが、どこまでも俺を安心させる。
俺は頷くと、静かに寝台へと横になった。柔らかなシーツを包み込むように、彼は俺の隣へと寝そべりながら、俺の体をそっと、抱き寄せる。
後ろから、彼の丸太のような両腕が俺を包み込んだ。
熱い温もりが、背中から全身へと伝わる。思わず漏れ出した吐息が、確かな快感を紐解かせた。
彼の胸の鼓動を感じる。
彼の吐息を感じる。
それ以上に、確かに全身へと流れ込む熱い彼の温もりを俺は感じていた。
抱き寄せる腕に、力が入る。
なぜか、胸の奥で寂しさが蘇る。
それを彼が感じ取ったように、彼は俺の首筋へとそのマズルを擦りつけた。
「…辛かったな」
ただ、一言だけだった。
その一言だけで、何もかもが救われたような気がする。
今まで必死になってなんとか保ち続けていた心の輪郭が、いとも容易く瓦解するのを感じた。
「…やっぱ、分かるか?」
「…副神は、主神の心の痛みに敏感だ。だから…その痛みを癒やしたいと、願ってしまうのだろう。例え自分が、選ばれなかったとしてもな」
その言葉に、俺は寝返りを打つように自分の体を振り向かせる。向き合った彼の瞳は、どこか寂しそうにこちらを見つめていた。
彼の頬へと、俺は手を添える。
甘えるようにその手を握りしめる彼の仕草が、ただ愛おしかった。
「…まだ、分からないことだらけだ」
震えた声で、俺はそう彼に告げた。
「…自分の名前さえ分からない。どうして自分がここに来たのか、自分が今までどんな生き方をしてきたのか…それすら、思い出すことができない。ただ、言われるがまま従っているだけだ。確かに、目の前には選択があるのかもしれない。だが…どうしようもできないことだって沢山ある」
「宿命…という奴か?」
「…あぁ。もし俺が、この場所にたどり着いたのもそれだとするのなら。…終着地点は、どこにある? これから、俺は一体何を成せばいい?」
きっと、これは趣旨を違えた質問だ。
終着地点など、どこにもあるはずがない。なぜなら俺は、もう既に知ってしまったのだ。人が死んだとしても、また生まれ変わるだけだということを。この場所に招かれたとしても、またそれを繰り返すだけなのだということを。
自分の尾を食べ続ける、一匹の蛇のように。
そこには、終わりがない。終点がない。終着地点と呼べる場所がない。
それは未来永劫、永遠に苦しみ続けることと同義ではないのか?
「だが…俺と君は、こうして出会うことができただろう?」
静かに、彼はそう俺に応えた。
まるで、俺の心の中を全て見透かしたように。
言葉が、その輪郭を失った。
「人が生きていく為には…目的が必要だ。憎しみでも、悲しみでも、怒りでもない。己が心を支える為の、目的が必要だ。だから俺達は、愛を知ろうとあがいている。己が主(あるじ)を守るように…一度離れた自分の主人を、いつまでも待ち続けるように。それは…ここで生きていく為の目的になり得る。…俺は、その為に君と出会えたのだと…そう、信じていたい」
大きな手の平が、優しく俺の頭を撫でつける。
途切れてしまった言葉を、そっと救い上げてくれるように。
大きな温かさが、俺を包み込んだ。
「…だから、そう悲しむな」
静かに、彼はそう言葉を続けた。
「…言っただろう。決して、君に寂しい想いをさせたりはしない」
その言葉に、胸の奥が弾けたような音がする。
目の前の瞳もそうだ。夜空の光りをたんまりとため込んだようなエメラルド色をした瞳が、切なげに震えていた。その眼差しに、心が奪われる。
少しだけの沈黙が、そこにはあっただろう。
引き寄せられるように、俺達は互いの唇を重ね合わせた。
[newpage]
6
夢を、見ていたような気がする。
曖昧な輪郭。どこか朧気な、曇った残像。その中で、何か大切なものを亡くしてしまった。そんな残り香だけが、頭の奥にしっとりと残っていた。
懐かしい香りがする。
慣れ親しんだ温もりがする。
それがあの大きな蒼い虎のものだと気づくまでに、少しばかりの時間を要してしまっていた。
うっすらと開けた瞼の向こうで、静かに息づく旨の鼓動が聞こえる。指先をすり抜けるしなやかな毛先が、本当に彼が「ここに実在するんだ」という証明を俺に知らしめる。
自分の名前さえ思い出せない俺にとって、それが、唯一この居場所を繋ぎ止める楔のようなものだった。
「…眠れたか?」
低い、かしゃがれた声が耳元を震わせる。
大きな手の平が、俺の頭を優しく撫でていった。その大きな温もりに、心が奪われる。
窓から差し込む朝日を孕んだその瞳は、宝石のようにたんまりの光を輝かせていた。
「…あぁ。ありがとう」
「…そうか。もうすぐ、代わりの者が来る。君と一夜を過ごせて良かった」
静かに彼は微笑むと、そっと、俺に口づけをしてくれた。
微かに触れるだけの、優しいキスだ。それが、仄かに吹かかる吐息と共に離れていく。
胸の奥で、声にならない寂しさが叫び声を上げた。
「ガル…」
