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自室に戻るとアヤから借りた冷たい布で目元を覆い、ソファで横になって休む。
そうして、自身の感情を整理しようと思考を巡らせた。
あの時目にした男・・
あれは、彼女の恋人では無かった・・自分の勘違い、だったのだ。
漸く、その情報を紛れもない事実として自分の中で理解と納得がなされると、心の底からほっとして、深く重い溜息が零れた。
横になり、額の布に手の甲を乗せると、昨夜からの怒涛の状況変化による疲れが一気に押し寄せて来て、体が重い。
無理もない。
昨夜は一睡もしていない上、明け方から迷宮を踏破してきたのだ。
魔法を使用したことで魔力過多の症状が軽いのは救いだが・・
『まずい。兄上たちに報告をせねばならぬのに・・どうにも、眠気が・・』
疲れと安心感から体が睡眠を欲しているようで、目の奥にずしっとした感覚がして瞼が重くなる。
そんな倦怠感の中、ふと思い出した。
『そうだ。今回は勘違いだったが、彼女に恋人や好いている人が居るのかどうか、確認をしなかったな・・』
うっかりしていた。
『先程の流れでそのまま訊ねれば良かったものを・・』
知らされた事実に気を取られて、失念してしまった・・
仕方ない。また様子を見て・・
その時、廊下へと繋がる扉の向こうから自分の傍仕えが必死に誰かを止めている声が聞こえて来た。
「どうかお待ちくださいっ!主は今―」
「いいから、そこをおどきなさい!」
「―?姉上?」
苛烈な声を上げているのが姉らしいと気づいて、青年はソファの上で身を起こす。
視線を扉へと向けたタイミングで、勢いよく部屋へと踏み込んで来たのはやはり、自身の姉であるクリスティアナだった。
「アディ!大丈夫なのですか?!」
心配そうに目尻を下げ、ソファの近くで腰を屈めた姉は青年と目を合わせると、胸の前で祈るように手を手で包んだ。
突然の来訪に驚き「姉上、どうしてこちらに・・」と話す青年の言葉を、首を振って遮り、労わるように声を掛ける。
「アディの状況は概ね把握してますわ・・折角、魔法が使えるようになったというのに・・どうしてあなたばかりこのような辛い目に合わねばならないのでしょう。あぁ、こんなに目を赤くして・・斯くなる上は「異界の魔女」にアディを選ばなかった事を後悔させて・・」
青年が口を挟む隙もなく語る姉だったが、途中から瞳に怒りの炎を灯し不穏な言葉を紡ぎ出す。
これに焦った青年は握っていたタオルを横に置くと、姉の意識を自分へと向けるべくその手を取って優しく両手で包み込んだ。
「っ?!アディ?!」
「大丈夫です。魔力過多の症状は落ち着いていますので、少し触れるくらいなら平気です」
「っ!、あぁ・・良かった。本当に、良かったですわねアディ・・」
「姉上たちがずっと支えて来て下さったお陰です」
弟と直に触れ合う喜びに震えた姉は唖然とした後、目元を潤ませにこりと笑みを浮かべる。
「ふふっ。こうして触れ合ったのは何時ぶりでしょう・・兄様とフィルに自慢しなくちゃ」
「それは止めてあげてください。また喧嘩になりますよ?」
「あら。あたくしが負けるとでも?」
「兄上たちが可哀想なので止めてあげてください」
「ふふ、仕方ないわね」と笑う姉の様子にホッと胸を撫で下ろし、青年は姉の勘違いを訂正すべく話し出す。
「昨夜の事、報告が行っていたのですね」
「勿論です。少々の事では口を挟むつもりはありませんでしたが、あなたの荒れ様から状況は推察できました・・アディ、どうか気をしっかり持って・・」
「姉上、私は大丈夫です。その・・勘違い、だったので・・」
首を傾げ「どういうことですか?」と問う姉に羞恥を押し殺して自分の失態を告げる。
「彼女と友人のやり取りを目撃した際、あの・・男女のアレと誤認しまして・・」
ぱちりと目を丸くする姉に言い訳する様に、急ぎ続きを語る。
「後ろ姿しか見ていなかったのですが、どうやらその友人は女性だったらしく・・その、勘違い・・を・・」
「あらまぁ・・」
「あと、この目は素晴らしく感動的な物語を聞いてきた、所為でして・・・ご心配をおかけしてしまい、申し訳ありません・・」