「…何、心配しなくてもまた会える。君の護衛を務めるのが、ただ他の者に代わるというだけだ。そう不安にならなくてもいい」
困ったように目を細めながら、彼はそう俺を宥めた。
起き上がる彼の体が、俺の元から離れていく。
しなやかなシーツの中から、雄々しいその体がはだけていった。それもつかの間、俺に背を向けたまま彼は上着を羽織っていく。
大きなその背中を、俺はただ見守ることしかできなかった。
「なぁ、ガル」
「なんだ?」
「…昨日は、その…ありがとう。何も分からない俺に、その…気をつかってくれて…」
上手く、言葉がでない。
そんな俺に、彼は少し驚いていたようだった。それでも一瞬だけ見開いたその瞳を、愛おしむように彼は細めてくれる。
「…気にするな」
ため息をつくように、彼はそう言葉を続けた。
「俺も、君と過ごせて良かった。…礼を言うのは、こちらの方だ」
静かに、彼は微笑む。
俺はそれが嬉しくて、自然と笑みを零してしまっていた。そしてそれが、ここに来て初めて零れ落ちた笑みだったことを悟る。
忘れかけていた感情が、蘇ろうとしていた。
「なぁ、ガル。俺達って…昔、どこかで――」
そう、言葉を続けようとした。その時だった。
大きな音を立てて、扉が開く。目を向ければ、そこには大きな黒い狼が両腕を挙げて扉を開け放っていた。
片目を覆う眼帯が、雄々しさと威厳を放っている。
体の中心を包み込む白い毛並みが、興奮したようにその胸を上下に膨らませていた。
「よお!! 坊主ぅ!! お前さんのハニーが迎えにきたぞ!!」
腹の内から轟かせるように、雄々しいその声が部屋を響かせる。黄金色の瞳を爛々と輝かせながら、ズカズカと彼は俺の方へと近づいていった。
大きな尻尾が、正面からでも分かる程に大きく左右に振られている。
彼とは違い、黒みがかった灰色の衣装と、漆黒に染まるコルセットが、黒光りする装備の数々を気高く煌めかせていた。
「…久々だなぁ、坊主。お前さんと会えるのを、ずっと待ってたぞ」
嬉しそうに、その黒い狼は豪快に笑った。
目を細めて見せる真っ白な牙が、その黒い毛並みに映える。呆然とする俺をそっちのけに、彼はその大きな手の平で俺の頭を撫でつけた。
柔らかい、懐かしい香りがする。
かがむように背を丸めながら、腰に手を当て俺の頭を撫でる。その豪快な姿に、俺は言葉を失った。
「あ、えっと…」
「…ルー。久々じゃなくて、初めまして…だろ?」
戸惑う俺を尻目に、ガルディアはそう呆れた声色で言葉を続けた。
それを聞いて、目の前の黒い狼は慌てて俺の頭から手を離す。
バツが悪そうにガシガシと頭を掻きむしるその姿は、どこか愛嬌があるように可愛かった。
「おぉ、すまんすまん…俺もお前さんを見て、少し興奮してしまってな。堪忍だ、坊主。…許してくれ」
眼帯をしていない片目を細めながら、彼は両手を合わせて肩をすくめる。
雄々しくも獰猛な、その強面な見た目とは裏腹に、茶目っ気のある表情が二転三転と変化する。そんな彼の気さくさに、いつの間にか心を許し始めている自分がいた。
歳は、ガルディアより10歳以上は上だろうか?
体格もそうだが、風格や雄々しさに威厳と深みがある。
「こいつはルーカス。ルーカス・グラント。今日君の護衛をする副神だ」
そう紹介するガルディアの言葉に応じるように、その黒い狼は俺にウインクをする。
差し出された大きな手の平が、確かな友好を求めていた。
「よろしくなぁ、坊主ぅ。お前さんだけのハニーが、命がけでお前さんを守ると誓うからな。…安心しろ」
牙を見せながら、彼は笑う。
そんな彼の仕草に、俺は差し出された手の平を握り返した。
柔らかな、大きな温もり。それが、ジワリと伝わる。
ガルディアの時とは違う。魔力の籠もっていない、体温だけを感じる握手だった。
「あ、えっと…よろしくお願いします」
「うんうん。よろしくな、坊主。…で、ガルディア。お前、坊主と昨日どこまで行った?」
その言葉に、思わず俺はあの蒼い虎を見上げた。
昨夜の温もりが、脳裏の中で鮮明に蘇る。
「一通りの説明と、魔力の提供は終わっている。まだ体を重ね合わせた程度だ」
「…そうか。魔力酔いは?」
「今のところはない。…が、お前はいつも羽目を外しがちだ。ちゃんと気をつけろよ」
「んっぁたことは分かってるって。そう興ざめするようなこと言わんでもいいだろぉ?」
「一応、釘を刺しただけだ。…お前のことは、俺も信用している」
彼等のやりとりに、一瞬だけ俺は取り残されてしまっていた。
そんな俺を見て、目の前の黒い狼は俺の不安に気づいたのだろう。パッと明るい笑顔を見せると、俺の肩にその大きな手の平を乗せてきた。
柔らかな温もりが、静かに伝わる。
まだ一度も魔力が籠もっていないその触り方に、俺はこの人の優しさと気遣いを知った。
「…すまんな、坊主。お前さんだって、急にこんな話を目の前でされちゃぁ…たまったもんじゃないだろうによ」
「えっと、それは――」
言葉が、どうしようもない本音を詰まらせる。
彼に悟られてしまったのは、一目瞭然だった。
「…大丈夫だ、坊主。そう不安にならんでも、俺達が一つずつお前さんに説明する。今日はとりあえずこの城の案内と、皆の紹介をすると約束しよう。…少しでもお前さんが、安心して俺達に身を任せられるようにな」
眼帯で覆われていないその片目を、優しく彼は細める。黄金色をしたその瞳が、柔らかく俺に向けられるのを感じた。
ガルディアとは違う。年数を重ねた凄みと、それに打ち添えられた懐の深い優しさを感じる。
まるで、親分肌のような兄貴分のようだ。
そんな彼の温もりに、少しずつ俺は心を開き始めていた。
「こんな感じだが、一応こいつは俺達をまとめる元締めみたいなものだ。…俺達の信用も厚い」
「人聞きが悪いぞ、ガルディア。こんな感じとはなんだ、こんな感じとは」
「…そのままだ。豪快で茶目っ気と兄貴肌はあるが、それが時には玉にキズだ。…まぁ、俺達もそんなこいつの立ち振る舞いには、救われている部分も多くあるがな」
少し困ったように、隣にいる蒼い虎は笑う。
そんな彼を見て、目の前の黒い狼は少し不服そうだった。こんな二人のやりとりを見て、どこか安心し始めている自分がいる。
ふと、彼を見上げた。その時だった。
黒い毛皮に包まれた彼の首元に、銀色のドッグタグが揺れたのが見えた。朝日を反射させて光輝くそれに、一瞬だけ目眩がする。
生臭い血の匂いと、指先に染みついた硝煙の匂い。なぜかそれが、鮮明に頭の中で蘇ったような気がした。
「じゃあ、さっそく行くとするか。坊主」
白い牙を見せながら、彼はそう笑った。
大きな手の平を、俺の目の前へと差し出しながら。
そんな目の前の展開に、俺はふと我に返っていた。
「行くって、どこに?」
戸惑う俺の反応に、彼は自分の背後にある扉の向こうへと、豪快にその親指を向ける。
楽しげに揺れる大きな尻尾が、白い牙と一緒に笑いかけていた。
「…決まっとるだろう。朝起きたら、飯を食う前にやることは一個しかないだろう?」
豪快に笑いながら、彼はそう言葉を続けた。
「…湯浴みだ、坊主。お前さんと一緒に、風呂に入ろうと言っとるんだ!!」
[newpage]
7
この部屋を出るのは、昨日で二度目だ。
あの時は周囲を見渡す余裕もなかったが、本当に大きな城だ。窓の向こうを見れば、自分がいた部屋がどれだけ高い位置にあったのかを思い知らされる。
遠くに見える海は、今日も透き通ったように蒼かった。
自分は、あの向こう側から来た。その曖昧な記憶だけが、確かな事実として脳裏に刻まれている。
対岸の先へと吸い込まれそうになる視線を誤魔化すように、俺は目の前の大きな背中へと目を向けた。
聞けば、この城には大浴場があるらしい。
一緒に風呂に入ると聞いて、昨日俺が入浴した備え付けの浴室のことを指していると思っていたら、どうやらそうではないらしい。大きな黒い尻尾を揺らせながら、目の前の狼はそう否定した。
「まぁ…あの風呂もいいがな。折角お前さんと初めて一緒に風呂に入るんだ。どうせなら、広い方がいいだろう?」
黄金色の瞳を輝かせながら、彼はそう言葉を続けた。
「それに、今朝はお前さんの為に特別な薬草と湯薬をこしらえておいた。…昨日の今日だ。お前さんも、正直疲れとるだろ?」
俺の体を気遣うように、彼は笑う。
何もかもを見透かすようなその言葉に、俺は何も否定することができなかった。
「…すまない、その…気を遣わせてしまって…」
「…何を言っとるんだ。お前さんのケアをするのも、副神の立派な役目だ。俺はお前さんの幸せを守ることに、誇りと生きがいを持っている。…お前さんはただ、それを素直に受け取って、ただ…笑ってくれればいい。それが、俺達副神に対する最大の誉れと褒美だ」
俺の頭を撫でながら、彼はそう微笑みかけた。
眼帯をしていない片方の瞳が、優しく細められる。
雄々しくも固い指先が、しなやかに髪の毛の間をすり抜けた。
「ルーカス…」
「…やっと俺のことを名前で呼んでくれたな、坊主」
待ちわびたかのように、彼はそう声色を明るくさせた。
「言っただろう? 俺は、お前さんだけのハニーだ。ガルディアにはまだ気を遣ったかもしれんが、俺にはその必要はない。…それを今日は、お前さんに嫌と言うほど教えてやるとしよう。甘々に、頭から脚の先まで蕩けるほどにな」
耳元で、彼は甘くその声を囁く。
見上げれば、その瞳は何かを含ませるように笑いかけていた。どこか嬉しそうに、目の前の狼はその頬をはにかませる。
満足げに振られた大きな尻尾が、どこか無邪気にその感情を表していた。
「っとその前に…まずはあいつらを紹介してやらんとな。この時間なら、皆食堂にいるだろう。…お前さんとのラブラブでエッちぃ湯浴みはその後だ」
大きな背中越しに、彼はそう言葉を続けた。
彼の歩く歩幅に遅れを取らないよう、目の前の黒い毛並みを追い続ける。歩き始めてそれほど時間は経たなかっただろう。大きな扉を目の前に、彼はその足並みを止めた。
「ここだ」
俺の顔を見下ろすように、彼はそう声をかける。