羞恥から握っていた手を放し、ふいと視線を逸らす青年。
そんな弟へやや呆れた目を向けた姉は扇を取り出して口元を隠すと、くすくすと笑い出した。
「姉上・・」
「ごめんなさいね?でも解るわ・・恋をしていると視野が狭くなってしまうものよね?」
「・・以後、重々気を付けるようにします」
「ええそうね、程々にね?」と頷いた姉は青年の様子が落ち着いているのに安心して、この場に居ない兄二人にも報告を入れるよう言伝ると、自分の仕事へと戻って行った。
姉の後ろ姿が廊下の角を曲がって視界から消えるまで見送ると、斜め後ろで控えて居た傍仕えに話し掛ける。
「そんな訳だ。ジャスにも心配をかけたな」
「私はもう大丈夫だ」と安心させるように微笑むと、さぞ気を揉んでいたのだろう傍仕えは珍しく感情も顕わに盛大な溜息を吐いた。
「本当に、良うございました・・わたくしでは、もうどうする事も出来ない、かと・・」
「すまなかったな」
「いいえ。アディード様が謝罪される事ではございません。わたくし自身の非力さを痛感した迄ですので・・」
「何を言う!幼き頃からずっと傍で支えてくれたのはジャス。君ではないか!」
「アディード様・・」
膨大な魔力の所為で魔法を使えず、魔道具も壊してしまう自分の生活を支えてくれたのは他ならぬ目の前の傍仕えだ。
家族以外の者がいつ暴発するかもわからない自分を恐れ、忌避する中で唯一仕えてくれた者。
15程に見える、ハーフエルフのジャスパー。
その見た目から苦労する事も多かろうに、面倒な身の上の自分と共に居てくれた。
「君が居てくれるから、私は不自由ない生活が出来ている。いつも感謝しているのだ」
「そんな、勿体ないお言葉・・」
「先ほども、姉上が部屋に入ると同時に遮音の魔法を発動させてくれたのだろ?良く気を利かせてくれた」
「当たり前の事をした迄、ですので、それ以上のお言葉は・・」
青年からの謝意を辞するように一歩下がった傍仕えの手を、主である青年は掴み引いた。
驚き、視線を上げた傍仕えと目を合わせ、微笑む。
「ありがとう、ジャス。これからも、よろしく頼む」
ぐっと一度強く握り、離された手を傍仕えは無意識にもう片方の手で包むと胸に抱いた。
手袋越しとはいえ、初めて主と手を握り合った現実に打ち震え、感動を飛び越えた衝撃に糸目をこれでもかと見開く。
だが、直ぐに持前の強靭な精神力でもって意識を立て直すと、お手本のような綺麗な所作で忠誠を誓う姿勢を取った。
「勿論でございます。不肖、このジャスパー。これからも誠心誠意、お傍でお仕えさせていただきます」
そう言って、[[rb:首 > こうべ]]を垂れた傍仕えに青年は嬉しそうに微笑む。
「あぁ。こちらこそ、よろしく頼む」
主従の繋がりを強くした二人。
見つめ合い、笑みを交わすと早速報告書を作成すべく移動を始めるのだった。
〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇・〇
「カレーは大変好評でしたっと」
良かった良かった。
やはり、みんな大好きカレー様はどんな人にもウケが良い。
安定の好感触に作った自分も鼻高々である。
勿論、ルーが優秀なお蔭だけども。
シンクで食器を洗い、水切りのカゴに並べて一通りの片づけを終えると作業机へ向かう。
インド綿のロングスカートをぽいとベッドへ脱ぎ捨て、代わりに膝上の短パンに履き替えるとゲーミングチェアに座った。
青年とはまた明日の夕食時に会う予定だ。
今度はどんな食事を共にしようか?
洋食?中華?フレンチ・・イタリアン?
いや、カレーで食べたお米にも拒絶反応は無かったし、ここいらでがっつり和食というのも案外悪くないかもしれない。
「私も久しぶりにちゃんとしたお魚食べたいしな・・お刺身か、焼き魚の定食風に整えてみますか!」
連日、誰かの為に食事の支度をするというのは初めてだったが、思いの外楽しいものだと無意識に口元を緩める。
青年の驚く姿や、美味しい食べ物に喜び笑う顔を想像しながら、頼子はうきうきと明日の献立を考えるのだった。
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