見上げれば、黒い狼がその眼差しを一心に俺の方へと向けていた。
「…怖いか? 坊主」
小さな声で、彼はそう俺に耳打ちをした。
駄目だ。
何もかもを読まれてしまっている。
「少し、な。だが…緊張しているだけだと思う」
「…そうか。そう身構えんでも、皆心底いい奴だ。…皆、お前さんのことを歓迎している」
俺を安心させるように、彼はそう俺の耳元で囁いた。
「それに…もし怖くなったら、俺の指先を握りしめてくれ。お前さんの意図が悟られぬよう、皆からお前さんを遠ざけることを約束しよう。…何、中にはガルディアもいる。お前さんが思っているほど、あいつらもケダモノではないぞ」
目を向ければ、優しく彼が俺に微笑みかけている。
吸い込んだ息が、少しだけ痛かった。
「それじゃ、開けるぞ」
一瞬だけの暇が、吐き出した息を詰まらせる。
俺の背中を押すように、彼は目の前の扉を開けた。
「…良かった。皆、揃っとるな。…坊主、こいつらがお前さん専属の護衛達だ」
豪快に、彼はそう笑って声を続けた。
彼の背中に隠れるようにして見えたのは、まさしく食堂と言うに相応しい光景だった。大きな長テーブルに椅子、そして奥に見える厨房であるであろうカウンター。目の前のテーブルに、昨日会ったはずの彼等が腰をかけている。
橙色の獅子に、焦げ茶色の大きな熊。そして昨夜愛し合ったはずの、あの蒼い虎。
ガルディアだ。
怯えた俺を励ますように、そのエメラルド色の瞳を俺に投げかけてくれた。
「そうか。あんたはもう、ガルと昨日会っているのか」
先に口を開いたのは、橙色をした獅子だった。
気高くも、凜々しい。野性的な渋さの中に、王者としての余裕と切なげな優しさが隠れている。
威厳たる重みと風格を漂わせる佇まいだった。琥珀色をしたその瞳が、俺にだけ穏やかにさせるように彼は微笑む。
「…エイベルだ。エイベル・テスティファイ。皆俺のことを、エイベルか、テスと呼んでいる。よろしくな、マスター」
大きな手の平が、目の前へと差し出される。
橙色に光る鬣が、優雅に揺れた。山吹色をしたその衣装に、よく似合う。
「ほら見ろテス。お前のせいでご主人が怖がってるじゃねぇか。 可愛そうによ…こんなにも震えちまって」
そう隣から顔を出してきたのは、茶色の熊だった。
彼等の中でも、随を抜いて体格が大きい。胴回りもそうだが、その両腕に太もも、首回りまでもが太い丸太のようだった。
古い木目調のような焦げ茶色の毛並みの中で、明るいミルクチョコレート色の瞳が煌めいている。どこか可愛らしい、優しくも穏やかな瞳だった。その瞳の奥に感じる深い慈悲めいた落ち着きに、心が、奪われる。
「…冗談は止めろ、ドクター。どう見てもお前を怖がって震えているんだろ?」
「俺は愛されキャラを通してんだよ、お前と違ってな。この愛くるしいわがままボディが目に入らねぇのか? なぁ、ガル」
意味ありげに、目の前の熊はガルディアにその目線を投げかける。
昨夜愛し合ったはずのあの蒼い虎は、両腕を組んだまま大きくため息をついた。
「…俺に振るな。お前もテスも、ルーもそれなりに威圧的だ。彼が怯えても仕方ない」
「…だそうだ」
不敵な笑みを浮かべながら、獅子はその熊へと目線を投げかける。
彼が両腕を挙げたのは、それから数秒経ってからだった。
「…ま、時間はたっぷりある。俺とテスどっちが怖かったのか、ご主人にはちゃんと聞かねぇとな」
そう言って、目の前の熊はおもむろに立ち上がった。
俺よりも、頭三つは大きい背丈だ。深緑色をしたその衣装が、緩やかに揺れる。
「…すまねぇ。本当は、もっと安心して欲しかったんだけどよ。…上手くいかなかったな」
どこかバツが悪そうに、彼は笑う。
見上げたその瞳は、優しくその目尻を細めていた。
「アイザックだ」
手を差し伸べながら、彼はそう言葉を続けた。
「アイザック・グレイヴス。こいつらは俺のことを、ドクターと呼んでいる。…よろしくな、ご主人」
差し出されたその手の平を、恐る恐る握り返す。
ただそれだけで、目の前の熊は嬉しそうに笑った。穏やかな温もりが、皮膚を通り越して骨の奥までも伝わる。
なぜか、目尻が急に熱くなった。
「…な。皆存外にいい奴だっただろ?」
耳元で、ルーカスがそう囁く。
見上げた先には、どこか満更でもなく微笑んでいる黒い狼がいた。眼帯越しに、その表情が手に取るように分かる。
「じゃあ顔合わせはこの辺にしといて…だな。俺と坊主は、これから湯浴みだ。…覗くなよ?」
「誰が覗くか。…なぁ、ご主人。もしこのエロ親父に何かされたら、すぐに声を上げるんだぞ。俺達がこのセクハラ野郎を懲らしめてやるからよ。…な?」
「…俺もそれには賛同だ。怖くなったら…すぐに俺達に助けを求めてくれ。俺もドクターも…ガルもそれなりに脚は速い。何かあったら、すぐに逃げるんだ。いいな?」
小声で耳を打つように、目の前の熊と獅子はそう言葉を続ける。
眼光に切迫する何かを感じるのは、冗談か何かなのだろうか?
「…おい、お前ら…揃いも揃って坊主に何吹き込んでやがんだ!? 俺の坊主が怖がっちまうだろう?」
大げさに、目の前の狼は俺を後ろから抱き寄せる。
柔らかな毛並みが、全身を包み込んだ。その優しい胸の鼓動に、心が躍る。
微かに、甘いガーベラのような香りがした。
「一体俺のどこがアブねぇっていうんだ…なぁ、坊主。ほら、お前らのせいで坊主が震えちまってるだろう? 怖かったよなぁ、坊主…よしよし、お前さんだけのハニーが、こいつらから守ってやるからな。さ、二人っきりで湯浴みに行こうな? 大丈夫だ、お前さんだけのハニーが――」
「…そういう所じゃないのか?」
ガルディアの的確な指摘が、数秒だけの沈黙を張り詰めさせる。
それから皆が腹を抱えるようにして笑い始めたのは、それから暫くしてからのことだった。
[newpage]
8
食堂を出た俺達は、当初の目的に戻り始めていた。
隣にいる黒い狼は、どこか不機嫌そうだ。どうやらさっきのやりとりがどうにも納得できていないらしい。そんな彼の喜怒哀楽豊かな表情を見て、どこか可笑しく思う自分がいた。
漆黒に揺れる彼の衣装は、彼の大きな尻尾に釣られどこか大人しめだ。
さっきまでの興奮したような大型犬のような反応が、どこか嘘のようだった。
「すまんなぁ、坊主」
「え?」
「あ、いや…お前さんを安心させたかったんだがな。…逆効果だったか?」
恐る恐る、怯えたように彼はそう俺に問いかける。
そんな彼の優しさが、なぜか可笑しかった。
「何を言うんだ。そんなことはない」
「…そうか?」
「あぁ。…ありがとう、ルーカス。皆と会えて…俺も安心した」
「そ、そうか」
その言葉を境に、背後の尻尾が大げさに左右へと振られる。
眼帯越しでも分かる程、彼は照れているようだ。指先でポリポリと頬を掻くその姿は、どこかウブにも見える。
「着いたぞ、坊主」
彼のその声に、俺は思わず息を飲む。
辿りついた大浴場は、圧巻の一言だった。
大理石のような滑らかな石面を切り取り、それでいて純白を思わせる内装が太陽の光を反射させている。見上げれば、空を切り取ったように天井はガラス張りだった。外の方へと目を向ければ、露天風呂を思わせる浴室さえ微かに見える。
奥へ進めば、彼はもう目の前の戸棚からバスタオルのようなものを手に取っていた。
どうやら、ここが脱衣所らしい。
辺りを見渡す俺の反応に目を向けながら、彼は自分の服に手をかけた。
「な? なかなかなものだろ?」
服を脱ぎながら、目の前の黒い狼はそう微笑んだ。
ちょうど左肩の銀装と手甲を外し、腰に巻かれたコルセットを取り終わった所だった。黒い煌びやかなその衣装が、するりとはだける。
黒いその毛並みを浮きただせるように、胸元の白く柔らかな毛並みが目の前で露わになった。固く隆起する筋肉の凹凸に、数々の深い傷跡が体中のあちこちに残っている。
首元に揺れる銀色のドッグタグが、日光を煌めかせるようにその光を反射させた。
「…気になるか?」
俺の視線に彼も気づいたのだろうか。自身の身体に目を向けながら、彼はそう肩をすくめた。
雄々しい指先が、自身の傷跡をなぞる。
刃物で傷つけられたであろう傷跡の他に、動物のかぎ爪で抉られたであろう深い傷もそこにあった。その痛々しい傷跡へ、自然と俺は指を伸ばす。
指先が、彼の身体に触れる。
柔かな毛並みの中で、彼の呼吸が指先を通じて伝わった。
「これは…」
「まぁ…あまり褒められたもんじゃないな。今までの勲章、と言いたいところだが…全てを守り切れた訳ではないからな」
肩から胸、そして体の中心へと指先を這わせる。
柔らかな毛並みの中で、確かに隆起する筋肉の凹凸を感じた。押し返す弾力に、彼の胸の鼓動を感じる。指先が、彼の腹筋をなぞった。その時だった。ビクリと、彼の身体が微かに震える。
「なぁ、なぁ…坊主…」
「え?」
「そ、その…俺もお前さんにそうされると、抑え切れんくなる…というか、その…」
その声に、彼の顔を見上げる。
何かを耐えるように、彼はその歯を軋ませていた。天井を見上げるその瞳は、どこか切なげに左右へ泳いでいる。
視界の下で、何かが微かに脈動したのが微かに見えた。
「あ、えっと…その――」
「…すまん、その…俺も、溜まっててな。…堪忍だ、坊主。いきなり恥ずかしいところ見せてしまったな」
どこか照れたように、彼はそう頭を掻きむしる。
薄い布地を押し上げるそれは、まるで別の生き物のように震えていた。少しずつ高度を上げていくその先端に、目が奪われる。
「今日はお前さんの為に、色々工夫を凝らしたぞ。…気に入ってくれるといいんだが」
話題を誤魔化すように、彼はそう言葉を続けた。
俺に背を向け、彼は残った衣服を脱ぎ去る。大きな尻尾の毛並みの向こうで、確かに熱を帯びたそれが揺れたのが微かに見える。
胸の鼓動が、痛い位に高鳴った。
「坊主…?」
無意識だった。
目の前の背中に、俺は静かに体を預けていた。
抱きしめようと伸ばした腕が、恐る恐る彼の背中へ寄り添う。長く柔らかに逆立った毛並みが、どこまでも俺の体を吸い込んでいった。
「…すまない。その…」
声が、上手く出ない。
そんな俺を気遣うように、彼はそっと、振り向いてくれた。
俺の体を抱き寄せながら、その大きな手の平で俺の頭を優しく撫でる。
見上げたその瞳は、どこか切なげに濡れていた。
「…こらこら。お前さんとエッチぃことをするのはこれからだぞ?」
「すまない、ルーカス…その――」
「…何を言っとるんだ。愛しいお前さんが、お前さんから俺のことを求めてくれたんだぞ? …これ以上に嬉しいことはない」
誇らしげに、彼はそう笑う。優しく俺の頭を撫でていった彼の手の平が、ただ、温かかった。
満足げにその瞳を細めながら、彼は俺の服をほどいていく。しなやかに、愛撫をするように、一つ一つの布地を取り去っていくようだった。
微かに触れる雄々しい指先が、薄い皮膚の上を滑り込ませる。
欲情し始めた俺の表情を、彼は噛みしめるようにじっと見つめていた。
「ルーカス…」
「…そう恥ずかしがらんでもいい。ここにいるのは俺とお前さん…二人きりだ。…安心しろ」
囁くように、彼はそう耳元で優しく唸る。何かを含ませるように微笑みながら、彼はもう一度俺の頭を撫でた。
頭のてっぺんまで、真っ赤に染まってしまったようだ。もう少しで、勃起してしまったそれを彼に見られてしまう。そう思い下を向けば、彼のものがはち切れんばかりに天を仰いでいた。鏡のように光を反射するまで張り詰めた亀頭。微かに微動する鈴口。エラの張ったカリに少しだけかかる柔らかな包皮と、完熟したビワのように重たくズッシリとした双球。太い幹のように脈動するそれの先端から、微かに甘い蜜のような滴が垂れ落ちた。その甘美なヌメリのある潤いに、喉が、一気に渇くのを感じる。
「…こら。そうまじまじと見るでない。…恥ずかしいだろう?」
照れくさそうに彼は笑いながら、俺の耳元を優しく撫でる。
最後の一枚が、はらりと俺の体からはだけていった瞬間だった。互いに生まれたままの姿になった途端、なぜか、寂しさがこみ上げる。
ふと、彼が俺の体を抱きしめたのはその時だった。
柔らかな長い毛並みが、全身を優しく包み込む。どこまでも吸い込まれそうな、そんな温かさが俺を襲った。思わず目を細め、息を深く吐き出してしまう自分がここにいる。
彼の首すじから微かに薫る、ガーベラの香り。
なぜか酷く、狂おしい程に懐かしかった。
「ずっと…お前さんとこうするのを、夢見ていた」
切なげに、彼は俺の耳元でそう囁いた。そしてその大きな手の平が、俺のいきり立ったそれを優しく包み込む。
腰が砕けるような快感が、背筋を轟かせた。
しなやかに、愛撫するように彼はそれをしごきあげる。たまらず俺は、彼のモノを同じように握りしめた。
手の平いっぱいに伝わる、柔らかくも弾力のある肉質。熱く、煮えたぎるような固さの中で、確かなヌメリを感じる。
ピクリと、それが弾けた。その時だった。
「…そう焦るな。続きはちゃんと…湯船の中でしてやる」
俺を制するように、彼は俺の手首を優しく握りしめる。
見上げれば、彼は俺を愛おしそうに見つめていた。黄金色の瞳と、眼帯に隠れた片方の瞳が、優しく俺を射貫いている。
ふと、彼が俺の耳元を撫でたのはその時だった。
その切なさを孕んだ指使いに、心が、奪われる。
「…まずは、お前さんと湯浴みをして…ちゃんと俺の魔力を提供してからだ。最初からガッつくと魔力酔いを起こすぞ?」
からかうように彼は笑うと、俺の背後から大きな布地を手に取った。
タオルケットに似たそれを俺と彼の体へと羽織わせると、優しく彼は俺の肩を抱いた。さっきまで疼いていた寂しさも、火照ったように乾いた胸の痛みも、すっと和らいでいくのが感じる。
ただその柔らかな温もりが、全身を満たしてくれるようだった。
「すまない、その…はしたない所を見せてしまって…」
「何を言うんだ。お前さんが俺に、こんなにもエッチく甘えてくれたんだぞ? これ以上の誉れはない」
豪快に、彼は笑う。
そのどこか懐かしい声に、なぜか、俺は胸の奥がざわつき始めているのを感じた。
ポッカリと空いてしまったような、何かが足下をすくませる。
その感覚がなぜか、俺はどうしようもなく怖かった。
「…さ、行こうか…坊主。お前さんと、記念すべき初の湯浴みだ」
手の平を握りしめながら、彼はそう俺に笑いかけた。
俺よりも、二回り以上大きい。そんなゴツゴツとした雄々しい指先が、柔らかく俺の手を包み込む。
その指先にしがみつくように、俺は懸命にそれを握りしめた。
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9
彼が案内した浴場は、圧巻の一言だった。
柔らかく立ちこめる湯気の中に、いくつもの甘い花の香りがする。湯船を見れば、透き通った淡い黄色に染まっていた。少しとろみのある滑らかな水面に、いくつもの花が浮かんでいる。
息を吸い込めば、胸一杯に花畑が広がるようだ。
足先から、指の先まで、芯のある温もりが体を解きほぐしていく。今までのこわばりも、緊張も、全てを洗い流してくれるようだった。肌に吸い付くとろみのある感触が、心までも溶かしだしていく。
「…な。なかなかにいい湯加減だろ?」
隣にいる黒い狼が、ふと俺に笑いかける。
三角の大きな耳を寝せたままその瞳を細める彼も、この湯船に骨抜きになっているようだった。
「…あぁ。ここまでとは…思っていなかった」
「…そうか。お前さんが喜んでくれたなら、俺も光栄だ。いつでも俺に言えば、お前さんの為に特別に湯薬をこしらえてやる。もちろん、お前さんのその日の体調に合わせてな」
彼の低く雄々しい声が、浴室の中に木霊する。
辺りを包み込む水の音が、なぜか俺を癒やしてくれた。この場所に俺と彼しかいないという事実が、どうしてか心を落ち着かせる。
「薬草も湯薬も、ドクターが栽培したハーブから作っている。あいつは薬として調合しているが、俺は風呂や料理、茶に転用して使用するのが多くてな。風呂を出たら飯にしよう。…俺がお前さんに、特別な朝食を作ってやるぞ」
彼の指先が、俺の頬を触れる。
濡れた彼の指先が、心をときめかせた。
「飯って、もしかして――」
「あぁ。この城で出す料理は、全部俺が作っている。…なんだ坊主。お前さん、気づかなかったのか?」
可笑しそうに、彼は笑った。
「ホントは、昨日お前さんの目の前で作ってやりたかったんだが…お前さんも昨日目覚めたばかりだったからな。今日はお前さんが喜んでくれるよう、この腕を振るって旨い飯をお前さんに喰わせてやろう。…案ずるな。坊主の好みはちゃんと把握している。お前さんが気を遣わんでも、必ずその頬が舌鼓するのを約束しよう」
自慢げに語るその瞳は、揺らぎ無い自信に満ちあふれていた。
黄金色をしたその瞳が、朝日に反射して輝いている。その瞳が、ただ綺麗だった。
まるで、朝焼けの太陽のようだ。静かにその光を放ちながらも、その奥は深く、熱い熱を轟々とたぎらせている。
彼の首元を揺れる銀色のドックタグに、湯船の滴が滴り落ちた。
「…っと、その前に…お前さんと軽い運動をせんとな」
大きな音を立てて、湯船が波立った。
立ち上がった彼の巨体が、俺の背後へと回る。
「…坊主。ちょいとここらで、俺からお前さんに魔力を提供しておこう。お前さんも…そろそろ俺とラブラブでえっちぃ運動をしときたいだろ?」
悪戯っぽく、彼は笑う。
背後から俺を抱き寄せる雄々しい腕が、ゆっくりと包み込んだ。
「軽い運動か?」
「…冗談だ。湯船は魔力の伝導率も高い。少しずつお前さんに俺の魔力を流し込んでいくから、具合が悪くなったらすぐに言うんだぞ…坊主。お前さんとは初めてヤルんだ。…がっつくなよ?」
耳元で囁くその甘い声が、鼓膜の奥までもを痺れさせた。
彼の体が、ゆっくりと俺を抱きしめる。後ろから回り込んだ彼の手の平が、俺の指先を握り締めた。固く、雄々しくも大きいその手の平に、心が奪われる。
彼の胸が、ふと息を吸い込んだ瞬間。
俺の体に、それは静かに流れ込んできた。
さらりとした、水のような透き通った感覚。それが骨の髄までを解きほぐすように、静かに俺の中へと入り込んでいく。山のせせらぎを流れる、澄んだ雪解け水のようだった。その優しくも透き通った熱に、魂が、ほころぶ。
「…どうだ? 気に入ったか?」
「あ、あぁ…これが――」
「あぁ。俺の魔力だ。ガルのとは全然違うだろ? こうして手を固く繋ぎ合わせれば…よく感じるはずだ」
湯船の中で握り締められた指先に、彼の鼓動を強く感じる。
絡みつく指先が、心までもを繋ぎ止めてくれるようだった。
「どうだ? 目眩や動悸はないか? 吐き気は…」
「大丈夫だ。それより…」
大きく吸い込んだ息が、花の香りと彼の温もりで満たされる。
やっぱりだ。
彼の身体から香るガーベラの香りが、酷く懐かしい。
「…もっと、欲しい」
「ぼ、坊主?」
「すまない、ルーカス…もう――」
俺はそれだけを告げると、目の前のマズルへと唇を重ね合わせた。
彼の温もりを、体温を、直接感じる。
血の中へと絡みつく粘液は、ただ、優しかった。俺を愛おしむように、傷つけないように、慈しみに溢れているのが分かる。
湯船の音が、辺りに響き渡った。
抱き寄せる身体が、熱い。俺の背中で、何か固いモノがあったような気がした。それが火傷しそうな熱を持ちながら、力強く脈打っている。
さっき、脱衣所で見た。ルーカスのモノだった。それが今にもはち切れんばかりに、トロリとした粘液をその鈴口から滴らせている。
胸が、高鳴った。
「…坊主。…いいか?」
眼帯越しに、切なげな眼差しがそう俺に問いかける。
俺は無言のまま頷くと、彼の厚い胸板に身体を埋めた。
「っぁ…っは…」
大きな手の平が、優しく俺のモノを包み込む。
愛おしむように、彼はその場所をゆっくりと上下にしごき上げ始めた。俺のモノへと伝わる彼の魔力と、ゴツゴツとした指先が絡みつく甘い快感が、俺の背筋を痺れさせる。
限界まで張り詰めた俺の亀頭に、俺の粘液がしみ始めたのを感じた。
静かに、浴室の中に水気を帯びたその音が段々とその音量を増していく。蕩けるように見上げれば、優しい彼の瞳がジッと俺を見つめていた。眼帯越しに、その黄金色をした瞳を細めている。
「…気持ちいいか、坊主…」
甘く、かしゃがれた声だった。
それが、俺の反応を伺うように問いかける。
俺は顔を赤くしたまま、彼の胸の中へと顔を埋めた。目をぎゅっと閉じたまま、彼に頷いて見せる。
大きな手の平が、俺の頭を優しく撫でた。
「…そうか」
嬉しそうに、目の前の狼は笑う。
彼は俺の頭を引き寄せると、雄々しく俺の唇を塞いでいった。
さっきとは違う。快感を求めるような、獲物を貪るような舌使いだ。その雄々しさと渋さに、興奮が高鳴る。
俺は彼に口内を犯されながら、自分の手を彼のモノへと伸ばした。細い俺の指先が、今にも爆発しそうなソレに触れる。
彼のモノを、握り締めた瞬間。ビクリと、彼の巨体が震えた。
俺の指に、甘くも冷たい粘液が絡みついていく。
白く泡立ちながら、それは俺の手の平を汚していった。
「っは…っは…ぼう、ず…」
トロンとしたその眼差しが、俺を見つめる。
俺達はそのまま、思いっきり互いのモノをしごき合った。彼の指先の動きが、段々と速くなる。一気に上り詰める快感に、俺は思わず彼の身体へと抱きついた。
湯船の音が、激しくその波を立てる。
熱い濁流のような快感が、俺の下腹部からせせり上がった。
「い、イク…い…っぁ、ぁあ!! っっぁ――」
弧を描きながら、それは噴き上がった。
白い粘液が、彼の黒い毛並みをした指先をいやらしく染める。
余りにも強い快感に、俺の指先が彼の亀頭を強く抉った。
その時だった。
「だ、駄目だ!! 坊主!! お、俺も…い、イグ…がぁ!! ぁああ!!」
ブシャリと音を立てて、彼は射精した。
黄色い、痰の塊のような。とても濃い精液だった。それが、彼の胸板をビシャビシャと汚していく。
甘い香りが、辺りに漂った。それが温かくもしっとりとした湯船の湯気に包まれて、柔らかく彼の匂いで染め上げられていく。ゼリー質の塊が、パックリと開いた彼の鈴口からあふれ出ているようだった。ゆっくりとしごき上げる度に、俺の指先に固いゼリー質のそれが絡みついていくのを感じる。
「坊主…」
切なげな眼差しが、俺を射貫く。
俺達は何も言わないまま、もう一度唇を重ね合わせた。
甘く、とろけるような口づけだ。その舌使いに、心まで溶かし出されてしまいそうになる。
「…一回、背中を流さんとな。…坊主」
冗談を言うように、彼は俺に微笑みかける。
彼はそのまま俺を抱き寄せると、自分の胸板に俺の頭を押さえつけた。大きなその手の平で、俺の頭を撫でる。
彼の胸板からは、優しい彼の心音が確かに聞こえた。